読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

別府・オトナの遠足2015 (最終回)極楽から地獄、そしてまた極楽の旅の締め

2015-02-22 22:52:08 | 旅のお噂
1月12日。とうとう今回の別府旅、最終日の朝を迎えました。二泊三日の余裕あるスケジュールとはいえ、楽しい機会はあっという間に過ぎていくものでありますなあ。
わたくしは、連泊していた駅前のビジネスホテルをチェックアウトしたあと、別府駅を発車する路線バスに乗り込んで、市の北部にある「柴石(しばせき)温泉」に向かいました。バスに揺られること約30分、すっかり山の中に入り込んだような場所に、柴石温泉はありました。

総じて歓楽街的な雰囲気のある「別府八湯」の温泉地ですが、この柴石温泉は入り口からしてまことに地味な感じで、民家の前に立っている看板も、うっかりすると見逃してしまいそうであります。
バス停を降り、小さな川沿いに伸びる、クルマがすれ違うのにも苦労しそうな細く曲がる道をしばらく登っていくと、共同浴場の建物がございました。

周りを山に囲まれた、渓流のそばに立つ風情のある温泉場。明治から昭和初期にかけての別府の絵はがきを集めた本に載っていた当時の風景とも、それほど変わってはいないように思えて、興趣を覚えました。共同浴場以外には、宿泊や食事ができるような施設があるわけでもなく、いたって静かな場所でありました。
秘湯ムード漂うこの柴石温泉は歴史もけっこう古いそうで、895年には醍醐天皇が、1044年には後冷泉天皇が、湯治に訪れたという由緒のある場所でもあります。この地で重病を癒した後冷泉天皇が建立したお寺が、現在もこの近くに立っていると伺いました。
由緒ある秘湯に立つ共同浴場とはいえ、建物自体はわりと新しめで、内部には畳敷きの休憩室もあったりして、それなりにゆっくりと過ごせそうであります。さあ、朝風呂ということにいたしましょう。
中は内湯と露天風呂がありました。内湯のほうは、やはり浴槽はぬる湯とあつ湯とに分けられておりました。カラダを洗ってぬる湯に浸かると、ぬる湯とはいいながらもちょっと熱めでありまして、しばらく浸かっているとだいぶカラダが温まってきました。試しに隣のあつ湯に触れてみると、もうこちらは1分と浸かれないような熱さ。軟弱者のわたくしはあつ湯に浸かるのを早々に諦め、外にある露天風呂に入ることにしました。
露天風呂に浸かってみると、これはちょいと水を加え過ぎなんじゃないのかなあ、と思うくらいのぬるさで拍子抜けいたしました。長く浸かっているぶんには、それなりに温まりそうではありましたが。なので、しばらくゆっくり浸かって温まることにいたしました。。
露天風呂のそばには、「むし湯」と書かれた小さな小屋がありました。いわば和風のサウナであります。
中に入ると、床にびっしりと敷かれた竹の下に熱~い源泉が流されていて、そこからの蒸気が小屋いっぱいに満ちておりました。
この蒸気があっついのなんの。小屋に入って1分も経たないうちに、全身から汗がドドドーッと噴き出してまいりました。腰掛けるところに座ると、これがまたかなりの熱さになっていて、むき出しになったケツにじんじん、熱が沁みてくるのであります。軟弱者のわたくし、ものの1~2分程度で「むし湯」小屋を出て掛け湯をかぶり、露天風呂へと滑り込みました。そこで、露天風呂のお湯が妙にぬるかったワケがわかったような気がいたしました。•••ああそうか、むし湯が熱~いぶん、露天風呂のほうはぬるくしているということなのかなあ。
まあ、ぬるかったとはいえ、じっくり浸かっているとやはり気持ち良くなってきましたね。周りに目をやると山の緑、そして晴れ渡った青い空•••いやー、やはり極楽極楽。来て良かったですねえ。
わたくし、しばし露天風呂に首まで浸かりながら、極楽気分を噛み締めたのでありました•••。

