読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

11月刊行予定新書新刊、個人的注目本10冊

2013-10-31 22:42:34 | 本のお噂
11月に刊行される予定の新書新刊から、例によってわたくし個人が興味を惹かれた書目を10冊ピックアップいたしました。
あくまでもわたくし個人の興味関心からピックアップした一覧ゆえ、それほど見られはしないだろうなあ、と思いつつ毎月地味に続けているこのコーナーですが、意外にも過去の分を含めてちょこちょこ見られているようで、恐縮至極であります。今回も、何かひっかかるような書目があれば幸いに存じます。
刊行データや内容紹介のソースは、書店向けに取次会社が発行している情報誌『日販速報』の10月28日号、11月4日号とその付録である11月刊行の新書新刊ラインナップ一覧です。発売日は首都圏基準ですので、地方では1~2日程度のタイムラグがあります。また、書名や発売予定は変更になることもあります。
なお、10月発売予定ということでご案内した、『ボブ・ディラン ロックの精霊』(湯浅学著、岩波新書)は、11月20日の発売にずれ込んだようですので、あらためてご案内しておきたいと思います。


『缶詰に愛をこめて』 (小泉武夫著、朝日新書、13日発売)
わたくしが尊敬してやまない方である「発酵仮面」「食の冒険家」こと小泉武夫さんが、「イワシのしょうゆ煮缶、サンマかば焼き缶、カレー缶、サバの水煮缶、クジラの須の子缶など」の缶詰遍歴と缶詰レシピを綴った本、ということで、無条件で何がなんでも買っておきたい一冊であります。楽しみです。

『お菓子でたどるフランス史』 (池上俊一著、岩波ジュニア新書、20日発売)
「フランスの武器はお菓子だ。ジャンヌ・ダルクやアントワネット、ナポレオンの愛したお菓子とは」と。こういう、特定の一つのモノ(特に食べもの)に着目してたどっていく歴史本というのに興味を持つタチなもので、ついついピックアップ。

『記憶のしくみ』(上) (エリック・カンデル、ラリー・スクワイア著、講談社ブルーバックス、20日発売)
11月のブルーバックスからはこちらをピックアップ。「記憶には短期記憶と長期記憶がある。脳の中でどのように振り分けられるのか。神経細胞に作用して記憶を操る分子のしくみを解き明かす」と。まだまだ不思議でわからないことの多い記憶について、じっくり知ることができそうなので期待したいと思います。

『談志の十八番(仮)』 (広瀬和生著、光文社新書、15日発売)
「今や落語評論で他の追随を許さない『聴き巧者』による『立川談志のあるき方』を、三回忌にあわせて刊行」。•••ああ、もう三回忌になるんだなあ、と、内容紹介にしんみりしつつピックアップいたしました。

『成長から成熟へ さよなら経済大国』 (天野祐吉著、集英社新書、15日発売)
せんだってお亡くなりになった天野祐吉さんの遺著。「戦後、人々の暮らしに貢献した広告はいまやグローバリズムのしもべとなり、人間を衝動的な消費者に変える片棒を担いでいる」との内容紹介。天野さんは、果たしていかなるラストメッセージを遺したのでしょうか•••。

『1995年』 (速水健朗著、ちくま新書、5日発売)
「1995年に、何が終わり、何が始まったのか。大震災とオウム事件の起きた『時代の転機』を読み解き、その全貌を描く衝撃の現代史」と。いろいろなことが、音を立てながら変貌していったあの1年を、速水さんはどのように描き出し総括するのか。注目したい一冊です。

『若者を見殺しにする日本経済』 (原田泰著、ちくま新書、5日発売)
ちくま新書からもう一冊を。「社会保障ばかり充実させ、若者を犠牲にしている日本経済に未来はない。失敗しても取り返せる活力ある社会に向かうための経済改革論」とのこと。わたくしも、若い世代の経済状況などそっちのけで、持続可能性があるとも思えない今の社会保障制度に固執するあり方には大いに疑問があるゆえ、この内容紹介にビビッときた次第。気になります。

『教員採用のカラクリ 「高人気」職のドタバタ受験事情』 (石渡嶺司・新井立夫著、中公新書ラクレ、上旬)
「『ガラスの仮面』級の演技力がないと面接は受からない。教員採用試験の裏側を赤裸々にレポート」とか。ガラスの仮面級の演技力、なるものがどういうものなのかはよくわからないのですが(笑)、ちょっと気になりますねえ。

