ずいぶんゆっくりの台風もなんとか通り過ぎました。幸にも、兵庫県あたりはそれほどの被害もなくほっとしていましが、他の地域ではかなりの被害で、心からお見舞い申し上げます。
さて、いよいよ7月も20日を過ぎました。学校も夏休みとなり、いよいよ夏ですねえ。わが家は、ほとんどエアコンを使わないので、消費電力はそれほどでもないと思うのですが、先日の大飯原発の停止などで、関西も節電に心掛けなければ行けない状況になってきましたねえ。確かに私らは電気を湯水のように使ってきましたらね。反省しなければいけません。節電であります。でも、ほんとに世間では全くそういった意識のない人は多いですよ。ほんとにね。
それで、今回はシューベルトであります。最近取り上げていないかな、とも思ったりしますが、ごそごそと目立たないように聴いてはおりました。先日、中古やさんであるピアニストによるピアノ作品集を見つけて、思わず買ってしまい、ごそごそと聴いていたのですが、なぜか、他のピアニストの演奏に耳が浮気をしてしまいました。なんか変ですねえ。それで浮気をしてしまったのは、英国の名ピアニスト、サー・クリフォード・カーゾンであります。そして、彼の演奏するシューベルトのピアノ・ソナタ第17番ニ長調D.850なのであります。1964年ウィーンでの録音です。
シーベルトのピアノ・ソナタは、この作曲家の作品の中でもっともよく聴くものと思います。その中で第17番は、1825年8月、北オーストリアのガシュタインに旅行中に書き上げら、翌年4月にウィーンで出版されたものです。以前にも一度取り上げたことがあります。その時に言及したのですが、かの村上春樹氏がその著作の中で述べられている曲であります(『海辺のカフカ』『意味はなければスイングはない』。まあ、それはそれとして、今回は置いておきましょう。全曲で40分にならんとする長大な曲であります。
カーゾンは、録音が好きではなかったので、それほど多くの録音が残っているわけではありません。シューベルトの録音も、どれほどあるのかよくわかりません。このニ長調のピアノソナタのセッション録音が残されたことは、非常に貴重であります。そのカーゾンのピアノは、非常に一音一音がしっかり弾かれております。強音での、また一層の弱音でも、その幅は広く、大胆な演奏が聴けます。その双方とも明瞭なタッチで、かつ一音一音が慈しむように弾かれております。そして、楽章ごとの表情が豊かで、これはシューベルトの曲の統一感のないことを助長していることになるかもしれませんが、曲の奥深さを感じ取ることができます、第1楽章は、冒頭の第1主題で大胆で強烈なピアノで、心に勇壮に響く。このテーマが楽章全体を支配していくが、実にスケールの大きな演奏が聴けます。第2楽章全曲中で最も長大。ロマン的な主題が幾度となく聴くことができる。カーゾンはそれに作為的な表現はほとんどせず、自然な表情で丁寧に流される。聴いていくと、美しい旋律が幾度となく聴かれ、曲の中に埋もれてしまうような感覚になっていく、シューベルトらしい楽章であり、カーゾンのピアノがそれを助長していますねえ。第3楽章スケルツォ。強靱なタッチと柔らかさが繰り返され、その変化がいい。トリオもカーゾンのなめらかなピアノに惹かれますね。そして、第4楽章、軽快なタッチで始まる舞曲風であり、ここまでの楽章との違和感がどうも拭えない。カーゾンはこの違和感にも動じることなく、これまでのペースでの演奏が展開される。ここでも、粒のそろったピアノは最後まで健在でした。カーゾンのピアノには、ピアノから発せられる音は同じでも、全体から受ける印象は随分異なる、そんな演奏を聴くことがでできます。最近では余り聴けないな、って思ってしまいます。
少々、録音が古いな、という印象を受けます。2009年10月3日、岡山の中古やさんで買いました。
680円でありました。
(Decca UCCD7141 2002年 DECCA BEST PLUS 50)
さて、いよいよ7月も20日を過ぎました。学校も夏休みとなり、いよいよ夏ですねえ。わが家は、ほとんどエアコンを使わないので、消費電力はそれほどでもないと思うのですが、先日の大飯原発の停止などで、関西も節電に心掛けなければ行けない状況になってきましたねえ。確かに私らは電気を湯水のように使ってきましたらね。反省しなければいけません。節電であります。でも、ほんとに世間では全くそういった意識のない人は多いですよ。ほんとにね。
それで、今回はシューベルトであります。最近取り上げていないかな、とも思ったりしますが、ごそごそと目立たないように聴いてはおりました。先日、中古やさんであるピアニストによるピアノ作品集を見つけて、思わず買ってしまい、ごそごそと聴いていたのですが、なぜか、他のピアニストの演奏に耳が浮気をしてしまいました。なんか変ですねえ。それで浮気をしてしまったのは、英国の名ピアニスト、サー・クリフォード・カーゾンであります。そして、彼の演奏するシューベルトのピアノ・ソナタ第17番ニ長調D.850なのであります。1964年ウィーンでの録音です。
シーベルトのピアノ・ソナタは、この作曲家の作品の中でもっともよく聴くものと思います。その中で第17番は、1825年8月、北オーストリアのガシュタインに旅行中に書き上げら、翌年4月にウィーンで出版されたものです。以前にも一度取り上げたことがあります。その時に言及したのですが、かの村上春樹氏がその著作の中で述べられている曲であります(『海辺のカフカ』『意味はなければスイングはない』。まあ、それはそれとして、今回は置いておきましょう。全曲で40分にならんとする長大な曲であります。
カーゾンは、録音が好きではなかったので、それほど多くの録音が残っているわけではありません。シューベルトの録音も、どれほどあるのかよくわかりません。このニ長調のピアノソナタのセッション録音が残されたことは、非常に貴重であります。そのカーゾンのピアノは、非常に一音一音がしっかり弾かれております。強音での、また一層の弱音でも、その幅は広く、大胆な演奏が聴けます。その双方とも明瞭なタッチで、かつ一音一音が慈しむように弾かれております。そして、楽章ごとの表情が豊かで、これはシューベルトの曲の統一感のないことを助長していることになるかもしれませんが、曲の奥深さを感じ取ることができます、第1楽章は、冒頭の第1主題で大胆で強烈なピアノで、心に勇壮に響く。このテーマが楽章全体を支配していくが、実にスケールの大きな演奏が聴けます。第2楽章全曲中で最も長大。ロマン的な主題が幾度となく聴くことができる。カーゾンはそれに作為的な表現はほとんどせず、自然な表情で丁寧に流される。聴いていくと、美しい旋律が幾度となく聴かれ、曲の中に埋もれてしまうような感覚になっていく、シューベルトらしい楽章であり、カーゾンのピアノがそれを助長していますねえ。第3楽章スケルツォ。強靱なタッチと柔らかさが繰り返され、その変化がいい。トリオもカーゾンのなめらかなピアノに惹かれますね。そして、第4楽章、軽快なタッチで始まる舞曲風であり、ここまでの楽章との違和感がどうも拭えない。カーゾンはこの違和感にも動じることなく、これまでのペースでの演奏が展開される。ここでも、粒のそろったピアノは最後まで健在でした。カーゾンのピアノには、ピアノから発せられる音は同じでも、全体から受ける印象は随分異なる、そんな演奏を聴くことがでできます。最近では余り聴けないな、って思ってしまいます。
少々、録音が古いな、という印象を受けます。2009年10月3日、岡山の中古やさんで買いました。
680円でありました。
(Decca UCCD7141 2002年 DECCA BEST PLUS 50)
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