読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『文庫本は何冊積んだら倒れるか』 役には立たないけど無性に愉快な、遊び心で本を愉しむための一冊

2020-03-29 23:00:00 | 「本」についての本




『文庫本は何冊積んだら倒れるか ホリイのゆるーく調査』
堀井憲一郎著、本の雑誌社、2019年


森永のチョコボールを1000個以上買って金と銀のエンゼルがいくつずつ出るか調べたり、在京6局のテレビ局のアナウンサーが画面に出ている時間を1週間にわたって調べ上げたり、エロメールによく使われる女性の名前をランキングにしたり・・・。疑問には思っていても誰も本気で調べようとしない(もしくは、そもそも調べようとすら思わない)ようなテーマを取り上げてはとことん調べまくった、『週刊文春』の伝説の連載「ホリイのずんずん調査」で知られるコラムニスト・堀井憲一郎さんが、本にまつわるあれやこれやを調査した一冊であります。
副題どおり、調査の内容はあくまで「ゆるーく」、とりたてて役に立たないものではありますが、それでいて本好きのツボをどこか絶妙にくすぐるようなテーマばかり。堀井さん独特の、これまたゆるーい文体とも相まってやたらに楽しくて、読んでいると1ページに最低2回(多いときには5〜6回)は笑いの発作に襲われました。

書名にもなっている「文庫本は何冊積んだら倒れるか」は、文庫本を出版社別に積み上げていき、倒れる直前の冊数と高さを測るというものです。
岩波うんこ、もとい、岩波文庫を(岩波現代文庫と合わせて)積み上げたら、夏目漱石『坑夫』までは耐えたものの、チョムスキー『統辞構造論』をのっけたら倒れてしまったとか。それで、「漱石とチョムスキーはあまり反りが合わないのかもしれない」と言っちゃったりしていて、思わず爆笑させられました。そりゃこれで「反りが合わない」などと言われた日には、漱石もチョムスキーも立つ瀬がないでしょうけど。
同じ文庫本でありながら、高さに差があるハヤカワ文庫と講談社文庫を並べて、そこに生じる「身長差」の空間に入るスリムな文庫本を調べる、という調査も愉快でした。
文庫本には出版社ごとに微妙な「身長差」があることは知ってはいましたが、そこにスリムな文庫本を「住まわせる」という発想はさすがにありませんでしたねえ。これには思わず脱毛、もとい、脱帽でした。
大きな書店の文庫売り場で、各社の文庫が置いてある棚の幅を歩幅で測る、というのもあります。これによれば、新潮文庫が「17歩」で一番広いスペースを誇っていて、以下講談社文庫、文春文庫および角川文庫と続いて、けっこう多かったのが「5歩」のグループ(集英社文庫や光文社文庫など)だったとか。
まあ、意味がないといってしまえばハイそれまでよ、なのですが(笑)、書店の規模の大小はあっても、どこもおおむね新潮文庫がもっとも多かったりするので、これはちょっと納得でありました。

「小説をめちゃ速読してみる」という項目は、いろんな名作文学の最初の一文と最後の一文だけを読んで小説を味わう、という趣向。たとえば、芥川龍之介の『羅生門』は、
「ある日の暮方の事である。下人の行方は、誰も知らない」
漱石の『坊っちゃん』は、
「親譲りの無鉄砲で、小日向の養源寺にある」
志賀直哉の『城の崎にて』は、
「仙吉は、擱筆することにした」
・・・などといった感じ。まあ、これも他愛ないといっちゃ他愛ないのですが、なんかミョーに楽しかったりいたします。いろいろな名作小説で試してみたら、けっこう面白いかもですな。
名作を音読してみて、読み間違えたところをチェックするという項目も、他愛ないけど面白いお遊びであります。プルーストの『失われた時を求めて』は、集英社文庫版では冒頭からの12行目で詰まり、光文社古典新訳文庫版では23行目でダウン。レイモンド・チャンドラー『かわいい女』の創元推理文庫版(清水俊二訳)では5行目で行き詰まり、ハヤカワ文庫版(村上春樹訳)では11行目で挫折・・・。
確かに堀井さんも書いているように、音読するというのはかなり疲れることではあるでしょうが、名作に親しむという意味ではこれもけっこう、面白い方法かもしれません。・・・人が見ているところでやると怪しまれそうだけど。

そう。本書には、一見敷居の高い名作文学をナナメから楽しむことで、名作が身近に思えるような項目がけっこう多くあったりするのです。ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』の新潮文庫版全5巻を通読して、主人公であるはずのジャンバルジャンがいかに「出てこない」かを検証した項目も、実に面白く読みました。
それによれば、第1巻の冒頭から1549行、89ページになってようやくジャンバルジャンが登場。それ以降も別の人物が主役となったり、ワーテルローの戦いや修道院などに関する作者ユゴーの〝うだつき〟(脱線)などでジャンバルジャンが出てこない章が多くあり、第3巻に至ってはまったくジャンバルジャンが登場しない(!)んだとか。
ううむ、『レ・ミゼラブル』はこれほどまでに、ジャンバルジャンが「出てこない」お話だったとは。わたしが知っている『レ・ミゼラブル』って、ほんとごくごく一部でしかなかったんだなあ、ということを認識した次第であります。

本書には面白おかしい項目ばかりではなく、文庫本を通して時代の流れが窺えるような項目もあったりいたします。
「新潮文庫15年の作家の違いを眺める」は、2000年と2015年の新潮文庫解説目録を比較して、消えていった海外文学の作家や作品をチェックするというもの。それによれば、2000年にはまだ10作品あったアガサ・クリスティの著作が、2015年版ではすべて消えてしまっていたといいます。また。パスカルの『パンセ』やロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』、テネシー・ウイリアムズ『やけたトタン屋根の猫』、さらには最近ハリソン・フォード主演の映画版が公開されたジャック・ロンドンの『野性の呼び声』も消えてしまったのだとか。けっこう、名作が残っていると思っていた新潮文庫ですら、思っていた以上に名作ものが消えてしまっていたとは。
また、「岩波文庫〔緑〕の欠番を調べてみる」では、岩波文庫の〔緑〕帯(現代日本文学)の中で、2016年の次点で品切れとなっている作家を調べています。ここでも、葛西善蔵や山本有三、岡本かの子、室生犀星、野間宏、草野心平、野上弥生子などなどの面々が、品切れの憂き目にあっていることがわかります。岩波文庫の場合はときおり品切れ本でも重版がかかるので、またいつか復活のチャンスもあるかもしれませんが、それでも岩波文庫ですら、意外な大物の面々が品切れになっていることには、ちょっと驚かされました。
新潮文庫版『ボヴァリー夫人』の1965年版と2015年版を比較して、そこで使われている訳語の違いを追った項目も面白いものでした。「羽根つき」が「バトミントン」になっていたり、「柴を折って」が「たきつけ用に小枝を折って」となっていたりしていて、時代が変われば言葉の使い方も変わっていくということがよーくわかります。

