秋が深まり、そろそろ冬の気配も漂ってくるようになってきた、2018年11月23日から25日までの3日間、岡山県の倉敷市へ行ってまいりました。
ずっと前から行ってみたかった憧れの地でありながらも、わが宮崎市からは遠いこともあってなかなか行くことができなかった上、出かける直前にとんでもないジャマが入り、延期せざるを得なくなったり・・・と、出かけるまでの道のりはまことに長いものでした。しかし、ようやく足を運ぶことができた倉敷は想像していた以上に美しく、風情たっぷりで、かつ居心地のいい場所でありました。おかげさまで、楽しくて素敵な思い出をたくさんつくることができました。
これから何回かにわけて、倉敷への旅のご報告、じっくりとやっていく所存でございますので、どうぞよろしくお付き合いのほどを。
・・・などと前フリをしておいてなんなのですが、実は当初、倉敷には行くつもりはございませんでした。
久々に東京へ出かけて、神保町をじっくり歩き回ったり、古い居酒屋を訪ねたりしようかなあ・・・などと企んでおったのですが、予算等の都合もあっていったん棚上げ。それからは、今年5月に出かけて再び行きたくなっていた熊本に行くか、あるいは中学のときの修学旅行以来、キチンとした形で訪ねたことのなかった長崎へ行こうか・・・などと考えておりました。
そんなわたしを突き動かしたのは、7月はじめに起こった西日本豪雨でした。
九州から中国、四国、近畿、そして中部地方と、広範囲にわたって爪痕を残したこの豪雨で、倉敷市の北西部に位置する真備町は広範囲で浸水による被害を受け、50人近くの尊い命が奪われてしまいました。
そこに追い打ちをかけたのが風評被害です。豪雨直後、直接の被害はなかった倉敷の観光スポット、美観地区では宿泊のキャンセルが相次ぎ、観光客の数も激減したといいます。観光で成り立っている地域が風評被害に見舞われ、経済的にもいかに辛い状況になるのかということは、わが宮崎も新燃岳の噴火や鳥インフルエンザ、そして口蹄疫で経験しています。
この機会にぜひ倉敷に出かけて観光を楽しみながら、現地への支援の意味も込めつつ少しでも多くお金を使いたい・・・そう思いはしたものの、宮崎からは遠いこともあって、すぐに出かけるというわけにはまいりませんでした。なんとか時間、そして予算の都合がつきそうな、10月上旬の連休に出かけることとし、倉敷で宿泊するホテルや、博多まで移動するための高速バスの予約も済ませ、あとは出かけるのを待つばかり・・・とワクワクしておりました。
ところが。そんなワクワクを打ち砕いたのが、台風25号でした。10月上旬の連休を狙い撃ちするかのように接近してきた台風は、こともあろうに連休中にかけて、九州から中国地方に沿うようなカタチで進むという、最悪のコースを辿りました。
台風だろうがなんだろうがオレは行くからな!などと息巻いていたわたしでしたが、いくらわたしが行く気まんまんであっても、搭乗する予定の高速バスや新幹線が運休することにでもなれば、もうどうにもなりません(実際、山陽新幹線は台風の接近中に運休となったようでした)。かなり腹立たしく悔しいことでしたが、この連休中の出発を見送り、延期することにいたしました。
せっかくの予定を引っかき回した上に、さらに1週間後にやってきた台風26号とともに、わが宮崎にも少なからぬ被害をもたらしたバカ台風25号への恨みと呪いは今も持ち続けておりますし、これからもずっと呪い倒してやるつもりであります。
仕切り直しとなった旅のスケジュールは、11月23日から25日までの3日間にわたって組むことにいたしました。さらに1ヶ月半ほど待たされるのみならず、晩秋どころかあと少しで冬になるという時期ではございましたが、致し方ございませんでした。
5月の連休の時に出かけた熊本旅から5ヶ月ぶりとなる当初の予定から、さらに1ヶ月半待たされることとなり、いやもう待ちくたびれたのなんの。待ちくたびれたあまり、気力そのものも全体的に下がり気味になってしまいました。出かける1週間前には気力も持ち直してきましたが、出発の2日前に至ってもなお「ホントに行けるんだろうか」という気持ちが残っておりました。おりしも南の海では、またしても連休を前にして台風28号が発生し、隙あらば日本に接近しそうな気配を見せていたりしておりました。
ですが、さすがに出発を翌日に控えた午後には、いよいよ出かけるんだ!というワクワク感が高まってまいりました。出発が朝6時と早いこともあり、夜の10時には早々に床につきました。ワクワクしていて寝つけないのでは・・・という懸念もありましたが、思いのほか早く、眠りに落ちることができました。
・・・目が覚めて時計を見ると、まだ3時過ぎでありました。早く眠れたぶん、起きるのも早いということなのでしょうが、いくらなんでも早すぎます。もう一度寝ようと思いましたが、それこそワクワク感が募ってきて眠ることができませんでした。うまくいかないもんであります。
それでも5時少し前には起床し、6時に宮崎駅を出る高速バスに間に合うよう、5時20分には来てくれるようタクシーを手配。支度を終え、指定した場所でタクシーを待ったのですが・・・約束の時間を5分過ぎてもなかなか、やってくる気配がありません。気になってタクシー会社に電話すると、さきほど手配した時と同じ配車係のヒトは、
「あー、5時20分じゃなくて5時50分で受けてますねー」
などと、ノンキな調子で答えるではありませんか。おい!!なにをどう聞いたら「20分」が「50分」になるんだよ!それじゃとても間に合わねえだろ!
