読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本メモ的レビュー】『大原美術館で学ぶ美術入門』

2019-10-31 21:18:00 | 旅のお噂


『大原美術館で学ぶ美術入門』
大原美術館監修、JTBパブリッシング(JTBキャンブックス)、2006年


1930(昭和5)年、岡山県倉敷市に開館して以来、倉敷を象徴する存在として多くの人たちを集め続けている大原美術館。その所蔵作品の数々を解説しながら、美術の歴史を辿っていく美術入門書です。今週末(11月2日)からの2度目の倉敷旅行を前に、読んでみました。

エル・グレコやモネ、ミレー、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、ピカソ、シャガールなどなどの西洋の巨匠。児島虎次郎や藤田嗣治、梅原龍三郎、安井曾太郎、岸田劉生、小出楢重、佐伯祐三などの日本洋画の大家たち、チャレンジングな表現に取り組む現代アーティスト。ロダンや高村光太郎の彫刻。棟方志功や河井寛次郎、バーナード・リーチなどの民芸作品・・・。まさに綺羅星のごとき面々が生み出した作品を厳選して取り上げ、それらの鑑賞ポイントや、それぞれの作家たちに影響を与えた美術界の潮流が、美術に詳しくない向きにもわかりやすいように解説されています。大原美術館の作品ガイドとしてはもちろん、美術の初心者向けの入門書としてもうってつけです。
本書を読むと、近代絵画の始まりから最先端の現代アートまで、美術の辿った歴史の大部分をカバーできるような所蔵作品に恵まれた大原美術館の充実ぶりを、あらためて認識させられます。設立者である大原孫三郎のあとを継いだ大原總一郎の「美術館は生きて成長していくもの」という信念を体現した、停滞や硬直化とは無縁の美術館像がそこにあります。
昨年の秋に初めて倉敷を訪問したときにじっくりと鑑賞したこともあって、今度の倉敷旅行では大原美術館には立ち寄らないことにしているのですが、読んでいるうちにまた、立ち寄ってみたい気分になってまいりました(昨年出かける前に本書を読んでいればよかったなあ・・・)。

巻末には、「建築探偵」の異名で知られる藤森照信さんが、大原美術館とその関連建造物を建築家・建築史家の視点から解説した文章も収録されていて、こちらもなかなか興味をそそられる内容でした。
ペディメント(三角形の上部)の下にイオニア式の列柱が並ぶ、まるでギリシャ神殿のような外観の大原美術館が、なぜ倉敷の町並みと共鳴できているのか。その理由を藤森さんは、「道路に直角でなく、道から少し退いた上で、身を斜めにして道路に面する」建物の配置の妙により、周囲との異質さを押し出す力が弱まっているからだ、と指摘しています。なるほど。
美術館の向かいに立つ大原家の別邸「有隣荘」もユニークな建物です。一見して和風でありながら、屋根には緑色のスパニッシュ瓦が葺かれていて、1階はアール・デコ様式の洋間、2階は書院造の和室という不思議なつくり。これは巡幸に訪れた皇族をお迎えするため、当初の計画を変更したことによるものだとか。
有隣荘は普段は立ち入りは不可なのですが、大原美術館が行う特別企画展の会場として、春と秋の2回、一般に開放されます。この秋の企画展は、今度の倉敷旅行の日程と重なる11月上旬の連休まで開催されているとのことなので、こちらにはぜひとも立ち寄りたいと考えております。

【読了本メモ的レビュー】『カレーライスの誕生』

2019-10-29 22:05:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂


『カレーライスの誕生』
小菅桂子著、講談社(講談社学術文庫)、2013年
(親本は2002年、講談社選書メチエとして刊行)


子どもから大人まで、世代を超えた大多数の日本人が大好きな料理であるカレー(もちろん、わたしも大好物です)。カレーはいかにして「国民食」となっていったのかを、多数の文献資料を繙きながら描いていく食文化史です。