『人体特許(仮)』 (五十嵐享平著、PHPサイエンス・ワールド新書、18日発売)
「各種のがんや生活習慣病、性格や嗜好の遺伝子が、いま世界で『特許の食い物』に。遺伝子ビジネスをめぐる最前線の動きを追う」と。遺伝子がビジネスになる時代の一側面に着目した内容のようで、これもまた気になるものがあります。

『伝説の昭和歌謡黄金時代』 (五木ひろし著、ベスト新書、15日発売)
「いまや歌謡界の第一人者である五木ひろしが、輝ける昭和のあの時代の、歌や人びと、世相を語り尽くす、五木版・国民の歌謡史」ですと!現役の歌い手である五木さんの言葉で語られる歌謡史というのは興味津々であります。五木さんだからこそ語れるような裏話なども読めればいいなあ、と思います。

その他に気になる書目は以下の通りであります。
『医学的根拠とは何か』 (津田敏秀著、岩波新書、20日発売)
『データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方』 (渡邉英徳著、講談社現代新書、14日発売)
『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える1000冊』 (佐高信・佐藤優著、集英社新書、15日発売)
『EU崩壊』 (木村正人著、新潮新書、16日発売)
『史論の復権』 (與那覇潤対論集、新潮新書、16日発売)
『世界農業遺産 注目される日本の里地里山』 (武内和彦著、祥伝社新書、2日発売)
『質量とヒッグス粒子』 (広瀬立成著、サイエンス・アイ新書、6日発売)
『統計データが語る 日本人の大きな誤解』 (本川裕著、日経プレミアシリーズ、12日発売)
『元素のはじまり(仮)』 (櫻井博儀著、PHPサイエンス・ワールド新書、18日発売)

最後にオマケを。読みたいかどうかは別として(笑)、まずはタイトルが妙に気になった一冊を。
『長生きしたけりゃデブがいい』 (新見正則著、SB新書、15日発売)
なんか、痩せなきゃ痩せなきゃという努力ともがきを破壊するかのようなタイトル(笑)。ひとまず、太り気味の方々には福音となるのでしょうか。
そして、著者名が妙に気になった一冊が、こちら。
『ウルトラマンが愛した日本』ウルトラマンタロウ著、宝島社新書、20日発売)
著者がウルトラマンタロウとはこれいかに(笑)。数あるウルトラ戦士たちの中でなぜにタロウが書くのか。やはり、ここはウルトラの父と母の実子でなければいかんな、ということでの抜擢なのか(笑)。

NHKスペシャル『病の起源』第4集「心臓病 ~高性能ポンプの落とし穴~」

2013-10-27 23:33:14 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第4集「心臓病 ~高性能ポンプの落とし穴~」
初回放送=10月27日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史 、ナビゲーター=谷村新司、語り=伊東敏恵


人類を苦しめ続ける病に進化の視点から迫っていくシリーズ『病の起源』。第2シリーズの最後に取り上げられたのは、世界における死因が第1位という病、心臓病です。

80億個もの筋肉細胞により成り立つ、分厚い筋肉に包まれているヒトの心臓。その力強い筋肉の働きにより、心臓は一日に10万回も休むことなく拍動し、全身に血液を送り続けることができるのです。
3億年前に誕生した爬虫類の心臓は、空隙の多いスポンジ状の筋肉でできています。そのため大きな力が出せず、活発に動くことができません。
一方、2億2000万年前に誕生した哺乳類。まだ小さくか弱い存在だった当時の哺乳類は、心臓の筋肉を密度の高い強靭なものに進化させていきました。それにより獲得した高い運動能力で天敵から身を守り、やがて地上の王者として繁栄していくことになりました。
その反面、高度になった心臓には弱点もありました。少しの血管の詰まりが組織の壊死を引き起こし、時に致命的なダメージをもたらすようになったのです。

700万年前、2本の足で立ち上がり、直立歩行できるようになった人類の祖先。そのことによって両手は自由になり、食料を集めやすくなり、道具を使えるようにもなりました。
しかし、重力の影響により血液は下半身に溜まりやすくなり、血液を全身に循環させるために心臓には大きな負担がかかるようになってしまいました。
立ち上がったとき、心拍数が上がることに加えて、全身の血管をコントロールする交感神経が働きます。それにより血管が細く締まり、上半身へと血液が押し上げられます。
その細く締まった状態の血管に血液を行き渡らせるために、心臓はさらに大きな力を必要とするようになりました。結果、心臓の筋肉は疲弊し、そのことが心臓病のリスクを高めることにもなってしまったのです。

