読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

第21回宮崎映画祭プレイベント「みやざき自主映画祭2015」を観に行く

2015-08-31 07:34:53 | 映画のお噂
来月(9月)の19日から、9日間にわたって開催される、第21回宮崎映画祭。そのプレイベントとして「みやざき自主映画祭2015」が、昨日(30日)の午後から、宮崎市中心部にある商業施設・カリーノ宮崎の8階にある「シアター88」にて開催されました。



(宮崎映画祭本祭についての詳しい情報は、映画祭公式サイトをご参照を。また、当ブログのこちらの記事でもわたくし個人の映画祭注目ポイントをご紹介させていただきました)
今月(8月)の9日に宮崎市自然休養村センターで開催した「出張上映会」、そして一昨日(29日)に宮崎市中心部の商店街・若草通アーケード街で開催した「野外上映会」と続いた、映画祭プレイベントのトリを飾った、昨日の自主映画祭。これまでも映画祭本祭に先駆けたイベントとして毎年開催され、県内外のさまざまな自主映画作品を紹介してきました。
今回は宮崎県の学生さんや自主映画作家による作品、そして福岡県で開催されている「福岡インディペンデント映画祭」の優秀作など、全部で8作品が上映されました。また、上映の合間には、今回上映された自主映画のつくり手などが集まってのトークショーも開催されました。



まずはオープニングイベントとして、宮崎大学モダンJAZZ研究部による演奏がありました。スタジオジブリのアニメ映画の楽曲をアレンジしたものやジャズのスタンダード曲などを、30分にわたって演奏しました。なかなかいい演奏っぷりで、とりわけスタンダード曲はじっくりと聴かせてくれました。

オープニング演奏に続いて、まずは宮崎の学生さんが製作した作品が2本上映されました。
『迷探偵常荷迷(つねにまよう)』(林田修一監督、15分)は、宮崎大学映画研究部による作品。常に優柔不断な迷探偵、常荷迷。その事務所に押しかけてきた、全身に爆弾をくくりつけられた男を救うべく、犯人からの暗号ゲームに挑んでいく・・・という探偵コメディ。明らかに宮崎大学の構内だけで撮影済ませたな、という感じの微笑ましいつくりではありましたが、ユニークなキャラの人物たちを打ち出していたところはいい感じでした。
宮崎南高校の生徒さんによりつくられたのが『明晰夢』(得能佑介監督、20分)。生きることに希望を失った主人公が異世界でもう一人の自分と出くわし、「この世界で生きるのか、現実の世界で生きるのか」の二者択一を迫られる・・・。
出演者の台詞回しにはシロウトっぽさはあったものの、思いのほかレベルの高いつくりで面白く観ることができました。ダークファンタジー的な前半から、前向きなメッセージを込めた後半への展開もなかなか上手かったように思いました。
現在高校3年生という監督の得能さん。上映の合間のトークショーでは、「そろそろ受験なのでしばらく映画は休むけれど、卒業のときには卒業記念として1本撮りたい」と語っておられました。若い才能のこれからに、大いに期待したいと思います。

昨年の「福岡インディペンデント映画祭」の各部門で選ばれた優秀作からは、3作品が上映されました。
『はちきれそうだ』(藤井悠輔監督、8分)はアクション部門の受賞作。公園に集まる、いささかパッとしない男たちの前に、彼ら共通の憧れの的である巨乳アイドルが現れて・・・。そんなんアリかよ、という無茶振りな展開を一気に観せるパワフルな作品でした。
『彼女の告白ランキング』(上田慎一郎監督、19分)はコメディ部門の受賞作。「どんなことがあっても好きであり続ける」とプロポーズしてきた彼氏に対し、彼女が「その前に告白したいことがある」という。告白したいという事柄はなんと17もあり、しかもそのいずれもが、彼氏の想像を遥かに超えるような衝撃的なものだった・・・。
今回の自主映画祭で上映された作品の中で、一番面白かったのがこの作品でした。ヌルい恋愛コメディっぽいオープニングから一転、ムチャクチャな展開がラストまで怒涛のごとく繰り広げられていき、もうひたすら大笑いしながら観ておりました。自主映画ながら、CGもわりとよくできておりました。
『あの、ヒマワリを探しに』(湯浅典子監督、24分)は40分部門のグランプリ作品。会社の上司らと飲んでいた居酒屋にあった思い出ノートに、母校の小学校のヒマワリについての書き込みを見つけた主人公は、ヒマワリがどうなっているかを確かめようと母校へと向かうが・・・。もう少しだけ長い時間をとってじっくり描いてもよかったかなあ、と個人的には感じましたが、失われたものへの哀感がていねいな映像で綴られていたのには好感を持ちました。

宮崎の自主映画作家の作品からは2本が上映されました。
『少女ときつね』(松元七奈監督、2分)は、全編3DCGにより描かれた少女ときつねのメルヘン。CGによるキャラクターの動きにはややぎこちなく思えましたが、キャラクターの造形はいい感じでした。宮崎にもこうやって3DCGのアニメをつくっている方がいるんだなあ、と感心いたしました。
みやざき自主映画祭で毎年、作品を発表しているギルド#010監督の新作が『死んだ女 3』(55分)。夢の中に出てきた、戦争の時代に恋人と死に別れた女の幻影を取り憑かれたように追い求める男子学生と、そんな彼に苛立ちながらも想いを寄せる女子学生を描いた連作の第3弾。前2作に見られた、過去と現在が交錯する幻想的な雰囲気を残しつつも、2人の学生のすれ違いをユーモアたっぷりに綴ったりもしていて楽しめました。

