今年は、息子が大学受験の年となります。受験も間近になってきたので、恒例の天満宮へのお参りに、昨日行きました。どこの天満宮かと言えば、大阪で生まれた女である家人に言わせると「天神さんは、天満の天神さんに決まってるやんか」ということらしく、大阪の南森町の天満の天神さん、大阪天満宮に家人と行ってきました。わが家からは、一時間と少し。寒い中お参りしました。受験シーズンということもあって、天神さんの境内はたくさんの人でした。まあ、びっくりしたのはお守りを買うのに長蛇の列。並んでお守りと幸の梅という梅干しを買いました。いやはやであります。お参りのあと、梅田まで歩いて行き、デパートのバーゲンに家人のあとを付いて回ってきました。これまたたくさんの人でした。せっかく梅田まできたので、中古やさんにも寄りました。連れがいると、なかなか落ち着いて見れませんが、それでも2枚ほど買って帰りました。
その1枚が、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」演奏はヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンです。一般的に名盤と言われているものです。最近、このシュターツカペレ・ドレスデンとブロムシュテットの演奏をよく聴きます。これまでそれほど聴いたことなかったのですが、名盤が多いですね。ブロムシュテットもいいですし、オケもたいへんいいです。
ブルックナーの交響曲第4番は、7番以降と比べると密度の薄さは感じますが、聴きやすい曲ですね。まず、第一楽章冒頭のホルン、これが素晴らしいですね。おそらくは名手ペーター・ダムでしょう。全編通じてあっちこっちでホルンの活躍が目立ちます。安定した美しい音色です。ブロムシュテットは、それほど個性を出そうとせず、このオケの素晴らしい音色を前面に押し出しています。かといって、オケの威力を誇示することもなく、ひとつひとつの音符を実に丁寧に演奏しています。
テンポがゆっくりでも、楽器の独奏でも、しっかりとした音づくりが目立ちますね。けっして皮相的にならず、気持ちのこもっているところもいいです。ホルンを筆頭として金管は、安定して美しい響きですし、弦もほんと滑らかで綺麗です。
こんな演奏は、大音量で聴きたいです。最近は、ヘッドホンで聴くことがほとんどで、それでは細かいところは聴けますが、全体的な美しさなどはどうしても今イチですね。ブロムシュテットは、声高にブルックナーを語ることはありませんが、それでいてスケールの大きなブルックナーであります。
その1枚が、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」演奏はヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンです。一般的に名盤と言われているものです。最近、このシュターツカペレ・ドレスデンとブロムシュテットの演奏をよく聴きます。これまでそれほど聴いたことなかったのですが、名盤が多いですね。ブロムシュテットもいいですし、オケもたいへんいいです。
ブルックナーの交響曲第4番は、7番以降と比べると密度の薄さは感じますが、聴きやすい曲ですね。まず、第一楽章冒頭のホルン、これが素晴らしいですね。おそらくは名手ペーター・ダムでしょう。全編通じてあっちこっちでホルンの活躍が目立ちます。安定した美しい音色です。ブロムシュテットは、それほど個性を出そうとせず、このオケの素晴らしい音色を前面に押し出しています。かといって、オケの威力を誇示することもなく、ひとつひとつの音符を実に丁寧に演奏しています。
テンポがゆっくりでも、楽器の独奏でも、しっかりとした音づくりが目立ちますね。けっして皮相的にならず、気持ちのこもっているところもいいです。ホルンを筆頭として金管は、安定して美しい響きですし、弦もほんと滑らかで綺麗です。
こんな演奏は、大音量で聴きたいです。最近は、ヘッドホンで聴くことがほとんどで、それでは細かいところは聴けますが、全体的な美しさなどはどうしても今イチですね。ブロムシュテットは、声高にブルックナーを語ることはありませんが、それでいてスケールの大きなブルックナーであります。
澄んだ湖水に森が映るジャケットそのままに、清澄な音が続きます。アーティキュレーションは自然で、深々としたフレージングもいいなぁと思います。
録音も、今聴いても素晴らしいです。もう20年来の愛聴盤です。
ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレの「ロマンティック」でTBを送ったつもりが、7番交響曲の方になってしまっていました。
スミマセン。訂正です。
プロムの素晴らしさは、カラヤンのように造形的な美しさ=表面的ではなく、彼の内面の暖かさがにじみ出た美しさなのであります。彼の演奏は彼岸の音楽のように、私の心には響いてきます。
8番の影に隠れて、やや線の細い7番でありますが、ベートーベンの田園にも似て、この作品の限りない優しさに慰められることが何度もありました。
いろいろなことがあっても、なんとか今日まで生きて来られたのは、音楽という友があったればこそです。最近は、少し縁遠くなっているクラシック音楽ですが、若き日の音楽体験は死ぬまで私の友であります。