先日帰宅途中、踏切を渡ろうしたとき、横の細い道路にこそっとパトカーが隠れるようにしているのです。一旦停止をしなかったら、反則金をとったろう!ということ。よく見る風景ですが、これっておかしくないですか。危険だからというのなら、隠れるように潜んでおらず、堂々と踏切の横で監視していておくのが筋ででしょう。わからんようなところに隠れていて、一旦停止しないと出て来て反則金を課すなんて、どう考えても、違反者から反則金を徴収することを目的としていると言われても、反論できないと思いますが、いかかでしょうか。
そんなことで、今回はハイドンであります。少し前に、ホグウッド指揮のエンシェント室内管弦楽団によるハイドンの交響曲集を買いました。32枚組ですが、これは周知のとおり全集としては完成しませんでした。録音されたのは81曲。75番までと94.96.100.104,107.108番ということで、パリセットやザロモンセットなどのハイドンの円熟期のものは多くが録音されませんでした。なんとも残念なことでした。「レコード史に残る中止企画」となりました。
中止になった理由は、やはり売れなかったことなんでしょうね。94.96.100.104番は1983.4年に録音されましたが、他は1988年から1995年の録音でした。3枚組のフルプライスですから9000円くらいの値段だったんでしょうか。なかなかパリセット以前のものは、なかなか売れなかったのでしょうね。ましてバブル後の時期ですからねえ。いくらモーツァルト全集は売れても、ハイドンはもっと地味ですからねえ。なかなか商売にはならないのでしょうねえ。加えて、時期が、1991年のモーツァルト没後200年の年にあたっており、空前のモーツァルト・フィーバーに重なったこともいかんかったのでしょう。でも、もう少し我慢すれば、パリやザロモンが出てくるので、売れるようになったのでは、とも思ってしまいます。
というようなホグウッドのハイドンですが、この中から交響曲第48番ハ長調『マリア・テレジア』であります。1769年頃の作曲と言われ、疾風怒濤期初期のものとされています。この標題は、1773年にオーストリアの神聖ローマ皇帝フランツ1世の皇后であり、共同統治者として君臨していたマリア・テレジアがエステルハージ家を訪問した際の歓迎行事で演奏されたことに由来します。聴いてみると、その祝典的な曲であることから、これに相応しい内容と思われますね。ホグウッドのこの曲の録音は、1992年となっています。
私は、ホグウッドのモーツァルトの交響曲の演奏は、かなり好きな方で、特に弦は非常に素直で落ち着いた趣で、本当に気に入っています。そんな弦によるアダージョなどの楽章は、好きなんですよ。古楽器はそれほど好きではないのですが、ホグウッドの演奏は、端正で澄んだ美しさに、過剰ではなくしっとりとした表情に、優れた弦の響きにより、実に私は好きであります。また、通奏低音のチェンバロがないのも、私的にはいいと思います。
第1楽章は、祝典的な主題がいななくように始まります。ホルンとオーボエの軽快でかつ落ち着いた音色が幾度となく響きます。これに澄んだ弦が絡み、腰のすわったアレグロであります。第2楽章アダージョ。よく言われますが、モーツァルトの『ジュピター』の雰囲気がここにはあります。ホグウッドの『ジュピター』の第2楽章もすごく好きですが、この演奏もいいですね。しっとりと弦が歌い上げる旋律は、聴き込めば聴き込むほど味わい深いものです。時たま登場するホルンがまたいいです。この弦の響きは、終わるところがないような演奏を展開し、実に心地よいです。第3楽章メヌエット。モーツァルトのメヌエットもいいですが、ハイドンのもいいです。明るい響きがとてもいい。トリオはハ短調で一転して暗さが漂いますが、それほど深刻ではなく、また最初に戻り、気持ちのよいメヌエット。第4楽章、活気に満ちたフィナーレというだけでなく、細部にわたってしっかりとした構成がわかるもの。快速で駆け上がっていくが、大仰な表情はなく、落ち着いた雰囲気と弦の丁寧な演奏がいいですね。本当に、ハイドンの交響曲は聴き込めば、味わい深いものであります。
