読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

23年ぶりに観たアニメ『笑ゥせぇるすまん』の面白さに「ドーン!!」とシビれる

2015-05-23 20:56:38 | よもやまのお噂
いや~、超懐かしかったわ~~!

昨夜(22日)、TBS系で放送されていたテレビ番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』スペシャル。普段はまず観ることはない番組なのですが、昨夜はぜひ観ておきたい企画が2つあったこともあり、チャンネルを合わせておりました。
1つは、大橋巨泉さんが司会を務めていた『クイズダービー』の「完全復活版」。かつてと同じようにように巨泉さんが司会進行を務めたのはもちろん、解答者も「三択の女王」こと竹下景子さんや、やはり名物レギュラーだった北野大さんと井森美幸さんが登場(ただし、亡きはらたいらさんが座っていた3枠には、同じく漫画家であるやくみつるさんが起用されていました)。BGMやスタジオセット、30分という放送時間など、当時の番組フォーマットを極力忠実に再現した、まさしく「完全復活版」でありました。観ていて、土曜夜7時半のワクワク感が蘇ってくるような懐かしさを覚えました。
この『クイズダービー』の「完全復活」、巨泉さんが4度目となるガンの手術を受ける直前の「覚悟の収録」という触れ込みでありました。いろいろと毀誉褒貶のあるお方ではありますが、『クイズダービー』や『世界まるごとHOWマッチ』など、わたくしも夢中で観ていた数々の名番組を送り出してこられた巨泉さんは、テレビマンとしては大いに評価に値するお方なのではないか、と今でも思うのです。とはいえ、昨夜の放送で見た巨泉さんは、明らかにげっそりと痩せてはいたのですが••••••。
何はともあれ、手術が無事に成功することを願うばかりであります。

『クイズダービー』の完全復活も良かったのですが、それに続くもう1つの企画はさらに嬉しいものでした。藤子不二雄Ⓐさん原作のアニメ『笑ゥせぇるすまん』(原作の漫画は現在も、中公文庫コミック版の全5巻が発売中)が、23年ぶりにゴールデンタイムで再放送されたのです。
かつて、やはり大橋巨泉さんをはじめとする「巨泉ファミリー」が総出演していたバラエティ番組『ギミア・ぶれいく』の1コーナーとして、1989年から1992年にかけて放送されていた『笑ゥせぇるすまん』。わたくしも大好きだったアニメで、毎週楽しみに視聴しておりました。それだけに、 “笑ゥせぇるすまん” こと喪黒福造とのゴールデン枠での再会は、まことに嬉しい限りでした。
ちなみに、喪黒福造のモデルとなったのは、他ならぬ巨泉さん。『金スマ』でも、古くからの友人でもある巨泉さんをモデルに喪黒のキャラクターが確立していった過程を、藤子Ⓐさんが自筆の絵とともにお話になっていました。

再放送されたのは「シルバーバンク」というエピソードでした。
息子を映したホームビデオ撮影を趣味にしているサラリーマン。テレビで知った「おじいちゃんと子どもとの触れ合いを撮ったビデオコンテスト」に応募したいと思っていた彼は、喪黒福造に一人のおじいちゃんを紹介される。共に撮影を繰り返すうち、すっかり打ち解けあっていく息子とおじいちゃん。満足するサラリーマンだったが、再び会った喪黒に「あのおじいちゃんは結局は他人、あまり深入りはしないよう」忠告を受ける。しかし、息子がおじいちゃんと離れたがらない、ということを理由に、ずるずると関係が続く中、おじいちゃんの態度は馴れ馴れしいものへとエスカレートしていく。そしてついには••••••。

そうそう!これこれ!このブラックな展開と結末に「ドーン!!」とシビれてたんだよなあ。いやー、久しぶりに観ても充分面白く感じられました。
単にブラックユーモアが売りというだけではなく、高齢化社会の進展や、過度なマイホーム志向に潜む落とし穴など、社会と人間のありようを見据えたお話づくりも巧みで、23年経っていてもまったく、古さを感じさせませんでした。
もっとも、ブラックなテイストかつ、救いのない結末も多い作品であるがゆえに、観る人によって好き嫌いが分かれるのは否めないのかもしれません。放送当時、わたくしが勤務していた会社で後輩だった、どちらかといえば楽しく夢のあるアニメが好みだった女性社員が「あんなのアニメじゃない!」なんて言っていたのを思い出したり。でも、少なくともわたくしはこういうテイスト、けっこう好きなのであります。
喪黒の声を演じた大ベテラン声優、大平透さんはこれ以上ないくらいハマり役です。救いのない結末の多い作品でありながら、過剰な嫌悪感が残らないというのは、大平さんの声による喪黒のキャラクターが醸し出す、飄々としたユーモアによるところが大きいように思います。あと、喪黒が客と "商談" している「Bar魔の巣」の、黙りこくってグラスをキュッキュッと磨いてるだけのマスター氏もかなり好きです(笑)。
『金スマ』の視聴者にはお若い方も多いことでしょうが、それらの方々は、この23年前に作られたブラックなテイストのアニメを観て、どんなふうに感じたことでありましょうか。
昨夜の再放送で、23年経っていても古びることのない『笑ゥせぇるすまん』の面白さを「ドーン!!」と再認識することができました。


久々の再放送を観て、またひと通りシリーズを観直してみたくなってきました。確かDVD-BOXが出てたよなあ、と思い出し、確認してみました(発売元はTBS、販売元はポニーキャニオン)。



スペシャル版も含め、テレビ放送された全126話(うち14話分は初ソフト化)を完全収録した18枚組のDVD-BOX。しかも、スタッフのインタビューや対談、藤子不二雄Ⓐさん書き下ろしイラストなどを掲載した、104ページのオールカラー特典ブックレットもなかなか充実しているようで、実にありがたいのですが••••••値段は約38,500円。消費税が入ると40,000円を少々越えてしまうということで、やはりちょいとばかり高いのでありまして••••••。これは即購入!というわけにはいきませんね(泣)。少しずつお金を貯めてから購入することにしようかなあ。

