一応の停戦協定が結ばれたにも関わらず、
東ウクライナのジェノサイドは終わることがなかった。
-------------------------------------------
ウクライナ東部の紛争では、
ほぼ毎日、何の罪もない人々が非業の死を遂げている。
タマーラとウラジーミルのボブリシェフ夫妻は、
自分達が経験した人生で最も恐ろしい日の事をロマン・コサレフRT記者に語った。
取材では、ドネツクに住むウラジーミル氏が、
携帯電話で撮影した映像が紹介されている。
携帯電話は、彼の家が砲撃され破壊された後、彼のもとに残った唯一の財産だ。
砲撃は、彼らの一家に恐ろしい悲劇をもたらした。
4歳の次男アルチョーム君は死亡、長男のミーシャ君7歳も重傷を負った
そしてウラジーミル氏の妻タマーラさんは、右足を失った。
彼女は「足のケガのせいで、自分はアルチョームを助けられなかった」と今も自分を責めている。
ドネツク中がひどい砲撃を受け、救急車や病院は非常事態で、
ボブリシェフ一家のもとに救いの手をすぐに差し伸べる事が出来なかった。
砲撃が始まった時、ウラジーミル氏は、自分の家のそばにいた。
そして彼の目の前で、砲弾が家に命中した。
彼は、その時の模様を次のように語っている
―「入り口ですぐ息子を見つけました。
彼の頭はひどいケガで血が流れ出、目は完全に見開かれていました。
私は急いで彼を抱き上げ、上着で包んで地下室に連れて行きました。
というのは、その瞬間も、まだ攻撃が続いていたからです。
その後ようやく妻を見つけ、救い出しました。
彼女は『下の息子にはまだ息がある』と叫んでいました。
でも息子をやっと連れ出せた時には、もう息はありませんでした。」
次男アルチョーム君の葬儀を、家族はすでに済ませた。
今夫妻は、長男のミーシャ君に障害が残らないよう、そればかりを願っている。
ミーシャ君は、砲弾の破片で身体や顔に大ケガを負った。
すでに2回手術をしたが、まだ痛みが残っている。
もう一度、複雑な手術が必要だが、ドネツクではそれができない。
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/news/2015_02_07/282744977/
-------------------------------------------
このような状況下、より強制力のある停戦協定が模索されている。
-------------------------------------------
2月12日、モスクワ時間で12時、
ミンスクの独立宮殿においてウクライナ危機調整を図る
「ノルマンディー4者」(露独仏ウクライナ)による
記録的に長い、緊張に満ちた交渉が終結した。
プーチン大統領、メルケル独首相、オランド仏大統領、
ウクライナのポロシェンコ大統領が16時間にもわたり、
ウクライナ東部ドンバスの紛争解決の道を話し合った。
ミンスク交渉で承認された文書が提示する一連の歩みは、
戦闘行為の停止、緊張緩和、紛争調整を目指したものだ。
(続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/2015_02_12/282850668/)
-------------------------------------------
災害を止めるのは簡単だ。キエフ軍が撤退すれば良いだけである。
東ウクライナは西ウクライナを侵攻していないし、これからもしない。
彼らはただ自治権を得たいだけなのだ。独立したいだけなのだ。