今回は、宮崎映画祭が初めて作ったというCM作品『もう一度妻を映画に誘おう』(なすありさ監督、5分)も、メイキング映像とともに上映されました。最近めっきり、妻とともに出かけることもなくなっていた夫が、息子からもらったチケットを手に妻を誘い、映画祭に出かけていく・・・というシチュエーション。映画祭に関わっているスタッフとその関係者がちょこちょこ出ていたりしていて、アットホームな感じで和みました。
プログラム終了後、映画祭本祭で上映される全14作品が、予告編とともに紹介されました。個人的には、ドキュメンタリー4作品の予告編にワクワクさせられ、より期待感が高まりました。また、『地獄の黙示録』や『ゆきゆきて、神軍』の予告編には、「こういうスゴい映画が作られていた時代があったんだなあ」とあらためて感慨に浸ったりも。

今回の「みやざき自主映画祭」。惜しむらくは、例年に比べて若干ですが、観客の数が少なめだったことでした。商業映画とはまた違った、自主映画の楽しみを知る機会であるとともに、新しい才能が世に出る機会の一つでもあるだけに、もっと多くの人たちに、このような機会があることを認知していただけたらなあ、と思うのです。
ともあれ今回も、地元宮崎で生まれつつある若く新しい才能に接することができたのは、収穫だったと思います。

さあ、宮崎映画祭本祭まで、残すところあと3週間ほどに迫ってまいりました。今年も、面白く、優れた映画と出逢えることを、キリンのごとく首を長くしながら、楽しみに待ちたいと思います!

今年はプレイベントも充実!第21回宮崎映画祭、閑古堂的見どころポイント

2015-08-31 07:34:39 | 映画のお噂
昨年、第20回という節目を迎え、さらなる歴史を刻み始めた「宮崎映画祭」。第21回目となる今年の映画祭は、9月19日(土曜)から26日(日曜)にかけて、宮崎市内にある宮崎キネマ館と、宮崎市民プラザ・オルブライトホール(最終日のみ)を会場にして開催されます。すでに、上映されるすべての作品も出揃い、タイムテーブルも決まっております。



詳しい作品紹介やタイムテーブル、チケットの情報などは、映画祭の公式サイトをご参照いただくとして、上映される14作品のラインナップを、ここでも記しておくことにいたしましょう。


『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』(2014年アメリカ・フランス)
監督・製作・編集=フレデリック・ワイズマン
(ドキュメンタリー)

『ジミー、野を駆ける伝説』(2014年イギリス・アイルランド・フランス)
監督=ケン・ローチ
出演=バリー・ウォード、シモーヌ・カービー、ジム・ノートン、アンドリュー・スコット

『ザ・バンド/ラスト・ワルツ』(1978年アメリカ)
監督=マーティン・スコセッシ
出演=ザ・バンド、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン(ドキュメンタリー)

『ゴジラ』60周年記念デジタルリマスター版(1954年日本)
監督=本多猪四郎
特殊技術=円谷英二
出演=宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬

『聖者たちの食卓』(2011年ベルギー)
監督=フィリップ・ウィチュス、ヴァレリー・ベルト
(ドキュメンタリー)

『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』(2015年日本)
監督=原恵一
原作=杉浦日向子
声の出演=杏、松重豊、濱田岳、高良健吾、立川談春

『美しい夏キリシマ』(2003年日本)
監督=黒木和雄
出演=柄本佑、原田芳雄、石田えり、香川照之、小田エリカ

『紙屋悦子の青春』(2006年日本)
監督=黒木和雄
出演=原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、小林薫、本上まなみ

『地獄の黙示録』(1979年アメリカ)
監督=フランシス・フォード・コッポラ
出演=マーロン・ブランド、マーティン・シーン、ロバート・デュバル、デニス・ホッパー

『チャップリンの独裁者』(1940年アメリカ)
監督・製作・脚本=チャールズ・チャップリン
出演=チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ジャック・オーキー

『ゆきゆきて、神軍』(1987年日本)
監督=原一男
企画=今村昌平
出演=奥崎謙三(ドキュメンタリー)

