読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【たまには名著を】理性が敗北した世界で、それでも前に進むための指針となる一冊『方法序説』

2020-12-31 07:04:00 | 本のお噂


『方法序説』
ルネ・デカルト著、谷川多佳子訳、岩波書店(岩波文庫)、1997年


「われ思う、ゆえにわれあり」・・・デカルトの名言として、多くの人に知られるテーゼが含まれているのが、本書『方法序説』です。
もともとは、1637年に刊行された屈折光学と気象学、幾何学の論文集の冒頭に付された序文であり、それら論文で述べられている考え方がいかにして形成されたのかを、自らの思索の足跡を振り返りながら語っていくという内容です。
デカルトの学問の方法論と哲学の基本原理が示された、近代の合理主義思想の確立を告げる名著として有名な本書ですが、恥ずかしながらこのたびようやく、キチンとした形で読んでみました。一読して「これはもっと早く読んでおくべきだった・・・」という気持ちがしきりにしております。

デカルトはまず、自らがそれまで学んできたさまざまな学問が、どれも自分の期待に沿うものではなかったとして、既成の学問に対する失望と批判を述べていきます。

「学者の思弁は、それを真らしく見せようとすればするほど、多くの才知と技巧をこらさねばならなかったはずだから、それが常識から離れれば離れるほど、学者が手にする虚栄心の満足もそれだけ大きい。それ以外には何の益ももたらさない。だがわたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた」

そんな「強い願望」を満たすべく、デカルトは文字による学問を放棄し、「世界という大きな書物」のなかに見いだされる学問を探求しようと、さまざまな気質や身分の人たちと交わり、経験を積むために旅に出て、思索を重ねていきます。
その結果、デカルトは「その時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ」と判断。そして、理性の基準に照らして真理であると思われる認識に至るための方法論を、次の4つの規則として提示していきます。

明証性の規則】明証的に真であると認めるものでなければ、どんなことも真として受け入れず、判断に含めないことにより、注意ぶかく速断と偏見を避けること。
分析の規則】検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよくよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
総合の規則】もっとも単純で認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
枚挙の規則】すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。

そういった考え方のもと、ほんの少しでも疑いをかけうるもの全てを「偽」と考える「わたし」は、必然的に何ものかでなければならない、ということに気づいたデカルトが見いだしたのが、あの「われ思う、ゆえにわれあり」という「哲学の第一原理」であったのです。そしてこれ以降、身体と魂とは別々であるという「心身二元論」や、「神の存在証明論」、さらには生物の身体メカニズムの概略が展開されていくことになります。

心身二元論や神の存在証明論については、わたしの頭では正直なところ、いまいちピンとはこないものがありましたし、身体メカニズムについての記述も、現代の知見からすれば違和感があることも否定できません(心臓の熱で血液が膨張することで、全身に血液を送り出す、とするところなど)。ですが、本書で述べられている理性に基づいた認識に至るための方法論には、いまもって大いに学ぶところがあり、学問のみならずさまざまな場でも役立つように思われました。さらに、「才知と技巧」によって「真らしく」見える学者と学説の「真と偽」を見極めることの重要性もまた、現代でも通用することといえましょう。
思えば、2020年は新型コロナウイルスにまつわるパニック状況に翻弄され、社会が平静さを失ってしまった一年でした。「才知と技巧」でもって日々「未知の新型ウイルスの脅威」を煽り立てる学者とメディア、政治家、それに言論人によって、人びとは不安と恐怖心を募らせる一方となり、冷静で理性的な考え方や判断は軽視されたり、ことによると排斥されるような社会となってしまいました。2020年はいわば「理性」が敗北した年だった、といえるでしょう。
(もっとも、多くの人がパニック状態から理性を失い、それぞれの本性や地金のようなものが露わになったことで、人を見分ける役には立ったとは言えるかもしれませんが・・・)
本書の終盤では、宇宙や自然の現象や機械的な人体論を記述した『世界論』の刊行を考えていながらも、地動説を唱えていたガリレオ・ガリレイが宗教裁判によって幽閉されるに至った「ガリレオ事件」の報に接したことで刊行を見合わせたことが(はっきりと明示はされないまでも)綴られています。そもそも、この『方法序説』じたい、匿名で刊行せざるを得ませんでした。
デカルトが生きた社会もまた、冷静で理性的な考え方が軽視され、排斥される時代のなかにあったといえましょう。そのあたりも、いまの世の中と重なるように思われてなりません。

