読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

別府・日田 いい湯いい酒いい人旅 (第4回) 入りそびれた日田温泉・・・でも、気持ちを暖めてくれた美味しいお店

2018-03-22 23:17:59 | 旅のお噂
日田市の豆田町を散策していた2月11日。時刻はお昼どきになってまいりました。
わたしは、下調べで目をつけていた和食のお店を見つけ出し、立ち寄ってみたのですが、もうすでに予約でいっぱいになってしまって・・・ということで、入ることができませんでした。それならば、とこれまた目をつけていたうなぎ料理のお店に行くと、そちらも店先に並んで待っているお客さんがいるという状態。その後さらに、別の和食店やカフェをあたってみたのですが、いずれも予約でもういっぱい、と言われてしまいました。
うーむ、これはどうしたものか・・・と、食事のできそうなお店を見つけるべく焦っていたわたしの目に、「うどんとお酒」を標榜するお店が飛び込んできました。店先には日本酒の一升瓶がズラリと並べてあったりして、それにも気持ちがそそられました。よしここにするか!と、その「お食事処 たっちゃん」というお店に入りました。


入ってみると内部は思いのほか小さめながら、カウンターやテーブルのほかに座敷も備えたつくりです。メニューを見ると確かにお酒類が充実していて、日本酒から焼酎、ビールにホッピー、ワインなどがズラリと列記されておりました。日本酒も大分県内外の銘柄がいろいろとあったのですが、ここはやはり日田の地酒である「薫長」をいただきたいところであります。とはいえ、「薫長」だけでもいくつかの種類がラインナップされております。どれにしようかと迷っていたわたしに、お店のお兄さんは、
「きょうはちょうど、薫長の酒蔵では蔵開きやってるんですよ。なので、それにちなんで新酒はどうですか?」
とオススメしてくださいました。おお、そうだったのか。これはいいことを教えてもらいました。それなら、ということでオススメ通りに新酒を注文させていただきました。お兄さんはわたしの前に枡に入れたコップを置くと、コップからお酒を溢れさせて枡にもいっぱいにして出してくださいました。嬉しいねえ。


かすかに緑がかった色をした「薫長」の新酒は、新酒らしい清新さを感じさせる爽快な味わいで、実にいい飲み口。オススメに従ってこれを選んで大正解でございました。
そうか、きょうは「薫長」の蔵開きでしたか!とわたしが言うと、お店のお兄さんは、
「そうなんですよ!きょうは2000人くらいは来てるんじゃないか、というくらいで」
などとおっしゃいました。なかなか、気さくな好青年なのでありますよ。お兄さんは、「これはおつまみにどうぞ」と言いつつ、小鉢にマカロニサラダを盛って出してくださいました。これもまた、美味しいのであります。このお店を選んで良かったなあ、という気持ちが、しみじみと湧いてまいりました。


「うどんとお酒」という言葉に惹かれて入ってみたんですよ、とわたしが言うと、お兄さんは「いろいろとお酒を集めるのが好きなんですよ」とおっしゃいました。カウンターの奥を見ると、確かに日本酒のほかに焼酎もいろいろな銘柄が並んでおりました。あらためてメニューを拝見すると、お酒に合いそうな一品料理もたくさんラインナップされておりますし、目の前ではおでんも美味しそうに煮えておりました。「夜もやってますよ」とお兄さん。なるほど、これは夜呑みに立ち寄ってもゆっくりできそうであります。
やがて、昼食に注文していた「日田野菜カレーうどん」が届きました。さつまいもやパプリカ、ナス、ししとう、ブロッコリーなどのたっぷりの日田産野菜、そしてチーズがトッピングされたカレーうどん。お兄さんはチーズをバーナーで炙った上で「よく混ぜて召し上がってくださいね」と言ってお出しくださいました。


スパイシーなカレーとチーズが混ざった濃厚な美味しさもさることながら、トッピングされた野菜の美味しいこと。とりわけ、旨みの詰まったナスには、ナスってこんなに旨かったのか!と驚きを覚えたくらいでありました。日田はぶどうだけでなく、野菜もまた、かなりの実力者でありますなあ。
お酒の酔いと、いいお店に巡り会うことができた嬉しさでいい気分になりながら、わたしは「たっちゃん」を出たのでありました。