コレステロールにより血管が詰まり、心臓の筋肉が壊死する心筋梗塞。これは、ヒトが特になりやすい病気だといいます。ゴリラなどの類人猿の血中コレステロール値はヒトよりずっと高いのですが、それでも血管にはコレステロールは溜まらず、心筋梗塞も見られないとか。
血管の詰まりを引き起こすとされているのが「Gc」という物質。これが心臓の血管に炎症を起こし、その個所からコレステロールが溜まっていき、血管の詰まりを引き起こすといいます。
このGc、もともと他の哺乳類には存在していましたが、人類は270万年前に失って以降、長らくGcとは無縁でした。神経細胞の形成を抑制するGcがなくなったことで、人類は脳を巨大化させ、高度な文明を築き上げることができました。
やがて、食料生産の革命によって安定した食料を得ることができた人類は、Gcを含んだ動物の肉も大量に食べるようになりました。そのため、一度は失ったGcを再び体内に取り込み、それを異物として認識した免疫機能により血管に炎症が起こり、心筋梗塞の発症が増えていくことになるという、皮肉な結果をもたらしたのです。

栄養の摂り過ぎが心臓病のリスクを高める反面、逆に栄養が不足することで心臓病のリスクを高めることになってしまうのが、妊婦の栄養不足による胎児への影響です。
オランダのアムステルダム大学は、第二次世界大戦下の食糧不足の中で産まれた人々を追跡調査しました。当時の人々は、一日にわずか400~800キロカロリーと、必要な量の半分程度のカロリーしか摂取していませんでした。
調査の結果、対象者は心臓病になる割合が2倍高かったほか、その後に健康的な食生活を送っていても、心臓病になりやすいということがわかったといいます。
心臓の細胞は胎児期のみ分裂し、その後増えることはありません。このため、胎児期に充分な栄養が与えられないと細胞の一部が死に、細胞が少ないままの状態で成長することになってしまいます。結果、心臓は早く消耗することになるのです。
胎児に充分な栄養が行き渡らないとき、得られた栄養分は脳の形成のため最優先に使われ、心臓は後回しになってしまうことが、胎児期に心臓病のタネを植えつけることになる、といいます。ここでも、脳の巨大化が心臓に影響をもたらしていたのです。

これまで安静にすることが前提だった心臓病の治療。しかし現在では、心拍数などを管理した上で適度な運動を行い、心臓の負担を軽減させるという治療が試みられています。
足を動かすことで血管が締め付けられ、血液を押し上げることで循環させることができるとか。その意味で、足は「第2の心臓」といえる、といいます。
また、心臓に衝撃波を当てることで心臓をマッサージし、新たな血管の形成につなげようという「低出力衝撃波治療」なる治療も試みられています。これまで国内で40人ほとが治療を受け、そのほとんどに改善が見られた、といいます。

生命の根幹をなす最重要な臓器、心臓。それを、われわれは随分酷使しているんだなあ、ということが、この番組を観てよくわかりました。
だからといって、いまさら4本足に戻ることは無論できないことであります。であれば、可能な限り心臓に余計な負担をかけることのないよう、心臓をいたわりながら生きていかなければいけないなあ、そうしみじみ感じました。



NHKスペシャル 東日本大震災 『逆境からの再出発 ~高齢者を支える医師たちの挑戦~』

2013-10-26 16:04:11 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル 東日本大震災 『逆境からの再出発 ~高齢者を支える医師たちの挑戦~』
初回放送=10月25日(金)午後10時00分~10時49分
キャスター=鎌田靖 語り=高橋さとみ 制作=NHK仙台放送局


東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の各地。その多くは、震災前から高齢化や医師不足といった問題を抱えていた地域でもありました。
震災は、そこに追い打ちをかけることになりました。あわせて94ヶ所の病院や診療所が全壊し、さらに震災後には働き口を求めて若い世代が流出し、高齢化は一気に加速しました。
そんな状況にある被災した地域で、いま新たな医療への模索が動き出しています。それらの動きは、超高齢化社会を迎えようとする日本の医療のあり方を先取りする試みとして、注目を集めるようになってきています。
この番組は、とてつもない逆境の中で、新たな地域医療を作り上げようとする医師たちの模索を追ったドキュメントです。

