読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

鹿児島・オトナの遠足2015 (第3回)小京都の風情と、特攻の悲劇・・・知覧の歴史にじっくり触れる

2015-06-09 22:55:14 | 旅のお噂
黄金週間期間中の5月4日から6日にかけて、2泊3日というスケジュールで出かけた、鹿児島市への「オトナの遠足」。初日はひたすら、食べたり呑んだりのうちに終始いたしました。
まあ、鹿児島に出かける大きな目的は、ご当地ならではの美味と美酒をとことん味わうというところにあったりするわけなのですが、せっかく余裕あるスケジュールを組んでやってきたのですから、2日目はちょっと鹿児島市から脚を伸ばしてみようではないか!ということにいたしました。
脚を伸ばした先は歴史が息づく町、知覧町であります。初めて訪れた知覧で、わたくしはまことに充実した時間を過ごすことができました。
今回は、知覧をじっくり歩いた旅のお噂をお届けすることにいたしましょう。

初日はずっと曇り空であった鹿児島市でしたが、2日目は朝から、嬉しくなるような快晴でありました。


宿泊先のホテルで朝食を頂いたあと、鹿児島中央駅の前で午前8時過ぎに発車する路線バスに乗り込み、知覧を目指しました。
発車してからしばらくは快調に進んでいたバスでありましたが、しばらくするとクルマの渋滞に巻き込まれました。延々と並んでいたクルマの列の先にあったのは、鹿児島を代表する動物園である平川動物公園でありました。大型連休の真っ只中、さぞかし多くの家族連れなどで賑わっていたことでありましょう。
それまでずっと、海から近いところに伸びる道を走っていたバスは、その平川動物公園を過ぎたあたりから山のほうへと向かいました。曲がりくねった急な山道がしばらく続いたあと、視界が開けるとそこが知覧でありました。知覧に入ったとたん、車窓の外に美しい緑色の茶畑が見えてまいりました。ああ、さすがはお茶どころですねえ。そして、ところどころに風にはためく鯉のぼりが。そう、この日は5月5日、こどもの日でありましたね。



知覧は、二つの歴史が今でもしっかりと息づいている町であります。一つは、江戸時代に薩摩藩によりつくられた「外城(とじょう)」として、武士たちが半農半士の生活を営んでいた歴史の面影。そしてもう一つは、太平洋戦争末期に陸軍の特攻基地が設けられ、そこから飛び立った1000人を超える若人たちが戦死を遂げたという、悲しい歴史であります。
まずわたくしは、特攻の悲しい歴史を後世に伝え続けている、知覧特攻平和会館を訪れました。



館内には、特攻隊員たちが遺した遺品や、西南の役から太平洋戦争に至る陸海軍の戦史資料など、実に数多くの展示がありました。また、薩摩半島の西にある甑島の沖に沈んでいた、零戦=零式艦上戦闘機の実物も。それなりの形を残しながらも、至るところ腐食し朽ちている姿に、長い時の流れを感じました。
数多い展示の中で、入館者の多くが食い入るように見ていたのが、特攻隊員たちが出撃前に、家族や友人らに向けて書き遺した手紙や遺書、辞世の数々と、それらを記した隊員たちの遺影でした。
それら最期のことばには、お国のために勇んで敵に向かっていく、といった壮烈な決意とともに、父や母、兄妹、妻や子ども、友人、恋人といった人たちへの哀切きわまりない想いが綴られておりました。それらの一つ一つが、わたくしの胸を強く打ちました。
特に目立ったのが、母親に宛ててしたためられた遺書の数々でした。中でも、幼かった頃の思い出から、軍隊に入ったあとに会いに来てくれた時までの、折々の母親との思い出を振り返りながら綴られた遺書には、母親への限りない思慕の念が率直に語られていて、涙を抑えることができませんでした。また、「ハハヨリサキニイクスマヌ」とだけ記されている電報文も、短いことばの中に断腸の想いが込められているように思えて、印象に残りました。
幼い子どもたちに向けて、すべて片仮名で綴られた手紙もありました。それには、「オトウサンハカミサマニナツテ」二人を見守る、とか、お父さんは二人の子どもの「オウマニハナレマセンケレドモ」、二人仲良くしなさいよ、といったことばが記されていました。それにも、涙が溢れてきてどうしようもありませんでした。
隊員たちのほとんどは、まだ20歳前後という若人。その彼らが、自らの死に臨んで切々と綴った、気高く美しいことばの数々に胸打たれるとともに、そのことばの奥にどれほどの悲しみや断腸の想いがあったのか、ということを、思わずにはいられませんでした。もう二度と、こんな思いを若人たちにさせるようなことがあってはならない、ということも、強く思いました。
連休中ということもあって、館内は多くの見学者が訪れておりました。中には、隊員たちが遺書に込めた思いを、連れてきていた子どもに伝えようとしている親御さんの姿も何人か見かけました。
いまだ、世界では争いごとが絶えることがありません。これからもたくさんの子どもたち(もちろん大人たちも、ですが)がここを訪れ、平和への思いを共有してくれたら、と切に願います。
物販スペースで一冊の本を買いました。館内にも展示されていた遺書や辞世を選んでまとめられた『新装版 いつまでも、いつまでもお元気で 特攻隊員たちが遺した最後の言葉』(草思社)。とりわけ胸を強く打った遺書もいくつか収録されていたので、これはぜひ手元に、と購入いたしました。