この演奏は、音楽学者としてのホッグウッドの研究の成果も取り入れられていますが、残念なことに、そのあたりの説明はまったくわかりません。国内盤なら、これらの曲と演奏の解説も知ることができるのでしょうが、残念です。
(L'OISEAU-LYRE 4806900 2012年 輸入盤)
そんなことで、今回はハイドンであります。少し前に、ホグウッド指揮のエンシェント室内管弦楽団によるハイドンの交響曲集を買いました。32枚組ですが、これは周知のとおり全集としては完成しませんでした。録音されたのは81曲。75番までと94.96.100.104,107.108番ということで、パリセットやザロモンセットなどのハイドンの円熟期のものは多くが録音されませんでした。なんとも残念なことでした。「レコード史に残る中止企画」となりました。
中止になった理由は、やはり売れなかったことなんでしょうね。94.96.100.104番は1983.4年に録音されましたが、他は1988年から1995年の録音でした。3枚組のフルプライスですから9000円くらいの値段だったんでしょうか。なかなかパリセット以前のものは、なかなか売れなかったのでしょうね。ましてバブル後の時期ですからねえ。いくらモーツァルト全集は売れても、ハイドンはもっと地味ですからねえ。なかなか商売にはならないのでしょうねえ。加えて、時期が、1991年のモーツァルト没後200年の年にあたっており、空前のモーツァルト・フィーバーに重なったこともいかんかったのでしょう。でも、もう少し我慢すれば、パリやザロモンが出てくるので、売れるようになったのでは、とも思ってしまいます。
というようなホグウッドのハイドンですが、この中から交響曲第48番ハ長調『マリア・テレジア』であります。1769年頃の作曲と言われ、疾風怒濤期初期のものとされています。この標題は、1773年にオーストリアの神聖ローマ皇帝フランツ1世の皇后であり、共同統治者として君臨していたマリア・テレジアがエステルハージ家を訪問した際の歓迎行事で演奏されたことに由来します。聴いてみると、その祝典的な曲であることから、これに相応しい内容と思われますね。ホグウッドのこの曲の録音は、1992年となっています。
私は、ホグウッドのモーツァルトの交響曲の演奏は、かなり好きな方で、特に弦は非常に素直で落ち着いた趣で、本当に気に入っています。そんな弦によるアダージョなどの楽章は、好きなんですよ。古楽器はそれほど好きではないのですが、ホグウッドの演奏は、端正で澄んだ美しさに、過剰ではなくしっとりとした表情に、優れた弦の響きにより、実に私は好きであります。また、通奏低音のチェンバロがないのも、私的にはいいと思います。
第1楽章は、祝典的な主題がいななくように始まります。ホルンとオーボエの軽快でかつ落ち着いた音色が幾度となく響きます。これに澄んだ弦が絡み、腰のすわったアレグロであります。第2楽章アダージョ。よく言われますが、モーツァルトの『ジュピター』の雰囲気がここにはあります。ホグウッドの『ジュピター』の第2楽章もすごく好きですが、この演奏もいいですね。しっとりと弦が歌い上げる旋律は、聴き込めば聴き込むほど味わい深いものです。時たま登場するホルンがまたいいです。この弦の響きは、終わるところがないような演奏を展開し、実に心地よいです。第3楽章メヌエット。モーツァルトのメヌエットもいいですが、ハイドンのもいいです。明るい響きがとてもいい。トリオはハ短調で一転して暗さが漂いますが、それほど深刻ではなく、また最初に戻り、気持ちのよいメヌエット。第4楽章、活気に満ちたフィナーレというだけでなく、細部にわたってしっかりとした構成がわかるもの。快速で駆け上がっていくが、大仰な表情はなく、落ち着いた雰囲気と弦の丁寧な演奏がいいですね。本当に、ハイドンの交響曲は聴き込めば、味わい深いものであります。
この演奏は、音楽学者としてのホッグウッドの研究の成果も取り入れられていますが、残念なことに、そのあたりの説明はまったくわかりません。国内盤なら、これらの曲と演奏の解説も知ることができるのでしょうが、残念です。
(L'OISEAU-LYRE 4806900 2012年 輸入盤)
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