岩手県陸前高田市の県立高田病院。病棟の4階まで達した津波により、40人を超える医師や患者が亡くなり、医療機器やカルテも流されてしまいました。
当時院長だった石木幹人さんは、津波で妻を亡くしていました。さらに、残った医師や看護師の多くも、家族や友人を失っていました。そんな過酷な状況の中、残ったスタッフは震災の翌月から集まり、医療活動を再開しました。
病棟が使えなくなったスタッフが取り組んだのは、患者のもとに足を運ぶ訪問診療。患者の多くは高齢者でした。訪ねるべき患者がどこにいるかが掴みにくい中での訪問診療で見えてきたのは、医師にかかることもできないまま、生活習慣病などの持病を悪化させていた患者たちの姿でした。
震災から3ヶ月後の6月。高田病院の医師たちと、ケアマネージャーや市役所の保健師、理学療法士などの福祉関係者らが集まっての話し合いが行われました。医療と福祉のあらゆる職種が連携し、在宅の患者をサポートしていくという、地域をあげての「総力戦」が始まりました。
病院よりも住み慣れた自宅のほうがいきいきする、という高齢者に対しては、退院させた上で訪問診療によるサポートを実施しました。こちらも、福祉施設や地元開業医と密接に連携したサポートです。
石木さんは言います。
「(高齢化は)日本のどこでも一緒だし、世界を見てもそうなりかかっている。いま被災地でやっていることが、世界の標準になる可能性がある」

地域とのつながりを断ち切られた形で仮設住宅に入居し、その中で孤立している高齢者たちを支えるための医療を実践している医師もいます。
最も大きな津波被害を受けた、宮城県石巻市。その中でも最大の仮設住宅団地にある病院の院長・長純一さんは、仮設に暮らす高齢者のもとへ足を運んでは、一人につき30分にわたりじっくりと話を聞きます。体調だけでなく暮らし向きを知ることで、生活の中に病気のもとがないかどうかを探るためです。
そうしてじっくりと話を聞くことで見えてきたのは、孤立する中で追い詰められている高齢者の辛い胸の内であり、年老いた親をやはり年老いた子が介護する「老老介護」の実態でした。
医療だけでは限界がある、と長さんが医療活動ともに取り組んでいるのが、自治体の活動。高齢者同士が支え合うようなコミュニティを再生していこうとする試みです。
長さんは言います。
「患者は、病気や身体の問題だけではなく、心理的・社会的な問題も抱えたりしているので、そこをトータルに見る必要がある。被災者に対しては、現在置かれている劣悪な心理・社会状況も視野に入れなければ」

これからの医療を担っていく世代も、被災した地域で動き出した新たな模索の中で奮闘しています。
被災した直後の岩手県立高田病院に、一人の若き研修医が駆けつけてきました。当時の院長、石木幹人さんの長女である愛子さんです。消化器系の専門医を目指して盛岡の病院で研修を受けていましたが、被災して大変な状況にある父を助けたいと、高田病院にやって来たのです。
かくて、父親たちとともに、高齢者への訪問診療に奔走する日々が続いたのですが、愛子さんの気持ちは揺れていました。消化器系についての専門的な技術を学ぶことができないことで、同期の研修医と差がついていくのでは、という焦りがあったのです。
しかし、やがて愛子さんは、患者の病気だけではなく全体に目配りをする訪問診療に、やりがいと面白さを感じるようになっていきました。そして、高田病院で働き続けることを決意するに至ります。
愛子さんは言います。
「知識や技術だけではなく、いままで学ぶことのできなかった人間性の部分を学ぶことができるのは貴重だと思う」
「もう同期との差はどうでもよくなってきた。それを別のところで埋める自信もあるし」
愛子さんは現在も、高田病院で頑張っておられます。自らが立ち上げた「健康増進外来」で、あらかじめ健康管理をすることで病気を防ごうという取り組みをしているとか。
その高田病院には、全国から若き研修医たちが続々と集まり、訪問診療のノウハウを学び続けているのです。

これまでとはまったく異なる発想の医療に取り組んでいる医師もいます。
石巻市で訪問診療専門のクリニックを開業している武藤真祐さんは、MBAの資格を持つなどの異色の経歴を経てきた医師。ITを駆使して患者の容体などの情報を複数の支援者と共有したり、テレビ電話で東京の医師と治療方針について検討したり•••といった、先進的な医療の仕組みづくりに取り組んでいるのです。
武藤さんのことば。
「東京にも困っている人はいるけれども、ここ石巻にはもっと困っている人たちがいる」

あまりにも大きな犠牲と困難がのしかかってきた東北の地で、これからの日本、さらには世界の動きを先取りした、注目すべき医療の試みが動いている、ということに、心強さと希望を感じました。
震災は、これまでの大都市目線では見えにくかった、地方をめぐるさまざまな問題を顕在化させた面があります。その中には、地方のみならず日本全体の将来にもかかわる事柄もあります。医療や高齢化の問題がまさにそうでした。
ならば、露呈され突きつけられた課題に、これまでになかったような発想や方法論を動員した「総力戦」で挑んでいくことは、被災した地域の復興を加速させることはもちろん、国のあり方全体を変えていくことにもつながっていくのではないでしょうか。
被災した地域で動き出した新たな社会づくりへの動きが、日本全体を変えていくことを望みます。