『笑ゥせぇるすまん』がらみで昨日知って、ちょっと驚いたことが。
シリーズを通じて脚本を手がけていた「梅野かおる」という方、実は加山雄三さん主演の映画『若大将』シリーズや、『ニッポン無責任時代』をはじめとするクレージーキャッツ主演の一連の映画、はたまた松田聖子さんやたのきんトリオ(コレも懐かしいなー)主演の青春アイドル映画などの脚本家でもあった、田波靖男さんの別名義だったんですね。
最初は上記の映画作品群と、アニメ『笑ゥせぇるすまん』とがなかなか結びつかなったのですが、田波さんは『パタリロ!』の劇場版『スターダスト計画』や、『ふしぎの海のナディア』など、アニメーション作品の脚本も多かったとか。けっこう、幅広く手がけておられたんだなあ。



蛇足ながらオマケ写真を。コチラは鹿児島の繁華街にある、リアル「Bar魔の巣」であります。黙ってグラスをキュッキュッと磨くマスターでもいるのかと思い、一度入ってみようかなと思っていたのですが、先般の連休の間は残念ながら、ずっとお休みでありました。



今度鹿児島に行くときには、ぜひとも勇気を出して(笑)立ち寄ってみようと思っております。



(Facebookへの投稿と、勤務先である書店のスタッフブログに書いた内容に手を加えた上で、アップいたしました)


特撮を支える美術の仕事の偉大さを実感!みやざきアートセンターで「ゴジラと特撮美術の世界展」を見る

2015-05-20 13:10:32 | 映画のお噂
今月(5月)の2日から、宮崎市内にあるみやざきアートセンターで開催中の、ゴジラ生誕60周年記念の展覧会「ゴジラと特撮美術の世界展」、16日(土)に行ってまいりました。
(以下、掲出する写真は撮影可のスペースで撮ったものです)



東宝特撮・怪獣映画のイマジネーションを支えた美術デザイナーの仕事にスポットを当てるとともに、特撮映画の世界観をスクリーンの外で拡げることに寄与した、プロのイラストレーターによるイラスト作品の原画を多数展示するというこの展覧会、特撮・怪獣映画好きには見逃せない垂涎の機会であります。早く行かねばと思いつつ果たせていませんでしたが、ようやく見に行くことができました。

まず最初の展示スペースには、1984年版『ゴジラ』を皮切りにして、平成のゴジラシリーズでメインとなるポスターアートを手がけてこられた、生賴範義さんの原画が勢揃いしていました。
『スター・ウォーズ』シリーズをはじめとする多数の映画でポスターアートを手がけた、宮崎市在住の世界的イラストレーターである生賴さん。その作品は、やはりみやざきアートセンターで昨年開催された展覧会「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」でも、たっぷり堪能することができました(そのときの拙ブログの記事はこちらであります。ちなみに、「生賴範義展」の第2弾となる「記憶の回廊」も、7月から開催される予定です)。
ゴジラシリーズのイラストは、昨年の展覧会での鑑賞に続き2度目の対面となりましたが、あらためて緻密にしてダイナミックな生賴さんの作品に魅了されました。とりわけ、新宿の高層ビル街をバックに仁王立ちして咆哮するゴジラを描いた84年版『ゴジラ』と、3本の首でゴジラの体に巻きつくキングギドラを絶妙な構図で描いた『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)のポスターアートは、何度見てもゾクゾクするぐらい秀逸な出来であります。
人類にとっての脅威と恐怖の存在から、すっかり子どもたちのアイドル的な人類の味方となっていったゴジラのキャラクターを、再び人類に立ちはだかる脅威という原点に戻した、84年版『ゴジラ』以降の平成ゴジラシリーズ。そんなキャラクターを印象づける上で、生賴さんの作品が果たした功績は大きいのではないか、ということを、あらためて作品を見ながら思ったりいたしました。
平成ゴジラ、平成ガメラの2大シリーズをはじめとして、さまざまな映画のVFX(視覚効果)に参加しておられる橋本満明さんが描いた、最初のハリウッド版『GODZILLA』(1998年)のキーアート作品も展示されていました。自由の女神像を踏み潰しそうなGODZILLAの脚が印象的だったポスターアートも、橋本さんの作品だったんだなあ。

(会場には、実際に映画に使われたというスーツや造形物を活用して、映画の一場面を再現するような嬉しい展示も。こちらは『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』〈2001年〉から、白眼が禍々しさを際立たせるゴジラと、それまでのファンタジックな怪獣らしいモコモコした感じから、リアルな昆虫っぽさを強調する造形となったモスラであります)


生賴さんに続いて大々的に原画が取り上げられているイラストレーターは、開田裕治さん。出版物やCD、LD(レーザーディスク)などのジャケット、プラモデルの外箱などなど、数多くの媒体で怪獣のイラストを手がけてきておられる「怪獣絵師」の開田さん。それぞれの怪獣たちをキャラクター性豊かにいきいきと描き出すその作風は、まさに「センス・オブ・ワンダー」に溢れています。今回、その開田さんの原画を多数拝見する機会を得られたことも、大きな喜びとなりました。
展示されているそれぞれの作品には、開田さんご自身によるコメントが付されておりました。ゴジラとキングギドラとの戦いの歴史を、横長のパノラマ画面で描き出した作品に付されていた「怪獣映画にはパノラマ画面が似合う」「キングギドラはパノラマ映画の申し子」とのお言葉には大いに頷きました。そう、横長の大きな画面で活躍させてこそ、怪獣たちは映えるんですよね。
また、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)以降の6作品に登場する平成ゴジラの頭部を描いた作品には「平成ゴジラには怪獣王らしい風格があって好き」とのコメントが。これにも大いに共感いたしました。昨年お亡くなりになった川北紘一特技監督の発案によって形作られた平成ゴジラは、ゴジラのカッコよさを再認識させてくれたと、わたくしも考えておりますので。
怪獣のほかにも、東宝特撮映画に登場した超兵器メカを描いた作品もありました。とりわけ、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)に登場した、わたくしも大のお気に入りであるメカ「メーサー殺獣光線車」を描いた大きなサイズの作品は、まさに入魂といってもいい素晴らしい出来栄えで、しばし見とれておりました。
細部まで揺るがせにしない正攻法の作品がほとんどだった中、生賴範義さんが描いた『ゴジラvsキングギドラ』と『ゴジラvsモスラ』(1992年)のポスターをデフォルメ化して描いた、ユーモラスで遊び心のある作品もあったりして、なんだかニンマリいたしました。