本好きにとっては「あるある」と膝を打ちながら、思わず苦笑してしまうような話題もございます。読もうと思って買っておきながらも、読まないままに積んでおいた本には、「未読の悪魔」が取り憑いて「腐って」いくということをテーマにした項目は、積読本を山のように、どころか山脈のごとく抱えているわたしにとっては、よくわかり過ぎるくらいわかるお話でありました。
また、「人は1年に何冊本を読むのか」という項目では、1年間に何冊の本を読んだかを記録していたら、本を読みたいというよりも「読んだ本の記録数を伸ばしたくて読む」という気持ちが出てきたので、記録することをやめた・・・という、若いときの経験を語っています。その上で、こう記します。

「数字を数えだすと、数字のほうが大事になって、本体はどうでもよくなってしまう。つまり読んだ冊数が大事で、読んだ本はどうでもよくなってしまう」

ああ、数字を気にするようになると、そういう本末転倒なことになりうるよなあ・・・。自分自身にも身に覚えのあることなので、これは気をつけなきゃいけないなあ、と思ったことでありました。

ここのところ、どこを向いても新型コロナがらみのニュースばかりで気が滅入る昨今。たいして役には立たないかもしれないけれど、なんだか楽しい本のお話を、ゆるーいジョークやギャグを散りばめた文章で綴った本書は、無性に愉快な気持ちにさせてくれました。
書物に格調高い教養やら、社会に対するスルドイ問題意識やらを求める「正統派」読書人にはあまり向かないかもしれませんが、遊び心とともに本を愉しみたいという方には、大いにオススメしたい一冊です。

『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』 クラシック音楽の手引きとしての『セブン』の偉大さを認識させてくれる一冊

2020-03-22 22:51:00 | 本のお噂


『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』
青山通著、新潮社(新潮文庫)、2020年
(親本は2013年にアルテスパブリッシングより刊行)


1966年に放送された第1作『ウルトラQ』以降、現在に至るまで新作が作られ続け、世代を超えた支持を得ている特撮テレビ番組の雄、ウルトラシリーズ。その中でもとりわけ高い人気を誇るのが、シリーズ第3作目の『ウルトラセブン』(1967〜68年、全49話)です。
ウルトラ警備隊隊員、モロボシ・ダンの名を借りて、地球を狙うさまざまな侵略宇宙人や、彼らが差し向ける怪獣と戦うウルトラセブンの活躍を描きつつ、「異なる種族同士の共生は、はたして可能なのか」というテーマを追求し続けた『ウルトラセブン』。高度なSF性と骨太なメッセージが盛り込まれた、名エピソード続出の同作を締めくくる最終話「史上最大の侵略 後編」は、今も伝説として語られています。
たび重なる侵略者との戦いで満身創痍となり、命の危機にさらされていたウルトラセブン=モロボシ・ダン。最後の戦いを前に、ダンはウルトラ警備隊の同僚で、恋人でもあったアンヌ隊員に自らの正体を明かします。その瞬間、オーケストラとピアノからなる劇的なクラシック音楽が鳴りひびき、二人の姿がシルエットとなります。そして、すがるアンヌを振り切ってダンはセブンに変身し、最後の戦いへと向かいます。苦戦したものの、辛くも勝利することができたセブンは、夜明けの空の彼方にある故郷、M78星雲へと帰っていくのです・・・。
7歳のときにこの最終話を観て衝撃を受けた、音楽関係の著述家・編集者の青山通さんは、クライマックスの場面で鳴りひびいた音楽の正体を突き止めようとします。本書はその過程を振り返りつつ、音楽の側面から『ウルトラセブン』を捉え直すという一冊です。

最終話のクライマックスに流れた、感動的な音楽の正体を突き止めようとした青山さんですが、本放送当時の1968年には現在のようにインターネットもなければ、作品を収録したビデオソフトや、作品を詳細に分析した出版物も存在しませんでした。青山さんは、買ってもらったカセットテープレコーダーで『セブン』の再放送を録音。最終話を繰り返し聴くことで「あの音楽」を深くインプットしていきます。
やがて、ふとしたことがきっかけとなり、「あの音楽」がシューマン作曲のピアノ協奏曲・第1楽章であることを知ります。レコード店でそのLPレコードを親に買ってもらい、期待に胸をふくらませながら聴いてみると、それは同じ曲でありながら、まるで似ても似つかない演奏でした。嵐のような勢いのあった『セブン』最終話のバージョンに比べて、このLP盤は「なんだか枯山水を見ているような」ゆったりとしたバージョンだったのです。
失望した青山さんは、『セブン』最終話で流れたピアノ協奏曲と同じバージョンを探し求めていきます。そしてついに、それがディヌ・リパッティのピアノと、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮による1948年録音のバージョンであることを突き止めるのです・・・。
手がかりを少しずつ手繰り寄せながら、探し求めていた演奏にたどり着くまでの、7年にわたる過程を綴っていく本書の前半は、ある種のミステリのような面白さがあって一気に読ませてくれます。

探し求めていた演奏にたどり着く過程自体も面白いのですが、その過程でクラシック音楽の本質と、その鑑賞に必要な考え方を徐々に理解していくあたりも、まことに興味深いものがありました。
最初に買ったLP盤の演奏に失望した青山さんでしたが、その体験から「クラシック音楽は、同じ曲でも演奏によってまったく違う表情となる」ということを知ります。さらに、たとえ演奏者や指揮者が同じであったとしても「同じ演奏は二度とない」ということにも気づいていきます。本書では、全部で28枚あるピアノ協奏曲のバージョンが聴き比べられていて、それぞれに異なった特徴があるということが述べられています。
さまざまなタイプの演奏を聴き比べていく中で、はじめは「本物」と「別物」(『セブン』最終話で流れたバージョンと、それ以外のバージョン)という観点しかなかった音楽に対する評価の軸が、「テンポが速い×テンポが遅い」「テンポが厳格×テンポが自由」「巨匠的×若々しい」などといった、さまざまな「相対」の軸へと変化していきます。
青山さんはその経験から、ある曲を最初に聴くときには「可能であれば違うタイプ、それも相対軸にあるような演奏を2種類同時にインプットしたほうがいい」「そうすることで、その後の演奏に対するキャパシティが拡がり、多様なタイプをスムーズに受容できるようになる」とアドバイスします。また、「最初にあまりにも演奏家の個性が強い、独自の世界を展開している演奏を気に入ってしまう」ことには注意が必要、とも。これはとても有益なアドバイスだな、と思いました。
思えば、これは音楽はもちろんのこと、さまざまなジャンルの芸術、文化に触れるにあたっても有益な考え方ではないでしょうか。あまりにも特定の個性を持った作風に入れあげてしまうことで、それ以外の作風を持つ作品に対する評価が歪んでしまうことは、往々にして起こり得ることですから。

