読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『書物のある風景』 本と人との関わりの歴史を映しとった、豊饒なアート作品集

2019-04-29 14:23:40 | 「本」についての本

『書物のある風景 美術で辿る本と人との物語』
ディヴィッド・トリッグ著、赤尾秀子訳、創元社、2018年


限られたごく一部の人しか読むことのできなかった巻物や写本の時代から、印刷技術の普及によって誰もが自由に本と接することができるようになった現代・・・。そんな長きにわたる、本と人との関わりの歴史を切り取った作品や、本と出版そのものをテーマに据えた作品など、さまざまな「書物のある風景」を題材にしたアート作品300点近くを収録した美術作品集が、本書です。
セザンヌやシャガール、ゴッホ、ピカソ、マネ、歌麿、マグリット、ドガ、エル・グレコなどの超有名どころから、知る人ぞ知る現代アーティストまで、収録されている作者のメンツも多彩なら、表現技法も油絵に版画、彫刻、写真、インスタレーションとバラエティ豊か。サイズはA 5判(月刊『文藝春秋』と同じ大きさ)と、美術作品集としては小ぶりではありますが、収録作品の多さもあってボリュームがあり、手に持つとズシリとくる重さです。それだけに定価も、本体価格4200円とけっして安くはないのですが、これはぜひとも手元に置きたい!ということで、躊躇なく取り寄せて購入した次第です。

スペインのフェリペ4世に仕えた道化師を描いた、ベラスケスの「本と道化師」。大きくて分厚い本を広げながら、こちらを見つめる小さな体の道化師は、道化師という言葉の持つ響きとは裏腹に、威厳と誇りが満ちあふれた表情をしています。豊かな知識と教養を持つことで、いかなる立場の人間も高貴な存在となれるということが伝わってくる、実に印象深い作品です。
キリスト教に対する弾圧に遭い、4世紀初期に斬首された聖カタリナを描いた「アレクサンドリアの聖カタリナ」。書物を片手に、凛とした表情ですっくと立つカタリナの足下には、迫害者であるはずのローマ皇帝が拳を握りしめて悔しがっています。この作品もまた、学ぶことの強さと尊さを見るものに語りかけてきます。
その一方で、知識や学びのはかなさを描いているのが、ハンス・ホルバインの「ヴァニタス」。墓標のような台の上に書物を広げて読んでいる骸骨が描かれていて、立てた肘にもたれかかっているその様子は、どこかくたびれているように見えます。限りある人生にあっては、世俗における知識や学びも「すべてはむなしい」( “ヴァニタス” という言葉の由来)・・・これもまた、一つの真理といえるかもしれません。

専門の写字者により一文字ずつ書き写される「写本」の時代には、書物はごく限られた人のものでしかありませんでした。それを一変させたのが、活版印刷術の登場でした(本書には、その立役者であるグーテンベルクを描いた作品も収められています)。書物の大量生産への道が拓けたことで、それまで書物を読むことができなかった層も、本を入手して読むことができるようになりました。
書物の普及によって増えたのが、女性の読者。本書には、本を読む女性たちを描いた作品も多数収められています。ヨハネ・マティルデ・ディートリクソン「農家」は、お手伝いさんらしき若い女性が、掃除をサボって(?)小説本に読みふけっている姿を描いています。本書冒頭の解説文では、享楽的で社会のモラルを脅かすという理由で高まった、小説への批判的風潮を反映した作品のひとつだと述べられていますが、それだけ書物が多くの層に行き渡り、広く読まれるようになったということなのでしょう。
イーストマン・ジョンソン「主はわたしの羊飼い」には、台所の炉床でスツールに腰かけ、聖書を読んでいる黒人の姿が描かれています。この作品が描かれたのは、リンカーン大統領が奴隷解放宣言をしてからまもない頃のこと。社会的に虐げられていた人びともまた、書物から知恵や勇気を得ながら、自由と尊厳を獲得していったことを教えてくれる、感動的な作品です。
17世紀のヨーロッパで、農村地方を旅しながら本を売り歩いた行商人を描いた絵画も収められています。通俗的な廉価本や俗謡、政治的・宗教的な小冊子などを売り歩いていた行商人たちは、革命思想を広めるとして統治支配層から行動を制限されながらも、農村部における本の普及に大きな役割を果たしました。イタリアの山奥にある小さな村から、本を売り歩きつつ旅を重ねた人びとの歴史を丹念に発掘した、内田洋子さんの名著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)の内容が思い起こされてくる、やはり印象深い一作であります。