しっかりしてくださいよ、6時には宮崎駅を出るバスに乗らなきゃいけないんですけど・・・などと、あまりのことにキツめの口調で申し上げると、配車係氏は「スミマセン、すぐ手配します」といって電話を切りました。その5分後、ようやくタクシーが到着いたしました。
わたしを乗せた運転手さん、こうおっしゃいました。
「いやー遅くなって申し訳ありません。ワタシも5時50分って聞いてたんで、まだ余裕があると思ってて。前のお客さんを下ろして一息ついてたんですけど、そこに会社から〝すぐ行ってくれ〟って連絡がききたもんで・・・いやー焦りましたわ」
ああ・・・そうだったんですね。焦らせてしまって恐縮です・・・。まあ、配車係氏はいささか、寝ボケ気味といわれても仕方がないヒトのようでしたが、運転手さんはまことに優秀な方で、出発時刻の10分前には、宮崎駅に着くことができました。助かったのでありますよ。
ホッとしたわたしは、バスの乗り場近くにあるコンビニで缶ビールとおつまみ、そして朝食のサンドイッチを買い求め、無事に午前6時発の博多行き高速バスに乗り込み、出発いたしました。
早朝の便とはいえ、連休初日ということもあって車内は満席。まだ外は暗かったのですが、念願だった倉敷への旅に出発できたことを祝して、缶ビールをプチンと開けて呑み始めたのでありました。
途中、サービスエリアでの休憩を2回挟みつつ、順調に九州自動車道を進んでいた高速バスでしたが、福岡に入ってからは少々、クルマの流れが悪くなってまいりました。やはり3連休初日ということで、お出かけのクルマが多かったのでしょう。とはいえ、長々と渋滞に巻き込まれるということもなく、バスは博多の市街地へと入りました。
博多の景色を目にするのも、ずいぶん久しぶりのことでした。高いオフィスビルやマンションが建ち並び、その間を縫うように都市高速が伸びる街を車窓から眺めつつ、ああやっぱりわが宮崎とは比べものにならんくらいの大きな街だわ〜〜、などとイナカもん丸出しの感想を抱いている間に、高速バスは博多バスターミナルに到着。わたしはバスを降りるとそのまま、隣接する博多駅に入りました。
到着が多少遅れたこともあって、当初乗る予定だった10時半過ぎ発車の新幹線には間に合いませんでした。でも、それはすでに織り込み済みのこと。その少しあと、11時過ぎに発車の便に乗り込むことにして、車内で食べるお弁当を駅の構内で買い求め、新幹線のホームへ。
新幹線に乗るというのもこれまた、かなり久しぶりのことです。わたしは、搭乗することになる新幹線「のぞみ」の車輌を、期待を込めつつ眺めてみると・・・
・・・車輌の前面に、なにか動物とぶつかってしまったような痕が残されていて、いささか痛々しい感じがいたしました。とはいえ、かなり久しぶりとなる新幹線にワクワク感が高まります。11時過ぎ、新幹線「のぞみ」はまさに滑るように発車いたしました。
小倉を過ぎ、関門海峡のトンネルをくぐり抜けたことを確認したあと、博多駅で買ってきたお弁当を開けて食べ始めました。塩味と醤油味のもも唐揚げ、それに手羽先唐揚げがセットになった「3種のからあげ味くらべ」弁当に、またも缶ビールを(笑)。しっかりと味がついた美味い唐揚げは、おかずにも、そしておつまみとしてもうってつけでございました。
それにしても、やはり新幹線は早い。外の景色はビュンビュンと飛ぶように流れていきます。そのぶん、景色を眺める楽しみは半減いたしますが(トンネルもけっこう多いし)、ぐんぐんと目的地が近づいているという感じがしてまいります。
発車から1時間半ちょっとで、岡山駅に到着。ここから普通列車に乗り換えて、倉敷を目指します。さあいよいよ倉敷だ!と弾む気分とともに新幹線を降りると、駅のホームにこんな、微笑ましくなるような広告が。
イヌ・サル・キジをビジュアルに使った、職業紹介会社の広告。そう、岡山といえばきびだんご、きびだんごといえば桃太郎、なのでありますよ。構内放送でも、童謡「桃太郎」のメロディが流れていたりしていて、岡山は駅の構内からして、桃太郎ムード満点であります。
