「ガースーです」と挨拶する首相と、「祖父母との最後のクリスマスにしないで」と訴える首相、なんだかなあ、と思いますね。近所の中学でも感染者がでたらしいし、確実に身近に迫っているウィルス。もちろん忘年会もない。ステイホームの年末年始ですね。飲み代が浮いた分、CDでも買っちゃおう!と思い物色。ひたすら音楽と読書に耽る。まあこれはこれで楽しい。少し食事も家で贅沢をしてね。とかなんとか言っているうちに、今年もあと半月と少しになりましたねえ、
今年は、ベートーヴェンの生誕250年ということでもないのですが、ベートーヴェンを聴くことが多いかなあ、と思います。特に、ピアノ・ソナタや協奏曲など、かなり以前からなんですが、けっこう初期のころの作品をよく聴いています。これらのジャンルは、以前はそれほど熱心に聴いていなかったからかな、とも思ったりしますねえ。聴くたびに、ベートーヴェンって、やはりすごいなあと、妙に頷き、納得するのでありました。
ただ、聴くのはバックハウス、ケンプ、ギレリス、グルダ、ゼルキンなどの演奏。以前に述べた『レコ芸』12月号の「新時代の名曲名盤500」ではあまり高評価されなくなったものばかり。ただ、バックハウスの演奏だけは、どのピアノ・ソナタでも評価されているので、さすがバックハウスは違うなあ、と思いきや、それは山崎浩太郎氏がほとんどの作品に、高評価をつけているからでありました。それはそれで納得しました。加えて、新時代に遅れないようにするには、フォルテピアノの演奏なども聴かねば、と思った次第であります。
とはいうものの、今回はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13『悲愴』。演奏はルドルフ・ゼルキンであります。1962年12月ニューヨークでの録音です。以前にも一度、この人の演奏を取り上げたことがありましたが、私はかなりこの人の演奏、好きです。ソナタは、全部で18曲の録音が残っています。SONYから随分前に出た白い安価なBOXには、オーマンディやバーンスタインとの協奏曲全曲も収められていて、これだけでセルキンのベートーヴェンの主要な録音は聴くことができる、スグレモノであります。
ゼルキンの演奏、バックハウスなどに比べると、剛胆とか雄大さ、標題に現れた悲愴感、はたまたベートーヴェンらしい強固な意志などなどのことにおいては、やはり後塵を拝している感は否めません。グルダなどの演奏のおもしろにも同様かと思います。しかし、非常に安心して聴けるし、ピアノの音色も弱音から強音まで実に明快。穏やかな気持ちになります。テンポも強弱も、かなり自由に、また考え抜いてのピアノ。それをどう感じるかで、この演奏の評価も変わるのかもしれません。そして、この演奏だけの世界なら、まったくもって自己完結しています。まあ、それは他の曲でも同様なんですがね、ゼルキンの演奏は、非常に感動的でもあり、その世界にとっぷり浸り、幸福感を得るのでありました。
第1楽章、ゆったりとした冒頭から強弱の対比のテンポの揺れなど、効果的な表現と表情での展開がいいです。ただそれほどの深刻さはなく、また豪快な展開などではない。しかし曲の流れは流麗であり、テンポも快活になり、心地よさに満ちていく。第2楽章、非常に美しいピアノででの主題に聴き惚れます。ゆったりとしたテンポで、若干の弱音で主題が語られます。ここでもピアノは控え目の表現ですが、それがこの楽章の美しさを引き立てる。ほんとにこの楽章はいいですねえ、と実感されられます。そして、終楽章。ここでも押さえ気味の表現で、しかしピアノの純度は高く、透き通った美しさが鳴り響く。淀みない流れで一気という印象もあるが、実は非常に丁寧な演奏であります。全曲が終わって、非常に心地よい。それだけは満足できないぞ、という意見もあるかと思います。それでも私はこの演奏、好きであります。
やはり、上に立つ人は自分の言葉で、覚悟をした上で熱意をもって、伝えないと、人は動きませんよねえ。いったいどっちの方向に行きたいのか、ほんとにますますもってわからなくなる今日この頃でございます。無事に年末年始を迎えたいですねえ。