昼食の後は甘いものでも・・・ということで、なにかお菓子を買って食べることにいたしました。実はスイーツ天国でもある日田には、和洋それぞれのお菓子屋さんもあちこちにあったりいたします。
わたしは、豆田町の中にある和菓子のお店「御菓子司 京橘」に立ち寄り、目玉商品である「いちご大福」を買い食いしました。



スイーツ大好きなことで知られる、俳優の的場浩司さんもお気に入りだというこの「いちご大福」。がぶりと齧ると、求肥の中にはいちごが丸ごとどーんと入っていてまことにジューシー。いちごをくるむ白餡も程良い甘さで、あんこが苦手という人でも美味しく食べられそうであります。いい食後のデザートになりました。
そのあと、さきほど呑んだ日本酒「薫長」の蔵元を訪ねました。なるほど、「たっちゃん」のお兄さんが教えてくださった通り、蔵は蔵開きということもあって多くの人で賑わっておりました。


蔵の中では、蔵開き限定のお酒の即売が行われていたほか、蔵の一角がお酒の飲み比べができる「角打ち場」になっていたり、できたての酒まんじゅうや甘酒の販売などがあったりして大盛況でありました。わたしも「角打ち場」でいろんなお酒の飲み比べをしてみたい気になりましたが、結局は見送ってしまいました。なんせ、すでに昼食かたがたお酒を呑んでいた上、前の晩に飲み過ぎて二日酔いだったりしたもので・・・。
そのかわり、吟醸酒の酒粕でこしらえたという甘酒を買って飲みました。暖かくてほんのり甘い甘酒は、冷えていたカラダをじんわりと暖めてくれました。


ひと通り豆田町散策を終えたわたしは、三隈川沿いにある日田温泉で暖まろうということにいたしました。日田温泉には別府のような共同浴場はないのですが、川沿いに立つ何軒かのホテル・旅館では立ち寄り入浴ができることになっておりました。
日田温泉にやってきたわたしは、温泉浴場を設けたホテルの一軒を訪ねて入浴できるかどうかを確認してみたのですが、「本日は結婚式が入っておりますので・・・」入浴のみの受付はやっていないとのお答えでありました。わたしはさらに、温泉浴場を設けた他のホテル・旅館を数ヶ所あたってみたのですが、いずれも宿泊やお食事のお客さんが入っていることを理由に断られてしまい、ひとり旅の不遇を味わう結果となってしまいました。まあ、それぞれのホテルや旅館にも商売上の都合というものがあるのでしょうが・・・冷えたカラダを温泉で暖めようと楽しみにしていたわたしはちょっと、ガッカリでありました。でもまあ、自分の思う通りにいかないこともあるのが旅というもの。これは仕方がございません。

それなら、ということで予定を変更して、温泉街からもほど近いところに位置している「日田祇園山鉾会館」に向かいました。
国の重要無形民俗文化財にして、一昨年(2016年)にはユネスコから無形文化遺産にも指定された、約300年の歴史がある「日田祇園祭」。豪華絢爛たる人形と、刺繍が施された見送り・水引幕や提灯で華やかに飾りつけられた巨大な山鉾が街の中心部を巡行する、日田の夏を彩る伝統行事であります。「日田祇園山鉾会館」には、実際に祇園祭の曳山行事で巡行されている6基の山鉾が常設展示されています。
入場料を払って中に入ると、6基の山鉾が吹き抜けの展示スペースいっぱいに堂々と立ち並んでおりました。




高さ10メートル近くにおよぶ山鉾は、見上げてもなお全体がつかみ難いほどの大きさで、その迫力にはただただ圧倒されました。歌舞伎の一場面から採られて作られた人形と建物も凝りに凝った作り込みで、ついつい細部まで見入ってしまうくらいに見事なものでした。
2階かに上がって山鉾を見下ろすと、下からは容易に見えない上部に至るまで細かい作り込みがなされていることがよくわかり、一層驚きました。これらの山鉾を作るのに、どれだけの手間と技巧がかけられているのかを想像すると、感銘を覚えずにはいられません。


2階には、日田祇園祭と山鉾にまつわるさまざまな資料が展示されていました。まだ電線など張られていなかった江戸時代には、なんと高さが12〜15メートルにまで達する山鉾もあったのだとか。伝説上の動物などが刺繍された見送り幕や水引幕もまた、見事なものでありました。
日田祇園祭に象徴された天領日田の商人文化が、いかに豊かさと力強さに満ちたものだったのかということを、「日田祇園山鉾会館」の展示で知ることができました。