山陽本線の普通列車に乗り込むと、車内は地元の皆さんでぎっしり。乗客同士が交わす岡山弁を耳にしていると、ああとうとう岡山までやって来たんだなあ、という感慨が湧いてまいります。
岡山駅から20分ほどで、ついに憧れの地・倉敷へと到着いたしました。バカ台風による1ヶ月半の延期、宮崎から7時間の行程・・・長い道のりだっただけに、到着の喜びはひとしおでありました。「うわ〜、やっと来れた〜!」ということばが、思わず口から出てまいりました。
倉敷駅から外に出ると、そこにはこんな横断幕がかかっておりました。
「がんばろう!倉敷・真備 全国の皆さま ご支援ありがとうございます」・・・駅前の交差点にかかる歩道橋にも、おなじ横断幕がかかっておりました。なんだか胸が熱くなりました。
さっそくあちこちを歩き回りたくてウズウズいたしましたが、はやる気持ちをなだめつつ、まずは最初の目的地を目指すことにいたしました。
倉敷最初の目的地に選んだのは「大橋家住宅」。大地主として水田・塩田の開発を手がけるかたわら金融業も営み、大きな財をなした大橋家の邸宅を保存、公開したもので、建てられたのは江戸時代後期の寛政8年(1796)から寛政11年(1799)にかけて。当時の倉敷の町屋建築をよく残すものとして、国指定の重要文化財にも指定されております。
中に入ると、まずは広々とした土間と台所。当時の暮らしぶりが偲ばれるよう、家具などの調度品や小道具も再現されておりました。
台所の隅には、1枚岩で出来ている流し台がありました。小豆島の西にある豊島(てしま)で産出された「豊島石」をくり抜いて加工したものだとか。
土間で靴を脱いで上がらせていただき、中をじっくりと見学いたしました。土間のそばにあるのが、商談に用いたと思われる「店の間」。卓の上には大きな算盤が。
坪庭に沿った廊下を進むと、主の書斎。質素な内部が落ち着きを感じさせます。
坪庭の左には、位の高い客人をもてなしたという大座敷があったのですが、ここではなにやら催しが行われている様子で、一見の観光客が入っていっていいものか迷いましたが、小心者のわたしは結局、中に入るのは見送りました。いま思えばちょっと、覗いてみてもよかったかもしれないなあ。
そして、建物の奥のほうにある新座敷。その広々とした空間に圧倒されました。
邸宅の横には、米や金を保管していた米蔵がありましたが、どうやら修繕中のようで覆いがかかっていて、外観は一部しか見えませんでした。
米蔵の中はちょっとした資料館になっていて、往時の大橋家の暮らしぶりを伝える品々や写真が展示されておりました。そのなかで目を引いたのが、木堂こと犬養毅が、五・一五事件に巻き込まれる3ヶ月前に大橋家の7代・平右衛門に送ったという手紙でありました。犬飼は14歳のとき、母の生家があった倉敷で大橋家が設立した学校に通学していたのだとか。そういう縁があったとは。
展示されている写真の中には、大橋家が大正時代に使用していたという自家用車を写したものもありました。自動車の普及などまだまだ先という時代に、自家用車を持っていたとは。近代に入ってもなお、相当の資産家であったようです。
広々としたつくりで、素封家としての豪壮さと格式の高さを感じさせながらも、華美な装飾を排した内部の設えには、なんだかホッとするような安らぎを覚えました。
まさしく「侘び寂び」を体現している大橋家住宅は、かつて天領として栄えた倉敷の歴史・生活文化に漂う「粋」を、わたしに伝えてくれました。
大橋家住宅で倉敷の「粋」を感じたあとは、いよいよ美観地区へと足を踏み入れます。大橋家住宅から中央通りをまたぎ、美観地区の入り口に来ると、にわかに人の数が多くなりました。
そしてずんずん進んでいくと・・・通りはもう観光客の波。いやもう、すごい活気と賑わいでありました。
7月の豪雨からしばらくは、被害のあった真備町から離れているにもかかわらず、観光客の減少に悩まされていたという美観地区。しかし4ヶ月以上が経過してだいぶ、観光客が戻ってきているということが感じられて、なんだかとても安心いたしました。