(SONY 88691988302 2012年 輸入盤)
今年は、ベートーヴェンの生誕250年ということでもないのですが、ベートーヴェンを聴くことが多いかなあ、と思います。特に、ピアノ・ソナタや協奏曲など、かなり以前からなんですが、けっこう初期のころの作品をよく聴いています。これらのジャンルは、以前はそれほど熱心に聴いていなかったからかな、とも思ったりしますねえ。聴くたびに、ベートーヴェンって、やはりすごいなあと、妙に頷き、納得するのでありました。
ただ、聴くのはバックハウス、ケンプ、ギレリス、グルダ、ゼルキンなどの演奏。以前に述べた『レコ芸』12月号の「新時代の名曲名盤500」ではあまり高評価されなくなったものばかり。ただ、バックハウスの演奏だけは、どのピアノ・ソナタでも評価されているので、さすがバックハウスは違うなあ、と思いきや、それは山崎浩太郎氏がほとんどの作品に、高評価をつけているからでありました。それはそれで納得しました。加えて、新時代に遅れないようにするには、フォルテピアノの演奏なども聴かねば、と思った次第であります。
とはいうものの、今回はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13『悲愴』。演奏はルドルフ・ゼルキンであります。1962年12月ニューヨークでの録音です。以前にも一度、この人の演奏を取り上げたことがありましたが、私はかなりこの人の演奏、好きです。ソナタは、全部で18曲の録音が残っています。SONYから随分前に出た白い安価なBOXには、オーマンディやバーンスタインとの協奏曲全曲も収められていて、これだけでセルキンのベートーヴェンの主要な録音は聴くことができる、スグレモノであります。
ゼルキンの演奏、バックハウスなどに比べると、剛胆とか雄大さ、標題に現れた悲愴感、はたまたベートーヴェンらしい強固な意志などなどのことにおいては、やはり後塵を拝している感は否めません。グルダなどの演奏のおもしろにも同様かと思います。しかし、非常に安心して聴けるし、ピアノの音色も弱音から強音まで実に明快。穏やかな気持ちになります。テンポも強弱も、かなり自由に、また考え抜いてのピアノ。それをどう感じるかで、この演奏の評価も変わるのかもしれません。そして、この演奏だけの世界なら、まったくもって自己完結しています。まあ、それは他の曲でも同様なんですがね、ゼルキンの演奏は、非常に感動的でもあり、その世界にとっぷり浸り、幸福感を得るのでありました。
第1楽章、ゆったりとした冒頭から強弱の対比のテンポの揺れなど、効果的な表現と表情での展開がいいです。ただそれほどの深刻さはなく、また豪快な展開などではない。しかし曲の流れは流麗であり、テンポも快活になり、心地よさに満ちていく。第2楽章、非常に美しいピアノででの主題に聴き惚れます。ゆったりとしたテンポで、若干の弱音で主題が語られます。ここでもピアノは控え目の表現ですが、それがこの楽章の美しさを引き立てる。ほんとにこの楽章はいいですねえ、と実感されられます。そして、終楽章。ここでも押さえ気味の表現で、しかしピアノの純度は高く、透き通った美しさが鳴り響く。淀みない流れで一気という印象もあるが、実は非常に丁寧な演奏であります。全曲が終わって、非常に心地よい。それだけは満足できないぞ、という意見もあるかと思います。それでも私はこの演奏、好きであります。
やはり、上に立つ人は自分の言葉で、覚悟をした上で熱意をもって、伝えないと、人は動きませんよねえ。いったいどっちの方向に行きたいのか、ほんとにますますもってわからなくなる今日この頃でございます。無事に年末年始を迎えたいですねえ。
(SONY 88691988302 2012年 輸入盤)
さて、コロナと戦う年末年始となりますが、もう、殆どの国民に、緊張感はありませんね。東京の千人超えも、間近です。