これからもときおり、この本を繙いていきたいと思います。

特攻平和会館を出ると、外に張られていたテントの中で、名物の知覧茶の試飲をやっておりました。わたくしも一杯、頂かせてもらいました。


コクのある旨味が口いっぱいに広がって、実に美味しゅうございました。

特攻平和会館を後にして、江戸時代を偲ばせる武家屋敷が立ち並ぶエリアに移動いたしました。そろそろお昼どきという頃合い、武家屋敷群の散策の前にやはり、美味しいものを食べておきたいところであります。
わたくし、武家屋敷が立ち並ぶ通りの入り口にある郷土料理のお店「高城庵(たきあん)」に入りました。このお店の建物も、昔ながらの武家屋敷を改装したもの。靴を脱いで中に入ると、古き良き風格がありながらも落ち着ける雰囲気の室内が、実にいい感じです。
窓の外を見れば、これまたいい雰囲気の庭園が。ありがたいことにわたくし、その庭園をすぐそばで眺めることができる窓際の卓に案内して頂きました。座るとまずはさっそく知覧茶のおもてなしが。座敷にゆっくり腰を下ろし、庭園を眺めながら飲む知覧茶も、また格別でしたねえ。


郷土料理の単品やセット、うどんや蕎麦といったメニューが並んでいる中で、ここでもちょっと贅沢を。全部で12品がセットになった、その名も「武家屋敷御膳」を注文いたしました。そして、ここでもしっかり焼酎を注文。ええ、真っ昼間からです。


まずは一の膳。鶏の刺身に芋こんにゃく、白和え、そして梅酒。鶏の刺身は、噛むたびに鶏の旨味がじんわり口の中に広がって、焼酎によく合いましたねえ。もう、真っ昼間からの焼酎に梅酒で、早くもいい気分になってまいりましたなあ(ちなみに、上の写真の左上に見えるのが焼酎であります)。


二の膳は揚げたてのさつま揚げに、お煮しめ、酢の物、香の物、そして「酒ずし」。お煮しめはしっかり煮込まれていながらも上品な味付けが好ましい一品でした。酒ずしは可愛らしい小盛りながらも、きれいな盛り付けで楽しませてくれました。



うどん、蕎麦、茶蕎麦の3つから選んだ蕎麦を食したあと、仕上げに出てきたのが、お抹茶と「両棒(ぢゃんぼ)餅」。両棒餅とは、武士の刀に見立てた2本の竹串に刺した餅を焼いて、砂糖醤油のタレをからめた、鹿児島の素朴なおやつであります。いやー、美味しい料理の数々と、美味しいお酒、堪能させていただきましたよ。ごちそうさまでした。