柴石温泉をあとにしたわたくしは、別府の観光地として名高い「血の池地獄」と「龍巻地獄」に向かいました。極楽から地獄へと移ろうというワケでありますな。
柴石温泉からこの2つの地獄までは、クルマだと5分もかからないくらいの近い距離です。わたくしはそこをテクテクと歩いていきました。
血の池地獄と龍巻地獄を訪ねるのは、中学校のときの修学旅行以来のことであります。ここは、オーソドックスな観光気分を味わっておくといたしましょう。

まずは、血の池地獄のほうに入ってみました。品数豊富な売店を抜けた先に、お待ちかねの赤色の「地獄」が待ち受けておりました。

•••とはいえこの日は、よくガイドブックなどで見かけるような、おどろおどろしい真っ赤な血の色ではなく、どちらかといえば赤土色。期待したほどのおどろおどろしさは感じられませんでしたが、まあ、こういう時もあるということでございましょう。
血の池のほとりには、赤い色をした泥を使った「血の池軟膏」を売っている売店があるあたり、中学校のときに見た光景のまんまでございましたね。そのそばには、こんな立て看板が立っておりました。

赤い手書き文字で書かれた、漢字とカタカナの看板。なんだか「地獄」っぽい感じでいいですなあ。
わたくし、血の池を前にした鬼のカオをしたテーブル席に腰をかけて、売店で買った「血の池プリン」を頂きました。•••この鬼のカオをしたテーブルなんてのは、さすがに中学校の時には見かけなかったモノでしたが。


プリンの上にかかっている、血の池を表現した赤いソースはラズベリーの味。これは意外といけましたねえ。
ふと、容器に貼られているラベルに記されている製造元を見ると「血の池物産販売」。これ以上はないくらいのストレートなネーミングの会社でありますが•••何も知らずにこの会社名だけ見たら、一体どんな会社なのかと思ってしまいそうな気がいたしますなあ。

さて、お次は隣にある龍巻地獄であります。だいたい30~40分間隔で、熱い湯を勢いよく噴出するという間欠泉です。施設の中に入ると、係りの方から「あと10分ほどで噴き出します」とのご案内が。おお、これはいい按配でした。
しばし観覧席で噴出の瞬間を待っていると、みるみるうちに家族連れやカップル、団体客で席が埋まっていきました。そうこうするうち、噴出口から白い蒸気が立ち昇ってきて、お湯がドバーッと勢いよく噴き出してまいりました。

おおーっ!と歓声を上げながら、噴出するようすをカメラやケータイ、タブレットでパシャパシャと撮影する観光客の皆さんでしたが、しばらくするとまだ噴出が終わらないうちにポツポツと立ち去りはじめたのでありました。なんだかゲンキンなもんでありまして•••って、このわたくしもその一人だったのでありましたが。
危険防止ということで、間欠泉は石垣で覆われていて高く噴き上がることはできないのですが、石垣がなかったらもっと迫力のある眺めで最後まで見たくなるのかもしれませんが•••まあ、そういうわけにはいかないのでしょうなあ。

血の池地獄の前にあるバス停から路線バスに乗り込み、別府の中心部へと戻りました。いよいよ、今回の旅も終盤となりました。
別府を離れる前に美味しいものを、と向かったのが、ホテルや旅館が立ち並ぶ海岸沿いの北浜エリア。そのホテルの一軒が経営している海鮮お食事処「とよ常」に立ち寄りました。時刻はまだ11時過ぎでしたが、すでにけっこうなお客さんで賑わっておりました。
カウンターに座ってまず注文したのが、生ビールと「りゅうきゅう」。

こちらの「りゅうきゅう」は擂り胡麻と合わせたしっかりした味付けでビールが進み、ついついもう一杯生ビールをお代わりしてしまいました。ほんと、真っ昼間から恐縮なことでありますが。•••いや、ホントのことをいえば焼酎が欲しかったのですが、真っ昼間ということで「自粛」いたしました。
そしてお食事は名物メニューの「特上天丼」を頂きました。人気のあるメニューのようで、見ればカウンターに座っておられた他のお客さんにも、これを注文なさっておられた方がちらほら見受けられました。

サクサクに揚がった大きめのエビ天も格別でしたが(これもビールに合いました)、ご飯に染みた甘辛ダレも実に美味くて、生ビール2杯を飲んだあともズンズン食が進みましたね。これまた、極楽でございました。