インドで生まれたカレーはイギリスを経て、幕末から明治にかけて文明開化とともに日本に入ってきました。日本で最初にカレーのレシピを紹介した明治5年の料理書には、鶏肉やエビ、タイ、カキとともに、なんとアカガエルの肉を具として用いることが記されています。
以来、日本人の味覚に合ったカレーを作るためにさまざまな工夫や試行錯誤がなされてきました。カレー粉に鰹節の煮汁や醤油、味噌を加えたり、浅草海苔(!)を上からかけたり、薬味として味噌漬けやアジの干物、タタミイワシ(!!)を添えたり・・・。
その中でも最も秀逸な工夫だったのが、ジャガイモ、ニンジン、タマネギという「カレー三種の神器」を具として用いたことでした。明治のはじめにはまだ、これらの西洋野菜は一般の家庭には普及していなかったのですが、その後北海道を中心にして栽培が広まり、明治の終わりごろには、「三種の神器」入りのカレーが登場していたのだとか。
著者は、もし日本のカレーに「三種の神器」がなく、ご飯と黄色のカレーだけだったとしたら、日本におけるカレーブームはなかった、と断言します。タマネギのみずみずしい白、クリーム色がかったジャガイモ、オレンジ色のニンジンのハーモニーに、福神漬の赤という取り合わせは、目と口で四季を味わう長い習慣のなかで育ってきた「目で食べる」日本人ならではの色づかいだからこそ、大成長を遂げることができたのではないか・・・と。なるほど、日本式のカレーはそういう意味でも、純然たる「日本料理」なのかもしれないなあ、と思いました。

カレーが日本中に広まっていく中で、地域によって異なる受容のされかたをしていったことを、東京と大阪との比較により述べていくくだりも興味深いものがありました。東京では、新宿の中村屋や銀座の資生堂パーラーが提供する本格的なカレーが評判となり、高級路線が定着していく一方で、大阪では阪急百貨店の大食堂が提供する安価なカレーが大人気となり、大衆化路線を歩んでいくことになった、と。ちなみに、カレーの上に生卵をかける、という食べ方も、明治時代に大阪のレストランが始めたとのこと。
さらに、すでに昭和のはじめの頃には、熊本県では馬肉カレーが、福島県ではほっき貝カレーといった「ご当地カレー」が食べられていたといいます。そんな、日本式カレーの食文化をめぐるトリビアもたっぷり詰まっていて、楽しみながら読むことができました。

誰もが大好きなカレーが、さまざまな知恵と試行錯誤によって「国民食」となっていったことを知ることで、いつものカレーの味わいがより一層、深みを増してくるかもしれません。・・・ああ、無性にカレーが食べたくなってきた。


【読了本メモ的レビュー】『千夜千冊エディション 情報生命』

2019-10-27 19:32:00 | 「本」についての本


『千夜千冊エディション 情報生命』
松岡正剛著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2018年


まさしく「知の巨人」というフレーズがふさわしい方である松岡正剛さんが、2000年から続けているブックナビゲーションサイト「千夜千冊」。それをテーマごとにピックアップし、再編集した文庫版シリーズの第4巻です(昨年5月に刊行が始まり現在続刊中。今月10月には12冊目が刊行されています)。

第4巻となる本書には、情報と生命との関わりについての探究と考察がなされている、29冊の書物が取り上げられています。いわゆる「ガイア理論」を提唱したジェームズ・ラヴロック『ガイアの時代』から、遺伝子生物学の古典であるエルヴィン・シュレーディンガー『生命とは何か』やリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』、複雑系の科学を主題とした蔵本由紀『非線形科学』や清水博『生命を捉えなおす』などなど。
科学書だけでなく、アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』や、J・G・バラード『時の声』、ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』、フィリップ・K・ディック『ヴァリス』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』といったSF小説がたくさんピックアップされているのも面白いところです。なかでも、ディック晩年の傑作にして問題作といえそうな『ヴァリス』をめぐる考察は、興味深いものがありました。
「ゆらぎ」「相転移」「カオス」といった、複雑系の科学を扱った書物5冊を取り上げた第3章は、貧弱なわたしのアタマではちょっと追いつかず、ただただボーゼンとしながら読み進めざるを得ませんでしたが・・・。ですが、圧倒的な「知の奔流」のなすがままに揉まれるというのも、どことなく妙に心地良く感じられたり。

