黄金週間期間中の5月4日から6日にかけて、2泊3日というスケジュールで出かけた、鹿児島市への「オトナの遠足」。初日はひたすら、食べたり呑んだりのうちに終始いたしました。
まあ、鹿児島に出かける大きな目的は、ご当地ならではの美味と美酒をとことん味わうというところにあったりするわけなのですが、せっかく余裕あるスケジュールを組んでやってきたのですから、2日目はちょっと鹿児島市から脚を伸ばしてみようではないか!ということにいたしました。
脚を伸ばした先は歴史が息づく町、知覧町であります。初めて訪れた知覧で、わたくしはまことに充実した時間を過ごすことができました。
今回は、知覧をじっくり歩いた旅のお噂をお届けすることにいたしましょう。
初日はずっと曇り空であった鹿児島市でしたが、2日目は朝から、嬉しくなるような快晴でありました。
宿泊先のホテルで朝食を頂いたあと、鹿児島中央駅の前で午前8時過ぎに発車する路線バスに乗り込み、知覧を目指しました。
発車してからしばらくは快調に進んでいたバスでありましたが、しばらくするとクルマの渋滞に巻き込まれました。延々と並んでいたクルマの列の先にあったのは、鹿児島を代表する動物園である平川動物公園でありました。大型連休の真っ只中、さぞかし多くの家族連れなどで賑わっていたことでありましょう。
それまでずっと、海から近いところに伸びる道を走っていたバスは、その平川動物公園を過ぎたあたりから山のほうへと向かいました。曲がりくねった急な山道がしばらく続いたあと、視界が開けるとそこが知覧でありました。知覧に入ったとたん、車窓の外に美しい緑色の茶畑が見えてまいりました。ああ、さすがはお茶どころですねえ。そして、ところどころに風にはためく鯉のぼりが。そう、この日は5月5日、こどもの日でありましたね。
知覧は、二つの歴史が今でもしっかりと息づいている町であります。一つは、江戸時代に薩摩藩によりつくられた「外城(とじょう)」として、武士たちが半農半士の生活を営んでいた歴史の面影。そしてもう一つは、太平洋戦争末期に陸軍の特攻基地が設けられ、そこから飛び立った1000人を超える若人たちが戦死を遂げたという、悲しい歴史であります。
まずわたくしは、特攻の悲しい歴史を後世に伝え続けている、知覧特攻平和会館を訪れました。
館内には、特攻隊員たちが遺した遺品や、西南の役から太平洋戦争に至る陸海軍の戦史資料など、実に数多くの展示がありました。また、薩摩半島の西にある甑島の沖に沈んでいた、零戦=零式艦上戦闘機の実物も。それなりの形を残しながらも、至るところ腐食し朽ちている姿に、長い時の流れを感じました。
数多い展示の中で、入館者の多くが食い入るように見ていたのが、特攻隊員たちが出撃前に、家族や友人らに向けて書き遺した手紙や遺書、辞世の数々と、それらを記した隊員たちの遺影でした。
それら最期のことばには、お国のために勇んで敵に向かっていく、といった壮烈な決意とともに、父や母、兄妹、妻や子ども、友人、恋人といった人たちへの哀切きわまりない想いが綴られておりました。それらの一つ一つが、わたくしの胸を強く打ちました。
特に目立ったのが、母親に宛ててしたためられた遺書の数々でした。中でも、幼かった頃の思い出から、軍隊に入ったあとに会いに来てくれた時までの、折々の母親との思い出を振り返りながら綴られた遺書には、母親への限りない思慕の念が率直に語られていて、涙を抑えることができませんでした。また、「ハハヨリサキニイクスマヌ」とだけ記されている電報文も、短いことばの中に断腸の想いが込められているように思えて、印象に残りました。
幼い子どもたちに向けて、すべて片仮名で綴られた手紙もありました。それには、「オトウサンハカミサマニナツテ」二人を見守る、とか、お父さんは二人の子どもの「オウマニハナレマセンケレドモ」、二人仲良くしなさいよ、といったことばが記されていました。それにも、涙が溢れてきてどうしようもありませんでした。
