読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

生賴範義さん、本当にありがとうございました。

2015-11-02 20:13:00 | 宮崎のお噂
先週、10月28日の朝のことでした。地元紙である宮崎日日新聞の第1面を目にして、愕然といたしました。



日本国内はもとより、海外からも高い評価と注目を集めていた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さんがお亡くなりになった、というのです。享年79歳。前日の27日に肺炎のためお亡くなりになったとのことでした。
数多くの映画ポスターや書籍の表紙イラストなどを手がけてこられた生賴さん。細部までゆるがせにしない緻密な技法で描かれる、イマジネーションを刺激してやまない作品に、わたくしも長らく魅了されてきました。
昨年、そして今年には、これまでの生賴さんの画業を振り返る大々的な展覧会が宮崎市で開催され、あらためてその業績が多くの人たちの目に触れることになりました。わたくしもじっくり鑑賞し、それぞれについての紹介と感想を拙ブログに綴らせていただきました。
「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」を観に行く
みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る

SF好きの端くれとして、そして宮崎市という九州の一地方から、日本のみならず世界に向けて素晴らしい作品を発信し続けた生賴さんを、宮崎に住む人間の一人としても敬愛してやまなかったわたくし。訃報を知ってから数日は、仕事が終わったあとは喪失感から何もする気になれませんでした。2回にわたる「生賴範義展」のときに購入しておいた図録(いずれも宮崎文化本舗・刊)を酒を飲みながらめくり、その偉業を偲び続けていました。



生賴さんの名前が日本に、そして世界に知れ渡るきっかけとなったのが、映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(エピソード5、1980年)のポスターアートでした。シリーズ第1作となった『スター・ウォーズ 新たなる希望』(エピソード4、1977年)が日本で公開されたとき、徳間書店の出版物のために描かれた映画の口絵イラストを目にした監督・プロデューサーのジョージ・ルーカスが、自ら直々に生賴さんに依頼したのが『帝国の逆襲』のポスターでした。緻密で的確な描写力により、作品の世界観を1枚に凝縮させたような生賴さんの作品は、一般のファンはもちろんのこと、もととなる映画を生み出したクリエイターをも深く魅了したのです。
『スター・ウォーズ』シリーズをはじめとして、生賴さんはたくさんの邦画・洋画の宣伝ポスターやイメージイラストを手がけてこられましたが、特撮映画好きとしては1984年の『ゴジラ』を皮切りに手がけてきた、平成ゴジラシリーズ10作品のポスターアートに魅了されました。
とりわけ、新宿の高層ビル群を見下ろしながら咆哮するゴジラを描いた、1984年版『ゴジラ』のポスターアートは、当時中学生だったわたくしを虜にした傑作でした。昨年開催された最初の「生賴範義展」でこのポスターの原画を見たとき、あたらめて震えがくるような感銘が湧き上がったものでした。
(以下の画像は、生賴範義展の図録から引用させていただきました)



これまで多くの優れたイラストレーターがゴジラを描いてきていますが、わたくしは今でも、生賴さんが描いた荒々しい魅力に溢れたゴジラが一番カッコいいと思っていますし、これからもわたくしの中でゴジラのイメージとして生き続けていくことでしょう。

生賴さんは書籍・雑誌のイラストも数多く手がけてこられました。特に有名なのが、小松左京さんや平井和正さんといった、日本を代表するSF作家の著書の表紙イラストです。小松さんは自らの著書を飾った芸術性豊かな生賴さんのイラストを見て、はじめはそれが日本人画家の手になるものだとは思えなかったとか。平井さんも、代表作である『ウルフガイ』シリーズの装画に描かれた主人公・犬神明のイメージがことのほかお気に入りだったといいます。
書籍や雑誌のイラストでは、作品の世界観を凝縮した緻密な画風のほかにも、作品に合わせて多彩な作風でイラストを描いておられたことを、2回にわかる展覧会で知ることができました。
生賴さんが描いてきた書籍や雑誌、出版広告のイラストは、間違いなく日本の出版文化を支え、高めてきたと思います。そのことにも本好きの端くれとして、そして書店で働く人間の一人として、深い敬意を抱いております。

