読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その4) ハプニングのあとに堪能した、2年半ぶり3回目の大原美術館でのアート鑑賞

2022-05-30 19:18:00 | 旅のお噂
(これまでの旅のお噂は、以下の3回にてお伝えしております)


真っ昼間から瀬戸内の美味しい魚料理、そしてこれまた旨い倉敷の地酒を満喫して、ちょっとだけほろ酔い気分になった倉敷旅2日目のお昼どき。最高に気分も盛り上がってきたところで、2日目の本命であるアート鑑賞だあ!ということで、意気揚々と大原美術館へと向かいました。2年半ぶり3回目の訪問であります。

大原美術館は「コロナ対策」で「密」を避けるためということで、10分刻みの整理券を配布し、一回に入れる人数を制限した上で公開中でありました。なのでわたしも午前中、お昼ごはんが終わったあとに入れるような時間帯を指定して、その時間の整理券をすでに貰っておりました。
指定した時間の整理券を正門でお渡しして、入館料を支払って入場券も手に入れ、いざ張り切って入館!と、入り口に立っている検温器に、だいぶ老けが目立ってきたオノレのマヌケ面をかざしたところ・・・
「タイオン ガ イジョウ デス」
検温器が発したコトバを耳にして、入り口のところにおられた係の方が、ナンダナンダ?という感じで出てこられました。検温器が示す温度を見てみると・・・なんと38.2℃!!
いえいえ、これは断じてコロナごときのせいではございません。お昼ごはんのときに呑んだ生ビールと地酒が効いていて、それでいささかカラダがポカポカして、マヌケ面もほんのりと赤らんでいたのであります。・・・ありますが、まさかここまで高めの温度が出るほどにポカポカしていたとは・・・いやはや、ウカツなことでありました。
係の方にいちおう、事情は説明したのですが、ここはやはり念のためしばらく様子を見ていただいた上で、大丈夫なようであればまた再入場を・・・ということで、いったん入場料を返却された上で、およそ1時間後をメドに再度出直すということにいたしました。正直、いささか神経過敏すぎる対応という気もしないではありませんでしたが、やはり真っ昼間からお酒を呑んで、ほろ酔い気分でアート鑑賞しようというオノレの根性が間違っていたのでありましょう。
・・・とはいえ、実のところ過去2回の美術館訪問の前も、お昼ごはんかたがた一杯呑んで入ったりはしていたワケでして・・・。いやはや難儀なことよのう、とは思いましたが、とにかくここはいったん、アタマと体温を冷やして出直すことにいたしました。

(余談ではありますが、今回の倉敷旅行から帰ってきてすでに3週間以上が経っておりますが、わたし自身はもちろん、わたしの周囲の人たちも誰一人、コロナの陽性者などにはなってはいないということを、ここに報告させていただきます。・・・それにしても、「GW後にはコロナ感染者が激増するのでは」などと、当たりもしない「予測」を語っていた「専門家」諸氏と、それを格好のネタとしてタレ流していたマスコミって・・・)

ひとまず美味しいものでアタマと体温を冷やしたい、ということで、美観地区の入り口あたりに位置している「くらしき桃子 倉敷中央店」に立ち寄りました。

美観地区だけでも3店舗を構える、岡山産のフルーツを活かしたスイーツを提供、販売するお店。店先には、店内のイートインスペースで味わえるパフェなどを求めて、多くの方々が順番待ちの行列をつくっておりました。
ここのテイクアウトコーナーで、看板商品のひとつである「清水白桃ソフトクリーム」を買って賞味いたしました。フルーティでみずみずしい、白桃のコクのある甘さと香りが最高で、いい気分転換にもなりましたねえ。

美味しくアタマを冷やして気分転換をしたところで、しばし美観地区をそぞろ歩きいたしました。この日の美観地区もまた、多くの観光客が人の波をつくり、大いに賑わっておりました。いやはや、ほんとスゴいもんだねえ。

空を見れば前日同様、「晴れの国」岡山にふさわしい雲ひとつない快晴。降り注ぐ日の光で、少々汗ばむくらいの陽気となっていました。これだと体温も下がりにくかろう、と思い、倉敷川沿いに立ち並ぶ柳の木の下に腰かけて、しばしの間涼んだりしておりました。
その倉敷川に目をやると、長い行列待ちの末に乗船券を手にすることができた観光客を乗せた川舟が、まさにフル回転といった感じで川を往復しておりました。


倉敷川を挟んで大原美術館の真向かい、午前中に再訪した旧大原家住宅にも隣接した場所に、色鮮やかなお屋敷が立っています。かつて、大原孫三郎が別邸として昭和3(1928)年に建てた「有隣荘」であります。一見赤みがかって見える瓦が、見る角度が変わると緑色にも見えるというところから「緑御殿」とも呼ばれています。

普段は内部の公開は行われていないのですが、大原美術館による春と秋の特別公開のときだけ、内部の見学ができます(この2年は行われてはいないようですが)。わたしは、2年半前の倉敷訪問のときがちょうど特別公開の時期に重なり、中を見学することができました。純和風の建築でありながらも、部分的に中国風の意匠が取り入れられていたりする、なかなかユニークな建物でしたねえ。
純和風の風情があふれる街でありながら、その中に中国的な要素や洋風の要素をも取り込み、それらが違和感なく調和しているところが、倉敷という街の大きな魅力であるように思うのです。

1時間ほど美観地区をそぞろ歩きしているうちに、体温もだいぶ平常に復してきたようす。わたしは、二度目に指定された時間の整理券を手に、ふたたび大原美術館の門をくぐってあらためて入場料を払い、入場券を手にして美術館の入り口に立ちました。

入り口で再び検温器の前に立って体温を測定すると・・・36.6℃。しっかり正常な範囲まで下がっておりましたので、今度は無事に館内へ入れていただくことができました。ちょいとハプニングはありましたが、ようやくここへ入ることができてホッといたしました。
とはいえ、入り口の両側に鎮座しているロダンの彫刻2体が、こちらを見下ろしつつ、
「なんだ?酒に酔って入ろうとして追い返されたマヌケ野郎が懲りずにまた来たのか?いやはや、しょうもない奴だのう」
などと思っているかのように感じられて、なんだか妙にこっぱずかしかったのでありますが・・・。
ちなみにこの2体のブロンズ像、太平洋戦争中に兵器製造に使われる銅の不足を補うためとして、一時供出するよう命令を受けたのですが、最終的には奇跡的に供出を免れ、現在もこうして美術館の入り口を守るかのように鎮座しているのです。そんな歴史を知った上でこの2体を見ると、なんとも感慨深いものがあります。