『紙の月』(2014年日本)
監督=吉田大八
原作=角田光代
出演=宮沢りえ、池松壮亮、大島優子、田辺誠一、小林聡美

『桐島、部活やめるってよ』(2012年日本)
監督=吉田大八
原作=朝井リョウ
出演=神木隆之介、橋本愛、東出昌大、清水くるみ、山本美月

『映画 深夜食堂』(2014年日本)
監督=松岡錠司
原作=安倍夜郎
出演=小林薫、高岡早紀、筒井道隆、多部未華子、オダギリジョー


ということで、以下にわたくし閑古堂が注目する、第21回宮崎映画祭の見どころポイントを挙げていくことといたしましょう。
今回、3人の監督さんが映画祭のゲストとして登場されます。まずは劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズや『河童のクゥと夏休み』など、映画としても高い評価を受けているアニメーション作品を送り出し続けている原恵一監督です。
原監督は、この宮崎映画祭には縁の深い映画人であり、今回で3回目のご登場となります。映画祭最終日(9月27日)の、杉浦日向子さんの漫画を原作にした最新作『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』上映時には、原監督をお迎えしてのトークショーが開催されるほか、その前日の26日には「原恵一の映画塾」と題して、原監督イチオシの映画がプレミア上映作品として取り上げられます。その作品とは・・・フランシス・フォード・コッポラ監督が手がけた『地獄の黙示録』!この映画史に残るような作品を題材にした原監督のお話、とても楽しみです。
わたくし、恥ずかしながら実は『地獄の黙示録』をまだテレビ放送でしか観たことがないクチなのでありまして、この作品を原監督のお話とともに劇場のスクリーンで観ることができる今回のチャンス、逃すわけにはいかないのでありますよ。
(8月31日追記。今回上映される『地獄の黙示録』は、2001年に50分近くのシーンを追加して再編集された「特別完全版」ではなく、1980年に日本でも公開された当時のヴァージョンとなります)

お次は、最近の日本映画界で注目されている監督の一人である吉田大八監督。吉田監督の代表作である『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』2作品の特集上映に合わせてのご来場となります。
『桐島、部活やめるってよ』は、ベストセラーとなった朝井リョウさんの同名小説が原作。神木隆之介さんをはじめ、橋本愛さんや東出昌大さんなどの、今をときめく若手俳優の共演も見どころの本作、大の映画好きであるわたくしの知人も大絶賛していた作品でしたので、観るのが楽しみです。そして『紙の月』は、宮沢りえさんが新境地を開拓したクライムサスペンスの佳作です。
吉田監督は9月22日、『紙の月』上映時には舞台挨拶を行い、続く『桐島、部活やめるってよ』の上映時にはトークショーに登場されます。こちらも大いに楽しみです。
そして、映画祭大トリを飾るゲストは、『バタアシ金魚』や『きらきらひかる』などを手がけた松岡錠司監督。こちらも最終日、クロージング作品である『映画 深夜食堂』上映時のトークショーにご登壇されます。
(8月31日追記。松岡錠司監督は、その後スケジュールの都合がつかなくなり、ゲスト参加はできなくなったとのことです。まことに残念・・・)

わたくし閑古堂が、今回の宮崎映画祭の目玉!と個人的に思っているのが『ゴジラ』60周年記念デジタルリマスター版の上映であります。
もう説明の必要もないであろうゴジラシリーズの第1作にして、特撮怪獣SF映画の枠を超えた傑作クラシック。いままで何度も、ビデオやDVDで観返してきた作品なのですが、これまた劇場で観る機会に恵まれていませんでした。
観るたびにいろいろな発見がある『ゴジラ』。スクリーンでじっくり鑑賞することで、さらなる発見ができるかもしれないと思うと、なんだかワクワクしてくるのであります。このチャンスも、何がなんでも逃すわけにはいきません。

今年は戦後70年ということで、戦争をテーマにした作品が特集上映されるのも、今回の宮崎映画祭の大きな柱の一つでしょう(思えば先の『ゴジラ』も、戦後日本のありようを象徴するような側面があったりするのですが)。
宮崎県出身の黒木和雄監督がライフワークとしていた「戦争レクイエム」三部作の掉尾である『美しい夏キリシマ』と、黒木監督の遺作となった『紙屋悦子の青春』。いずれも、戦争が人びとに何をもららすのかを、声高ではなく静かな語り口で問いかける名編です。戦後70年の今年、あらためてじっくりと観てみたい2本であります。
アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツが猛威を振るっていた時期に、そのヒトラーを徹底的に戯画化したのが『チャップリンの独裁者』。ずいぶん前に本作をビデオで観たときには、ラストの平和を訴える大演説シーンに涙したものでしたが、今回あらためて観直すとき、あの大演説はどのようなかたちで、わたくしの心に響いてくるのでしょうか。
そして、時には暴力を辞さないような過激なやり方で、戦争責任を追及していくアナーキスト、奥崎謙三の姿をカメラに焼きつけた原一男監督のドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』。公開当時大いに話題となった作品ですが、宮崎での劇場の上映は今回が初めてとなります。その内容ゆえ賛否が分かれる問題作ではありますが、まずは一切の先入観を極力排して、1本の「映画」として味わってみたい、と思っております。

『ゆきゆきて、神軍』も含め、今回の映画祭ではドキュメンタリー作品が4本もラインナップされているというのも、ドキュメンタリー好きのわたくしとしては嬉しいところであります。
『タクシードライバー』などを手がけた名匠、マーティン・スコセッシ監督の『ザ・バンド/ラスト・ワルツ』は、1976年に行われたロックバンド「ザ・バンド」の解散コンサートの模様を描いた音楽ドキュメンタリー。ボブ・ディランやエリック・クラプトン、リンゴ・スターなどの豪華なゲストも見どころです。
1967年に初監督作を送り出して以来、80代となった現在も精力的に作品をつくり続けているドキュメンタリー監督、フレデリック・ワイズマン監督の最新作が『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』です。ロンドンにある美術館、ナショナル・ギャラリーにカメラを据えた本作は、数多くの美術品はもちろん、それに向かい合う美術館のスタッフたちのプロフェッショナルな仕事ぶりもたっぷりと見せてくれるという3時間の大作。これはかなり期待大であります。
『聖者たちの食卓』は、毎日10万食にも及ぶ豆カレーを、訪れる人びとに平等に振る舞っているというインドの寺院に密着した作品です。その題材自体もなかなか興味深そうなのですが、本作が上映される9月20日と24日には、宮崎市にあるカレーショップ「キャトルアイランド」の牛島正太さんがカレーにまつわるお話をされるほか、同店のカレーの即売も行われるとか。これはもう、カレー好き(わたくし含む)には見逃せない企画となりそうですね。