本書は、『セブン』最終話に流れたピアノ協奏曲の演奏にある背景にも触れています。
ピアニストであるディヌ・リパッティは、素晴らしい音楽の才能に恵まれながらも、悪性リンパ腫によって33歳という若さで夭折した人物。『セブン』最終話に使われたバージョンは死の2年前、すでに体調が悪化している中で演奏されたものだったとか。青山さんはそこに、命の危険を顧みずに最後の戦いに臨んだウルトラセブンの姿を重ね合わせます。
また、指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンは、第二次世界大戦中のナチスへの関与を問われて受けた指揮活動の禁止が終わった直後で、捲土重来、起死回生への情熱をたぎらせていた時期だったといいます。そんなカラヤンとリパッティの演奏が相乗効果を生み、みずみずしい音の奔流を生んだのではないか、と青山さんは分析します。
音楽は、それが生み出された背景を知ることで、より味わい深く楽しむことができるのだ・・・ということを教えられました。

『ウルトラセブン』の音楽を手がけ、劇中に使った音楽の選曲も一手に担った作曲家は、冬木透さん。『セブン』以降のウルトラシリーズや、『ミラーマン』などの円谷プロ作品でも活躍された、昭和特撮世代には雲の上のような方です。「ワンダバダ、ワンダバダ・・・」の男声コーラスが印象的な、通称「ワンダバソング」も、冬木さんの手になるものです。
本書には、その冬木さんへのインタビューも盛りこまれています。それによれば、小学校に上がる前から耳にしていたクラシック音楽は「自分にとって内面的に親しみのあるものだった」といい、『セブン』の音楽を作るにあたっても、「マーラーもベートーヴェンもワーグナーも、実際に意識しました」と語っています。その発言を受けて、古典派から現代音楽にいたる幅広い作曲家を思わせる音がちりばめられていた『セブン』を1年間見たことで「クラシック音楽の200年分の音をインプットしていただいていたわけなのだ」と、青山さんは納得します。また、数あるクラシック音楽の中から、なぜシューマンのピアノ協奏曲、それもカラヤン/リパッティ盤を選んだのか、その理由についても語られています。
『ウルトラセブン』は特撮作品としてはもちろん、クラシック音楽の手引きとしても、秀逸で偉大な作品だったんだなあ・・・ということを、本書を読むことで認識することができました。

本書の後半では、音楽から見た『セブン』のオススメ作品が8話分、ピックアップされています。ウルトラシリーズでも人気のあるキャラクターの一体であるメトロン星人が登場する第8話「狙われた街」や、地球の先住民族〝ノンマルト〟を通して、異なる種族との共存を問うた第42話「ノンマルトの使者」も、音楽的な見どころのある回のようです。
『ウルトラセブン』をあらためて観直したくなるとともに、クラシック音楽への興味を喚起させてくれる、ユニークで面白い一冊でありました。

【たまには名著を】 現代にも通じる知恵と教えがたっぷりと詰まった『養生訓』

2020-03-12 06:13:00 | 本のお噂


『養生訓』
貝原益軒著、松田道雄訳、中央公論新社(中公文庫プレミアム)、2020年(旧文庫版刊行は1977年)


恐縮ではありますが、まずは私ごとから始めさせていただくことをお許しくださいませ。
昨年のことですが、勤務先の検診で自分に「糖尿病の気がある」ことが判明しました。血糖値やγ–GTPの値が、基準値よりもかなり高かったのです。とはいっても、べつだん症状らしい症状が出ていたわけではありませんし、いまいち実感が伴わないところがありましたが、これまで病気らしい病気もなく、自分はそれなりに健康体だと思い込んでいただけに、その結果は軽くショックでありました。
以来、月1回は病院で検査を受けて数値を確かめながら、処方された薬を飲み続けるかたわら、生活習慣の改善に取り組んでおります。それまで毎晩のように飲んでいたお酒を週1〜2回にとどめ、1回に飲む量も減らす。食べ過ぎや偏食を慎み、バランスのとれた食事を腹八分程度に食べる。運動する習慣をつける・・・。最後の一つは充分に守れているとは言い難いのですが(苦笑)、飲食の習慣を改善した効果は思いのほかテキメンで、かなり高かった血糖値やγ–GTPの値はだいぶ下がり、基準値へと近づいてまいりました。ありがたいことです。
(お酒を控えめにしたことの効果は体の数値を改善することにとどまらず、酔って眠くなることが少なくなったために読書量が増えてくるという、嬉しい副産物ももたらしてくれましたが)
そういう体験をすることで否応なく、健康を守ることの大切さに関心が向き、興味を抱いて読んでみた一冊が、この『養生訓』でありました。
江戸時代の儒学者であり、当時としては長寿である80歳過ぎまで生きた貝原益軒が、健康長寿の方法論を微に入り細に入り説いた健康法の古典として、現在に至るまで読み継がれ続けている『養生訓』。今回読んだのは、医師で思想家でもあった松田道雄(『私は赤ちゃん』『育児の百科』などの著書で広く知られます)の現代語訳により、1977年に刊行された旧中公文庫版を改版し、僧侶・作家の玄侑宗久さんによる巻末エッセイを追加して、今年(2020年)1月に刊行された新版です。

益軒はまず、飲食の欲や好色の欲、しゃべりまくりたい欲、七情の欲(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)といった「内欲」と、天の四気である風・寒・暑・湿の「外邪」を、からだをそこなう物として遠ざけることが養生の術である、と説きます。とりわけ、内欲を抑えることの重要性は、本書の至るところで口酸っぱいくらいに強調されます。
「自分をかわいがりすぎるな」との小見出しがついた項目では、このように述べられています。