大原孫三郎のバックアップのもと、欧州での作品収集に尽力し、美術館の基礎となるコレクションを築いた岡山出身の画家・児島虎次郎の作品『和服を着たベルギーの少女』に出迎えられて館内に入ると、入場制限がかけられてはいるとはいえ、けっこう多くの観覧客で賑わっておりました。
過去2回の倉敷旅行のときにも訪れている大原美術館。今回で3回目の鑑賞ではありますが、美術館の看板作品となっている、エル・グレコの『受胎告知』やモネの『睡蓮』を筆頭に、ピカソやミレー、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、マティス、シャガール、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治、岸田劉生、小出楢重・・・などといった、キラ星のごとき錚々たる画家たちの作品にじかに接することができるというのは、やはり何ものにも替えがたい特別な体験であります。

絢爛たるそれらの作品の中で、とりわけ強い感銘を与えてくれるのが、ベルギーの画家レオン・フレデリックの超大作『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』です。長い題名を持つこの作品は大きさも規格外で、縦1メートル61センチ、横11メートルにも及びます。展示場の建物も、この作品の大きさに合わせて設計されたといいます。
左のほうには、巻きあがる炎に灼かれ、死んでいく人びとの地獄絵図を描いた三連画。そして中心には鳩が舞い降りる場面が一枚描かれ、右のほうでは死んだ人びとが「神の愛」によって再生を果たす、美しく幸福感に満ちた三連画が続くという構成。製作に足掛け26年をかけたという、まさに畢生の大作であります。
わたしは別段宗教的な人間でもないのですが、死と再生の物語を大きな画面いっぱいに描きあげたこの作品の前に立つと、圧倒的な迫力とともに荘厳な感動が湧きあがってくるのを覚えます。この作品を見ることができるだけでも、何度でも大原美術館に足を運ぶ価値があるとわたしは思うのです。
イタリア出身の画家、ジョヴァンニ・セガンティーニの『アルプスの真昼』も、わたしの好きな作品です。アルプスの麓に広がる草原の中に立つ女性と羊たちを点描で描いた画面かた、日の光に満ちた真昼の空気感が伝わってきます。逆に、薄明かりに照らされたテーブルと、その向こうに見える運河の光景から、しっとりとした夕暮れの雰囲気が伝わるアンリ・ル・シダネルの『夕暮の小卓』も好きです。
抽象的な作品にも面白いものがあります。その中でも、二人の人物を人体模型のように描いたジョルジョ・デ・キリコの『ヘクトールとアンドロマケーの別れ』や、独特の姿をしたキャラクター(?)が愛嬌たっぷりなジョアン・ミロの『夜のなかの女たち』は、わたしのお気に入りであります。
日本の画家の作品で特に印象深いのは、熊谷守一の『陽の死んだ日』。幼くして死んだ次男の姿を、荒々しいタッチで描いた画面から、我が子を失った悲しみと、それを絵として残そうという画家の執念が伝わってくるようで、肅然とした気持ちになります。
「児島虎次郎とオリエント美術」という企画展示では、児島の代表作の数々が、オリエント芸術にも関心が深かったという児島が収集したオリエントの美術品とともに展示されていました。ここでは、まるで写真かと見紛うようなリアルな描写の初期作品から、鮮やかな色彩に満ちた作品へと変わっていく、児島の作風の変遷を見てとることができました。

本館を出て、フランスにあるモネの日本庭園から株分けされた睡蓮が浮かぶ「モネの睡蓮の池」の脇を通り、「工芸館」と「東洋館」へ。

「工芸館」は、陶芸家の濱田庄司やバーナード・リーチ、河井寛次郎など、柳宗悦らによる民藝運動に関わった作家たちや、棟方志功の「板画」作品を収蔵。「東洋館」は、東洋文化にも深い関心を持っていた児島虎次郎が、中国や朝鮮半島から収集した貴重な文物が多数展示されています。
ここでとりわけ印象に残るのが、大原總一郎の依頼によって製作された、棟方志功の連作板画作品『美尼羅牟頌板画柵』(びにろんしょうはんがさく)。ニーチェの『ツァラトストラ』の詩句に基づいた、4枚の板画からなる作品です。ビニロンの工業化を軌道に乗せるために苦闘していた總一郎が、この作品を支えにしていたということを知った上で鑑賞すると、なんとも感慨深いものがあります。また、はじめは実用的な陶芸作品を作り続けながらも、途中から実用性に囚われない自由な作風となっていく、河井寛次郎の作風の変化も面白いものがありました。
本来なら、「本館」「工芸館」「東洋館」に加えてもう1ヶ所「分館」もあるのですが、改修ということなのか休館中。そのため、ここに収蔵されている日本の現代作家たちのユニークな作品群を見ることができなかったのは、ちょっと残念でした。
それでも、2年半ぶりとなった大原美術館でのアート鑑賞は、充実した時間をもたらしてくれました。

アート鑑賞を終え、宿泊先のホテルに戻る前に、前日に続いて銭湯「えびす湯」へ。もうすっかり、お馴染みの場所となってしまいました。

番台の女性の方が、「きょうは昨日とは違ったお湯になってるので、どうぞごゆっくり」と声をかけてくださいました。浴槽には、薬草っぽい香りがした前日のお湯とはたしかに違った、混じりっけのないまっさらなお湯が満たされておりました。その中に手足をいっぱいに伸ばして浸かりながら、散策の疲れを癒しました。
カラダの芯まで温まり、脱衣所で服を着ていると、「貴重品ハ番台ヘ」という、カタカナ混じりの昔ながらの表記が目に留まりました。塗り薬の広告プレートのようです。こういうものがそのまま残っているというのも、なんだか嬉しいですねえ。
(下の画像は少々ピンボケで恐縮なのですが・・・)

やはりこういうところは、貴重な日本の庶民文化財として残っていってほしい・・・そう思ったわたしは、この日もまた気持ちばかりながらの寄付をさせていただきました。
そしてあらためて、前日書いた「自分の夢」を記したメモを貼り付けた壁を眺めました。
「毎日笑顔😊」
「今の彼女を幸せにする!」
「大分が首都になる」
微笑ましい「夢」がいろいろと記されている中で、思わず笑いを誘われるものを見つけました。