そして現代。書物は大量に生産され、大量に読み捨てられるようになりました。そんな時代の側面を鋭く切り取った、現代アーティストの作品にも、面白いものがいろいろとあります。
アンドレアス・グルスキーの「Amazon」は、アリゾナ州フェニックスにあるアマゾンの倉庫を撮影した大判の写真。画面を覆い尽くすようにひしめきあう「消費財」としての本。ぬいぐるみやサッカーボールなどの本以外の商品も、ところどころに混じったりしています。欲するものを自由に得ることができる、便利さと豊かさの象徴に見えると同時に、大量のモノが氾濫する現代の混沌と混乱を表しているようにも見えます。
リチャード・ウェントワースのインスタレーション作品「吊り天井」は、ギャラリーの天井からさまざまな種類の本を吊り下げて展示することで、書籍文化の自由と多様性を賞賛しています。一方、アリシア・マーティンのその名も「現代」という作品は、ギャラリーの壁の一角が決壊し、そこから大量の本が雪崩れ込んでいるさまを表現することで、膨大な量の情報が氾濫する文化のあり方に警鐘を鳴らします。
限られたごく一部の人しか本を読めなかった昔よりも、多様な書物に自由に接することができる今の時代が、遥かに恵まれていることは間違いありません。しかし、それは大量の書物と情報が氾濫することで、肝心なことが見えにくくなることと表裏一体でもあるということは、認識しておく必要があるのではないか・・・と、これらの作品を見て思いました。

書物の読者への問いかけや皮肉を込めた作品も、いくつか収録されています。
キャロル・ボヴェの「預言者の塔」は、自由、喜び、自己認識、愛、死などについて語った26編の詩を集めた、ハリール・ジブラーンの詩集『預言者』を68冊集め、それを塔のように重ねて作った作品です。詩に込められた叡智が、既成の制度や価値観に反発するヒッピーたちに好まれ、読まれたのですが、作者のボヴェがこれを古書店から集めたところ、かつての所有者がほぼ一様に、同じ箇所に下線を引いていたのだとか。資本主義社会での画一的な生き方を拒否していたはずの反体制文化が、実は画一的な考え方に支えられていたということが、痛烈な皮肉となって響いてきました。
塔といえばもう一点。さまざまな本が、やはり塔のように積み重ねられたフィル・ショウの作品には、なんと「無知」という題名がつけられています。たくさんの本を買うものの、それを積読にしておくばかりでたいして物事を知っているわけでもない、わたしのような人種に対する皮肉のように思えて、思わず首をすくめずにはいられませんでした。
さらに、シュールな作風で知られるルネ・マグリットの作品。本を読みながら、両方の眼を思いっきりむき出しにした、過剰なほど大袈裟な表情で驚いている人物の絵につけられた題名は「従順な読者」。これもまた、けっこう皮肉が効いているように思えました。

本書には、禁書や焚書といった、書物と文化の受難をテーマにした作品も収められています。
ベルリンのベーベル広場に作られた、ミハ・ウルマンの作品「図書館」。広場の石畳の一角にガラスの板が張られていて、その下には図書館の棚が設けられているのですが、そこには一冊の本も入っていません。ベーベル広場はかつて、ナチスによって “非ドイツ的” と決めつけられた2万冊におよぶ本が燃やされた場所。そこに作られたこの作品は、文化や人間を抹殺した暴虐と愚行を記憶にとどめるモニュメントとなっているのです。
同じくナチスによる焚書が行われたフリードリヒ広場で、2017年に制作されたマルタ・ミヌヒンの「本のパルテノン神殿」。さまざまな時代と地域で禁書となった10万冊もの本(アインシュタインやカフカ、トルストイ、マーク・トウェインの作品など)で、実物大のパルテノン神殿を再現した壮大な作品です。禁書や焚書となってその存在を封じられても、優れた書物はまた甦って、時代を越えて生き残っていくということがメッセージとともに感じられ、胸を打ちます。
冒頭の解説文で、本書の著者はこう語ります。

「多くの人の目に、焚書は野蛮な行為と映るだろう。つまるところ、書物は文明社会の文化、価値観、信念の象徴であり、書物の破壊は文化の一部の破壊といってよい。検閲と焚書の歴史から学べることがあるとすれば、いくら破壊し、消し去ろうとしても、書物は——人間の魂と同じく——生き残るということだ。デジタル技術は発展の一途をたどるが、紙の本は消えてなくならない。本がつくられているかぎり、アーティストたちはその社会的位置づけを模索し、作品で表現しつづけるだろう。そこにはわたしたち自身を映し出す鏡としての本がある」

これから先、書物を取り巻く状況はさらなる変容を迫られていくことは確かでしょう。しかし、「本を読む」という営み自体がなくなるとはわたしも思えませんし、優れた叡智や感動はこれからも、本というかたちを通して受け継がれていくことでしょう。
そしてアーティストたちもまた、さまざまな形で「本を読む」ということをテーマにした作品を世に送り出しつづけていくに違いありません。それが、これからとても楽しみであります。
ちょっと値は張りますが、本を愛する皆さまにぜひ、座右に置いていただけたらと願わずにはいられない、豊饒なアート作品集です。


【関連おススメ本】

『読む時間』
アンドレ・ケルテス著、渡辺滋人訳、創元社、2013年

『書物のある風景』とおなじ版元から出ている、やはり「読む」ことをテーマにした写真集。報道写真家として活躍したハンガリーのカメラマンが、パリやニューヨーク、日本などの街角で撮影した、本や雑誌、新聞を読んでいる人びとの姿を捉えた写真を一冊にまとめたものです。一心に「読む」ことに集中する人びとの姿はもちろん、それぞれの写真から伝わってくる街の息づかいも実に魅力的。こちらもぜひ、座右に置くことをおススメしたい一冊です。巻頭に置かれた谷川俊太郎さんの詩「読むこと」も素敵です。

