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井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

講演会を2つ続けて!

2013-11-11 12:35:23 | その他
 11月9日(土)は、講演会を2つ聴きに行ってきました。

 1つ目は、「雪崩から身を守るために」と題した雪崩防止研究会など4団体が主催した講演会です。
この雪崩れに関する講演会はできるだけ聴きに行くことにしていますす。

今回の講演内容も雪崩れ発生のメカニズムから昨シーズンに発生した雪崩事故の概要、さらに、低体温症に山岳救急医療についてのお話と盛りだくさんです。

 私はこの講演の中で雪崩れ発生事例の詳細を聴くことができるので参加しています。
雪崩による死亡事故があれば新聞などの報道がありますが、具体的な内容が詳しく書かれているわけではありません。
事故の詳細を知ることが雪崩事故に遭わないための知識の集積に繋がると思います。
今回も実際に事故に遭った(起こした)人からのお話もありました。

   
    司会は樋口和生さん(左の男性)でした。右の女性は手話通訳者です。

   
    会場は北大構内にあるクラーク会館でした。

   
    昨シーズンの雪崩れ事例について発表する大西人史さんです。

 講演は12:30分から17:00を超える内容の濃いものでした。

 残念ながら私は次の講演があるので最後まで聞けなかったのです。

 今回の講演を聴いた中で、雪崩に遭った人達が結構な割合で雪崩についての講習会などを受講経験者であることが気になりました。
雪崩れ講習会などで発生のメカニズムや雪崩が起きる可能性を確認する弱層テスト方法などを受講しているはずです。
でも、それらの知識が実際の登山やスキー現場で実践されないなら講習を受けても意味のないことになってしまいます。
  
 また、ビーコンなどの装備が充実してきたのは良いのですが、これらの装備があれば雪崩に遭っても助かる保証を与えてくれるものではありません。
現に昨年の雪崩による死亡事故でも雪崩れ発生15分で救出されていながら亡くなった方がいるのです。
装備を頼りにしてドンドン急な斜面に入るのは無謀というものです。
もっと謙虚に雪山に向かう必要を感じた講習会でした。

 参加者には若い人の姿が多く、これらの人達が雪山の怖さを理解して謙虚な気持ちでスキーやボーダーを事故無く楽しんでくれると良いなと思いました。


 次に聴きに行った講演会は、服部文祥さんの講演会でした。
この講演会は労山設立50周年記念の一環とした行事でした。

 服部文祥さんの講演はなかなか楽しい講演でした。
初めてご本人を目にして感じた印象は、「いい声をしている!」でした。
良く通る力強い声で会場に良く響きます。

  
   会場はほぼ満員と盛況でした。

  
   年齢44歳、今、人生の中で一番力のある年齢でしょう。

  
   服部さんは知床半島の横断や日高の沢を繋いで北から南へ縦断など北海道の山にも足跡を残している人です。

 会場では、著作を格安にて販売していました。
サイン入りですので求めた人にとっては記念になる1冊でした。


第6回北大山岳館講演会を聴きに行く

2013-10-12 19:53:55 | その他
 10月12日に北大の構内にある山岳館において講演会があるというので聴きに行ってきました。

 講演者は鮫島惇一郎氏です。
講演の題目は、「身近な山~花と絵と山~」です。

 鮫島氏のお名前はずいぶん以前から知っていました。
北大から林業試験場へ出向、その期間にも山のこと植物のことなどに関する著書が多数あります。
しかし、お姿を拝見するのは今回が初めてです。
どんな方なのか?
とても興味を持って山岳館へ行きました。

   
    右が講演会のポスターです。
    そして、左が著書の「草樹との出合い」ですが、今回の参加者全員に
   著者からプレゼントされました。
   
   
    講演者の鮫島惇一郎氏です。
    御歳87歳、まだまだお元気です。

   
    講演を聴きに来た方々ですが、若い人の姿が余り見えなかったのは残念です。

 講演内容は、戦後間もない頃から現在まで鮫島氏が登ってきた山と植物に関することでした。
飾らない話し方で、時折当時のエピソードも挟みながらのお話はとても楽しいものでした。
相づちを打つ人、声を上げて笑う人など和やかに時間が過ぎていきます。
北海道の登山シーンにおいて創成期から山と対峙してきた人のお話は興味深いものでした。


