読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『居酒屋を極める』 酒と肴と「人」を味わう、大人の居酒屋の楽しみ方

2014-11-30 19:21:50 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂

『居酒屋を極める』
太田和彦著、新潮社(新潮新書)、2014年


グラフィックデザイナーとして広告や本の装丁を手がけつつ、全国各地の居酒屋を探訪してのルポや、お酒に関する執筆活動を盛んに続けている太田和彦さん。それまで、オジサンたちがうら寂しく酒を飲んではクダを巻くような場所、くらいの認識しかなかった居酒屋を、大人が楽しみながらくつろげる憩いの場として再認識させた功績は大きいものがあります。
太田さんが「居酒屋評論家」として華々しく(?)デビューした初の著書『居酒屋大全』の文庫版は、わたくしにも居酒屋という場所の楽しさ面白さをたっぷりと教えてくれる「バイブル」となりました。以来、わたくしは勝手に太田さんを「酒飲みの師」と仰いだりしているのであります。
すでに数多くの居酒屋本を出されておられる我が師匠(←ズーズーしいな)が初めて出版した新書が、本書『居酒屋を極める』です。

居酒屋に行くというと、親しい友人知人や、勤め先の同僚らと連れ立ってワイワイと呑む、という方も多いことでしょう(とりわけこれからの時期は)。もちろん、仲間と酌み交わす酒も楽しいものですが、本書が提案しているのは一人で居酒屋に入り、一人でじっくり過ごすという飲み方です。
良い店をどう選び、どこに座るか。肴は何を注文して、主人とは何を話せばいいのか•••。居酒屋での一人飲みに慣れていない向きには、思いのほかこういったことが難しかったりもするのですが、太田さんは30年にわたる居酒屋研究の知見を総動員して、大人が居酒屋で一人でも心地よく過ごすためのコツを伝授していきます。
これからの時期に美味しく飲みたいのが、日本酒。太田さんは冷酒を美味しく飲む独自の方法を披瀝しつつも、「日本酒は『燗、常温、冷や』の順でおいしいと思う」と、燗酒の良さをめいっぱい語ります。その酒のすべての味が全開になることが燗酒の良さだ、と言い、燗酒の味わい方の極意をこのように述べます。

「燗の良さを知るにはただ一つ。すいすい飲まずにじっくり『味わう』こと。口の中に長くとどめ、舌の隅々まで酒をまわして味を探り、ヨシとなったらぐびりと飲み干す。そして鼻で残り香を、喉でキレをみる。味がすぐ消える酒をキレが良いと言い、いつまでも口に残るよりも爽快で、また次の一杯がうまくなる。」

このくだりを読むと、もう無性に燗酒が飲みたくなってきて困りましたよ、あたしゃ。これからの寒い時期に飲む燗酒、最高だろうなあ。

一方で太田さんは、大人が居酒屋で過ごすにあたっての心得や気配りのあり方についても、随所で強調しています。カウンター席に座るにあたっては「上客として『店の雰囲気を良好に保つ』という気概、覚悟を持たなければならない」と説いたり、みだりに店の主人や他のお客に話しかけたり大声を上げたりすることを戒めたり。太田さんはそういう気配りのあり方を「酒品」という言葉で表します。

「周りに気を配り、自分がどう見られているかをつねに意識して、不埒をゆるさない雰囲気を保つ。そうしてゆっくりと盃を重ねる。知らぬ他人のいる居酒屋ほどその修業のできる場所はない。」
「求められるのは紳士であること。無礼講がゆるされる場所であるからこそ紳士のふるまいをするのが本当の紳士。その修業を居酒屋でする。」


ストイックなまでの太田さんの「酒品」論には、ある種の窮屈さや反発を覚える向きもあるのかもしれません。ですが、酔えばいくらでもだらしなく、不躾になってしまいかねないのが人間というもの。あくまでもパブリックな場所で飲む以上、自分を律することができない向きは他人にとって迷惑なだけでなく、自らに対する評価をも下げることになってしまいます。それもまた、実にツマラナイことではありますまいか。
大人としての節度を保った「酒品」を持つことは、居酒屋と自分の双方の価値を高めることになる•••。我が「酒飲みの師」から、あらためてそう教えられたように思います。