『街は記憶するIII 平成28年熊本地震』 災害からの復興に「まち」が果たすべき役割が、雄弁に語られている証言集

2019-04-16 22:16:49 | 本のお噂

『街は記憶するIII 平成28年熊本地震』
上通商栄会編、上通商栄会(上通新書)、2018年


2度にわたる震度7の大きな揺れが熊本を襲った、3年前の熊本地震(熊本・大分地震)。熊本市中心部にある商店街・上通も、震度6という激しい揺れの直撃を受け、さまざまな形の被害や影響がもたらされました。上通商店街における被害の状況やその後の復興への歩みを、上通で商店や事業をされている人びとへの聞き書きによりまとめたのが、この『街は記憶するIII』です。
『街は記憶する』は、上通商店街の歴史と変遷、そして現在を、上通の商店主や事業主へのインタビューをもとに記録した新書判のシリーズ。熊本地震による被災と復興がテーマとなる第3巻の本書は、22軒の店舗、事業所の代表者に加え、上通エリアにある「手取天満宮」の宮司さんの証言が収められています。

老舗の店舗が多く、太平洋戦争の空襲の被害を免れた上通には、歴史ある古い建物が点在するエリアです。地震による激しい揺れは、それらの貴重な建物を容赦なく襲いました。
明治時代に建てられたという、眼鏡や補聴器のお店「熊本眼鏡院」の店舗兼住宅は、4月14の前震には持ちこたえたものの、16日の本震により2階の天井は崩落し、建物自体も傾いてしまいました。グループ補助金を利用して店舗を建て替えることにしたものの、補助金を使うと5年間は報告する義務があり、少なくとも5年間は商売を続けなければならないのだとか。店主は、
「八十の坂を越えて新しく家を建てるのは笑い話のようだった」「あと二十年ぐらい働けるといいのですが、娑婆はそうもいかんごたるですね」
と語ります。
おなじく明治時代建築の建物で営業する写真館「原田写真場」はスタジオこそ倒壊したものの、幸い建物自体は持ちこたえました。地震後は柱を補強した上で、新しく設計し直したスタジオを建設したとのこと。
江戸時代に創建された上通エリアの神社「手取天満宮」。前震で石灯籠が倒れたのに続き、本震では石鳥居も倒壊し、それが前の道路をふさぐ形となりました。防犯カメラの映像で確認すると、本震の発生する直前にタクシーが前の道路を通行していて、まさに危機一髪だったとか。
一方で、古い建物に耐震工事を施していたことで、被害が最小限にとどまった店舗もありました。築40年以上のビルで営業している「大谷楽器店」は、熊本地震の15年前に市内で発生した最大震度4の地震に直面した当時の会長が、「これで震度6や7の地震がきたらビルはどうなるのだろうか」と耐震対策の必要性を説き、柱を強化して壁を薄くする耐震工事を進めました。そのため壁にヒビは入ったものの、建物の躯体には何の問題もなかったのだとか。耐震対策の大切さを教えてくれるエピソードでした。

上通にもさまざまな被害と影響をもたらした熊本地震。しかし、そこから得られたこともありました。
学生服の企画・販売を手がける「学生服のタケモト」では、地震の後片付け作業を1週間ほど、従業員みんなで協力してやったこともあり、会社の中の風通しやまとまりが良くなったといいます。地震後に倒産したり給料カットしたりする会社があった中で、社員や社員の家族を不安に感じさせなかったことが理由だったのでは、とお店の経営者は語ります。
店舗の壁にヒビが入り、工場にも大きな被害を受けたという「田中屋パン店」は、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを通して、全国の皆さんから応援をいただいたといいます。地震前にお店に立ち寄った有名ロックグループのメンバーは、地震後にも何回かお店を訪れてくれた上、それを知ったグループのファンが、青森や福島といった遠方からも来てくれたとか。お店の女性は、全国のたくさんの人に支援していただいたことで、人のつながりを強く感じた、と語ります。

本書には、上通にある3軒の老舗書店の被災証言も収められております。
3軒の中で一番ダメージが大きかったのが、大正時代創業の「金龍堂まるぶん店」でした。本震により店の壁や天井が破れ、15万冊の本のほとんどが落下。その上、倒れた屋上の貯水タンクの水が店内に漏れたため、濡れてしまった本もあったとか。それを目にした店長は「これは二度と営業できないだろうな」と思ったそうです。店舗に修理と耐震対策を施し、一度解雇した従業員のほとんどを再雇用した上で再オープンしたのは半年後。上通では一番遅い再オープンでした。
休業を余儀なくされていた期間、閉めていたシャッターに当面の営業休止を伝える2枚の紙を貼ったところ、その余白には百通を越える激励のコメントが書き込まれました。さらに、自分で激励のメッセージやイラストを書いて貼ってくれる人も。
わたしも、地震のあった年の秋に熊本を訪れた際、実際にそれらのメッセージを目にしました。見ているうちに、往来の真ん中にもかかわらず目頭が熱くなるのを抑えきれなかったものでした。
(下に掲げるのが、そのときに撮った写真であります。ちなみにカッパは、まるぶん店のシンボルともなっている店頭のカッパ像を指します)