 ここで、山岳館を紹介したいと思います。
この山岳館は、北大構内でも北の端のほうにあり、自嘲的に「北大構内のチベット」と呼ばれているようです。
この講演会もこの山岳館の場所を知ってもらいたくて初めたと聞いたことがあります。

   
    建物は、カットログで造られています。
    2階建ての建物で、1階部分は玄関の左手が書庫、
    右手は吹き抜けのホールとなっています。
    2階は、北大山の会のルームとして使用しています。

   
    玄関を入ったところに坂本直行さんの絵が掛けられています。

   
    書庫です。
この書庫には日本山岳会創成期の著書から最近の書物までいろいろなものがあります。
   

   
    ここに日本山岳会創成期における著名人の著書が並んでいます。
    大島亮吉、小島鳥水、冠松次郎など垂涎ものの著書が並びます。
   
   
   2階へ上がる階段に山スキーが展示されています。

   そして、その奥にはピッケルとアイゼンが展示されています。
   

   
    2階から見たホールの様子です。


 この山岳館は一般開放されています。
開放日にはこれらの著書を手に取ってみることができます。
なお、開放日や時間などはHPで確認してください。


服部文祥氏の講演会

2013-10-01 07:58:45 | その他
 服部文祥氏の講演会が札幌で開かれます。
 

   

 北海道で服部文祥さんのことをご存じの方は少ないと思いますが、「自称・サバイバル登山」を実践している方です。
「サバイバル登山」というのは、食料を釣りや狩猟により現地調達し、かつ、登山装備も極力少なくした登山スタイルで山と対峙するものと自身で定義しています。

 彼は、このスタイルで無雪期の日高の縦走を行っています。
それは、沢を登りイワナやオショロコマを釣って食料とし、沢から峰や山頂、また沢を降るを繰り返して日高全山を歩いたのです。
   
 最近では、狩猟免許を取り銃を携行しており、鹿や鳥なども食料に加えております。

著書には、『サバイバル登山家』(みすず書房)
     『百年前の山を旅する』(東京新聞)
                      などがあります。

 こんな人ですから、普通の登山では考えられない面白い話が聞けるのではないでしょうか。
私がお勧めする講演会です。

 場所と時間は次のとおりです。

 「服部文祥記念講演会・サバイバル登山と北海道の山々」

  日時 11月9日(土)午後6時30分開演
  場所 かでる27 1階ホール
     (札幌市中央区北2条7丁目)

 なお、前売り券は秀岳荘で扱っています。
 

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 私事ですが、私も40数年前に食料は米と調味料などだけを持ちタンパク源は釣りをして調達するという方法で知床岳に登ったことがあります。

誘ってくれたのは、早川禎治さんでした。
この当時、知床五湖から先の林道は知床大橋までしか開通しておらず、その先は工事中でした。
ウブシノッタ川に架ける橋の工事中で、ここから、海岸まで工事用の細く急な道を降り、ルシャまでゴロゴロした岩を歩いた記憶があります。

 チャカパパイという沢を詰める途中、この沢で釣りをしてオショロコマをゲット、食料としました。
この沢は、途中でカラ沢となり、源流部まで水無でした。
この沢を登り詰め、知床岳の山頂が見えた所から猛烈なハイ松に行く手を遮られ、何と、ハイ松の枝を渡りながら山頂下まで歩きました。
そこには、小さな湧き水が溜まった沼があり水の心配が無くなってホッとしたものです。

 山頂からは、テッパンベツの沢を降り下山。
私にとっては、忘れられない山行でした。

今も、この時の情景が目に浮かんでくるほどです。
  

直ってきたカメラ

2013-09-06 17:37:27 | その他
 エサオマントタベツ川で水没させてしまったカメラですが、修理が済んで手元に戻ってきました。
   

 修理の見積金額を聞いたときには、一瞬、どうしようか迷いましたが、修理することにしました。
(修理の見積金額を聞いたときに新しいカメラが買えるかも?と、思ったほど高額な金額でした。)

 しかし、このカメラはネパールにも持っていきましたし、冬の日高にも持っていきました。
いわば、私の分身のような存在ですので手放さず修理しました。

 最初に持ち込んだときに確認できた修理箇所は、レンズの内側に入った水の曇りでしたが、点検の結果、液晶やフラッシュの部品にサビがあるということでした。

 光学系(レンズ)と液晶、フラッシュの基盤などが交換になったようです。
すっかり新しくなったのですから、これからは大事にしなければなりません。

 まずは、防水バックを買わなければなりません。
う~ん、またまたお金がかかるな~ぁ!