しかしデカルトは、自説をおおっぴらに公刊できないことへの悔しさをにじませながらも、自分の発見したことを伝えることで「すぐれた精神の持ち主がさらに先に進むように促」し、さらにそれらの人びとが知り得たすべてを公衆に伝えていくことで「多くの人の生涯と業績を合わせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにする」ことへの期待を示しつつ、『序説』を締めくくります。
そんなデカルトの願いが込められた本書が現代に至るまで読み継がれ、そこから多くの進歩が生み出されたことは、ささやかながらもわたしに希望を持たせてくれます。そう、理性はたとえ敗北しても、精神の瓦礫からまた復活して、真と偽を見極めながら前に進むための力を与えてくれることでしょう。
本書にはこんな言葉も記されています。

「結局のところ、われわれは、目覚めていようと眠っていようと、理性の明証性による以外、けっしてものごとを信じてはならないのである」

わたしは確かに、この書物に出会うのがいささか遅すぎました。ですが、2020年の締めくくりという時期に本書に出会えたことは、むしろ良かったのかもしれないと、しみじみ思うのです。
理性が敗北した世界の中で、それでも前へ進んでいくための指針として、繰り返し繙く一冊にしたいと思っております。

コロナパニックを乗り越えるための読書(その3) 下世話なまでの好奇心と探究心で、コロナ騒動の滑稽な側面を可視化した『コロナマニア』

2020-12-13 22:37:00 | 本のお噂


『コロナマニア 「ウイルス以外のコロナ」一大コレクション』
岩田宇伯著、パブリブ、2020年


世の中のあらゆる方面が、新型コロナをめぐるパニック状況一色となってしまった2020年。出版の分野でも、新型コロナがらみの書物が陸続と出され続けておりますが、今回ご紹介する『コロナマニア』は、その中でもひときわ異彩を放つ一冊であります。

過剰なまでのコロナパニックにより、もともと「コロナ」の語を冠していた社名や商品名は、好奇の目にさらされることとなってしまいました。その中には、嫌がらせや誹謗中傷といった、理不尽きわまりない風評被害を被ったところもあります。
コロナ騒動のせいで妙な形の注目を集めることとなった、名称に「コロナ」を冠した企業や店舗、商品やブランド、地名、歌手やバンド、曲名、映画やテレビのタイトルに加え、新型コロナ騒動に便乗した楽曲やバンド、さらには新型コロナ騒動の震源地となった中国のコロナ制圧キャンペーンソングを集め、網羅したのが本書『コロナマニア』です。取り上げられている物件の総数は、なんと918件。いやはや、よくぞここまで集めまくったものだと感心させられます。
著者の岩田宇伯(たかのり)さんは、内外のサブカルチャー、とりわけ中国の大衆文化に精通した方で、自身のTwitterアカウントでもコロナがらみの珍ニュースをはじめ、中国のドラマやB級ニュースをネタにした投稿を積極的になさっておられます。2018年には、戦時中の日本軍を悪役にしながらも、時代背景などお構いなしの荒唐無稽な設定や描写が続出する、中国の「抗日ドラマ」を紹介した『中国抗日ドラマ読本』を、『コロナマニア』と同じ版元であるパブリブから刊行しています。
ついでながら、版元のパブリブは「珍書プロデューサー」として知る人ぞ知る存在である編集者、濱崎誉史朗さんが立ち上げた出版社。以前当ブログでもご紹介した、パクリキャラの宝庫である中国の遊園地を多数取り上げた『中国遊園地大図鑑』(関上武司著、全3巻。当ブログの紹介記事はこちら)や、実は人気渡航地であるウクライナの見どころを詳しく紹介した『ウクライナ・ファンブック』(平野高志著)、さらに中国や韓国、インドネシア、アフリカなど、世界各地のデスメタルミュージックを紹介するシリーズ企画などなど、ニッチかつエッジの効いた企画を次々と本にしている、新進気鋭の版元であります。『コロナマニア』もまた、この著者と版元の組み合わせだからこそできた怪&快企画といえましょう。

