日々の生活が忙しく、うさぎ島の二日目がこんなに遅れてしましました。
11月にはいっても、連日20℃前後の小春日和が続いていましたが、明日の雨で気温がぐっと下がるようです。
うさぎ島へ行った時は、前日まで30℃ぐらいの夏の暑さが続いていましたが、夜の雨で二日目は約10℃ほど下がりました。雨が残るかもしれないと言われていましたが、朝から青空が広がっていました。でも10℃も下がると、風も強くさすがに寒かったです。前には奇麗な海がすぐ広がっています。
大久野島国民休暇村の朝食もバイキング形式でした。
朝のうさぎさん達は、木の下で夜の雨をしのいでいたのかな?多くが木の下にいました。
ラビット・フードをあげてしまわなくては。
お水もあちこちに置いてありました。
旅館の窓から庭を見ると、穴がたくさん見えて何かな~と思っていたら、やはりこれもウサギの仕業のようです。
ウサギが穴を掘って、そこでゴロゴロして気持ちよさそうにしてる所を目撃しました。
可愛いウサギさん達に別れを告げ、午前中に広島市に向かうことにしました。
原爆ドームをまだこの目で見たことがなかったので、島の毒ガス資料館は行きませんでした。
帰りは広島市に近い「忠海港」へ向かうフェリーに乗りました。
忠海港にはなんか心惹かれるウサギの店みたいなものがありましたが、ここもスルーしました。
スマホ先生のグーグルナビのおかげで、初めての土地でもちゃんと到着します。
世界遺産の「原爆ドーム」ですが、私の中学・高校時代の修学旅行先は、山陰は飛ばして九州でしたので、この年になるまで、原爆ドームを見たことが無かったのです。
周りをぐるっと一周して、よくあの凄まじい爆風から、これだけ建物が残っているな~。よほど丈夫に造られていたんですね。
慰霊碑に手を合わせました。
T字型であったため、原爆投下の標的にされた「相生橋」。
童話や童謡を収めた「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉と子供達の像。
帰りが遅くなってはいけないので、原爆資料館はパスして、ドーム前のレストランで昼食。
もみじ饅頭パフェ。
和の雰囲気が漂う洋食屋さん。折鶴館というお土産屋さんの所にあり、上は展望台らしいです。
外国人観光客を意識しての建物になっていますが、もちろん今はほとんど見かけません。
大久野島も原爆ドームも戦争が残した負の遺産ですが、平和な時代に生まれて良かったとつくづく思いました。
両親は戦争中は小学校の低学年でしたから、父は疎開した先でみんなで遊んでいたら、アメリカの飛行機に威嚇射撃されたとか、母は大阪の空襲で疎開先へ逃げる時に、天王寺駅でたくさんの死体が並べられているのを見たなどの記憶があるそうです。
広島駅近にあった、大きな銀杏の木。今頃は黄色くなってるか、もう葉っぱは落ちてるかもしれません。
途中のパーキング、岡山の吉備で買った「きびだんご」。マスカットきびだんごなど、変わりきびだんごも美味しい。
大久野島の「ぴょんぴょんうさぎくっきー」。
11月にはいっても、連日20℃前後の小春日和が続いていましたが、明日の雨で気温がぐっと下がるようです。
うさぎ島へ行った時は、前日まで30℃ぐらいの夏の暑さが続いていましたが、夜の雨で二日目は約10℃ほど下がりました。雨が残るかもしれないと言われていましたが、朝から青空が広がっていました。でも10℃も下がると、風も強くさすがに寒かったです。前には奇麗な海がすぐ広がっています。
大久野島国民休暇村の朝食もバイキング形式でした。
朝のうさぎさん達は、木の下で夜の雨をしのいでいたのかな?多くが木の下にいました。
ラビット・フードをあげてしまわなくては。
お水もあちこちに置いてありました。
旅館の窓から庭を見ると、穴がたくさん見えて何かな~と思っていたら、やはりこれもウサギの仕業のようです。
ウサギが穴を掘って、そこでゴロゴロして気持ちよさそうにしてる所を目撃しました。
可愛いウサギさん達に別れを告げ、午前中に広島市に向かうことにしました。
原爆ドームをまだこの目で見たことがなかったので、島の毒ガス資料館は行きませんでした。
帰りは広島市に近い「忠海港」へ向かうフェリーに乗りました。
忠海港にはなんか心惹かれるウサギの店みたいなものがありましたが、ここもスルーしました。
スマホ先生のグーグルナビのおかげで、初めての土地でもちゃんと到着します。
世界遺産の「原爆ドーム」ですが、私の中学・高校時代の修学旅行先は、山陰は飛ばして九州でしたので、この年になるまで、原爆ドームを見たことが無かったのです。
周りをぐるっと一周して、よくあの凄まじい爆風から、これだけ建物が残っているな~。よほど丈夫に造られていたんですね。
慰霊碑に手を合わせました。
T字型であったため、原爆投下の標的にされた「相生橋」。
童話や童謡を収めた「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉と子供達の像。
帰りが遅くなってはいけないので、原爆資料館はパスして、ドーム前のレストランで昼食。
もみじ饅頭パフェ。
和の雰囲気が漂う洋食屋さん。折鶴館というお土産屋さんの所にあり、上は展望台らしいです。
外国人観光客を意識しての建物になっていますが、もちろん今はほとんど見かけません。
大久野島も原爆ドームも戦争が残した負の遺産ですが、平和な時代に生まれて良かったとつくづく思いました。
両親は戦争中は小学校の低学年でしたから、父は疎開した先でみんなで遊んでいたら、アメリカの飛行機に威嚇射撃されたとか、母は大阪の空襲で疎開先へ逃げる時に、天王寺駅でたくさんの死体が並べられているのを見たなどの記憶があるそうです。
広島駅近にあった、大きな銀杏の木。今頃は黄色くなってるか、もう葉っぱは落ちてるかもしれません。
途中のパーキング、岡山の吉備で買った「きびだんご」。マスカットきびだんごなど、変わりきびだんごも美味しい。
大久野島の「ぴょんぴょんうさぎくっきー」。