今年開催された2回目の生賴展で、深く心に刻まれたのが、日中戦争やベトナム戦争などの戦場写真をモティーフにしたオリジナル作品数点でした。幼い頃に空襲を体験した生賴さんの、人間を破壊する戦争に対する強い思いがストレートに伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年という節目の年に、それらの作品に接することができたことは実に意義深いことだったと、あらためて思います。

質量ともに圧倒される生賴さんの作品群を振り返って驚かされるのは、主要な作品の多くが、1973年に宮崎市へ居を移してから生み出されたものだということです。『スター・ウォーズ』シリーズやゴジラシリーズのポスターアートも、すべて宮崎のアトリエから生み出されました。
正直に申し上げて、九州の一地方たるわが宮崎は文化的な面において、大都市圏に比べるとあまりに貧弱だと言わざるを得ないところがあります。しかし、そんな地方からであっても、人を得ることで質の高い発信をすることは可能であるということを、生賴さんは教えてくださったように思います。そのことにも、宮崎に住むものの端くれとして、深い敬意と感謝の念を覚えております。

こうしてあらためて振り返ってみても、生賴さんが遺したものの大きさ、素晴らしさが、より一層輝きを増して迫ってくるのを感じます。
いま一度、生賴さんが絵筆を取ることができる日を心待ちにしていただけに、ご逝去はまことに残念ですし、喪失感も大きいものがあります。
ですが、生賴さんが生み出した作品の数々は、これからも永遠に色褪せることなく、多くの人びとに伝説として語り継がれていくことでしょう。

生賴さん、お疲れさまでした。そして、本当に、本当にありがとうございました!

みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る

2015-07-19 21:57:57 | 宮崎のお噂
『スター・ウォーズ』やゴジラシリーズなどの映画ポスターアートや、小松左京さんや平井和正さんなどの著作のイラストを数多く手がけてこられた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さん。迫力ある描写力と緻密な筆致により描かれたその作品群は、国内はもとより海外からも高く評価されています。
昨年2月に開催されて大きな反響を呼んだ、生賴さん初の大規模展「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」は、わたくしも2回にわたって観覧し、その作品世界には大いに気持ちを鷲掴みにされました(そのときに綴った拙ブログ記事はこちらです)。
あれから1年数ヶ月。2回目となる大規模展「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」が、今月(7月)の9日から、前回と同じく宮崎市のみやざきアートセンターを会場にして開催されております。昨日(18日)、わたくしも観覧してまいりました。
各時代における代表的な仕事をピックアップした前回から趣向を変え、今回は1966年から1984年までの仕事に焦点を当てたものとなっています。まさに、生賴さんがイラストレーターとしての地位を確立し、声価を高めていった時期の作品群といえるでしょう。

最初に展示されていたのが、発表を前提とせずに描かれたオリジナルの作品群でした。その中でも特に目を引いたのが、母校である鹿児島県立川内高等学校に寄贈した「我々の所産」。前回の展覧会で展示されていた横長の超大作「サンサーラ」の構図を再構成したこの作品もまた、幅3メートルに及ぶ大作です。人類と文明の過去、現在、未来を見据えたイラストを描き続けてこられた、生賴さんの真骨頂ともいえる入魂の作でした。
その一方で、アトリエのある宮崎市の自宅裏の風景を描いた作品や、近所に住む老人の肖像画といった、生賴さんとしては珍しい題材もいくつかありました。展示されている作品ではいちばん古い、1960年作の「少女像」はかなり傷んでいたということですが、修復を経てきれいに甦っておりました。

今回の展示では映画の仕事は少なめでしたが、その目玉といえるのが『マッドマックス2』(1981年)のパンフレットに折り込みで収録されていた(当初はポスター用として描かれたそうですが)イラストであります。現在公開中の最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に至るシリーズの世界観を決定づけ、その後の近未来SFにも大きな影響を与えた傑作です。
(以下の写真は撮影OKの場所で撮ったものです)


メル・ギブソン演じる主人公マックスをはじめとする登場人物や、カーアクション場面を組み合わせ、作品の魅力を凝縮させたイラストですが、マックスを描くときにモデルとしたのは、革ジャンを着せたご子息(現在、やはり画家として活躍されているオーライタローさん)だったとか。

