読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『立花隆の書棚』 膨大な知的蓄積と書物愛にひたすら圧倒

2013-06-23 19:59:45 | 「本」についての本

『立花隆の書棚』 立花隆著、薈田純一写真、中央公論新社、2013年


「知の巨人」立花隆さんが、自宅兼仕事場にしている、東京都内某所のビル。外壁に猫の顔が描かれていることから「ネコビル」と呼ばれるその中には、10万~20万冊に及ぶ本が収められているといわれ、本好きからは聖地として崇められており、全国から本好きが巡礼に訪れる場所になっている•••とかいないとか。
本書は、その「ネコビル」内を中心とした立花さんの書棚すべてを写真におさめ、それぞれの書棚について立花さん自らが語っていく、という趣向の一冊です。ハードカバーで650ページと、なかなかのボリュームであります。

さまざまな方の書棚写真を撮影しているという写真家・薈田(わいだ)純一さんが、書棚の一段一段を精密に撮影。そうして別撮りした写真をコンピュータで精密に面合わせして合成する•••という手間のかかる作業を経て、書棚全体を再現する写真が出来上がった、という次第。
こうして出来上がった書棚写真は、拡大すれば一冊一冊の本の背表紙がきちんと判読できます。写真ページには、すべての書棚を見渡した写真と、そのところどころを拡大した写真が掲載されています。収められている本の背表紙を一つ一つたどっていくのは、実に興味深く楽しいものでした。「あ、こんな本もあったんだ!」とか「むう、こういうのはなかなか普通では揃えられんなあ」といった感じで。

それらの書棚を前にして、立花さんが収められている書物について語っていきます。人間の生と死、サル学、脳科学、原発とエネルギー、キリスト教と西洋文明、イスラム教、哲学、物理学、中東情勢、日本共産党、美術、映画、春画とエロス、などなどなどなど。
森羅万象に及ぶ話は、時にそれぞれが化学反応を起こしながらさらに拡がっていったりもしていて、こちらもまことに興味をそそるものでした。

「フロイトの理論は基本的にフィクション」
「サル学は必然的に『人間学』にもなっている」
「キリスト教の原点は、もともと土着宗教であり、紙の上に書かれた教義を抽象的に理解するだけではわからない」
「古今東西、文化が育つためには経済的な土壌が必要」
「物理学をきわめると神学になる。物理学と哲学と宗教が三位一体の関係にある」
「超絶技巧の彫りと刷りの結晶である春画は、侮れない世界」

•••と、挙げていけばキリがなくなりますが、それぞれの分野について「なるほど、そういうことなのかー」という気づきを、平易な語り口で与えてくれるところは、まさに立花さんの真骨頂でありました。

また、本を読む上で参考になりそうな考え方や方法論も、至るところで披瀝されています。

「サイエンス系の本を読むときは、その著者が、どういうレベルの人に向けて書いた本なのかを素早く判断し、自分がそのレベルに入っている人間なのかどうかを判断してから読まないと、読む必要がない本を読むことになるのです。レベルがズレ過ぎた本を読むのは無意味です。」 (第三章より)

現実について、普段の生活とは違う時間の幅と角度で見る。そういう営為が常に必要なんです。それを促してくれる本こそ、一つの仕事が終わった後もきちんと残しておくべき、長く役に立つ本ということになるかもしれません。」 (第五章より)

さらには、澁澤龍彦が責任編集を務めた伝説の雑誌『血と薔薇』の編集を手伝っていた、とか、親戚に五・一五事件の関係者がいる、などといった、立花さんの意外な一面なども垣間見えたりして、それもまた興味が尽きませんでした。

一番印象に残ったのが、紙の本の将来について言及したくだりでした。
立花さんは、古今東西のあらゆる情報がパソコン上で参照でき、データベースも構築されている中で、それらデータに溺れてしまう人がますます多くなる、と指摘します。その上で、こう語ります。

本というのは、テキスト的なコンテンツだけでできているものではありません。いい本になればなるほど、テキストやコンテンツ以上の要素が意味を持ってきて、それらの要素がすべて独自の自己表現をする、総合メディアになっていく。そういう本の世界が好きという人が、本を一番購読する層であって、本の世界を経済的にも支えている。この構造が続く限り、紙本の世界はまだまだ続くと思います。」 (第三章より)

それまで、立花さんはひたすら情報を摂取していく手段として本を読んでいくタイプの方なのかなあ、というイメージを勝手に抱いていました。ですが、上のくだりを読んで、思っていた以上にモノとしての紙の本を愛しておられることが伝わってきて、なんだか親近感が湧いてきました。