隊員たちのほとんどは、まだ20歳前後という若人。その彼らが、自らの死に臨んで切々と綴った、気高く美しいことばの数々に胸打たれるとともに、そのことばの奥にどれほどの悲しみや断腸の想いがあったのか、ということを、思わずにはいられませんでした。もう二度と、こんな思いを若人たちにさせるようなことがあってはならない、ということも、強く思いました。
連休中ということもあって、館内は多くの見学者が訪れておりました。中には、隊員たちが遺書に込めた思いを、連れてきていた子どもに伝えようとしている親御さんの姿も何人か見かけました。
いまだ、世界では争いごとが絶えることがありません。これからもたくさんの子どもたち(もちろん大人たちも、ですが)がここを訪れ、平和への思いを共有してくれたら、と切に願います。
物販スペースで一冊の本を買いました。館内にも展示されていた遺書や辞世を選んでまとめられた『新装版 いつまでも、いつまでもお元気で 特攻隊員たちが遺した最後の言葉』(草思社)。とりわけ胸を強く打った遺書もいくつか収録されていたので、これはぜひ手元に、と購入いたしました。
これからもときおり、この本を繙いていきたいと思います。
特攻平和会館を出ると、外に張られていたテントの中で、名物の知覧茶の試飲をやっておりました。わたくしも一杯、頂かせてもらいました。
コクのある旨味が口いっぱいに広がって、実に美味しゅうございました。
特攻平和会館を後にして、江戸時代を偲ばせる武家屋敷が立ち並ぶエリアに移動いたしました。そろそろお昼どきという頃合い、武家屋敷群の散策の前にやはり、美味しいものを食べておきたいところであります。
わたくし、武家屋敷が立ち並ぶ通りの入り口にある郷土料理のお店「高城庵(たきあん)」に入りました。このお店の建物も、昔ながらの武家屋敷を改装したもの。靴を脱いで中に入ると、古き良き風格がありながらも落ち着ける雰囲気の室内が、実にいい感じです。
窓の外を見れば、これまたいい雰囲気の庭園が。ありがたいことにわたくし、その庭園をすぐそばで眺めることができる窓際の卓に案内して頂きました。座るとまずはさっそく知覧茶のおもてなしが。座敷にゆっくり腰を下ろし、庭園を眺めながら飲む知覧茶も、また格別でしたねえ。
郷土料理の単品やセット、うどんや蕎麦といったメニューが並んでいる中で、ここでもちょっと贅沢を。全部で12品がセットになった、その名も「武家屋敷御膳」を注文いたしました。そして、ここでもしっかり焼酎を注文。ええ、真っ昼間からです。
まずは一の膳。鶏の刺身に芋こんにゃく、白和え、そして梅酒。鶏の刺身は、噛むたびに鶏の旨味がじんわり口の中に広がって、焼酎によく合いましたねえ。もう、真っ昼間からの焼酎に梅酒で、早くもいい気分になってまいりましたなあ(ちなみに、上の写真の左上に見えるのが焼酎であります)。
二の膳は揚げたてのさつま揚げに、お煮しめ、酢の物、香の物、そして「酒ずし」。お煮しめはしっかり煮込まれていながらも上品な味付けが好ましい一品でした。酒ずしは可愛らしい小盛りながらも、きれいな盛り付けで楽しませてくれました。
うどん、蕎麦、茶蕎麦の3つから選んだ蕎麦を食したあと、仕上げに出てきたのが、お抹茶と「両棒(ぢゃんぼ)餅」。両棒餅とは、武士の刀に見立てた2本の竹串に刺した餅を焼いて、砂糖醤油のタレをからめた、鹿児島の素朴なおやつであります。いやー、美味しい料理の数々と、美味しいお酒、堪能させていただきましたよ。ごちそうさまでした。
さあ、しっかり散歩支度もできました。・・・まあ、真っ昼間からのお酒でちょいとほろ酔い加減ではございましたが、いよいよ武家屋敷が立ち並ぶ町並みを散策するといたしましょう。
江戸の息吹きを色濃く残している、知覧の武家屋敷群。約700メートルの細い通り沿いに、作り込まれた美しい庭園を持つ武家屋敷が立ち並ぶ区域は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されております。武家屋敷庭園はすべて、今も人が住み続けている邸宅でもありますが、国によって名勝に指定されている7ヶ所の庭園は、共通の入園料を支払った上で立ち入りと見学ができます。入園料取扱い所で入園料を払い、案内リーフレットを頂いて散策開始です。