満腹になったわたくし、腹ごなしも兼ねて海岸沿いの遊歩道を散策いたしました。

血の池地獄に立ち寄ったあたりから雲が出てパラリと雨も落ちたのですが、この頃にはすでに雨も上がり、再び晴れに向かっておりました。
まだ列車の時刻には間がありました。今回の旅の温泉入り納めは別府湾と高崎山を眺めながら•••と思い、付近のホテルの浴場に入ろうとしたのですが、訪ねた2軒のホテルはいずれも準備中ということで叶いませんでした。
それなら仕方ない、ということで、前日にも入らせて頂いた別府駅近くの共同浴場、海門寺温泉で温泉入り納めということにいたしました。この日も、地元の方々がのんびりと、昼湯をお楽しみになっておられました。
お湯から上がって外に出ると、隣の公園ではおじさんたち•••というか、どちらかといえばおじいさんくらいの皆さんが集まって、実に楽しそうに将棋に興じておられました。
ああ、なんだかいい風景だなあ•••オレも歳をとったら別府に移り住んで、のんびり昼湯に浸かったあと将棋を楽しむような余生を送ろうかなあ•••。
わたくしついつい、そんなことを考えてしまったのでありました。•••あ、でも将棋のやり方知らないんだった、オレは。

二泊三日という余裕あるスケジュールで別府を訪ねて本当に良かった、とわたくしはしみじみ思いました。一泊二日の慌ただしい訪問では味わいきれなかった別府の良さを、たっぷりと味わうことのできた「オトナの遠足」となりました。
しかし、離れる頃にはまた、次に訪れる時のことに想いを馳せたくなるような大きな魅力が、別府という場所にはあります。きっとまた来年もこの場所に降り立ち、さらなる魅力に触れることになるでありましょう。

今回の旅でも、素敵な思い出をつくってくれた別府と、別府の皆さまに心からの感謝を!また必ず参上いたします!

帰りの列車の中。わたくしは車中のオヤツにと別府の商店街にあるお菓子屋さん「パティスリー夢の樹」で買った “長すぎるエクレア” を齧りつつ、次なる別府行きへと想いを馳せたのでありました•••。


(完)

別府・オトナの遠足2015 (第3回)別府ぶらぶら好き、そして活気ある海鮮酒場で憩う

2015-02-15 20:53:17 | 旅のお噂
(前回までのあらすじ)
1月10日、久しぶりとなる2泊3日のスケジュールを組んで別府市への旅に出かけた「わたくし」。初日夜の飲み歩きで立ち寄った大衆居酒屋で、愛媛県からやって来たという温泉好きの夫妻と出会って意気投合。そのあとバーで飲みながら耳を傾けた若きバーテンダーの話に、幅広い世代を惹きつける別府の魅力を再認識したのであった。
2日目の午前、「わたくし」は市の北部山側にある明礬温泉を訪れ、高台にある展望露天風呂で極楽気分を味わう。再び市の中心部に戻り、焼肉と生ビールを満喫した「わたくし」は、近所の街ネコと戯れるが、あまりに構い過ぎたため遠ざけられてしまう。「わたくし」は共同浴場の湯に浸かり、街ネコに振られた失意を癒すのであった•••。



2日目の午後。わたくしは別府市街地の街歩きを楽しむことにいたしました。
日本でも有数の温泉観光都市でありながら、別府にはちょっと懐かしさを覚えるような街並みや風景がそこかしこに残っておりまして、それらを目にしながらの街歩きも、別府での大きな楽しみの一つなのです。

街歩きに入る前に、別府駅前から伸びている、なにやら年季を感じさせるアーケード街の一つ「ソルパセオ銀座」にある「ジェノバ」というお店ご自慢のジェラートを頂くことにしました。

このお店のジェラートは昨年訪ねたときにも味わい、ジャージー牛乳を使ったコクのある甘さがすっかりお気に入りとなっていたのであります。今回食した「ストロベリーキュービック」も、凍ったイチゴがバニラアイスの中にたっぷり入っていて、甘酸っぱくて美味しかったですねえ。ご主人が上にちょいと乗っけてくださったキャラメル味のアイスもまた美味で、これはいい散歩支度となりました。
それにしても、温泉でカラダを温めたかと思えば冷たいジェラートで冷やしたりと、なんともチグハグなことではございますが•••。