さあ、しっかり散歩支度もできました。・・・まあ、真っ昼間からのお酒でちょいとほろ酔い加減ではございましたが、いよいよ武家屋敷が立ち並ぶ町並みを散策するといたしましょう。
江戸の息吹きを色濃く残している、知覧の武家屋敷群。約700メートルの細い通り沿いに、作り込まれた美しい庭園を持つ武家屋敷が立ち並ぶ区域は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されております。武家屋敷庭園はすべて、今も人が住み続けている邸宅でもありますが、国によって名勝に指定されている7ヶ所の庭園は、共通の入園料を支払った上で立ち入りと見学ができます。入園料取扱い所で入園料を払い、案内リーフレットを頂いて散策開始です。


やはり連休中ということで、武家屋敷通りにも多くの観光客が歩いておりましたが、両側に生け垣や石垣が連なる通りには「薩摩の小京都」らしい情緒があふれておりました。なんでも知覧は、かつては琉球との貿易の拠点となっていたそうで、石垣や庭園にも琉球の影響がある、とのこと。ああ、言われてみれば通り沿いに連なっている石垣も、なんとなく沖縄っぽい感じがいたしましたなあ。・・・まだ行ったことはないのですが、沖縄。いつかちゃんと行ってみたいものだなあ。
・・・それはともかく。古い町並みが大好きなわたくし、せかせか通り過ぎていてはもったいない、とゆっくりじっくり歩きつつ、通りに散在する7ヶ所の武家屋敷庭園を順に見ていきました。





深山幽谷や大海原などの自然の景観を模した、趣向を凝らした美しい庭園の数々。薩摩といえば無骨で質素なイメージがあったりいたしますが、これら庭園はそれぞれに繊細で高貴なつくり。いやあ、実に見応えがございました。
これら庭園のいくつかは、知覧の背後に聳える山、母ヶ岳を借景として取り入れているそうで、庭園だけではなく母ヶ岳の景観とともに鑑賞することで、本当の良さがわかるということを知りました。そのことをお教えくださったのは、名勝に指定されている7ヶ所の武家屋敷庭園のうちの一つ、佐多直忠さんの邸宅にお住まいの女性の方でありました。この方、見学に入り込んだわれわれ観光客に対しても実に気さくに話しかけてくださいました。
「ぜひ、縁側に腰掛けてご覧になってみてくださいね。・・・ね、同じ庭でも、ぜんぜん見えかたが違ってきますでしょ。縁側にじっくり腰を掛けて眺めるために、こういった庭は作られていますから」と、その女性の方。なるほど、おっしゃった通りに縁側に腰掛けてゆっくりと眺めると、また一段と庭の見事さが引き立ってまいりました。 背後の山の緑と青い空がまた、目に嬉しかったですね。
この女性、以前はまったく歴史については知らなかったそうなのですが、やってくる観光客からいろいろと訊かれても答えられないのは申し訳ないと、一念発起して大学の通信講座で歴史を学ばれたんだとか。そうすることで歴史の面白さがわかるとともに、地元知覧の歴史もさらに深く知りたいと思うようになった、と。おお、実に素敵なお話でありました。
ちなみに、歴史について詳しいことまで根掘り葉掘り訊いてこられるのは、圧倒的に男性の方が多い、とのこと。ああ、やはりそうだろうなあ。何はともあれ、興味深いお話を聞かせてくださいまして、感謝感謝でありました。
江戸の面影を色濃く残す、風情ある武家屋敷庭園エリアの散策はまことに楽しく、充実したものでありました。・・・が、そんな風情ある通りの中に立つ、さる一軒の邸宅の入り口で、えらく意表を突くような物件を見つけました。


このカッパ嬢、なんだかえらくカワイイというか、妙にナマメカシイというか。またなんで、こういうとこに鎮座ましましておられるのか・・・。

武家屋敷庭園通りの散策を終え、ひと息つこうと思ったわたくしは、一軒のさつま揚げ屋さんを訪ねることにいたしました。目指したのは、武家屋敷エリアからも近くにある「富屋食堂」であります。