NHKスペシャル『病の起源』第3集「うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命~」

2013-10-20 23:40:00 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第3集「うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命~」
初回放送=10月20日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史 、ナビゲーター=橋爪功、語り=伊東敏恵

人類を苦しめ続ける病に、進化の視点から迫っていくシリーズ『病の起源』。個人的にはなかなか好きなこのシリーズ、待望の後半シリーズが始まりました。
第3集で取り上げられたのは、世界で3億5000万人もの患者数を数え、日本でもこの10年で100万人近くに患者が急増しているという、うつ病です。今回重要なキーワードとなるのは、脳の奥深くにある「扁桃体」です。

7年ものあいだ、うつ病に苦しんでいる東京の男性。かつて勤務していたIT企業で、大きなプロジェクトを任され続けたプレッシャーがもととなり、うつ病を発症したといいます。「鉛のよろいを着せられているような“ずっしり感”がある。とてもつらい」と男性は語ります。
医療機関で検査を受けたところ、男性の脳の一部が萎縮していることが判明
。それを引き起こしていたのは、脳の奥深くにある「扁桃体」でした。
扁桃体は、恐怖や不安、悲しみといった感情を受けて活動が強くなり、そのことが脳の一部が萎縮することに繋がっている、というのです。

その扁桃体が脳に備わるようになったのは、5億2000万年前に魚が誕生してからのことでした。
扁桃体ができたことにより、その働きでストレスホルモンが増加、それにより全身の神経が活性化されることで、魚は天敵から逃れ、生き延びることができるようになりました。しかし、その扁桃体が暴走した結果として引き起こされるようになったのが、うつ病だというのです。
アメリカでのゼブラフィッシュを使った実験では、天敵のリーフフィッシュと同じ水槽で1ヶ月間飼われ続け、強いストレスをかけられていたゼブラフィッシュは、水槽の底でじっとして動かないような「うつ病」状態になってしまいました。
扁桃体が暴走することで、ストレスホルモンにより神経細胞に栄養が行き渡らなくなってしまい、情報伝達がうまくいかなくなることが、うつ病を引き起こすメカニズムだ、といいます。

天敵から逃れるために備わるようになった扁桃体。それが働いてしまう新たな要因を背負い込んだのが、2億2000万年前に誕生した哺乳類、特に類人猿でした。
アメリカのチンパンジー保護施設には、外で他の個体と共に行動することもせず、檻の中でじっと「幽霊のように」うずくまっているばかりのメスの個体がいました。その個体は、感染症予防との名目で1年半のあいだ、群れから隔離されてしまい、それがうつ病につながった、といいます。
集団で生活することで飢えから免れるとともに、天敵からの安全も得られるようになった動物たち。そこから引き離されることによる「孤独」にも、扁桃体が反応するようになったのです。

そして、さらに扁桃体が暴走する要因を抱えることになったのが、700万年前に出現した現生人類の祖先でした。
当時の人類は、しばしば肉食動物の餌食になるような弱い存在でした。その中で扁桃体は、すぐそばに位置している記憶を司る「海馬」に強く作用することで、人類の脳には恐怖の「記憶」が刻み込まれていきました。それにより、人類は危険を回避できるようになったのです。
ところが、脳に「ブローカ野」ができたことで「言葉」を理解できるようになった人類は、他者から伝えられる恐怖に対しても、扁桃体が反応するようになっていきました。無論、そのことは危険回避にも役立ったでしょうが、結果的に扁桃体が暴走する要因がさらに増えることにもなってしまったのです。

とはいえ、太古の人類は、うつ病にならないような知恵を持っていました。それは「平等」だといいます。
今でも狩猟採集生活を営むアフリカはタンザニアの「ハッザ」という人びとに対するうつ病テストの結果は、アメリカや日本に比べて著しくうつ病になる人が少ないというものでした。ハッザの人びとは、現在でも獲物を皆で分け合うような平等な暮らしを続けており、それがうつ病を生まないのでは、といいます。
また、日本の研究による、お金を自分と他者で分ける実験では、自分が損をしたり得をしたりしたときには扁桃体が激しく反応したのに対し、平等だったときにはあまり反応しなかった、という結果が。「人と人との関係がより重要になってきた」と、実験にあたった研究者は言います。
かつては平等に集団生活を営んでいた人類。やがて文明が発達するとともに階級ごとに得られるものの量が違うという格差が生まれ、それに伴いストレスの種は増えていきました。
加えて、社会が複雑になるにつれ、職業や境遇の差により生まれるストレスなどを抱えるようになりました。かくして現代に生きるわれわれは、うつ病になる要因にたくさん取り囲まれつつ生きることになってしまいました。

