明治36年にお亡くなりになられた曾祖父のご供養を
一人娘さんで、嫁がれてご実家のご供養は自分の役目と。
なんと今年で115年目の法要になります。
ご供養を受けられた故人様のお言葉です。
毎年のご供養に感謝申し上げます。
ご供養(霊界施餓鬼一粒満腹法要)をしていただきますと、
上へ上へと高く上がる事ができ、
今では大勢の協力者を得て、尊敬を受けております。
人は死んでからでは自分の供養をする事ができません。
子孫の供養を待つしか有りません。
霊界では、供養が受けられないと何十年経とうが、同じ境涯のままです。
唯々、子孫の供養をひたすら待っているしかありません。
成仏などほど遠い世界です。
多くの霊たちが、このような状態の中で供養を待っているのです。
私は、幸い曾孫から手厚いご供養と共に
寳来寺 寳顕尊者様の霊界施餓鬼供養のお導きにより
成佛の道を歩んでおります。
有難うございます。
以上
最近では、亡くなられた方のご供養が、
葬儀の際につづけて初七日の供養をし、次は、35日まで供養なしで、
35日たてば、供養は終り。
年忌法要も33回(年)まで良いと
このような噂はテレビ種となり、ご存知だと思いますが、
このような状況が当たり前になりつつある今世。
忙しいからという理由で、過去から連綿と続いてきた風習や習慣を勝手に止めてしまうことは、
ご先祖様を捨ててしまう行為そのものです。
この時点で、ご先祖様の成仏への道は閉ざされてしまいます。
「先祖を捨てたら、 己が子に捨てられる 子は世間に捨てられる」
山主のよく言われる言葉です。
先祖は家の根っこです。
根っこがなくなれば、子孫は、浮き草のような人生を送るようにはめになります。
感謝する心もない。
人から感謝されるようなこともない。
このような親に生まれた子どもは可哀相じゃ。
親としての責任はどうするつもりじゃ。
南無大師遍照金剛
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