映画祭に先駆けたプレイベントが充実しているのも、今年の宮崎映画祭の大きなポイントでしょう。今月(8月)の9日には、宮崎市のレジャー施設、宮崎市自然休養村センターにて、石原裕次郎さん主演の『嵐を呼ぶ男』(1957年、井上梅次監督)の「出張上映会」を、プレイベント第1弾として行いました。
そして今週末、8月29日の夜には、宮崎市内中心部の商店街、若草通アーケード街にて「野外上映会」が開催されます。上映されるのは、映画祭最終日に上映される『映画 深夜食堂』の松岡錠司監督が手がけた、テレビシリーズ版『深夜食堂』の「赤いウインナーと卵焼き」(第1話)、「再び赤いウインナー」(第11話)、「年越しそば」(第30話)の3エピソードです。上映前には、昨今拡がりを見せているデジタル映画を解説するトークショーも開催されるとか。こちらは入場無料となります。
上映会場が中心部の商店街ということで、上映の前後に商店街の中にある飲食店で食事を楽しむというのも、また格別なのではないでしょうか。ちょっと歩けば飲み屋街もございますし。

プレイベントのトリを飾るのは、8月30日午後に開催される「みやざき自主映画祭2015」。会場は、やはり宮崎市内中心部の商業施設、カリーノ宮崎8階の「シアター88」で、こちらも入場無料です。
宮崎大学映画研究部や宮崎南高校をはじめとする、地元宮崎の映画作家たちによる力作に加え、福岡インディペンデント映画祭優秀作なども上映されるとのこと。新鮮なエネルギーに満ちた自主映画を楽しめば、映画祭本祭への期待も膨らむのではないでしょうか。

映画館が少なく、映画を観る環境に恵まれているとは言い難いところのあるわが宮崎。そんな中で、筋金入りの映画好きの皆さんの熱意により運営し続けられている宮崎映画祭は、優れた映画との出会いを実現させてくれる得難い機会でもあります。
今回は、開催期間が9月の連休とも重なるという絶好のチャンス。ぜひとも、多くの人たちが来場して盛り上がってくれることを願いたいと思います。
わたくしも、上映される全作品を鑑賞できる3000円のフリー券を購入いたしました。今年こそは、全作品コンプリート鑑賞を達成したいと思っております!


あらためて、上映作品の詳しい紹介やタイムテーブル、チケット情報、上映会場へのアクセス案内などについては、こちらの宮崎映画祭公式サイトをご参照くださいませ。

【読了本】『本当にあった医学論文』『同・2』 調べずにはいられない、愛すべき医学者たちの熱意に乾杯!

2015-08-16 18:11:14 | 本のお噂

『本当にあった医学論文』『本当にあった医学論文 2』
倉原優著、中外医学社、2014年および2015年


特定の業界に向けて発信され、その業界に属する人だけに閲覧される文書や著作物というものがありますよね。それらはその性質上、業界の外にいる門外漢の一般人の目に触れる機会はなかなかありませんが、読んでみると意外に面白かったり、興味をそそられるような新鮮な発見がいろいろあったりいたします。
主にお医者さんや看護師さんといった医療従事者が読むような医学論文にも、そういった面白くも興味をそそられる物件がたくさんあるのだ、ということを教えてくれるのが、この『本当にあった医学論文』とその続編『本当にあった医学論文 2』です。
著者の倉原優さんは、その名も「呼吸器内科医」というブログで、さまざまな医学論文などを紹介しておられるお医者さん。毎日のように検索しては目にしてきた内外の医学論文の中から、面白かったり驚かされたりするようなぶっ飛んだ内容の論文を独断と偏見で選んでまとめた、というのが、2014年に刊行した『本当にあった医学論文』です(以降は1巻と記します)。
医学専門の出版社から出された、基本的には医療従事者向けの本だったのですが、「朝日新聞」や「本の雑誌」といった一般向けのメディアでも取り上げられて話題となり、医療従事者ではない人たちにも読まれることとなりました。そんな1巻の評判を受け、今年刊行された続編が『本当にあった医学論文 2』というわけなのです(以降は2巻と記します)。1巻には79本、2巻には75本の珍論文が紹介されています。

1巻を読み始めてのっけから驚かされるのが、「第二次世界大戦の弾丸が70年も心臓の中に残っていた」という項目です。心筋梗塞で搬送されてきた男性を検査すると、戦時中にロシア兵からの銃撃で受けた弾丸が、心筋を貫通することなく強固に把持されていたそうです。男性は幸いにも、手術後元気に退院したそうな。
「異物もの」の物件でもう一つ驚かされたのが、なんとウシのツノを肛門に入れたという男性の事例で、ご丁寧にも論文から引用した下腹部のCT断面画像が添えられています(これも1巻)。論文によれば、このような報告は世界で4例目であるとのこと。この事例自体もオドロキなのですが、それまでにも同じ例が3件もあるということがまたオドロキで・・・。
ほかにも、スキーの最中に渓谷に落ちて冷たい渓流にさらされ、体温が13.7℃にまで下がるも生還した女性の事例(1巻)や、ビリヤードのキューが頭に刺さったことで幻覚や妄想を訴えるようになった少年の事例(2巻)といった驚かされる論文が紹介されていますが、とりわけ驚愕させられたのは「35歳の石の赤ちゃん」という項目でした(2巻)。70歳になる女性を診察した結果、全身が石灰化したまま35年間も胎内にあった赤ちゃんが発見され、摘出されたというインドでの事例です。これは、ギリシャ語でズバリ「石の赤ちゃん」を意味する「リソペディオン」という疾患で、胎児が母体にいるうちに石灰化してしまうという極めてまれな疾患だそうですが、にわかには信じがたいそのような疾患が存在するとは・・・。

