読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

日本図書館協会九州地区の集い in 宮崎「つながる図書館 ~図書館と市民をむすぶ~」に参加して

2015-07-20 23:40:20 | 本のお噂
日本図書館協会九州地区の有志の皆さんが企画した「図書館の集い」の第8回が、12日(日曜)と13日(月曜)の2日間にわたって、宮崎県立図書館にて開催されました。
講師として招かれたのは、各地の図書館の動向についての取材を重ねておられるハフィントンポスト日本版記者・文筆家の猪谷千香さんと、さまざまな場所で本との出会いを演出しておられるブックディレクターの幅允孝さん、それに図書館情報大学名誉教授の竹内悊(さとる)さんのお三方です。


図書館に勤めておられる皆さんをメインのターゲットにした企画でありましたが、図書館や本に関心がある向きなら誰でも参加できるということで、勤務している書店の後押しもあって(そもそも、この研修会の開催を教えてくれたのも、勤務先の書店の社長でありました)、不肖わたくしも参加させていただくことができました。講師の皆さんによる興味深いお話を拝聴することができた上、宮崎県外を含むさまざまな地域からお集まりになった図書館職員の皆さんとの交流もあったりして、実に有益な2日間でした。
少々遅くなってしまいましたが、当ブログでこれから2回に分けて、この研修会のご報告を記しておくことにいたします。


困難な状況にある人びとに「本」ができること
~ロビーでの企画展示


県立図書館の1階ギャラリーでは、研修会と連動した企画展示会が開催されておりました。まずは、東日本大震災で大きな被害を受けた東北3県における図書館被害の実情と、その後の図書館支援の動きを伝える写真パネルの展示でした。
津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町の図書館の建物は跡形もなくなり、図書館があったことを示す痕跡は、わずかに残った棚板の残骸のみだったとか。しかし、その後の支援により、南三陸町には仮設の図書館ができました。


展示では、その他の地域における避難所での「おはなし会」や、郷土資料レスキューなどといった支援の様子も伝えていました。本を目の前にしての、子どもたちの嬉しそうな表情がまことに印象的でした。辛く大変な状況の中、本の世界がささやかながらも、子どもたちの支えになったのかなあ、と。
被災した地域への本を通した支援が、これからも地道になされていくことを願わずにはいられませんでした。

もう一つの企画展示は、視覚や聴覚などにハンディキャップを持った方々に向けた、点訳図書や音訳図書、パソコンを利用した音訳システム「DAISY」などの「障がい者サービス用資料」の紹介でした。その中で特に目を引かれたのは、視覚にハンディのある子どもたちに向けた布製の絵本でありました。


手で触れることによって、物語の世界を理解することができるという、それら布製の絵本には遊び心もあったりして、ハンディキャップの有無にかかわらず楽しめそうな感じがいたしました。
ボランティア有志による手づくりのものがメインでしたが、こういう素敵な試みがもっともっと広まり、多くの方々が本の世界の楽しさを共有することができたらいいなあ、とつくづく感じました。

震災により、図書館と多くの本を失ってしまった方々への読書支援。そして、ハンディキャップのある方々に本の楽しさを届けようとする試みの数々。
困難な状況を抱える人たちに対して、「本」ができることはまだまだたくさんある・・・。そんなことを強く感じた、2つの企画展示でありました。


書店にも共通することの多かった、変わりゆく図書館の現状分析と提言
~猪谷千香さんの講演


開会は14時ちょうど。主催者側の挨拶に続いて、研修会のスポンサーとなった富士通による、図書館情報システムのプレゼンが。ある図書館に寄せられた本のレビューを他の図書館とも共有したり、博物館などのウェブとの連携もできたり・・・などなど、図書館の情報システムというのも、ずいぶん進化してきているもんなんだなあ、と感心しきり。
富士通によるプレゼン終了後、そのまま猪谷千香さんの講演に移りました。演題は「次世代に生き残る図書館とは?」。以下、ざっくりとですが、その講演の要旨を。