「世界1のチャラ男になる」・・・いいですねえ。どこのどなたかは存じませんけれど、ぜひとも実現するといいねえ。
久しぶりにここに来れてよかったです、ぜひまた来年寄りますね!そう番台の女性に伝えると、「ありがとうございます。ぜひまた来てくださいね」と返してくださいました。
これからも末永く「えびす湯」が多くの人に愛され、続いていくことを願いつつ、カラダもココロもポカポカになってホテルに戻ったのでありました・・・。

宿泊先の「倉敷ステーションホテル」に戻り、ひと息ついたあと、2日目の倉敷呑み歩きに出かけました。
前日も立ち寄った、えびす通り商店街のお薬屋さん「みどり薬局」に入り、ドリンク剤2本を購入。そのうちの1本を服用し、夕方の美観地区へ。そこは前日同様、もうすぐ5時になろうという時間帯にもかかわらず、観光客でいっぱいです。

このぶんだと、今宵の呑み屋さんもまた、人でいっぱいになりそうだなあ・・・お目当てのお店、なんとか入れるといいだけどなあ・・・。
少々焦る気持ちを抱きつつ、わたしはこの日のお目当てにしていた酒場へと急いだのでありました・・・。



                               (最終回へつづく)

【閑古堂のきまぐれ名画座】『夜と霧』 全体主義下の「悪」とは何なのかを、今もなお鋭く問いかけるドキュメンタリーの名作

2022-05-26 06:53:00 | ドキュメンタリーのお噂

『夜と霧』 NUIT ET BROUILLARD (1955年 フランス)
監督=アラン・レネ
製作=サミー・アルフォン、アナトール・ドーマン、フィリップ・リフシッツ
脚本=ジャン・ケロール 撮影=ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ
音楽=ハンス・アイスラー ナレーター=ミシェル・ブーケ
DVD発売元=アイ・ヴィー・シー(HDマスター版)


『二十四時間の情事』(1959年)や『去年マリエンバートで』(1960年)などで知られるフランスの名匠アラン・レネ監督が、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツによって行われたユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの実態に迫った、30分あまりのドキュメンタリー映画が、本作『夜と霧』です。
HDマスター版となった本作の冒頭には、本作のフィルムがフランス国立映画センター(CNC)の支援により、2015年にフィルムの修復が行われた、という説明が付け加えられています。そこでは、監督のアラン・レネが語っていたという、以下のことばが紹介されていて、ああたしかにそう思ってしまいがちだなあ・・・と思わず苦笑いたしました(以下は字幕より引用)。
「古い本は表紙がボロボロで ページがすり切れていても価値がある だがフィルムに関しては 劣化しているというだけで 恐ろしく評価が下がってしまう アラン・レネは そう嘆いていた」

映画は、ホロコーストの発端から終結までを記録したモノクロのフィルムや写真と、解放から10年経った強制収容所を撮影したカラーの映像とを交錯させる形で、ホロコーストの恐るべき実態を明るみにしていきます。
ナチスによって一斉に検挙され、貨物車に押し込められて移送された挙句、劣悪な環境のもとで強制労働に従事させられる人びと。「懲罰」と称して裸にされて整列させられたり、殴打される囚人たち。そしてガス室によって「生産的に処分」され、命を奪われた人びとの遺体の山・・・。
ホロコーストについては、これまでもさまざまなドキュメンタリーや書籍を通して、その実態についてはいくらかは知っているつもりでおりました。しかし、本作の記録映像によって突きつけられるホロコーストの衝撃的な実態には、あらためて戦慄を覚えずにはいられませんでした。
本作によって初めて知ったこともありました。収容所内には住宅や病院、監獄といった施設はもとより、交響楽団や動物園、さらには娼館まであって、ひとつの町のような機能を備えていたといいます。殺された人びとの遺体から石鹸を作ろうとしたことや、遺体を焼いたあとの骨を肥料に使ってみたといったおぞましい事実も、本作で初めて知りました。
意外だったのは、収容所が人里離れた場所ではなく、一般の人びとが住んでいる町に極めて近いところに存在していた、ということでした。おぞましい殺戮が繰り広げられていた場所と、「平穏」な市民生活とが、監視塔を境にして隣り合っていたということが、何よりも恐ろしいことのように思えました。

人類史の中でも特筆されるべき、恐ろしい戦争犯罪であるホロコースト。映画の最後では、その責任はどこにあるのかということや、本当の「悪」はなんなのかということについての鋭い問いかけがなされます。
ホロコーストという、人類史上最悪といえる戦争犯罪を暴き出しながらも、その首謀者であるアドルフ・ヒトラーを、本作はことさら前面に出すことをしていません(記録映像の中で、ほんの数秒程度映し出されているだけです)。そして映画の終盤で、ホロコーストの責任を問われたナチスの将校らが、一様にこのように言いながら、自らの責任を否定したことに触れるのです。

「命令に従っただけ」

ホロコーストの責任を問われて裁判にかけられた、ゲシュタポ(ナチの秘密警察)でユダヤ人の移送局長官にあったアドルフ・アイヒマンが、自分は命令と法に従って義務を果たしただけ、と言って無罪を主張したことが思い出されました。裁判を取材した政治哲学者のハンナ・アーレントは、そこに「悪の陳腐」さを見出し、特定の権力者や独裁者だけではなく、誰でもが「悪」をなし得るのだということを、著書『エルサレムのアイヒマン』(みすず書房)で指摘しています。
映画のラスト。打ち捨てられ、廃墟と化した収容所を映し出した映像に、このようなナレーションがかぶさります(以下もすべて字幕から引用)。
「戦争は終わっていない」「火葬場は廃墟に ナチは過去となる だが 900万の霊がさまよう」
そして、ナレーションが最後に突きつけてくることばが、胸に突き刺さってきました。

「ある国の ある時期における 特別な話と言い聞かせ 消えやらぬ悲鳴に 耳を貸さぬ我々がいる」

あまりにも残虐な行為や事実を見せつけられたとき、われわれはそれを「常軌を逸した異常な人間」や「強権的な独裁者」でなければできないことだ、と思いたがるところがあります。今のこの国に住む自分たちとは無縁の「特別な話」なのだ、と。
しかし、ひとたび全体主義的な雰囲気の中で、おかしな方向に世の中が進んでいくことにでもなれば、どこにでもいるような「普通」で「陳腐」な存在であるわれわれもまた、「悪」をなし得る存在となり得ることを忘れてはならないと思うのです(映画でも指摘していたように、収容所が「平穏」な市民生活の場と隣りあっていた・・・ということも象徴的でしょう)。そしてそれはかつてのナチスドイツでの話というだけではありませんし、戦争という事態だけに限られた話ではないのです。「命令と法、そして〝正義〟に従っているだけなのだ」などと自分を納得させながら、平然と「悪」をなす存在に、われわれ一人一人がなり得るのです。
そんな事態を招かないために、そして「消えやらぬ悲鳴」を過去のものとして忘れてしまわないためにも、折りに触れて繰り返し観ておくべき映画として、『夜と霧』は製作から70年近い現在においてもなお、大きな価値を持ち続けているように思いました。

