”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

僕にとっての父親の存在 その1

2012年07月13日 23時00分16秒 | 想い出
僕にとっての父親の存在とはどういうものかを考えるときが時々ある。
僕の母は美容師で、昔で言う「住み込み」の従業員であった。
ただ、ほかの従業員とは違い、経営主の一番弟子でもあるところから
特別待遇を受け、部屋を1室あてがわれていた。
そこに夜だけ訪れて朝にはいないというのが、僕の父親の現在の姓を持つ男である。
年齢は、母より18歳上。
仕事は何をしていたのかは定かではないが、
その父の弟が経営する喫茶店の雇われマスターをやっていたみたい。
もちろん10回以上職を変えているというから、本当の意味ではよくわからないなぞの人である。

幼少のころの父親との思い出はあまりない。
実は、僕が高校生になるかなったくらいのときに
別居中であった先妻が亡くなったらしい。

それで僕の母と正式に婚姻状態になったらしいが、
戸籍上は僕は養子縁組という形になった。

後に知ることだが、高校2年にして、兄・姉が4人増えたという不思議な体験をした。
ということで、普通(何が普通かはわからないが)とは、違った父親観や家庭観を僕は持っている。
いずれにしてもこのことが、僕を独身で居続けさせた原因かなと思っている。

僕にとっての父親の存在は、母の周りに時々いる人だったのである。

ウチのネコ4

2011年08月06日 10時25分28秒 | 想い出


我が家の愛猫(と一応言っておく)であるミミちゃんは、
2000年の3月生まれ、御年11歳のネコババ・・・じゃなくて婆猫である。
寒い季節に生まれたせいか、猫のくせに暑さに弱い。
日が沈むと元気になるのが習性だからしょうがないにしても、夜8時ともなると
このように目はくっきり、昼間の夏バテはどこへやら
今夜も夜中に騒がれること思うと・・・頭が痛い。

我が家のネコは、「靴下フェチ」

2011年01月19日 10時30分54秒 | 想い出
Wikipediaによると、フェチとは、
「身体の一部や衣服・その他記号化された様々な物品・現象に個性的な執着を見せたり、性的興奮を示す傾向を指す俗語の一種。」
とされている。

我が家では、1匹のメス猫を飼っているが、実は私の靴下に対して「フェチ」なのである。
1日中履いた臭いのきついときほど、靴下に執着する傾向があり、あげくのはてにしゃぶり始める。
「足フェチ」かと思いきや、試しに靴下を脱いで床に置くと、
その置いた靴下に対し、スリスリ・ゴロニャンを繰り返し、やはりしゃぶりはじめる。
まさに、「靴下フェチ」ではなかろうか?

飼い主の私はというと・・・・・・・フェチがないとはいわないが、
やはり気をつけようと複雑な気持ちになる。



ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団

2010年09月24日 23時20分35秒 | 想い出
誰にでも忘れられない演奏会を記憶にとどめているものがあるだろう。
私の場合は,外国のフルオーケストラで初めて聴いた1978(昭和53)年6月3日(土)のNHKホールでのユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団の演奏だ。
当時は大学で3年生吹奏楽部に所属し,トランペットを吹いていた時期だが,アメリカのメジャーオーケストラの金管の実力はどの程度のものなのかと期待を膨らませて臨んだのだが,正直度肝を抜かれた印象だけが今も鮮明に覚えている。
演目は,前半がサミュエル・バーバー作曲の管弦楽のためのエッセイ第2番作品17とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死,後半はチャイコフスキーの交響曲第4番であった。
それまで実演では,日本のオーケストラしか聴いていなかっただけに録音と比べてライブはがっかりするものだと思い込んでいたが,円熟のフィラデルフィア・サウンドは,異次元の世界だった。
弦楽合奏がうねる,金管の音が飛んでくるといった感覚はまさに驚異そのものだった。
これは凄い,録音には入りきらない音だと思ったのは後にも先にもこの1回だけ,40年以上も同楽団の常任を勤めたオーマンディならではのサウンドだったのだろう。
日本の気むずかしいクラシック・ファンには,精神性に欠けるとか,外面的とかと酷評されることが多い同コンビだが,楽器を演奏する立場から言えば,「バカ言うな!こんな演奏はそうできるもんじゃない」と叫きたい衝動に駆られたのだ。
ワーグナーの官能的な世界は,驚異的なアンサンブルを誇る同楽団のストリングスの独壇場であり,
チャイコフスキーのフィナーレにおけるトランペットの強奏は弾丸のように私の頭をぶち抜いた。
以来,私の評価の基準はこのときの感動が礎となっており,現在に至るのである。

残念ながら,オーマンディの亡き後は,正直言ってこの楽団の良さは充分に引き出すことの出来ない指揮者ばかりだったような気がしてならない。
30年以上経ったが,いつまでも昨日のことのように頭から離れない思い出である。