山鉾会館を見学したあと、そこからほど近いところにあるこの日の宿泊場所「ビジネスホテル パークインサトー」にチェックインいたしました。ビジネスホテルということで宿泊料もお手頃な上、飲食店街のすぐ近くに位置しているというところが、まことに便利なのであります。
部屋に入ると、ユニットバスの浴槽にお湯を張ってそれに浸かり、冷えたカラダを暖めました。天然の温泉でもない、狭いユニットバスのお湯ではありましたが、浸かっているとなんだか、気持ちがホッとしたのでありました・・・。

お風呂から上がってひと息ついているうちに、街に灯りがともる時刻が近づいてまいりました。さあ、お楽しみの日田での外呑みであります。
日田に出かける前の下調べで、いくつか気になるお店がございました。ホテルのフロントでもらった飲食店マップでそれらのお店の位置を確認しながら飲食店街を歩いたのですが、日曜日ということもあってかお休みしているお店もありました。少々迷った末、なんだか惹きつけられる外観をした「大衆居酒家 いちふく」というお店に入りました。


店内にはすでに呑み客の皆さんが数組ほどいて、そこそこの活気を見せておりました。察するところ、いずれも観光客ではなく地元の、それもよくこのお店に来られている方々とお見受けしました。地元の方々の憩いの場となっているお店なら、きっと大丈夫でありましょう。
メニューを拝見すると、居酒屋でよく見かける品をはじめとして、和洋中の幅広い料理が列挙されておりました。中でも、パスタやピザ、一品料理といったイタリアンメニューの充実ぶりは、専門店にも匹敵しそうな感じでありました。純和風居酒屋、といった外観ながらも、なかなかユニークなお店のようであります。


わたしはまず、冷奴とともに生ビールをいただき、お次に洋風メニューの「白身魚のフリッター」を注文いたしました。衣の揚がり具合がサクサクしていて、おつまみにもちょうどいい感じ。生ビールの次に呑んだ、ほのかな甘さの日田梨チューハイにもよく合いました。上にかかっているソースも美味しゅうございました。



呑み食いしていると、お店に入ってきた1人のおじさんがわたしの座っていたカウンター席の左側に座りました。やたら大きな声でケータイをかけたりお店の人を呼ばわったり、さらにはしきりに口をチッチッチッと鳴らしたりと、なんだかあまりお近づきにはなりたくないような感じのおじさんでありまして・・・。
まあ、酒場でのひとり呑みではたま〜に、困った感じのお方と出くわすこともあるし、まあ仕方ないか・・・。そう思いつつ呑み食いを続けていると、件のおじさんが呼び出した人が2人来ることになったので、その時は席を1つずらしてもらうかも、とお店の女将さん風の方から言われました。
ああ、それは別に構いませんよ、と答えつつ、件のおじさんのおカオを正面から見ると・・・細いメガネの奥に見える目はすごく優しく、人を惹きつけるような魅力すら感じるほどでありました。おじさんはとりたてて何もおっしゃりはしませんでしたが、わたしにちょこんと会釈してくださいました。瞬間、わたしは思いました。ああ、このおじさんは決して、悪いヒトじゃないな・・・と。
実際、お店の方々や他のお客さんもみな、どうやらこのおじさんとは親しいようで、かつそれらの方々にとっても、このおじさんは愛すべき存在になっているということが、おぼろげながら伝わってまいりました。きっと、地元では名物男のような存在なんだろうなあ・・・。そう思うとなんだか、楽しい気分になってまいりました。
楽しくなってきたついでにイタリアンが食べたくなってきましたので、メニューに並んだイタリアン料理から「たこぶつ炒め」を注文いたしました。ぶつ切りにしたタコを、アンチョビとケッパーのソースで炒めた一品料理。実に濃厚な味わいで、大分の麦焼酎のおともにもピッタリでありました。


わたしの右隣りで呑んでおられた初老の男性も、焼酎とともにあん肝を召し上がっていたかと思うと、お次はりんごパイを箸で平らげ、しまいには酢豚を注文したりしておられました。皆さんそれぞれ、バラエティに富んだメニューから気ままにチョイスして、楽しんでいるようでありました。
・・・それにしても、運ばれてきた酢豚のボリュームのすごいこと。2人前とまではいかなくても1.5人前くらいはありそう。これ、お一人で食べきれるのかのう・・・などといらぬ心配をしていると、お隣の男性がわたしに話しかけてこられました。
「あのう・・・まことに失礼なのですが・・・コレ、一緒に食べてもらえますか?」
ああやっぱり、お一人では食べきれないようであります。わたしはそれならと、ありがたくお相伴にあずかることにいたしました。
食べてみると、からりと揚がった豚肉に甘酢あんがよく合っていて、中華料理店も顔負けというくらいの美味しさ。さまざまに違う趣きの料理をしっかり美味しく出してくれるこのお店、実力もなかなかのようであります。