続いての展示は、小松左京さんや平井和正さんの著作をはじめとする、数多くの書籍や雑誌のために描かれた作品群でした。小松さんと、今年1月に逝去された平井さんから絶大なる信頼を得ていたという生賴さん。このお二人のために描かれた作品だけでもかなりの点数があるのだとか。
シリアスなものとコミカルなものが混在する平井さんの『ウルフガイ』シリーズでは、その両極端の作風に合わせてしっかりとイラストを描き分けておられました。また小松さんの著作の表紙イラストは、書籍の装幀イラストの枠を超えるような高い芸術性が目を惹きました(とりわけ、下のチラシにも使われている『ゴルディアスの結び目』のイラストは素晴らしいものがあります)。


さらには、SFはもちろん冒険小説、ミステリ、歴史もの、戦記、ノンフィクションなどの書籍のイラスト。手がけたジャンルの幅広さにも驚かされたのですが、アクリル絵具「リキテックス」で緻密に描く普段の作風にとどまらない、表現技法の多彩さも見どころでした。中には、まるで浮世絵のような画風で描かれた時代小説のイラストもあってビックリいたしました。
1960年代終盤から70年代の初めにかけて『週刊少年マガジン』とその姉妹誌のために描かれた、メカの図解や恐竜などのイラストも見事なものでした。かつては少年向け週刊漫画雑誌の記事にも、これだけ手間をかけた高品位のイラストが使われていたのかー、と感慨しきりでありました。また、言われなければ写真としか思えない、『月刊パーゴルフ』(現在は週刊)の表紙を飾った尾崎将司さんの肖像イラストにはひたすら驚嘆のため息が。
ちょっと変わったところでは、『週刊サンケイ』臨時増刊号に掲載された、よど号ハイジャック事件を絵解きした作品。ハイジャックされた機内のようすを想像のみで描いたイラストはいささか誇張気味ではありましたが、ついつい引き込まれるような迫力に満ちておりました。こういうお仕事もされていたんだなあ。
圧倒的な質量で迫ってきた、書籍や雑誌の表紙や本文挿画、そして出版広告のために描かれたイラストの数々。それらの作品から、生賴さんが出版文化に果たされてきた功績の大きさをひしひしと感じることができ、感無量でした。

ひときわ異彩を放っていたのが、日中戦争やベトナム戦争などの報道写真をモティーフにしたオリジナル作品4点でした。
(以下の写真もチラシから撮りました)


生賴さんならではの異世界を背景にして描かれているのは、折り重なるように倒れている多くの人々の亡骸や、骸骨と化した兵士たち、墜落したヘリコプターの残骸といった、現実に起こった戦争や紛争の報道写真をもとにした無残な光景。
それらの作品からは、生まれ育った兵庫県明石市と、疎開先であった鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で二度の空襲に遭ったという生賴さんの、戦争への強い怒りがじんじん伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年を迎える今年ですが、各地で戦争やきな臭い動きはいまだ絶えることがありません。そんな中で、これら4作品が多くの人に鑑賞されることを願うばかりであります。

最後の展示スペースは、かつて徳間書店から刊行されていたSF雑誌『SFアドベンチャー』の表紙を飾ってきた、91人の美姫(びき)たちのイラストでありました。
(この展示スペースのみ撮影OKでした)


歴史上の、あるいは神話や伝説に登場した女性たちと、SF的なモティーフを組み合わせた作品群には、それぞれの人物に沿った趣向も凝らされていたりして楽しめました(とはいえ不勉強なもんで、まったく知らない人物も少なくなかったのがクヤシイところでしたが・・・)。生賴さんはこれらの美姫たちを描く資料として、女性が身につけるアクセサリーやハイヒール、ドレスなどの実物を多数買い揃えておられたとか(別の展示スペースでは、それらアクセサリーやハイヒールの一部も展示されておりました)。
また、1960年代末に学習研究社から出版された、家庭用医学シリーズのイラスト制作の資料として描かれた細胞組織の図解も展示されていました。それらは海外の医学書を忠実にカラーで描き写したもので、英語と日本語の書き込みもびっしり。
細部まで揺るがせにしない生賴さんの画業は、並外れた探究心に支えられていたということを再認識いたしました。