一般受けしそうな本をたくさん購入して貸し出すような、「無料貸本屋」という批判もあったこれまでの図書館。このところ、そういった図書館のあり方を打ち破るような面白い図書館が、全国各地に出来てきています。その中でも特に話題を集めたのが、佐賀県の武雄市図書館。TSUTAYAを全国展開するCCCが指定管理者となり、書店やスターバックスを併設したユニークさが話題となり、全国各地にそのフォロワーが生まれてきています(その中には、駅前開発の一環として図書館を新築しようとする宮崎県延岡市も)。
武雄市図書館以外にも、図書館をめぐる独自の面白い取り組みが各地でなされています。市民活動や生涯学習、青少年活動を支援し、地域の課題を解決する複合施設ともなっている武蔵野プレイス(東京都)。ビジネス支援に力を入れるとともに、県職員が活用できるように県庁内に分室を持つという鳥取県立図書館。財政破綻寸前だった上、きちんとした図書館もなかったという島根半島沖6キロの離れ島に図書館をつくり、将来の町づくりを担う子どもたちの育成を図ろうという、島根県海士町の「島まるごと図書館構想」、などなど。
図書館をめぐる近年の動きから見えてくるのは、地域の抱える課題を解決するとともに、地域に住む人びとの拠り所となる「コミュニティ」としての役割が、図書館に期待されている、ということです。
とはいえ、図書館をめぐる状況には厳しいものがあるのが現実です。東京への一極集中と少子化による人口減が招く「地方消滅」が話題になりましたが、実際に財政が困窮している自治体も数多くあり、そのあおりを受けている図書館もまた多く存在します。その象徴ともいえるのが、神奈川県が「県立図書館のサービスを縮減し、閲覧や貸出の廃止も検討」を打ち出した、2012年の「神奈川県立図書館問題」でした。湧き上がった批判や議論を受けるかたちで県は方針を転換し、辛うじて神奈川県県立図書館は救われましたが、財政に困窮する自治体が多くある中、神奈川県立図書館問題は「他県ごと」ではありません。図書館側にも積極的な「生き残り戦略」が求められています。
一方で、子どもの貧困率が過去最悪となり、非正規雇用の増加で若年層の貧困率も上昇するなど、日本における「貧困化」も広がりを見せております。特に子どもたちについては、家庭の経済状況に左右されないような学びの機会が与えられることが大事であり、この点からも、「知のセイフティネット」である図書館の「生き残り戦略」は必要といえるのです。
図書館が次世代へ生き残っていくための一つのカギとなるのが、TwitterやFacebook、Instagram、LINEなどといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を活用した情報発信です。
情報発信のためにサイトを設けている図書館は多いのですが、それらを閲覧するのは図書館をよく利用している一部の利用者だけ。SNSを活用した発信により、広範囲のユーザーに情報を届けることで、普段図書館を利用しないような人びとの間にも「味方」を増やすことができるのです。
地域の人びと、出版社や書店、作家、さらにはSNSを駆使した情報発信で得られる「味方」。そういった内外の人たちと「つながる図書館」が、次世代に生き残っていけるのではないのでしょうか・・・。

猪谷さんが語った、変わりゆく状況の中で生き残ろうとする図書館の現状をめぐる分析と提言。それは、同じく本を扱う仕事であるわれわれ書店の人間にとっても、共通するものが多々あったように思いました。
図書館同様、いや、それ以上に、書店も厳しい状況に置かれております。猪谷さんの講演でも、現在「本屋ゼロ」となっている市町村が332ヶ所もある、といった「図書館以上に逼迫している」街の書店についての言及がありました。積極的に情報発信に努め、内外の人たちと「つながる」ことで生き残りをかけねばならないのは、われわれ書店の側についても言えることでしょう。
講演では、図書館に所蔵されていない本をコンシェルジュがデータベースで検索し、在庫がある書店や古書店を紹介するという千代田図書館(東京都)の試みなど、図書館が地域の書店と連携している実例も紹介されました。地域にある図書館と書店が、「知の拠点」および「知のセイフティネット」の両輪として、さまざまな形で連携を模索していけたら、と思います。
猪谷さんが紹介された、「かもめブックス」(東京都神楽坂にある、校正の会社「鷗来堂」が運営する書店で、さまざまな企画やサービスを打ち出しておられるお店でもあります)の方が語ったというお言葉が印象に残りました。

「個々のライフスタイルに合わせなければ、どんな施設もサービスも利用してもらえない」

講演から得られたいろいろな示唆を、自分の仕事の場においても少しずつ、形にしていかなければ、と思った次第です。

講演の終了後、持参していた猪谷さんのご著書『つながる図書館 コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書)にサインをしていただきました。ご著書における硬質な文章から、とっつきにくい方を想像していたのですが、実際に目にすることのできた猪谷さんはとてもチャーミングなお方でありました。猪谷さん、本当にありがとうございました!


