三連休が終わりました。でももう一回三連休があります。9月は休みが多いですねえ。ちょうど、9月・10月あたりは、少々ヒマになるころなので、この二度の三連休も二日ほど半日づつ出勤する予定です。他は、お彼岸のお墓参りと、家で読書と音楽とゴロゴロであります。仕事はしたくありませんね。といっても、毎日1~2時間くらいは、ごそごそとしていますが…。しかし、他方では、台風の接近も気になるところであります。今朝警報が出ました。心配です。
今回は、バッハのマタイ受難曲であります。これを聴くことになったのは、滝澤武人著『人間イエス』(講談社現代新書)を読んでおりまして、さすれば無性にマタイが聴きたくなったのです。まあ、私はキリスト教信者でもないですし、宗教的な気分はまったくありません。しかし、このイエスの物語には興味を至極持っております。言い方は悪いですが、非常によくできたお話ですよねえ。心を動かされることが多々あります。
それで、その演奏なんですが、一年ほど前に大阪堂島のワルティで中古でかったもの。ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントス・ムジクスなどが1970年頃に録音したものであります。アーノンクールは、こののち、マタイを1985年にACO、2000年にコンツェントス・ムジクスと録音していますので、三回のうちの最初のものです。クルト・エクヴィルツのエヴァンゲリスト、カール・リッダーブッシュのイエス、ポール・エスウッド、ジェームス・ボウマンのCT、マックス・ヴァン・エグモント、ミヒャエル・ショッパーのバスなどなどであります。
アーノンクールのバッハは、カンタータなどで聴くと、けっこう古楽器古楽器とした演奏で、基本的に古楽器がそれほど馴染めない私は、少々引いてしまうことがあったのです。ちょうど、このマタイも、録音時期やメンバーなどを見てもカンタータと同じ顔触れも多いので、多少うーん、って感じだったのです。しかし、聴いてみるの、けっこう共感するところも多いし、なかなかよかったのであります。当然、カール・リヒター盤などとの感動とは異にするものですが…。
まず、声楽です。ソプラノにはウィーン少年合唱団員の2人のボーイソプラノを用いており、これがなかいいのです。まず2は、第8曲「血を流されるがいい、いとしいお心」ですが、澄み切って混じり気のない高音に心が洗われます。そして1は第13曲「この心をあなたに捧げましょう」第49曲「愛の御心から救い主は死のうとされます」の2曲を歌いますが、これが実に成熟した女声を純粋に歌うのです。これがボーイソプラノか、と思いました。また、エヴァンゲリストのエクヴィルツ、実に美声で明快な歌唱で、アーノンクールの音作りに非常に合っています。アーノンクールは、この曲を攻撃的にまた過剰に色つけして演奏しておるわけではありません。これまでの時代がかったマタイとは一線を敷き、明快で透明度の高い演奏に仕上げています。それゆえ、歌唱もそれに応じたものです。これを聴いて、これ以前のモダン楽器の演奏を聴くと、胸につかえ、胃もたれするように思ってしまいます。加えて、イエスのリッダーブッシュ、これも透明度が高く美声、それで実に渋いのです。まず、第11曲最後の晩餐の場面、それほど濃い表現ではありませんが、イエスの高貴さを示しています。またゲツセマネの園での「私の魂は。憂いのあまり死ぬほどだ」というくだりの苦悩も心に響きます。アルトも2人のCTが担当していますが、1のエスウッドは第6曲で女声にはない迫力があり、聴き応えがあります。また2のボウマン第52曲は理知的な印象を受けます。歌い分けがいいです。合唱も含めた歌唱も、バッハの受難曲であり、人間臭さからは別離しているところも、印象的でありました。この録音は1970年。今から考えると、それほどの衝撃は受けませんが、録音の時期には、このようなオペラチックでないマタイは、至極大胆な演奏だったのでしょうねえ。
このオケではアーノンクールがチェロやヴィオラダガンバを、そしてクイケン兄弟も参加しています。もう40年も前の演奏になっているのですねえ。