生賴さんの画業の前半を振り返った、今回の展覧会。やはり大いに圧倒され、堪能いたしました。SF的な世界観や、戦艦などのメカニックを緻密に表現することにとどまらない、生賴さんの幅広く旺盛な仕事を知ることができたことも収穫でした。
展覧会は来月(8月)の30日まで開催されます。今回もまたもう一回、足を運んで再鑑賞したいと思っております。・・・その時には、昨日買えなかった図録も買っておかなければ。
来年12月には、1985年以降の仕事を振り返る第3回目の展覧会が予定されているとか。そちらのほうにも、早々と期待をかけているわたくしであります。

なにげない街の風景や人びとの写真で記録する「24時間の宮崎」。 ~「写真の日」のイベントに参加して~

2015-06-03 22:46:06 | 宮崎のお噂
日本写真家協会によって「写真の日」に制定されている、一昨日の6月1日。Facebookを通じて、わが宮崎の人たちに向けて一つのイベントの呼びかけがなされました。

「6月1日の0時より、翌0時までの24時間、宮崎の記憶を写真で記録として未来に残そう」

呼びかけを行ったのは、宮崎で活躍されているプロのカメラマンの方々でした。ことさら難しく考えず、身の回りのことを記録した写真を撮影場所と時間、そしてコメントとともに特設のFacebookページへどんどん投稿してほしい、というのです。
わたくしのもとにも、やはりカメラマンをやっている高校時代の友人から、このイベントへのお誘いがございました。カメラマンでもなんでもない単なる平民であるわたくしではありますが、なかなか魅力的で面白そうな企画だと思い、及ばずながら参加させていただくことにいたしました。
最初に開設されたページでは投稿がうまく表示されない、とのことで、急遽新たなグループを設けるという展開となり、結果的に人びとからの投稿は2つのページに収まることとなりました。
(関心のある向きは、「2015年6月1日 24時間の宮崎。写真の日イベント」のFacebookページおよび、その後に開設された「2015年 写真の日イベントのグループ!」を検索の上、覗いてみてくださいませ)
わたくしも、2つのページを合わせて7枚のつたない写真を、コメントとともに投稿させていただきました。以下に、そのすべてを再録しておきます。




7時10分。ちょっと蒸し暑い朝の、大塚町の風景。
たとえば、今から10年後、20年後。この朝な夕なに見慣れた風景はどのように変わっていることでしょうか。あるいは、それほど変わらないでいるのでしょうか。





8時15分、宮崎市の糸原にて。このマークがついているってことは•••高齢者専用ガードレールということなのか(笑)。




11時55分。晴れた空の下で、大淀川河川敷はきょうも、穏やかな眺めが広がっております。•••けっこう蒸し暑くなってますけども。




13:30 宮崎市役所の近くを流れる川沿いに咲く紫陽花。だいぶ、いい色合いになってまいりました。
明日からの宮崎の週間予報は雨マークがズラリ。どうやら、梅雨入りまで秒読み段階、のようですね。





19:00 天神山公園から見た、夕暮れ時の宮崎市内。
なんか、こういう場所でこういう光景を眺めてると、なんとはなしに郷愁を感じたりするんだよなあ。





20:00 自宅にて。
最近のウチ飲み晩酌によく登場する取り合わせ。爽快感ある味と香りが、蒸し暑い時期にピッタリな「日向木挽BLUE」と、約15種類のスパイスを使った味付けがお酒をぐいぐい進ませてくれる「みやざき てげなポテトチップス」。
今夜もサケがうまいぞ~!