わたくしなんぞ、どう逆立ちしたところで「知の巨人」の足元にも及ばないわけですが(というか逆立ち自体未だにできないしな、オレ)、立花さんの知的蓄積と好奇心、そして書物愛に圧倒され、大いに刺激も受けた一冊でありました。


【関連オススメ本】

『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』 立花隆・佐藤優著、文藝春秋(文春新書)、2009年

「知の巨人」立花隆さんと、「知の怪物」佐藤優さんがタッグを組み、あらゆるジャンルから厳選した必読本をガイドします。正統派的な選書の立花さんと、ちょっとした変化球も交えた選書の佐藤さん。それぞれの違いを比べてみるのも楽しいブックガイドです。

【読了本】『愛しのインチキガチャガチャ大全』 80年代テイスト全開の代物ワールドに溺れる

2013-06-23 19:59:23 | 本のお噂

『愛しのインチキガチャガチャ大全 ~コスモスのすべて~』 ワッキー貝山=集、池田浩明=著、双葉社、2013年


1970年代後半から80年代にかけ、日本全国の駄菓子屋、文房具屋、スーパーなどの店先を席巻、というか侵略しまくったガチャガチャメーカー「コスモス」。
その時々の流行りモノやキャラクターグッズの粗末な模倣品や、なんでわざわざこんなもんを作ったのか、と言いたくなるようなバッタモンなどを濫造し続け、一時は年商180億円を稼ぎ出すなどしたものの、経営が行き詰まり1988年に倒産。わずか11年のあいだに、ありとあらゆるモノをカプセルや箱に封じ込め、子どもたちに売りつけて荒稼ぎをし、そして終焉したのです。
東北地方で活躍しているローカルタレント、ワッキー貝山さんは、このコスモスが生み出した膨大な商品を、なんと10万点もコレクションしているといいます。そのコレクションのごくごく一部、約1000点を公開したのが、本書であります。

まず目を奪われるのが、アニメや特撮番組などのキャラクターを、版権元の許可もへったくれもなく商品化しちゃったもの。しかも、それは版権元からの抗議をかわそうとしたからなのか、名前を変えて出されたりしています。「ガンダム」ではなく「ダンガム」だったり、「キン肉マン消しゴム」ではなく「ジャンボ人形」といった調子で(笑)。
しかもそれらは材質が粗悪な上、造形も稚拙でワケのわからない代物だったりします。銀河鉄道999号の消しゴムは、どう見ても実際の999号とはかけ離れた単なる汽車ポッポですし、ウルトラマンに登場した怪獣を形どっているハズの「怪獣消しゴム」は、仏像やただの恐竜のようだったりします。
極めつきは、ロッテのビックリマンシリーズが大ヒットしていたのにあやかってでっち上げた「ロッチ」(苦笑)のビックリマンシール。初期の頃は本物をそのままコピーして作ったという有り様でしたが、後にキラキラの特殊印刷ができるようになったりして、パクリにしては完成度が上がっていく様子が可笑しかったりします。コスモスは、この「ロッチ」のかどにより著作権法違反で摘発され、社長らが逮捕されるに至ります。

わざわざコレを商品化するか、と言いたくなるような、ハッタリと脱力感溢れる代物の数々にも大いに笑わされました。
ヘビのイラストをあしらった「ガラガラ蛇のタマゴ?」なる商品は、針金とワッシャーとゴムを組み合わせた物体。「めんこ」と称して売られていたのは、牛乳瓶のふたをそのままコピーしただけのもの。•••などなど、よくここまでやったもんだよなあ、と呆れ笑うばかりの物件には事欠きません。
水と化学反応を起こして袋が爆発する、というおもちゃに付けられたネーミングが「水素爆弾」というのも凄すぎであります。それもご丁寧にキノコ雲のイラストつきで。さすがにコレには、不謹慎との抗議を受けたようですが。

無茶苦茶なばかりの商品のコレクションもさることながら、巻末に収められた元コスモス社員2人のインタビューも、実に興味深く面白いものでした。
「宇宙に行くことを真剣に考えて」いたという、当時のコスモス社長のぶっ飛んだワンマンっぷり。ガチャガチャの台紙で誇らしげに謳われていた「国内シェア80%」の実態•••。それらのエピソードの数々からも、コスモスという会社のモノスゴサが伝わってきます。
それと同時に、売る側のコスモスと、買う側の子どもたちとの間には、騙し騙されの駆け引きを通じての、ある種のコミュニケーションのようなものがあったことにも気づかされるのです。2人のインタビューからは、そんなコミュニケーションが成立していた時代への郷愁とともに、今のガチャガチャのあり方に対する失望も伝わってきました。思えば確かに、あの頃はまだまだ牧歌的でいい時代だったのかもしれません。