飯舘村へ除染に来てみた! その5

2013-07-10 07:13:43 | その他
 昨夜のニュースで福島第1原発が地震と津波に襲われた現場で収束作業の指揮した吉田昌郎元所長(58)が9日死去した。
とのニュースが流れていました。

 日本の原発にとってあり得ない事故に直面した時に何を考えどう行動したか、その結果がどうなったのか、これらを身をもって体験した方でしたのでもっと事故に関することを語っていただきたいかった。

 ご冥福をお祈りいたします!


 さて、除染作業中に感じたことの中に汚染された枯葉や土などがどう処理されるか考えたことがあります。
山林などから集められた枯葉や表土、住宅周りから剥ぎ取った土などはフレコンといわれる大きな袋に詰められます。
この袋は、一旦、「仮仮置場」に集積されます。

「仮仮置場」、変な名前ですね。
これは、各市町村が設置する「仮置場」に集積する前段として一時保管する場所としての名称です。
現場で作業をしていると「仮置場」の設置が上手く進まず、さらに「仮仮置場」の設置自体も地権者の了解などが得られず進んでいないと言う声が聞こえてきます。
地権者にとって最終処分場が決まっていない現状では、仮仮置場として一旦認めるとその既成事実が優先して仮置場の場拡充や最終処分場が決まらない場合には、なし崩しで何時までも汚染部質の保管をしなければいけなくなるという懸念があるからではないでしょうか。
ひいてはこのことが除染作業のネックになっています。

 除染作業を進めるに従って大量の汚染物質を詰めたフレコンが造られます。
このフレコンは1個ごとに放射線量を測り管理されています。
私も「仮仮置場」へ行ったことがありますが、黒いフレコンが山のように積まれていました。
しかし、このフレコンを「仮仮置場」から「仮置場」へスムーズに運ばれているという話が聞こえてきません。

 まして、最終処分する場所や方法がどうなっているのか見えてきません。
ここでも、原発自体が放射性部質を最終処分する場所を持っていない現状が影を落としています。
「トイレのない住宅」と揶揄される日本の原発です。
原発から出てくるプルトニュウムをどう処理するのかそれを決めないで再稼働させようとする政治家や電力会社、これはどう考えてもおかしいことです。

 私は、除染作業によって出てきた汚染物質は福島第1原発の隣接地に保管するしかないと考えています。
原子炉から保管容器、さらには建家にまで融け出した燃料棒を処理することは不可能でしょう。
おそらく福島第1原発は「石棺処理」するしかないと思います。
そうするなら、ここにすべての汚染物質を集めて管理するのが理にかなっているのではないかと思います。

 こういった考えは、南相馬市にある原町の図書館から借りてきた原発に関する本なども読んで得たものです。 



飯舘村へ除染に来てみた! その4

2013-07-02 07:47:50 | その他
 札幌へ帰ってきて1週間が過ぎました。
この間、すっかり気が緩んだのか朝食後にちょっと寝て、昼食後にも一眠り、それでいて夜は普通に寝るという生活が続いていました。
やはり、除染作業へ出かけていたときは緊張していたのでしょう。

 今回は賃金等について紹介したいと思います。

 私が今回の除染作業で得た日給は16,160円です。
この内訳を見ると作業手当は日給が6160円、除染手当が10,000円です。
日給は、時給が770円ですので×8時間の計算となっています。

 寮費と食事代が1日当たり1,500円かかります。
この金額は、日曜日の食事が出ない日も引かれます。
そういったことで何もお金を使わなければ1日当たり14,160円が手元に残ることになります。