21:35 自宅にて。
このイベントの原型となった、1990年刊の『264時間の宮崎』の写真集を読み返しております。
パフォーマンス的な写真もいくつかはあるものの、ほとんどは何気ない街の風景や、ごく普通の人びとの姿を撮影したもの。ですが、それらの中には、今では見られなくなった光景や建物も写り込んでいたりして、なかなか貴重な記録にもなっているんですよね。
今回のこのイベントに集まった写真の数々にも、街の様子や人びとの姿が、それぞれの形で写し出されていて、見ているとすごく楽しいですし、ありのままの宮崎を捉えたいい記録にもなっているように思うのです。
楽しい企画に参加させていただくことができて、とても嬉しく思います。
この企画が、これからもずっと続いていけばいいなあ。




そう。このイベントには、原型となった試みがありました。宮崎県写真家協会が企画し、1990年から2000年までの11年間、6月1日の24時間を記録して後世に残そうと呼びかけた「264時間の宮崎」。この時もプロの写真家はもちろん、一般の方々からもさまざまな写真が寄せられました。
わたくしの手元には、その初年である1990年の6月1日を記録した写真をまとめた写真集が残っております。

撮影場所と時刻のみが記され、アトランダムに配列された数多くの写真。中にはパフォーマンス的な趣向を凝らしたものもありますが、ほとんどはなにげない街の風景や人びとの姿を、ありのままに撮影したものです。
25年の歳月を経て、あらためてこの写真集を繙いていると、今では見られなくなった風景や建物を捉えた写真や、当時の人びとの生活感を切り取った写真をそこかしこに見ることができて、まことに興趣深いものを覚えました。
特別な存在でもない、ありふれていてなにげない風景や人びとを捉えた写真が、実は後世から見れば貴重な記録ともなり得るのだ、ということを、25年前の「264時間の宮崎」の写真群は教えてくれました。

翻って、今回の「写真の日イベント」。ここに集まった多くの写真も、なにげない街や自然の風景、身の回りの人たちをありのままに写し取ったものが大半でしたが、それぞれの写真から、2015年6月1日現在の宮崎と、そこに生きる人たちの息吹きがいきいきと感じられて、こちらもまた興趣の尽きないものがありました。さらに、それらの写真に添えられた皆さんのコメントからも、それぞれの方々の生活感や思いが滲んでいて、目を通しながら幾度も顔がほころんでくるような思いがいたしました。
プロのカメラマンはもちろん、さまざまな属性を持った方々がたくさん参加したことで、視点も多様でバラエティに富んだものとなり、拡がりをもった形で「宮崎の現在」を知ることができたように思います。
Facebookにおける「友だち」でもなければ、とりたてて接点がある方々でもないけれど、「宮崎の1日を写真で残そう」という思いのもとに集まった、たくさんの方々による多様な視点や思いに触れることができた、ということは、このイベントに参加することで得られた収穫でした。
ヘタをすれば単なる「リア充自慢」や、「おかしなデマばなしの拡散ツール」に傾きがちなFacebookではありますが(まあ、他のSNSもそうなのかもしれませんが)、こういう使い方をすれば大いに「活きてくる」のかもしれないな、という思いも持ったりいたしました。

フィルム撮影が主体であった、かつての「264時間の宮崎」の頃からすると、写真を撮る手段も変化してきております。デジタルカメラの普及はもとより、ケータイやスマートフォン、タブレットといったツールの進歩によって、誰もが気軽に写真を楽しむことができるようになりました(実のところ、今回わたくしが投稿した写真も、すべてiPadで撮影したものです)。
撮影するツールの変化によって多様化した視点と個性で記録された、一つの地域とそこに生きる人たちの息吹きを捉えた写真をまとめ、後世に伝えていくことはとても面白く、かつ意義深いものがあるように思います。
この「写真の日イベント」、来年以降も続けていくのだとか。また、2015年6月1日の写真記録は、こちらのホームページにまとめられるとのことで、楽しみであります。
このイベントが多くの宮崎の方々に知られていくことで、さらに多様な視点による「宮崎のいま」を記録した写真が集成され、後世に向けての貴重な財産となっていくことを、願ってやみません。

今年も「やっぱり、まつりっていいなあ」と思えた生目神社の大祭。

2015-03-08 20:55:56 | 宮崎のお噂
宮崎市の郊外にある目の神さま、生目神社で毎年開催されている大祭。今年は、昨日(3月7日)から明日(9日)の3日間にわたっての開催となりました。
生目神社へは歩いていけるくらいの場所に住んでいることもあって、ほぼ毎年のように散歩がてら出かけているわたくし(当ブログでも、おととし出かけた時の模様をこちらの記事に綴っております)。今回もまた、のんびりぶらぶらと歩きつつ出かけてまいりました。

