『理科系の読書術 インプットからアウトプットまでの28のヒント』
鎌田浩毅著、中央公論新社(中公新書)、2018年
この本は「読書があまり得意ではない」人に向けた読書術である・・・本書『理科系の読書術』はのっけから、そう宣言します。
京都大学の火山学者で、ド派手な衣装を身にまとって講義やメディア出演をこなしていることでも知られる著者の鎌田浩毅さんは、教え子の一人から「本を読むのが苦行です」と、本が読めないことへの悩みを打ち明けられたことが、本書を書く上でのベースになったといいます。
本が読めないという若者たちの相談から浮かび上がってきたのは、読書に対する苦手意識を持つ人たちが抱える「心のバリア(敷居)」の高さでした。それを踏まえた本書は、読書に対する「心のバリア」を外して本と向き合うための「基礎の基礎の基礎」を、明快な語り口で伝授してくれます。
読書に対する「心のバリア」となる要素の一つが、本は読み始めたら最後までしっかりと読まなければいけないのではないか・・・という固定観念です。それについて鎌田さんは、「この本はあまりおもしろくないな」「価値観や意見が合わない」などと思ったら、あっさり読むのをやめてかまわないといい、こう続けます。
「読書とは自分にとって何らかの『意味』があればよいので、その意味は人と違っても一向にかまわない。本を読むのはそれくらい気楽なものなのだ。いい加減でよいから一番自分らしい読書をすればよいのである」
そしてさらに、「難しいと思った本の九割は、著者の書き方が悪いと思えばよい」と言い切ります。
「読書は我慢大会ではない。世のなかには、根くらべのために書かれたとしか思えないような、わかりにくい本がある。そんな馬鹿げた本は、さっさと放り出すべきだ」
確かに、一般の人にはわからないような文章を書いたり、それを妙に有り難がって読んだりするような、ある種のねじくれたエリート意識のようなものが、本の書き手や読み手の中に厳然としてあるのも事実でしょう。なので、鎌田さんのおっしゃることは、実に痛快でありました。
その上で、人間関係における「2:7:1の法則」を、読書にも応用することを提案します。自分と考えや趣味が非常に近い「親友」ともいえる二割の書物にめぐりあえれば、それだけで人生の幸福への切符を手に入れたことになる。丁寧につきあえば、それなりのよいものを与えてくれる七割の本に対しては、前もって技術を身につけてから読むとよい。そして最後の一割の本は、どんなに世評が高くてもご縁がない本として「敬して遠ざける」とよい、と。
本と苦労なく向き合うための考え方を以上のように述べていく第1章を読むだけでも、だいぶ読書に対する「心のバリア」が低くなるのではないかと、わたしは思いました。
それでは、丁寧に向き合えばよいものを与えてくれる「七割」の本を読みこなすためにはどうすればいいのか。そこで役立つのが、書名にもなっている「理科系」の読書術です。ここで勘どころといえそうなのが、「フレームワーク法」です。
フレームワークとは、「考え方の枠組み」「思考パターン」「固定観念」のこと。人は誰しも固有のフレームワークでものを考えているので、それが合う人同士では話は通じやすいけれど、異なる人とは円滑なコミュニケーションがうまくいかない。本が難解なのも、著者と自分とのフレームワークが合わないからではないか。なので、著者固有のフレームワークを理解した上で、それに合わせて本を読むと、読書上の問題はほとんど解決してしまう・・・と鎌田さんはいいます。
難しい本を読みこなす上で、けっこう役立ちそうに思えたのが「棚上げ法」と「要素分解法」です。
「棚上げ法」とは、現在わからないこと、うまくいかないことは無理に理解しよう、完成させようとはせずに、とりあえずは先に進むという考え方。そして「要素分解法」は、難しい事柄をバラバラの要素に分けて考える、というものです。現場で困難に出会うたびに、小さな要素に分割することで解決の糸口をつかむという科学の方法論は、難しい内容の本を読む上でも役に立つ、ということなのです。
完璧であることにこだわるあまり、自分ではどうにもならないことにエネルギーを浪費しがちな上、難題が立ちはだかるといたずらにうろたえるような傾向が、ほかならぬわたし自身にもありますので(読書に限らず)、この考え方は参考になりそうに思えました。
合理的な「理科系」の読書術で、もう一つの勘どころといえるのが、アウトプットを優先させる、という考え方でしょう。それを構成するのが、
〝集めて整理する〟〝アイデアを得る〟〝アウトプットし将来へ準備する〟
という三つの柱です。
アウトプット優先の読書において大切なのは、使える時間には限りがある以上、完璧主義と自己満足に陥ることのないよう、必要以上に本から情報を得ようとしない、ということ。なので、アウトプットに必要と思われる情報が得られたのであれば、本は最後まで読みきる必要はない・・・と鎌田さんはいいます。
ここで大切な考え方となるのが、「本に読まれてはいけない」ということ。鎌田さんは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの名著『読書について』の内容を紹介しつつ、「どこを読むか」ではなく「どこを読まないか」という読書術により、読書と思索のバランスを上手に取ることの大切さを説いています。
読書というインプットは、その後の思索とアウトプットとのバランスがとれてこそ、意味のあるものになるのだ・・・ということを、あらためて教えられた気がいたしました。
本書の後半では、本の集め方や整理の仕方、読書メモの取り方についても、具体的に指南してくれています。
「本の最大の特徴は、投資する金額に対して得られる利益がはるかに大きいという点」だという鎌田さんは、自分の経済状況に応じた範囲内でいいので、家計のなかに「書籍代」という項目を確立し、自分のライブラリーを構築することの大切さを説きます。
そこで本書では、大型書店や地域に密着した小型書店、古書店での本選びのコツを丁寧にアドバイスしています。一方で、絶版の本も含めてレアな本の宝庫である図書館の活用法については、あらかじめ「何を探すか」を明確にして行くべき、と語っています。
本書のなかで、とりわけハッとさせられた一節があります。多読、速読、遅読の技術について述べた第3章にある、以下のくだりです。
「まず、意味のある情報をくまなく得なければならない、という強迫観念から、自分を解放しよう。そもそも自分が本から得る価値は、世間の尺度と関係なく、わがままに決めてよいのである。
たとえば、遅読にふさわしい本として古今東西の古典を挙げる人がいるが、教養が身につくからという理由で読みはじめても長続きはしない。やはり、読み進める途中で自分のなかにモチベーションが生まれるようでなければ、読書は苦痛でしかなくなる。本を読むことに対する教養主義的な思い込みが、日常生活から本を遠ざけていたのである」
これはわたし自身の反省も込めていうのですが、「近頃は本が読まれなくなった」(著者である鎌田さんも、そのことへの危機感は大いに持っておられます)と嘆く本好きな人たちは、ついつい教養主義的な硬直した観点から本を勧めたり、語ったりしがちなところがあります。しかしそれは、読書に対する「心のバリア」を持つ人たちにとっては逆効果どころか、「日常生活から本を遠ざけ」ることにしかなっていなかったのではないのか・・・と、上のくだりを読んで気づかされたのです。
本を読むことで教養や知識が身につくことも確かではありますが、それはあくまでも結果論。まずは読書に対する「心のバリア」を取り払い、自分本位で楽しく本を読むということが一番大切なことだ、ということを、本書はわたしに教えてくれました。
読書に「心のバリア」や苦手意識を抱える方々に役立ちそうなのはもちろんのこと、硬直した読書観に風穴を開けるという意味では、読書の達人にも一読をオススメしたい一冊であります。