「いい酒、いい人、いい肴」をモットーに、その土地に根付いた歴史ある居酒屋を高く評価している太田さんは、仙台、横浜、名古屋、京都、大阪にある、そんな歴史ある居酒屋5店が紡いだ物語を繙いています。これがいずれも、しみじみと読ませてくれます。中でも、明治の末に酒屋として創業し、昭和になって居酒屋になったという歴史を持ちながら、地域の再開発のために商業ビル内への移転を余儀なくされた、大阪・阿倍野のお店の物語は感銘を受けました。ここで取り上げられた5つのお店、いずれも訪ねてみたいなあ。
さらに、阪神淡路大震災や東日本大震災という逆境に遭いながら、そこから立ち上がった居酒屋や酒蔵を取り上げた第6章では、逆境の中で不安なときだからこそ、人が集まれる場所として居酒屋が必要なのだ、ということを再認識いたしました。
被災した地域の居酒屋や蔵元を支援した東京の居酒屋と酒飲みたちの話や、廃業の危機を乗り越えて再開を果たし、「きれいで一途に澄んだ清らかな酒」を送り出した東北の蔵元の話は、涙なしには読めませんでした。

太田さんは言います。

「いろんな人が、いろんな境遇を背負って居酒屋にやってくる。酒を飲む理由は人それぞれだ。楽しい酒も、希望の酒も、淋しい酒も、失意も落魄もあるだろう。眺めているのは世間だ。人生の縮図かもしれない。こういうものを見られるのは居酒屋しかない。
ーー人の世の姿を見る。これが居酒屋の最大の良さである。」


酒と肴のみならず、「人」を味わうことで、居酒屋で過ごす時間はもっともっと豊かなものとなる•••。それもまた、あらためて本書から教えられました。

いやー、でもなんだかんだいっても、本書を読んでいると無性に居酒屋に行きたくなってくるのは間違いありませんよ、ホントに。
本書で居酒屋の楽しみに目覚め、その価値を再認識していただき、ぜひとも自分だけの憩いの場所を見つけて欲しいと思います。
•••オレも大人の酒飲み目指して、さらに修業を重ねたいと思います、師匠!


【関連オススメ本】

『完本 居酒屋大全』
太田和彦著、小学館(小学館文庫)、1998年(元本は1990年に講談社から刊行、1992年に角川文庫に収録)
太田さんが居酒屋評論家としてのデビューを飾った記念すべき一冊にして、何度となく読み返しているわたくしの「バイブル」でもあります。飲み屋での会話を再現したかのような対談部分はもちろん、「『入らなくても判る』名店鑑別法」や「居酒屋・客種別酔態表」「居酒屋芸術鑑賞法」などの遊びゴコロ溢れる一覧表で、楽しみながら居酒屋の魅力を知ることができる名著です。現在、品切れとなっているのはまことに残念でなりません。ぜひとも、改訂の上で再刊して欲しいものです。


『超・居酒屋入門』
太田和彦著、新潮社(新潮文庫)、2003年(元本は1998年に『居酒屋の流儀』の書名で講談社より刊行)
『居酒屋を極める』で居酒屋の魅力に目覚めた方にお読みいただきたいのがこちら。居酒屋の基礎知識からお店の選び方や観察法、店内での過ごし方、行きつけのつくり方や旅先で居酒屋に入る法、などなどを、さらに踏み込んで伝授している一冊です。

東北の恵みを味う最強タッグ!「とれたてホップ一番搾り」と「氷結 和梨」

2014-11-30 19:21:39 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
近所のスーパーにこの2本が並べられていたのを目撃して、嬉しくなりさっそくまとめ買いしてきました。岩手県遠野産のホップを使用した「とれたてホップ一番搾り」と、福島県産の梨を使用した「氷結 和梨」です。

いずれも昨年発売されたとき飲んでみて、その美味しさのトリコとなりました。また今年も発売されるといいなー、と思っておりましたので、そりゃ嬉しいのなんの。まとめ買いもしたくなるというもんですよ。この2本を置いてくれた、宮崎市の「山形屋ストア」に拍手!