「およそ自分をかわいがりすぎてはいけない。おいしいものを食べすぎ、うまい酒を飲みすぎ、色を好み、からだを楽にして、怠けて寝ているのが好きだというのは、みな自分をかわいがりすぎるのだから、かえってからだの害になる」

これまで長いこと、好きなものを好きなだけ食べ、休肝することもなくほぼ毎日のようにお酒を呑み、そのあと眠くなって寝そべってしまう・・・という、「自分をかわいがりすぎ」た生活を送っていたわたしとしては、なんだか益軒先生に叱られでもしているかのような気がして、身の縮まるような思いがいたしました。ラクな生活習慣に流されがちなわれわれ現代人にも、実に耳の痛い戒めではありませぬか。
そう。益軒先生はまさしく「善いことも悪いこともみな習慣からおこる」ということも喝破しているのです。これまた、自分を甘やかしすぎてラクなほうへと流れていった挙句、糖尿病などの生活習慣病に悩まされているわれわれ現代人にも通ずる戒め、だといえるでしょう。

そこで大切となる考え方が「中を守る」=過不足のないようにする、ということ。腹いっぱいに食べるとあとで禍いがあるので、食事は腹八分を心がけ、同じものばかりを続けて食べないようにする。お酒を飲むときも酔い過ぎにならないようにする・・・。それらの考え方は、現代においてもそのまま通用するものばかりです。
わたしが大いに唸ったのは、以下のくだりでした。

「怒ったあと食事をしてはいけない。食後に怒ってはいけない。心配事をしながら食べてはいけない。食べてからあと心配してはいけない」

そうなんですよね。気持ちが安定していない状態で飲食をすることは、バランスを欠いたものとなって体にも良くはなさそうですし、そもそも十分に味わいながら美味しく食べることもできないでしょうから、これは大事な心得だと思いました。
こころの持ちようについても、現代人の参考になるような有益な教えを説いてくれています。

「心はいつも従容として静かで、せかせかせず和平にするのがよい。ものをいうときはとくに静かにして口数を少なくし、無用のことをいってはならぬ。これが気を養ういちばんいい方法である」

常にせかせかと毎日を送り、言わなくてもいいことをべらべら喋りまくってはトラブルを招いて疲弊する・・・そんな実例をしばしば目にしているだけに、この教えには頷かざるをえませんでした。

自分をかわいがりすぎることのないよう、内欲を抑える。それは病気を予防することにもつながるということも、本書では説かれています。
益軒は、「戦わずして勝つ」という孫子の教えを引きながら、勝ちやすい欲に勝つことで病気にならないようにすることは、「よい大将が戦わないで勝ちやすいものに勝つようなものだ」と述べます。そして、あとで病気になって苦しむくらいなら、はじめに少しだけがまんして、あとの心配がないように用心すれば、後に悔いがないのだ、と説くのです。
現代においても重要なこととされる予防医学の考え方が、すでに江戸時代で説かれているということにも唸らされます。このあたりにも、益軒の先見性を感じずにはいられませんでした。

病気に用心するだけでなく、もしものときに身を寄せる相手である医者の選び方についても、本書は懇切丁寧に指南してくれています。
益軒は、医者には学問があって医学にくわしく、〝医は仁術〟という志を持った「良医」と、医学も知らなければ志もなく、旧説にこだわっているくせに虚名だけでもてはやされている「俗医」の二種類があると述べた上で、こう注意を促しています。

「およそ医者が世間にもてはやされるか、もてはやされないかは、良医が選定したことではなく、医道を知らないしろうとのすることであるから、たまたまよくはやるからといって良医と思ってはいけない。その術は信じられない」
「医術を知らないでいては、医者の良し悪しもわからず、ただ世間でもてはやされている人を良いと思い、はやらぬ人を悪いと思ってしまう。(中略)医者の良し悪しを知らないで、庸医(やぶ医者のこと)に父母の命を任せ、自分のからだを任せ、医者に誤診されて死んだ例が世間に多い。用心しないといけない

メディアでしきりにもてはやされ、知名度も高い存在でありながら、医学的・科学的な見地からすると首を傾げるような、疑わしい主張を展開する医師が存在する現代においても、益軒が説く医者の見分け方は(幸か不幸か)実に有益なのではないか、と言わざるをえません。

『養生訓』の中で最も感銘を受けたのは、老後の過ごし方についてのべた「養老」という章でした。年老いた体を大切にするためのアドバイスとともに力説されているのは、老後を楽しく生きることの重要性です。その力のこもったことばには、胸打たれるものがありました。

「年とってから後は、一日をもって十日として日々楽しむがよい。つねに日を惜しんで一日もむだに暮らしてはいけない。世の中の人のありさまが、自分の心にかなわなくても、凡人だから無理もないと思って、子弟や他人の過失や悪いことには寛大にすべきで、とがめてはいけない。怒ったりうらんだりしてはいけない。(中略)いつも楽しんで日を送るがよい。人を恨み、自分を憂えて心を苦しめ、楽しまないで、つまらなく年月を過ごすのは惜しいことと思うがよい。これほど惜しむべき月日であるのを、一日でも楽しまないで、むなしく過ごしたとあっては、愚かというほかはない。(後略)

もしかしたら、健康で長く生きるために最も大事なことは、ここで述べられていることに尽きるのではないか・・・わたしには、そのように思えてなりませんでした。欲に振り回されないように気をつけながらも、毎日を楽しく生きていくことを心がけたいものだと、つくづく思いました。
もうひとつ、わたしが励まされた箇所は、冒頭の「総論」の中にあった「人生は五十」という小見出しがついた項目でした。学問が進んだり、知識が開けたりするのは長生きしないとできないことなので、養生の術で年を保って五十歳をこえ、六十以上の「寿の世界」に入っていくよう、益軒は説いてくれています。
わたし自身も現在五十歳ちょうど。これまでの不摂生を改め、過不足のない生活習慣で少しでも長く生きて、いろいろな知識が開けていくことのヨロコビを感じられるようにしなくちゃな・・・そう思った次第でありました。