やがて、左手のほうに倉敷川が見えてきました。そちらのほうに目を向けると・・・そこには目の覚めるような光景が。
まさに燃えるような美しさの紅葉と、その前を悠々と泳いでいる2羽の白鳥・・・。この光景には思わず「ほわ〜〜〜!」と声を上げました。来るのがだいぶ遅くなってしまったと思っていたのですが、これならむしろ、この時期に来ることができて良かったと、心底嬉しくなりました。
そして、長らく憧れ続けていたこの風景と、ついに対面することができました。
また、橋の上に立って写真を撮ろうとするときに、ちょうどいい按配で川舟がやってくるのでありまして・・・倉敷という町はのっけから、粋な展開を見せてくれるのであります。
わたしは期待にめいっぱい胸を膨らませつつ、倉敷の町歩きへと繰り出したのでありました。
(次回につづく)
大橋家住宅ホームページ → http://www.ohashi-ke.com/
ずっと前から行ってみたかった憧れの地でありながらも、わが宮崎市からは遠いこともあってなかなか行くことができなかった上、出かける直前にとんでもないジャマが入り、延期せざるを得なくなったり・・・と、出かけるまでの道のりはまことに長いものでした。しかし、ようやく足を運ぶことができた倉敷は想像していた以上に美しく、風情たっぷりで、かつ居心地のいい場所でありました。おかげさまで、楽しくて素敵な思い出をたくさんつくることができました。
これから何回かにわけて、倉敷への旅のご報告、じっくりとやっていく所存でございますので、どうぞよろしくお付き合いのほどを。
・・・などと前フリをしておいてなんなのですが、実は当初、倉敷には行くつもりはございませんでした。
久々に東京へ出かけて、神保町をじっくり歩き回ったり、古い居酒屋を訪ねたりしようかなあ・・・などと企んでおったのですが、予算等の都合もあっていったん棚上げ。それからは、今年5月に出かけて再び行きたくなっていた熊本に行くか、あるいは中学のときの修学旅行以来、キチンとした形で訪ねたことのなかった長崎へ行こうか・・・などと考えておりました。
そんなわたしを突き動かしたのは、7月はじめに起こった西日本豪雨でした。
九州から中国、四国、近畿、そして中部地方と、広範囲にわたって爪痕を残したこの豪雨で、倉敷市の北西部に位置する真備町は広範囲で浸水による被害を受け、50人近くの尊い命が奪われてしまいました。
そこに追い打ちをかけたのが風評被害です。豪雨直後、直接の被害はなかった倉敷の観光スポット、美観地区では宿泊のキャンセルが相次ぎ、観光客の数も激減したといいます。観光で成り立っている地域が風評被害に見舞われ、経済的にもいかに辛い状況になるのかということは、わが宮崎も新燃岳の噴火や鳥インフルエンザ、そして口蹄疫で経験しています。
この機会にぜひ倉敷に出かけて観光を楽しみながら、現地への支援の意味も込めつつ少しでも多くお金を使いたい・・・そう思いはしたものの、宮崎からは遠いこともあって、すぐに出かけるというわけにはまいりませんでした。なんとか時間、そして予算の都合がつきそうな、10月上旬の連休に出かけることとし、倉敷で宿泊するホテルや、博多まで移動するための高速バスの予約も済ませ、あとは出かけるのを待つばかり・・・とワクワクしておりました。
ところが。そんなワクワクを打ち砕いたのが、台風25号でした。10月上旬の連休を狙い撃ちするかのように接近してきた台風は、こともあろうに連休中にかけて、九州から中国地方に沿うようなカタチで進むという、最悪のコースを辿りました。
台風だろうがなんだろうがオレは行くからな!などと息巻いていたわたしでしたが、いくらわたしが行く気まんまんであっても、搭乗する予定の高速バスや新幹線が運休することにでもなれば、もうどうにもなりません(実際、山陽新幹線は台風の接近中に運休となったようでした)。かなり腹立たしく悔しいことでしたが、この連休中の出発を見送り、延期することにいたしました。