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その3) 感慨深かった旧大原家住宅の再訪、そして美味しいお昼ごはん(と地酒)

2022-05-22 21:24:00 | 旅のお噂
(倉敷への旅のお噂、「その1」と「その2」はこちらであります↓)
倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その1) 久しぶりの美観地区は、圧倒的な人の波だった


どうやら前の晩は、やはりいささか飲みすぎてしまっていたようであります。
少しばかり前夜のお酒が残っていたため、倉敷2日目となる5月4日(水)のホテルでの目覚めはイマイチ重たいものとなってしまいました。呑み歩きの前にせっかく買っておいたドリンク剤の一本を、呑んだあとに服用するのを忘れたまま寝てしまったのが敗因のようで・・・。いやはや。
とはいえ、起きてしばらくぼーっとしているうちにだいぶ気分も持ち直してきましたので、ホテルの中にある朝食会場へ行き、和朝食セットをいただきました。

そこそこ品数があったので、全部食べ切れるかなあと思ったのですが、幸いにも残すことなく完食。ノドも乾いていたので、おかわり自由のドリンクコーナーから野菜ジュースやオレンジジュースをやたら何杯も飲んだりなんかして、係の方が思わず苦笑いしておられました。いやはや。ですがおかげさまで、2日目の倉敷散策のエネルギーをチャージすることができました。

朝食を終えて身じたくも済ませたあと、さっそく朝の倉敷散策に出かけました。倉敷はこの日も朝から快晴で、絶好の散歩日和でありました。
倉敷散策の醍醐味が味わえる時間帯といえば、まずは通りに漏れる灯りが美しい夜の時間帯、そしてもうひとつは朝早い時間帯であります。まだそれほど歩く人も多くないので、風情ある街並みや建物をじっくりと見て歩けるのが、いいんですよねえ。
倉敷に来てよかったなあ・・・そんな思いがしみじみと、気持ちに広がってくるのを感じます。




そんな倉敷風情を醸し出してくれる建物のひとつが「倉敷館」。大正6(1917)年に町役場として建てられたもので、現在は観光案内所および無料休憩所として活用されております。まさに大正浪漫といった感じの、縦長の窓が美しい素敵な建物なのですが・・・その入り口からズラリと並ぶ人の列が。

この方たち、どうやら倉敷川を川舟に乗って遊覧できる「川舟流し」の乗船券を、ここで買おうとお並びのようでありました。「倉敷館」のオープンは午前9時からなのですが、その1時間近く前から、こうしてお並びの皆さんがおられるというのが驚きでありました。その後、9時ごろに再びここを通りがかると、列はさらにさらに長〜いものとなっておりました。いやはや、スゴい人気だねえ。

大原美術館と並んで有名な倉敷のスポット、倉敷アイビースクエアへ足を向けました。
倉敷紡績所(現クラボウ)の工場として、明治21(1888)年に建設されたもので、現在は資料館やホテル、レストラン、陶芸工房などを擁する複合施設となっています。ツタ(アイビー)に覆われた、味わい深い赤煉瓦の建物は、近代化産業遺産にも指定されております。
まだ朝早い時間帯だったので、売店以外の施設はオープン前ではありましたが、それでも構内を散策したり、広々とした中庭で憩う観光客の方々がちらほらと。




散策を楽しんでいるうちに、いつしか時刻は午前9時。美観地区にもだいぶ、歩く人たちが増えて賑やかになってきました。
2日目のメインとなる大原美術館でのアート鑑賞の前に、それを設立、発展させた大原家の功績を再確認しておきたいと思い、美術館の向かいに立つ旧大原家住宅を見学いたしました。

寛政7(1795)年に建てられた大原家代々の当主が暮らした邸で、国指定の重要文化財にも指定されています。現在は「語らい座 大原本邸」として、大原家の足跡を伝える資料や所蔵品が展示されているほか、大原家の蔵書に囲まれたブックカフェも設けられております。最初の倉敷訪問以来、2回目の見学であります。
今回の倉敷旅行に先立ち、一冊の本を再読してまいりました。大原總一郎の辿った足跡を追った評伝『大原總一郎 へこたれない理想主義者』(井上太郎著、中公文庫)です。
(この本も素晴らしい一冊でしたので、あらためて機会を設けて詳しく紹介できたら・・・と思っております)

「わしの目は十年先が見える」と語ったという、父親の大原孫三郎譲りの先見性と志を持つ一方で、軽佻浮薄な世間に流されない、確固とした哲学とポリシーをも併せ持っていた總一郎の生き方考え方に、再読してより一層深い感銘と敬意を覚えたばかり。なので、2度目の見学とはいえ感慨はひとしおでありました。
入り口を入ってすぐの土間には、孫三郎や總一郎などの大原家の人びとが語ったことばが、天井から降り注ぐような形で掲示されています(ちなみに館内はすべて、撮影はOKであります)。

それらのことばの中で、ひときわ気持ちに響いたことばが、こちら。

「感情を出発点とした政策には賛同できない」
このことばには、ほんとその通り!!と強く頷きまくりでした。冷静でまっとうな現実認識やポリシーを欠いた感情論に基づいた「政策」が、いかに国と社会をおかしくするのか、いまの日本を見ればよくわかるというものではありませんか。
そばでご案内してくださった係の女性の方に、いやあこれはほんといいことばですねえ!と唸らされつつ申し上げると、果たせるかな「これは總一郎のことばなんですよ」というお答えが。いやはや、さすがは總一郎さん!確固とした見識でありますねえ。
總一郎さんってほんとに素晴らしい方ですよねえ、今の日本に總一郎さんのような人がいてくれたら、とつくづく思いますよホント・・・と一人で勝手に熱くなりながら、總一郎への賛辞を語りまくるわたしに、係の女性はニコニコ笑いつつ頷いてくださったのでありました。