若き特攻隊員たちから母のごとく慕われた、鳥濱トメさんが営んでいた食堂を、当時のままに復元したこの場所は、亡き高倉健さんが主演されていた映画『ホタル』ゆかりの地でもあります。現在は特攻にまつわる遺品や写真を展示している資料館となっております。
その「富屋食堂」の向かい側にあるのが、目指すさつま揚げ屋さんである「長吉屋」。そこで売られている「知覧茶天」がオススメだと、わが友人から教えられていたのであります。さっそく買って、散策のあとのおやつとして頂いてみることにいたしました。


・・・なるほど、その名の通り知覧茶が入った「知覧茶天」は、しっかりと緑色。囓ってみると、お茶の風味が思いのほかすり身の味と合わさっていて、けっこういけましたね。

小京都の栄華と風情、そして特攻の悲劇といった歴史が、豊かな自然に囲まれた中で息づいている町、知覧。いやあ、実にいいところでありました。また機会があったら、今度は泊まりがけでゆっくりしてみたいですね。
知覧を訪ねてみて本当に良かった・・・そんな思いを抱きつつ、再びわたくしは路線バスで鹿児島市へと戻ったのでありました。

なにげない街の風景や人びとの写真で記録する「24時間の宮崎」。 ~「写真の日」のイベントに参加して~

2015-06-03 22:46:06 | 宮崎のお噂
日本写真家協会によって「写真の日」に制定されている、一昨日の6月1日。Facebookを通じて、わが宮崎の人たちに向けて一つのイベントの呼びかけがなされました。

「6月1日の0時より、翌0時までの24時間、宮崎の記憶を写真で記録として未来に残そう」

呼びかけを行ったのは、宮崎で活躍されているプロのカメラマンの方々でした。ことさら難しく考えず、身の回りのことを記録した写真を撮影場所と時間、そしてコメントとともに特設のFacebookページへどんどん投稿してほしい、というのです。
わたくしのもとにも、やはりカメラマンをやっている高校時代の友人から、このイベントへのお誘いがございました。カメラマンでもなんでもない単なる平民であるわたくしではありますが、なかなか魅力的で面白そうな企画だと思い、及ばずながら参加させていただくことにいたしました。
最初に開設されたページでは投稿がうまく表示されない、とのことで、急遽新たなグループを設けるという展開となり、結果的に人びとからの投稿は2つのページに収まることとなりました。
(関心のある向きは、「2015年6月1日 24時間の宮崎。写真の日イベント」のFacebookページおよび、その後に開設された「2015年 写真の日イベントのグループ!」を検索の上、覗いてみてくださいませ)
わたくしも、2つのページを合わせて7枚のつたない写真を、コメントとともに投稿させていただきました。以下に、そのすべてを再録しておきます。




7時10分。ちょっと蒸し暑い朝の、大塚町の風景。
たとえば、今から10年後、20年後。この朝な夕なに見慣れた風景はどのように変わっていることでしょうか。あるいは、それほど変わらないでいるのでしょうか。





8時15分、宮崎市の糸原にて。このマークがついているってことは•••高齢者専用ガードレールということなのか(笑)。




11時55分。晴れた空の下で、大淀川河川敷はきょうも、穏やかな眺めが広がっております。•••けっこう蒸し暑くなってますけども。




13:30 宮崎市役所の近くを流れる川沿いに咲く紫陽花。だいぶ、いい色合いになってまいりました。
明日からの宮崎の週間予報は雨マークがズラリ。どうやら、梅雨入りまで秒読み段階、のようですね。





19:00 天神山公園から見た、夕暮れ時の宮崎市内。
なんか、こういう場所でこういう光景を眺めてると、なんとはなしに郷愁を感じたりするんだよなあ。





20:00 自宅にて。
最近のウチ飲み晩酌によく登場する取り合わせ。爽快感ある味と香りが、蒸し暑い時期にピッタリな「日向木挽BLUE」と、約15種類のスパイスを使った味付けがお酒をぐいぐい進ませてくれる「みやざき てげなポテトチップス」。
今夜もサケがうまいぞ~!





