何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

柔らかで新しい香り

2021-02-27 15:34:43 | 詩はあいまいな哲学
”マイトン グレンチャイ”は遠慮しないでね。

条件や立場の違いを意識して我が道を行くのも
人間らしさで悪くはなくても、力の王国で、
解体された自然の上で残された人の自尊心だ。

詩的な音楽は感情に名前を与えて
音楽的な言葉(タイ語は5声ある)は触れられそうな存在感がある。
話者に依るところも多いが、日本語には言霊信仰?があって
それなりに日本語が世界中にもっと広まったらいいな。
日本語とタイ語がごく自然に寄り添って
繋目に自由度が発揮されれば、屈強なものも
努力や不安を見せつける自由度の低いものだって
お互いを補うように提供できるようになれるはず。

タイは未来を築いて(気付いて)くれる
ワイルンイケイケ~(若者よ頼む!)って感じになってる。
日本の若者もイケイケ~!恋は理解させようとするから。

เกรงใจ feat.โดม - RAPTOR (cover by TAi)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次元が違う人

2021-02-27 13:52:55 | 詩はあいまいな哲学
東洋芸術は寛大な領域を持ち、あまりに美に没頭することは
世界の美しさを台無しにして非常識で逆に野蛮とされる。
純粋な心と自己矛盾との虚構、知性の分裂。
しかし逸話の美には鎖で繋がれている上での
落ち着きのようなものがあるのかもしれない。

ยังไงก็ไม่ยัก[Why?] - TACHAYA [เก่ง ธชย] M/V

情念の真実は破壊的な力とみなすことが出来る。
客観的な文学の記述では革命も、自由への希望も
不幸の深刻な行進、過去の悔恨によって中断され
人間の弱さを認めるところへ辿っていく。

そこへ死が呼び出され、望まれれば無益な呪いは過ぎ去っていく。
悲劇は精神的であるが故に偉大で、
同意を、服従を、虜になることを求める。

しかし、
喜ばせたり、悲しませたりする誓わない女は
王者を思い上がりの機械仕掛けといった滑稽な代物に成り下げてしまう。

もう捨て身以上!ギャグを受ける方もさぞや辛かっただろうて。
「なんでやねん!」「アホかお前!」どころで着地できそうもない…。
銀行強盗だけなら皆の命も助かれたかもしれないのに?

「お金も命も要らない」という奴ほど厄介なものはない。









というか?倒れる相方(?)に愛情持ってたっぽいね?
本当は女性より好きだったかも?お互いに。
「命あげます」これが最後の欲求となっていたのに
軽率にも、射殺刑にしてくれたのは何の思い入れもない赤の他人で!

「え?そっち??」
死にきれなくなってからでは遅かった(=人=)御冥福をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする