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【第29回宮崎映画祭&閑古堂の映画千本ノック10本目】『ジャンヌ・ディエルマン・・・』 「平凡」に見える日常にこそ、危うさは潜んでいる

2023-11-04 07:05:00 | 映画のお噂
第29回目となる宮崎映画祭が、11月3日(金曜)から9日(木曜)までの日程で、宮崎市の宮崎キネマ館にて開幕いたしました。

今年1月に開催された第28回に続き、2023年2回目の開催という変則的なパターンとなりましたが、これは本来2022年に開催されるはずだった前回が、今年はじめにずれ込んだため、との由。なんにせよ、ふだんなかなか観ることのないタイプの作品に接することができる貴重な場ということで、今回も可能な範囲で足を運ぶことにいたしました。
今回は、若手の新鋭である松居大悟監督(ゲストとしても登壇)の特集や、往年の日活映画の特集をメインに10作品+αが上映されます。以下、そのラインナップを。

『私たちのハァハァ』(松居大悟監督、2015年)
『ちょっと思い出しただけ』(松居大悟監督、2022年)
『杉咲花の撮休』(松居大悟監督、2022年、テレビ作品)
「松居大悟MVセレクション」(松居大悟監督が手がけたミュージック・ビデオ5本を取り上げた、エフエム宮崎とのコラボによる特別プログラム。11月5日のみ)
『ナイト・オン・ザ・プラネット』(ジム・ジャームッシュ監督、1992年)
『鴛鴦歌合戦』(マキノ正博監督、1939年)
『幕末太陽傳』(川島雄三監督、1957年)
『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(鈴木清順監督、1963年)
『関東無宿』(鈴木清順監督、1963年)
『東京流れ者』(鈴木清順監督、1966年)
『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(シャンタル・アケルマン監督、1975年)

映画祭初日の11月3日、最初の上映作品としてプログラムされていたのが、今回取り上げる『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』であります。ちなみに今回の映画祭のキービジュアルも、本作の一場面から採られております。

『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』Jeanne Dielman, 23, quai du Commerce, 1080 Bruxelles(1975年 ベルギー・フランス)
カラー、202分
監督:シャンタル・アケルマン
製作:イヴリン・ポール、コリーヌ・ジェナール
脚本:シャンタル・アケルマン
撮影:バベット・マンゴルト
出演:デルフィーヌ・セイリグ、ヤン・デコルテ、アンリ・ストルク、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ
2023年11月3日、第29回宮崎映画祭の上映作品として宮崎キネマ館にて鑑賞

ベルギー、ブリュッセルにあるアパートメントに、まだ10代の息子と二人で暮らしている未亡人、ジャンヌ・ディエルマン(デルフィーヌ・セイリグ)。学校に通う息子を見送ったあと、洗濯や掃除、料理、子守り、買い物といった家事を淡々とこなしつつ、生活の足しとして客をとっては売春をしていた。平凡なルーティン・ワークが反復されるだけに思えたジャンヌの生活だったが、ふとしたことの積み重ねにより、その歯車は少しずつ狂っていく。そして、最後には悲劇的な事態を引き起こしてしまうことに・・・。

ベルギーの女性監督シャンタル・アケルマンの代表作とされる本作品。タイトルも長ければ、3時間20分にも及ぶ上映時間もまた長い大作ですが、その存在は一部の映画ファンに知られているだけでした。
2022年、英国映画協会(BFI)が選出する「史上最高の映画」という映画ランキングにおいて、『めまい』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1958年)や『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督、1941年)、『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)といった錚々たる作品を抑え、堂々1位に挙げられたことで注目されることに。日本においても、昨年と今年に開催された「シャンタル・アケルマン映画祭」の中で上映されたことで、多くの人に知られるところとなりました。

この映画を観ることは、個人的には2023年で最大のチャレンジ(大げさ?)になると感じておりました。
わたしが映画を観る上で参考にしている『死ぬまでに観たい映画1001本』(スティーヴン・ジェイ・シュナイダー総編集、ネコ・パブリッシング刊)という本の中に、この映画も取り上げられているのですが、その紹介文は「1970年代のヨーロッパ映画でもっとも重要な作品のひとつであり、フェミニズム映画を代表する1本」と書き出されたあと、このようにも評されているのです。
「観る側に大きな労力を要求するのは間違いない」
「3時間にわたって人間疎外を描写するにあたり、アケルマンがとった几帳面なアプローチには、非常に我慢強い観客でない限り、降参するに違いない」
「本作品はアケルマン作品の中で、恐らくもっとも冷たくて難解」
こういうふうに言われた日には、そりゃ生半可な気持ちで観るワケにはいかないではありませんか。わたしは前日の夜には早めに寝て、体調をベストの状態に整えた上で、映画祭初日の最初に組まれていた、この作品の上映に臨んだのであります。

主人公である未亡人、ジャンヌの3日間に及ぶ行動を、まるで定点観測するかのように固定されたアングルから捉え続けた映像。セリフは極度に抑えられ、劇伴音楽もまったくない静かな時間が延々と流れる3時間20分・・・。なるほど、これはたしかに観ていて大きな労力を要しましたが、にもかかわらず脱落することもなく、最後まで観続けることができました。本作は「フェミニズム映画」の傑作としてもつとに知られているようですが、そういった括りをことさら意識せずとも興味深く観ることができる作品で、これは観ておいて正解でありました。
実はわたくし、本作の最後に訪れる悲劇的な結末については、観る前から知ってはおりました。先に挙げた本の紹介文の中で、結末がしっかりとバラされていたもので・・・。ですが、むしろそれゆえに、そのような結末を迎えるまでのプロセスを見届けておきたいという思いが、この型破りな作品を最後まで観続ける原動力になってくれたように思います。
本作の、一見すると「平凡」にも見える日常の反復の執拗なまでの描写からは、その背後にあるとてつもないほどの倦怠感や空虚感がじわじわと伝わってきます。それは恐らく、この映画が描く3日間の前から少しずつ少しずつ、ジャンヌの中に蓄積してきていたのでしょう。それは、日常をかき乱すふとしたきっかけ(ジャガイモを焦がしてしまったり、大切にしていた服のボタンがなくなってしまったり・・・)によって暴発する、危うさを孕んだものであるということを、本作の悲劇的な結末は突きつけてきます。
特別で異常な状況だけが危ういわけではない、むしろごく「平凡」に見える日常にこそ、危うさは潜んでいるのではないのか・・・本作を観終わって、そんなことをひしひしと感じました。

主人公ジャンヌを演じているのは、ルイス・ブニュエル監督の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年)などに出演したベテラン女優、デルフィーヌ・セイリグ。生活の歯車が狂っていく中で、ジャンヌが徐々にバランスを崩していく細かな芝居(髪型が乱れたり、動作が雑になっていったり)の積み重ねは、作品に強い説得力を与えていました。
そのセイリグの確かな演技を引き出したアケルマン監督は、本作の撮影当時はまだ20代半ばだったそうで、その若さでよくぞ、こういう凄い映画を完成させたものだと驚かされます。
何度も観るのは大変でしょうが、一度は観ておく価値のある映画だと思いました。



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