初日の昨日は、ほぼ一日中小雨がパラついていた上に肌寒いというあいにくの天候でありましたが、きょう(8日)は嬉しいことに、朝からすっきりした晴れの天気。
神社へ向かう道の途中で見かけた、水の張られた田んぼの風景も、ポカポカした陽射しの下でなんだか春めいた感じに見えましたねえ。

神社に着くと、天気に恵まれていることもあってかけっこうな人で賑わっておりました。おお、いいぞいいぞ。

参道沿いに立ち並んだ露店の数々に目移りしつつ、まずは参拝を。社殿の前にも大勢の行列ができておりましたが、前に並んでいた参拝客がみな、手早く参拝を済ませていたこともあって、思いのほか早く、参拝の順番が回ってまいりました。ささやかでもいいので、これからの人生が楽しいものとなりますように•••とお願い申し上げたあと、わたくしも手早く社殿を後にいたしました。
社殿の横にあった絵馬を覗いてみました。合格祈願をはじめ、目の神さまということで眼病治癒や視力回復の願いが目立ったのですが、中にはこんな願いもございました。

「物事が良く見えますように」かあ。なるほど、これはいいお願いだなあ。下に描かれたイラストも、なんかいい感じでしたねえ。
久しぶりにおみくじを引いてみることにいたしました。開いてみると「吉」。

ははは、ささやかでも楽しい人生を•••とお願い申し上げたばかりのわたくしにとっては、実にいい辻占ではございませんか。なんだかありがたそうな「銭亀」とともに、お財布の中にしまっておくことにいたしましょう。

生目神社で伝承されているお神楽が披露されるまで少し時間があったので、それまで露店めぐりを楽しむことにいたしました。


焼きイカ、たこ焼き、焼きそば、綿アメ、金魚すくい•••などなど、お祭りではおなじみのモノを売るお店が並んでおりましたが、中にはこんな物件もございました。

わはは、「妖怪かすてら」ですか。いま、子どもたちに大人気だからなあ、『妖怪ウォッチ』が。
わたくし、今回はしっかり、買い食いを楽しむつもりでやってまいりました。•••なんせ、そのために直前の昼メシも控えめにしておいたくらいでございまして。いろいろあって迷いましたが、まずはクレープを頂きました。

次に目が行ったのが、フルーツ飴。コレも、お祭りにはつきものの一品でありますね。リンゴ飴やサクランボ飴もありましたが、わたくしはイチゴ飴をチョイスいたしました。大粒のイチゴをくるんだ飴の赤さが、お祭り気分を盛り上げてくれましたねえ。

宮崎県産品を売っているお店もございました。

ピーマンやミニトマトなどなど、安心かつ安全、そして美味しい県産品が並べられておりましたが、わたくしは完熟きんかん「たまたま」を買いました。こちらはお土産であります。


再び、社殿横の神楽殿に行くと、すでにお神楽が始まっておりました。鬼の面をつけた子どもたちによる「鬼人舞」であります。

小学校4年生と2年生の3人の子どもたち(うち2人は兄弟なんだとか)によって舞われた「鬼人舞」には愛嬌もございましたが、30分近い時間にわたってしっかり、堂々と演じられた3人の舞いはまことにお見事でありました。舞い終えた3人には、観客からの惜しみない拍手が。いやあ、いい光景でしたね。
続く演目「神武」も、リズミカルな舞いの間に演者2人のユーモラスな掛け合いがあったりして、楽しく拝見させていただきました。

宮崎市の無形民俗文化財にも指定されている、この「生目神社神楽」。古くからの伝承芸能が、大人はもちろん子どもたちにもしっかりと受け継がれていて、それを自分が住んでいるところの近くにある神社で見ることができるということは、とても大事なことなのではないか•••。お神楽を見ながらふと、そんなことを思いました。
そういった地域の伝承文化に触れる機会を、楽しみの中で与えてくれるお祭りって、やっぱりいいもんだなあ•••。そんなことも思いつつ、また歩いて自宅へと帰ったのでありました。