まるで倉敷の町中の路地そのもののような、蔵が立ち並ぶ小道を進んだ先には、かつて孫三郎や總一郎も憩いと思索のひとときを過ごしたという「離れの間」があります。


畳敷きのお座敷から庭を見ると、そこは一面に5月らしい新緑。閑雅な趣とまばゆいばかりの新緑の美しさが溶け合った光景に、いやはやこれは絶景だのう・・・とため息をつきました。その一方で、この木々が赤く色づく秋の庭の光景もまた最高だろうなあ・・・という思いもいたしました。
そのときお座敷におられた見学客の皆さまも、畳に座り込んでこの絶景をじっくりと眺めつつ、それぞれ思い思いのひとときを過ごしておられました。中にはお抹茶とお菓子のセットを注文して、それを味わいつつ庭を眺める方も。
しばし「離れの間」で過ごしたあと、大原家の米蔵を改装して設けられたブックカフェへ。ここでは、約2000冊に及ぶ總一郎の蔵書に囲まれながら、コーヒーとケーキを味わうことができます。収められた書物は自由に取り出し、読むことができます。





書棚を見ていて唸らされるのは、収められた書物のジャンルの広さ。本業に関係する繊維化学や経済の書物はもちろんのこと、哲学や思想、宗教、文学、芸術、音楽、民芸、そして野鳥に関する書物・・・。経営者として、そして文化人としても傑出した存在であった大原總一郎の人物像は、こういった広くて深い知的蓄積によって形成されたんだなあ・・・ということを実感させられます。
書棚をひと通り眺め渡したあと、コーヒーと抹茶ケーキをいただきながら、しばし憩いのひとときを。


ここには總一郎自身の著書や、大原家に関する書物も収蔵されているのですが、その中に孫三郎の妻にして總一郎の母、そして歌人でもあった大原寿恵子の歌集がありました。
昭和初期に刊行されたそれを開いてみると、「宮崎」と題がついた歌が3首収められていました。いずれも、わが宮崎市を流れる大淀川の光景を詠んだものです。

  朝日かげさし輝けりひろらなる大淀川の水面(みのも)はるかに

  鶏のこゑ遠く聞こゆれあかときの大淀川のながれ静けし

  ひろらなる大淀川の川なみに静かにうかぶ鴨の群かも

岡山に孤児院を創設し、孤児たちの救済に尽力した宮崎県出身の石井十次は、孫三郎とも深い結びつきを持っていました(孫三郎が寿恵子と結婚したときの媒酌人もつとめています)。その縁で宮崎を訪れたときに詠んだ歌だったのでしょうか。いずれにせよ、ふだん見慣れた地元の大淀川の昔を偲ばせる歌を、ここ倉敷の地で目にすることができて、なんとも感慨深いものがございました。

2度目の訪問とはいえ、より一層感慨深いものとなった旧大原家住宅の見学を終え、ふたたび本町通りへやってまいりました。
この界隈に、なんだか気になる施設が新しくできたことを知り、立ち寄ってみることにいたしました。阿智神社へと登る石段の下にある「浮世絵倉敷/国芳」というギャラリーであります。

大胆な構図と躍動感のある描写、そしてけばけばしいまでの色彩感覚を持った作品群を生み出し、今もなお多くの人びとを惹きつける異能の浮世絵師・歌川国芳。その作品を100点あまり集めて展示した「世界初」の国芳ミュージアムという触れ込みの施設です。
国芳の作品のほかにも、月岡芳年や歌川芳虎、歌川芳艶、河鍋暁斎といった国芳門下の画家たちも展示されています。かつては旅館だったという建物を改装したこのミュージアム、受付におられたスタッフの女性に伺うと、昨年の3月に開館したばかりだとか。
水滸伝や宮本武蔵、牛若丸(源義経)と弁慶、忠臣蔵などを題材とした作品群は、まるで画面からはみ出さんばかりの躍動感とダイナミズムがあって圧巻でした。とりわけ、妖術によって現れた巨大な骸骨を描いた代表作『相馬の古内裏』における、きわめてリアルで正確な人体骨格の表現には、鬼気迫るものがありました。
その一方で、動物や妖怪たちの表現に見られるユーモラスな味わいも、また魅力的でした。源頼光の土蜘蛛退治のエピソードを借りて、老中・水野忠邦による「天保の改革」を風刺したといわれる『源頼光公館土蜘作妖怪図』では、戯画化された時の権力者たちのバックに描かれた妖怪たち(「改革」によって苦しめられた人びとを象徴したものだとか)のコミカルな表現に、思わず笑いを誘われました。いやはや国芳という人、なかなかの反骨精神の持ち主でもあったようですねえ。
これまで断片的にしか接したことのなかった国芳の作品をまとめて楽しむことができ、貴重な機会となりました。国芳という絵師について、もっと詳しく知りたくなってまいりました。

国芳ミュージアムを出ると、時刻はそろそろお昼どき。美観地区界隈の食事処は早くも、観光客で混み始めていて、中には店前に行列ができているところも。
どうやら美観地区界隈での昼食は難しそうだなあ・・・ということで、倉敷駅前の通りにある「郷土料理 浜吉」に入りました。

11時半の開店と同時に入店したのですが、ここもたちまち多くのお客さんで席が埋まっていきました。なんとかカウンターの隅に落ち着くことができて、一安心でありました。

一安心したところでさっそく生ビールでひと息。そして、このお店の看板料理のひとつである「ままかり定食」を賞味いたしました。「ままかり」とはニシン科の小魚で、名前の由来は「まま」(ごはん)を借りたくなるほどの美味しさ、というところから。




小鉢を筆頭に、刺身やにぎり寿司、酢漬け、さらには炊き合わせにじゃこ飯、お吸い物と盛りだくさんの定食。ままかりの旬となるのは秋ということもあって、刺身やにぎり寿司にはままかり以外のお魚も使われてはおりましたが、それはそれで美味しくいただきました。上品ながらもしっかりと味が染みた、野菜とひじきの炊き合わせがまた、しみじみと旨かったですねえ。
こうなると、真っ昼間から地酒が呑みたくなるというもの。ということで、倉敷お気に入りの銘柄である「多賀治 純米大吟醸朝日」を注文いたしました。
フルーティな酸味の中から、お米の旨味がしっかりと感じられる呑み口に、いやはや美味しいもんだねえ、と幸せ気分になりました。・・・って、なんだかやたら「いやはや」が多い日ではございますが。暑くなってくるこれからの時期に呑むのにもピッタリ、という感じがいたしますねえ。
定食の最後にデザートとして出てきたのは、トマトのコンポート。その甘酸っぱさで、おいしいひとときをスッキリと締めてくれたのでありました。