そんな状況の中で、進化の歩みを辿ることで得られた知見をもとにして、うつ病を克服しようという治療法が模索されています。
ドイツでは昨年、頭に穴を開けて電極を差し込み、電気を流すことで扁桃体の活動を抑える「脳深部刺激(DBS)」によるうつ病治療が行われました。治療を受けた患者には、劇的な回復が見られたといいます。
また、かつての人類の知恵に学ぼう、という「生活改善療法(TLC)」という治療法も試みられてきています。社会的な結びつきを取り戻したり、定期的な運動をしたり(神経細胞の再生につながるとか)、規則正しい生活を過ごしたり(ストレスホルモンを正常化させるため)することで、うつ病を克服していこうとするものです。
冒頭に登場した東京の男性も、生活改善療法により徐々に回復し、今では福祉施設でアルバイトができるまでになったとか。
男性はこう語ります。
「人とのふれあいって、あいさつから大切だと思う。これで絶対、トンネルから抜けられるはずです」

後半、平等に分け与えることで成り立つ狩猟採集社会と、格差によるストレスが溢れる文明社会、との対比のしかたには、若干性急かつ図式的なものを感じるところがあったのは否めませんでした。
高度かつ複雑になっている現代社会。うつ病の要因をすべてなくそうと、一気に過去に戻ることには、やはり難しいものがあるでしょう。
とはいえ、かつて人類が持っていた知恵をあらためて辿り、見直していくことで、今よりも生きやすくなっていくことは可能なのではないか、とは感じました。
そういう知恵が、少しずつでも活かされていくような社会にしなければいけないな、そう思いました。

鹿児島・オトナの遠足 ~薩摩、火の国、灰かぶり旅~(第2回) 居酒屋ハシゴで身も心も酔いしれて

2013-10-20 18:05:33 | 旅のお噂
【おことわり】
このブログにおけるお店の記述は、閑古堂の主観的な感想であり、お店の価値を客観的に評価するものではありません。もし活用される場合は、あくまでも一つの参考としてご活用ください。 また、このブログの記述は、閑古堂が最後に訪問した2013年9月当時のものです。 内容、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。


さあ、9月半ばに出かけてきた鹿児島へのオトナの遠足。その中でも個人的には最大のヤマ場と位置づけていた、夜の天文館の飲み歩きのときがやってまいりました!
鹿児島の美食と美酒を存分に味わうのが目的だったこの小旅行。天文館では、最低でも3軒の居酒屋を回るのが目標でありました。その首尾はいかなるものだったのか。第2回の今回は、そのあたりをじっくりご報告していきたいと思います!

最初に訪れるお店はすでに決めておりました。天文館のアーケード街の真ん中にある「味の四季」であります。

創業から60年を越えるという、おでんと郷土料理をメインにした老舗居酒屋であります。鹿児島に詳しい知人から、大衆酒場っぽい雰囲気だから行ってみては、と聞かされ、さればと最初に訪ねてみることにしたというわけなのです。
1階はカウンターのほかにテーブルが3つ。店内は一見渋くて落ち着いていながら、肩ひじ張らずに気楽にくつろげる雰囲気です。カウンターの中では、若い男女の店員さんがテキパキと仕事しておられました。
カウンターに腰掛けて目の前を見ると、おでんと鹿児島の郷土料理「豚骨」がなんとも旨そうに煮えておりまして、食欲はそそられ気持ちははやるのでありますよ。
おでんの種類が豊富で選ぶのに迷いましたが、はやる気持ちをなだめながらなんとか5つ選び、まずは生ビールとともに頂きました。

鹿児島のおでんは味噌仕立てが主流とのことですが、こちらのおでんは醤油仕立てのあっさりしたダシであります。口にしてみると、優しい味わいながらもしっかりと煮込まれていて、実に美味しかったですねえ。ロールキャベツの中身は、ひき肉ではなく刻んだ野菜類。これもまたヘルシーでよかったですね。
ちょっと変わりダネも一つ、と注文してみたトマトのおでんは別皿で出てまいりました。煮込まれることで旨味が増して、一味違うトマトの美味しさを味わうことができました。