やはり連休中ということで、武家屋敷通りにも多くの観光客が歩いておりましたが、両側に生け垣や石垣が連なる通りには「薩摩の小京都」らしい情緒があふれておりました。なんでも知覧は、かつては琉球との貿易の拠点となっていたそうで、石垣や庭園にも琉球の影響がある、とのこと。ああ、言われてみれば通り沿いに連なっている石垣も、なんとなく沖縄っぽい感じがいたしましたなあ。・・・まだ行ったことはないのですが、沖縄。いつかちゃんと行ってみたいものだなあ。
・・・それはともかく。古い町並みが大好きなわたくし、せかせか通り過ぎていてはもったいない、とゆっくりじっくり歩きつつ、通りに散在する7ヶ所の武家屋敷庭園を順に見ていきました。
深山幽谷や大海原などの自然の景観を模した、趣向を凝らした美しい庭園の数々。薩摩といえば無骨で質素なイメージがあったりいたしますが、これら庭園はそれぞれに繊細で高貴なつくり。いやあ、実に見応えがございました。
これら庭園のいくつかは、知覧の背後に聳える山、母ヶ岳を借景として取り入れているそうで、庭園だけではなく母ヶ岳の景観とともに鑑賞することで、本当の良さがわかるということを知りました。そのことをお教えくださったのは、名勝に指定されている7ヶ所の武家屋敷庭園のうちの一つ、佐多直忠さんの邸宅にお住まいの女性の方でありました。この方、見学に入り込んだわれわれ観光客に対しても実に気さくに話しかけてくださいました。
「ぜひ、縁側に腰掛けてご覧になってみてくださいね。・・・ね、同じ庭でも、ぜんぜん見えかたが違ってきますでしょ。縁側にじっくり腰を掛けて眺めるために、こういった庭は作られていますから」と、その女性の方。なるほど、おっしゃった通りに縁側に腰掛けてゆっくりと眺めると、また一段と庭の見事さが引き立ってまいりました。 背後の山の緑と青い空がまた、目に嬉しかったですね。
この女性、以前はまったく歴史については知らなかったそうなのですが、やってくる観光客からいろいろと訊かれても答えられないのは申し訳ないと、一念発起して大学の通信講座で歴史を学ばれたんだとか。そうすることで歴史の面白さがわかるとともに、地元知覧の歴史もさらに深く知りたいと思うようになった、と。おお、実に素敵なお話でありました。
ちなみに、歴史について詳しいことまで根掘り葉掘り訊いてこられるのは、圧倒的に男性の方が多い、とのこと。ああ、やはりそうだろうなあ。何はともあれ、興味深いお話を聞かせてくださいまして、感謝感謝でありました。
江戸の面影を色濃く残す、風情ある武家屋敷庭園エリアの散策はまことに楽しく、充実したものでありました。・・・が、そんな風情ある通りの中に立つ、さる一軒の邸宅の入り口で、えらく意表を突くような物件を見つけました。
このカッパ嬢、なんだかえらくカワイイというか、妙にナマメカシイというか。またなんで、こういうとこに鎮座ましましておられるのか・・・。
武家屋敷庭園通りの散策を終え、ひと息つこうと思ったわたくしは、一軒のさつま揚げ屋さんを訪ねることにいたしました。目指したのは、武家屋敷エリアからも近くにある「富屋食堂」であります。
若き特攻隊員たちから母のごとく慕われた、鳥濱トメさんが営んでいた食堂を、当時のままに復元したこの場所は、亡き高倉健さんが主演されていた映画『ホタル』ゆかりの地でもあります。現在は特攻にまつわる遺品や写真を展示している資料館となっております。
その「富屋食堂」の向かい側にあるのが、目指すさつま揚げ屋さんである「長吉屋」。そこで売られている「知覧茶天」がオススメだと、わが友人から教えられていたのであります。さっそく買って、散策のあとのおやつとして頂いてみることにいたしました。
・・・なるほど、その名の通り知覧茶が入った「知覧茶天」は、しっかりと緑色。囓ってみると、お茶の風味が思いのほかすり身の味と合わさっていて、けっこういけましたね。
小京都の栄華と風情、そして特攻の悲劇といった歴史が、豊かな自然に囲まれた中で息づいている町、知覧。いやあ、実にいいところでありました。また機会があったら、今度は泊まりがけでゆっくりしてみたいですね。