それをきっかけに、右隣の男性としばし話し込みました。この酢豚美味しいですねえ・・・とわたしが言うと、男性は「そうそう。もともとは中華から始まったお店なんですよ、ここは」と教えてくださいました。なるほど、どおりで酢豚の味わいも本格的なわけだ。この方も、このお店の長いご常連さんのようであります。
日田が雪が降るくらい寒いなんて思ってませんでしたよ・・・と言うと「いやいや、こんなに寒くなるのも珍しいよ」と言われます。わたしの住む宮崎ではどんなに寒くても雪にはなりませんで・・・と言うと、「あ、でも高千穂や加久藤あたりでは雪が降るんですよね」などとおっしゃいます。けっこう宮崎についてもご存知のようで、ちょっとビックリでありました。

ふとカウンターの正面に映っていたテレビに目をやると、別府市の中心街にある共同浴場「梅園温泉」が、今年中にも再建される見通しになった、ということを、大分のローカルニュースが伝えておりました。
飲食店が集中している繁華街の、入り組んだ細い路地の中というユニークな立地の梅園温泉でしたが、一昨年の熊本地震により被害を受けた建物は取り壊され、更地になっておりました。日田を訪れる前日の夜、別府の繁華街を歩いて梅園温泉の跡地を訪れると、そこには梅園温泉を再建するための寄付金を募る立て札が立っていて、再建に向けた動きが進んでいることを知ることができました。


別府に続いて訪れた日田の酒場で、梅園温泉が再建されるというニュースに接することができ、大いに嬉しい気持ちになりました。再建されたあかつきには、ぜひともゆっくり浸かりにいかなくては。

わたしの右隣におられた男性は「それじゃお先に」と言って帰っていかれました。そして、左のほうにおられたおじさんも、ケータイで呼び出した知人らしき女性と男性の3人で連れ立って店を出ていきました。どうやら次のお店へと移動されるようであります。
「一見コワそうだけど、けっこういい人だったでしょ」
おじさんたちが店を出たあと、女将さんらしき方がわたしに声をかけてこられました。うんうんわかります、目がすごく優しそうでしたから・・・と答えるわたしに、女将さんらしき方はニッコリ微笑んでくださいました。
さあ、わたしも引き上げるといたしましょう。お会計の時「また来てくださいね」とおっしゃる女将さんらしき方に、はい!次は1年後になると思いますが必ず来ます!と答えたわたしでありました。
美味しくてバラエティに富んだお料理と、地元の皆さんが醸し出す楽しい雰囲気・・・。「大衆居酒家 いちふく」は、わたしの心を温泉のように、ぽっかぽかに暖めてくれたのでありました。

別府と日田への旅のお噂も次回で完結です。最終回は、日田の偉人である廣瀬淡窓の先進的な教育思想と志に触れたお話であります。

(最終回に続く)


「御菓子司 京橘」の紹介→ 一般社団法人日田市観光協会「おいでひた.com」https://www.oidehita.com/1135.html
クンチョウ酒造ホームページ→ http://www.kuncho.com/
「日田祇園山鉾会館」の紹介→一般社団法人日田市観光協会「おいでひた.com」https://www.oidehita.com/365.html
「ビジネスホテル パークインサトー」ホームページ→ http://parkinsato.com/
「大衆居酒家 いちふく」の紹介→サッポロビールホームページ http://www.sapporobeer.jp/gourmet/0000006659/

別府・日田 いい湯いい酒いい人旅 (第3回) 豆田町で感じた、豪雨から立ち上がろうとする天領日田の心意気

2018-03-21 20:10:50 | 旅のお噂
大分への旅、2日目である2月11日(日曜)の朝。別府をあとにしたわたしは、久大本線に乗って日田市へと向かうべく、大分駅のホームにおりました。
前日はイマイチだった天気も、この日の朝にはだいぶ持ち直しておりましたが、そのかわり気温のほうはググーッと冷え込んでおりました。日田行きの列車を待つ大分駅のホームにも寒風が吹いていて、わたしはかじかむ手をポケットに入れつつ凍えておりました。
寒風に凍えながらも、気持ちのほうは暖かでありました。そんな気持ちにさせてくれたのは、別府から大分駅までの移動で乗った普通列車の車体でした。そこには、昨年9月の台風による土砂崩れや冠水による被害で一部区間が不通となりながらも、年末までには復旧し全線での運行が再開された、日豊本線へ寄せられた手書きのメッセージがラッピングされておりました。