帰りぎわにもう一つ、お土産を買いました。目玉焼きが乗っかったソース焼きそば、であります。露店の焼きそばもついつい、食べたくなる一品なんですよねえ。
そして、それをお供にしながら飲んだのが、福島県産の桃を使用してつくったキリンの「氷結 福島産 桃」でありました。

フルーティな香りと豊かな甘さが心地良い「氷結 福島産 桃」も、春の訪れを舌で感じさせてくれました。

トークイベントでの本の販売で目にした、サービス精神溢れる吉田類さんのお人柄

2014-10-26 20:16:19 | 宮崎のお噂
地元宮崎のTBS系民放局、MRT宮崎放送の開局60年記念事業のひとつであるトークイベント「鼎談!ふるさと考」が、きょうの午後に宮崎市内にて開催されました。その会場で行われた本の販売に、わたくしと同僚一人が行ってまいりました。

なんといっても、招かれた方々の顔ぶれが素晴らしかったのですよ。
まずはBS-TBSで放送中の『吉田類の酒場放浪記』などで、酒好き酒場好きから熱い支持を得る「酒場詩人」であり、俳人でもある吉田類さん。
歌集『サラダ記念日』で一世を風靡し、現在も旺盛な作歌および執筆活動を続けておられる歌人、俵万智さん。俵さんは、石垣島での暮らしなどを折々に綴った最新エッセイ集『旅の人、島の人』(発行=ハモニカブックス、発売=河出書房新社)をお出しになったばかりです。
そして地元宮崎の代表として、やはり歌人にして若山牧水の研究家でもあり、はたまた俳優の堺雅人さんが、宮崎南高校時代だった頃からの恩師でもある伊藤一彦さん。ちなみに伊藤さんは堺さんと牧水について語り合った共著『ぼく、牧水!』(角川oneテーマ21)もお出しになっています(この本は、今回の販売には入っていませんでしたが)。

実は、普段の日曜日は仕事はお休みではあるのですが、これだけの方々(特に、酒飲みの端くれとして尊敬している類さん)が来られるイベントでの販売であれば、そりゃ休日であろうと喜んで引き受けるわけでして(笑)。



2時間近くのトークイベントのあと、本の販売および、類さんと俵さんによるサイン会が行われました。
類さん人気はこちら宮崎でもすごいものがあり、昨日25日に刊行されたばかりの新刊『酒場詩人の流儀』(中公新書)は販売開始早々飛ぶように売れ、用意していたぶんはあっという間に完売。俵さんと伊藤さんの著書もおかげさまでよく売れて、実にありがたく嬉しいことでした。
•••ですが、類さんの著書が完売したことで、ついでにわたくしもサイン本を、という目論見は早々に潰えてしまったのでした。
ならばせめてお写真でも撮らせて頂けたら•••と思ったのですが、サイン会が終わったとたん、テレビの撮影に入ってしまい、そのあとは主催者側の方々とのご挨拶が続いたりして、小心者のわたくしは声をかけられずじまい。そして挨拶が終わるやいなや、類さんは呼んでいたタクシーに乗って会場を後にしてしまったのでした。
結局、サイン本はおろか写真を撮らせて頂くことすらできなかったという、かなり残念な結果となってしまいました。嗚呼••••••。
ですが、購入した本にサインして頂こうと立ち並ぶ観客の皆さんからの「ファンです!」「テレビ見てます!」「ぜひ宮崎でもロケを!」などの声かけに、類さんは実に気さくにお答えになっておられました。そして、写真撮影のリクエストに対しても、類さんは一人一人に快く応じていらっしゃいました。(本にサインをもらっていたほぼすべての皆さんが、写真撮影のリクエストもなさっておられたようでした)。
そんなサービス精神溢れる類さんのお姿を、すぐ隣で拝見することができただけでも感無量でしたし、ますます類さんを尊敬しようと思ったことでありました。


•••でもなあ、やっぱりちょっと悔しい気持ちも残るんだけどなあ、ホンネを言えば(涙)。


何はともあれ、お世話になった主催者側の皆さま、そして本をお買い求めになってくださった皆さま、本当にありがとうございました。