昨日のお参りの方は、お二人とも古い信者様でございますが、
お二人ともお忙しくてなかなかお参りをする機会がございませんでした。
お一人の方は、四家先祖供養を始められて長い年数が経っておりますが、
仕事が忙しく、長い間毎月の四家のご供養日のお参りが出来ておりませんでした。
そして、もう一人の方は、二十数年経ちますが、
四家先祖供養をしておられませんでした。
「家族が皆、同じ病気になる」ということが続き、初めて先祖供養の大切さを実感され、
今回、ようやく四家先祖供養を始められました。
お二人とも当山とはご縁があったわけですが、
先祖供養に費やす時間は有りませんでした。
昨日、もっと真面目に(お参り)に来ていればよかった。
もっと早く四家先祖供養をしていればよかった。と
お二人とも後悔しておりました。
お二人には、以前より先祖供養の功徳を説明させていただいておりましたが、
その時点では、業の為なのでしょうか、
先祖供養の大切さに目覚めておりませんでした。
業が吐けてようやく、お参りが出来るようになられたのだと思います。
余りにも時間が掛かりました。
当山にご相談に来られる方は、
「口々に此処に来るまでに20年かかりました。
家を何件も建つくらい、
外車を何台も買えるくらいお金を使って来ました。」
と言われる方がほとんどです。
このように、業が吐けるには、お金も時間もかかるのです。
業が吐けたから当山に来られたということです。
このように、開運するためのチャンスはあるのに、そのチャンスを生かせない。
邪というよこしまな心が、物事を成就できないようにするのです。
これを、邪魔が入ると言います。
南無大師遍照金剛