研修会の「予習」として拝読した、この『つながる図書館』には、講演で紹介されていた図書館とその動きがより詳しくレポートされていて、まことに興味深く読むことができました。この本についても、あらためて当ブログでご紹介したいと思っております。


図書館の方々との交流も楽しかった懇親会

初日のプログラムが終了したあと、宮崎県立図書館のそばにあるメディキット県民文化センター(県立芸術劇場)1階にあるレストランにて、懇親会が催されました。
参加者の半数くらいに、講師の猪谷さんも加わった立食形式のパーティー。カナシイことに、こういう華やかな場にはほとんど馴染みがない(苦笑)わたくしはいささか緊張気味で臨んだのですが、同じテーブルに居合わせていた宮崎市の近隣にある町の図書館の方々を中心に、交流を持つことができたのは嬉しいことでした。
お話を伺っていると、なかなか足を運ぶことがない自分の住む地域以外の町にある図書館も、それぞれ頑張っておられるんだなあ、ということがよくわかり、大いに収穫でありました。同じ町内はもとより、宮崎市からの利用者も増えてきているという、綾町の「てるは図書館」。宮崎市立図書館にもないような新刊書も揃えるよう努力しているという佐土原町の図書館、などなど。こういった、自分の住む地域以外の市町村の図書館を訪問してみるというのも、面白いかもしれないなあ。
挨拶に来られた、福岡県筑紫野市の筑紫野市民図書館の職員さんとも少しお話いたしました。同じ九州とはいえ、なかなか福岡方面には足を運べないでいるのですが、いつか機会をつくって訪ねてみたいものですね。
美味しい料理とお酒もたくさんいただいて、とても楽しい時間を過ごすことができました。お相手してくださった皆さま、本当にありがとうございました!

翌日の講演で講師を務めるブックディレクター、幅允孝さんも懇親会に参加される予定だったのですが、飛行機の到着が遅れたため、開始から1時間半後に会場入りとなりました。到着早々、参加者に取り囲まれていた幅さん。やはり、なかなかの人気なのでありました。


(このあと、幅さんの講演などが行われた2日目のことを書く予定でしたが、時間的な余裕がないまま月日が経ってしまい、書けずじまいとなってしまいました。申し訳ございません)

みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る

2015-07-19 21:57:57 | 宮崎のお噂
『スター・ウォーズ』やゴジラシリーズなどの映画ポスターアートや、小松左京さんや平井和正さんなどの著作のイラストを数多く手がけてこられた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さん。迫力ある描写力と緻密な筆致により描かれたその作品群は、国内はもとより海外からも高く評価されています。
昨年2月に開催されて大きな反響を呼んだ、生賴さん初の大規模展「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」は、わたくしも2回にわたって観覧し、その作品世界には大いに気持ちを鷲掴みにされました(そのときに綴った拙ブログ記事はこちらです)。
あれから1年数ヶ月。2回目となる大規模展「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」が、今月(7月)の9日から、前回と同じく宮崎市のみやざきアートセンターを会場にして開催されております。昨日(18日)、わたくしも観覧してまいりました。
各時代における代表的な仕事をピックアップした前回から趣向を変え、今回は1966年から1984年までの仕事に焦点を当てたものとなっています。まさに、生賴さんがイラストレーターとしての地位を確立し、声価を高めていった時期の作品群といえるでしょう。

最初に展示されていたのが、発表を前提とせずに描かれたオリジナルの作品群でした。その中でも特に目を引いたのが、母校である鹿児島県立川内高等学校に寄贈した「我々の所産」。前回の展覧会で展示されていた横長の超大作「サンサーラ」の構図を再構成したこの作品もまた、幅3メートルに及ぶ大作です。人類と文明の過去、現在、未来を見据えたイラストを描き続けてこられた、生賴さんの真骨頂ともいえる入魂の作でした。
その一方で、アトリエのある宮崎市の自宅裏の風景を描いた作品や、近所に住む老人の肖像画といった、生賴さんとしては珍しい題材もいくつかありました。展示されている作品ではいちばん古い、1960年作の「少女像」はかなり傷んでいたということですが、修復を経てきれいに甦っておりました。

今回の展示では映画の仕事は少なめでしたが、その目玉といえるのが『マッドマックス2』(1981年)のパンフレットに折り込みで収録されていた(当初はポスター用として描かれたそうですが)イラストであります。現在公開中の最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に至るシリーズの世界観を決定づけ、その後の近未来SFにも大きな影響を与えた傑作です。
(以下の写真は撮影OKの場所で撮ったものです)


メル・ギブソン演じる主人公マックスをはじめとする登場人物や、カーアクション場面を組み合わせ、作品の魅力を凝縮させたイラストですが、マックスを描くときにモデルとしたのは、革ジャンを着せたご子息(現在、やはり画家として活躍されているオーライタローさん)だったとか。