現代にも通じる知恵と教えがたっぷりと詰まっている『養生訓』ですが、江戸時代という時代の制約からくる、現代では使えない部分が数多くあることも確かであります。天から降ってきた雨水は「性がよい」ので薬や茶を煎じるのによろしい、とか、夜寝るときには「かならず側臥位で寝ないといけない」と妙なことを強調していたり・・・などがその例でしょう(現代の医学的な感点から注意すべき箇所については、訳者である松田氏が註釈を加えております)。また、「気」の流れを重視する東洋医学的な考え方も、西洋医学的な考え方に慣れた頭では正直、ピンとこない感じがいたしました。
なので、現代にはそぐわない箇所については、「ふーん。昔はこういう考え方をしてたんだねえ」と興味深く読むだけにとどめて、今でも大いに「使える」ところをしっかりと取り入れていくことが肝心だと思います。
ほかならぬ本書にも、このように述べている箇所があります。

「およそ古来、術を述べた人の本は、往々偏向がある。(中略)よく選んで取捨しないといけない」
「およそ諸医の治療書にはかたよった説が多い。誰か一人を本家とし、その人の本だけを用いていては治療ができない。研究者たるもの、多く治療書を集め、ひろく異同を研究し、そのいい所をとり、間違った所を捨てて医療をすべきである

偏った食べかたや飲みかただけでなく、偏った方法論や考え方に固執することをも戒めてくれているとは。益軒先生、ほんと慧眼の持ち主だったんですねえ。

別府→湯平湯けむり紀行(その4・最終回) やって来て良かった・・・と心から思えた、湯平温泉との別れ

2020-03-08 07:03:00 | 旅のお噂
旅行最終日である2月24日(日曜日)。湯平温泉の旅館「つるや隠宅」の客室で眠っていたわたしは枕もとのスマホのアラームで目覚め、起床いたしました。
せっかく旅先の旅館でゆっくり過ごしてるのに、なんでわざわざそんな早起きをするのか、と思われた向きもおられましょう。実は、温泉街の中にある共同浴場で朝湯に入ることにしていたのです。
湯平温泉には、全部で5ヶ所の共同浴場があります。いずれも古い歴史があるところなのですが、残念ながらそのうちの3ヶ所は、温泉湧出量の調整をしているため休業中でした。なので、この日の午前中に、残りの2ヶ所には入っておきたいと考えていたのであります。
最低限の身じたくをしたあと、旅館から外へ。まだ真っ暗な中でしたが、そこから歩いて1分もかからない近さの場所にある「銀の湯」に入りました。かつて川の中にあったときに、銀粉のような白い結晶物が湯の中に混じっていたことが、その名の由来だとか。

係の人はいないので、入口のところにある料金箱に入浴料200円を入れてから中へ入ると、すでに先客が一人。どうやら地元の人ではなく、旅行客のようでありました。
お湯に入ってみるとさほど熱くはなく、ゆったりと浸かれる感じです。建物自体は新しいものの、質素な浴室と、浴槽の縁が木でできている湯船が、いかにも山のいで湯という雰囲気。わたしは木でできた浴槽の縁に頭を乗っけて、のんびり早朝の湯を愉しんだのでありました。

宿に戻ると、館内いっぱいにいい匂いが漂っておりました。そう、こちらもお楽しみの朝食のお時間であります。



旅館ならではの正統派和朝食、という感じのこちらも、また品数十分。温泉卵もついているというのが、また嬉しいのであります。ほうれんそうのお浸しは青臭さがなく、噛みしめると口いっぱいに甘味が広がる感激の美味しさでした。
昨夜の夕食で、はち切れるくらいお腹いっぱいになったにもかかわらず、お腹がすきまくっていたわたしは、お櫃の中にあったご飯も含めてすべて完食。デザートのヨーグルトや、添えられていたヤ◯ルト似の乳酸菌飲料も美味しくいただきました。この乳酸菌飲料、容器に記されていた製造所の住所は湯布院町。これもご当地産、なのでありました。

朝食のあと、また旅館内の温泉に入りたくなり、2度目の朝風呂ということにいたしました。前日入ったときにはけっこう熱かった、信楽焼の陶器風呂に張られていたお湯は、だいぶ入りやすい温度になっておりました。
裏手を流れる花合野川の瀬音を聞きながらの入浴も、ひとまずこれが最後。わたしはしばし、愛おしむような気持ちで、お湯に浸かっておりました。
入浴を終えて部屋に戻り、荷物をまとめて出る準備を済ませると、最後にまたベランダに立って、そこから見える景色を眺めました。



朝の光に包まれた、旅情をかき立てる花合野川沿いの風景。この居心地のいい部屋から見る景色とも、しばらくお別れなんだなあ・・・そう思うと、ちょっと寂しさが湧いてまいりました。できればもうしばらく、ここに滞在していたい気もいたしましたが、そうもいきません。チェックアウトしなければ。
玄関では女将さんとともに、女将さんのお母さまでしょうか、おばあちゃんも見送りに出てきてくださいました。「よかったらまた、来てくださいね」という女将さんに、はい!ぜひまたお邪魔いたします!といって、宿をあとにいたしました。
「つるや隠宅」さん、本当にいいお宿でした。また必ず帰ってまいります!

お昼まで、温泉街とその周辺を散策することにいたしました。
まずは、高台にある「菊畑公園」へ。かつて、この地一帯に野菊の花が咲き誇っていたことから、この名がついたそうで、てっぺんからの見晴らしが最高なのだとか。
公園に向かう途中、桜の木にちらほらと、花が咲いているのを見かけました。この山里にも少しずつ、春の足音が聞こえているようでありました。


さらに道を進んでいくと、道端の小屋の中にこんなモノを発見。

昭和初期に別府ー湯布院間を走っていたという、昔のバスのレプリカ。車体の横腹に〝九州自動車歴史館〟とありましたので、湯布院にある古い自動車の博物館・九州自動車歴史館に展示されていたものと思われますが・・・それがなぜ、ここでこうして眠っているのでありましょうか。
温泉街から20分ほど坂道を歩いて、菊畑公園のてっぺんに到着。天気が良かったこともあり、遠くまでよく見通すことができました。

見晴らし台のそばには、昭和9年に詩人の野口雨情とこの地を訪れた小説家・菊池幽芳の歌碑が。湯平は、数々の文人墨客に愛された場所でもあるのです。
                      〝山ぎりは深く立ち込め
                            水の音はいよいよ高し雨の湯平〟

この日の湯平は快晴でありましたが、雨の湯平もなかなか、風情があるかもしれませんねえ。
湯平を訪れた文人といえば、俳人の種田山頭火。ここには、劇作家の宮本研(熊本県の出身ですが、大分県で高校の教諭をしていたこともあったとか)が山頭火を題材にした演劇の、大分公演を記念した碑もございました。刻まれていたのは、山頭火を代表するこの名句。
                 〝うしろ姿のしぐれてゆくか〟