知覧を訪ねてみて本当に良かった・・・そんな思いを抱きつつ、再びわたくしは路線バスで鹿児島市へと戻ったのでありました。
まあ、鹿児島に出かける大きな目的は、ご当地ならではの美味と美酒をとことん味わうというところにあったりするわけなのですが、せっかく余裕あるスケジュールを組んでやってきたのですから、2日目はちょっと鹿児島市から脚を伸ばしてみようではないか!ということにいたしました。
脚を伸ばした先は歴史が息づく町、知覧町であります。初めて訪れた知覧で、わたくしはまことに充実した時間を過ごすことができました。
今回は、知覧をじっくり歩いた旅のお噂をお届けすることにいたしましょう。
初日はずっと曇り空であった鹿児島市でしたが、2日目は朝から、嬉しくなるような快晴でありました。
宿泊先のホテルで朝食を頂いたあと、鹿児島中央駅の前で午前8時過ぎに発車する路線バスに乗り込み、知覧を目指しました。
発車してからしばらくは快調に進んでいたバスでありましたが、しばらくするとクルマの渋滞に巻き込まれました。延々と並んでいたクルマの列の先にあったのは、鹿児島を代表する動物園である平川動物公園でありました。大型連休の真っ只中、さぞかし多くの家族連れなどで賑わっていたことでありましょう。
それまでずっと、海から近いところに伸びる道を走っていたバスは、その平川動物公園を過ぎたあたりから山のほうへと向かいました。曲がりくねった急な山道がしばらく続いたあと、視界が開けるとそこが知覧でありました。知覧に入ったとたん、車窓の外に美しい緑色の茶畑が見えてまいりました。ああ、さすがはお茶どころですねえ。そして、ところどころに風にはためく鯉のぼりが。そう、この日は5月5日、こどもの日でありましたね。
知覧は、二つの歴史が今でもしっかりと息づいている町であります。一つは、江戸時代に薩摩藩によりつくられた「外城(とじょう)」として、武士たちが半農半士の生活を営んでいた歴史の面影。そしてもう一つは、太平洋戦争末期に陸軍の特攻基地が設けられ、そこから飛び立った1000人を超える若人たちが戦死を遂げたという、悲しい歴史であります。
まずわたくしは、特攻の悲しい歴史を後世に伝え続けている、知覧特攻平和会館を訪れました。
館内には、特攻隊員たちが遺した遺品や、西南の役から太平洋戦争に至る陸海軍の戦史資料など、実に数多くの展示がありました。また、薩摩半島の西にある甑島の沖に沈んでいた、零戦=零式艦上戦闘機の実物も。それなりの形を残しながらも、至るところ腐食し朽ちている姿に、長い時の流れを感じました。
数多い展示の中で、入館者の多くが食い入るように見ていたのが、特攻隊員たちが出撃前に、家族や友人らに向けて書き遺した手紙や遺書、辞世の数々と、それらを記した隊員たちの遺影でした。
それら最期のことばには、お国のために勇んで敵に向かっていく、といった壮烈な決意とともに、父や母、兄妹、妻や子ども、友人、恋人といった人たちへの哀切きわまりない想いが綴られておりました。それらの一つ一つが、わたくしの胸を強く打ちました。
特に目立ったのが、母親に宛ててしたためられた遺書の数々でした。中でも、幼かった頃の思い出から、軍隊に入ったあとに会いに来てくれた時までの、折々の母親との思い出を振り返りながら綴られた遺書には、母親への限りない思慕の念が率直に語られていて、涙を抑えることができませんでした。また、「ハハヨリサキニイクスマヌ」とだけ記されている電報文も、短いことばの中に断腸の想いが込められているように思えて、印象に残りました。
幼い子どもたちに向けて、すべて片仮名で綴られた手紙もありました。それには、「オトウサンハカミサマニナツテ」二人を見守る、とか、お父さんは二人の子どもの「オウマニハナレマセンケレドモ」、二人仲良くしなさいよ、といったことばが記されていました。それにも、涙が溢れてきてどうしようもありませんでした。
隊員たちのほとんどは、まだ20歳前後という若人。その彼らが、自らの死に臨んで切々と綴った、気高く美しいことばの数々に胸打たれるとともに、そのことばの奥にどれほどの悲しみや断腸の想いがあったのか、ということを、思わずにはいられませんでした。もう二度と、こんな思いを若人たちにさせるようなことがあってはならない、ということも、強く思いました。