地震の直後は、「本は食べ物や服とかと違って生活必需品ではないので、震災で大変なときに本屋なんて必要とされないのではないか」と思った店長でしたが、多くの激励に接したことで、街に本屋が必要なことを改めて思ったといいます。そして、企業理念である「本屋の力で街を明るくする」を頑張って実践することで、上通の街を明るくしていきたいとの決意を語っておられるのを読むと、またしても胸が熱くなってくる思いがいたしました(実は本書も、昨年熊本を訪れたおりに「まるぶん店」さんで購入した一冊であります)。

明治時代創業とこちらも歴史のある「長崎書店」では、地震後に地域の子どもたちが避難生活を送っているのを知ったスタッフが、「避難所の小学校に絵本や紙芝居の読み聞かせに行ってもいいですか。何か役に立ちたいので」と申し出て、絵本の担当者が読み聞かせに行ったりしたのだとか。店長は、「スタッフにそういう意識が芽生え、自発的に行動に移してくれたことがとてもうれしく、頼もしかった」と語ります。
震災後に増えた家屋解体で本を売りにくる人が多くなり、一年で五年分ぐらいの本を仕入れたという、古書店の「舒文堂(じょぶんどう)河島書店」。その経営者は、上通の先代たちが常に危機感を共有して、街の発展を考えていたことを思い起こしつつ、これからの上通の発展を考える上でも危機感の共有が必要、と訴えます。そのために、震災で被害を受けたハード面の復旧に加え、人づくり、意識づくりのソフト面の復興が、街の発展には一番大事であると力説します。

舒文堂の経営者をはじめとして、本書には上通の未来を見据えた、意欲的な提言や決意も散見されます。
熊本の名物グルメのひとつ「太平燕」(たいぴーえん)でも知られる中国料理店「紅蘭亭」の代表は、飲食業は震災前から課題が山積みであったということを述べたうえで、「ハード面とソフト面の両面でリニューアルする宿題の提出が、震災によって早めになった感じがしています」と語ります。そして、
「四川料理とか広東、北京、フレンチやイタリアンなどさまざまなスタイルから学び、日本や熊本の食文化をもう一度とらえ直して、汎アジア的な視点を持って新しい流れを創りだしていきたい」
との展望を述べています。
また、地震で大きなダメージを受けた自社ビルを解体した、テナントビル業「オモキ屋」の代表は、更地となったビルの跡地を利用して、熊本で生まれる価値がある物に触れたり食べたりできる、熊本の魅力を凝縮したイベントや、若手アーティストの製作活動やライブパフォーマンスをやったりする文化発信ができる広場をつくりたい、との構想を語っています。実現したら、さぞかし面白い場所となりそうな気がいたします。

震災後は郊外店の休業が多かったこともあり、上通は多くの人で賑わったといいます。やはり明治創業の老舗である「大橋時計店」の社長は、「被災された方々は、非日常的な場所に行きたいという気持ちがあったのだと思います」と分析しつつ、そういうときに多くの店が営業して、来てくれた人たちの期待に応えていた、上通商店街の存在意義を再確認しつつ、次のように締めくくります。

「上通の街は以前にも増して活力と優しさに包まれた雰囲気が漂っていました。これからも、上通に来る人たちに元気になってもらえるように、まず自分たちが元気に頑張ろうという気持ちでやっていけたらいいですね」

地震によってさまざまな被害や影響を受け、困難に直面しながらも、やってくる人たちの期待に応え続けた熊本・上通商店街の方々。その姿勢は、災害からの復興にあたって、商店街を含めた「まち」が果たすべき役割を、雄弁に語っているように感じました。
災害に遭って打ちひしがれている多くの人たちに、活力と安心感、そして癒しを与える場として機能する「まち」の役割。その価値は、郊外型ショッピングモールやネット通販が広まっていく中にあっても、失われるようなことはないのではないか・・・わたしはそう感じました。

わたくしごとですが、5月のはじめに1年ぶりとなる熊本への旅行に出かける予定です。
再建が進みつつある熊本城の天守閣を見たり、熊本の美味しいものを味わったりするのも楽しみなのですが、上通をゆっくりと散策して街の活気に触れるのも、また大いに楽しみであります。

『知的生産術』 仕事のみならず、生きること全般についての知恵も得られる一冊

2019-04-13 15:04:40 | 本のお噂

『知的生産術』
出口治明著、日本実業出版社、2019年


還暦の頃にベンチャー生命保険会社「ライフネット生命」を立ち上げ、古希になってから立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任という、チャレンジングな人生後半戦を送っておられる出口治明さんが、自らの職業経験と思索から導き出した、知的生産性を高めるための方法論を伝授する一冊です。

知的生産性を高める・・・というと、なんだかちょっと構えてしまいそうですが、出口さんはのっけから、

「イノベーションは、そもそも『サボりたい』という気持ちから生まれます」

と、構えていた力が抜けるようなことをおっしゃいます。もともと「横着で、面倒なことは大嫌い」なタイプだという出口さんは、勉強時間を短くして遊ぶ時間を確保するために、勉強のしかたを自分なりに工夫していた、という子ども時代の経験などを踏まえつつ、知的生産性を高めるということは、