今回の展覧会で、もう一つの大きな柱となった展示は、長年にわたり東宝特撮映画の美術を担ってこられた、井上泰幸さんの手になる多数のデザイン画や図面、絵コンテであります。シリーズ第1作の『ゴジラ』(1954年)に美術スタッフとして参加し、のちには美術監督として数多くの映画の特撮美術を手がけてきた井上さんの足跡は、日本の特撮映画の歴史そのものでもあります。今回の展示も、シリーズ第2作となる『ゴジラの逆襲』(1955年)以降のゴジラシリーズはもとより、『妖星ゴラス』(1962年)などのSF映画や、『日本沈没』(1973年)などのパニック大作までもが網羅されていて(中には、現在諸事情により観ることができない、1974年製作の『ノストラダムスの大予言』のデザイン画も)、東宝特撮映画の美術を一手に手がけてきた井上さんの幅広い仕事ぶりに圧倒されました。
実際には存在しない怪獣や光景をデザインするイマジネーションの根っこには、井上さんのたゆまぬ探究心がありました。『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)に登場した巨大カマキリ怪獣・カマキラスのデザイン画からは、まず実物のカマキリを精緻に写生して、それを徐々に怪獣らしくデフォルメしていった過程がよくわかりました。また、作品には描かれない背景を含め、独自に情報を集めて綴られた「独学ノート」の一部からも、井上さんの探究心をひしひしと感じることができました。
美術デザインだけでなく、特撮現場の予算を管理することも、美術監督になってからの井上さんの重要な仕事でした。展示されている絵コンテには、特撮セットをつくるために必要な予算の管理表が書き込まれているものも多くあり(その中には、搬入に使うクレーン車の修理代なんて項目も)、特撮映画製作の舞台裏が垣間見えて興味深いものがありました。さらには、『日本沈没』での津波シーンをつくるための「波起こし器」の設計図面も、井上さんの手になるものと知って驚かされました。
東宝の特撮・怪獣映画のイマジネーションを支えた、井上さんの偉大な仕事を物語る一級の実物資料を、ここ宮崎で拝見することができたことは、今回の展覧会での大きな収穫だったとつくづく思います。

(こちらも、映画で使用されたスーツや造形物を活用した展示であります。『ゴジラ×メカゴジラ』〈2002年〉とその続篇『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』〈2003年〉に登場したメカゴジラ=機龍とゴジラです)


『ゴジラvsビオランテ』以降の平成ゴジラや、1999年以降のミレニアムゴジラシリーズに参加された新世代の美術デザイナー、西川伸司さんが手がけたデザイン画や絵コンテも展示されておりました。
西川さんによる何種類かのビオランテの検討用デザイン画の中には、頭部がゴジラの形そのままというものも。ゴジラの細胞と薔薇が融合して怪獣化した、「ゴジラの分身」としてのビオランテのキャラクターが成立していく過程が窺えました。また、歴代のゴジラやキングギドラ、モスラ、メカゴジラの姿形の変遷を、解説コメントとともに描いたイラスト図解も。

この展覧会と同時に、開田裕治さん単独の原画展「THE ART OF KAIJU」も開催されておりました(こちらのみ入場無料)。東宝特撮映画以外のウルトラシリーズや、ガメラ、仮面ライダーを題材にした作品を集めたものです。
こちらも、それぞれのシリーズが持つ魅力が一点一点の作品に凝縮されていて魅了されました。とりわけお気に入りだったのが、『ウルトラQ』のLDジャケットのために描かれた、夕日をバックにしたカネゴンの絵。ユーモラスだけどちょっと哀愁もあるカネゴンのキャラクターを活かした、詩情あるいい作品です。また、歴代のウルトラシリーズに登場した怪獣たちが大集合した作品も圧巻でした(こちらも、隅のほうにちょこんと描かれているカネゴンがいい味出してました)。
異彩を放っていたのが、ゴジラシリーズをはじめとした数多くの映画で音楽を手がけた作曲家・伊福部昭さんの仕事を集大成したLPレコードのジャケット画でした。黒一色の点描で精緻に描かれた一連の作品には、色彩感豊かな怪獣画とはまた違った魅力がありました。

土曜日の午後ということもあって、会場には親子連れも多く訪れておりました。子どもたちが「ゴジラゴジラ!」とはしゃぎながら、生賴さんや開田さんの作品を目にしている光景を見ると、なんだか嬉しい気持ちになりました。
会期は来月(6月)の7日までです。この展覧会を通じて、多くの子どもたち(もちろん大人も、ですが)に、特撮映画の魅力が伝わればいいなあ、と願います。わたくしも、会期中にもう1回行っとこうかなあ。

展覧会の図録があればすぐさま買いたかったのですが、まだ出ていなくて予約を受け付けている、とのことでした。完全予約限定版というその図録、3672円と値段は少々張るものの、これはやはり買っておきたいと迷うことなく代金を前払いし、予約を申し込みました。会期終了から2ヶ月後に送付されるとのことで、大いに楽しみであります。
物販コーナーを覗くと、書籍やDVD、原画の複製、フィギュアなどなど、好き者ごころをくすぐるようなグッズがたくさんありました。 中には、福島県二本松市の酒造会社が作った、ウルトラシリーズの怪獣や宇宙人をあしらったお酒なんてのも。「ダダの梅酒」とか(笑)。
東宝特撮映画関係をはじめとした書籍類にも欲しいものが何冊かありましたが、それらは自分の勤務先である書店からも注文できるので、ここはやはり、そこらでは売っていないものを買っておくことにいたしました。で、迷った末に選んだのは、こちら。



開田裕治さんと、その妻である開田あやさんが、各地を回って綴った文章をまとめた小冊子。円谷英二監督生誕の地である福島県の須賀川市や、長崎県の「軍艦島」こと端島、さらには昨年開催された「生賴範義展」を見に宮崎市を訪れたときのことなどが綴られていて、なかなか楽しそうです。

鹿児島・オトナの遠足2015 (第2回)桜島で学んだ日頃からの心構え、そして天文館の酒場での嬉しい出会い

2015-05-13 23:12:02 | 旅のお噂
薩摩郷土料理とともに味わった生ビールやら焼酎で、真っ昼間からほろ酔い気分というありさまだったわたくし。天文館界隈からしばし歩いてフェリー乗り場までたどり着き、桜島へと渡ることにいたしました。



