『居酒屋を極める』
太田和彦著、新潮社(新潮新書)、2014年
グラフィックデザイナーとして広告や本の装丁を手がけつつ、全国各地の居酒屋を探訪してのルポや、お酒に関する執筆活動を盛んに続けている太田和彦さん。それまで、オジサンたちがうら寂しく酒を飲んではクダを巻くような場所、くらいの認識しかなかった居酒屋を、大人が楽しみながらくつろげる憩いの場として再認識させた功績は大きいものがあります。
太田さんが「居酒屋評論家」として華々しく(?)デビューした初の著書『居酒屋大全』の文庫版は、わたくしにも居酒屋という場所の楽しさ面白さをたっぷりと教えてくれる「バイブル」となりました。以来、わたくしは勝手に太田さんを「酒飲みの師」と仰いだりしているのであります。
すでに数多くの居酒屋本を出されておられる我が師匠(←ズーズーしいな)が初めて出版した新書が、本書『居酒屋を極める』です。
居酒屋に行くというと、親しい友人知人や、勤め先の同僚らと連れ立ってワイワイと呑む、という方も多いことでしょう(とりわけこれからの時期は)。もちろん、仲間と酌み交わす酒も楽しいものですが、本書が提案しているのは一人で居酒屋に入り、一人でじっくり過ごすという飲み方です。
良い店をどう選び、どこに座るか。肴は何を注文して、主人とは何を話せばいいのか•••。居酒屋での一人飲みに慣れていない向きには、思いのほかこういったことが難しかったりもするのですが、太田さんは30年にわたる居酒屋研究の知見を総動員して、大人が居酒屋で一人でも心地よく過ごすためのコツを伝授していきます。
これからの時期に美味しく飲みたいのが、日本酒。太田さんは冷酒を美味しく飲む独自の方法を披瀝しつつも、「日本酒は『燗、常温、冷や』の順でおいしいと思う」と、燗酒の良さをめいっぱい語ります。その酒のすべての味が全開になることが燗酒の良さだ、と言い、燗酒の味わい方の極意をこのように述べます。
「燗の良さを知るにはただ一つ。すいすい飲まずにじっくり『味わう』こと。口の中に長くとどめ、舌の隅々まで酒をまわして味を探り、ヨシとなったらぐびりと飲み干す。そして鼻で残り香を、喉でキレをみる。味がすぐ消える酒をキレが良いと言い、いつまでも口に残るよりも爽快で、また次の一杯がうまくなる。」
このくだりを読むと、もう無性に燗酒が飲みたくなってきて困りましたよ、あたしゃ。これからの寒い時期に飲む燗酒、最高だろうなあ。
一方で太田さんは、大人が居酒屋で過ごすにあたっての心得や気配りのあり方についても、随所で強調しています。カウンター席に座るにあたっては「上客として『店の雰囲気を良好に保つ』という気概、覚悟を持たなければならない」と説いたり、みだりに店の主人や他のお客に話しかけたり大声を上げたりすることを戒めたり。太田さんはそういう気配りのあり方を「酒品」という言葉で表します。
「周りに気を配り、自分がどう見られているかをつねに意識して、不埒をゆるさない雰囲気を保つ。そうしてゆっくりと盃を重ねる。知らぬ他人のいる居酒屋ほどその修業のできる場所はない。」
「求められるのは紳士であること。無礼講がゆるされる場所であるからこそ紳士のふるまいをするのが本当の紳士。その修業を居酒屋でする。」
ストイックなまでの太田さんの「酒品」論には、ある種の窮屈さや反発を覚える向きもあるのかもしれません。ですが、酔えばいくらでもだらしなく、不躾になってしまいかねないのが人間というもの。あくまでもパブリックな場所で飲む以上、自分を律することができない向きは他人にとって迷惑なだけでなく、自らに対する評価をも下げることになってしまいます。それもまた、実にツマラナイことではありますまいか。
大人としての節度を保った「酒品」を持つことは、居酒屋と自分の双方の価値を高めることになる•••。我が「酒飲みの師」から、あらためてそう教えられたように思います。
「いい酒、いい人、いい肴」をモットーに、その土地に根付いた歴史ある居酒屋を高く評価している太田さんは、仙台、横浜、名古屋、京都、大阪にある、そんな歴史ある居酒屋5店が紡いだ物語を繙いています。これがいずれも、しみじみと読ませてくれます。中でも、明治の末に酒屋として創業し、昭和になって居酒屋になったという歴史を持ちながら、地域の再開発のために商業ビル内への移転を余儀なくされた、大阪・阿倍野のお店の物語は感銘を受けました。ここで取り上げられた5つのお店、いずれも訪ねてみたいなあ。
さらに、阪神淡路大震災や東日本大震災という逆境に遭いながら、そこから立ち上がった居酒屋や酒蔵を取り上げた第6章では、逆境の中で不安なときだからこそ、人が集まれる場所として居酒屋が必要なのだ、ということを再認識いたしました。
被災した地域の居酒屋や蔵元を支援した東京の居酒屋と酒飲みたちの話や、廃業の危機を乗り越えて再開を果たし、「きれいで一途に澄んだ清らかな酒」を送り出した東北の蔵元の話は、涙なしには読めませんでした。
太田さんは言います。
「いろんな人が、いろんな境遇を背負って居酒屋にやってくる。酒を飲む理由は人それぞれだ。楽しい酒も、希望の酒も、淋しい酒も、失意も落魄もあるだろう。眺めているのは世間だ。人生の縮図かもしれない。こういうものを見られるのは居酒屋しかない。
ーー人の世の姿を見る。これが居酒屋の最大の良さである。」
酒と肴のみならず、「人」を味わうことで、居酒屋で過ごす時間はもっともっと豊かなものとなる•••。それもまた、あらためて本書から教えられました。
いやー、でもなんだかんだいっても、本書を読んでいると無性に居酒屋に行きたくなってくるのは間違いありませんよ、ホントに。
本書で居酒屋の楽しみに目覚め、その価値を再認識していただき、ぜひとも自分だけの憩いの場所を見つけて欲しいと思います。
•••オレも大人の酒飲み目指して、さらに修業を重ねたいと思います、師匠!
【関連オススメ本】
『完本 居酒屋大全』
太田和彦著、小学館(小学館文庫)、1998年(元本は1990年に講談社から刊行、1992年に角川文庫に収録)
太田さんが居酒屋評論家としてのデビューを飾った記念すべき一冊にして、何度となく読み返しているわたくしの「バイブル」でもあります。飲み屋での会話を再現したかのような対談部分はもちろん、「『入らなくても判る』名店鑑別法」や「居酒屋・客種別酔態表」「居酒屋芸術鑑賞法」などの遊びゴコロ溢れる一覧表で、楽しみながら居酒屋の魅力を知ることができる名著です。現在、品切れとなっているのはまことに残念でなりません。ぜひとも、改訂の上で再刊して欲しいものです。
『超・居酒屋入門』
太田和彦著、新潮社(新潮文庫)、2003年(元本は1998年に『居酒屋の流儀』の書名で講談社より刊行)
『居酒屋を極める』で居酒屋の魅力に目覚めた方にお読みいただきたいのがこちら。居酒屋の基礎知識からお店の選び方や観察法、店内での過ごし方、行きつけのつくり方や旅先で居酒屋に入る法、などなどを、さらに踏み込んで伝授している一冊です。