前回、EUのイスラモフォビア(イスラム差別)についての記事を紹介した。
重要な個所を拾っていくと、次のようになる。
-----------------------------------------------
パリのテロ事件は、西側におけるイスラム排斥者が多くの政府関係者とともに、
イスラムやイスラム教徒に対して大規模な攻撃を行う原因となりました。
イギリスのキャメロン首相は、
アメリカのCBSチャンネルのインタビューで、次のように語りました。
「私は、自由社会では、ほかの宗教の信徒に対して、侮辱的に対応する権利があると考えている」
フランスのオランド大統領も、シャルリエブドの侮辱行為に抗議する
各国のイスラム教徒のデモに反応し、次のように語りました。
「彼らは、フランスが表現の自由を遵守していることを理解していない」
学校などの公的な場所における、イスラム教徒の女性のベール着用禁止も、
フランスにおける法的自由の侵害の一つです。
フランスでは、イスラム教徒の女性は
宗教信仰に基づいて自分の衣服を選ぶことができないのです。
一方、シャルリエブドの侮辱は、表現の自由に基づいて正当化されています。
西側の政府関係者が、シャルリエブドによるイスラムの神聖の冒涜を支持したことで、
西側のイスラム排斥主義者はさらに大胆になり、
さらに組織化された形でイスラム排斥という目的を追求するようになっています。
ISISやアルカイダのようなテロ組織の行為や、イスラムを名目とした彼らの行為は
実際のところ、ペギーダのようなイスラム排斥組織を強化しています。
西側政府は、表面的にはイスラム排斥行為に反対していますが、
実際にはこの排斥行為を合法化するとともに、
西側の政策はイスラム排斥団体を強化するものです。
----------------------------------------------------------------
つまり、ヨーロッパのイスラム差別は
一部の過激思想にはまった人間が部分的に行っているものではなく、
フランスを主としたヨーロッパ政府が全体的に行っているということだ。
イスラム教徒を阻害する
社会システムが存在するのである。
これを踏まえた上で、岩波の月刊誌『世界』2015年3月号に掲載された
酒井啓子氏の評論「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」
を読んでいくと、一連の現象における欧米政府の責任が免じられていることに気が付く。
簡単にいえば、
安倍首相が反民族差別の主導者だと言っているような内容なのだ。
この論文の前半部は、シャルリエブドを巡るその後の顛末について、
簡単に説明がされている。そこでは欧州でのイスラム差別やイスラム圏域での
シャルリエブドの風刺画再掲載への抗議運動についても言及されている。
さすがにイラク研究者だけあって、氏はこの手の情報について把握しているのだろう。
ところが、後半部からは「どっちもどっち」と
あたかも民衆同士の小競り合いであるかのような説明がなされ、その上で、
アラブの春の影響でアメリカ政府の態度が軟化したかのような記述がされている。
それを最もよく表しているのが、
2012年のリビアにおける米国大使殺害事件についてのアメリカのコメントへの評価であり、
酒井氏はライス国務長官が「一部のテロの凶行」とみなし、
イスラムそのものを攻撃しなかったことを取り上げ、
これをもってアメリカに対イスラム政策軟化の余地ありと論じている。
しかし、アメリカが歴史的に「イスラムの脅威」を口実に他国に干渉、
それも非道い場合は空爆を行っているという現在進行形の事実を氏は完全に無視している。
9.11直後に書かれた『私はアメリカのイスラム教徒』(明石書店、2002年)
は言うまでもなく、最近ではメディア研究・中東研究を専門とする
ラトガース大学(アメリカ)準教授ディーパ・クマル女史が著した
『イスラモフォビアと帝国の政策』(ヘイマーケット書店、2012年)を読めば、
アメリカの内政・外交政策が反イスラムに則って行われていること、
それは今後も変わらないことは明白だ。
歴史的にも、アメリカは自国の軍だけでなく、