正午を回る頃には少し、空が明るくなってきていたとはいえ、フェリーに乗り込んで眺める桜島は、まだまだ雲に覆われておりました。ですが、こうしてフェリーで桜島を目指していると、ああ鹿児島に来てるんだなあ、という気分が盛り上がってきたりして、なかなかいいものでございますね。フェリーの中も、連休で訪れている観光客でいっぱいでありました。20分ほどでつつがなく、フェリーは桜島に到着いたしました。

わたくし、桜島に渡ったら久しぶりに、古里温泉を訪ねようと思っておりました。
『放浪記』や『浮雲』で知られる作家、林芙美子ゆかりの地でもある古里温泉には、海のすぐそばにある混浴の露天風呂がございました。わたくしも、そこには2度訪れたことがありました。
混浴、と申しましても、龍神さまが祀られている神聖な場所だということで、浴衣のような白い入浴着を着用して入らなければいけなかったというのが、少々ザンネンではありましたが•••。とはいえ、湯船のすぐ向こうに望む錦江湾の風景は、ヨコシマな下心なんぞ雲散霧消させてしまうような、見事な絶景でありました。
2度目の訪問のときに湯に浸かっていると、何をカン違いしたのか入浴着もつけず、スッポンポンのまんまで入ってきたお兄ちゃんが現れ、わたくしを含め湯に浸かっていた先客全員が大爆笑•••なんて、ちょいとヘンテコだけど楽しい思い出のある場所でもございました。
その後、この露天風呂を持っていた観光ホテルは数年前に破産して営業を終えてしまい、以来この露天風呂は入ることができないままとなっております。実に寂しいことなのでありますよ。
ところが。事前のリサーチによれば、やはり海を望むことができる立ち寄り露天風呂が、古里温泉にはもう一つあるというのです。それもやはり混浴だということで、それはぜひとも入ってみようと、古里温泉まで脚を伸ばすつもりでおりました。
そこで、フェリー乗り場のバスターミナルで路線バスの時刻を確かめてみると、古里温泉を経由する路線バスは、次の便まで1時間ほど待たねばならないといいます。いくら2泊3日の余裕あるスケジュールとはいえ、バス待ちで1時間もかけるのは避けたい。ならばタクシーで•••と思ったら、観光客の多いこの時期、タクシーも出払っていてつかまらないという状態。やれやれ。やはり、混浴目当てのヨコシマな気持ちでやって来たのが、いけなかったのかもしれませんなあ。ここはあっさり、作戦変更といきましょう。
わたくし、桜島港から歩いて10分ほどのところにある国民宿舎「レインボー桜島」にある立ち寄り湯「桜島マグマ温泉」に入ることにいたしました。



こちらの大浴場は露天風呂ではないものの、大きな窓から望む錦江湾の景色はなかなかいい感じでありました。さすがに風呂の中から写真は撮れませんでしたが、ほぼ、下の写真のような景色でありました。



土色に濁ったお湯は、かすかに硫黄と金っ気の混じった匂いがいかにも「効きそう」な感じがいたしましたね。温度は少々熱めで、しばらく浸かっているとカラダがポッポポッポと温まってまいりました。さすが「マグマ温泉」であります。
お湯から上がって施設を後にするとき、こんなイベントの告知が目に止まりました。



「桜島噴火撮影会」とは•••。ううむ、いかにも鹿児島ならではの撮影会、という感じがひしひしと。

桜島の恵みである温泉を満喫したわたくしは、すぐ近くにある「桜島ビジターセンター」を訪ねました。



桜島の噴火活動の歴史や自然環境などを、パネル展示や映像などで紹介する入場無料のミニ博物館。入って間もなく目を引いたのは、こんな表示でありました。



昨年の爆発(振動や噴石を伴う爆発的噴火、という意味です)が450回だったのに対し、今年に入ってからの爆発は471回。今年、と申しましてもまだこの時点で5月初旬でありまして、その時点で昨年を上回る爆発があったとは。このところ、桜島の噴火活動が活発化していることは仄聞しておりましたが、こうして数字で示されると、その活発ぶりが実感を持って感じられてきます。
桜島と大隅半島が陸続きになってしまうほどの大量の溶岩が流れ出た、大正3年の大噴火。その時の被害を伝える記念碑の読み下し文も掲示されておりました。それによれば、地震や噴火口から上がる白煙などといった危険な兆候を見てとった当時の村長は測候所に問い合わせるも、桜島には噴火はないとの答えが返ってきたといいます。それを信じた村長は、残った住民に「あわてて避難するには及ばない」と説きましたが、それから間もなく大噴火が。かくて、「測候所を信頼した知識階級の人」がかえって被害に遭うという結果になった、と。
記念碑はこのように警鐘を鳴らします。

「住民は理論を信頼せず、異変を感じた時は事前の避難の用意がもっとも大事で、日頃からいつ災いにあってもあわてない心構えが必要である」

あの東日本大震災を境にして、多くの地震や火山の噴火に見舞われているわが日本(この記事をアップした5月13日の早朝にも、東北沖で最大震度5強という地震がございました)。そんな中にあって、命を守っていくために必要な知恵を、この碑文は教えてくれているように思えました。

ビジターセンターを後にすると、これまた近くにある「桜島溶岩なぎさ公園」の中にある足湯で一服いたしました。



上に掲出した写真は極力、人が写っていないものを選びましたが、長さが100メートルになるという長~い足湯は、やはりたくさんの人たちで賑わっておりました。足湯に浸かりながら眺める対岸の風景は、顔を出してきた太陽の光を浴びてキラキラと輝いていて、実にいい気分でありました。



そう。このいい景色も、気持ちのいい温泉も、紛れもなく桜島がなければ生まれなかったものであります。いざという時のための備えは怠らないようにしなければなりませんが、平時の時にはその恵みを感謝とともに、たっぷりと享受するのが、桜島との理想的な付き合い方なのではないか•••。
足湯に浸かりながら、あらためてわたくし、そんなことを考えたりしていたのでありました。

桜島から鹿児島市街へと戻ると、さっそく天文館界隈のすぐそばにあるビジネス系ホテルにチェックインいたしました。今回は2泊とも、このホテルのお世話になりました。
一休みしたあと、お楽しみの天文館界隈飲み食い歩きへと出陣であります。時刻は5時半頃。まだ日も高かったのですが、既にぼちぼちと、飲み歩きに出ている皆さまの姿がありました。