この有名な句を、かつて山頭火が歩いた湯平で味わうと、感慨もひとしおというものでありますね。
歌碑や句碑のあるところのすぐそばには、十三仏を中心にしてさまざまな仏像が固まって立っている場所が。







素朴な造形と色彩の仏像の数々。それらを見ていると、のどかな湯平の山里の雰囲気とよく合っているなあ、としみじみ思ったのでありました。
菊畑公園を散策中、犬を連れた地元の方お2人とすれ違いました。連れている犬をガードレールにつないで芝刈りをしておられたのですが、その犬がまことに愛嬌たっぷりでして、つながれたままこちらに寄ってこようとして二本足で立ち上がりながら、前足でしきりと〝揉み手〟のような動作を繰り返すのです。それはあたかもテツandトモの「♪なんでだろ〜〜」を彷彿とさせるようで、見ていてものすごく和みましたねえ。

えらく人懐っこいワンちゃんですねえ、とわたしが言うと、飼い主さんは「はあ。コレでは番犬の役には立ちませんわ」と、嬉しそうな表情をしながらおっしゃいました。それにもなんだか、ホンワカと和んだのでありました。

菊畑公園をあとにして、再び温泉街へ。わたしはもう1カ所、共同浴場で入浴することにいたしました。「中の湯」であります。

湯船は一つしかなく、奇数日が女性専用、偶数日は男性専用になるという温泉。この日は偶数日の24日ということで、入ることができました。
ここも係りの人のいない無人の浴場で、入り口の料金箱に200円を入れて中へ。やはり木でできた縁で囲まれた浴槽に浸かってみると、お湯はちょっとだけ熱めでした。ですが、ここ数日で熱めのお湯に慣れていたためか、けっこう気持ちよく浸かることができました。
考えてみれば、これが今回の旅では最後となる温泉でした。ほかに誰もいない湯船を独り占めしてじっくりとお湯に浸かりながら、ああ今回の旅もたくさんのいい湯に恵まれたなあ・・・と、しばし感慨にふけったのでありました。

お湯から上がったあと、「中の湯」のお隣にあるお土産屋さん「花川堂」で〝ゆのひらんアイス〟を買って食べました。
ご当地の旅館の女将さんを中心にして立ち上げた工房「ゆのひら石畳屋」が、地元の素材を使って作ったアイスが〝ゆのひらんアイス〟。イチゴやはちみつ、ゆず、かぼちゃ、ブルーベリーなどの味が揃う中から、大分ならではの味である〝かぼす〟のシャーベットを選びました。ジューシーで爽やかな風味が、湯上がりのカラダに優しく染みわたりました。


アイスをいただいたあと、やはり温泉街の中にある「山頭火ミュージアム 時雨館」へ。無人のこじんまりとしたミュージアムで、こちらも入り口の料金箱に〝お気持ち〟の金額でお金を入れて入ります。

中には、山頭火の大分での足跡をたどるマップや写真、山頭火の句や文章を題材とした書や墨絵などが展示されておりました。こちらも名句として知られる、
     しぐるるや人のなさけに涙ぐむ
も、ここ湯平で生み出されているんですよね。
展示の中でとりわけ惹きつけられたのが、山頭火が湯平で宿泊したという宿「大分屋」を捉えた、石松健男氏撮影の写真でした。すでに廃屋となり、取り壊される少し前に撮影されたもので、そのうらぶれた雰囲気が、なんだか山頭火に似つかわしい感じがするなあ・・・と思ったのでありました。
ミュージアムの一角には、記念に一句したためられるように文机や墨、筆なども置かれていました。わたしも何か一句したためたいところではありましたが、筆で字を書くことからずいぶん遠ざかってしまっていることもあり、やめておきました。・・・というより、アタマが温泉ボケしていて、俳句のていをなすようなものが何も浮かばなかった、というわけなのですが。

やがて時刻はお昼どき。湯平での、そして今回の旅での最後の食事を「嬉し乃食堂」さんでとることにいたしました。うなぎや鯉、鮎といった川魚料理をメインとするお店であります。
冬場限定という〝いのしし鍋〟も気になったのですが、こちらは2人以上からということで、セットメニューのひとつであるうな丼と鯉こくのセットを、またも(笑)生ビールとともにいただきました。かなり久しぶりに食したうなぎの美味しさはもちろんのこと、鯉の出汁がしっかり出ている鯉こくにも大満足。いいお昼ごはんとなりました。



お料理を運んできてくださったおかみさんに「どこから来られたんですか?」と訊かれ、宮崎からです、と答えると、「まあ・・・けっこう遠くから。なんにもないところでしょ、湯平は」とおっしゃいました。
いやいやどうして、すごくいいところでありましたよ、湯平は。懐かしい雰囲気も素敵でしたし、こういう美味しいものも食べられましたから。

湯平を離れるときが近づいておりました。わたしは昼食のあと、湯平を離れる時間まで、目に入るさまざまな湯平の風景を撮っていきました。










わずか1日弱の滞在だったけど、居心地よくて安らげる場所で、ほんとに来てよかったなあ・・・湯平は。またぜひ、この風景に会いに湯平へ帰ってこなくっちゃ・・・そんな思いでいっぱいでした。
名残惜しい気持ちを振り切って、わたしは湯平をあとにして、宮崎への帰路についたのでありました。

毎年来ているけど、やはり楽しい思いをさせてくれた別府。初めてながらも、極上の安らぎを与えてくれた湯平。いずれもやっぱり、いい場所でありました。
別府と湯平へ再訪できる機会を楽しみにしつつ、また次に控えている旅に向け、思いをめぐらることにいたします。
・・・ということで、次に予定している旅の行き先は熊本、であります。こちらも楽しみだなあ。

(おわり)

別府→湯平湯けむり紀行(その3) 初上陸!湯平温泉の情緒あふれる雰囲気に魅了

2020-03-01 20:41:00 | 旅のお噂
旅行2日目の2月23日(日曜日)の午後。別府をあとにしたわたしは、大分駅から久大本線に乗り込みました。
郊外の住宅街から、のどかな山里へと移り変わっていく窓からの景色を眺めつつ、由布院行き各駅停車の列車に揺られること1時間。周囲を山に囲まれた湯平駅に到着いたしました。
降りたのはわたしのほかに男性が一人。駅の周りにはいくらかの住宅が見えるくらいで、あたりには静けさが漂っておりました。