それらのメッセージからは、地域の人びとにとって、鉄道がいかに大事な交通インフラになっているのかが伝わってきて、なんだかジンとくるものがありました。そして、地元である佐伯市や津久見市を愛する熱い思いも、またじんわりと伝わってまいりました。経営的にはいろいろと大変な中で、災害からの復旧に尽力しているJR九州の努力には敬意を払いつつ、これからも鉄道を必要としている沿線住民の利便性には最大限の配慮をしていただけたら・・・と願うのであります。
暖かになった気持ちとともに、ホームに入ってきた日田行きの特急列車に乗り込んだわたしでありました。

日田を訪れるのも20年ぶりくらいなのですが、思えば久大本線に乗り込むのもまた、ずいぶん久しぶりのことでありました。
以前はこの久大本線に乗り込み、毎年のように湯布院に出かけていた時期がございました。まあ湯布院といえば、どちらかといえば一人旅派よりは団体客や家族連れ、はたまたカップルといった “リア充” な皆さまの聖地、といった観がありますが、恵まれた自然に囲まれた温泉郷、といった雰囲気はけっこうお気に入りでありました。個性のある飲食店やお土産屋さんに立ち寄ったりするのも、また楽しいものでありました。その頃からずいぶん経っておりますので、湯布院もだいぶ、雰囲気が変わっているのでありましょうか。なんだか久しぶりに、湯布院にも立ち寄ってみたいという気がいたしますが・・・。
その湯布院に近づくにつれ、列車の窓から眺める景色にところどころ、雪が残っているのを目にいたしました。そして、列車が湯布院に停車したときに外を見ると・・・なんとホームには雪がちらほらと舞っているではありませんか。冬でもめったに雪が降らず、降ったとしてもすぐに止んで積もることのないという南国宮崎で生まれ育ったわたしは、雪の舞う風景自体に軽いコーフンを覚えたのであります。おお、やはり内陸に行くにつれて、冷え込みも強くなるということなのか。
事実、湯布院を出て内陸へ進むにつれ、窓の外に見える風景に残る雪の量が徐々に増えていくのがわかりました。これは日田もけっこう、冷え込みが強そうだのう・・・。
日田まであと少し、というところで、川に沿うように立ち並ぶホテルや旅館が見えてまいりました。玖珠川沿いの温泉郷、天ヶ瀬温泉であります。ここにも以前、立ち寄ったことがございました。・・・川のすぐそばにある露天風呂がよかったなあ。しかも混浴の。まあ、オレが入ったときには女の人はいなかったけど、川の流れを間近で感じながらの入浴は最高に気分良かったなあ。でも、温泉から上がってしばらくしてから近くを通ったら女の人がグループで入ってて、ちょっぴり悔しかったなあ。うまくはいかないもんだのう・・・。
とまあ、そんなことをあれこれ思い返していたりするうちに、終点の日田駅に到着いたしました。本来ならば、九大線はここから福岡の久留米まで伸びているのですが、昨年の九州北部豪雨により、日田を流れる花月川にかかっていた橋が流されてしまい、現在は不通区間でバスによる代行輸送が行われております。
降り立った日田駅の駅舎は真新しく、杉のいい香りが漂っておりました。どうやら、ご当地特産の日田杉がふんだんに使われているようであります。


駅舎から外に出ると・・・いやー、やっぱりけっこうな寒さでありました。ここは歩き回ってカラダを暖かくしなければと、江戸の街並みが残る豆田町まで歩いて行くことにいたしました。豆田町までは1.2キロほど。歩けない距離ではございません。
豆田町も、昨年の豪雨のときには浸水被害があったと聞いておりました。久しぶりの豆田町訪問を楽しみにしつつも、はたして今はどうなっているのだろうか・・・と、いささか気がかりでもありました。

日田駅から歩くことしばし。交差点に立つ信号機横に「淡窓一丁目」との地名表示が。


「淡窓」とは、幕末に私塾「咸宜園」(かんぎえん)を日田に設けて数多くの人材を輩出させた廣瀬淡窓のことで、咸宜園もここから近いところにございます。さすがは日田を代表する偉人、地名にまでなっているんだなあ。
そこからさらに奥へと進むと・・・見えてまいりましたよ、豆田の街並みが。