本書で印象に残ったのは、はっきりとした因果関係などないはずの現象が、まるで同期的にはたらいているかのように同時におこる・・・という「シンクロニシティ」を主題にした、F・デイヴィッド・ピートのそのものズバリの書名『シンクロニシティ』を取り上げた回の一節でした。松岡さんは、シンクロニシティなる考え方の当否には留保をつけつつも、このように語ります。

「ぼくはシンクロニシティという言葉で、自分の思索を育てようとはしていない。しかしハナっからシンクロニシティのシの字も認めないという連中の仕事から何かを得たというおぼえもない。そういう連中には縁がない。ぼくはやっぱり縁側つづきでコレとアレとを考えたい」

貪欲にして柔軟な、松岡さん流の「知の作法」が現れているかのようで、なかなかシビれるお言葉だなあ・・・と思いました。

『デジタル・ミニマリスト』 人生を充実させるための、テクノロジーとの適切な関わりかたの知恵が得られる良書

2019-10-22 21:11:00 | 本のお噂


『デジタル・ミニマリスト  本当に大事なことに集中する』
カル・ニューポート著、池田真紀子訳、早川書房、2019年


いまや、わたしたちの生活に欠かせない存在となっているスマートフォン。そして、ツイッターやフェイスブック、LINE、インスタグラムなどのSNS。
わたし自身、8年前にスマートフォンに切り替えるとともにツイッターを始め、その後さらにフェイスブックを始めたことで、情報収集や発信のありかたは劇的に変わりました。いまや、ニュースの多くはまずSNSによって得ておりますし、関心の深い本や出版に関する情報の窓口としても重宝なものとなっています。普通なら出会うこともなかったであろう、遠く離れている場所に住んでいる方々との繋がりができたことも、大きな収穫です。
その一方で、気持ちに余裕や落ち着きが失われているのを感じることも増えました。SNSに日々溢れかえる情報の奔流に溺れそうになり、事実に基づかない流言やデマに振り回され、さらに一方的で偏った思い込みからなされる「主張」や敬意を欠いた誹謗中傷を目にすることは、気持ちをひどく消耗させることでもあります。そんな中で自分を見失い、やるべきことに集中できなくなる弊害も小さくありません。多くの出版に関する情報を得ていながら、肝心の本を読む時間が削られるという、本末転倒な事態も生じていました。
そういう状況の中で、本書『デジタル・ミニマリスト』が刊行されることを(やはりSNSで、ですが)知ったとき、「本当に大事なことに集中する」という副題に強く惹きつけられました。これは自分のような人間にとっても、かなり有益な知恵が得られるかもしれないと思い、刊行後すぐに取り寄せて購入し、熟読いたしました。

常にスマホを気にして、チェックせずにはいられないような気持ちにさせるスマホ依存。本書はまず、それを引き起こす2つの要素に注目します。
ひとつは「間歇強化」。決まったパターンで報酬を与えられるよりも、予期せぬパターンで与えられたほうが、快感を司る神経伝達物質ドーパミンの分泌量が多くなり、喜びも大きくなる・・・というメカニズムです。ソーシャルメディアから〝いいね〟やリツイートなどのフィードバックが得られたときや、ネット上であちこちの記事を渡り歩いては、何らかの強烈な感情をかき立てる記事に〝当たる〟ときに、このメカニズムによる「報酬」がもたらされる、というわけです。
そしてもうひとつは「承認欲求」。部族のほかのメンバーから尊重され、承認されることが、生死に関わる問題だった旧石器時代に植えつけられ、進化してきた本能的衝動です。ソーシャルメディアで〝いいね〟のフィードバックを得ようとする行為はもちろん、メールやメッセージにすぐに返信しなくてはと焦る気持ちも、この「承認欲求」による本能により引き起こされるというわけです。
本書は、デジタル・テクノロジー企業がこの2つの要素を巧妙に刺激することでユーザーを依存させ、それによって利益を上げる仕組みを作り上げている実態を明らかにします。いずれも人間の本能に強く働きかけるものであり、個人の自制心だけではどうにもならないところがあります。それゆえ、これと闘うためには「腹の据わった戦略が必要」と著者は強調します。