「とれたてホップ一番搾り」は、岩手県遠野産ホップが醸し出す、花やか(←そう、それこそこの表記がふさわしい)な香りが引き立ち、口の中いっぱいに心地良い苦みと、ふくよかな旨みが広がります。わたくしのようなビール好きにはこたえられないものがありますし、ふだんあまりビールをお飲みにならない皆さんにも、香りを楽しみながらゆっくりと飲んでいただきたい逸品なのであります。
そして、福島県産の梨を使用した「氷結 和梨」は、チューハイ系飲料にありがちなベタベタした甘さがなく、まことにスッキリと爽快な飲み口の中に芳醇なコクも感じられるという、まさしく「オトナの甘さ」に酔わされます。ついつい一本飲むだけでは済まず、「よし、もう一本!」と手が伸びてしまうのであります。

東北から遠く離れた宮崎の地にあって、このように手に取りやすい形で、東北の恵みと美味しさを味わうことができるというのは、本当にありがたく嬉しいことです。
心地良い酔いに包まれながら、美味しい恵みを生み出す東北の自然と風土、そしてそこに生きる人びとに思いを馳せる•••。そんなひとときを過ごすのはとてもいいものです。
ぜひとも多くの皆さんにもこの2本を味わいながら、そんな豊かなひとときを過ごしていただけたら、と願います。

東北の恵みと美味しさ、それを育んでくださる生産者の皆さん、そして生み出された恵みを美味しく届けてくれるキリンに乾杯!

【雑誌閲読】『SINRA』11月号 特集「森のいのち クマとシカが教える森の未来」

2014-11-22 15:09:24 | 雑誌のお噂

『SINRA』11月号(第2号)
編集・発行=天夢人、発売=新潮社


自然にまつわる森羅万象を、読みごたえのある記事とグラフィックな誌面構成で伝えてきた新潮社発行の月刊誌『SINRA』。1994年に創刊したこの雑誌、わたくしも愛読しておりましたが、6年後の2000年に惜しくも休刊してしまいました。
それから14年の時を経た今年の7月、玉村豊男さんを編集長に迎え、隔月刊誌として『SINRA』が帰ってきました。編集プロダクションの「天夢人」が編集と発行を手がけ、新潮社は発売のみという形態での復刊ですが、表紙に掲げられたロゴは紛れもなく以前と同じもので、かつて愛読していた身としても嬉しいところであります。

「田園生活」をテーマとした特集の復刊第1号に続く第2号の特集は「森のいのち」。クマとシカという2つの生きものを通して、森と人との関わりを見直してみようというものです。
まずスポットが当てられるのはクマ。玉村豊男さんの「怖いクマ、かわいいクマ」は、フランスの象徴博物史学者であるミシェル・パストゥローの著書『熊の歴史』(筑摩書房)を援用しつつ、かつては「百獣の王」と称され崇められていたクマが、鈍重で「かわいい」存在へと転落するまでの歴史を辿ります。それによれば、ヨーロッパにおいては自然崇拝の象徴であったクマは、多神教的アニミズムを認めないキリスト教勢力によって行われた大規模な虐殺により頭数を減らされたといいます。その上、サーカスなどで見世物にされたクマは「飼いならされた低い位置の動物」へと貶められていったのだとか。
ここで援用された『熊の歴史』という本、なかなか興味深い内容のようで読んでみたくなりましたが•••値段が5076円。うう、これはすぐに買って読むというわけにはいかんのう。

続く「“里グマ”の言い分」という記事は、昨今頻繁に見られるようになった、クマが食べものを求めて人里へと下りてくる事態の背景に迫ります。
人間の手による開発に伴う自然破壊で森が損なわれ、食べものを得られなくなったことで、クマは人里に出てくるようになった•••といった図式が頭に浮かびがちですが、日本の森は破壊され縮小しているどころか、ろくに手入れも利用もされずに「孤立し見放され、〝無干渉〟という状態」の中で、むしろ成長し拡大しているのだとか。加えて、自然界と人間との緩衝地帯であった里山に人が住まなくなったことで、クマが行動範囲を広めたのではないか、とも。
自然を台無しにする側のみならず、「自然や動物を守ろう」と唱える側も、実のところは図式的な理解だけで自然を見ていて、本当の自然というものをわかっていないのかもしれない。思い込みを排して自然に向き合うことが、クマをはじめとする動物たちと共存するしていくための第一歩なのかもしれない•••。この記事を読みながら、そんなことを思いました。