そうかと思えば、なんでわざわざそんなコトを大マジメに調べて発表するのか、と脱力したくなるようなヘンな論文もいろいろと紹介されています。
「サハラ砂漠でマラソンすると体温は上昇する」という項目(2巻)では、サハラ砂漠を111日間、7500㎞にわたってマラソンで横断した、3人のランナーの身体的データを集めた論文を取り上げます。夜間と日中それぞれに走ったときの深部体温を測った結果、いずれの場合も37.8℃まで上昇したそうで、結論として「過酷な環境のもとでは日中はペースを落として走らざるを得ない」ことがわかった、とか。んなコト、わざわざ大変な思いをして測らなくってもわかりそうな気がしてしょうがないのですが・・・。
ほかには、落とした食べ物を5秒以内に拾えば安全という「5秒ルール」の妥当性を検証した論文(1巻)や、ぶっ通しで歌うよりも適度に水と声休めをとったほうが長くカラオケを楽しめる、という論文(1巻)、アフリカのタンザニアで動物による外傷の事例を集め、その原因となった動物をランキング形式で発表した論文にみる、ちょっと拍子抜けするような意外な結果(2巻)も笑えました。中には、ハリー・ポッターの頭痛についてマジメに議論した論文(1巻)なんていう遊びごころのある物件も。
遊びごころといえば、16カ国100人の「剣呑み師」へのアンケートをもとにして、剣呑みの際に注意すべき事柄をもっともらしく述べている論文(2巻)は、イギリスの著名な医学雑誌が、毎年クリスマスの時期に掲載しているジョーク交じりの論文から選ばれたものです。一見キマジメそうな医学の世界にも、けっこう遊びごころのある風土があったりするところは、なんか好ましいものがありますねえ。

はたまた、これは意外と役に立つのではないか、と思えてくるような論文もけっこうありました。
サンダルを履いていてエスカレーターに巻き込まれ、足に外傷をきたした小児のデータから、子どもがサンダルを履くことの危険性を記した論文(2巻)を紹介したあと、倉原さんは小さな子どもを1人でエスカレーターに乗せないこと、などの注意点を列記しています。サンダルを履くことが多い夏の時期、これは大いに参考になりそうです。
また、パソコンやスマホの画面などに多用されている青色LEDが目に与える影響を考察した論文(2巻)は、最近スマホやタブレット端末にかぶりつくことの多いわたくしにとっても「ギョッ」とするような内容でありました。うーむ、気をつけねば。
さらに、認知症の患者に対する家族からの虐待の実態を明らかにしたイギリス発の論文(1巻)は、高齢化が進行するわが日本においても他人事ではない、考えさせる内容でありました。

1巻、2巻ともに、それぞれの章の最後には医学論文にまつわるコラムも添えられています。とりわけ、1巻に収録されている、医学論文の著者の順番についてのお話や、病院内における抄読会(最新の英語論文を共有する研修会のようなものでしょうか)を継続させるにはどうしたらよいのか?という話題は、医学論文発表や病院の舞台裏が垣間見えて興味深いものがありました。

面白論文、ビックリ論文を紹介していく倉原さんの語り口はユーモアに富んでいて、それがこの2冊を楽しく読めるものにしています。とはいえ、論文だけでは内容の妥当性がわからない事柄については、慎重に距離を置くという姿勢にも好ましいものがありました。そう、医学もれっきとした科学の一分野ですからね。
「難しい医学書ではなく気楽に読んでいただく読み物」という位置づけながらも、同時に「あくまで医療従事者向けに専門的に記載するという医師執筆家としてのスタンス」で書いたというこの2冊。それゆえ専門用語や図表には、わたくしを含む門外漢には意味がわからないものも少なからずあるのは確かであります。それを差し引いても、紹介されている事例の数々には、オドロキや可笑しさを覚えることは間違いないでしょう。

2冊通して読むことで見えてきたのは、どんなに変わっていてけったいな事柄であっても、とことん調べた上で発表せずにはいられない、愛すべき医学者たちの熱意であります。そのような熱意があるからこそ、医学、そして科学は少しずつ進歩していくんだな、とつくづく思いました。
愛すべき医学者たちの熱意に、乾杯!