せっかくの予定を引っかき回した上に、さらに1週間後にやってきた台風26号とともに、わが宮崎にも少なからぬ被害をもたらしたバカ台風25号への恨みと呪いは今も持ち続けておりますし、これからもずっと呪い倒してやるつもりであります。
仕切り直しとなった旅のスケジュールは、11月23日から25日までの3日間にわたって組むことにいたしました。さらに1ヶ月半ほど待たされるのみならず、晩秋どころかあと少しで冬になるという時期ではございましたが、致し方ございませんでした。
5月の連休の時に出かけた熊本旅から5ヶ月ぶりとなる当初の予定から、さらに1ヶ月半待たされることとなり、いやもう待ちくたびれたのなんの。待ちくたびれたあまり、気力そのものも全体的に下がり気味になってしまいました。出かける1週間前には気力も持ち直してきましたが、出発の2日前に至ってもなお「ホントに行けるんだろうか」という気持ちが残っておりました。おりしも南の海では、またしても連休を前にして台風28号が発生し、隙あらば日本に接近しそうな気配を見せていたりしておりました。
ですが、さすがに出発を翌日に控えた午後には、いよいよ出かけるんだ!というワクワク感が高まってまいりました。出発が朝6時と早いこともあり、夜の10時には早々に床につきました。ワクワクしていて寝つけないのでは・・・という懸念もありましたが、思いのほか早く、眠りに落ちることができました。
・・・目が覚めて時計を見ると、まだ3時過ぎでありました。早く眠れたぶん、起きるのも早いということなのでしょうが、いくらなんでも早すぎます。もう一度寝ようと思いましたが、それこそワクワク感が募ってきて眠ることができませんでした。うまくいかないもんであります。
それでも5時少し前には起床し、6時に宮崎駅を出る高速バスに間に合うよう、5時20分には来てくれるようタクシーを手配。支度を終え、指定した場所でタクシーを待ったのですが・・・約束の時間を5分過ぎてもなかなか、やってくる気配がありません。気になってタクシー会社に電話すると、さきほど手配した時と同じ配車係のヒトは、
「あー、5時20分じゃなくて5時50分で受けてますねー」
などと、ノンキな調子で答えるではありませんか。おい!!なにをどう聞いたら「20分」が「50分」になるんだよ!それじゃとても間に合わねえだろ!
しっかりしてくださいよ、6時には宮崎駅を出るバスに乗らなきゃいけないんですけど・・・などと、あまりのことにキツめの口調で申し上げると、配車係氏は「スミマセン、すぐ手配します」といって電話を切りました。その5分後、ようやくタクシーが到着いたしました。
わたしを乗せた運転手さん、こうおっしゃいました。
「いやー遅くなって申し訳ありません。ワタシも5時50分って聞いてたんで、まだ余裕があると思ってて。前のお客さんを下ろして一息ついてたんですけど、そこに会社から〝すぐ行ってくれ〟って連絡がききたもんで・・・いやー焦りましたわ」
ああ・・・そうだったんですね。焦らせてしまって恐縮です・・・。まあ、配車係氏はいささか、寝ボケ気味といわれても仕方がないヒトのようでしたが、運転手さんはまことに優秀な方で、出発時刻の10分前には、宮崎駅に着くことができました。助かったのでありますよ。
ホッとしたわたしは、バスの乗り場近くにあるコンビニで缶ビールとおつまみ、そして朝食のサンドイッチを買い求め、無事に午前6時発の博多行き高速バスに乗り込み、出発いたしました。
早朝の便とはいえ、連休初日ということもあって車内は満席。まだ外は暗かったのですが、念願だった倉敷への旅に出発できたことを祝して、缶ビールをプチンと開けて呑み始めたのでありました。
途中、サービスエリアでの休憩を2回挟みつつ、順調に九州自動車道を進んでいた高速バスでしたが、福岡に入ってからは少々、クルマの流れが悪くなってまいりました。やはり3連休初日ということで、お出かけのクルマが多かったのでしょう。とはいえ、長々と渋滞に巻き込まれるということもなく、バスは博多の市街地へと入りました。