(TELDEC 2292-42509-2 1994年 輸入盤)
今回は、バッハのマタイ受難曲であります。これを聴くことになったのは、滝澤武人著『人間イエス』(講談社現代新書)を読んでおりまして、さすれば無性にマタイが聴きたくなったのです。まあ、私はキリスト教信者でもないですし、宗教的な気分はまったくありません。しかし、このイエスの物語には興味を至極持っております。言い方は悪いですが、非常によくできたお話ですよねえ。心を動かされることが多々あります。
それで、その演奏なんですが、一年ほど前に大阪堂島のワルティで中古でかったもの。ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントス・ムジクスなどが1970年頃に録音したものであります。アーノンクールは、こののち、マタイを1985年にACO、2000年にコンツェントス・ムジクスと録音していますので、三回のうちの最初のものです。クルト・エクヴィルツのエヴァンゲリスト、カール・リッダーブッシュのイエス、ポール・エスウッド、ジェームス・ボウマンのCT、マックス・ヴァン・エグモント、ミヒャエル・ショッパーのバスなどなどであります。
アーノンクールのバッハは、カンタータなどで聴くと、けっこう古楽器古楽器とした演奏で、基本的に古楽器がそれほど馴染めない私は、少々引いてしまうことがあったのです。ちょうど、このマタイも、録音時期やメンバーなどを見てもカンタータと同じ顔触れも多いので、多少うーん、って感じだったのです。しかし、聴いてみるの、けっこう共感するところも多いし、なかなかよかったのであります。当然、カール・リヒター盤などとの感動とは異にするものですが…。
まず、声楽です。ソプラノにはウィーン少年合唱団員の2人のボーイソプラノを用いており、これがなかいいのです。まず2は、第8曲「血を流されるがいい、いとしいお心」ですが、澄み切って混じり気のない高音に心が洗われます。そして1は第13曲「この心をあなたに捧げましょう」第49曲「愛の御心から救い主は死のうとされます」の2曲を歌いますが、これが実に成熟した女声を純粋に歌うのです。これがボーイソプラノか、と思いました。また、エヴァンゲリストのエクヴィルツ、実に美声で明快な歌唱で、アーノンクールの音作りに非常に合っています。アーノンクールは、この曲を攻撃的にまた過剰に色つけして演奏しておるわけではありません。これまでの時代がかったマタイとは一線を敷き、明快で透明度の高い演奏に仕上げています。それゆえ、歌唱もそれに応じたものです。これを聴いて、これ以前のモダン楽器の演奏を聴くと、胸につかえ、胃もたれするように思ってしまいます。加えて、イエスのリッダーブッシュ、これも透明度が高く美声、それで実に渋いのです。まず、第11曲最後の晩餐の場面、それほど濃い表現ではありませんが、イエスの高貴さを示しています。またゲツセマネの園での「私の魂は。憂いのあまり死ぬほどだ」というくだりの苦悩も心に響きます。アルトも2人のCTが担当していますが、1のエスウッドは第6曲で女声にはない迫力があり、聴き応えがあります。また2のボウマン第52曲は理知的な印象を受けます。歌い分けがいいです。合唱も含めた歌唱も、バッハの受難曲であり、人間臭さからは別離しているところも、印象的でありました。この録音は1970年。今から考えると、それほどの衝撃は受けませんが、録音の時期には、このようなオペラチックでないマタイは、至極大胆な演奏だったのでしょうねえ。
このオケではアーノンクールがチェロやヴィオラダガンバを、そしてクイケン兄弟も参加しています。もう40年も前の演奏になっているのですねえ。
(TELDEC 2292-42509-2 1994年 輸入盤)
馬鹿げた理由ですが、アーノンクールというとオリジナル楽器の演奏。→それじゃ、駄目だ。という図式です。
リヒター盤は本当に素晴らしいです。これに、最近買ったマウエルスベルガー盤も、非常に柔らかく誠実な演奏です。愛聴しています。