井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

宮城県南三陸町へ・・・

2011-04-09 08:43:10 | その他
4月1日から7日までの1週間、宮城県南三陸町においてボランティア活動に参加してきました。

北海道から南三陸町へ行くには苫小牧から秋田へフェリーで渡り、そこからはバイクで南三陸町を目指しました。
行くだけで2日間を要するため実際にボランティア活動を行ったのは、3日から5日までの3日間です。

私が行ったボランティア活動は「思いで探し隊」という活動です。
この活動は南三陸町の佐藤町長の発案によるものです。

佐藤町長は、チリ沖の津波、東日本大震災などにより思い出の品を失った経験から写真やアルバムトロフィーや盾、表彰状などなど個人にとって思い出となる品を瓦礫の中から探し出し被災者の手元に渡そうという活動を提唱しました。

3月28日からこの活動を行っており、このことを新聞で知った私も参加したいと思ったわけです。

今回のボランティアは被災地で行う活動ということもあり、テントに食料を持参して参加しました。


隣町の登米市から南三陸町(志津川)へ山から海に向かって下がっていくと突然テレビで見た光景が広がります。
一面、瓦礫の山が広がります。
残っている建物は非木造のビルです。
しかしそのビルの屋上にも瓦礫が乗っており津波の高さが尋常でないことを示しています。

災害本部のあるベイサイドアリーナへ行かなければ行けないのですがどちらへ行けば分かりません。
道路に標識はないので、何となく車の流れに乗って志津川の港から北に向かい小高い丘へ進みます。
そこにベイサイドアリーナがありました。

アリーナは立派な体育館です。
駐車場には救急車、消防車、報道用の車、検診車などが所狭しと並んでいます。
その中に見慣れない国旗を掲げている真っ白なコンテナがあります。
イスラエルの医療団でした。
コンテナ6個を並べ、このコンテナで医療活動を行っています。

ベイサイドアリーナの体育館は災害復旧物資置き場になっています。
バスケットコート2面がいろいろな物資で埋まっています。

エントランスやロビーに被災者の方々が段ボールで区切り寝ています。
大半がお年寄りでした。

南三陸町は電気、水道などのライフラインがまだ復旧していません。
ベイサイドアリーナは高圧電源車のお陰で夜だけ電気を通しています。
町の方でやっと電柱を立て通電作業が始まったばかりでした。


さて、被害の様子を見ると港などがある海岸近くは壊滅的な有様です。
しかし、そこから少し離れた小高い丘に点在する民家は外見上はほとんど被害を受けている様子にはまったく見えず普通にその家で暮らしているようです。
(とはいえ、地震直後は家の中のタンスや戸棚が倒れ酷い状況になったと思います。)
しかし電気が通じてないので夜は真っ暗です。

この違いは、海面からの高さによるのはいうまでもありません。
ベイサイドアリーナも外見上は体育館の天井パネルが数枚落ちているだけです。


さて、「思いで探し隊」の活動について話したいと思います。
活動の中心は近畿ブロックから派遣されている社会福祉協議会の職員がリーダーとなって運営されてます。
彼らは1週間交代で南三陸町に派遣されています。

このリーダーの指示により瓦礫の中から写真などを探し出すのです。
足元は安全長靴を履きます。
これは瓦礫の中に多数ある木くずにある釘を踏まないようにするためです。
日本家屋は木造建築とはよくいったものです。
瓦礫のほとんどが木くずです。
その木くずに無数の釘がむき出しで牙をむいています。
この釘を不用意に踏んでしまえば破傷風などの恐れがあるのです。
そこで安全靴で足底を守ります。

瓦礫の中を注意深く歩き紙くずや衣類の散乱する中から写真やアルバムなどを探します。
思ったより数多く拾えました。
写真の中には結婚式の記念写真、学校でのクラスの集合写真、いろいろな写真が落ちています。
中でも赤ちゃんの写真を拾うとその愛らしい顔をまともに見ることができません。
幸せそうな顔に接するたび、この人達の無事を願わずにはいられません。

この作業を3日間続けましたが、2日目の午後には小雪がちらついてきました。
でも、誰も作業を止めようとする者はいません。
みなさんモクモクと瓦礫の山と戦っています。

私が拾った中で変わったものは棟上式に使って天井裏に掲げて置いたお札がありました。
それから香典帳、船舶免許証、など写真以外の物も沢山見つかりました。


今回、感動したことがあります。
それは、歌津という町で目にしたのですが、瓦礫の中で営業しているガソリンスタンドがありました。
スタンドの社屋は津波で流されています。
しかし、オイルを貯蔵している地下タンクは損傷を受けていないようで瓦礫を片づけた中で計量器を足踏みのポンプで営業しているのです。(数日後は電動になってました。)
ガソリンが買えず車を動かせないという話はあちらこちらで聞きました。
ガソリンスタンドの半数が被害を受け営業できないのですから仕方のないことです。

こんな状況の中で町民にガソリンを届けたいというこの姿勢は見習うべきです。
瓦礫の中で営業するガソリンスタンドの方達に復興への執念を感じ希望の光を見いだしたような気がしました。


書きたいことは山ほどありますが、生き残った方々は着の身着のままで避難生活をしています。
援助物資は届きつつあります。

でも、この避難生活から抜け出すには何よりお金が必要になります。

このブログを見ていただいているみなさんに再度のお願いがあります。
ぜひ、義捐金に募金してあげてください。

よろしくお願いします。