さて、いよいよ街歩きです。そのままアーケード街を進んでいくと、空き店舗の前の路上に野菜などを並べて商っているお兄さんがいて、通りがかった地元の人たちが足を止めて、並べられた商品を物色したり、お兄さんに話しかけたりしておりました。こういう、その街の皆さんの日常の暮らしぶりが垣間見られるような光景、いいですねえ。

別府に暮らす皆さんの日常の暮らしぶりが垣間見えるような場所、もう一つございました。別府駅のガード下に伸びている「べっぷ駅市場」が、それであります。

野菜果物から鮮魚、精肉、お惣菜、乾物、お薬、日用品などを商う小さなお店が通路の両側に並んでいる光景は、まさしくちょっと前までよく見かけていた、庶民的雰囲気の「市場」そのものでありました。わたくしが訪ねたときにも、お年寄りや母子連れが買い物に来ていたりして、今でもしっかり「市民の台所」としての役割を果たしているように見えましたね。
そんな庶民的な市場の中に、ちょいと異色の雰囲気を醸し出しているお店がございました。

うどん・そば屋さんではあるのですが、お店の中で流している音楽は思いっきり正統派のジャズ。しかも、お店の前にはオーディオ機器がズラッと並べられていて、それら一つ一つに値札が付けられておりました。ということはこれらも売り物ということなのでありましょう。うーむ。一見すると何屋さんなのか、よくわからない感じもして、ちょっとフシギなお店でありました•••。

賑わっている中心街からちょっと離れた静かな路地を歩くと、かつては花街だった頃の名残が感じられる街並みと建物があったりして、なんとも味わい深かったりいたしますね。中には、置屋として使われていたという古い建物を活用した喫茶店もあったりいたします。

そんな往時を偲ばせる街の一角で、「飲み湯」と書かれた看板を見つけました。

観光客の行き交う通りや繁華街の中に設けられた「足湯」や「手湯」は何ヶ所かで見かけていたのですが、「飲み湯」の場もあったとは。さすがは泉都別府でありますなあ。
とはいえ、地面近くに開いているパイプから木桶にお湯が注がれているだけという、無造作といえば無造作なしつらえ。なんだか、飲んでみようという気がおこりにくい感じもいたしましたが、まあ「飲み湯」というからには飲んでも別に支障はなかろうと、少し手ですくって飲んでみました。妙に金気の強い味のする生温い湯でありまして•••うーむ、これは正直、やはり飲まなくてもよかったかなあ、と思ってしまったのでございました。

街歩きを終え、いったん宿泊先のホテルに戻って一休みしていると、やがて街に灯りがともる時間帯となりました。さあ、今度は別府飲み歩きの第2ラウンドでございます。
飲みに行く前に、駅前通りにある大正時代に建てられたレトロな洋館建築の共同浴場「駅前高等温泉」で、この日3回目となる温泉に浸かりました。そのあと、前日にも立ち寄った薬屋さんで肝臓保護のドリンク剤を買って飲みました。薬屋さんのご主人も、もうすっかりわたくしのカオを覚えてくださったようでございます。
ここはやはり、地元の方々にも親しまれていて、なおかつ一人でもゆっくりくつろげるような大衆酒場に入りたい、とあちこち繁華街を歩き回りました。しばらく決めかねておりましたが、飲み屋街のど真ん中あたりに立っている「二十八萬石 総本店」に入ることにいたしました。幾度か前を通りかかってはいて、年季を感じさせる外観の建物にも惹かれるものはあったのですが、看板に書かれている「海鮮ファミレス」なるコトバに引っかかるものがあり、ちょっと入るのを躊躇していたお店でした。
中に入るとカウンターは人でいっぱい。あちゃー、これはもう座れないかなあ、と思われたのですが、ありがたいことに一人分の空席がありましたので、そこに座ることができました。奥の座敷のほうも、家族連れやグループ客で満杯の様子で、店内はなかなか活気がありました。
メニューを拝見すると、海鮮料理をメインにけっこうな品数がありました。しばし迷った末、エビフライとアジの切り身を使った「りゅうきゅう」を注文いたしました。