博多の景色を目にするのも、ずいぶん久しぶりのことでした。高いオフィスビルやマンションが建ち並び、その間を縫うように都市高速が伸びる街を車窓から眺めつつ、ああやっぱりわが宮崎とは比べものにならんくらいの大きな街だわ〜〜、などとイナカもん丸出しの感想を抱いている間に、高速バスは博多バスターミナルに到着。わたしはバスを降りるとそのまま、隣接する博多駅に入りました。
到着が多少遅れたこともあって、当初乗る予定だった10時半過ぎ発車の新幹線には間に合いませんでした。でも、それはすでに織り込み済みのこと。その少しあと、11時過ぎに発車の便に乗り込むことにして、車内で食べるお弁当を駅の構内で買い求め、新幹線のホームへ。
新幹線に乗るというのもこれまた、かなり久しぶりのことです。わたしは、搭乗することになる新幹線「のぞみ」の車輌を、期待を込めつつ眺めてみると・・・
・・・車輌の前面に、なにか動物とぶつかってしまったような痕が残されていて、いささか痛々しい感じがいたしました。とはいえ、かなり久しぶりとなる新幹線にワクワク感が高まります。11時過ぎ、新幹線「のぞみ」はまさに滑るように発車いたしました。
小倉を過ぎ、関門海峡のトンネルをくぐり抜けたことを確認したあと、博多駅で買ってきたお弁当を開けて食べ始めました。塩味と醤油味のもも唐揚げ、それに手羽先唐揚げがセットになった「3種のからあげ味くらべ」弁当に、またも缶ビールを(笑)。しっかりと味がついた美味い唐揚げは、おかずにも、そしておつまみとしてもうってつけでございました。
それにしても、やはり新幹線は早い。外の景色はビュンビュンと飛ぶように流れていきます。そのぶん、景色を眺める楽しみは半減いたしますが(トンネルもけっこう多いし)、ぐんぐんと目的地が近づいているという感じがしてまいります。
発車から1時間半ちょっとで、岡山駅に到着。ここから普通列車に乗り換えて、倉敷を目指します。さあいよいよ倉敷だ!と弾む気分とともに新幹線を降りると、駅のホームにこんな、微笑ましくなるような広告が。
イヌ・サル・キジをビジュアルに使った、職業紹介会社の広告。そう、岡山といえばきびだんご、きびだんごといえば桃太郎、なのでありますよ。構内放送でも、童謡「桃太郎」のメロディが流れていたりしていて、岡山は駅の構内からして、桃太郎ムード満点であります。
山陽本線の普通列車に乗り込むと、車内は地元の皆さんでぎっしり。乗客同士が交わす岡山弁を耳にしていると、ああとうとう岡山までやって来たんだなあ、という感慨が湧いてまいります。
岡山駅から20分ほどで、ついに憧れの地・倉敷へと到着いたしました。バカ台風による1ヶ月半の延期、宮崎から7時間の行程・・・長い道のりだっただけに、到着の喜びはひとしおでありました。「うわ〜、やっと来れた〜!」ということばが、思わず口から出てまいりました。
倉敷駅から外に出ると、そこにはこんな横断幕がかかっておりました。
「がんばろう!倉敷・真備 全国の皆さま ご支援ありがとうございます」・・・駅前の交差点にかかる歩道橋にも、おなじ横断幕がかかっておりました。なんだか胸が熱くなりました。
さっそくあちこちを歩き回りたくてウズウズいたしましたが、はやる気持ちをなだめつつ、まずは最初の目的地を目指すことにいたしました。
倉敷最初の目的地に選んだのは「大橋家住宅」。大地主として水田・塩田の開発を手がけるかたわら金融業も営み、大きな財をなした大橋家の邸宅を保存、公開したもので、建てられたのは江戸時代後期の寛政8年(1796)から寛政11年(1799)にかけて。当時の倉敷の町屋建築をよく残すものとして、国指定の重要文化財にも指定されております。
中に入ると、まずは広々とした土間と台所。当時の暮らしぶりが偲ばれるよう、家具などの調度品や小道具も再現されておりました。