 実際には、洗剤や身の回り品を購入しますので計算通りには行きません。
休憩時間に飲む飲物代もかかります。
私はお酒を飲まないのですが、お酒代もかかります。


 給料の支払いは、月末締めの翌月10日の支払いですのでかなり良い条件かと思います。
月末締めの翌月末支払いとかも普通にあるようですのでこの翌月10日支払いは運転資金がきちんと確保されている証拠だと思っていました。

 しかし、この会社でもいろいろな問題があります。
当初電話で聞いていた雇用条件が違うなどの不満を持っている人が多数いました。
雇用契約書などのコピーが欲しいと言ってもなかなか出してきません。
雇用条件を取り交わした書面が本人に渡せないと言うのはおかしなことです。
(この雇用契約書はあとでやっと本人に渡されました。)

 さて、この業界の特徴なのか賃金の前借りができます。
1週間働くと2万円が前借りできるのです。
この前借金を土曜日に渡してくれるので日曜日の食事代や買い物ができます。

 日給の時給が770円、この金額はとても低いと思いました。
日曜日の朝食は「すき家」へ行って食べたのですが、ここのアルバイト募集でも時給は1,050円でした。

 帰ってから調べると私達のような単純土工の日給が発注元の環境省では10,700円を計上しています。
その金額に除染手当の10,000円が加わるので20,700円となります。
差額の金額が、元請会社、1次下請会社、そして労務者を派遣している会社の三社で取っている(言葉を悪く言うとピンハネ)ことになります。

 作業内容(放射線の影響を受ける現場)から考えてももう少し日給が高くても良いと感じました。


 除染作業はこれからが本格化します。
雇用される人の数もドンドン増えます。
作業内容に見合った賃金が支払われるように配慮して欲しいものです。

飯舘村へ除染に来てみた! その3

2013-06-09 10:46:22 | その他
 飯舘村の除染作業に入って4週間か経過しました。
両足首の湿疹もかなり回復してきました。

 ここで寮の生活を紹介したいと思います。

 寮は南相馬市鹿島区大内という場所にあります。
この場所は海にも近く当然ですが津波の被害を受けています。
   
   この通り周りには何もない場所に寮があります。

 寮のすぐ近くにある住宅ですが、1階部分は津波の被害受けています。
ブロック塀が倒され、一階部分の窓がブルーシートで覆われたままです。
   
    1階の窓にはブルーシート、痛々しい姿です。

 寮の周りは水田が広がっていますが、その水田は草ぼうぼうのまま放置されています。
寮から一番近いコンビニまで3キロはあるという超不便な場所ですので買い物一つとっても不便でしょうがありません。
普段の買い物は、飯舘村から帰ってくるときに近くのコンビニへ寄って済ませます。
食事は、日曜日以外用意されていますので主な買い物はタバコ、ビールなどの飲み物、食料品などです。

 寮は貨車を利用して作られています。
下請け企業の社員は、1両が6つに仕切られた個室となっています。
私たちのような作業員は、1両が4つに仕切られ、1室が間口4m、奥行き2mほどの広さを2人で使うようになっています。
   
   メインストリートです。
   この廊下の左右に居室やトイレに食堂などが配置されています。
   
   
    私の部屋です。
   作業員用の2人部屋です。

 左右に造り付けのベットがあるだけの簡単な部屋ですが、エアコンとテレビは備え付けです。

   
 食堂は、貨車3両をつないで造られています。
半分が調理室、半分が食堂となっています。
賄いは2人のお婆さんによって造られています。
約70人分の朝食と夕食を造っています。

 朝食は、バイキング形式で10種類ほどのおかずがあります。
スクランブルエッグ、もやしの炒め物、野菜サラダなど定番のおかずの他、決まり切った副食が10種類ほどあります。

私は、納豆と野菜を積極的に食べるようにしています。
もちろん、ご飯とみそ汁は食べ放題です。
 私が感心したことが一つあります。

   
それは、朝食をパン食にしている人がいるということです。
そのため、ハムエッグを造ることができるようにガステーブルが備え付けられています。
結構年齢の高い人でもパン食の人がいるのは意外でした。
もちろん、私は米食です。
しっかりご飯を食べてカロリーを補給します。

