1月になると、さすがに冬本番ですねえ。職場は寒い部屋でして、今日も暖房をつけてもなかなか上がりません。年末からの風邪がなかなか治りませんで、咳がなかなか抜けません。
そんな中で、モーツァルト。モーツァルトの中でも特にゆったりとした気分になれるのは、セレナードやディヴェルティメントではないでしょうか。もう今から20年前、マリナーとアカデミー室内管弦楽団や、アカデミー菅のアンサンブルがフィリップスからこれらの録音を出していました。その中の二枚ほどこのブログでも以前に取り上げました。なかなかいい演奏でしたが、今となってはなかなか入手できなくなりました。そんな中、年末に職場の近くのBOOKOFFで、カラヤン指揮のBPOのディヴェルティメント第15番変ロ長調K.287のCDを見つけ、750円だったこともあって買っちゃいました。1987年9月の録音です。
この曲は、1777年モーツァルト21歳のときのものと言われています。楽器編成も弦五部にホルン2本で、メヌエットを二つ含む6楽章構成。モーツァルトのディヴェルティメントの典型的な作品です。第二楽章の変奏曲は、以前にNHKFMの日曜日の朝10時くらいからの「名演奏家の時間」(やったよな)のテーマで使われていて、第四楽章のアダージョも超有名な曲であります。一方、演奏しているカラヤンは、逝去される2年前。晩年険悪となったBPOとの録音としては、かなり終わりの方のものでしょう。
私は、アカデミーアンサンブルの演奏がそうであるように、この曲を7人程度の少人数の演奏でよく聞いてました。その耳に慣れていたら、このカラヤンの演奏は、いったいひとつの楽器あたり何人が担当しているのか知りませんが、音がどうも分厚すぎる気がしてなりません。そしてキレがないんですね。加えて、晩年のカラヤンの演奏、特に1980年代後半のものは往々して、凝縮力のないものが多いと思っています。この演奏もそのような傾向にある気がしてなりません。私はモーツァルトのメヌエットが好きだと述べたことがありましたが、この曲にも2つのメヌエットがありますが、どうもよくないですね。図体のでかい象が踊るようと言えば言い過ぎですが…。そうは言っても、聴くべき所がないわけでは決してありません。第三楽章などはBPOの力量をうまくコントロールして、うっとりするような演奏を聴かせてくれますし、大きい編成を生かした堂々とした演奏も。随所にそんなところを感じます。終楽章なんかは、うまく進めているなあと思っています。
あれほどたくさんの録音をしたカラヤンが、同郷のモーツァルトに関しては、交響曲も36番以降だし、管弦楽曲もそれほど多いわけではありません。晩年にこの曲を録音したカラヤンの胸に去来したものは?と考えると興味深いですね。
そんな中で、モーツァルト。モーツァルトの中でも特にゆったりとした気分になれるのは、セレナードやディヴェルティメントではないでしょうか。もう今から20年前、マリナーとアカデミー室内管弦楽団や、アカデミー菅のアンサンブルがフィリップスからこれらの録音を出していました。その中の二枚ほどこのブログでも以前に取り上げました。なかなかいい演奏でしたが、今となってはなかなか入手できなくなりました。そんな中、年末に職場の近くのBOOKOFFで、カラヤン指揮のBPOのディヴェルティメント第15番変ロ長調K.287のCDを見つけ、750円だったこともあって買っちゃいました。1987年9月の録音です。
この曲は、1777年モーツァルト21歳のときのものと言われています。楽器編成も弦五部にホルン2本で、メヌエットを二つ含む6楽章構成。モーツァルトのディヴェルティメントの典型的な作品です。第二楽章の変奏曲は、以前にNHKFMの日曜日の朝10時くらいからの「名演奏家の時間」(やったよな)のテーマで使われていて、第四楽章のアダージョも超有名な曲であります。一方、演奏しているカラヤンは、逝去される2年前。晩年険悪となったBPOとの録音としては、かなり終わりの方のものでしょう。
私は、アカデミーアンサンブルの演奏がそうであるように、この曲を7人程度の少人数の演奏でよく聞いてました。その耳に慣れていたら、このカラヤンの演奏は、いったいひとつの楽器あたり何人が担当しているのか知りませんが、音がどうも分厚すぎる気がしてなりません。そしてキレがないんですね。加えて、晩年のカラヤンの演奏、特に1980年代後半のものは往々して、凝縮力のないものが多いと思っています。この演奏もそのような傾向にある気がしてなりません。私はモーツァルトのメヌエットが好きだと述べたことがありましたが、この曲にも2つのメヌエットがありますが、どうもよくないですね。図体のでかい象が踊るようと言えば言い過ぎですが…。そうは言っても、聴くべき所がないわけでは決してありません。第三楽章などはBPOの力量をうまくコントロールして、うっとりするような演奏を聴かせてくれますし、大きい編成を生かした堂々とした演奏も。随所にそんなところを感じます。終楽章なんかは、うまく進めているなあと思っています。
あれほどたくさんの録音をしたカラヤンが、同郷のモーツァルトに関しては、交響曲も36番以降だし、管弦楽曲もそれほど多いわけではありません。晩年にこの曲を録音したカラヤンの胸に去来したものは?と考えると興味深いですね。
カラヤンの晩年のモーツァルト、懐かしいですね。同じCDを持っております。
カラヤンはこのK.287とK.334を晩年に録音しているんですが、弦楽セクションが厚ぼったく、雰囲気豊かな演奏に仕上げておりました。
当時マリナーの清新な演奏が次々に発売されていたこともあって、聴き比べながら、随分違うものだなぁと感じたものでした。
カラヤン盤は実に大げさな演奏と思うんですが、懐かしく思い出されます。