自然や動物たち同様に、いやそれ以上に、ある種の図式的な思い込みで見られているのが、ハンター=猟師たちではないでしょうか。特集では、そんなハンターたちにもスポットを当てています。
日本における農林業被害の、もっとも大きな原因となっているのがシカによる食害。過剰な保護政策により、かえって増え過ぎてしまったシカを適正な状態に保ち、森の生態系を守っていくために必要なのが、ハンターたちによる秩序ある狩猟なのです。それは決して、命を蔑ろにする行為ではありません。
特集には3人のハンターが登場して、それぞれの自然観や、命をいただく意味について語っています。とりわけ印象に残ったのが、ワナ猟師の千松信也さんのお話でした。
猟を始めて14年目になっても「動物を殺すという行為に慣れるということはない」という千松さん。猟は自然や山間部の人々の暮らしを守る上でも必要なものであることが認知されつつある、としながらも、「大義を掲げた狩猟にはもはや興味はない」と言います。

「森を守るためではなく、自分が食うために狩猟をする。家族や友人たちとしっかり食べられる量の肉が手に入ったらもうそれで十分である。自分の猟場で獲物を獲りすぎたら、次の年から苦労するのは自分だ。逆に獲物が増えすぎても良くない。森の食物が不足し、獲物自体が痩せてしまえば、おいしい肉が手に入らなくなる。」

余計なリクツを排した、このシンプルさこそ、あるべき自然との向き合いかたなのかもしれませんね。いやあ、実にカッコいいなあと思いましたよ。
自然界最強のハンターといえば、オオカミ。すでに日本では絶滅してしまった野生のオオカミを海外から導入し、森の生態系を回復、維持していこうという考え方も紹介されています。海外にいるオオカミたちも、かつて日本にいたオオカミとは生物的な違いはないようなのですが、環境省は「人間が一人でも襲われる可能性がある以上、オオカミの再導入など論外」という姿勢なんだとか。
日本オオカミ協会の会長である丸山直樹さんは、そんな環境省の姿勢について「オオカミの復活による鹿害解消の可能性について調査も研究も行わず、リスクを恐れてもっぱら無視を決め込んでいます。こうした非科学的な態度は、日本の生態系を滅ぼし、国民を不幸にするものです」と強く批判しています。海外からのオオカミ導入についてはまだ、その是非を判断できる材料に乏しいわたくしではありますが、さまざまな局面で見られる思い込みによる非科学的な態度(官に限らず、民の側にも存在する)への批判的問いかけは、傾聴に値するものがあるように思われました。

狩猟によって得られた獲物は、しっかり味わって食するのが礼儀でしょう。そんなわけで、狩猟による鳥獣肉=ジビエの楽しみ方もたっぷり取り上げています。ジビエの旬は秋から冬にかけての時期。そう、今がまさに食べごろの季節なのですねえ。
農林業被害を抑え、里山の環境保全に資するのみならず、地域活性化のカギともなりうるジビエ。現在27の自治体が、ジビエに対する安全基準を設け、その普及に向けて動いているのだとか。
シカの肉は低カロリーなのに高タンパクで鉄分も多めで、イノシシ肉も見かけのわりにはカロリーは牛や豚より控えめ。そんな優れた食材でもあるジビエを美味しく味わうレシピも紹介されています(鹿肉を使ったコロッケはなかなか旨そう)。また、ジビエが味わえる全国のレストランも紹介されていて、フレンチのみならず和風や中華風など、多様な形のジビエ料理が提供されているのを知ることができます。•••そういえばわが宮崎市にも、県の山間部にある西米良村で獲れたシカやイノシシが食べられるお店ができていたなあ。機会をつくって食べに行ってみたいですねえ。
ちなみに、独特の獣臭さから敬遠されることも多いジビエですが、内臓の処理が適切になされれば臭いも出ないとのことで、臭いのあるジビエは「B級以下」なのだとか。どうやらジビエについても、あらぬ思い込みから誤解していたところがあったようですね。