【読了本】『21世紀の自由論』 ウンザリしていた政治への思いを変えた「優しいリアリズム」の哲学

2015-08-16 18:11:00 | 本のお噂

『21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ』
佐々木俊尚著、NHK出版(NHK出版新書)、2015年


これまで、どちらかといえばリベラルの立場で政治や社会を見続けてきたわたくしでしたが、ここしばらくは、その「リベラル」のあり方に疑問を持つようになっていました。
きっかけは、4年前の東日本大震災と、それに続けて起こった福島第一原子力発電所の事故以降の「リベラル」とされる人びとの姿勢に接したことでした。「人権」「平和」を旗印にしているはずの「リベラリスト」が、「反原発」という大義のもとに、福島とそこに生きる人たちを貶めるような、攻撃的で殺伐とした言動や振る舞いを行っていたのです。無論、すべての「リベラリスト」がそうだったわけではないのですが、「正義」を振り回すばかりで人間性に欠ける姿勢は、わたくしに深い不信感と失望を抱かせました。
その一方で、福島の人たちが置かれた状況に思いを馳せ、福島の人たちへの連帯を示した方々の中には、政治的には「保守」といえそうな向きも多くおられました。まっとうで暖かな人間性を感じるそれらの方々の言動や姿勢に、わたくしは立場の違いを越えて深い共感と敬意を覚えました。
このような状況を目の当たりにして、わたくしは従来のような「リベラル」「保守」という図式に立って裁断するような政治や物事の見方とは、いったい何だったのだろうか・・・ということを、困惑とともに感じざるを得なくなりました。そしていつしか、政治について語ることも、考えることも億劫に感じるようになり、政治的なことには距離を置くようになっていました。
これまでの「リベラル」や「保守」のありようを徹底的に見直し、これからの時代に向けた「政治哲学」や「自由」の在り方を考えた、この佐々木俊尚さんの新著『21世紀の自由論』は、政治的なことにウンザリし、距離を置いていたわたくしにとっても、大いに刺激と示唆を与えてくれる一冊でした。

佐々木さんはまず第1章で、日本における「リベラル」のありようを痛烈にえぐります。欧米におけるリベラリズムと異なり、日本の「リベラル」は独自の政治哲学を生み出せず、ただ「反権力」という立ち位置にのみ依拠している、と指摘。かつてはその問題点が浮上することもなかったものの、日本社会がグローバル化と格差化の波に翻弄されるようになってことで、「反権力」でしかない立ち位置は有効性を失ってしまった、と喝破します。
さらに、経済成長に対して否定的な日本の「リベラル」は、緊縮財政を求める欧米の「保守」と主張が非常に似ている、ともいいます。そして、江戸時代や昭和30年代といった過去を美化して「昔は良かった」とノスタルジーを語るところも、また保守と似通っている、と続けます。なんとも皮肉なことです。
佐々木さんは、日本における「リベラル」の問題点を「マイノリティ憑依」と「ゼロリスク幻想」ということばで腑分けします。「社会の外から清浄な弱者になりきり、穢らわしい社会の中心を非難する」という「マイノリティ憑依」により、ものごとに「絶対安全」「100パーセント大丈夫」を求める「ゼロリスク幻想」が生み出され、それがデマと陰謀論で日本の「リベラル」を自滅に追い込んでいる元凶のひとつ、と。まさしくそれは、原発事故後に福島の人たちに対して「リベラリスト」がとった姿勢そのものでもありました。
佐々木さんは言います。

「日本の『リベラル』を名乗る政治勢力によってまちがいなく、多くの人々が差別され、排外されたのである。
これは私たち日本社会の、今後の百年の禍根となるだろう。」


この指摘に真摯に向き合えるのか、否か。そこに「リベラル」の存在価値が厳しく問われているのではないか、とわたくしには思えました。

では、「リベラル」に対抗する「保守」の側はどうか。佐々木さんは、「保守」が唱えている家族観や伝統というものが、歴史的に見てそれほどの根拠はないということを述べ、「家族の成立も、国家と国民意識の成立も、満足に歴史の知識もないまま、歴史と伝統を守れと叫んでいるのが日本の保守」と痛言します。そして、自分の経験や皮膚感覚でしかものを語らず、一貫した哲学もないところは「リベラル」と同じ、とも指摘するのです。
また、近年台頭している、いわゆる「ネット右翼」についても言及。それらは日本の「リベラル」とマスメディアの「マイノリティ憑依」へのアンチテーゼもある、との見方を示します。そして、ネットの普及によって、これまで隠されていたそれらが可視化され、大きな政治勢力となっているのが現在の状況、と述べます。
左右の両極端、それぞれの「正義」が鋭く対立する中で、必要となるのはいかなる考え方なのか。佐々木さんは言います。

「正義と正義を戦わせるのではなく、リアルな感覚によって私たちは正義をマネジメントしなければならない。マネジメントによって、ゼロか100かではなく、正義と別の正義のあいだにある中間のグレーの領域を引き受けるという考え方が必要なのだ。」

そして、両極端で声も大きな存在に隠れて見えにくくなってしまっている、白黒をつけたがらずグレーを許容してものを考えることができる、穏健で良識的な「中間領域」の人たちの意見をすくい上げる仕組みが形成されていないことの問題を指摘します。
偏った「主張」の応酬にウンザリし、嫌悪感すら覚えていたわたくしにとって、佐々木さんの問題意識は大いに頷けるものがありました。まっとうで普通の考え方を持つ人たちの意向が反映されていないことが、今の政治における最大の問題だと、わたくしも(漠然とはいえ)考えておりましたから。