美味しい料理とともに、真っ昼間から倉敷の地酒にほろ酔い加減となったわたし。ですが、よもやこれがそのあとに恥ずかしい失敗のタネになろうとは、この時は知るよしもなかったのでありました・・・。

                             (「その4」につづく)

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その2) 味わい深い古本屋と銭湯、そして倉敷呑み歩き第1ラウンド

2022-05-15 23:08:00 | 旅のお噂
(倉敷への旅のお噂、「その1」はこちらであります↓)

2年ぶりとなる倉敷の旅。かつての街道らしさを残す、本町通りの散策が続いております。
この本町通りに来たらぜひ寄ってみたいのが、「蟲(むし)文庫」という古本屋さんであります。今回も人の波をかき分けつつ、2年半ぶりに立ち寄ってみました。


全国の本好きにもその存在が知られている、明治中期に建てられたという町屋建築も味わい深いお店です。店主である田中美穂さんは、コケ(苔)についての研究家でもあり、その方面の著作もいろいろとお出しになっておられます。
店内に入れば、さほど広いともいえないスペースに文学・芸術・思想・哲学・自然科学を中心とした古本に加え、田中さんがセレクトした通好みの新刊書や同人誌、CD、グッズなどがぎっしり。端から見ていくと、欲しいもの気になるものがいろいろと目に入ってきます。
映画に関する本が並んでいる棚に、かつて勁文社から出されていた『全怪獣怪人』上・下セットを見つけたときには、買って帰ろうかどうかちょいと悩みました。とはいえ、手持ちの予算と帰りの荷物との兼ね合いもありましたので、購入するものを絞らなければなりませんでした。
あれこれ考えた末に、以下の3冊を購入いたしました。愛読している寺田寅彦と中谷宇吉郎の随筆3篇を、京都の古書店主でエッセイストでもある山本善行さんが選んでまとめた『どんぐり』(灯光舎)と、田中さんご自身の著書である『ときめくコケ図鑑』(山と溪谷社)、そしてオーライタローさんやミロコマチコさん、加藤休ミさんなどの画家の皆さんの同人誌である『画家のノート 四月と十月』の第45号。・・・って、いずれも古本ではないのですが(笑)。でもいずれも、この「蟲文庫」で買うことに意味がある、と考えて購入いたしました。

帳場でお会計をしているとき、いやあ2年半ぶりにようやく来られましたよ〜、などとわたしが言うと、田中さんは「いろいろありましたからねえ・・・」とおっしゃいました。そして、「骨折したのでいろいろとままならないところがありまして・・・」とお続けになりました。しばらく前に骨折なさっていたことは、田中さんご自身のTwitterで存じておりました。気がかりではあったのですが、まだ松葉杖は離せないもののだいぶ良くはなってきているとのことで、ちょっと安心しつつ「ぜひまた来ます」と申し上げてお店を後にいたしました。
店内を見て回っているとき、ほかのお客さんが「ここにいると本が読みたくなってくるね〜」とおっしゃっているのが耳に入りました。「蟲文庫」というお店が持つ魅力を、実に的確に言い表している言葉だなあ・・・と思ったのでありました。

初日の倉敷散策も一区切りつき、宿泊の予約を入れているホテルにチェックインする前にもう1ヶ所、ぜひとも寄っておきたいところがありました。倉敷駅からほど近いところにある銭湯「えびす湯」です。
外見からして、古き良き銭湯の雰囲気を色濃く残している「えびす湯」。2年半前の倉敷旅のときにその存在を知り、倉敷にはこういう味わい深い銭湯まであるとは!と大感激した場所なのであります。
中に入ると、番台には2年半前にも見かけた記憶がある女性の方が座っておられました。どうやらこちらのことはご記憶にはなかったようでしたが、ヨソからノコノコとやってきたわたしを愛想よく迎えて下さりながら、「きょうは普段とは違うお湯にしてますから、どうぞゆっくりなさってくださいね〜」とおっしゃってくださいました。
「えびす湯」は外見もさることながら、脱衣場もまた昔のままの雰囲気。木製の脱衣箱には、黒々とした筆文字で書かれた漢数字。なかでも「一」は、難しいほうの「壹」が書かれているのが感激であります。

脱衣場で着ているモノを脱いでいると、入浴室の入り口のところに入浴客に向けての「お願い」が貼り出されているのに気づきました。
そこには、コロナ騒ぎによって入浴客が減少していることに加え、老朽化した浴槽などの修繕のためにお金がかかることもあって、一時は閉鎖することも考えたものの、やはりなんとかして続けていきたいので、よろしければご寄付などでご協力いただけたら・・・という趣旨のことが記されていました。そのことを報じた地元紙の記事の切り抜きも、貼り紙の横に添えられておりました。
ああ、ここもいろいろと苦労なさってるんだなあ・・・複雑な思いとともに浴室に入ると、地元の方と思しき先客がお一人。カラダを洗ってお湯に浸かると、かすかに薬草っぽい香りがしてきました。広々とした浴槽で手足を伸ばしながらお湯に浸かるのは、まことに気分のいいものでありました。トイレと一緒になったホテルのユニットバスでは、こういう気分は味わえませんよ。
お湯から上がったあと、番台の女性に礼を申し上げつつ、いろいろと大変なんですねえ・・・ほんの気持ち程度で恐縮なのですが・・・と、ささやかながら募金をさせていただきました。番台の女性はお礼とともにそれをお受け取りになりながら、「近々クラウドファンディングを始めようと思ってますので、よろしければそちらも・・・」とおっしゃいました。昔ながらの銭湯を、今ならではのクラウドファンディングで残そうという挑戦、いいですねえ。ぜひ協力させていただきたいですよ。
「募金してくださった方には、お名前と将来の夢を書いていただいてるんですよ。よろしければどうぞ」と、番台の女性はペンと紙をお渡しになりました。わたしはそれにこう記しました。
「いつの日か倉敷に住みたい!」
いや、これはお世辞でもお愛想でもございません。半ば本気で、こう考えているのでありますよ。
書いた紙を壁に貼ろうとすると、そこにはすでにたくさんの紙片で埋まっておりました。この「えびす湯」がいかに多くの人たちから愛されているかを、雄弁に物語っているように思えたのでありました。

ひとっ風呂浴びたあと、予約していたホテルにチェックインいたしました。倉敷駅からも至近距離にある「倉敷ステーションホテル」。今回はここに連泊いたします。
チェックインを済ませ、割り当てられた部屋でひと息つくと、もう夕方となる頃合い。さあさあ、倉敷呑み歩きの第1ラウンドの開始であります!
ホテルを出ると、まずは近くにある「えびす通商店街」へ。どこか懐かしい雰囲気で、きっと倉敷の皆さんの生活に密着した存在なのであろう、と思わせるアーケード街であります。