夕食は結構いいろいろなメニューが出てきます。
味はまあまあです。というか、好き嫌いのない私にとって十分な食事となっています。
唯一、固定されているメニューが金曜日のカレーです。
このカレーになぜかフライやトンカツが付きます。
   

 結構なボリュームがありますが、いつも残さず食べるようにしています。
まだ一度も出てこないメニューはお刺身でしょうか。
このような寮で一番怖いのが食中毒です。
そういった点から考えると生もののお刺身は無理なのでしょう。


 毎日汗だくとなって帰ってくるとまずはお風呂で汗を流せねば1日が終わったような気がしません。
お風呂は手足を伸ばして入れる広さがあります。
この広さのお風呂が2カ所あります。
   
 そして次に日課となるのが洗濯です。
毎日その日着た作業服を洗濯します。
   

   
   洗面台です。

 仕事を終えて寮に帰ってくるのが6時頃、すぐにご飯を食べて風呂に入り、洗濯機の空くのを待って洗濯を済ませると8時過ぎになります。
図書館から借りてきた本を読んで10時には就寝という健康的な生活です。

 夕食後の過ごし方はいろいろですが、飲んで騒ぐ人はほとんどいません。
皆さん思いの外大人しく、DVDで映画を見たり、ネットで遊んでいるなど、昔の飲んだくれや荒くれた男達というイメージから掛け離れた生活をおくっている人が多いです。

 さて、この寮の建っている南相馬市は海霧が発生するなど朝晩は結構寒い気候が続きます。
一方、飯舘村は内陸にあるため朝晩は涼しくても8時を過ぎるとグングン気温が上がります。
帰りのバスも最初はクーラーを入れてもらうのですが、汗でどっぷり濡れた身体はすぐに冷えてしまい、さらに、寮に帰ると寒いので風邪を引いている人が絶えません。

このような朝晩が寒い天気は梅雨明けまで続き、本格的な暑さは梅雨明けになるということです。
しかし、北国育ちの私にとって猛暑の中で土方作業は過酷です。
原発での作業に異動できないようであれば除染作業から一時撤退することを考えています。

 こんな朝晩は寒く、日中は30度を超える日もあるという過酷な条件下において体調を崩すことなく、健康に過ごせるのは本当にありがたいことです。

  

飯舘村へ除染に来てみた! その2

2013-06-02 11:19:24 | その他
 除染作業に携わって3週間が経過しました。
そこで、実際の除染作業がどんな風に行われているか全体像が分かってきましたので紹介したいと思います。


実際の除染作業は、次のような手順で行われています。

1 まず、三菱マテリアルの人たちが除染対象者の土地家屋の放射線量を計測します。

 そして、線量の高い場所(屋根の雨が集まる縦樋の下)には赤いコンポストを立てて注意を促します。

2 家屋をはじめとする生活圏の周りの山林(生活圏から21m)の落ち葉を除去します。

枯れ葉を除去すると放射性物質が飛散したときの地面が現れますので一時的に放射線量が高くなります。
次に枯れ葉の下の地面を箒などで木の根が現れるくらい軽く土を剥ぎ取ります。
  こうすると放射線量が低下します。

3 周囲の除染が終わったところで高い場所から下に向かって順次作業を行います。

4 家屋は、屋根の除染から行います。

  高所作業車などを使い紙製の四つ折りされたキムタオルを水に浸したもので屋根のトタン板を拭きます。
  このときの作業も細かく決められていて、キムタオルは上から下へ一方向に拭きます。
  上から下、下から上への往復拭きはしないようにします。
  一度拭いた面を変えて拭き取りの作業を行います。
  
  このとき大変なのがこのキムタオルを剥がして新しい面を出す作業です。
  3重の手袋をしている指で薄い紙製のキムタオルを剥がすのは神経の疲れる作業です。
  下手をすると拭いている時間よりキムタオルを剥がす作業の方が時間が掛かるくらいです。