続く第2章で佐々木さんは、視点を世界へと拡げていきます。
ヨーロッパにおけるリベラリズムの前提となっている「普遍的なもの」という理念。欲望のままに生きるのではなく、理性的に人生を選びとるという理念そのものが、哲学的な思考の中で生まれた空想であり「後づけ」の理念であると、佐々木さんは言います。そして、グローバリゼーションによってヨーロッパという「中心」が成り立たなくなるとともに「幻想」となった「普遍的なもの」に依拠するリベラリズムは、自己責任による選択でものごとを決めなければならない「自由」の困難さを押しつけるものとなっていることが、歴史的な経緯を踏まえながら語られます。
それに変わるものとして台頭してきたのが、コミュニタリアニズム=共同体主義でした。小さな共同体の中での善を見いだそうという考え方でしたが、こちらも同調圧力とそれによる排除の論理を招いてしまうことになりました。

リベラリズムでもなく、コミュニタリアニズムでもない、「第三の方向」はあるのか。第3章で佐々木さんは「優しいリアリズム」という考え方に沿って、新たな秩序にいたるまでの長い移行期に必要となる政治のあり方、そして生存戦略を述べていきます。
「理」や「論」だけで動いていくのが「冷たいリアリズム」。それに対して「優しいリアリズム」は、「理」だけでなく「情」も大切にしながら、論理からこぼれ落ちてしまう人たちに手を差し伸べようということです。あわせて、外交でも安全保障でも、社会の中のできごとに対しても、両極端から白黒つけたがるのではなく、中間領域のグレーの部分を引き受けてマネジメントしていくこと。そんな、情とリアルのバランスを求めていくのが「優しいリアリズム」であると述べます。この考え方には非常に強く共鳴できるものがありました。

続けて佐々木さんは、これからのネットワーク共同体の可能性について自論を展開していきます。そこでの生き方は、人と人との関係がつねに流動し、公正さによって担保される「入れ替え可能性」によって変わっていく、選択の余地がない離合集散の「漂泊的な人生」であり、そんな自由でもなければ不自由でもない「非自由」な方が、私たちは幸せとなれるのでないか、と。
ある程度固定化された環境での、可もなければ不可もない安逸な生き方に慣れきった身には、漂泊的で非自由な人生というのは正直まだまだイメージしにくいところがありますし、ちょっとだけ不安に思えなくもありません。ですが、これまでの生き方を陰に陽に縛ってきた考え方から、それこそ「自由」になってみれば、これはこれでけっこう面白い生き方になるのかもしれないな、と感じました。

政治的な言説や主張にウンザリし、嫌悪感すら抱いて遠ざけていたわたくし。本書はそんなわたくしにも、これからの政治や社会のあり方を、希望とともに考えさせてくれた「道しるべ」のような一冊となりました。
何より深く共感を覚えたのは、政治的な違いを越えて共有することができる「最後に守りたいものは何なのか」を問いかけ、みなで生き残ることを目指そうとする、本書のスタンスそのものでした。一人でも多くの方々に、このスタンスが共有されることを願いたいと思います。

本書のオビには、「佐々木俊尚の新境地!」とあります。佐々木さんによれば、「今、何が読まれるか」という受け手目線ではなく「今、自分は何を書きたいのか」という書き手目線で、どんな本を書くか決めるようになった、とのことで(モンブランのサイトに掲載された佐々木さんのインタビュー記事より)、本書はその最初の試みというわけです。
これからの佐々木さんが、どのような著作を世に問うていかれるのか、大いに楽しみであります。



【関連オススメ本】

『自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門』
佐々木俊尚著、大和書房、2014年

FacebookなどのSNSを活用した、ゆるいつながりがもたらす信頼感が、これからの時代を生きるための生存戦略となっていくことを述べたのがこの本です。新しい「情の世界」を、グローバリゼーションという「理の世界」とうまくかみ合わせていこうという提言を、きわめて親しみやすい語り口で提案した内容は、『21世紀の自由論』の序論にして実践編といってもいい感じがいたします。拙ブログでの紹介記事はこちらです。→ 【読了本】『自分でつくるセーフティネット』 前を向いて生きる勇気が湧くIT時代の生き方指南

NHKスペシャル 終戦70年企画『“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~』

2015-08-09 23:34:03 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル 終戦70年企画『“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~』
初回放送=8月9日(日)午後9時00分~9時49分
語り=渡邊佐和子
手記朗読=NHK東京児童劇団
製作=NHK長崎放送局・福岡放送局


70年前のきょう。長崎市に投下された原子爆弾により、爆心地から700メートル離れたところに位置する山里小学校(当時は山里国民学校)では、1300人もの子どもと教師の命が奪われました。
その中で、奇跡的に生きのびることができた、当時4~11歳だった37人の子どもたちの被爆体験手記がまとめられ、1949年に出版されました。


『原子雲の下に生きて』と題されたその手記集をまとめたのは、『長崎の鐘』や『この子を残して』といった著書で知られる長崎医科大学の永井隆博士でした。それ以降、37人は “あの子” と呼ばれ、長崎を象徴する存在となりました。
NHKは、35年前の1980年に、37人の子どもたちのその後を取材し、『あの子 原子野に生きた37人』というドキュメンタリーを製作していました。それからさらに35年後の今年、原爆によって人生を大きく変えられてしまった “あの子” たちの足跡を辿ったのが、この番組でした。