まず最初に立ち寄ったのが、賑わうアーケード街の中にある「味の四季」。おでんと家庭的な薩摩料理がメインのこのお店も、わたくしのお気に入りであります。



おでんといえば外せない、大定番の大根や玉子もさることながら、ジャガイモも中までしっかりきっちり味が染みていて美味しく、生ビールがくいくい進みました。そして豆腐は、上に味噌が乗っかった田楽仕立て。これもいい感じでしたね。
ほかに頂いたのが、黒豚の串焼きと「がらんつ」。「がらんつ」とはイワシの干物のことで、アタマから丸かじりすると、旨味の中に程よい苦味が。これもまた、お酒が進む一品でしたねえ。
生ビールはあっという間になくなり、すぐさま焼酎に突入。こちらも大定番の「小鶴くろ」に続いてチョイスしたのが、鹿児島限定という「きばいやんせ」。鹿児島の方言で「がんばりなさいよ」という意味のこのことば、ご当地出身の長渕剛さんも、歌の中で使っておられましたなあ。きりりとした爽快な飲み口は、確かに活力が湧いてきそうな感じが。もう一杯、おかわりをいたしました。
飲み食いを楽しんでいると、カウンターの隣で飲んでおられたご夫妻が話しかけてきてくださり、いろいろとお話するうちに意気投合いたしました。ご夫妻は山口県から、バイクに乗って九州を降りてきてこられたといいます。
夫さんのほうは、かつて鉄道関係のお仕事をなさっておられたといい、職場の先輩と停車中の貨車の中に潜り込んで、七輪でサンマを焼いて食べてたら煙がもうもうと上がってしまい、それを見ていた乗客から通報されてしまい上役から大目玉を食らった•••という話を楽しく聞かせてくださいました。とても気のいい好人物という感じのお方です。
そして妻さんのほうは、夫さんとは15~20歳くらいはお若く見える上、かなりの美人さんでありました。いやあ、こういう美人でお若い方とご一緒という夫さん、羨ましい限りですねえ。わたくしが宮崎の人間であることを知ると、「宮崎は通過するばかりでまだ行ったことがなくって」と、宮崎の美味しいものをいろいろとお訊きになられました。ぜひとも、こういう方々に来ていただければ嬉しいですねえ、宮崎にも。不肖わたくし、及ばずながらご案内役をさせていただきますよ。
けっこう、いろいろな料理やお酒をたっぷりご賞味なさっていたご夫妻、注文した日本酒が思ったよりも量が多かったので•••と、わたくしにもお裾分けしてくださいました。おかげさまで、実に心地のいい酔いがカラダに回ってきたのでありました。お二人さん、本当にありがとうございました。
明日の朝は早いので、ということで、ご夫妻は一足先にお戻りになることに。わたくし、お土産を買うのに立ち寄るといい場所をお教えして、お二人と別れたのでありました。ですが、お時間が許せばもう一軒ご一緒したかったくらい、とっても素敵なご夫妻でありました。ぜひまた、どこかでお会いしたいものであります。
こういう素敵な方々との嬉しい出会いもあるということが、旅先での一人飲みの楽しみ。わたくし、満たされた気持ちとともに、「味の四季」を後にしたのでありました。

もうだいぶ、酔いが回っておりましたが、鹿児島に来たら必ず立ち寄ることにしている、もう一軒のお店に足を向けました。アーケード街から外れた、飲み屋ひしめく雑居ビルの一つにある居酒屋「龍泉」であります。気のいいママさんが切り盛りする小さなお店なのですが、料理がどれも美味しくて、居心地もいい隠れ家的なお店なのであります。
ここに来るとついつい注文してしまうのが、「龍泉揚げ」という名前のさつま揚げと、かつおの腹皮焼きの2品であります。




軽快な歯ごたえの中にすり身の美味しさがあふれる「龍泉揚げ」と、適度な塩気と旨味が染みているかつおの腹皮焼き、いずれも焼酎がよく進む佳肴なのでありますよ。
ママさんいわく、しばらく前に放浪の酒場詩人・吉田類さんがローカルテレビ局の企画でここをお訪ねになられたそうで、その模様は鹿児島限定で放送されたのだとか。で、それを見てやってきた、というお客さんが先刻までいたというのです。さすが、わたくしも敬愛してやまない酒呑みのカリスマ・類さんの影響力というのはすごいのでありますなあ。
ふと、店内にあるテレビに目をやると、ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が、鹿児島にある旧集成館をはじめとする、明治時代の日本における産業革命遺産群(ほかには福岡県の八幡製鉄所や、長崎県の「軍艦島」こと端島など)を世界文化遺産に指定するように勧告した、とのニュースをやっておりました。鹿児島にとりましても嬉しいニュースを、その鹿児島にいる時に目にするというのは、まことに辻占のいいことではございませんか。いやあ、めでたいめでたい。
天文館界隈で出会った、素敵な方々と嬉しいニュースに、わたくしのココロも大いに満たされたのでありました。



このままホテルまで戻ろうかとも思ったのですが、せっかく鹿児島まで来たんだから締めのラーメンを!ということで、長らく自主規制していた(といいますか、歳とともにお腹にもたれるようになってきたから食べなかった、というのがあるのですが•••)締めのラーメンを解禁することにいたしました。立ち寄ったのは、ご当地でも人気のあるラーメン屋さん「豚とろ」。文字通り、豚とろを煮込んで作ったチャーシューがふんだんに乗っかった、こってり系のラーメンであります。



とまあ、最初から最後まで、飲んで食ってばかりの初日が終わったのでありました。•••ああ、オレはこの日だけでどんだけ、カロリーを摂取したんだろうなあ。


(第3回につづく)