まずは、この商店街の中にある薬屋さん「みどり薬局」で、呑む前と呑んだ後に服用するためのドリンク剤を2本買いました。このお店の方も気さくで親切な方で、「呑む前と後にこういうのを飲むのは良いということは、ちゃーんと証明されてますからねえ」などと、心強くなるようなことをおっしゃいました。
買ったドリンク剤のうちの1本を飲んで、再び美観地区の方へ。そろそろ夕方の5時になろうという時間帯にもかかわらず、まだまだ数多くの観光客が散歩を楽しんでいて驚きました。いやはやすごいもんだねえ。


このぶんだと、お目当ての居酒屋も人でいっぱいかもしれんなあ・・・と思いつつ、最初のお目当てであったお店に入ってみると・・・果たせるかな、そのお店はすでに予約でいっぱいとのことで入れませんでした。ああ・・・やっぱり。
それなら仕方がないなということで、もう一軒お目当てだった居酒屋を目指しました。本町通りにある「民芸茶屋 新粋」で、大正6年に料理旅館として創業し、その後居酒屋になったというお店です。外観からも、その当時の風情が伝わってまいります。過去2回の倉敷訪問でも立ち寄った、わたしのお気に入りの酒場のひとつであります。

とはいえ、こちらも倉敷内外の人たちから高い人気を得ているお店です。もしかしたらここも入れないかもなあ・・・と、なかばダメもとで入ってみると、ラッキーなことにカウンターに入れていただくことができました。よかったよかった。
こみ上げてくる嬉しさとヨロコビに包まれながら、まずは生ビールをぐびり。冷たさとともにカラダに沁み渡る苦味と旨味が、倉敷散歩の疲れをほぐし、癒してくれました。

さて何を食べようかなあ・・・とあれこれ迷った末、季節の刺身盛り合わせと、このお店の看板メニューでもある、しょうゆを使わない「倉敷風おでん」を3品注文いたしました。


いずれも美味しいだけではなく、盛り付けが実におしゃれな感じで目も楽しませてくれます。純日本風の外観としつらえでありながら、店内に流れるBGMはクラシックのピアノ曲という、このお店が持つハイカラな感覚が、料理の盛り付けにも活きているように思われました。
わたしが入ったときにはまだ空席があったものの、いつしか店内はお客さんでいっぱいになり、入ろうとしても入れない人たちも。ああなんだか申し訳ないなあ・・・申し訳ないけどありがたいなあ・・・ここはひとつ、奮発していいものを注文しないとなあ・・・。そう思いつつ、このお店のオリジナルラベルである純米大吟醸「吟粋」を注文いたしました。

鼻をくすぐるいい香りとキリッとした呑み口の中から、米の旨味がじわじわと立ち上がってくる「吟粋」。その美味しさは、倉敷の地で吞めることの喜びを最大限に高めてくれました。
最高にいい気分となったわたしはもう一品、穴子の白焼きを注文いたしました。淡白ながらも旨味を感じるこちらもまた、「吟粋」の良き引き立て役となってくれました。

至福のひとときを堪能させていただき、お勘定を済ませて出ようとすると、それまで黙々と調理に打ち込んでおられたご主人と思しき方が、「どうも、ずーっとバタバタしてましてすみません・・・」とおっしゃってくださいました。いえいえ、こちらこそ気ままな一人客だったにもかかわらず、美味しいお酒と料理でいい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。
お店を出ると、薄暗くなりかけた中で店先に灯った提灯が、またいい雰囲気だったのでありました。


「新粋」をあとにしたわたしはしばし、日が沈んで夜へと移っていく本町通り、そして美観地区を散策いたしました。多くの観光客が行き交う昼間の喧騒から一転、ライトアップされた風景や町屋から漏れる灯りが、倉敷旅情を掻き立ててやみません。
(実のところ、これらの画像よりも実際に目で見る光景の方が何十倍、いや何百倍も風情があって美しいのです)




しばし夜歩きを楽しんだあと、美観地区の一角にある「Salon de Ric’s(サロン・ド・リックス)」というバーに寄りました。

倉敷川沿いの通りから、ちょっと奥まったところにある隠れ家的雰囲気のバー。築100年という古民家の蔵を改装して、2014年にオープンしたわりと新しいお店です。実はここも2年半前にはじめて立ち寄り、たちまちお気に入りとなった一軒なのであります。
とはいえ、久しぶりの訪問ということもあって、少々緊張気味に扉を開けて中に入ると、2年半前にもいらっしゃったマスター氏と、この日が初めての出勤だというヘルプの若い女性スタッフさんが、愛想よく出迎えてくださいました。マスター氏はどうやら、わたしのことを憶えていてくださっていたようでした。
このお店の一番の売りとなっているのが、季節のフルーツを使ったオリジナルのカクテル。ということでまずは、「5月のおすすめカクテル」の中にあった「びわとオレンジのフローズン・ダイキリ」を注文いたしました。フルーティな甘さとしゃりしゃりしたシャーベット感が心地よく、お口直しにはうってつけの一杯でした。

2杯目に注文したのはモヒート。ミントの爽快さが、新緑の時期である5月はじめの気分を盛り上げてくれます。

店内を見回すと、カウンターには地元のご常連と思しき方が数人。奥のテーブル席には、おそらく観光で来られたと思われるグループの皆さんが、楽しそうに飲みながら歓談に興じておられました。
カウンターでグラスを傾けているうち、お隣で飲んでおられた地元のご常連さんが話しかけてこられて、そのまま親しくお話することができました。近くでインテリアのお仕事をなさっておられる男性の方で、倉敷駅の近くにあったこのお店の本店(残念ながら、その後閉店してしまったとのこと)の内装を手がけたことが機縁となり、このお店の元となった蔵をバーとして活かすよう勧めた上で、その内装も手がけたんですよ・・・という趣旨の話をなさいました。なんと、このお店のいわば「生みの親」ともいえる方と巡り会えるとは!
ひとしきりお話したあと、その方は一足先にお店を出られたのですが、去り際にご自身がキープしておられるウイスキーを一杯、わたしに進呈してくださいました。ありがたかったですねえ。
そう、このお店がいいなあと思えるのは、こうやって地元のご常連の方々と、お酒を介して交流できるところなのです。地元にお住まいの方々とのお話は、ガイドブックなどでは知ることができない、倉敷の素顔を垣間見ることができる貴重な機会となるのですから。そもそも、地元の皆さんから愛されているお店ということ自体、立ち寄るだけの価値があると思うのです。