そして、鹿児島郷土料理の「豚骨」。鹿児島特産の黒豚骨付き肉を、味噌などでじっくり煮込んだ料理であります。黒豚の濃厚な味わいが口いっぱいに広がって、焼酎のお供にピッタリなのでありますよ。
その焼酎も豊富な種類が揃っていて、これまた選ぶのに迷いました。最初に飲んだ「小鶴くろ」はオーソドックスな黒麹焼酎で、豊かな風味が口に広がりました。そして2杯目の「三岳」は、キリッとした味わいが好ましい感じがいたしましたね。鹿児島の焼酎は種類が豊富な上、味にもそれぞれ個性があるので、飲み比べてみるのがとても楽しいですね。
「寒くないですか?」
カウンターの中の若い女性の店員さんが、わたくしにそう訊いてこられました。エアコンの真下に座っていたので、気を遣ってくださったのでありましょう。暑がりのわたくしとしては丁度いいくらいだったのでありますが、その心配りがありがたかったですねえ。
お客さんはお店に入ったときにはまだ2人くらいだったのですが、気がつけば店内はたくさんの人で賑やかになっておりました。隣に座っていた2人組のおじさんは、後醍醐天皇がどうの秀吉がこうのと、歴史談義に花を咲かせておりました。このあたりも、さすが歴史ロマンの地・鹿児島という感じでいい感じでしたねえ。
いやー、のっけから大当たりのいいお店でありました。もっとゆっくりしたいくらいでしたが、あと2軒訪ねることを考え、名残惜しかったのですがお店を後にしました。そして、次のお店を探すべく天文館に踏み出したのでありました。

夜に入ってからも、桜島から流れてきた火山灰が天文館にパラパラと降っておりました。この日の噴火、思いのほか盛大だったようでありますね。いや、でも、これもまた鹿児島らしさのうち、なのでありますよ。
そんな火山灰もなんのその、土曜の夜の天文館は大にぎわいでありました。雑踏の間を縫いながら、電車通りを渡って城山の方角へ歩いていくと、さまざまな味の店が立ち並ぶ小路があります。

見て歩いていると気になるお店がいろいろあって、どこにしようかとしばらく迷いましたが、その中でもひときわ気になるお店がありました。

「はる日」という名のこのお店。「お食事」「焼酎」の文字が看板にありましたが、ぱっと見にはどんなお店かわからない感じもいたします。たぶん、シラフであれば入れないかもしれないのですが、おそらくは長きにわたって続いてきているのであろう雰囲気も感じられ、なんだか惹かれるものがありました。しばし逡巡したあげく、酔いにも後押しされながらエイヤッとドアを開け、中に入りました。
「あら、いらっしゃ~い」
カウンターの中に一人いたおかみさんが声をかけてこられました。そのおかみさんをグルリと囲む八角形のカウンターはずいぶん使い込まれていて、やはり年季を感じさせるものがありました。むむ、もしかしたらこれはいい感じかもしれないぞ。

とはいえ、どうやらわたくしがこの日最初の客のようでありまして•••若干緊張しつつお品書きに目をやりました。小さな黒板に書かれているお品書きは、サバの塩焼きやウインナー炒めなど、どれもいたって普通の家庭料理。わたくしは好物であるサバの塩焼きを注文し、焼酎お湯割りを飲み始めました。
「でも、またよくここに入れたねえ」
おかみさんがそう訊いてこられました。
「ほら、ウチは中の様子も外からはよくわかんないし、なかなか入りづらいという人も多いもんだから」
いやー、なんだか昔から続いているお店という感じがしたもんですから。長く続いてるお店って、それだけ地元の人にも親しまれていて間違いがないだろう、と思ったんです。けっこう好きなんすよ、こういう感じの飲み屋さんが。•••とわたくし。
それを聞いたおかみさんは、
「ふーん•••ちょっと変わってるところがあるかもしれないねえ」
と微笑みながらおっしゃいました。•••うん、図星であります。開店してからもう30年以上経っているそうで、お客さんの多くはやはり地元の常連さんとか。
店内には、酒場詩人・吉田類さんのテレビ番組『酒場放浪記』のDVD発売の告知ポスターが貼られておりました。これはひょっとしたら、と思い、おかみさんに訊いてみました。あのう•••もしかして吉田類さん、こちらに来られました?
すると、おかみさんはこうお答えになりました。
「うん、それこそテレビで紹介されたのよ。それからは鹿児島に来るたびに寄ってくれてて、そう•••もう5回は来てもらってるかなあ。今年はまだ来てないけど」
な、なんと!あの吉田類さんが来られていたお店だったとは!しかも5回も!これはスゴいことではないですか!
とはいえ、そうお答えになるおかみさんは、いたって淡々としていて気負いもございません。そういうところもなんだか粋な感じでありまして、類さんが好まれるというのもわかる気がいたしました。
「テレビで放送されてからは、県外から来てくれるお客さんも増えてきたねえ•••ありがたいよね、それは」
サバの塩焼きを突つきながら傾ける焼酎は「白金の露」。わたくしは初めて知った銘柄ですが、クセがなくて実に飲みやすく、スルスルと喉を通っていきます。よく見ると、店内に置かれている銘柄はこれ一種のみであります。
これしか置かないというのは、やはり何かこだわりがあるんですか?そう訊ねると、おかみさんはこうお答えになりましたね。
「ううん。前は別のやつを置いてたんだけど、メーカーの人が来て『これ置いてくれないか』って言われたから、それ以来ずーっとそれを」
うはは。なんだか拍子抜けするような理由なのでありましたが、おかみさんからそう聞かされると、なんだか実に自然な感じがするのでありますよ。
そう、おかみさんが醸し出す雰囲気は粋でありながらも、どことなくおっとり飄々としていて、それがとても心地よいのです。最初はちと緊張気味だったわたくしも、いつの間にかすっかり、このお店のトリコになっていたのであります。「白金の露」のお湯割りも5杯•••いや6杯だったかな•••と重ねておりました。
あと1軒だけ立ち寄っておこう、ということで2時間足らずでカウンターを立ちましたが、もっと長居しても良かったなあ、と思えるくらい、しみじみといいお店でありました。ここはまた、ぜひとも寄りたいですねえ。