この「森のいのち」という特集記事、森とそこに生きる動物たち、狩猟という営み、そしてジビエに対して持っていた図式的な思い込みを改めさせてくれるいい企画だと感じました。これはぜひとも、多くの方に読んでいただきたい特集であります。
•••とはいえ、もう次号の発売が間近に迫っているわけで(発売は奇数月の24日)、いささか遅すぎるご紹介となってしまいました(大汗)。書店で買い逃した皆さま、どうかバックナンバー注文で入手していただければ幸いです。

特集以外の記事では、古代から続く狩猟文化と自然への畏敬を持つ「マタギ」の里である北秋田市の阿仁(あに)地区の探訪記事が興味深かったですね。阿仁地区を通る秋田内陸線の紹介もあって、彼の地への旅情も誘ってくれます。また、マレーシア、タイ、ベトナムの熱帯に生息する蝶たちを撮影した、昆虫写真家の海野和男さんの写真で構成されたグラビアは、大いに目を楽しませてくれました。

再スタートを切った『SINRA』。今後も、自然にまつわる森羅万象を取り上げながら、われわれの価値観を刷新してくれるような、見ごたえ読みごたえある誌面づくりを期待したいところであります。

【読了本】『ノンフィクションはこれを読め!2014』を読んで再認識した、HONZの存在意義

2014-11-12 22:28:55 | 「本」についての本

『ノンフィクションはこれを読め!2014 HONZが選んだ100冊』
成毛眞編著、中央公論新社、2014年


代表である成毛眞さんをはじめとする読み巧者の多彩なレビュアー陣が、溢れる熱意と達意の語り口をもって、オススメの面白ノンフィクション本を紹介し続けているサイト「HONZ」( http://honz.jp/ )。その年刊傑作選ともいえる『ノンフィクションはこれを読め!』(以下『ノンこれ』)、3冊目となる2014年版が刊行されました。
HONZのレビューは、サイトで更新されるたびに目を通してはいるのですが、情報として有用なのはもちろん、読みものとしても面白いHONZレビューは、一冊の本というカタチでまとめて読むとまた実に楽しめるのですね、これが。

まず最初に収録されているのが、「HONZ年間ベスト10」に選ばれた10冊のレビュー。その1位に輝いたのが『背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』(ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド著、牧野賢治訳、講談社)。豊富な事例を引きながら、科学者たちが不正行為に手を染める背景に切り込んだこの本は、少し前までは絶版状態でありました。しかし、あのSTAP細胞騒動を受けて、本書は今こそ読まれるべき名著である、ということを熱意を込めて訴えた、大阪大学教授の仲野徹さんのレビューは出版社を動かし、本書はめでたく復刊の運びとなりました。
出版界ではほとんど例のなかった「絶版となった科学書の復刊」を導いた仲野さんのレビューを『ノンこれ2014』であらためて読むと、実に感慨深いものがありました。
『背信の~』に続く年間ベスト10の2位は、警察の裏金問題を追及した地方紙の栄光と転落を描いた硬派ノンフィクション『真実 新聞が警察に跪いた日』(高田昌幸著、角川文庫)。この本を紹介した麻木久仁子さんのレビューも、ある種の凄味がじんじん響いてくる力作で、圧倒されるものがありました。
そして、年間ベスト4位の『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(佐々涼子著、早川書房)。日本の出版を紙の生産で支え続ける日本製紙石巻工場が、東日本大震災の甚大な被害から立ち上がっていく過程を追った本書を紹介した野坂美帆さんのレビューは、現役書店員として、そして本好きとしての熱意と、石巻工場の働き手への敬意が結実した素晴らしいもので、それ自体すごく感動的でした。
HONZ編集長の土屋敦さんは、『ノンこれ2014』のあとがきに「やはりレビュアーが、自分がとびきり面白いと思った本を、ただただ熱い気持ちで紹介しているレビューが何よりも面白い」とお書きになっていますが、上の3本のレビューを読むと、そのことを深く深く納得するのです。
年間ベスト10のあとは、歴史、ビジネス、社会、アート、雑学、サイエンスなどのジャンルごとに、90冊のレビューが並びます。硬軟それぞれのレビューを巧みにこなす、栗下直也さんのオールラウンドプレイヤーぶりや、重厚な内容の本を硬質の文体で紹介する、鰐部祥平さんのハードボイルドなレビューなどなど。いずれもメンバーそれぞれの個性が発揮されながらも、取り上げられた本を「読んでみたい!」という気にさせてくれる達意のレビュー揃いで、読書欲が大いに刺激されます。