手記を寄せた子どもたちの中で最年少だった、当時4歳の女性。両親を原爆で亡くして孤児となったあと親戚に引き取られますが、そこではたびたび暴力を振るわれました。今でも背中には、その時に受けた傷が残っているといいます。
その後親戚の家を出て就職し、自活した彼女でしたが、徐々に弱視がひどくなっていき、そのことで仕事をやめさせられることに。身寄りもなかった彼女は被爆した方々が入所する養護ホームに入り、現在に至るまでずっとそこで暮らしています。ホームに入所してからは外との繋がりも薄れ、結婚することもできませんでした。彼女は語ります。
「わたし、70年も何してたんだろう、って思うことがある。原爆さえ受けてなかったら、きっと結婚していたんだろうな、と」
彼女が発した言葉が、ナレーションにより語られます。「戦争よりも、戦後に受けた傷のほうが大きかった」。

手記集が出版された当時の37人の集合写真で、一人だけ靴を履いていなかった少女が写っていました。当時6歳だったその女性は、住んでいた家が全壊した上に父親が失業。家族7人は食べるものにも事欠くような貧しい生活を強いられます。「靴だけじゃなく、着替えるための服もなかった」と彼女は振り返ります。その後、2人の子どもに恵まれた彼女は、子どもたちには自分が味わったような貧しさを味わわせたくない、と「原爆のことはなるべく考えないように」必死になって2人を育てました。
その2人の子どもの1人である息子さんから、50歳を過ぎた彼女は「一緒に住まないか」と呼ばれます。しかし、その時息子さんはこう言ったといいます。
「お母さん、被爆したことは絶対に言ってはいけないよ」
生まれつき心臓を患っていたという息子さんは、それが原爆と関係があるのではないか、と思っていたというのです。「その時のことが一番辛かった」と彼女は言います。
その息子さんも、11年前に亡くなっていました。「もっとたくさん話したかった」と彼女は語りました。

被爆した体験を語ること自体を、妻から反対されたという男性もいました。妻からは「もう不安だったとしか言えない」と言われたといい、特に初孫が生まれてからは「原爆については絶対に話さないでほしい」とも言われた、と。やはり、なんらかの影響があるのではないかと不安に思っているのでは、と男性は推察します。
男性がつぶやいた言葉が、ナレーションにより語られます。
「つらくはないけど、寂しいね」

語り部として、手記の内容を1万回以上語り続けている女性。彼女を駆り立てているのは、妹の死を無駄にしたくない、との思いでした。被爆後、「ウジがわいて臭い」などといじめられていた妹さんは、被爆から10年後に自ら列車に飛び込んで命を絶ったのです。
しかし、彼女は被爆体験を語ることの難しさを感じていました。「あまり残酷な話をすると、“夜眠れない” という子どももいるし、お母さんからは “そんな話をしないでください” と電話で言われたりもする」と彼女は言います。加えて、病院に通うことも増えた昨今は、語る機会自体も減ってきている、とも。
37人の “あの子” のうち、すでに5人の方が亡くなっています。

35年前のドキュメンタリーで、一人取材を拒否していた男性がいました。その男性は、「どうしても言っておきたいことがあるから」と、今回の番組の取材を受けることになりました。
男性は、足にひどい火傷を負っていました。手術は受けたものの、足にはケロイドが残りました。その経過を調査するという名目で、米軍が設置したABCC(原爆傷害調査委員会)によって、幾度も皆が見ている前で連れ出されるという屈辱を味わいました。
男性は取材を受けるにあたって、ABCCによる調査資料を取り寄せていました。あの時、裸にされて撮られた写真を見せたい、というのです。しかし、資料には写真は1枚も添付されてはいませんでした。
10年前からがんに苦しめられているという彼は、原爆がもたらした苦しみと怒りを綴ったことばを読みあげます。
「早く死なせてくれたらいいな」
「原爆ほど、人の人生をめちゃくちゃにしたものはない」

当時7歳で被爆し、両親を亡くした女性。10代から20代にかけて、仕事を求めて全国各地を彷徨うことになりました。その時のことは絶対に話したくはない、と彼女は言います。
「その時はもうボロボロだった。両親を亡くしたときよりもボロボロだった」
そんな苦しさを打ち明けることができる唯一の存在が、やはり長崎出身の夫でした。夫の勧めで、高校に行けなかった彼女は通信制の高校を卒業することもできました。
その夫も、脳梗塞のあと認知症も進行していて、会話がしにくくなっているといいます。しかし、彼女が高校に行けなかったことを悔しがっていたことを、夫はしっかりと覚えていたのでした。
インタビュー取材が終わったあと、彼女は付け加えるようにこう語りました。
「何の役にも立たないけれど、原爆の話だけは後世に伝えなければならない。苦しむのは自分たちなんだから、伝えてほしいと思います」

被爆した方々がその後に辿った人生について、自分はまだまだ何も知らなかったということを、つくづく思い知らされました。それほど、登場した “あの子” たちの証言の一つ一つに打ちのめされました。
原爆がもたらした惨禍の実状が語り継がれなければいけないことはもちろんのこと、原爆によって大きく変えられてしまった、被爆した方々のその後の人生についても、もっともっと語り継がれなければならないのではないか、という思いがいたしました。
もちろん、あまりにつらい体験と人生であるがゆえに、語りたくないという方も少なくないでしょう。その思いは最大限、尊重されなければなりません。その上で、なぜ語りたくないのかについて、可能な限り想像を及ばせることが、原爆がもたらしたものについて考えることにもなるのではないだろうか、とも思うのです。
重い内容でしたが、大事な問いかけに満ちていた番組でした。