連休中ということもあって、館内は多くの見学者が訪れておりました。中には、隊員たちが遺書に込めた思いを、連れてきていた子どもに伝えようとしている親御さんの姿も何人か見かけました。
いまだ、世界では争いごとが絶えることがありません。これからもたくさんの子どもたち(もちろん大人たちも、ですが)がここを訪れ、平和への思いを共有してくれたら、と切に願います。
物販スペースで一冊の本を買いました。館内にも展示されていた遺書や辞世を選んでまとめられた『新装版 いつまでも、いつまでもお元気で 特攻隊員たちが遺した最後の言葉』(草思社)。とりわけ胸を強く打った遺書もいくつか収録されていたので、これはぜひ手元に、と購入いたしました。
これからもときおり、この本を繙いていきたいと思います。
特攻平和会館を出ると、外に張られていたテントの中で、名物の知覧茶の試飲をやっておりました。わたくしも一杯、頂かせてもらいました。
コクのある旨味が口いっぱいに広がって、実に美味しゅうございました。
特攻平和会館を後にして、江戸時代を偲ばせる武家屋敷が立ち並ぶエリアに移動いたしました。そろそろお昼どきという頃合い、武家屋敷群の散策の前にやはり、美味しいものを食べておきたいところであります。
わたくし、武家屋敷が立ち並ぶ通りの入り口にある郷土料理のお店「高城庵(たきあん)」に入りました。このお店の建物も、昔ながらの武家屋敷を改装したもの。靴を脱いで中に入ると、古き良き風格がありながらも落ち着ける雰囲気の室内が、実にいい感じです。
窓の外を見れば、これまたいい雰囲気の庭園が。ありがたいことにわたくし、その庭園をすぐそばで眺めることができる窓際の卓に案内して頂きました。座るとまずはさっそく知覧茶のおもてなしが。座敷にゆっくり腰を下ろし、庭園を眺めながら飲む知覧茶も、また格別でしたねえ。
郷土料理の単品やセット、うどんや蕎麦といったメニューが並んでいる中で、ここでもちょっと贅沢を。全部で12品がセットになった、その名も「武家屋敷御膳」を注文いたしました。そして、ここでもしっかり焼酎を注文。ええ、真っ昼間からです。
まずは一の膳。鶏の刺身に芋こんにゃく、白和え、そして梅酒。鶏の刺身は、噛むたびに鶏の旨味がじんわり口の中に広がって、焼酎によく合いましたねえ。もう、真っ昼間からの焼酎に梅酒で、早くもいい気分になってまいりましたなあ(ちなみに、上の写真の左上に見えるのが焼酎であります)。
二の膳は揚げたてのさつま揚げに、お煮しめ、酢の物、香の物、そして「酒ずし」。お煮しめはしっかり煮込まれていながらも上品な味付けが好ましい一品でした。酒ずしは可愛らしい小盛りながらも、きれいな盛り付けで楽しませてくれました。
うどん、蕎麦、茶蕎麦の3つから選んだ蕎麦を食したあと、仕上げに出てきたのが、お抹茶と「両棒(ぢゃんぼ)餅」。両棒餅とは、武士の刀に見立てた2本の竹串に刺した餅を焼いて、砂糖醤油のタレをからめた、鹿児島の素朴なおやつであります。いやー、美味しい料理の数々と、美味しいお酒、堪能させていただきましたよ。ごちそうさまでした。
さあ、しっかり散歩支度もできました。・・・まあ、真っ昼間からのお酒でちょいとほろ酔い加減ではございましたが、いよいよ武家屋敷が立ち並ぶ町並みを散策するといたしましょう。
江戸の息吹きを色濃く残している、知覧の武家屋敷群。約700メートルの細い通り沿いに、作り込まれた美しい庭園を持つ武家屋敷が立ち並ぶ区域は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されております。武家屋敷庭園はすべて、今も人が住み続けている邸宅でもありますが、国によって名勝に指定されている7ヶ所の庭園は、共通の入園料を支払った上で立ち入りと見学ができます。入園料取扱い所で入園料を払い、案内リーフレットを頂いて散策開始です。