1970年代後半から80年代にかけて現役の子どもであったわたくしも、コスモスのガチャガチャから妙なモノをつかまされた一人であります。それだけに、本書に集められた80年代テイスト全開のコスモス代物ワールドに溺れました。
ガンダムやウルトラマン消しゴム、キン肉マン消しゴム、ビックリマンにとどまらず、コスモスは70年代から80年代の流行りモノをことごとく取り入れていたことが、本書によってあらためてわかりました。
なめ猫やエリマキトカゲ、スライム、チョロQ、ピンクレディー、ドリフ、ゲームウォッチ、ルービックキューブ等々•••。
そこからは、当時の世相や空気感のようなものが色濃く感じられてきます。
ワッキー貝山さんが、コスモス商品を10万点もコレクションしている、ということを知ったときには、正直「えらくケッタイで物好きなことをしているものだなあ」と思いました。
ですが、その多くはもう捨てられて残っていないことを考えれば、70年代から80年代の子ども文化史のミッシングリンクを埋める貴重なことを、ワッキーさんはやっておられるのではないか、と思えてきたのでありました。

当時を知る人にとっては懐かしさを、知らない人には驚愕と笑いをもたらしてくれる一冊であります。

【わしだって絵本を読む】『まゆげちゃん』 まゆげが作り出す表情の豊かさを楽しめる絵本

2013-06-18 22:05:07 | 本のお噂

『まゆげちゃん』真珠まりこ作・絵、講談社、2012年


読む本は基本的にノンフィクションばかりという「ノンフィクション男子」(笑)なわたくしですが、ここにきて絵本への興味が再燃してきた今日この頃であります。
そこで、月に一度くらい、これはという気になる絵本を読んで、このブログにて感想文など綴っていこうかな、と思います。
とは申しましても、決してこの分野に詳しいワケでもありませんゆえ、なにを読んだらいいのか、手探り状態でやっていくことになるかと存じますが•••。

第1回に取り上げるのは『まゆげちゃん』。ものを大切にする生活の知恵を楽しく伝える『もったいないばあさん』シリーズ(講談社)などでおなじみの絵本作家、真珠まりこさんの作品です。

太くて大きい「まゆげちゃん」をもつおとうさん。おとうさんが怒ったり、泣いたり、びっくりしたりするたびに、「まゆげちゃん」もそれに合わせた表情を見せます。両方の「まゆげちゃん」をぶつけたりすることもできるのを見ていた「ぼく」は、それをマネてみようと頑張ってみるのですが•••。

どどーんと太い線で描かれた「まゆげちゃん」によって変化していく、おとうさんの表情一つ一つが、実に豊かで面白いものでした。
そんな表情の変化を楽しみながら、まゆげが人間の表情にもたらす役割の大きさを感じることができました。
実のところ、いつもの生活の中で、まゆげを意識することなど、あまりありませんでした。ふだん、オノレのつまらないカオをじっくり見たりすることもありませんから、別段まゆげの手入れをするわけでもありませんし、人さまのカオを見るときにも、まゆげを意識して見ることはありませんでした。
でも、まゆげがあることで、人間の喜怒哀楽というものはより豊かに現れてくるのだなあ、ということが、楽しみながら理解できたのであります。

そして、まゆげを自在に動かすおとうさんを「かっこいい」という、息子の「ぼく」との気持ちの触れ合いにも、ちょっと心温まるものを感じて、読後感も良いものとなりました。
これはぜひとも、父と子で楽しんでいただきたい絵本であります。
•••そうか、これはおととい(16日の日曜日)の「父の日」に合わせて読んで紹介すりゃよかったなあ。しくじったなあ。でも、父の日であろうとなかろうと楽しめる絵本なので、ぜひとも手に取って見ていただきたいと思います。


【閑古堂アーカイブス】椎名誠さん生誕記念、私的ベスト椎名本

2013-06-14 22:23:04 | 本のお噂
きょう、6月14日は椎名誠さんのお誕生日でありました。
ご年齢を確認して驚きました。1944年生まれの69歳!とはいえ、とても70を目前にした方とは思えない若々しさを保っておられます。いいなあ。こういう歳の重ね方をしたいものですよねえ。
椎名さん、あらためておめでとうございます。いつまでも変わらずお元気でいていただければと思います。