2012年版の150冊、2013年版の110冊からすると、再録レビュー数は100冊分と少し減ってしまっておりますが、そのぶん著者インタビューや、対談、HONZ活動記といった企画ものコーナーがいろいろと設けられていて、これらがまた(悔しいことに)けっこう読ませてくれます。
中でも頷けるところがいろいろとあったのが対談2本です。年間ベスト10を振り返るHONZメンバーによる座談会では、1位の『背信の科学者たち』について、関係者への好奇ばかりに終始するマスコミの報道やネットの情報ではSTAP問題の本質がわからなかったところに、その道の権威でもある仲野さんが推したからこそ『背信の~』は注目された、といった話がなされます。それを受けて、山本尚毅さんがこのように言います。

「テレビとかネットとか、情報はいっぱい流れてくるけど、一体何を信用したらいいのかわからない。だからきちんとした本を読みたいという欲求がでてくる。」

それを受けて、麻木久仁子さんが言います。

「一時は『ネットで真実!』みたいな傾向に流れていたけど、最近は『所詮ネットじゃん』ってみんな気づいてきた。だから、長い時間をかけてきちんと検討されたうえで出版される本に手が出るのかもしれない。そうあってほしいと私は思うのだけど。」

衆目にウケそうなことは熱心に報じながら、本質を追わないマスコミ。思い込み先行の不確かな情報に溢れているネット。そういったものに囲まれているからこそ、時間をかけてじっくりと書かれ、世に出される書物の価値が輝きを増す•••。そのことは、いくらか希望を感じさせるものがありました。

もう一つは、ライフネット生命会長兼CEOにして、HONZの客員レビュアーでもある出口治明さんと、麻木さんとの対談です。本の読み方から歴史の見方、教養とは何なのか、といったテーマで語られるお二人の話は出版事情とその問題点にも及びます。いたずらに危機感を煽るような本が目立つ昨今の状況を憂うお二人は、このようなやりとりをなさっています。

出口 短いスパンならそういう本が売れます。でもそんな本を読む人は、だんだん本が詰まらなくなると思うのです。あるいはもっと刺激の強い本を求めるか。結局、長いスパンで見たら読者を失うことになるのに気が付かないのでしょうか。
麻木 HONZは、そういう煽り系の本を取り上げることが少ないです。読書を楽しむための本を、みんな巧まずして選んでいますね。じっくり読んで楽しかったという気持ちが伝わってきます。同じ一冊を読むんだったら楽しいほうがいい。」


わたくしがHONZを信頼できる大きな理由を、このやりとりで再認識させられました。そう、HONZではコケおどしの煽り本や、刺激的な物言いで読者を引きつけては、読んだ者にさらなる強い刺激を求めさせるような覚せい剤本などといった物件はほとんど取り上げられることがないのです。
しっかりした見識で選んだ本気で面白い本だけを、余計な批評は抜きで熱意を持って紹介する。そんなどこまでも真っ当なHONZだからこそ、多くの人たちから信頼され、支持を得ることができるのではないか。そしてそのことは、ものごとの本質をしっかり見極めたいという人たちに、良質なノンフィクションを届けることにも大きく寄与するのではないか•••。
『ノンこれ2014』を通読することで、あらためてわたくしはHONZの存在意義を噛み締めたのでありました。