揚げたてアツアツなエビフライは、上にかかった自家製のタルタルソースとともに頂くと実に美味しくて生ビールが進み、ついついお代わりしてしまいました。そして、魚の切り身をゴマが入ったタレに漬け込んだ大分の郷土料理「りゅうきゅう」は、スッキリした飲み口の麦焼酎がスイスイと進む嬉しい一品でした。
しかし、何より嬉しく思われたのは、居心地のいい店内の雰囲気でありました。地元の常連さんと、わたくしのような他所から来た人間とで活気がありながらも、それぞれが節度と自分の領分を保ちながら酒食を楽しむ•••。
そんな空間の中で、気持ちのいい酔いを覚えつつ、わたくしは居心地のいい酒場に巡り合うことができたヨロコビとともに、3杯目となる麦焼酎お湯割りのコップを傾けたのでありました•••。

「二十八萬石 総本店」を出て繁華街を散策していると、ネオン輝く夜の別府タワーが目に入りました。

そういえば、昼間の別府タワーには上がったことあるけど、まだ夜に上がったことはなかったなあ•••と思い、別府タワーに上がって夜景を眺めることにいたしました。
展望スペースに上がると、昼間ほどではないとはいえそこそこの人数の見物客がおられました。わたくし、展望台をぐるりと回りながら、眼下に広がる別府の夜景を楽しみました。



ことさらギラギラと派手派手しいわけではないけれども、まるで星が瞬いているかのように、民家やホテルの灯りがともっている別府の夜景は、ほろ酔い気分のわたくしの目を喜ばせてくれたのでありました。

別府タワーから降りたわたくし、もうちょっと飲みたい気がして再び繁華街を歩き回った末、前夜に引き続きバー「ミルクホール」に立ち寄りました。もうこのお店は、別府におけるわたくしの「還る場所」となってしまったようであります。
「今夜はどこに行かれたんですか?」とお尋ねになったマスターさんに「二十八萬石」に寄ったことを話すと、「あそこは鶏モモから揚げが美味しいんですけど、それは食べられたんですか?」と言われました。•••しまった、それは食べませんでしたね。お隣で飲み食いされていたご夫妻が注文されていたのを見て、なんだか旨そうだなあとは思ったのですが。それは、今度の機会に頂くといたしましょう。
カクテルやウイスキー水割りを飲んでいたわたくしの隣に座っておられた、どこかのスナックのママさんと思しきお姐さま、「ワタシきょう成人式迎えたんよ!•••3回目の!」などとおっしゃってたりして、なかなか楽しいお方でございました。
そう、この日、1月11日には、ここ別府でも成人式があったようで、カウンターには1回目の成人式をお迎えになったばかりという若いお姉さんが、ピアノを弾きに来ていた方にリクエストをなさったりしておりました。このお店は月に数回、生ピアノの演奏もあるんだそうで、この夜がまさにその日でありました。「ちょうどいい時に来られましたねー」と、バーテンダーさんがおっしゃいました。
耳に心地良いピアノの音色とともに、2日目の別府の夜も楽しく更けていったのでありました•••。



(最終回につづく)

【わしだって絵本を読む】『ウルトラマンをつくったひとたち』当時のスタッフが描く創意に満ちた特撮の現場

2015-02-08 20:26:14 | 映画のお噂

『ウルトラマンをつくったひとたち』
いいづかさだお(飯塚定雄)・たばたけい(田端恵)・まくたけいた(幕田けいた)作、偕成社、2015年


宇宙から地球にやって来た巨大なヒーロー、ウルトラマンが、さまざまな怪獣たちの脅威から地球人を守るために闘いを繰り広げる•••という、それまでにはなかった斬新な設定で大ヒットした特撮テレビ番組『ウルトラマン』(1966年~1967年)。その後、現在に至るまで続くシリーズの基本フォーマットを作り上げるとともに、テレビ界に特撮ヒーローものというジャンルを確立させた先駆的な作品でもありました。
当時の子どもたちを熱狂させた『ウルトラマン』の特撮シーンは、どのようにして生み出されたのか。それを描いたのが、この『ウルトラマンをつくったひとたち』という絵本です。