「いかに効率よく仕事をして成果を出すか。その方法を自分の頭で考え出すこと」

だと定義します。
ではなぜ、生産性を高める必要があるのか。出口さんは、「世界一進んでいる高齢化で、何もしなくてもお金が出ていく」という、現在の日本が置かれている状況に触れます。そして、今後の高齢化率の上昇により介護、医療、年金などにかかる支出がさらに増大していく中で、「何も改革を行わず、みんなが貧しくなるか」「知的生産性を高めて、経済成長するか」の2択を迫られている日本は、GDPを上げることで新たに増加する支出分を取り戻す必要がある、と力説します。
経済成長なんて必要ない、みんなで貧しくなればいい・・・などという、いささか精神主義的な理想論を語る向きが(とりわけ「知識人」や「文化人」とされる方面に)見受けられますが、これからの日本が置かれている状況を考えれば、それがいかに無責任な空論であるのかが理解されます。経済成長を目指すということはやはり大事なのだ、ということを、改めて感じさせられました。
加えて、現在の日本が「骨折り損のくたびれ儲け」な状況にあるという実態が、さまざまなデータの裏づけとともに語られます。1970年以降、日本はG7中で最下位の労働生産性しか上げていないにもかかわらず、正規雇用の社員の労働時間は、1990年代のはじめからほぼ、年間2000時間超のまま減少していないとか。知的生産性を上げて労働時間を短くしていくことは、労働者にとっても利益になることなのです。

知的生産性を高めるために必要なのは「社会常識を疑い、すべての物事を根底から考え抜く」ことだという出口さんは、物事を考える上で必要となる5つの視点を挙げています。

①無限大ではなく「無減代」(むげんだい)を考える(仕事を言われたままにやるのではなく、なくしたり減らしたり、他で代用できないかを考えること)
②「なぜ」を3回繰り返す(誰も疑わないことでも、腹落ちするまで深く考え直してみる)
③「枠」や「制約」の中で考える(たくさん時間を費やすよりも、上限枠や規制を設けることで、時間あたりの知的生産性が高まる)
④「数字、ファクト、ロジック」で考える
⑤考えてもしかたがないことは考えない


いずれも有益な視点なのですが、わたしがとりわけ大事だと思ったのが、「数字、ファクト、ロジック」で考える、ということです。
わたしたち人間は自分の成功体験や主観を絶対視し、自分が見たいものしか見ない生き物。なので、相互に検討可能なデータと、過去に起こった事実をもとにして実証的に理論を組み立て、ゼロベースから新しく発想することの重要性が説かれます。また、立場や文化、思想の異なる人が集まって議論する場においても、「数字、ファクト、ロジック」で合理的に議論し、結論を出すことの必要性も語られています。
「数字、ファクト、ロジック」で物事を見て考える習慣は仕事のみならず、ふだんニュースや情報に接する上でもとても役立つのではないかと、わたしは考えます。ネット、SNSには事実そっちのけで、自分の偏った思い込みや、荒唐無稽な陰謀説を振り回す向きが少なからずおりますし、マスメディアの報道にも、自説に都合のいい形で事実を大げさに伝えたりする例が多く見られます。
そのような中で、「数字、ファクト、ロジック」で世界と社会の姿を正しい形で把握することは、社会生活を営む上でも重要なことでしょう(思い込みに囚われず、世界の正しい現状を把握することの大切さを説いた翻訳書『ファクトフルネス』がベストセラーとなっているのも、そのことの重要性を多くの方が認識しておられるからではないか、と思います)。

考えるべきときには腹落ちするまでとことん考えつつも、考えてもしかたがないことは考えないほうがむしろ合理的、だという5番目の視点「考えてもしかたがないことは考えない」というのも、仕事はもちろん日常においてもとても役に立つ考え方だなあ、と思いました。
これもSNSでよく目にするのですが、自分が考えてもしかたがない、あるいは考える必要もないことを、延々とグルグル考え続けているのを見ていると、ただただ時間とエネルギーを無駄遣いしているようにしか思えなかったりいたします。それだったら、自分ができること、やるべきことに集中して粛々と取り組んだほうが、よほど有意義なのではないでしょうか。

自分の頭で考えるために必要なのが、良質な情報や知識。出口さんは有益な学びの方法として「人・本・旅」の3つを挙げます。
同質な人間ばかりに会うのではなく、自分とは異質な脳を持つ人に出会うこと。食わず嫌いはやめて、さまざまなジャンルの本を読むこと。旅に出て現場に身を置くことで、理解のレベルを上げること。こうした「人・本・旅」で得られた良質な情報や知識も、仕事の場はもちろんのこと、生きるクオリティを高める上でも役に立つのは、言うまでもないことでしょう。
能力を十分に発揮するためには健康も大切。とはいえ、出口さんはいわゆる「健康法」や「健康管理」にまつわる本は読まず、健康に関する諸説もまったく参考にはしないのだとか。わたしたちのカラダは一人ひとり違い、すべての人に通用する健康法などあるはずがない、というのがその理由です。なので、「自分に合ったやり方」で体調をコントロールすればそれでいい、とのこと。これもまた、実に理にかなった考え方であるように思いました。