そこで提唱されるのが「デジタル・ミニマリズム」という考え方。著者はそれをこのように定義します。

「自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学」

これを見てもおわかりのように、著者はテクノロジーを全否定しているわけではありません。自分が心から大事にしていることを基準にしてテクノロジーを取捨選択し、充実した人生を支えるツールとして活用することがその趣旨です。テクノロジーに都合のいいように使われるのではなく、自分の人生のために真に役立つような形で使いこなすための哲学、ともいえるでしょう。著者は次のように述べます。

「便利な道具の効き目は血糖値を一気に上昇させる食べ物のごとく短く、チャンスを見逃す不安の痛みはあっても長くは続かない。しかし、自分の時間と注意を奪おうとするものに対して主導権を握ることからもたらされる価値ある輝きは、いつまでも色褪せないのだ」

こうした「デジタル・ミニマリズム」の哲学を実践するための方法論が、1600人を対象とした集団実験をもとに導き出された「デジタル片づけ」です。
まず30日のリセット期間を定めて、かならずしも必要ではないテクノロジーの利用を休止するとともに、楽しくてやりがいのある活動を探したり再発見する。そして休止期間が終わったら、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討しながら、休止していたテクノロジーを再導入する・・・。これが「デジタル片づけ」のプロセスです。

本書の後半は、この「デジタル片づけ」を進めるための具体的な「演習」の数々を、集団実験に参加した人たちの実践例を織り込みながら伝授していきます。そのひとつが、ソーシャルメディアで「〝いいね〟をしない」こと。
人間の脳は、他者とのつながりに強い関心を持つように進化しているものの、それは「ボディランゲージや表情の変化、声の調子など、微妙なアナログのヒントから得られる大量の情報」を処理する、オフラインで相手と顔を合わせての交流に合わせた進化であって、デジタル・コミュニケーション・ツールにおけるやりとりでは、人間の高性能な社交プロセスを生かしきれないといいます。そのことを示す科学研究の結果を紹介した上で、対面での交流で生み出される豊かな情報を(ソーシャルメディアの〝いいね〟のような)たった一片の情報に置き換えることは「社交情報処理マシンたる人間に対するあまりにもひどい侮辱」であり、「フェラーリを制限速度以下で走らせる程度ではすまない。フェラーリをロバに牽かせるに等しい」と著者は痛言します。
そこで提唱されるのが「会話中心コミュニケーション主義」。人間関係を維持する手段として勘定するのは対面やビデオチャット、電話での会話のみに限定し、ソーシャルメディアでおざなりの〝いいね〟やらコメントやらをばらまく習慣とは決別する、という社交哲学です。ソーシャルメディアでやりとりするだけの「接続」ではなく、会話がもたらす豊かさと価値を取り戻すことが、その主眼とするところです。
〝いいね〟やコメントでのやりとりをやめることは、ソーシャルメディア上でのみつながっている一部の人たちが、人間関係から脱落することも意味します。その懸念に対して、著者はあえて「愛をこめた厳しい助言」を行います。それは「去る者は追わないこと」。
これに関しては、本書の巻末に解説を寄せているミニマリストの一人、佐々木典士さんも「それで離れていく関係はしょせんその程度の関係性だということだ」と述べておられます。自分が本当に大切なことに集中するためには、ソーシャルメディアにおけるムダな「つながり」を手放すことも必要なのだと、あらためて認識させてくれました。
これと関連して、本書には衝撃的な事実が紹介されています。スマートフォンやタブレット、常時接続のインターネットが当たり前に存在する中で育った世代で、不安障害が急増しているという調査結果です。ソーシャルメディアで「友達」の投稿を追い続けることに躍起となることで、一人きりで考える時間が生活から排除されたことにより引き起こされた、といった分析のあとに続く著者の次のことばには、重く響くものがありました。