現地の軍事的非軍事的反政府組織を支援することで傀儡政権の樹立をはかってきた。
実際、アメリカは2012年以降もシリアに対する敵対姿勢を変えず、
反政府軍を養成、支援している。その結果として今日のイスラム国の台頭がある。
加えて言えば、最近、イラク国会安全保障・防衛委員会の委員長が、
「アメリカとその同盟国が、その航空機でISISに武器や食料を供給し、
ISISの複数の支配地域に支援物資を投下していることを示す確かな文書を手にしている」
と語りだした。
にわかには信じられないが、少なくともアメリカの姿勢が軟化したというのは大間違いだ。
たかだか1人のコメントを根拠にアメリカの政策そのものが変わる余地が
あるかのように語るのは、楽観的すぎるのではないかと思われるのである。
(なお、イギリスの外交雑誌フォーリンポリシーも、昨年10月、
ISISの兵器の多くはアメリカから来たものだと結論付けている。
つまり、アメリカはテロ撲滅作戦と言いながら、
実際にはテロはテロでも反ISIS派のテロ組織への空爆を行っている疑惑がここから生まれる)
さらに、酒井氏が『世界』に投稿した同評論においては
サウジアラビアのテロ支援についても「~という疑惑がある」の一言で済まされ、
アラブ側にもアメリカと同じスタンスに立ち、国内でいわゆる「独裁」を敷きながら、
シリアをはじめとする敵国にテロを送り込んでいる国があることを無視している。
アメリカとサウジアラビアのテロ支援体制について
あたかも存在しないように書くことで、酒井氏は問題を
イスラム対非イスラム、西洋対中東という単純構図で捉えてしまっている。
酒井氏はイスラーム圏にも民主化の動きありと主張するために、
偶像崇拝のタブーを破る映画作品が近年作られたことを取り上げる。
だが、それでは国内で王権批判を禁じる法律を制定した
サウジアラビアの実像をつかむことはできないだろう。
要するに、この論文は国務長官が大使館殺害を口実に
イスラモフォビア発言を行わなかった、聖人たちが映画にも登場したという
特にどうということもないエピソードを併記して、
「どっちも悪い」「でも、どっちも歩み寄る可能性はある」という
毒にも薬にもならない結論を掲げて筆をおいているのである。
これは結果的に、他方では欧州、米国の人種差別社会、反イスラムに基づく軍事干渉を、
もう他方ではサウジやヨルダンの独裁王朝、テロ支援を隠匿してしまっている。
そのため、婉曲的には両国の政策の実態を見えづらくし、
間接的に支援するものとなっている。これが問題なのである。
酒井氏の論文を読むと、まるで対岸の家事をぼぉっと眺めているような印象を受ける。
いま、私たちに必要なのは、イスラモフォビアの被害者の側から意見を発することだろう。
・追記
酒井氏のような「どっちもどっち」と遠巻きに見ることで、
現実に起きている迫害行為を傍観するようなスタイルを岩波が採用したこと。
このことこそ、非常に重大な事実だ。
つまり、左翼はすでに左翼として機能していない。
一見、反権力的な言説に見えて、実は与えられた言説を唱えているにすぎないのだ。
フランクフルト学派の哲学者、テオドール・アドルノは次にように述べている。
「発表されるものには、何であれ徹底的に検印が押されていて、
結局のところ、あらかじめ決められた隠語の徴しを帯びていないもの、
一見してOKが出るようなもの以外には、何一つ生まれることができない。
しょせん花形役者とは、初代であれ、二代目以下であれ、
決められた隠語をペラペラ、うきうきとしゃべることのできる者なのである。
まるで決められた隠語(ジャルゴン)こそ真の言語であるかのように。
だが、真の言語は、とうの昔に
ジャルゴンによって口を封じられてしまったものなのである。」
『世界』をはじめとする有名左派メディアの状況をみると、
まさにこのアドルノの指摘通りにあるのではないかと思われてならない。
2015年7月30日追記
別の媒体で酒井氏はサウジのテロ支援を認めているらしいのだが、
調べてみたところ、シャルリエブド事件以前に発せられた言葉であり、
素直に考えれば、世界に投稿する段階では認識が改まったということになる。
あるいは『世界』編集部から何かしら注文が来たのだろうか?