気がつけば、すでに3時間近くが経っておりました。居心地が良かったのをいいことに、ずいぶん長っ尻をいたしました。
お勘定を払って外に出ると、夜もすっかり更け、人影もまばらとなった美観地区の一日が、静かに終わろうとしていたのでありました・・・。


                             (「その3」へ続く)

ウルトラマンと人間との相互理解を、エキサイティングかつ感動的に描いた『シン・ウルトラマン』

2022-05-15 20:35:00 | 映画のお噂


『シン・ウルトラマン』(2022年 日本)
監督=樋口真嗣 
総監修・脚本=庵野秀明 准監督=尾上克郎
製作代表=山本英俊 製作=塚越隆行・市川南・庵野秀明
撮影=市川修・鈴木啓造 音楽=宮内國郎・鷺巣詩郎
出演=斎藤工・長澤まさみ・有岡大貴・早見あかり・山本耕史・田中哲司・西島秀俊
(5月15日、アミュプラザ宮崎・ワンダーアティックシネマにて鑑賞)


日本の各地に出現し、社会に甚大な被害と脅威をもたらす存在となった巨大不明生物=禍威獣(カイジュウ)。その対策にあたるべく、5名の専門家によって組織された「禍威獣特設対策室」、通称「禍特対」(カトクタイ)の一員である神永新二は、電気を吸収して自らを透明化する禍威獣・ネロンガの襲来から逃げ遅れた少年を身を挺して守る。すると、突如飛来してきた赤い球から、銀色の巨人が姿を現した・・・!

あの大ヒット作『シン・ゴジラ』(2016年)を手がけた、樋口真嗣監督と庵野秀明さんが再びタッグを組んで創り上げた『シン・ウルトラマン』。コロナ騒ぎによって公開が伸び伸びとなっておりましたが、ようやくおととい(5月13日)から公開の運びとなりました。公開後最初の日曜日となる本日(5月15日)、ワクワクしつつ観に行ってまいりました。
待たされた甲斐はあったといえましょう。いやあもう実に面白かったのなんの!!
オリジナルの初代『ウルトラマン』(1966〜67年)から選ばれた5つのエピソードをベースにしながらも、それらを現在の視点や社会状況から再構築して、リアルで見応えのある映画にまとめ上げた樋口監督や庵野さんには、ただただ拍手喝采したい思いであります。

スタッフ陣はもちろんのこと、キャスト陣も好演でした。
ウルトラマンに憑依される主人公・神永を演じた斎藤工さんや、その「バディ」的存在である浅見を演じた長澤まさみさん、天才的な物理学者にしてオタクでもある滝を演じた有岡大貴さん、明るく前向きな生物学者・船縁を演じた早見あかりさん、そして凛々しさと人間味を併せ持ったリーダー・田村を演じた西島秀俊さん・・・それら「禍特対」のメンバー5人は、とても個性豊かで魅力的。彼ら彼女らに導かれることで、物語にスッと入っていけました。
キャスト陣ではほかに、地球侵略を目論む外星人「メフィラス」の人間体を演じた山本耕史さんも良かったですねえ。腹に一物も二物もありそうな風でありながらも、紳士的でどこか憎めない感じがする絶妙な芝居で(神永=ウルトラマンを懐柔しようとするくだりは傑作でした)、実に上手いなあと思いました。

登場するウルトラマンや「禍威獣」の表現のほとんどはCGでしたが、着ぐるみを使った特撮では不可能なダイナミックな動きが盛りこまれていたりして、総じて良くできていたように思いました。
最新の技術が駆使される一方で、オリジナルでウルトラマンのスーツアクターを演じた古谷敏さんの動きをモーション・キャプチャーで取り込んでCGのウルトラマンの動きに活かしたり、光学作画の第一人者である飯塚定雄さん(オリジナルの『ウルトラマン』でもスペシウム光線などを作画したほか、東宝特撮映画の光学作画でも活躍された特撮界のレジェンドです)が描いた手描きのスペシウム光線をデジタルで取り込んだり・・・と、過去の技を現代の技術に活かす工夫もなされているあたりが、アナログ特撮を愛する人間としては嬉しいところでありました。
過去のシリーズを観ている人間が、思わずニヤリとしてしまうような小ネタ(立て続けに出現したパゴスとネロンガ、そしてガボラの類似点に言及するくだりなど)が散りばめられているところも、まことに楽しかったですねえ。

SF特撮映画としてはもちろん、異質な存在同士の相互理解の物語という側面にも、惹かれるものがありました。
わりと早いうちから、ウルトラマンと人間が親密な関係となるオリジナルのシリーズとは対照的に、本作におけるウルトラマンと人間との関係性には一定の距離感が存在します。人間の側は、ウルトラマンが自分たちにとって「味方」なのか「敵」なのかを見極められずにおりますし(そのくせ、自分たちに有利となるように利用しようとしたりもするのですが)、ウルトラマンのほうも人間たちを守りながら、その人間たちをどこか冷めた視点で捉えていたりします。
それが、「禍特対」の個性豊かな面々との関わりの中で徐々に変化していき、最後に現れた強大な敵に、ウルトラマンと人間たちが知恵と力を合わせて立ち向かおうとする終盤の展開は、なかなかエキサイティングかつ感動的でありました。
異なる存在といかに共存すべきなのかという問題は、目下の日本、そして世界にとっても大きなテーマとなっています。そのことを思うと、本作に込められたメッセージがじんわりと、心に響いてまいります。
(ちなみに、最後に現れる「強大な敵」が、オリジナルとはまったく違った設定のもとで出現したのには、「おお、そうきたか〜」と唸らされました)
まあ欲を言えば、もう少し掘り下げてほしかった部分もないわけではありませんでしたが、わたしとしては大いに満足できる作品でありました。

『シン・ゴジラ』同様、深読みしようと思えばいくらでもできそうな作品ではありますが、それはアタマが良くて知識も豊富な評論家や「知識人」にでもお任せするといたしましょう。わたしとしては、一本の映画として面白かっただけで十分であります。

鑑賞後は映画の余韻に浸りつつ、映画館のあるアミュプラザ宮崎の近くにある居酒屋さんで昼食かたがた、久しぶりの昼呑みを楽しんだのでありました。揚げたてアツアツの唐揚げが美味かったねえ。