「要するに、人はつねに接続し続けるようには作られていないのだ

ほかには、質の高い余暇活動や趣味に取り組むことも推奨されています。例として、農場で体を動かす生活を営んだり、スキルを身につけて手仕事でものを作ったり、リアルな交流ができる活動に取り組んだり・・・といったことが紹介されています。
これに関して実に参考になったのは、「デジタル片づけ」をやったことによって読書に時間をあてるようになった人が、著者による集団実験の参加者たちの中に何人かいたということでした。ひと月で8冊を読み終え、9冊目に取りかかったという人。3年ぶりに自分の意思で本を選び、リセット期間中に5冊読み終えたという人。子育てが一段落して以来初めて地元の図書館に行き、読みたい本を7冊も見つけたという人・・・。
わたし自身、ソーシャルメディアに関わりすぎることで、読書量がかつてよりも落ちていることを自覚しておりましたので、この結果には大いに学ぶべきものがあると思いました。

本書の中で強く印象に残った一節があります。シリコンヴァレーの起業家でありながら、ソーシャル・ネットワーキングのよさが理解できないという男性は、「人々は一日一二時間もフェイスブックに費やしてる」と夢中になってしゃべっているソーシャルメディア企業の幹部に、こう問いかけたといいます。

「一日一二時間もフェイスブックをやっているような人物が、きみと同じような成功を果たして収められるだろうか」

たしかに、ソーシャルメディアをたっぷりと活用することで「成功」した人もいることでしょう。だからといって、誰もが同じようなことをやってもうまくいくとは限らないということも、また事実ではないでしょうか。他人は他人、自分は自分という意識のもとで、自分のやりたいことを実現させることを優先しながら、戦略的にソーシャルメディアと関わることが大事だと痛感させられました。
著者は「おわりに」でこう述べています。

「デジタル・ミニマリズムは、歴史的に馴染みのない不自然な電子的コミュニケーションの大波から私たちを守る防波堤だ。私たちには、意義深く充実した人生を築きたいという本能的な衝動がある。デジタル・ミニマリズムは、技術革新が持つ謎めいた性質にその衝動を蝕まれることなく、技術革新から現にもたらされる驚異の本当の価値を引き出す手段なのだ」

私事ではありますが、しばらく前に50歳となりました。人生80年としても残りは30年ほど。短くはないでしょうが、さりとて長いともいえない期間です。これからは、自分がやりたいことをしっかりと見極めながら、それに必要なことだけに集中することが大事だということを、ひしひしと感じております。
『デジタル・ミニマリスト』は、デジタル・テクノロジーと適切に関わることで、人生を充実したものにするための知恵とヒントが詰まった良書でした。これからも折に触れて、繙いていきたい一冊であります。

蛇足ながら、本書の扉には、「しばらくお待ちください」という感じでスマホの画面に出てくる「読み込み中のマーク」が使われております。


これをみてイラッとされるような方には迷うことなく、本書をご一読していただくことを強くおススメしておきたいと思います。



【関連おススメ本】


『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』
ウィリアム・パワーズ著、有賀裕子訳、プレジデント社、2012年

プラトンやグーテンベルク、ソロー、マクルーハンなどの賢人たちの知恵を通して、ネットに溢れる騒々しい声との距離のとり方を探っていく一冊です。以前読んで大いに学ぶところがありましたので、この本もあらためて読み直してみようと思います。拙ブログの紹介記事はこちらです。→ 『つながらない生活』「つながり過ぎ」で見失った自分を取り戻す、思索と知恵に満ちた一冊



『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』
ジャロン・ラニアー著、大沢章子訳、亜紀書房、2019年

「自由意志を奪う」「真実を歪める」「共感力を低下させる」「経済的安定を脅かす」など、ソーシャルメディアがもたらす病理を具体例に即して挙げながら、そこから逃れるためにもソーシャルメディアのアカウントを削除することを提唱する一冊。こちらも、ソーシャルメディアとの関わりを再考する問題提起として読んでおくといい書物であります。