読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

「本と人をつなぐ」存在としての書店であり続けるために。

2013-01-30 23:04:21 | 書店と出版業界のお噂
先週の23日。朝日新聞の「耕論」というページに、編集工学者の松岡正剛さんと、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんのインタビューが出ていました。テーマは「本屋サバイバル」。
出版不況にネット書店や電子書籍の台頭•••と苦境にある既存の書店に、再生の道はあるのか、という趣旨の企画でありました。



松岡さんは、これまでの書店は本を種類別やジャンルごとに「機械的に並べるだけ」であり、「本の魅力は十分に伝わらない」として、ファッション業界のようなセレクトショップ的な発想により、2009年からの3年間にわたって、東京丸の内にある丸善の店内にて、書店内書店「松丸本舗」を開設しました。
そこでは従来の分類を廃して、本を一つの「文脈」に沿って「編集」し、組み合わせていくことで、それぞれの本が持つ新たな魅力をお客さんに提示していきました。また店舗には、お客さんの好みに合う本を提案できるような「本の目利き」を置きました。
その3年にわたる試みは、松岡さんの著書『松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』(青幻舎)にまとめられています。

そのときの経験を踏まえつつ、松岡さんは言います。

「ネット書店と電子書籍があれば、紙の本や町の書店は不要になる、との極論も聞きます。だが、本と人との間をつなぐには、人の存在が不可欠です。(中略)読書を苦手に思っている人々も、本の選択や読み方について書店側がちょっとした提案をするだけで、読書の快楽に引き込めるはず。(中略)本と人をつなぐことに貪欲になれば、書店はまだまだいける。そう確信しています。」

そして内沼さんは、書店や出版社のコンサルティングを務めるかたわら、昨年7月に「B&B」という書店を世田谷区にオープン。
「本の売り上げだけで経営が成り立つとは考えていません」という内沼さん。「B&B」では本だけではなく、ビールやソフトドリンクを販売して、それを店内で飲みながら本選びができるようにしています。また、中古家具店とのタイアップで本棚や椅子なども販売。さらには、著者や編集者を招いてのトークイベントを開催し、チケット+1ドリンクによる売り上げを確保したり。
内沼さんは、「ネットの世界に本が解き放たれ」、テキストデータとなった本を巡るコミュニケーションの可能性に言及しつつも、「書店や紙の本に存在価値はあります」と言います。

「紙の本には雑貨のような『モノ』としての魅力がある。(中略)手にとって本を選びたい人、好きな本に囲まれて過ごす喜びを求める人々は、これからも決して絶えないでしょう。もう一つの存在意義は、本を好きになるきっかけをつくること。」

これまでの書店のあり方からの脱却を目指した、松岡さんと内沼さんの取り組み。
それぞれの方法論こそ違うものの、「本と人をつなぐ」ことを模索しようとする意味では同じように思います。
ただ本や雑誌を並べただけで売れていくような時代は過ぎているのではないか、ということは、わたくしも書店づとめを重ねる中で痛感しておりました。
それだけに、松岡さんや内沼さんの試みは大変意義深いと思いますし、魅力的にも映ります。ことに松岡さんがいう「編集」によって新たな本の魅力を提示していく考え方には共鳴するところ大です。

一方で、最近こういう書店の存在を知りました。
大阪にある「隆祥館書店」。創業60年、15坪の小さなお店です。
多くの書店と同様に、隆祥館も売り上げが下がり苦境にありました。
そんな中で、経営者である二村知子さんは、お客さんとのコミュニケーションを大切にしながら、相手のニーズにきめ細かく応えるようにしたといいます。
お客さんの顔と購入した本や雑誌を覚えては、次に来店した時に同じ雑誌の最新号を勧めたり、その人の好みに合いそうな本を仕入れてお勧めしたり。
それを地道に積み重ねていったことで、お客さんとの繋がりを強めていった、と。
(以上については、隆祥館書店について触れた、アナウンサーの村上信夫さんのブログ記事を参照しました。「村上信夫オフィシャルブログ『ことばの種まき』」当該記事「大阪にある嬉しい本屋さん」→ http://s.ameblo.jp/nobu630/entry-11452162062.html )