鹿児島・オトナの遠足2015 (第1回)薩摩魂のこもった郷土料理の数々に、真っ昼間から進む酒

2015-05-10 23:24:41 | 旅のお噂
これまでわたくし、ゴールデンウイークの時期にはそれほど遠出するほうではございませんでした。交通機関も混み合う中、わざわざどこかへ行こうという気にはなれなかったこともありましたが、仕事の都合でまとまった連休が取りにくかったのであります。
ですが、昨年の秋から勤めている今の職場は、ありがたいことにおおむね、カレンダー通りにお休みをいただけるというところ。なので今年のゴールデンウイーク後半の5月3日から6日にかけての4日間、まるまるお休みを頂戴することができました。
それでも最初は、どこかへ旅しようという心づもりはありませんでした。まあ、近場まで日帰りのサイクリングに出かけるぐらいにして、あとは自宅でのんびり読書三昧で過ごそう、というつもりでおりました。
しかし、暑くもなければ寒くもない、せっかくの過ごしやすい時期のまとまった連休です。ここはやはり、ちょっと遠くまで泊まりがけで出かけないともったいない!という気持ちが、少しずつアタマをもたげてきたのであります。かくして、2泊3日の日程を組んで旅に出ることに決めました。ゴールデンウイークの始まる約1ヶ月前のことでございます。
これから何回かに分けて、そのときの旅のお噂を綴ってまいりたいと思います。

行き先はわが宮崎のお隣、鹿児島市ということにいたしました。
ここ数年、毎年のように出かけている場所で、昨年9月にも訪れている鹿児島でありますが、桜島を間近に望む風光明媚さや、西郷隆盛らを生み出した重厚な歴史の厚み、そして山海の幸に恵まれた豊かな食文化に、訪れるたび魅せられている場所でもあるのです。とりわけ、南九州最大という繁華街、天文館界隈には、薩摩伝統の郷土料理をはじめ、黒豚料理、鹿児島ラーメン、白熊といった、鹿児島の美味いものを味わうことができるお店がひしめいているのであります。そしてもちろん、薩摩焼酎を心置きなく味わえる酒場もまた、星の数ほどあるのでございます。
これまでは、1泊2日という、いささか余裕のないスケジュールでしか行くことができなかったのですが、今回は2泊3日であります。天文館をブラつきながら、鹿児島の美味いものをたっぷりじっくり満喫することができると思うと、出かける前から気持ちが浮ついてくるのでありました。
とは申しましても、せっかくの2泊3日という余裕ある日程。天文館界隈での食べ歩き飲み歩きばっかりで終わるというのも、ちょいと人として情けないわけなのであります。中日(あ、“ちゅうにち” じゃなくて “なかび” ですね)には、鹿児島市から少し脚を伸ばした場所まで行くことにいたしました。
さてどこへ脚を伸ばそうか。出発する直前まで迷いました。25年くらい前に訪れて以来の指宿にしようかとも思ったのですが、まだ一度も訪れていなかった知覧に行ってみることにいたしました。

ゴールデンウイークが近づくにつれて、南九州の天気はいささか不安定になってきました。出かける前の週に目にしていた週間予報は、連休後半の天気は良くないとの予想でした。出発する5月4日に至っては雨のマークが。
実はわたくし、昨年も一昨年も、鹿児島へ出かける日は曇りか雨だったのでありまして•••連休後半の天気は良くないという週間予報を目にして、「ああ、今回も天気が悪いのかあ•••。やっぱりオレ、鹿児島に嫌われてるのかなあ•••」と、出発前だというのにちょっぴり寂しい気分になったりしていたのでありました。
そうこうするうち、出発直前になって風向きが変わりました。天候は回復に向かい、4日は晴れるというありがたい展開となり、わたくしは拝みたくなるくらい嬉しくなったのでありました。
とはいえ、前日の3日は夜になっても強い雨が降っておりました。ホントに明日は晴れるのかいな、という一抹の不安とともに、床についたのでありました。

そして、4日の朝となりました。目覚めてすぐに窓の外を見ると••••••雲ひとつない快晴ではございませんか!うほほほ、いいぞいいぞ。
わたくし、ウキウキ気分で足取りも軽く宮崎駅へと向かい、ウキウキ気分で特急列車に乗り込みました。午前7時18分、列車は一路鹿児島市に向けて発車いたしました。



スッキリと晴れた外の景色を見ながら•••朝っぱらからではありますが、買ってきた缶ビールをプチンと開け、心地良い苦味の芳醇なビールを喉に流し込むと、ふう、と一息つきました。旅に出るんだ、というヨロコビが、腹の底からじわじわと湧いてまいりました。



ところが。宮崎市から遠ざかるにつれて、空にはだんだんと雲が多くなり、鹿児島に入る頃にはもうすっかり曇り空。鹿児島はまだ、天候は回復していないようでした。
列車の窓に見えてきた愛しの桜島も、このありさまでした。



ああ•••やっぱりオレは、鹿児島から好かれていないのだろうか••••••。またもアタマをもたげるそんな思いとともに、鹿児島中央駅に到着したのでありました。

さあ、曇り空にガッカリしていては始まりません。ここは鹿児島を代表する傑物たちにご挨拶して礼を尽くし、鹿児島の旅を良いものにしなければ。
わたくし、まずは鶴丸城跡に向かうと、この方のもとを訪ねました。



そう、西郷(せご)どんでありますよ。直立してあたりを睥睨しているこの方のお姿を目にすると、ああ鹿児島に来たんだなあ、という気持ちが高まってまいりますね。
連休中ということもあり、あたりには多くの観光客の皆さんが集まっては記念写真を撮ったりしていて、大いに賑わっておりました。
お次はこの方。鶴丸城跡の中で鎮座しておられる、天璋院篤姫さまであります。



こちらもまた、「薩摩おごじょ」にふさわしいような凛とした表情が、実にいいですねえ。天気にいちいち一喜一憂しているような情けないオトコ(オレのことなんだけど)に「あなた、そんなことではいけませんことよ」と叱咤されているかのようで、背筋が伸びるような気持ちがしたのであります。
そしてもう一ヶ所。西郷どんや大久保利通らの人材を育てるとともに、薩摩藩の近代化に尽力した名君、島津斉彬公を祀る照國神社(ここはやはり「國」の字で表記しておきたいところであります)に立ち寄り、斉彬公にもご挨拶をしておくことにいたしました。
「斉鶴」という、文字通り鶴が羽ばたくような形が見事な木の横を通り、境内へ。




境内にもまた多くの観光客がおられて、それぞれのお願いごとをしておりました。わたくしも、今回の鹿児島旅が良きものとなるよう、3日間のご加護を斉彬公にしっかりとお願い申し上げたのでありました。

お参りを済ませると、時刻はそろそろお昼どきという頃合いとなっておりました。さあ、鹿児島入りして最初のお食事ということにいたしましょう。わたくし、照國神社からもほど近いところにある薩摩郷土料理のお店「熊襲亭」に入りました。創業から50年近くになる老舗であります。