21:35 自宅にて。
このイベントの原型となった、1990年刊の『264時間の宮崎』の写真集を読み返しております。
パフォーマンス的な写真もいくつかはあるものの、ほとんどは何気ない街の風景や、ごく普通の人びとの姿を撮影したもの。ですが、それらの中には、今では見られなくなった光景や建物も写り込んでいたりして、なかなか貴重な記録にもなっているんですよね。
今回のこのイベントに集まった写真の数々にも、街の様子や人びとの姿が、それぞれの形で写し出されていて、見ているとすごく楽しいですし、ありのままの宮崎を捉えたいい記録にもなっているように思うのです。
楽しい企画に参加させていただくことができて、とても嬉しく思います。
この企画が、これからもずっと続いていけばいいなあ。




そう。このイベントには、原型となった試みがありました。宮崎県写真家協会が企画し、1990年から2000年までの11年間、6月1日の24時間を記録して後世に残そうと呼びかけた「264時間の宮崎」。この時もプロの写真家はもちろん、一般の方々からもさまざまな写真が寄せられました。
わたくしの手元には、その初年である1990年の6月1日を記録した写真をまとめた写真集が残っております。

撮影場所と時刻のみが記され、アトランダムに配列された数多くの写真。中にはパフォーマンス的な趣向を凝らしたものもありますが、ほとんどはなにげない街の風景や人びとの姿を、ありのままに撮影したものです。
25年の歳月を経て、あらためてこの写真集を繙いていると、今では見られなくなった風景や建物を捉えた写真や、当時の人びとの生活感を切り取った写真をそこかしこに見ることができて、まことに興趣深いものを覚えました。
特別な存在でもない、ありふれていてなにげない風景や人びとを捉えた写真が、実は後世から見れば貴重な記録ともなり得るのだ、ということを、25年前の「264時間の宮崎」の写真群は教えてくれました。

翻って、今回の「写真の日イベント」。ここに集まった多くの写真も、なにげない街や自然の風景、身の回りの人たちをありのままに写し取ったものが大半でしたが、それぞれの写真から、2015年6月1日現在の宮崎と、そこに生きる人たちの息吹きがいきいきと感じられて、こちらもまた興趣の尽きないものがありました。さらに、それらの写真に添えられた皆さんのコメントからも、それぞれの方々の生活感や思いが滲んでいて、目を通しながら幾度も顔がほころんでくるような思いがいたしました。
プロのカメラマンはもちろん、さまざまな属性を持った方々がたくさん参加したことで、視点も多様でバラエティに富んだものとなり、拡がりをもった形で「宮崎の現在」を知ることができたように思います。
Facebookにおける「友だち」でもなければ、とりたてて接点がある方々でもないけれど、「宮崎の1日を写真で残そう」という思いのもとに集まった、たくさんの方々による多様な視点や思いに触れることができた、ということは、このイベントに参加することで得られた収穫でした。
ヘタをすれば単なる「リア充自慢」や、「おかしなデマばなしの拡散ツール」に傾きがちなFacebookではありますが(まあ、他のSNSもそうなのかもしれませんが)、こういう使い方をすれば大いに「活きてくる」のかもしれないな、という思いも持ったりいたしました。

フィルム撮影が主体であった、かつての「264時間の宮崎」の頃からすると、写真を撮る手段も変化してきております。デジタルカメラの普及はもとより、ケータイやスマートフォン、タブレットといったツールの進歩によって、誰もが気軽に写真を楽しむことができるようになりました(実のところ、今回わたくしが投稿した写真も、すべてiPadで撮影したものです)。
撮影するツールの変化によって多様化した視点と個性で記録された、一つの地域とそこに生きる人たちの息吹きを捉えた写真をまとめ、後世に伝えていくことはとても面白く、かつ意義深いものがあるように思います。
この「写真の日イベント」、来年以降も続けていくのだとか。また、2015年6月1日の写真記録は、こちらのホームページにまとめられるとのことで、楽しみであります。
このイベントが多くの宮崎の方々に知られていくことで、さらに多様な視点による「宮崎のいま」を記録した写真が集成され、後世に向けての貴重な財産となっていくことを、願ってやみません。