さほど広くはない道沿いに立ち並ぶ、昔をしのばせる町屋の数々。久しぶりに目にするそれらの風情が、わたしの心を一気に江戸へと引き込んでくれました。




ただ、国指定の重要文化財にも指定されている、元禄の頃に創建された豪商の屋敷「草野本家」は、「平成の大修理」の真っ最中ということで、屋敷の本体には覆いがかけられていて、残念ながら外から見ることはできませんでした。しかし、覆いがかかっていない建物の一部から、昔の面影をしのぶことができました。



・・・それにしても、思っていた以上に厳しい冷え込みでありました。生まれも育ちも南国な上に、人一倍暑がりでもあるわたしは、今回の旅でもそれほど着込んでいたわけではなかったのですが・・・うーむ、これならもうちょい厚着して来ればよかったのう。
ちょっとだけ寒さを避けるとするか、ということで、町屋の中にある「天領日田はきもの資料館」に立ち寄ることにいたしました。一階が、特産の日田杉で作る「日田下駄」の直売所になっていて、入り口を入るとそこには、高さ4メートル、幅2メートルにおよぶ「日本一の杉げた」が、どどーんと鎮座ましましておりました。


入場料100円を箱に入れ、二階にある資料館に入ると、そこには日田下駄をはじめとして、さまざまな下駄がふんだんに展示されておりました。凝った彩色の美しい逸品から、学校のトイレでおなじみだった日用の下駄まで、形状も用途も多種多様。中には花魁道中のときに履かれていた高下駄や、底に氷の上を滑るためのブレード(刃)がつけられたスケート下駄といった変わり種も。


そして資料館の一角には、なんと「天領日田下駄神社」なる社殿(?)が。「ご利益」が列挙された札に「旅行の安全」とありましたので、ささやかながらお賽銭を投げ入れて、日田での旅がいいものとなるようにお祈りしてまいりました。


「はきもの資料館」に隣接している「日田創作和紙人形会館」には、廣瀬淡窓の生い立ちや事績をテーマにした和紙人形作品の数々が展示されているのですが、その作り込みの細かさはため息もので、まるでリアルなジオラマを見ているかのようでした。


それら和紙人形の作品紹介の中に、かつての日田は「九州の北海道」といわれるくらい寒さが厳しかった、という文言がありました。ああ、日田ってやっぱり、寒い場所だったんだなあ。
廣瀬淡窓に関する作品のほかに、明治のはじめに日田に設立された「日田養育館」を再現した作品もいくつかございました。説明文によれば、豪商や医師、産婆などからの拠出金と労務奉仕(ボランティア)によって運営され、360余名の棄児・孤児・貧児が養育されたこの養育館は、全国最初の公的養育施設だったのだとか。天領日田には、そのような社会福祉の歴史もあったということをこれで初めて知り、ちょっと感銘を受けました。

「はきもの博物館」を出て町歩きを再開すると、どこかからカレーのいい匂いがしてまいりました。匂いのもとをたどると、「福爺」なるちょっと変わったお名前のお店が。中を覗くとお店の方が「どうぞ見ていってください」とおっしゃるので、ちょっと入ってみることにいたしました。ドレッシングや鍋料理のタレ、そしてカレーを製造販売しておられるお店でした。
「よろしかったら試食を」と、匂いのもととなっていたカレーを味わってみると、これがなかなかの美味しさ。スパイシーだけど、どこか懐かしさも覚えるようでいい感じでした。鍋料理のタレで煮込んだスープもけっこういけました。
よし、まずはここでお買い物しておこう、ということで、辛口カレーのレトルトを今回のお土産第1号として購入いたしました。旅から帰って自宅で味わってみるとやはり美味しくて、あっという間に平らげたのでありました。うう、ちょっとまとめ買いしときゃよかったなあ。


