令和元年の大晦日、島岡美延です。
今年1年間、ではなく、1917年からの102年間を振り返らせてください。
昨夜、大正6年9月15日生まれ、母方の祖母が亡くなりました。
今年も9月に北海道へ行った時のこと。
「私に何かあっても、急いで来なくていいからね。この元気なばあちゃんの姿を覚えててくれたらいいから。」と、明るく言うのでした。
初めて撮った、祖母の動画。
インタビューや歌う姿、廊下を歩く後ろ姿、玄関まで見送ってくれた姿…。
写真をミニアルバムにして送ったら、いつものように便箋3枚びっしり。9月18日午後2時40分、時刻まで書いてあるのが祖母の手紙。
結婚式で初めて相手の顔を見たのが20歳。
30歳で夫が病気で急死。
そこから働きに働いた半世紀。“おふくろの味”の小料理屋をしていた頃、テレビに出たことも。
今年11月に入院するまで大きな病気もなく、お洒落にも気を配っていた祖母。
5人の子と配偶者、私を筆頭に孫8人、ひ孫たち…、皆で102歳の祖母を見送ることが出来て、我が家系ながら見事。
今年1年間、ではなく、1917年からの102年間を振り返らせてください。
昨夜、大正6年9月15日生まれ、母方の祖母が亡くなりました。
今年も9月に北海道へ行った時のこと。
「私に何かあっても、急いで来なくていいからね。この元気なばあちゃんの姿を覚えててくれたらいいから。」と、明るく言うのでした。
初めて撮った、祖母の動画。
インタビューや歌う姿、廊下を歩く後ろ姿、玄関まで見送ってくれた姿…。
写真をミニアルバムにして送ったら、いつものように便箋3枚びっしり。9月18日午後2時40分、時刻まで書いてあるのが祖母の手紙。
結婚式で初めて相手の顔を見たのが20歳。
30歳で夫が病気で急死。
そこから働きに働いた半世紀。“おふくろの味”の小料理屋をしていた頃、テレビに出たことも。
今年11月に入院するまで大きな病気もなく、お洒落にも気を配っていた祖母。
5人の子と配偶者、私を筆頭に孫8人、ひ孫たち…、皆で102歳の祖母を見送ることが出来て、我が家系ながら見事。
決してハッピーとは申しませんが、お婆様のなんて素晴らしい人生の締めくくりにあえて賛辞を申し上げます。
以前、ある人に教えてもらった言葉ですが、「あなたが産まれて来るとき、あなたは泣いて、周りはニコニコしていたはずです。ですから、あなたは亡くなるとき、あなたがニコニコして、周りが泣くような人生を送りなさい」と。
詳細知らずに勝手な推理ですが、そんな言葉を思い出してしまいました。小生もいずれそんな日には、かくありたいと思うばかりです。
島岡さんには、今年もたくさんのヒントや示唆に富むお話をお聞きし、小生も勉強になりました。来年も引き続きよろしくお願い申し上げます。
どうか良いお年を。
祖母のもとには、お正月になると、毎年、北海道各地から子・孫・ひ孫が集まり、その料理をすべて一人で作っていたよう。
横浜の実家で、電話でその“嬉しい武勇伝”を聞くのが、私のお正月でした。
今年も祖母に会いに集まってくることでしょう。
桂さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
年明け最初ではありましたが、ラジオで祖母の話をすることができました。
「女優、轟夕起子のことを知っていた」エピソードも。
結果的に、元日に北海道にいる親族を一堂に集めたわけで、まるでかつての祖母の家のお正月のよう。
本当に自慢の祖母でした。
山口さんのおばあさまもどうぞ大切になさってくださいね。