日本国内の企業・店舗名で代表的なのは、新潟県三条市にある冷熱機器メーカー「株式会社コロナ」。ファンヒーターやエアコンのCMで、子どもの時から馴染み深かったメーカーですが、今般のコロナ騒動のとばっちりで、社員の子どもさんがいじめられるという事態に発展。社名の「コロナ」に込めた誇りを訴える新聞広告を出したことが話題にもなりました。なんともやりきれないことであります。
「コロナ」を冠した国内の企業・店舗名で驚かされるのは、理容&美容院の数の多さ。北は岩手県から南は沖縄県まで、その数55軒!本来「コロナ」の語が持っていた、太陽や王冠からくる高貴なイメージが、ヘアスタイルを整える業種に好まれていた、ということなのでしょうか。
そして案の定、出版社の「株式会社コロナ社」も取り上げられておりました。土木、バイオ、自然科学といった理工学系の本を専門に出している、1927年創業の老舗出版社です。同社の紹介部分には、公式Twitterアカウントに「お心遣いくださりありがとうございます」という「意味深な」言葉が記されていることにも触れております(この文言はわたしも目にいたしましたが、現在の同社アカウントからは消えてしまっております)。
海外の企業・店舗では、オランダのハーグにある「ブティック・ホテル・コロナ」が目を引きました。このホテル、有名リゾート地である「スケベニンゲン」の徒歩圏内に位置しているんだとか。日中は「スケベニンゲン」で観光を楽しみ、夜は「ブティック・ホテル・コロナ」でゆっくりくつろぐ・・・実に魅力的なプランではありますまいか。

商品・ブランド名では、なんといっても「トヨペット(トヨタ)コロナ」が有名どころでしょう。1957年の初代から1996年の11代目まで、長きにわたって親しまれてきた乗用車のブランド。旧車ファンには、国内販売台数1位になった3代目(本書の表紙にもあしらわれております)が馴染み深いでしょう。また、1960年に発売された2代目のときには、日本で初めてとなるカラー映像のCMが製作されたりもいたしました。カースタントでコロナの耐久性をアピールするというこのCMは、今の目で見てもなかなかの迫力。新型コロナ怖い怖いと怯える気分を吹き飛ばしてくれるようなパワーに溢れていて、必見でありますYouTube動画「トヨペット コロナ1500デラックス」)。
1992年の10代目コロナのときには、中村雅俊さん扮する大学教授「コロナ氏」なるキャラクターを登場させたCMが放送されましたが、本書にはこの車種を特集した雑誌『モーターファン』別冊の表紙が掲げられております。タイトルはズバリ「新型コロナのすべて」(笑)。
商品名でほかによく知られているのが、メキシコを代表するビールのブランド「コロナビール」。こちらも、感染拡大防止策として2週間の操業停止を余儀なくされたり、「消費者がコロナビール離れを起こしている」という根拠薄弱なプレスリリースを広告代理店から流されたりと、いろいろ大変だったようです。
余談ながら、コロナ騒動が持ち上がって以降のわたしは、行きつけのバーでときどきコロナビールを注文しては、「コロナを飲み干せ!」と叫びつつグビグビ飲んだりしたものです。どちらかといえば濃厚な味わいのビールを好むわたしですが、ビンの口に差し込まれたライムを浸しながら飲むコロナビールの爽快さも、実に捨てがたいものがありますな。

中国文化に精通した著者・岩田さんの面目躍如ともいえそうなのが、新型コロナ騒動の震源地である中国で作られている、数多くのコロナ制圧キャンペーンソングのリスト。有名なミュージシャンや俳優を動員し、封鎖された武漢を応援したり、最前線で戦う医療関係者や人民解放軍を称える内容を歌い上げる曲の数々は、本書で紹介されているだけでも何と120曲に及びます。タイトルも「中国一定強」「家国英雄」「誓死不退」「啊、白衣天使」などと力が入りまくっていて、ああこういうところは一党独裁国家ならではだなあ、と思わせてくれます。
また、タイトルに「コロナ」の入った映画・テレビを扱った章では、その名も『CORONA  ZOMBIES』(コロナゾンビ)なるコロナ騒動便乗映画も取り上げられています。文字通り、コロナウイルスで人々がゾンビ化するというお話で、ホラー、SFといったジャンルでB級映画を量産したチャールズ・バンドが製作総指揮として関わっています。とはいっても、ニュース映像や過去のホラー映画を「切った貼った」でつなげた上、セリフを吹き替えた部分がほとんどという代物だそうで、いかにもおバカ映画という感じですが、ちょっとだけ観てみたい気がいたします。
このほかにも、風俗業界にいる「ころな」という源氏名や、かつて存在していたAVメーカー「コロナ社」といったスケベ方面もしっかり押さえていて、その下世話なまでの好奇心と探究心には大いに脱帽なのであります。