本書の中でもっとも、わたしの気持ちに響いたのは、以下の一節でありました。

「この世の中では、「いいとこ取り」は、不可能です。2つのものを同時に手に入れることはできません。
世の中のすべての物事は、トレードオフの関係にあります。すなわち、何かを選ぶことは、何かを捨てることと同義です。
(中略)
何かを得れば、何かを失う。
人生はすべてトレードオフです。
何か新しいものを得ようと思ったら、何かを捨てなければなりません。その捨てた場所に、新しいものが入る余地が生まれるのです」


手帳を捨てることでミスが減り、腕時計を捨てることによって気持ちに余裕が持てるようになったことを語ったあとに続くこの一節。わたしには、単なるノウハウや方法論を越えた、生きていく上で大切な知恵を得たように感じられました。
わたくしごとながら、今年で50歳という、人生におけるひとつの区切りを迎えます。人生80年としても残りは30年。うかうかしていると、あっという間に過ぎ去ってしまうことでしょう。
残りの人生を、有意義で充実したものにするためにも、自分の得たいことや求めるべきことを明確にしていかなければなりません。そのためにも、取り入れるべきことは取り入れ、捨てるべきことはどんどん捨てるということを、意識してやっていかなければ・・・出口さんのお言葉に接して、そんなささやかな決意を胸に生きていこうと思ったわたしであります。

本書にはほかにも、判断の省力化や習慣による日々の蓄積につながる「マイルール」の効用や、アウトプットすることによる頭の中の整理術、仕事の順番は緊急度ではなく「先着順」でという話、部下の適性や意欲を活かして正しく人材を配置する「才能マネジメント」の方法・・・などなど、仕事の場で、そして生きること全般においても役に立ちそうな、さまざまな方法論と知恵が詰まっております。
始まったばかりの新年度、仕事の中身を進化させていきたいという方はもちろん、「平成」から「令和」に変わるにあたり、新たな人生を切り拓いていきたいという意欲をお持ちの方にも、本書は大いに前向きなヒントを与えてくれることでしょう。

『ニッポン47都道府県正直観光案内』 行きたくなってウズウズしてくる、インパクトと魅力のあるスポットてんこ盛りの一冊

2019-04-09 18:51:39 | 本のお噂

『ニッポン47都道府県正直観光案内』
宮田珠己著、本の雑誌社、2019年


独特の感性と、人を喰ったユーモアにあふれた紀行エッセイで人気のある宮田珠己さんが、全都道府県を歩き回って訪れた観光スポットの中から、「本当にすごい」物件だけを厳選し、妥協や忖度なしの「正直」さとともに紹介した一冊であります。
「その県に行くのは最初で最後かもしれない人」を想定しつつ、「専門的知識がなくてもマニアの目で見なくても、誰が見ても来てよかったと思える、手ごたえの感じられる場所」の数々が、それぞれの都道府県や地域の特徴を凝縮した絶妙なキーフレーズに沿って紹介されていきます。

たとえば青森県。宮田さんは青森の特徴を、なんと「SF」というコトバで言い表します。『未知との遭遇』の宇宙船を彷彿とさせる「ねぶた」や、イタコで有名な恐山に象徴される「日本の田舎ならではの穏やかな景色から、突如としてカラフルだったり未来的だったりするイメージが飛び出してくる、その意外性」を、「SF」というコトバでくくったというわけです。
その極致といえるのが、五所川原市の祭り「立佞武多」(たちねぶた)。名前が示すようにねぶた祭りの一種ながら、電線を地下埋設することによって、青森市のねぶたよりずっと高い23メートルもの縦長の張子を実現しているのだそう。で、普段は大きな吹き抜けのある施設に格納されている立佞武多が外に出るとき、このような光景が展開するというのです。

「そのとき、建物のゲートが横に開き、館内の橋が跳ねあがって、その間から出動するのです。その光景は、まさに宇宙基地からの発進そのもの。なんというサンダーバード感、ウルトラホーク感でしょうか。思わず、ワンダバダバ、ワンダバダバ、と口ずさんでしまいそうです。ランバダではありません。ワンダバです。このへん何を言ってるのかわからない人もいるかと思いますけれども、とにかく立佞武多を見るだけでも青森がSFだということが理解できると思います」

何を言ってるのかがわかり過ぎるほどわかる(笑)、SF大好き特撮大好きのわたしとしては、このくだりにはもうワクワクしてまいりました。死ぬまでに一度でいいから、立佞武多を見に青森へ出かけたいものだと、心底思いました。