このお店に立ち寄るのは3度目であります。「正調」を謳う伝統の調理法によって作られ、供される薩摩料理の美味しさに魅了された上、グループ客や宴会にも余裕で対応できそうな大きなお店でありながら、わたくしのような一人客にも丁寧に接してくださるところに惚れ込み、すっかりお気に入りのお店となった次第なのです。
もちろん、お好みの料理を単品で味わうこともできるのですが、ここでのオススメは様々な薩摩料理を味わうことができるコースであります。予算に合わせてさまざまなコースを選ぶことができるのですが、わたくし今回はちょっと奮発して、黒豚しゃぶしゃぶのついたコースを注文いたしました。



まず並んだのが突き出しと前菜盛り合わせ、さつま揚げ、そしてキビナゴの刺身です。揚げたてのさつま揚げはそのままでも美味しくいただけますが、わさび醤油につけていただくとまた美味し。キビナゴの刺身に添えられた酢味噌には辛子も加えられていて、かすかな辛味が淡白なキビナゴを引き立ててくれます。これらだけでも十分お酒が進むというのに、突き出しと前菜盛り合わせがまた、お酒を進ませようという気まんまんの佳肴ぞろい。最初に飲んだ生ビールはたちまちなくなり、早くも焼酎の水割りへと進んだのであります。ええ、真っ昼間から、でありますよ。
そしてついに、メインともいえる黒豚しゃぶしゃぶとのご対面であります。



鍋の中の昆布ダシが煮える間に賞味したのが、薩摩半島南部の枕崎獲れのカツオたたき。好物でございますから、もう一切れ一切れを愛おしむように味わいましたよ。
で、鍋が煮えたところで黒豚をしゃぶしゃぶして頬張りました。噛むたびに、お肉の旨味がじわじわ、じわじわと口いっぱいに広がってきて、いやあ、これはもう絶品でありましたよ。
ここにきて、焼酎の水割りもなくなってしまいました。いくらなんでも、真っ昼間から酔いどれるワケにはいかんだろう•••いやいや、せっかく鹿児島の美味いもんを満喫しに来たんだから、もう一杯くらい焼酎飲んでもバチは当たらんだろう•••。ほんの少し、アタマの中でせめぎ合いはしましたが、結局もう一杯、焼酎の水割りを注文したのでありました。うーむ、恐るべし薩摩料理。



もう一品の黒豚料理は「とんこつ」。骨つきの黒豚を味噌や焼酎などを合わせた調味料で長時間煮込んで作られる料理で、柔らかくなった骨もコリコリといただくことができます。これまた、焼酎が進む一品であります。



仕上げにいただいたのが、さつま汁と「酒ずし」。酒ずしは、ごはんと地酒を1対1の割合で混ぜ合わせ、魚介類や山菜などの具を入れて一昼夜寝かせて作るという「熟れずし」の一種です。口に運ぶと、地酒の香りがふわりと広がるという、実に薩摩らしいお鮨であります。鶏ガラのダシで作ったというさつま汁も、素朴ながらしっかりした美味しさでしたね。



そして最後にデザートとして出されたのが、さつま芋で作られた芋ようかん。ベタつかない程よい甘さが好ましいお菓子でありました。•••いやあ、今回もたっぷりしっかり、堪能させていただきましたよ。
お会計のとき、お店の方がレジで渡してくださったのが、ご当地生まれの「ボンタンアメ」でした。



鹿児島の外でもお馴染みであるお菓子ですが、手にするのはけっこう久しぶりでありました。お店の心遣い、とても嬉しく思いましたねえ。
薩摩の歴史と風土が育んだ食材と調理法で作られた薩摩郷土料理を、細やかなおもてなしと気配りで供する•••。薩摩の魂を舌と心で感じさせていただき、大いに満足してお店を後にしたのでありました。•••ちょっとばかり、真っ昼間からほろ酔い加減ではございましたが。
お店を出てからふと路上を見ると、マンホールの蓋が目に止まりました。



その中心には•••なんと、島津家の家紋である「丸に十字」の紋様が!こういうところでも薩摩の歴史をアピールしているとは。うーむ、恐るべし鹿児島。
空模様はまだ曇ってはおりましたが、どうやら雨の心配はなさそうでありました。


(次回につづく。ひとまず、全6回という予定でお伝えしていくつもりです)




【読了本】『新種の冒険』 驚きの生きものたちへの好奇心とともに、生物多様性の重要性がよくわかる図鑑

2015-05-03 16:20:35 | 本のお噂

『新種の冒険 びっくり生きもの100種の図鑑』
クエンティン・ウィーラー&サラ・ペナク著、西尾香苗訳、朝日新聞出版


地球という惑星の中で暮らしている、たくさんの動植物。その中には、われわれ人類が存在を知ることができずにいる生きものが、まだまだたくさんいます。
人類によってその存在を見出され、名前がつけられた生きものは約200万種。しかし、いまだ未発見で名前もつけられていないという動植物は、少なくとも1000万種。単細胞生物まで含めると、その数はさらに膨大なものになるといいます。
しかし、研究者たちのたゆみない探究心と、さまざまな技術の発達により、それら未知の生きものたちも少しずつ「新種」として見出され、名前がつけられて分類系統の中に組み込まれていくことになります。毎年、平均で1万8000もの新種が報告されているのだとか。
2000年以降になって見出され、名前がつけられた「新種」の中から、驚くような特徴や生態を持った動植物100種類を選りすぐり、オールカラーの写真と解説で紹介した図鑑本が、この『新種の冒険 びっくり生きもの100種の図鑑』です。