  屋根が終わると壁を同じようにしてキムタオルで拭いていきます。

5 家屋が終わると周辺の土を5センチほど剥ぎ取りそこへ砂や砂利を入れます。

6 ホットスポットは、15センチほど土を剥ぎ取ります。

  ホットスポットでの作業にはタイベックスという例の白い防護服を着て作業を行います。
  この服は通気性がないので汗や熱気がこもってしまいます。
  そのため直射日光の当たる場所での作業は汗だくになり大変です。

7 住宅周辺の草なども刈り取ってしまいます。

8 最後に除染効果を測定します。

  測定結果が良好であれば除染作業は終了となります。


 こんな具合に作業は進みますが、作業の大半は細かな作業が主体ですので手作業がほとんどとなります。
バックホーなどの建設用機械が使えるのは住宅周りなどのほんの一部になります。

 私が除染作業に携わっているお宅は数頭の肉牛を飼っている農家さんです。
そのため広い敷地と母屋のほかに納屋や畜舎など数棟の家屋を持っています。
必然的に作業面積も広く作業量も膨大になっています。

 4月中旬からこのお宅の除染作業に掛かり、5月が終わろうという今でもまだ作業が続いています。


さて、こうやって除染作業は進んでいきますが、この結果大量の土砂と枯れ葉などの廃棄物が出てきます。
これらの廃棄物は汚染物質ですので簡単に処理することはできません。
仮仮置場という場所に集められ一時的な保管を行っています。

 除染作業が進んでもいろいろな問題が解決されたわけではありません。
一番の問題は、こうやって除染作業が進んだ結果として村民の人達が戻ってきて住めるかということです。

 私が除染作業を行っていたお宅のご夫婦は時々帰ってきていました。
聞くところによると村には5百人ほどの人が自主的に戻ってきて住んでいるようだといいます。
しかし、村にはお店などはありません。
工事関係車への給油をするガソリンスタンドも一日2回朝と夕方に店を開くだけです。
この状態では、日常的な買い物などはすべて近隣の町で行わなければなりません。

 また、村民の方々すべてが除染作業に同意しているわけではありません。
まだ気持ちの整理がついていない方も多いのだと思います。
除染作業が終わったからといって東電や国としての責任を果たしたような顔をされては困ると考える人がいても不思議はありません。

 休憩場所に藤棚があります。
   
   真っ白い藤が何事もなかったように咲いています。

 飯舘村の住民に方々は何時になったらこの藤を楽しむことができるようになるのでしょうか?

飯舘村へ除染に来てみた! その1

2013-05-26 10:56:23 | その他
 5月13日から飯舘村へ除染作業に来ています。
今回は、原発での作業を希望して福島県へ来ているのですが、原発での作業は日給が高額のため経歴を偽ったりした人が作業員として紛れ込んでいるなど問題が発生しているため、最初に一定期間を除染作業に携わってもらい、経歴に詐称がないか協調性を持っている人物かを見極めた上で採用するという話になっています。

 こんなことで、私は南相馬市にある寮に入り飯舘村へ除染作業に通っています。

 南相馬市にある寮に入って約10日、実際の除染作業を行って1週間がたちました。
今の現場は、大成・熊谷・東急の三社がジョイントを組んだ企業体が元請けであり、その一次下請けに現場作業員を派遣している会社の社員としてこの飯舘村の除染作業に従事しています。

 寮は、海から2キロほどの場所にあります。
一番近くの集落は北に向かうと鹿島という町がありますが、この集落まで歩いて30分ほど掛かります。
反対方向の南へ向かうと3キロほど行ったところにファミリーマートがありますが、原町という中心部までさらに5キロほどはあるでしょうか。
そんな場所にありながら路線バスもないというとても辺鄙な場所にすんでいます。
ですから、買い物一つするのも大変です。
買い物は、車を持っている人に同乗させてもらって行きます。


 毎日の暮らしですが、毎朝5時に起床、朝食は5時半から食べることができます。
6時20分には寮を出発、約40分弱で飯舘村に着きます。
朝礼は8時からですのでこの時間についても早いのですが、皆さんはそういう習慣になっているようです。