また、神奈川県については「ジオラマ感」というコトバで表現します。海、山、湖といった自然の景勝から文化財、動物園、パワースポットなど、ほぼ全種類の観光資源が揃っていながら、そのほとんどが小さくて狭く、それらがごちゃごちゃに入り混じった面白さがあるというのが、その理由です。有名な江の島にしても、小さな島の中に神社や商店街、タワー、洞窟があって「まるで箱庭のよう」だ、と。そのように言われると、ジオラマも大好きなわたしとしては神奈川にも行きたくなりましたねえ。
そして大分県の特徴は「魔境」。その理由は、十分に整備されないまま埋もれている磨崖仏が多くあることが、「磨崖仏→悪の秘密結社→魔境」という連想をさせるから、だそうな。なんだその三段論法は(笑)とツッコミを入れながらも、まだ別府や湯布院といった温泉地でしか大分を知らないわたしとしては、一度国東半島の磨崖仏めぐり旅をやってみるのも面白いかもなあ、などと思ったのであります。

それぞれの都道府県をひとことで言い表したキーフレーズをはじめとして、本書には宮田さんならではのユーモアが炸裂しまくり。もうほぼ全ページに笑いどころが散りばめられていて、人前で読むにはかなりの困難(?)が伴うかもしれません。兵庫県の内陸部から山口県の秋吉台に至るまでの、中国地方の山中を貫く観光地密度が著しく低いゾーンを「西日本大味ベルト地帯」と称しているところなどは(ご当地の皆さまには申し訳ないのですが)大笑いさせられました。沖縄についても、シュノーケリングで楽しめる浅い海(とりわけ、慶良間諸島などの離島部の)で十分であり、「あとは全部おまけにすぎません」と言い切ります。
まあ、愛郷心に溢れるマジメな方が読んだら怒り出しそうな記述も散見されるわけですが、独特の人を喰ったユーモアが宮田さんの持ち味ですので、いちいち目くじらを立てるのはヤボというもの。「んなアホな」とツッコミを入れつつ、笑い飛ばしながら読み進めるのが吉、でありましょう。

それでは、わが郷土である宮崎県の記述はどうか。宮崎についてはのっけから、

「九州のなかでもなんとなく影の薄い宮崎県。新幹線が寄らないせいでしょうか。観光スポットも、隣接する大分、熊本、鹿児島に比べて少ない気がします」

と書かれてしまっております。ぐぬぬ・・・でも、確かにその通りなのだから仕方ございませぬ。
で、宮崎でまず紹介されているのが、県北部にある高千穂峡。ここの貸しボートについて宮田さんは「万難を排して乗るべき」と力説しながら、狭き門のような入口を抜けた先に、真名井の滝が流れ落ちていたりする大峡谷を堪能できる「インディ・ジョーンズばりの大冒険」が待っている高千穂峡は「貸しボート界の聖地と言っても過言ではありません」と言い切るのです。わたしは高千穂峡には行ったことはあるものの、まだ貸しボートには乗ったことがございませんでした。もったいないことをしたなあ。今度行く機会があればぜひ乗らなくっちゃ。
宮崎県からはもう一ヶ所、県の中部にある高鍋町にある「高鍋大師」が紹介されています。岩岡保吉なる人物がつくりあげた、およそ750体もの巨大石像が立ち並ぶ、B級スポット界では有名な場所です。とはいえ、地元の人間でも行ったことのあるというヒトは、そう多くはないように思えます。かく申すわたしもまだ行ったことがございませんので、ここも一度立ち寄ってみたいと思っております。

本書にはほかにも、気になるスポットがてんこ盛りです。
かつて北方からやってきた異民族の痕跡を紹介していて非常にエキゾチックだという、北海道網走にある「北方民族博物館」と「モヨロ貝塚館」。カヌーやスキーの初心者や家族連れであっても、いきなりダイナミックなアウトドア経験ができるという、福島県の裏磐梯。乗車時間1時間45分のトロッコで一生ものの体験を味わえるという、富山県の「立山砂防工事専用軌道」。飼育、展示されているのはエビとカニだけという、和歌山県の「すさみ町立エビとカニの水族館」。長い蛇(大蛇=おろち)の登場する演目などがスペクタクルな、島根県の石見神楽。最上階まで車で上がれたり、屋上に畑や大きな池があったりと、絶えず改築が施されている「日本の九龍城」こと、高知県の「沢田マンション」。漫画家つげ義春の『貧困旅行記』の舞台であり、まるごと迷路となっている温泉街が「異世界RPGの領域に近づいている」という、熊本県の杖立温泉・・・とまあ、いちいち挙げていくとキリがないくらいです。
本書で紹介される全都道府県のいずれのスポットも、インパクトと魅力がワクワク感とともに伝わってくるところばかり。読んでいると、現地へ行ってみたくなってウズウズすること間違いございません。
日本にはまだまだ、行くに値する楽しくてワンダーな場所に溢れているのだ!ということを、本書は教えてくれました。

時代が「平成」から「令和」へと移る、今年(2019年)のゴールデンウィークは10連休。まあ、実際に10日間休める恵まれた向きがどのくらいおられるかはわからないのですが(笑)、それぞれの休みに応じて、どこか出かけてみたいとお考えの皆さまは少なくないでしょう。
連休のお出かけ計画の参考にはもちろん、連休中にとりたてて出かける予定はないけど笑えて楽しい本が読みたい、という方にもオススメしておきたい一冊であります。


【関連オススメ本】


『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』東日本編・西日本編
都築響一著、筑摩書房(ちくま文庫)、2000年(親本は1997年にアスペクトより刊行)