写真の1枚1枚を眺めていくだけでも驚きがいっぱいで、なんだかワクワクさせられるものがありました。
まるで着物の江戸小紋のような、白い斑点の散らばる文様で彩られたウミウシ。中心から放射状に5本線を引けば、まったく同じ5つのパーツに分けられる「五放射相称」の凝った模様で塗り分けられた本体を持つウニ。工芸品のように細かく端正な造形を、ミクロの大きさの中に見出すことのできる珪藻•••。そんな美しい外見の生きものたちを見ると、自然が作り出した美の素晴らしさにため息が出そうになります。また、ダンボの耳のようなヒレで泳ぎ回るという、深海に住むタコの可愛らしさには、思わず顔がほころんでしまいました。
かと思えば、一見すると脳なのか泥なのかわからないような異様な外見をした(しかも、単細胞生物としては破格である12㎝という大きさの)原生生物の一種である有孔虫や、上に向かって細長く突き出した「首」から、これまた長い牙が生えたクモ•••などなど、まるでSF映画に出てくるモンスターやエイリアンのような異様な外見を持った生きものがあったりします。それはそれで、人間の想像力を超えるような、自然による造形の妙に感心させられたりいたしました。
巧みな擬態によって他の種類やモノになりきる生きものにも、ひたすら感心させられるようなスゴいヤツが。食べると不味い他種のチョウに見せかけて捕食者を避けるアゲハチョウの一種。仲間のふりをして他種の魚の群れに紛れ込み、その群れにいる魚を捕食してしまうというカワスズメの一種。それらにも驚かされたのですが、最も感心させられたのが珊瑚になりきるタツノオトシゴでした。体の色といい表面の凸凹具合といい、珊瑚に紛れていたらまず見つけられないくらい見事な「なりきり上手」っぷりです。

中には、できればお近づきになりたくないなあ、というような生きものもあります。
脚を広げると30㎝にもなるという「Mサイズのピザほどもある」巨大なアシダカクモの仲間。毛に覆われた本体と、そこから伸びるぶっとい脚がインパクト十分すぎるこのクモの写真も、カラーでどどーんと載っていて、クモ嫌いの方にはちょっと刺激が強いかもしれません。もっともこのクモ、「サイズゆえに恐怖を引き起こすのを除けば、幸いなことに人間に害は及ぼさない」とか。そういえば、日本に住んでいるアシダカグモも、人間に害を及ぼすどころか、ゴキブリを捕食してくれるありがたい存在だったりいたしますね。なので仲間にしてあげたい気もするのですが、あのブキミなビジュアルを目にすると、「近づかんでくれ、頼むから」と思ってしまったり。•••アシダカグモには申し訳ない話なのですが。
他には、もし目に入ると失明の危険があるという毒液を約3mも噴出させる、その名も「ドクハキコブラ」や、刺されてもまったく痛くないのに、刺されてから20分もたたないうちに心臓発作で死ぬこともあるというクラゲも、なるべく出くわしたくはない生きものです。さらには、アリに寄生してゾンビ化させて操り、胞子を運ばせるという菌類の一種も。菌類にもまだまだ、奥深くてフシギな世界がありそうだなあ。

すでに絶滅して存在しない生物も、化石として発見されれば「新種」として登録されることになります。そんな「化石になってるけど新種」の中でもとりわけ変わっているのが、「葉足動物」という絶滅した動物群の一種です。化石で見る限り、サボテンなどの植物にしか思えないこの動物、復元図を見てもちっとも動物には見えない•••。
また、琥珀の中に閉じ込められている、1億年前に生息していた最古のハチには、花粉を運ぶための毛が生えていました。それにより、白亜紀には昆虫による花粉媒介が行われていて、それが植物の多様化に貢献したことが証明されたのだとか。すでに絶滅した生きものたちも、われわれが知らない古くて新しい事実を教えてくれる貴重な存在なのです。

本書には、いままさに絶滅の危機に瀕している生きものたちも紹介されています。ケモノハジラミというシラミの仲間は、絶滅危惧種であるスペインオオヤマネコ「だけに」寄生するがゆえに、絶滅の危機にあるというのです。
1種の生きものの絶滅が、別の生きものが絶滅する原因ともなってしまう•••。たとえ見た目がブキミであったり、やっかいな性質を持っている生きものであったとしても、生態系を維持していくためにはやはり大事な存在であったりするのだ、ということが、このシラミの事例からもよくわかりました。
一方で、深海にある超高温の熱水噴出孔付近に生息するカレイや、標高3000~4200mの高山地帯に生えているポピーなど、過酷な環境に適応し、しぶとく頑張っている生きものたちも登場しています。
生命というのは脆くもあるが、同時にしぶとくてしたたかでもある。そのことが、生物の多様性を育んでいるのだ•••。本書を読むと、そのことをしみじみ感じさせられます。

本書の序章では、生物多様性を持続可能なものにするためにも、種の探索が重要であるということが語られています。

「多様性の高い生態系のほうが予期せぬ変化にも耐えやすく、さらに、将来的に何が起ころうともうまく受け止められる可能性が高い。だが、ある生態系にどんな種が既に存在しているのか、実際に知らない限りは、種が消えてしまってもそれに気がつくことなどできないし、生物多様性の変化をモニターすることもできない。予測不能な環境の将来に対し自信をもって立ち向かうためには、種を探索していくほかないのである。」

今にも消滅しようとしている生きものもいる中で種の探索を続け、地球の生物多様性を保っていくために、われわれができることとは一体何か?本書の最後に示された答えは極めてシンプルなものでした。それは「自分の好奇心に従って行動すればいいだけだ」。
堅苦しいリクツや、押しつけがましいイデオロギー的スローガンなどではなく、好奇心を持つことで生物多様性を持続可能なものにすることができる•••。シンプルだけど、とても勇気づけられるメッセージでありました。

驚きの写真の数々はもちろんでしたが、生物学の知見をしっかりと踏まえながら、ところどころにユーモアが散りばめられている解説文もまた、好奇心を大いに刺激させてくれました。
変わり種の生きものたちに驚かされ、好奇心を刺激されながら、生物多様性の重要性を学ぶことができる、興味の尽きない一冊です。


(勤務先である書店のホームページのブログに記した文章に、大幅に手を加えた上でアップいたしました)


【関連オススメ本】

『へんななまえのへんないきもの』
アフロ著、中経出版(現・KADOKAWA/中経出版)、2013年

「ウルトラマンボヤ」「ハナデンシャ」「デスストーカー」「エッチガニ」「ゾウキンザメ」「オジサン」「ウンコタレ」などなどなど、ヘンテコな名前やビジュアル、生態を持っている生きものたち59種類を、大手フォトエージェンシーのアフロが管理している膨大な写真から選りすぐって紹介した写真集。こちらも、楽しみや驚きとともに、多彩な生きものたちがいることの豊かさを感じさせてくれる一冊です。当ブログでの紹介記事はこちらであります。