何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

魂の画家

2021-02-16 02:18:51 | 詩はあいまいな哲学
無意識、私はそれが何か正しいことなのか、
間違ったことなのかを話せない。
それについて私は何も言えない、私の考えは自然にその方に行かない。
 
プルースト、この魂の画家は無意識について語るが、
人間の行動や情念を説明するに当たってそんなものを必要としない。
無意識の理由とか動機についてを引き合いにしたりしない。
しかし、フロイトが無意識であるが、効果的な思考の介入を見るところに
魂と体との関係のデカルト的な考え方は
癖があったり、傷跡が残っていたりするのは体であって精神ではない。

人間において意志と関係のない問題全ては真の思考が拒否し
矯正する思い付きの、つまり素のままの思考である。

「直接の思考」は体の動きしか現していないのに、
我々の深い思考を表現すると信じることにある。

少年期の世界は、皆で生きることから始めたのであるが、
徴(しるし)に支配されている世界である。
大人の世界でも徴は依然として全能である。
目を見据え、拳を握って突き進んでくる人間に何かいいことを期待する人間はいない。
徴の解釈は思索と体系化によって生まれた教義であり、その運命である。

悪意が見つかるはずだとする人間は必ず悪意を抱くようになるだろうと
想像上の存在に命を与えてその結果仮説によって、仮説を立証する条件が作り上げられる。
これは単に列車の中で半ば眠っている人間の知覚に過ぎない。
世界が絶えず五感に実行させるものに、理性も何も分からなくなるが、
考えるとは常に知覚することなのだ。

九州男児新鮮組 × マネキンチャレンジ

大きな人に殴られそうになりながら、実は小さい人が大きな人を襲っているのでした!?
首ったけの君は戦いの後帰ってきた!?
一つだけのアメより、皆で分け合えたり皆一緒だともっと大切に美味しくなるかな!?
絵は見下すより見上げよう!?
なぜ逆立ち?うつ伏せ?「どうせひっくり返るからいいんだ」ディオゲネス!?
清掃には深い深い哲学がある!!自慢していいんだぜ!!
どう自慢するか考え中だぜ!


幾数多の哲学者が結局のところ目指しているのは、誰にでも理解しやすい仕組みを作ること。
整理整頓され、清潔で、精神の安定と時間の節約。
その価値は強さや柔軟性、信頼感、稼動領域、未可能性等、質で計られるから。

明確な、固定し止まった性格を受けている見世物になるのが精神ではなく、
歓声を必要としない側=鑑賞者の人間、の弱点(見る阿呆)や荷と
共に川を渡って
滑るがままになっている人間に起こることは(以下略

2021-02-08 11:01:15の再編

コメント
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