しかし。取り上げた本の魅力を最大限に伝えるHONZのレビュー群を読むことは、たくさんの本を買い込んでは積ん読が山をなす•••という、実にキケンで悩ましい副作用をもたらすわけで、「カタギ」の皆さまはくれぐれも注意していただきたいのであります。なんせ同じように、ついついたくさんの本を買わされた人たちによる「被害者の会」(笑)まで結成されているのですから。
もっとも、それは当のHONZメンバーも同じなようで、編集長の土屋敦さんからして、買わされた本を読む時間もないまま「うず高く伸びた未読本の『積ん読タワー』」をこしらえている、そうな。それを知ってなんだか、ちょいと気分が晴れたような気がした次第であります。

【読了本】『ふしぎな国道』 知ってるようでぜんぜん知らなかった国道のあれこれに「ヘェ~」連発の面白本

2014-11-09 17:32:03 | 本のお噂

『ふしぎな国道』
佐藤健太郎著、講談社(講談社現代新書)、2014年


ひとつのモノゴトにとことんこだわり抜いた内容の本や雑誌というのは、なかなか面白いものであります。
取り上げられている対象が、普段はまるで意識もしていないようなモノゴトだったりするとなおさらで、「ふーん、いままでたいして興味もなかったんだけど、こんな面白いヒミツや裏事情があったのかー」てな感じで、実に新鮮なオドロキや発見に満ちていて、けっこう好奇心を刺激してくれたりいたします。
国道をはじめとする道路のあれやこれやにとことんこだわりまくった、この『ふしぎな国道』という本も、まさしくそのような新鮮なオドロキと発見に満ちた実に面白い一冊なのであります。
著者の佐藤健太郎さんは、科学ジャーナリスト賞を受けた『医薬品クライシス』(新潮新書)などの著書でも知られるサイエンスライターですが、実は17年におよぶ国道マニアでもあるそうで、もともとは科学の本を書くよう依頼してきた編集者氏を説得した末に、本書を上梓するに至ったとか。それだけに本書には、佐藤さんが国道に注ぐ熱意と愛がたっぷりと詰まっています。

まず取り上げられているのが、全国各地の変わりダネ国道の数々です。
そのインパクトから、国道マニアならずとも知名度の高いのが、青森県は龍飛崎にある「階段国道」こと国道339号。362段におよぶ階段もさることながら、民家の間を抜けて伸びる区間もあったりして「日本で最も狭い国道」でもあるそうです。もちろん、どう頑張ってもクルマが通れるはずもありません。いやはや、こうしてあらためて知ると、この339号は変わりダネ国道の王者、という感じがいたしますね。
他にも、山の中に細く伸びる登山道国道(しかも、国道標識がくくりつけられているのは自然木)や、通行人行き交うアーケード国道、別の国道から分岐したと思ったら、わずか62メートルで海に突き当たってしまう「盲腸国道」などなど、ケッタイな国道の数々に、いきなりわたくしの胸は鷲掴みにされてしまいました。
まともに車が通るのにも困難をきたすような「酷道」にも、なかなかインパクト十分な物件が目白押しです。中でもキョーレツなのが、大阪市と奈良市を結ぶ国道308号。とんでもない急坂はあるわ、幅が2.2メートルしかない場所があるわ。あまつさえその最狭部分の道端には「道路狭小につき通行ご遠慮願います」という「国道にあるまじき看板」まで立っているという「最初から最後まで、車を通らせようという気概が微塵も感じられない」国道なんだとか。もの凄すぎる•••。
ちなみに九州代表の「酷道」として名が挙がっているのが国道265号。北半分は阿蘇山周辺をめぐる快適な観光道路ながら、宮崎県に入ると細く頼りない、崩落箇所も目に入る「酷道」になるんだとか。•••ああ、やっぱり(苦笑)。
さまざまな最高記録を持つ国道にもオドロキの物件が。日本で最長の国道は、東京都中央区と青森県青森市を結ぶ、約743.6kmの国道4号なのですが、これには思わぬ「伏兵」があるといいます。鹿児島市から種子島、奄美大島を経由して沖縄の那覇市に至る国道58号は、途中の「海上区間」を含めると約857kmにも及ぶ最長の国道になるんだと。まさか海の上にも「国道」が伸びていたとは•••。