3軒目は、数年前にふと立ち寄って以来すっかりお気に入りになり、鹿児島に行くたびに寄っているお店「龍泉」であります。

雑居ビルの奥まったところにある、5人がけのカウンターに小グループ向けの小上がりだけの小さなお店ながら、薩摩料理や家庭料理が豊富に揃い、しかもそのどれもが美味しいのであります。•••いや、まだ全てのメニューを頂いたワケでもないのでありますが、これまで食べた料理はどれもハズレがありません。こちらも創業から40年以上の、地元の人びとから愛されている老舗で、二代目となるはつらつママさんが頑張って切り盛りしておられます。
ここに来ると必ず注文するのが、「龍泉揚げ」と称する薩摩揚げであります。屋久島産のトビウオのすり身を使ったそれは、魚ならではの旨味に溢れていて絶品なのであります。このお店に入ってこれを頂くと、今年もここに帰ってきたという安心感がいたしますねえ。

「龍泉揚げ」とともに頂いた焼酎は、このお店イチ押しの銘柄「小鹿」。すっきりキリッとした飲み口が、魚の旨味を引き立たせるのでありますよ。
いやー、それにしてもきょうは桜島の噴火、すごいですねえ。ここのところ噴火活動が盛んだから大変でしょ?そうわたくしが訊ねると、ママさんは、
「そうそう。特に洗濯物が干せなかったり、車が汚れたりするのが大変やねえ」
と答えつつも、こう続けました。
「でもね、私たち地元の人はそこまで構えてもなくて、けっこう適当にやり過ごしてるのよ。それなのに、よそのマスコミだとかがやたら大袈裟に騒いだりするもんだから、それで観光客が宿泊をキャンセルしたりして•••。あまり変な騒ぎかたをしないでもらいたいよねえ」
そうなんですよね。ろくに現地のことを知らず、足を運んでもいないような外部のメディアや煽り屋、囃し屋さんたちが、センセーショナルな風評を無責任に垂れ流すことで、現地に迷惑を及ぼすというこの構図。至るところで見られますよね。今であれば福島県をはじめとする東北に対して、しばらく前には口蹄疫の影響を受けたわが宮崎に対して•••。
自分たちが発信することにより及ぼされる影響をよくわきまえて、現地の実情に即した正確な発信を心がけてもらいたいもんだなあ、と強く思うのでありますよ。
「龍泉」でもゆっくりしたかったのですが、25度の薩摩焼酎飲み続けはだいぶカラダに効いてまいりました。なにしろ、わが宮崎で飲み慣れているのは20度焼酎でありますから•••。そんなわけで、ほんのちょっとの時間だけで「龍泉」を後にしてホテルへと戻ったのでありました。
やはり軒数ばかり重ねようとするのはいけないなあ、と思いましたね。やはりわたくしは、一つのお店でじっくりと、腰を落ち着けて飲み食いするのが性に合っているようであります。ましてや、今回訪れたお店はいずれも、じっくり腰を落ち着けるのにふさわしいいいお店でしたからね。
次に鹿児島に来たら、もっとゆっくりゆったり飲むとしよう•••そう反省しつつ、鹿児島旅の初日を終えたのでありました。

さて、鹿児島旅の2日目は、歴史ロマンを辿るべく城山を散策してまいりました。そのお噂はまた次回に!