わたくし、高校を卒業してからしばらくのあいだ、椎名本ばかり読んでいた時期がありました。特に、『さらば国分寺書店のオババ』などにみられた、「昭和軽薄体」と称されていた独特の文体には、一時期ずいぶん影響されたものです。また、焚き火やビールが大好きになったのも、間違いなく椎名さんからの影響です(笑)。
そんなわけなので、わたくしは勝手に、椎名さんを「心の師」として尊敬しているのであります。

実に数多くの著作がある椎名さんですが、まずわたくしが好きなのは『あやしい探検隊』シリーズですね(わたくしの手元にあるのはすべて角川文庫版)。

それまでずーっとインドア派だったわたくしに、アウトドアの楽しさを教えてくれたシリーズでした。
特に好きなのは、シリーズ初期の『わしらはあやしい探険隊』や『あやしい探検隊 北へ』。第一次あやしい探検隊「東日本なんでもケトばす会」、略称「東ケト会」に集っていた、それぞれ個性的なメンバーとのキャンプの顛末記はすごく面白くて魅力的でした。ちなみに、東ケト会メンバーの中でわたくしが一番好きだったのは「陰気な小安」氏でした(笑)。

あと、秀逸なSF小説の数々も忘れてはいけません。
特に、最終戦争後の未来をそれぞれ違うテイストで創造した『アド・バード』(集英社文庫)と『水域』(講談社文庫)、それに『武装島田倉庫』(新潮文庫)の3作は良かったですね。独特の造語感覚で描かれた未来世界や、さまざまなクリーチャーなどの描写もこたえられないものがありました。
その中でも、わたくしが特にお気に入りなのは『武装島田倉庫』です。殺伐としたところがありながら、ある種のノスタルジーも感じさせる未来世界がなんだか魅力的でした。一部のキャラクターを再登場させたスピンオフ短篇もあります。


そして、椎名さんの著作の中で特にお気に入りなのが、実は『発作的座談会』シリーズ(本の雑誌社、角川文庫)なのであります。
古い友人である沢野ひとしさん、木村晋介さん、目黒孝二さんとの対談をまとめたシリーズです。わたくし、単行本と文庫版、両方持っております(笑)。

「寝る前に読む本」「派手と地味はどっちがトクか」「茶わん蒸しはおつゆかおかずか」「美しい昼寝とは何か」「コタツとストーブ、どっちがエライか」などなどの、どーでもいいといえば実にどーでもいい話を、実に実に真剣にやっているのがすごく楽しいのですよ。ページの下のほうに付された註釈(おそらくは目黒さんによるものか)も可笑しいですね。
わたくし、気分が塞いだときにはこのシリーズを読み返しております。笑いながら読むうちに気がラクになってくるのでありまして、いやあ、ずいぶん助けられましたねえ。
こういう、バカ話を一生懸命できるような仲間が欲しいものだなあ、としみじみ思うのでありますよ。

申し訳ないことに、最近は興味の範囲がずいぶんと拡がってしまったこともあり、なかなか椎名さんの著作をフォローしきれておりません。
こうして過去の著作を振り返っていたら、買い逃していた椎名さんの著作をいくつか買っておきたい気持ちになってきました。
サイフの中身と相談しつつ、また少しずつ椎名本を買っていこうかな。

『はじまりのみち』 木下惠介と母の情愛、原恵一監督の木下惠介愛•••二つの愛の物語

2013-06-12 21:41:25 | 映画のお噂

『はじまりのみち』(2013年、日本)
監督・脚本=原恵一
出演=加瀬亮、田中裕子、ユースケ・サンタマリア、濱田岳、斉木しげる、光石研、濱田マリ、大杉漣、宮崎あおい


昨年、生誕から100年を迎えた国民的映画監督の一人、木下惠介。
『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『二十四の瞳』(1954年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)等々の木下監督が生み出した名作群は、いまなお多くの人びとから愛され続けています。その木下監督の若き日を描いたのが、本作『はじまりのみち』です。
『クレヨンしんちゃん』シリーズや、アニメ史に残る秀作『河童のクゥと夏休み』(2007年)などのアニメーション作品で高い評価を受けている原恵一監督が、敬愛する木下監督を題材として初の実写映画に挑みました。