作者の一人であり、本書の語り手でもあるのが「デンさん」こと、いいづかさだお(飯塚定雄)さんです。
円谷英二特技監督の門下で『ゴジラ』(1954年)をはじめとする東宝の特撮映画や、円谷プロダクションのテレビ作品に参加。円谷監督亡きあとは、光学合成効果を手がける会社「デン・フィルム・エフェクト」を設立し、数多くの映画、テレビに関わってきた飯塚さんは、まさに映画とテレビにまたがる日本特撮界の「生き証人」といえる重鎮なのであります。
飯塚さんが手がけていた「合成作画」とは、スタジオで撮影された映像に視覚的な効果を与えるための光線などを作画し、フィルムに合成するという役目。ウルトラマンの必殺技「スペシウム光線」や、ゴジラの好敵手であった怪獣・キングギドラが三つの首から吐き出していた「引力光線」も、飯塚さんの手になる仕事です。

主要なスタッフが集まってのストーリーづくりに始まり、怪獣やメカの造形、ワイヤーなどで怪獣やメカに動きをつける操演技術、大規模なミニチュアセットを組んでのクライマックスシーンの撮影、そしてスペシウム光線の合成•••といった、『ウルトラマン』の制作過程が大判のサイズの中に、思いのほか詳細に描かれていて、現役の子どもではない大きなコドモ(わたくしのことね)も興味深く読むことができました。
海底を模したセットとキャメラの前に水槽を置き、水の揺らめきを作り出す板に照明を当てて撮影することで、水中であるかのような効果を出す。普段は撮影用として使われているクレーンの先に取り付けた巨大な手を操演しながら、役者が怪獣の手に掴まれてしまう場面を撮る•••。そういった撮影風景を見ると、特撮というのはちょっとした創意と工夫の積み重ねで作り上げられるものなんだなあ、ということが、あらためて理解できました。

そして、飯塚さんの仕事である作画合成。腕を十字に組むポーズをとったウルトラマンの映像と、飯塚さんたち作画技師が手描きし、線画台で撮影した光線の映像を、「オプチカルプリンター」というゴツい機械(当時は世界で2台しかなかった大変に高価な機械だったと、別の本で知りました)で一つの映像に合成する過程も、わかりやすく説明されています。
その一方で、怪獣を撮影したフィルムを映し出したスクリーンの前で演技する役者を撮影することで、怪獣と人物を同一の画面に収めるといった手法のことも紹介されています。当時における最新の技術と、映画の草創期から存在していたプリミティブな手法が共存していたというのも、なんだか面白いように思われました。
宇宙忍者バルタン星人、古代怪獣ゴモラ、三面怪人ダダ、などなど、シリーズを盛り上げてくれたおなじみの怪獣、宇宙人キャラがふんだんに散りばめられているのも、ファン的には嬉しいところでした。

本書を読むと、特撮づくりの現場が実に多くの人びとによって支えられていた、ということがよくわかります。
怪獣の着ぐるみを作っていた造形スタッフ。メカや建物のミニチュアを制作していた特殊美術のスタッフ。ワイヤーで怪獣やメカを操作していた操演スタッフ。ビルを壊したり、爆発効果を生み出していた特殊効果スタッフ•••。
監督や脚本家、プロデューサーといった主要スタッフのように名前がクレジットされることもなかった多くのスタッフ。本書の中には、それらの人びとの存在も細かく描き込まれています。特撮の現場を支えてくれていた “名もなき仲間たち” への敬意の念が感じられ、なんだか感銘を覚えました。

『ウルトラマン』の誕生から、来年で50年。特撮をめぐる状況も大きく変わりました。CG技術の進歩と普及により、多くの人手と手間暇をかけずとも、驚きの映像効果を生み出すことができるようになっています。
しかし、そんなCG全盛の時代にあっても、多くの人びとによる創意と工夫、そして職人技とチームワークによって作られていく特撮には、まだまだ魅力と可能性があるように思うのです。
この絵本が、特撮や怪獣をこよなく愛する大きなコドモ(含むわたくし)はもちろん、現役の子どもたちにも広く読まれていって、その中から特撮への道に進んでくれる人がどんどん出てきてくれることを、願ってやまないのであります。