 飯舘村は、現在、避難地域に指定されていますので住民の方は避難しているのですが、噂によると500人ほどの人が帰ってきているらしいです。
この村は左右を小高い山に囲まれた盆地となっており、朝は涼しいが日中になると気温が上がってきまする。
道路を挟んで細長く広がる町であり緑豊かなひなびた村です。

 さて、事務所や休憩所は天山ラーメンという店の駐車場にあります。
この駐車場にプレハブの事務所が2棟ありトイレはラーメン店のものをそのまま使っています。
   

 朝一番に行わなければならないのが入場の登録です。
 線量計と身分証を受け取り2台あるPCに「入場」の登録をします。
線量計を読取機にセットして身分証の2次元コードを読みとり画面に表示される「入場」を指で触ればOKとなります。.
   

 次は、綿の手袋、薄いゴム手袋、マスクを受け取り朝礼の会場となる少し山の上にある「きこり」という宿泊体験施設の駐車場へ向かいます。
   

 8時からの朝礼はラジオ体操第1からスタートして、当日の作業内容を各会社が発表したあと、向かい合って安全確認を行います。
これは、建設現場では当たり前のことなのでしょう。
安全帽から足下までいくつかの項目を指さししながら、たとえば「安全帽、よーし!」などと声を出して確認していきます。
さらに、安全標語を全員で声に出し、最後は「ご安全に!」と声をかけて終了。

この後は下請けの会社ごとにもう少し細かに作業内容の確認を行います。
これが毎日の日課となっています。

 現場に着くと「KY」活動というものがあります。
「KY」と聞いて中高生が使っていたKY「空気が読めない」かと思ったが、さすがにそれではなく「危険予知」の略語として使っているとのことです。
具体的のどんなことを行うかというと、当日行う作業ごとにどんな危険があるかを項目立てて、その項目ごとに危険を回避する手段を話し合うというものです。

 たとえば、高所作業車で屋根のふき取り作業を行うとしたら考えられる危険には作業用のゴンドラから落下することがあります。
これを防ぐためには、安全帯を必ず着用することなどがあります。
こういったことを一つずつ確認したいくのが「KY活動」です。
この活動によって事故の発生率がずいぶん低下してきたようです。

 このKYが終わると職長から作業ごとに人員の貼り付けが行われます。
自分がどんな作業を行うのか誰と行うことになるか確認しておきます。

 さて、実際の現場作業はというと、こちらはずぶの素人です。
道具一つとっても何というものかわからないものがあります。
先輩職人のいうことに耳をそば立て聞かなければなりません。
往々にして指示がはっきりしないことも多いのですが、そんな時は確認しておかなければなりません。

 なんといっても、言われたことだけをするようにきつく言われています。
新人は勝手な判断で作業をするなと言うことです。
こうした方がいいかなどと勝手に作業を行うと怒られるのです。
まずは、言われたことを忠実にやってそれ以外のことはしないのが肝要と言うことです。

 しかし、身近なところから上に向かっていくとまず「職長」がいて下請けである日起の監督がいます。
その上に元請けである大成建設の現場監督がいます。
この三者からの指示が微妙に違うと大変です。

 先日、午後から夕立のような雨が降りました。
一時、強い雨が降ったので私やほかの作業員も軒下で雨宿りをしていたのですが、このことが職長は気に入らなかったようです。
 草刈機で草刈りをしていた人が下請けの監督に雨宿りをしなさいと言われて雨宿りをしていたのですが、勝手に雨宿りをしたと職長に怒られてしまったとこぼしていました。
こんな時は、すぐに下請けの監督に言われて雨宿りをしたと言わなければならないようです。

 先日は発注者である環境省の職員による現場視察がありました。
この視察に備えて職長以上はピリピリしていましたが、「現場がよくやっている」とほめられたようで、喜んでいました。

 このような作業現場のパトロールは、ジョイントを組んでいる企業体によるものもあります。
どこの世界でも同じですが、上部機関からの監査などが行われるとなると大変ですね。


 私は、個人のお宅の除染作業を行っていますが、具体的にどんなことをやっているかと言いますと、最初に行ったのは裏山にある森林の落ち葉をかき集めることです。
この裏山の落ち葉の下に原発が水蒸気爆発を起こしたときの汚染物質があるのです。
原発が水蒸気爆発を起こしてから2度の落葉があります。
この落ち葉を集めて出てきた地面の表面の土を剥ぐという作業をしました。
この作業の範囲は居住部分の敷地から21mと決められています。