『ニッポン47都道府県正直観光案内』よりもコアなスポットに出かけたいという物好き・・・もとい、好奇心旺盛な皆さまは、ぜひこちらを。斜め上の発想でつくられた博物館やテーマパーク、秘宝館などなど、ちょっと醜悪で珍奇だけどどこか惹きつけられる、全国各地の珍スポット計341物件を、カラー写真をめいっぱい詰め込んで紹介した、B級珍スポット大好き人間のバイブルともいえる本です(実際、2冊とも聖書みたいに分厚いですし)。
わが宮崎県からは7ヶ所が登場。『〜正直観光案内』でも紹介されている高鍋大師も、たっぷりの写真とともに取り上げられております。

『いいね!』 イヤなことや平凡な毎日を、愉快で楽しいものに変えてくれる愛おしい一冊

2019-04-07 21:37:16 | 本のお噂

『いいね!』
筒井ともみ文、ヨシタケシンスケ絵、あすなろ書房、2018年


一見イヤなことやダメなこと、そして普段はあまり気にも留めないようなモノゴトも、ちょっと見方を変え、価値観をひっくり返すことでなんだか「いいね」と思えてくる・・・そんな、楽しくて前向きな生き方のヒントを、子どもたちのつぶやきの形で語っていく20編を収めた、児童向けの連作短編集です。

たとえば、学校の帰りに転んでしまった男の子が語り手の「『転ぶ』って、いいね」というエピソード。アスファルトで掌やひざ小僧をヒリヒリさせながらも、男の子はいつもよりずっと大きく見える電信柱や歩いている人、さらに道ばたの草や小さな虫といった、それまで見たことのない面白い世界があることに気づきます。
転んでしまったことで痛い思いもしたけれど、そのことで自分が今まで気づかなかった、新しい世界や視野が開けていく・・・子どもはもちろん、われわれ「オトナ」にとっても、まことに示唆深いお話のように感じられました。

また、ベッドに入ってもなかなか眠れない女の子が主人公の「『眠れない』って、いいね」。ヒツジを数えてもやっぱり眠れない女の子は、美味しそうなお菓子やリップクリームなどの好きなものや、ママも知らないお気に入りの「アレ」などを想像しては、ヒミツめいたドキドキを味わうのです。
そんな女の子の気持ちを知ってか知らずか、ママは「不眠症は大人がなるもので子どもはならないの」などということを言ったりします。わたしたち「オトナ」はそうやって、自分は相手のことやモノゴトをわかっていると思いこんでは、なんでもかんでも決めつけてしまうような物言いをしてはいないだろうか・・・そういう、自省の念が湧いてきたりもしたのであります。

ほかにも、読むと大笑いするようなお話もあれば、ちょっとジンとくるお話もあったり、はたまた日常のささやかな楽しみにほっこりさせられるお話があったりと、バラエティに富んだエピソードが楽しめます。
一つ一つのエピソードは独立していながらもゆるやかに繋がっているのですが、その繋ぎ役となっているのが三毛ネコというのが、ネコ好きとしては嬉しい趣向でありました。

作者の筒井ともみさんは、日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した『阿修羅のごとく』(向田邦子原作、森田芳光監督、2003年)をはじめとする映画やテレビドラマ、アニメなど幅広い作品を手がけている脚本家(あの『ヤッターマン』を含む “タイムボカンシリーズ” にも関わっておられます)。児童書を手がけるのはこれが初めてのようですが、短いエピソードの中で、それぞれの子どもたちのキャラをしっかりと浮かび上がらせる語り口はまことにお見事です。
そしてイラストは、いま快進撃中の人気絵本作家・ヨシタケシンスケさん。本作でのイラストの扱いは控えめなのですが、文章から浮かび上がる子どもたちのキャラを、おなじみの愛嬌たっぷりのタッチで具現化していて、気持ちをほっこりさせてくれます。

イヤなことがいろいろとあったり、なんの面白みもないような平凡な毎日。それを、愉快で楽しいものに変えてくれる、愛おしい一冊であります。


【関連オススメ本】

『それしか ないわけ ないでしょう』
ヨシタケシンスケ作、白泉社(MOEのえほん)、2018年

『いいね!』でイラストを手がけたヨシタケシンスケさんの単著である絵本。未来の世界は大変なことになる、という話にショックを受ける女の子に、おばあちゃんは「だーいじょうぶよ!みらいがどうなるかなんて、だれにもわかんないんだから!」と語って励まします。すっかり元気を取り戻した女の子は、いろいろな楽しい未来を夢想することに・・・。
一つの考え方や価値観に縛られることなく、別の角度から物事を見ることで、新しく楽しい世界が見えてくる・・・というテーマを、おおらかなユーモアと柔軟な発想で描いていく本作の内容は、『いいね!』とも大いに通じるものがあります。ぜひとも一緒に楽しんでいただきたい絵本であります。拙ブログのレビューはこちらです。→ 【わしだって絵本を読む】悲観論と二元論を吹っ飛ばして、未来を楽しく考えさせてくれる快作『それしか ないわけ ないでしょう』