命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

20年かかって、当山に辿り着くご先祖様

2022年10月24日 18時11分39秒 | ひと口法話

最近、月次祭の来られていた新しい方が、

本日、ご相談にお越しになられました。

 

当山のホームページをご覧になり、20年が経つそうです。

山主は、「もっと早くご相談に来て欲しかった」と。

 

当山にご相談にお越しになられる方は、

「20年かかってようやくたどり着きました」と言われます。

 

そして、ご先祖様が一緒に付いて来られ、

「私がここを探しました。ちゃんとした供養をして下さるところを探してました。」とお話くださいます。

 

20年前の山主であれば、バリバリ滝行もしておられ、

色んな体験をしていただけたのですが…。

 

そうは言って機が熟し、時期が来ないと来れない、お逢いすることができないようです。

 

以前より信仰されていたとのことですので、

神仏のご縁でお参りができたのですね。

 

合掌


故人様とお孫さんの温かい関係

2022年10月23日 19時08分46秒 | ご供養

本日の施主様は最近家で物音が絶えず

体調も優れない状態だったそうです。

 

当山にも通われているお友達がその話を聞いて昨日お家に行くと

「◯◯ちゃん、◯◯ちゃん、気付いてほしい。

◯◯ちゃんを守りたいげど、今のままでは守ってあげられない。

なので供養して欲しい」とおばあちゃんが泣いているとのこと。

 

元々本日は四家供養でお参りされる予定でしたので、

どうすればいいかとご相談頂きました。

 

そして故人様の命日をお聞きすると、

先日の1020日がちょうど17回忌の年忌だったのです。

 

年忌というのは命日の中でも最も重要で

私たちの現世で例えるなら、

小学校から中学校、中学校から高校に

入学をするようなものであります。

 

入学をするには入学金が必要です。

つまり年忌の供養によって故人様は、

次のお浄土に行くことができるのです。

 

現世でも入学金がなかったら、行く場所がなく困りますよね。

この故人様はそのような状態だったので

心優しいお孫さんに必死に訴えておられたようです。

 

 

霊界施餓鬼一粒萬福法要の供養を受けると

故人様はとても感動して泣いておられ、

お孫さんはもちろん山主にも「ありがとう、ありがとう」と

何度も頭を下げておられたそうです。

 

そして施主様であるお孫さんに

「今のままでは◯◯家がガタガタである。

陰徳でしっかり返すので頑張って供養して欲しい。」と

お孫さんに泣いてお話されていたそうです。

 

そのお孫さんもその言葉を聞いて泣いておられ

「私がしっかりおばあちゃんの為に、家を守れるように頑張ります。」

と山主にお話しされていました。

 

最近はこのようにお孫さんが供養される事が

増えてきています。

 

当山に長年通われている方も

「若い方が来てくれると活気がありますね。」

と仰っておられ、私共も嬉しく思っております。

 

合掌

 

 

 


本日は、ご先祖様からのお願いがございました。

2022年10月22日 18時59分50秒 | ご供養

本日、一軒の祥月命日のご供養と二軒の月命日の

霊界施餓鬼一粒萬福法要をお勤めいたしました。

二体のオーブが写っております。 

 

 

本日、祥月命日のご供養をされた家のご先祖様で、

甲冑姿の方が出てこられ、山主に

「食いぶちが大勢をおるので、食べ物をお供えして欲しいと、

関西の大きなお寺を廻ってお願いしたが、どこの僧侶もお経を上げるのみで、

我々(霊)の存在すら気づかず、言っている言葉も耳に届いていない。」と話されたそうです。

 

「ここは、供養も有難いし、お供え物もいただけるので、毎日でもして欲しい」と、お願いされましたが、

「無理難題を言うな。供養をして欲しければ供養分のお金が入ってくるように

してあげて欲しい」。山主が返答されました。

 

霊界では、立派な戒名(院・居士)をつけてもらった故人は、

大金持ちだということで、

霊界では、多くの霊を食べさせていかなければならず、大変だそうです。

 

利供養の品は、霊界でも大人気で秋祭りのような賑わいで

大勢が集まってくるようです。

 

一霊の故人様を供養することで、六万霊の餓鬼霊を食べさせることができます。

 

お供え物をいただいた餓鬼霊は、一瞬で霊格が上がり、

お腹を空かせていた境涯から脱出することができるのです。

 

現世の我々が貧しいのは、ご先祖様が貧しい生活をしているからです。

合掌

 

 

 


小さい喜びごとの積み重ねが大きな喜びに!

2022年10月20日 18時34分01秒 | ひと口法話

どんな小さな事でも喜んで下さる方には、

神様も仏様もご先祖様もっと、喜んでもらいたいという気持に成られるようです。

 

自分自身が喜びたいという状況になりたければ、

先ず、自分自身が人様に喜んでもられる行いをすることが大事です。

 

車の運転中に、脇から入ろうとする車があれば、進んで入れるようにする。

それだけのことで、今度は、自分が同じような場面に出くわした時、

すんなりと、入ることができます。

 

スーパーの駐車場で、誰も要らない、拾わないであろうと思う手袋を

山主に言われてサービスサンターに落とし物として届けました。

 

後日、山主が買い物をして、カートに買った物をぶら下げてまま、

駐車場のカート置き場に返してしまいました。

 

家に帰り、初めて買った商品がないのに気がつき、

「絶体に無くなっている」と思いながらもサービスセンターに電話をかけますと、

忘れ物として届いていたのです。

 

このような奇跡は、偶然ではないのです。

前日の良い行いが後日、喜びごととして返ってきたのです。

 

小さな善意は、大きな喜びとして帰ってきたのです。