その辺の事情は知らないが、いずれにせよ、『世界』の評論においては
サウジのテロ支援は「そういう疑惑もある」という評価で済まされている。
重要な個所を拾っていくと、次のようになる。
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パリのテロ事件は、西側におけるイスラム排斥者が多くの政府関係者とともに、
イスラムやイスラム教徒に対して大規模な攻撃を行う原因となりました。
イギリスのキャメロン首相は、
アメリカのCBSチャンネルのインタビューで、次のように語りました。
「私は、自由社会では、ほかの宗教の信徒に対して、侮辱的に対応する権利があると考えている」
フランスのオランド大統領も、シャルリエブドの侮辱行為に抗議する
各国のイスラム教徒のデモに反応し、次のように語りました。
「彼らは、フランスが表現の自由を遵守していることを理解していない」
学校などの公的な場所における、イスラム教徒の女性のベール着用禁止も、
フランスにおける法的自由の侵害の一つです。
フランスでは、イスラム教徒の女性は
宗教信仰に基づいて自分の衣服を選ぶことができないのです。
一方、シャルリエブドの侮辱は、表現の自由に基づいて正当化されています。
西側の政府関係者が、シャルリエブドによるイスラムの神聖の冒涜を支持したことで、
西側のイスラム排斥主義者はさらに大胆になり、
さらに組織化された形でイスラム排斥という目的を追求するようになっています。
ISISやアルカイダのようなテロ組織の行為や、イスラムを名目とした彼らの行為は
実際のところ、ペギーダのようなイスラム排斥組織を強化しています。
西側政府は、表面的にはイスラム排斥行為に反対していますが、
実際にはこの排斥行為を合法化するとともに、
西側の政策はイスラム排斥団体を強化するものです。
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つまり、ヨーロッパのイスラム差別は
一部の過激思想にはまった人間が部分的に行っているものではなく、
フランスを主としたヨーロッパ政府が全体的に行っているということだ。
イスラム教徒を阻害する
社会システムが存在するのである。
これを踏まえた上で、岩波の月刊誌『世界』2015年3月号に掲載された
酒井啓子氏の評論「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」
を読んでいくと、一連の現象における欧米政府の責任が免じられていることに気が付く。
簡単にいえば、
安倍首相が反民族差別の主導者だと言っているような内容なのだ。
この論文の前半部は、シャルリエブドを巡るその後の顛末について、
簡単に説明がされている。そこでは欧州でのイスラム差別やイスラム圏域での
シャルリエブドの風刺画再掲載への抗議運動についても言及されている。
さすがにイラク研究者だけあって、氏はこの手の情報について把握しているのだろう。
ところが、後半部からは「どっちもどっち」と
あたかも民衆同士の小競り合いであるかのような説明がなされ、その上で、
アラブの春の影響でアメリカ政府の態度が軟化したかのような記述がされている。
それを最もよく表しているのが、
2012年のリビアにおける米国大使殺害事件についてのアメリカのコメントへの評価であり、
酒井氏はライス国務長官が「一部のテロの凶行」とみなし、
イスラムそのものを攻撃しなかったことを取り上げ、
これをもってアメリカに対イスラム政策軟化の余地ありと論じている。
しかし、アメリカが歴史的に「イスラムの脅威」を口実に他国に干渉、
それも非道い場合は空爆を行っているという現在進行形の事実を氏は完全に無視している。
9.11直後に書かれた『私はアメリカのイスラム教徒』(明石書店、2002年)
は言うまでもなく、最近ではメディア研究・中東研究を専門とする
ラトガース大学(アメリカ)準教授ディーパ・クマル女史が著した
『イスラモフォビアと帝国の政策』(ヘイマーケット書店、2012年)を読めば、
アメリカの内政・外交政策が反イスラムに則って行われていること、
それは今後も変わらないことは明白だ。
歴史的にも、アメリカは自国の軍だけでなく、
現地の軍事的非軍事的反政府組織を支援することで傀儡政権の樹立をはかってきた。