小さな無人の駅舎を出ると、一台のワンボックスカーが止まっていて、その横に作務衣姿の男性が立っていて、わたしを迎えてくださいました。この日泊まる湯平温泉の宿「旅館 つるや隠宅」さんの方です。駅から温泉街までは歩くと1時間かかるということで、送迎に来てくださったのでありました。
わたしを乗せたワンボックスカーは、ところどころ曲がりくねった山道を通りながら、目的地である湯平温泉へと向かったのであります。ちなみに、わたしと一緒に降りたもう一人は、駅前で一台だけ待っていたタクシーに乗りこんで移動していったようでした。

湯平温泉は、温泉リゾート観光地として絶大な人気を誇る由布院から少し大分市寄りにある、静かでこじんまりとした山あいの温泉地であります。
およそ800年前の鎌倉時代に開湯されたといわれる長い歴史を持ち、江戸時代には温泉街として確立したという湯平温泉。かつては湯治場として全国的にその名が知れわたり、多くの湯治客で賑わいを見せていたといいます。昔の温泉番付においても、九州の温泉では別府に次いで第2位の入湯客を誇る〝西の横綱〟に位したこともあったほどの人気ぶりだったとか。また、俳人の種田山頭火や、漫画家のつげ義春さんが立ち寄ったこともあるほか、映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年)のロケ地にもなっております。
現在では昔の賑わいこそ影をひそめたものの、約300年前に村民たちによって敷設された石畳の坂道や、温泉街を縫って流れる花合野(かごの)川が醸し出す風情が、旅好き温泉好きを惹きつけております。つい最近(2019年末)発表された、旅行雑誌『じゃらん』が運営するサイトの会員の投票による「全国温泉地満足度ランキング」の秘湯部門では、湯平温泉は堂々1位に輝いていて、訪れた人たちの満足度も高いようであります。
これまでわたしは、別府に毎年のように出かけているほかは、由布院や日田、日田のちょっと手前にある天ヶ瀬温泉には行ったことがあるものの、湯平にはまだ立ち寄ったことがございませんでした。今回、湯平初上陸ということで、期待に胸がふくらんでおりました。

今回湯平で宿泊する旅館「つるや隠宅」さんは、家族で営む全5室の小さなお宿。創業が明治時代という古い歴史を持つ一方で、ちょっと「萌え」系の公式キャラクター「電脳女将 千鶴」さんを前面に押し出し、Twitterアカウントで積極的に発信したり、ゲームなどとのコラボレーションを行なったりしているという、新しくチャレンジングな面もある面白いお宿だったりいたします。
温泉街に向かう車の中で、若旦那さんに「千鶴」さんの取り組みについて伺うと、このようなことをおっしゃいました。
「旅館はどこも、経営する側が高齢化していってますし、お客さんも高齢の方が多くなったりしてきてますから、歴史が古いというだけでは先が厳しいところもありまして・・・。なので、もっと若い人にも旅館に興味を持って泊まってもらえたら・・・ということで、やっているところなんですよ」
・・・ああ、たしかにそういう面はあるかもしれないなあ。今は旅館もいろいろ試行錯誤しながら、生き残りに向けて模索しているということなのでしょうね。
でも、湯平温泉は『じゃらん』の秘湯ランキングで1位でしたし、行った人たちの満足度は高いみたいですねえ、というと、こうおっしゃいました。
「ああ、あれは『じゃらん』さんが気を遣って分けてくれたんですよ。別府とか由布院あたりの有名なところと比べると、湯平の得票数はずーっと少ないですから(笑)」
・・・ナルホド、そういうことだったのか。まあいずれにせよ、小さくともキラリと光る温泉地にスポットが当たるのは、実にいいことではありますまいか。

湯平駅から10分ほど走って、車は湯平の温泉街へと入ってまいりました。両側に旅館などが立ち並ぶ石畳の坂道は、車一台がやっと通れるくらいの細さ。その坂道沿いに「つるや隠宅」さんがありました。

玄関に入ると、電脳女将・・・ではなく、正真正銘の女将さんが出迎えてくださいました。受付票に記したわたしの年齢を見た女将さん、「あら、わたしと同じくらい・・・かも」とおっしゃいました。おお、なんだかいきなり親近感。
通されたお部屋は、一人旅にもちょうどいい広さの6畳の和室。窓からベランダに出て見ると、そこには花合野川の流れが。「ザーッ」という瀬音も、耳に心地よく響いてきます。
いつもの旅行では、街場にあるビジネス系のホテルに泊まって、飲食は外でやるというパターンなので、ちゃんとした旅館に泊まるのはかなり久しぶりのこと。ああ、やっぱり旅館は落ち着くなあ・・・と、花合野川の流れに見とれつつ思ったのでありました。

しばし部屋でくつろいだあと、お風呂をいただくことにいたしました。こちらのお風呂は、ほかのお客さまが入っていないのを見届けた上で、30〜40分ほどの時間で貸切というかたちで利用することができます。
2種類あるお風呂から、まずは信楽焼の陶器風呂へ。浴室の壁の一角に窓が開いていて、そこからも花合野川の流れを目にすることができます。

頭と体を洗ったあと、陶器いっぱいに張られたお湯に入ってみると・・・あちちちちち。これはけっこうな熱さです。どうやらこの日最初の入浴がわたしだったようで、お湯は湧きたてといった感じでした。少しだけ水でうめ、ゆっくりと体を沈めます。・・・ああ、これは大丈夫。少し熱いくらいで支障なく浸かれます。花合野川の瀬音を耳にしながら、信楽焼浴槽で浸かる温泉・・・実にオツでいいものであります。
ふ〜〜〜っ、いまオレは湯平にいるんだなあ・・・そんな感慨が、お湯の温かさとともに体に染みわたっていったのでありました。
お風呂へ出入りするとき、ふと階段の踊り場にあたるところに目を向けると、ちょっと異色の空間が。

そこには、当旅館の公式キャラ「電脳女将 千鶴」さんのキャラクターデザインを手がけたゲームイラストレーター・有葉(あるふぁ)さんの色紙のほか、湯平温泉や「つるや隠宅」さんも登場する漫画『今日どこさん行くと?』(KADOKAWA)の作者である鹿子木灯さんの色紙(および、同漫画の単行本)などが展示されておりました。これらの作家さんや作品のファンにとっては、見逃せない空間といえましょう。
(実はわたしも『今日どこさん行くと?』を読んだのですが、なかなか楽しい作品でしたので、近々当ブログでも紹介記事を書く予定であります)
そういえば。「つるや隠宅」さんの玄関には、こういうものもございました。