並行した二本の通りを中心にして、碁盤の目のように区画された豆田の街並み。横丁にもまた、風情のある建物が立ち並んでおります。


ここはちょっと、お茶かコーヒー、あるいは甘酒でも飲んでカラダを暖めたいのう・・・ということで、わたしは横丁にある小さな和風のカフェ「なぎの風」に立ち寄ることにいたしました。表に出していたメニューに「コーヒー」「甘酒」とあったので、そのどちらかを飲もうかな、と最初は思ったのですが、その下にあった「日田産ぶどうジュース」に惹かれるものがあり、お店に入るととっさに「ぶどうジュースください!」とお店の女性に申し上げました。
お店の方はちょっと呆気にとられた表情で「あ・・・えーと、ぶどうジュースでよろしいんですか?」と聞き返してこられました。そりゃそうだろうなあ。外はけっこうな寒さでしたし、お店にいた先客2組はいずれも、コーヒーかなにかの暖かいものをお召し上がりになっておられましたから、そんなときに冷たい飲みものの注文というのは意表を突かれたことでありましょう。
やがて、目の前に氷を入れた、いかにも清涼感のあるぶどうジュースが運ばれてまいりました。お店の方は「冷たいですから、少しずつゆっくりお飲みくださいね」と、気遣いあふれるお言葉をかけてくださいました。


飲んでみると、芳醇な甘みが口いっぱいに広がって、まるでワインを味わっているかのよう。あまりの美味しさに、少しずつゆっくり飲むつもりがたちまちのうちに飲み干してしまいました。なんせ喉が渇いてもいたもので・・・。日田産のぶどう、かなりの実力者でありますねえ。
お会計のとき、わたしが宮崎から来たということをお話すると、お店の方は、
「そうでしたか!さきほど、やはり宮崎から来たという人がいらっしゃいましたよ」
とおっしゃいました。おお、わが宮崎からもしっかり、日田に観光に来られる方がおられるんだなあ。なんだかちょっと、嬉しい気持ちになりました。
豪雨の時にはこのあたりも浸水したんですか、と伺ってみると、お店の方はひざ下あたりを指しながら、
「だいたいこのあたりまで水に浸かってしまいましたねえ。店の中も泥だらけになって、あとで掻き出すのが大変でした・・・」
と、当時のようすを話してくださいました。ああ、やっぱり大変な状況だったんだなあ。でも、お店の方はこう続けました。
「でも、ここも含めてほとんどのお店が再開できましたし、こうやって観光に来てくださる人もたくさんいて、ありがたいと思いますねえ」
豪雨による影響が気になっていた豆田町でしたが、町の皆さんはそこからしっかり、立ち上がっておられることがわかってきて、その心意気にさらに嬉しい気持ちになってまいりました。土砂崩れによって大きな被害を受けた山あいの地域や、橋が流されて不通の区間がある久大本線も、これから復旧、復興が進んでいくことを願ってやまないのであります。
「なぎの風」を出て外を歩くと、空から雪がちらついてまいりました。ちょいと冷えはするのですが、昔をしのばせる街並みに降る雪は、それはそれでなかなか、風情を感じさせてくれました。
そして、雪の降る豆田の通りには、家族連れやカップル、はたまた団体さんなどの観光客が行き交い、けっこう賑わいを見せていたのでありました。

次回は豆田町でのお昼ごはんや、お楽しみの夜呑みのことなど、美味しいお噂を中心にお伝えすることにいたします。


(第3回に続く)


国指定重要文化財・草野本家公式ホームページ→ http://www.kusanohonke.jp/index.html
天領日田はきもの資料館/足駄や ホームページ→ http://getamuseum.com/
豆田町「福爺」の紹介記事→ ブログ「Rnyossy (よしい らどん)の楽しい生活日記」 https://ameblo.jp/rnyossy/entry-12138477596.html
カフェ「なぎの風」の紹介→日田市観光協会のホームページ https://www.oidehita.com/25688.html

【わしだって絵本を読む】『はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』 どんな困難も、力を合わせれば乗り越えられる。

2018-03-10 16:04:43 | 本のお噂

『はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』
すとうあさえ=文、鈴木まもる=絵、童心社、2013年


かつては福島県の郡山と新潟を結ぶ磐越西線で活躍していた、ディーゼル機関車の「デーデ」。その後は活躍する機会も減り、山口県でセメントを運ぶ仕事をしていたデーデでしたが、ある日突然電気機関車につなげられて新潟へと連れて行かれます。東日本大震災が起きてしばらく経ったころのことでした。
震災で大きな被害を受け、電気などのインフラもストップしていた東北の被災地では、重機や自動車を動かすために、そして避難所で厳しい冷え込みにさらされる人びとを暖めるために必要な、燃料の輸送もままならない状況でした。そんな被災した地域に燃料を運ぶため、デーデに白羽の矢が立ったのです。かくてデーデは、仲間のディーゼル機関車との2台連結で燃料タンク10両を引っ張り、新潟から郡山に向けて出発します。被災した地域と人びとに、燃料と希望を届けるために・・・。
震災から15日後の2011年3月26日、夜を徹して東北に燃料を届けたディーゼル機関車の実話をもとにしたのが、この絵本です。