やはり連休中ということで、武家屋敷通りにも多くの観光客が歩いておりましたが、両側に生け垣や石垣が連なる通りには「薩摩の小京都」らしい情緒があふれておりました。なんでも知覧は、かつては琉球との貿易の拠点となっていたそうで、石垣や庭園にも琉球の影響がある、とのこと。ああ、言われてみれば通り沿いに連なっている石垣も、なんとなく沖縄っぽい感じがいたしましたなあ。・・・まだ行ったことはないのですが、沖縄。いつかちゃんと行ってみたいものだなあ。
・・・それはともかく。古い町並みが大好きなわたくし、せかせか通り過ぎていてはもったいない、とゆっくりじっくり歩きつつ、通りに散在する7ヶ所の武家屋敷庭園を順に見ていきました。
深山幽谷や大海原などの自然の景観を模した、趣向を凝らした美しい庭園の数々。薩摩といえば無骨で質素なイメージがあったりいたしますが、これら庭園はそれぞれに繊細で高貴なつくり。いやあ、実に見応えがございました。
これら庭園のいくつかは、知覧の背後に聳える山、母ヶ岳を借景として取り入れているそうで、庭園だけではなく母ヶ岳の景観とともに鑑賞することで、本当の良さがわかるということを知りました。そのことをお教えくださったのは、名勝に指定されている7ヶ所の武家屋敷庭園のうちの一つ、佐多直忠さんの邸宅にお住まいの女性の方でありました。この方、見学に入り込んだわれわれ観光客に対しても実に気さくに話しかけてくださいました。
「ぜひ、縁側に腰掛けてご覧になってみてくださいね。・・・ね、同じ庭でも、ぜんぜん見えかたが違ってきますでしょ。縁側にじっくり腰を掛けて眺めるために、こういった庭は作られていますから」と、その女性の方。なるほど、おっしゃった通りに縁側に腰掛けてゆっくりと眺めると、また一段と庭の見事さが引き立ってまいりました。 背後の山の緑と青い空がまた、目に嬉しかったですね。
この女性、以前はまったく歴史については知らなかったそうなのですが、やってくる観光客からいろいろと訊かれても答えられないのは申し訳ないと、一念発起して大学の通信講座で歴史を学ばれたんだとか。そうすることで歴史の面白さがわかるとともに、地元知覧の歴史もさらに深く知りたいと思うようになった、と。おお、実に素敵なお話でありました。
ちなみに、歴史について詳しいことまで根掘り葉掘り訊いてこられるのは、圧倒的に男性の方が多い、とのこと。ああ、やはりそうだろうなあ。何はともあれ、興味深いお話を聞かせてくださいまして、感謝感謝でありました。
江戸の面影を色濃く残す、風情ある武家屋敷庭園エリアの散策はまことに楽しく、充実したものでありました。・・・が、そんな風情ある通りの中に立つ、さる一軒の邸宅の入り口で、えらく意表を突くような物件を見つけました。
このカッパ嬢、なんだかえらくカワイイというか、妙にナマメカシイというか。またなんで、こういうとこに鎮座ましましておられるのか・・・。
武家屋敷庭園通りの散策を終え、ひと息つこうと思ったわたくしは、一軒のさつま揚げ屋さんを訪ねることにいたしました。目指したのは、武家屋敷エリアからも近くにある「富屋食堂」であります。
若き特攻隊員たちから母のごとく慕われた、鳥濱トメさんが営んでいた食堂を、当時のままに復元したこの場所は、亡き高倉健さんが主演されていた映画『ホタル』ゆかりの地でもあります。現在は特攻にまつわる遺品や写真を展示している資料館となっております。
その「富屋食堂」の向かい側にあるのが、目指すさつま揚げ屋さんである「長吉屋」。そこで売られている「知覧茶天」がオススメだと、わが友人から教えられていたのであります。さっそく買って、散策のあとのおやつとして頂いてみることにいたしました。
・・・なるほど、その名の通り知覧茶が入った「知覧茶天」は、しっかりと緑色。囓ってみると、お茶の風味が思いのほかすり身の味と合わさっていて、けっこういけましたね。
小京都の栄華と風情、そして特攻の悲劇といった歴史が、豊かな自然に囲まれた中で息づいている町、知覧。いやあ、実にいいところでありました。また機会があったら、今度は泊まりがけでゆっくりしてみたいですね。
知覧を訪ねてみて本当に良かった・・・そんな思いを抱きつつ、再びわたくしは路線バスで鹿児島市へと戻ったのでありました。