全国各地の温泉で展開されている、温泉地域活性化のプロジェクト「温泉むすめ」。その一環として昨年(2019年)に誕生した湯平温泉のキャラクター「湯平燈華」(ゆのひらとうか)さんの等身大パネル、であります。個人的には黒いストッキングに惹きつけられますけれども(←そんなことは別に言わなくてよし)。

夕食までにはまだ時間があったので、湯平の温泉街を散策してみることにいたしました。
時刻は5時をまわったところ。温泉街に張り巡らされた提灯には明かりがついておりました。その下の石畳を、すでに入浴を済ませた泊まり客が浴衣姿で散歩したりしていて、まことにいい雰囲気を醸し出しております。
歩いて縦断しても10分もかからないような、こじんまりとした温泉街ではありますが、目にする光景の一つ一つがまことに味わい深いのです。古きよき温泉街ならではの情緒に、わたしはすっかり魅了されていました。
この石畳を、山頭火やつげ義春さんも歩いたんだなあ・・・そう思いつつ、坂道をゆっくりと行ったり来たりしながら、散策を楽しみました。





温泉街の中にある小さなギャラリーのような場所に入ると、そこには往時の湯平を写した写真の数々とともに、きれいなひな飾りが。それらがまた、興趣を誘ってくれました。



石畳の道からは、さらに細い路地がいくつか伸びていて、そこもまた味わいがありました。そんな路地の一角に、ネコさんたちが固まっているのを発見。こういう温泉町には、やっぱりネコがよく合いますねえ。

近づいて撫でてみようとしたのですが、3匹ともどことなくこちらを警戒しているようす。真ん中にいた子ネコさんに至っては、あきらかにこちらを避けるかのように後ろに退いてしまいました。
すまぬすまぬ、余計なコトはしないから、どうか幸せに暮らしておくれ・・・わたしは少々未練をいだきつつも、そーっとネコたちから離れたのでありました。

散策を終えて宿に戻ると、時刻は6時。さあ、お楽しみの夕食時間がやってまいりました。
1階の食事どころの個室に案内されると、テーブルの上には美味しそうなお料理がズラリ。どれもこれも美味しそうで、何から食べようか大いに迷いましたが、とにかくまずはグラスのビールを注文して、それを呑みつついただくことにいたしました。







大分のブランド牛・豊後牛のステーキ。地獲れの海の幸を使ったお刺身や天ぷら、お寿司。里芋のあんかけまんじゅう。鶏肉とゴボウの煮物。揚げた白身魚と野菜の甘酢ソースがけ。胡麻豆腐にサラダなど、全部で11品。それらをゆっくりと味わっていきました。
脂がほどよく入った豊後牛や、お刺身などの海鮮料理の美味しさもさることながら、ほくほくのお芋にトロッとしたあんがからむ里芋まんじゅうや、口に入れると香ばしさが広がる胡麻豆腐にも、大いに舌が唸りました。
注文したビールはたちまちなくなり、さらに麦焼酎を追加いたしました。日田市の蔵元がつくる琥珀色の麦焼酎で(銘柄を失念してしまいました・・・メンボクナイ)、豊かな味と香りに酔わされました。

このあとさらに、ご飯とお吸い物、そしてデザートのコーヒーゼリーまで出てきて、もうお腹もココロも大満足。正統派旅館の夕食の実力を、思う存分味わったのでありました。

夕食のあと、夜の湯平をふたたび歩いてみることにいたしました。
宿から外に出てみると、そこには思わずため息が漏れるような、素敵な光景がありました。






提灯のあかりと、宿の窓から漏れるあかりで、ほのかに照らし出れた石畳の坂道・・・。実際に目にした光景は、ここに上げた画像よりもはるかに美しく、幻想的なものでした。わたしは浮かされたように、温泉街をぶらぶらと歩きました。
夜の散歩のとき、温泉街にあるカフェ&バーか、午前中はパン屋で夜は味噌ホルモンと焼酎の呑み屋になるというお店のいずれかに寄るつもりでした。しかし、この夜はどちらも営業を終えていて、残念ながら立ち寄ることはできませんでした。仕方がありません。ここは散策に集中するといたしましょう。
石畳の道には、わたしのほかにも夜の散歩をしている方々がちらほらと。記念写真を撮っている親子連れあり、親しく語りあいながら歩いているカップルあり・・・みんなそれぞれに、この光景を楽しんでいるようでした。
この光景の中を歩くことができること自体、すごく幸せだなあ・・・そんなことを思いながら、坂道を幾度も行ったり来たりして、もう夢中で温泉街を歩き回りました。

その最中に、ちょっと嬉しい出会いが。坂道を登り切ったところにかかる「明治橋」という小さな橋のあたりで、一匹のネコさんがたむろしておりました。



(暗かったこともあって、上の画像ではあまりハッキリとは写っていないのが残念なのですが・・・)
このネコさんがとにかく人懐っこいヤツで、散歩する旅行客にしきりに近寄っては、愛嬌を振りまいているのです。
わたしも試しに呼び寄せてみると、さっそくすっ飛んできては体をすり寄せてくるもんだから、もうネコ好きのわたしはしばらく、そこから離れることができませんでした。・・・とはいえ、人懐っこいあまりときどき脚を噛んだりするのには閉口しましたけれども。首には首輪がはめられていたので、この近くで飼われているネコさんでしょうか。
こちらが立ち上がって行こうとすると、ちょこちょことついて来たりするのがまた可愛かったのですが、いつまでも構ってあげるわけにもいかず、名残惜しいのですがネコさんと別れることにいたしました。
ネコさんはしばし、戸惑ったかのようにウロウロしていましたが、そこに通りかかった別の旅行客に近づいていっては、また愛嬌を振りまいていたのでありました。

夢中で夜の湯平を歩きまわっていたので、少々脚が痛くなってまいりました。わたしは宿に戻り、もう一度お風呂に浸かることにしました。
今度は、少し広々とした岩風呂のほうへ。お湯の中で伸ばした脚をもみほぐしつつ、散策の疲れをゆっくりと癒しました。

畳敷きの部屋に敷かれていた布団にくるまって横になると、外を流れる花合野川の瀬音が、子守唄のように耳に入ってきます。
ああ・・・いまオレはたしかに湯平にいるんだなあ・・・。そんな感慨があらためて湧き上がってくる中で、わたしは気持ちよく眠りに落ちたのでありました・・・。


(最終回につづく)