時は戦時下。木下惠介(加瀬亮)は、戦意高揚映画として製作した自らの監督作『陸軍』(1944年)のラストが「女々しい」と言われ、当局から次回作の製作を中止させられてしまう。自分が思うような映画が撮れない状況に嫌気がさした木下は、映画会社に辞表を出して郷里の静岡県浜松市へ帰り、脳溢血で倒れて寝たきりとなった母・たま(田中裕子)を見舞う。木下はたまに「これからは木下惠介ではなく、本名の正吉に戻る」と言い、再び共に暮らすことを伝える。
戦局はますます悪化し、木下たちがいる場所も安心できない状況になっていく。木下は母親を連れて山間の町へと疎開することを決める。バスに乗せて行っては、という家族に木下は、揺られていては母の体に障るからリアカーに乗せて行く、と主張。かくて木下は、兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と、雇い入れた便利屋(濱田岳)とともに、リアカーを引いての山越えを敢行する。長い距離、夏の暑さ、突然降ってくる激しい雨•••。過酷な行程を乗り越え、なんとか疎開先へと到着することができた。
疎開先に落ち着いてから数日後。たまは木下を呼び寄せ、一枚の手紙を手渡す。そこにはたどたどしい文字で、木下へ向けたメッセージが綴られていたのだった•••。

原監督の初実写作品、実に見事な出来でありました。シンプルな物語、コンパクトな上映時間ながら、互いを深く思いやる木下監督とその母親との愛情が、観ていて心にじんわりと伝わってきました。そしてしっかり泣かされてしまいました。•••いやはや。トシをとると涙もろくなってきて困りますわ。

ちょっと意固地なところのある若き木下監督を熱演した加瀬亮さん。病に伏した母親・たまを、途中までセリフなしで演じ切った田中裕子さん。ともに素晴らしい演技をたっぷりと魅せてくれました。
思いのほか良かったのが、木下監督たちの疎開行に同行する便利屋を演じた濱田岳さん。お調子者ではありながら憎めないキャラクターをまことに巧みに演じていて、大いに楽しませてくれました。特に、戦時下で口にできなくなったカレーライスやビールを口にするマネをする芝居は絶品でありました。
そんな、一見お調子者の便利屋が、実は•••ということがわかる河原の場面は心に迫るものがあり、わたくしにとって最初の「泣きのスイッチ」が入った場面となりました。

『河童のクゥと夏休み』や、前作『カラフル』(2010年)で、アニメながらリアリティあふれる表現をつくりあげた原監督。実写作品への意欲を語ってもおられただけに、実写作品を撮りあげたこと自体には驚きませんでしたが、その最初の作品が木下惠介生誕100年記念映画だったとは。原監督の木下監督に対するリスペクトの深さ大きさを、あらためて感じさせられました。
それがひしひしと伝わってくるのが、ラストで10分以上にわたって綴られる木下監督の戦後における代表作の名場面集。最初は、その異例なまでの長さに戸惑いもありました。しかし、そこには一つのワクには収まらない、多彩な木下ワールドがあり、観ているうちにそれらの作品を観てみたい気持ちが湧いてきたのでした。
『二十四の瞳』などのようなオーソドックスなものがあるかと思えば、画面に楕円形のマスクをかけた『野菊の如き君なりき』(1955年)があり、演劇のような場面転換をする『楢山節考』(1958年)があり、モノクロ映像に人工着色を施した『笛吹川』(1960年)もあり•••。
木下惠介という映画監督が、実はとてつもなく面白い仕事をしてきたことがよくわかりました。あたかも、戦時下に思うように映画が作れなかったことへの反動のように•••。
平和な時代に映画をつくることができ、それを観ることができることがどんなに幸せなことなのかを、しみじみと感じました。

原監督が、日本映画の最良の部分を血肉にして育ってきた映画作家であることを、あらためて認識しました。
『はじまりのみち』は、そんな原監督による、木下監督への深い愛情もたっぷり込められた映画でもありました。

映画のパンフレットは、原監督と加瀬さん、監修として関わった山田太一さん、劇作家の中島かずきさんとの対談3本や、今月『新編 天才監督木下惠介』(論創社)を上梓したばかりの作家の長部日出雄さんによるコラムなども収められていて、こちらも見逃せません。

4日後の16日(日)には、原監督が上映館である宮崎キネマ館に来られることになっています。地元で開催されている「宮崎映画祭」にも、過去に2度来てくださった原監督。宮崎のことを忘れずにいてくださったんだなあ、と嬉しく思います。
16日には、わたくしもまた時間をつくって行こうかな、と思っております。