 一連の作業をみていると上から下へと除染作業が行われています。
まず、うらやまの山林を除染します。

それから、建物の屋根の除染を行います。
この作業は屋根のトタン板や瓦などを1枚ずつ濡れた紙で拭き取っていきます。
拭き取る方法も細かく決められており、例えば上から下に向かって拭き取り、そのふき取りした紙で下から上に向かって拭き取らないように指示されています。

 ですから上からしてへの一方向で作業を行い、ふき取り紙のふき取り面を変えて次のふき取りを行うという作業を延々と繰り返していきます。
 軒下など屋根からの雨が落ちていた地面は線量が高いいわゆる「ホットスポット」となっています。
これらの場所は、土を15センチほど取り除きます。
また、住宅部分の庭や通路などは表面の土を5センチほど剥ぎ取り新たな土と入れ替えます。
こんな作業が延々と続くので1軒の家の除染作業を終えるには1か月以上は掛かってしまいます。

 今除染作業を行っているお宅は4月中旬から作業を行っています。
今月末までに終えられるか微妙な状況です。

 作業中の服装は、通常の作業服にヘルメットを被りマスクをします。
手は綿の手袋を履いた上に薄いゴム手袋を重ね履きします。
さらに作業中は厚いゴム手袋を重ね履きします。
この3枚履きで作業をすのですから手の中の汗がたまり綿の手袋はグッショリと濡れてしまいます。

 足の方は安全なが靴を履きます。
膝下までの長靴を履いているので靴下がグショグショになってしまいます。

 幸いなことに私はタイベックスという防護服(あの白い防護服のことです)を着ての作業はしていませんが、タイベックスを着ての作業は汗が抜けないので全身びしょ濡れになるとのことです。


 初めて作業に入った週は好天が続き暑さ対策で休み時間ごとに500mlの水を飲んでいました。
この2日間で首筋がすっかり日焼けしてしまい軽いやけど状態となってしまいました。
また、両手足の指先が痛くなっており、この原因は2日間続いた裏山の落ち葉掻きが原因です。
手の指は薬指と小指の爪の下が内出血しています。
一日中熊手や箒を握って作業をしたためでしょう。

 足の指も急な山の斜面で転がり落ちないように体を支えたためだと思います。
こんなに体を使って一日中作業をしたことがない身体が発した悲しい結果です。
でも、週末になると身体少し慣れてきたような気がします。

 こんなきつい作業をしていると唯一の楽しみが夕方の食事と言うことになります。
食堂は2人のおばさん(おばさんと言うよりお婆さんといった方がいいくらいの年齢です)が作ってくれています。
ご飯とみそ汁はお代わり自由。
おかずはワンプレートにまとめられています。
好き嫌いのない私はいつもおいしく食べています。

 昼食はお弁当ですが、こちらも普通の幕の内よりは、気遣ってくれたお弁当だと思います。

 朝食は、豊富な副食が中心となります。
スクランブルエッグを中心に10種類以上の副食が並べられます。
私が一番びっくりしたのは、パン食の人が結構いるということです。
そのためハムエッグが作れるようにフライパンが用意されています。

 お風呂は4人が入れる浴槽があり、洗濯機は10台あります。
部屋は2人で利用します。

こんな環境ですので何とか暮らしていけそうです。

ダニを媒体とする新種の感染症が発見される!

2013-01-31 08:11:51 | その他
 今日の新聞にダニを媒体とする新種の感染症が発見されたという記事が掲載されていました。
北海道でも春先の6月あたりの山を歩いているとダニが衣服に付いていることがよくあります。
日高などを歩いていると下山後はみんなで身体を確認したりしています。

 昨年もダニが胸に食い込み掛けていました。
毛抜きでできるだけダニの頭を押さえて引き抜きます。
この時は幸いに頭も残らずに取ることが出来ました。
しかし、喰われた跡が1週間以上赤く腫れていました。

 皆さんも気を付けましょう!