918におよぶコロナ物件コレクションも圧巻の本書ですが、合間に挟まれているコラムや企画ページもなかなか充実しています。
著者の岩田さんは、名称に「コロナ」の語を冠していたことで理不尽な風評被害にさらされた店舗や企業を取材し、コラムとして組み込んでいます。長野県にある食堂の店主によれば、コロナ騒動が持ち上がって以降は無言電話による嫌がらせに困らされたものの、そのことがニュースとして取り上げられてからは全国から応援の手紙が寄せられたり、お店に直接出向いて気遣ってくれる人が現れたりしたとか。また、Twitterでの中傷を逆手にとった対応が評判となり、結果として風評被害を封じ込めることに成功した大阪のホテルの広報担当者は、宿泊に来たお客さんからの励ましに勇気づけられ、運営を続けていると語っています。
両者とも、実に理不尽な目に遭いながら、これからも「コロナ」という言葉に誇りを持って営業を続けたい、と語っておられることに、救われる思いがいたしました。

岩田さんの地元・愛知県にある、ボーリングやパチンコ、映画館、フードコート、さらにスーパー銭湯「コロナの湯」などが一体となった総合アミューズメント施設「コロナワールド」の訪問ルポでは、政府からの緊急事態宣言の前後にかけて、閑散としてしまった施設の様子が綴られています。
ここで岩田さんは、閑散としてしまった商業施設が賑わいを取り戻すにあたっては、「マインドの問題」が根本の課題であることを指摘します。その上で、「こういった負の空気感に負けない民衆の図太さと、危機の際、政府が力強いメッセージを出せるお隣の中国が少々羨ましくも感じる」と記します。専門家やマスコミが煽り立てる「コロナの脅威」にいつまでも怯えて萎縮するばかりの国民と、それを宥めることすらできずに迷走する政府・・・という、わが日本の情けない状況を見るにつけ、岩田さんのおっしゃることには肯かざるを得ませんでした。
本書には、自分がコロナ感染者だと偽って業務を妨害したりする「俺コロナ」事件、あるいは特定の人物をコロナだと言って中傷する「あいつコロナ」事件の一覧も収められております。こういった事案もなぜか、岩田さんの地元である愛知県がダントツに多いのですが、その背景を地元民の立場から考察したくだりも、なかなか面白いものがございました。「俺コロナ」「あいつコロナ」もまた、コロナパニックが引き起こしたバカバカしくも情けないB級事件といえましょう。

目下のコロナパニックによりさまざまな社会的混乱が生じ、それが深刻な事態を引き起こしていることは、誰の目にも明らかでしょう。しかしその一方で、冷静な目で見れば実にバカバカしくも滑稽な事態がいろいろと引き起こされていることも、また事実であります。
コロナパニックを受けて、コロナ後の世界はどうなるなどといった、高尚で形而上学的な議論が盛んであります。もちろん、それにも意味はあるでしょうが、コロナパニックの本質のようなものは、不安と恐怖で見境のつかなくなった人間の愚かさが引き起こした、いわば下世話で形而下的な事象にこそ現れているのではないか、とわたしは思うのです。それがまさしく「コロナ」を冠した店舗や事業所への誹謗中傷であり、「俺コロナ」「あいつコロナ」事件でありましょう。
本書『コロナマニア』は、下世話なまでの好奇心と探究心で、コロナパニックの滑稽な側面を可視化させ、その本質に迫った一冊として、そしてコロナ騒動で視野狭窄となり硬直しきった世の中に、いい意味で「水を差す」一冊としても、価値があるように思いました。

本書刊行後も、岩田さんは引き続き「コロナ」がらみのネタを収集しては、Twitterを通して発信しておられます。岩田さんには是非とも本書の姉妹篇として、コロナパニック下で起った滑稽な珍ニュースやB級事件を集め、記録する本を出していただけたら・・・と勝手にお願いしたいのであります。タイトルは『日本コロナ珍百景』、もしくは『日本珍コロ遺産』なんてどうでしょう(笑)。