台所の隅には、1枚岩で出来ている流し台がありました。小豆島の西にある豊島(てしま)で産出された「豊島石」をくり抜いて加工したものだとか。
土間で靴を脱いで上がらせていただき、中をじっくりと見学いたしました。土間のそばにあるのが、商談に用いたと思われる「店の間」。卓の上には大きな算盤が。
坪庭に沿った廊下を進むと、主の書斎。質素な内部が落ち着きを感じさせます。
坪庭の左には、位の高い客人をもてなしたという大座敷があったのですが、ここではなにやら催しが行われている様子で、一見の観光客が入っていっていいものか迷いましたが、小心者のわたしは結局、中に入るのは見送りました。いま思えばちょっと、覗いてみてもよかったかもしれないなあ。
そして、建物の奥のほうにある新座敷。その広々とした空間に圧倒されました。
邸宅の横には、米や金を保管していた米蔵がありましたが、どうやら修繕中のようで覆いがかかっていて、外観は一部しか見えませんでした。
米蔵の中はちょっとした資料館になっていて、往時の大橋家の暮らしぶりを伝える品々や写真が展示されておりました。そのなかで目を引いたのが、木堂こと犬養毅が、五・一五事件に巻き込まれる3ヶ月前に大橋家の7代・平右衛門に送ったという手紙でありました。犬飼は14歳のとき、母の生家があった倉敷で大橋家が設立した学校に通学していたのだとか。そういう縁があったとは。
展示されている写真の中には、大橋家が大正時代に使用していたという自家用車を写したものもありました。自動車の普及などまだまだ先という時代に、自家用車を持っていたとは。近代に入ってもなお、相当の資産家であったようです。
広々としたつくりで、素封家としての豪壮さと格式の高さを感じさせながらも、華美な装飾を排した内部の設えには、なんだかホッとするような安らぎを覚えました。
まさしく「侘び寂び」を体現している大橋家住宅は、かつて天領として栄えた倉敷の歴史・生活文化に漂う「粋」を、わたしに伝えてくれました。
大橋家住宅で倉敷の「粋」を感じたあとは、いよいよ美観地区へと足を踏み入れます。大橋家住宅から中央通りをまたぎ、美観地区の入り口に来ると、にわかに人の数が多くなりました。
そしてずんずん進んでいくと・・・通りはもう観光客の波。いやもう、すごい活気と賑わいでありました。
7月の豪雨からしばらくは、被害のあった真備町から離れているにもかかわらず、観光客の減少に悩まされていたという美観地区。しかし4ヶ月以上が経過してだいぶ、観光客が戻ってきているということが感じられて、なんだかとても安心いたしました。
やがて、左手のほうに倉敷川が見えてきました。そちらのほうに目を向けると・・・そこには目の覚めるような光景が。
まさに燃えるような美しさの紅葉と、その前を悠々と泳いでいる2羽の白鳥・・・。この光景には思わず「ほわ〜〜〜!」と声を上げました。来るのがだいぶ遅くなってしまったと思っていたのですが、これならむしろ、この時期に来ることができて良かったと、心底嬉しくなりました。
そして、長らく憧れ続けていたこの風景と、ついに対面することができました。
また、橋の上に立って写真を撮ろうとするときに、ちょうどいい按配で川舟がやってくるのでありまして・・・倉敷という町はのっけから、粋な展開を見せてくれるのであります。
わたしは期待にめいっぱい胸を膨らませつつ、倉敷の町歩きへと繰り出したのでありました。
(次回につづく)
大橋家住宅ホームページ → http://www.ohashi-ke.com/
今度は倉敷ですか。倉敷はわたしも一度行ってみたいと思う町です。
閑古堂さんの旅レポートを拝見しながら、旅の醍醐味を味わわせてもらいます。見事は紅葉に、今年は紅葉をじっくり味わう時間がなかったわたしは目を奪われてしまいましたよ♪
さて、次は・・・?
やはり夜は居酒屋ですか?(笑)
お察しの通り(笑)、次の回では呑み歩きのお噂も綴る予定です。ここんとこ筆、というかキーボードの進まない日が続いておりますが、年内には必ずアップしたいなと。