車列の先頭に立ち、正面に「たちあがろう東北」と記されたプレートを取りつけて走った「デーデ」。窓のところに丸いワイパーがついた「ゴク」。それらより一回り小さいながらも、2両を助ける活躍ぶりを見せる「イト」。いずれも東北への燃料輸送で活躍した、実在するディーゼル機関車です。作中では擬人化されたキャラクターとして描かれていますが、鈴木まもるさんの絵はそれら機関車を忠実に、ディテール感も豊かに描き出しています。
いまではすっかり、活躍の機会が少なくなってしまったディーゼル機関車。外見は無骨でお世辞にもスマートとはいえず、スピードが速そうにも見えないそれらの機関車たちが、雪の降りしきる暗闇の中、10両の燃料タンク車を引っ張って郡山へと向かって進んでいく場面を見ていたら、じんわりと目頭が熱くなるのを感じました。ディーゼル機関車たちが困難な状況のもとで、被災した地域にとっての命綱であった燃料を運ぶために踏ん張っている姿には、胸を打たれずにはいられません。
困難な状況の中で踏ん張っていたのは、ディーゼル機関車だけではありません。夜を徹して機関車を運転していた運転士さんたち。「デーデ」たちの点検と整備にあたった整備士さんたち。本書は、それらJR貨物の人びとの働きにも、しっかりとスポットを当てています。
作者のすとうあさえさんは、本書の取材で聞くことができた、JR貨物の方の言葉を「あとがき」に記しています。

「物が届くことは、当たり前。私たちは縁の下の力持ちなんです」

普段は「当たり前」だと気にも留めないけれども、非常事態のときになって初めて、そのありがたみを感じさせられる公共インフラの1つである輸送機関。それを支える人びとの使命感と心意気にもまた、胸が熱くなります。

東日本大震災から、明日でちょうど7年。昨今は震災の記憶の風化がしきりに叫ばれるようになっています。忘れてはいけないこと、忘れようにも忘れられない記憶が厳然としてある一方で、つらい記憶が薄らいでいくことで、前に向かって進んでいける面もあるというのも、また確かでしょう。
ですが、数多くのかけがえのない存在が失われたことと共に、困難な状況に力を合わせて立ち向かった存在があったということは、これからも忘れられることなく語り継がれていってほしい・・・そう願うのです。
どんな困難も、皆が力を合わせることで乗り越えることができる・・・。そんな勇気と希望を伝えてくれる『はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』も、多くの人に読み継がれていってほしい一冊です。


【関連オススメ本】

『命をつなげ 東日本大震災、大動脈復旧への戦い』
稲泉連著、新潮社(新潮文庫)、2014年(親本は2012年に『命をつないだ道 東北・国道45号線をゆく』の書名で新潮社より刊行)

宮城県仙台市から青森県青森市を結ぶ東北の大動脈、国道45号線。震災による津波で大きな被害を受け、救助や救援にも支障が出る事態となっていた道路の復旧に、自らの命を賭して挑んだ人びとのドラマを記録したノンフィクションです。こちらも困難な状況の中、インフラを守るべく力を合わせた人びとの使命感と心意気が胸を打つ一冊です。
現在は単行本、文庫版ともに品切れとなっておりますが、埋もれさせるにはあまりにも惜しい本ということで、あえてここに挙げておきたいと思います。


『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』
佐々涼子著、早川書房、2014年(2017年にハヤカワ・ノンフィクション文庫に収録)

日本の出版物に使われる紙の生産を担ってきた、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場。津波により壊滅的な被害を受け、再開も絶望視されていた工場を、わずか半年で復旧、再開させた人びとの戦いを描いた傑作ノンフィクションです。こちらも、力を合わせて困難な状況と戦い、乗り越えた人びとの記録として、末永く語り継がれてほしい一冊です。
ハードカバー版にも、そして昨年刊行された文庫版にも、石巻工場で生産された紙が使われております。ぜひとも、紙の風合いと質感を味わいつつお読みいただけたらと思います。拙ブログの紹介記事はこちらを。→ 「‪【読了本】『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』 苦難を乗り越え、つながったものの重さと大切さ‬」