続いての展示は、小松左京さんや平井和正さんの著作をはじめとする、数多くの書籍や雑誌のために描かれた作品群でした。小松さんと、今年1月に逝去された平井さんから絶大なる信頼を得ていたという生賴さん。このお二人のために描かれた作品だけでもかなりの点数があるのだとか。
シリアスなものとコミカルなものが混在する平井さんの『ウルフガイ』シリーズでは、その両極端の作風に合わせてしっかりとイラストを描き分けておられました。また小松さんの著作の表紙イラストは、書籍の装幀イラストの枠を超えるような高い芸術性が目を惹きました(とりわけ、下のチラシにも使われている『ゴルディアスの結び目』のイラストは素晴らしいものがあります)。


さらには、SFはもちろん冒険小説、ミステリ、歴史もの、戦記、ノンフィクションなどの書籍のイラスト。手がけたジャンルの幅広さにも驚かされたのですが、アクリル絵具「リキテックス」で緻密に描く普段の作風にとどまらない、表現技法の多彩さも見どころでした。中には、まるで浮世絵のような画風で描かれた時代小説のイラストもあってビックリいたしました。
1960年代終盤から70年代の初めにかけて『週刊少年マガジン』とその姉妹誌のために描かれた、メカの図解や恐竜などのイラストも見事なものでした。かつては少年向け週刊漫画雑誌の記事にも、これだけ手間をかけた高品位のイラストが使われていたのかー、と感慨しきりでありました。また、言われなければ写真としか思えない、『月刊パーゴルフ』(現在は週刊)の表紙を飾った尾崎将司さんの肖像イラストにはひたすら驚嘆のため息が。
ちょっと変わったところでは、『週刊サンケイ』臨時増刊号に掲載された、よど号ハイジャック事件を絵解きした作品。ハイジャックされた機内のようすを想像のみで描いたイラストはいささか誇張気味ではありましたが、ついつい引き込まれるような迫力に満ちておりました。こういうお仕事もされていたんだなあ。
圧倒的な質量で迫ってきた、書籍や雑誌の表紙や本文挿画、そして出版広告のために描かれたイラストの数々。それらの作品から、生賴さんが出版文化に果たされてきた功績の大きさをひしひしと感じることができ、感無量でした。

ひときわ異彩を放っていたのが、日中戦争やベトナム戦争などの報道写真をモティーフにしたオリジナル作品4点でした。
(以下の写真もチラシから撮りました)


生賴さんならではの異世界を背景にして描かれているのは、折り重なるように倒れている多くの人々の亡骸や、骸骨と化した兵士たち、墜落したヘリコプターの残骸といった、現実に起こった戦争や紛争の報道写真をもとにした無残な光景。
それらの作品からは、生まれ育った兵庫県明石市と、疎開先であった鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で二度の空襲に遭ったという生賴さんの、戦争への強い怒りがじんじん伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年を迎える今年ですが、各地で戦争やきな臭い動きはいまだ絶えることがありません。そんな中で、これら4作品が多くの人に鑑賞されることを願うばかりであります。

最後の展示スペースは、かつて徳間書店から刊行されていたSF雑誌『SFアドベンチャー』の表紙を飾ってきた、91人の美姫(びき)たちのイラストでありました。
(この展示スペースのみ撮影OKでした)


歴史上の、あるいは神話や伝説に登場した女性たちと、SF的なモティーフを組み合わせた作品群には、それぞれの人物に沿った趣向も凝らされていたりして楽しめました(とはいえ不勉強なもんで、まったく知らない人物も少なくなかったのがクヤシイところでしたが・・・)。生賴さんはこれらの美姫たちを描く資料として、女性が身につけるアクセサリーやハイヒール、ドレスなどの実物を多数買い揃えておられたとか(別の展示スペースでは、それらアクセサリーやハイヒールの一部も展示されておりました)。
また、1960年代末に学習研究社から出版された、家庭用医学シリーズのイラスト制作の資料として描かれた細胞組織の図解も展示されていました。それらは海外の医学書を忠実にカラーで描き写したもので、英語と日本語の書き込みもびっしり。
細部まで揺るがせにしない生賴さんの画業は、並外れた探究心に支えられていたということを再認識いたしました。

生賴さんの画業の前半を振り返った、今回の展覧会。やはり大いに圧倒され、堪能いたしました。SF的な世界観や、戦艦などのメカニックを緻密に表現することにとどまらない、生賴さんの幅広く旺盛な仕事を知ることができたことも収穫でした。
展覧会は来月(8月)の30日まで開催されます。今回もまたもう一回、足を運んで再鑑賞したいと思っております。・・・その時には、昨日買えなかった図録も買っておかなければ。
来年12月には、1985年以降の仕事を振り返る第3回目の展覧会が予定されているとか。そちらのほうにも、早々と期待をかけているわたくしであります。