実際、アメリカは2012年以降もシリアに対する敵対姿勢を変えず、
反政府軍を養成、支援している。その結果として今日のイスラム国の台頭がある。
加えて言えば、最近、イラク国会安全保障・防衛委員会の委員長が、
「アメリカとその同盟国が、その航空機でISISに武器や食料を供給し、
ISISの複数の支配地域に支援物資を投下していることを示す確かな文書を手にしている」
と語りだした。
にわかには信じられないが、少なくともアメリカの姿勢が軟化したというのは大間違いだ。
たかだか1人のコメントを根拠にアメリカの政策そのものが変わる余地が
あるかのように語るのは、楽観的すぎるのではないかと思われるのである。
(なお、イギリスの外交雑誌フォーリンポリシーも、昨年10月、
ISISの兵器の多くはアメリカから来たものだと結論付けている。
つまり、アメリカはテロ撲滅作戦と言いながら、
実際にはテロはテロでも反ISIS派のテロ組織への空爆を行っている疑惑がここから生まれる)
さらに、酒井氏が『世界』に投稿した同評論においては
サウジアラビアのテロ支援についても「~という疑惑がある」の一言で済まされ、
アラブ側にもアメリカと同じスタンスに立ち、国内でいわゆる「独裁」を敷きながら、
シリアをはじめとする敵国にテロを送り込んでいる国があることを無視している。
アメリカとサウジアラビアのテロ支援体制について
あたかも存在しないように書くことで、酒井氏は問題を
イスラム対非イスラム、西洋対中東という単純構図で捉えてしまっている。
酒井氏はイスラーム圏にも民主化の動きありと主張するために、
偶像崇拝のタブーを破る映画作品が近年作られたことを取り上げる。
だが、それでは国内で王権批判を禁じる法律を制定した
サウジアラビアの実像をつかむことはできないだろう。
要するに、この論文は国務長官が大使館殺害を口実に
イスラモフォビア発言を行わなかった、聖人たちが映画にも登場したという
特にどうということもないエピソードを併記して、
「どっちも悪い」「でも、どっちも歩み寄る可能性はある」という
毒にも薬にもならない結論を掲げて筆をおいているのである。
これは結果的に、他方では欧州、米国の人種差別社会、反イスラムに基づく軍事干渉を、
もう他方ではサウジやヨルダンの独裁王朝、テロ支援を隠匿してしまっている。
そのため、婉曲的には両国の政策の実態を見えづらくし、
間接的に支援するものとなっている。これが問題なのである。
酒井氏の論文を読むと、まるで対岸の家事をぼぉっと眺めているような印象を受ける。
いま、私たちに必要なのは、イスラモフォビアの被害者の側から意見を発することだろう。
・追記
酒井氏のような「どっちもどっち」と遠巻きに見ることで、
現実に起きている迫害行為を傍観するようなスタイルを岩波が採用したこと。
このことこそ、非常に重大な事実だ。
つまり、左翼はすでに左翼として機能していない。
一見、反権力的な言説に見えて、実は与えられた言説を唱えているにすぎないのだ。
フランクフルト学派の哲学者、テオドール・アドルノは次にように述べている。
「発表されるものには、何であれ徹底的に検印が押されていて、
結局のところ、あらかじめ決められた隠語の徴しを帯びていないもの、
一見してOKが出るようなもの以外には、何一つ生まれることができない。
しょせん花形役者とは、初代であれ、二代目以下であれ、
決められた隠語をペラペラ、うきうきとしゃべることのできる者なのである。
まるで決められた隠語(ジャルゴン)こそ真の言語であるかのように。
だが、真の言語は、とうの昔に
ジャルゴンによって口を封じられてしまったものなのである。」
『世界』をはじめとする有名左派メディアの状況をみると、
まさにこのアドルノの指摘通りにあるのではないかと思われてならない。
2015年7月30日追記
別の媒体で酒井氏はサウジのテロ支援を認めているらしいのだが、
調べてみたところ、シャルリエブド事件以前に発せられた言葉であり、
素直に考えれば、世界に投稿する段階では認識が改まったということになる。
あるいは『世界』編集部から何かしら注文が来たのだろうか?
その辺の事情は知らないが、いずれにせよ、『世界』の評論においては
サウジのテロ支援は「そういう疑惑もある」という評価で済まされている。