笑いを誘われる変わりダネ国道や、オドロキの記録を持つ数々の国道の紹介にも気持ちを鷲掴みにされるのですが、国道をめぐる歴史や国道周辺の話題にも、興味を惹かれることが多々ありました。
国道というと、その名の通り国がすべてを管轄していると思いきや、国が管理するのは特に重要な区間のみで、ほとんどは「補助国道」として都道府県や政令指定都市が管理を受け持つようになっているんだとか。うーむ、それも初めて知りましたね。
その形状から「おにぎり」なる愛称で呼ばれているという国道標識も、観察してみるといろいろなことが見えてくるようです。国道標識にも、幅が1メートルを超える異常に大きなものが歩道橋に架けられていたり、ガードレールにステッカーに印刷されたのが貼られていたりと、いろんな地域性があったりもするんだとか。
また「ROUTE」の綴りが間違っている標識もいくつか存在しているそうで、「ROUOE」やら「ROUET」、果ては「ROUTO」なんて表記のものも。目薬かよ(笑)。
さらには、国道にまつわるグッズや(本物の国道標識と同じ素材で作られた「ミニチュアおにぎり」など)、国道をテーマにした歌を紹介した章まであります。あの龍飛崎の「階段国道」を歌い込んだ曲もあるそうな(演歌歌手・長保有紀さんが歌う「龍飛崎」)。

本書を読むことで、実にさまざまな興味と着眼点から国道にこだわる、愛すべきマニアたちの存在も知ることができました。
実は道路趣味者の中では最大勢力という「酷道」マニアをはじめ、もう使われていない道路を巡る「廃道探検」、各地の国道標識を撮影してコレクションする、などなど。極めつきは、「国道の有り難みを知るには、国道がなかったらどうなるかを試すのが一番」と、スタートからゴールまで一切国道を通行することなく走り抜けようという「非国道走行」なんてのもあるんだとか。•••ちなみに、そのような「非国道走行」の趣味人たちのことを「非国民」というそうで(笑)。
そんな道路趣味の中で、「これならけっこう面白そうだなあ」と感じたのが「国道完走」。一本の国道を最初から最後まで全区間走り抜けることで、普段は一部分しか通行していない道がさまざまな街へ通じていたり、広い幹線道路だった道がやたら狭い道になっていたりと、「身近な国道の知らない面、日本という国の知られざる姿を再発見できる」楽しさがあるといいます。

「国道など毎日見慣れているようでいて、実は我々が知っているのはそのうちの一点、あるいはせいぜい数kmの短い『線分』に過ぎない。一本の国道を走りきり、『線』として捉えてみると、今までと全く違ったものが見えてくるわけである。」

また、かつては国道だったのが、その後の道路整備などで都道府県道となった「旧道」を辿る、というのにも興味を惹かれました。古い街道の名残りがあったり、昔の道路元標(道路の起終点を示す石碑など)がひっそりと眠っていたり、昔ながらの商店街や重厚な造りの旧家が軒を並べていたり•••など、地域と道路をめぐる歴史を窺うことができるようで、なかなか味わい深いものがありそうです。
鉄道の旅が大好きなわたくしではありますが(というか、そもそも自分のクルマを持っていない)、こういう国道完走や旧道巡りというのは、旅としても面白いものがあるように思いましたね。いつか機会を作ってやってみようかなあ、クルマ借りて(笑)。

普段はほとんど意識することもなく通り過ぎていくだけの、空気のような存在である国道。そこにとことんこだわることで、実にいろいろなことが見えてくる、ということがよくわかり、読みながら「ヘェ~」の連発でした。佐藤さんの記述もユーモアが満載ですし、カラー写真も豊富に収められていたりして、読みものとしてもまことに楽しいつくりとなっていました。
国道マニア道路好きならずとも、読んでおいて損はない一冊だと思いますぞよ。