奇をてらうようなこともなく、「街の小さな本屋さん」の原点を再確認しているかのような、隆祥館書店の取り組み。これもまた、「本と人をつなぐ」ための大切な取り組みだと感じます。

「本と人をつなぐ」ための取り組みに、「これが正解」といえるような万能な解決策はないのでしょう。それぞれの書店と、そこに勤める人たちが、それぞれに合わせた模索を続けていくしかありません。
しかし、そうやって地道に「本と人をつなぐ」ための取り組みを続けていく限り、書店の存在価値が失われることは絶対にない、と、わたくしは思います。



翻って、わたくし自身はどうなのか。
現在、外商の仕事をする中で、「本と人をつなぐ」ための取り組みをどれだけやれているのか。存在価値のある仕事ができているのだろうか。

残念ながら、まだまだ自分の取り組みは不十分に過ぎると感じています。
外商の仕事をする中で、「本と人をつなぐ」ために何をすべきなのか。これもまた、すぐに答えが出すことができません。
そのことを「宿題」として抱え込みながら、自分なりの模索をしていかねば、と思っております。

NHKスペシャル『“世界最強”伝説 ラスベガス 世紀の一戦』

2013-01-27 23:16:36 | ドキュメンタリーのお噂
アメリカで6階級制覇を成し遂げたフィリピン人ボクサー、マニー・パッキャオを主人公としたドキュメントです。

「信じられないほどのスピード」で繰り出されるパンチで、自らよりも階級が上のボクサーを次々と倒し、タイガー・ウッズやデイヴィッド・ベッカムをも上回る収入を稼ぎ出すスポーツ選手となったパッキャオ。
フィリピンのミンダナオ島に生まれた彼は、非常に貧しい少年時代を過ごしてきました。やがて、生きるために始めたボクシングが彼の人生を変えていきます。
パッキャオのトレーナーで幼なじみでもある人物は、パッキャオと自らについてこう言いました。
「俺たちは、脚にナイフをつけて闘う闘鶏のニワトリのようなものだ。でも、ただのニワトリでは終わらない」

そんなパッキャオと闘うことになったメキシコ人ボクサー、ファン・マヌエル・マルケス。それまで3回パッキャオと闘い、1度目は引き分け、2度目と3度目は判定でパッキャオに負けを喫した、因縁の強敵です。
今回の闘いは、巨額のファイトマネーが支払われる代わりに、ノックアウト以外は認めないという条件付きのもの。記者会見の席上、互いに「それまでの試合では俺が勝っていた」と言い、睨み合う両者。

試合前のパッキャオには、脚にけいれんを抱えるという不安がありました。自分より大きな相手と闘うため、脚に筋肉をつけ過ぎたことによる「6階級制覇のツケ」でした。
しかし、それでもパッキャオには闘わねばならない理由がありました。国会議員でもあり、ファイトマネーをつぎ込んで貧しいミンダナオ島に学校や農道を整備している彼は、故郷と国にとっての希望の星でもあったのです。
パッキャオがアメリカへ向かった直後、ミンダナオ島を台風が直撃。540万人が被災し、1500人もの死者が出る大きな被害を受けてしまいました。

そして昨年12月8日、ラスベガスでの試合当日。故郷の台風被害を気にかけながらも、被災した人々のために勝とうと、パッキャオはリングに上りました。
互角の打ち合いが続きましたが、3ラウンドではマルケスのパンチがパッキャオの顔面を捉えます。
その後はパッキャオ優勢で試合が進み、そのままパッキャオ勝利か、とも思われたのですが、6ラウンドで繰り出されたマルケスのパンチを受けたパッキャオは、うつ伏せに倒れ、そのままノックアウト負けに•••。

失意の中で故郷ミンダナオ島に帰ったパッキャオたち。そんな彼らを待っていたのは、道いっぱいに集まり、歓喜の表情で「ありがとう!」と迎えてくれた地元の人々でした。
被災した人々15000人分の緊急支援物質を送ることにしたパッキャオは、人々を前にこう言いました。
「俺が国を背負っていると思っていたけど、実は支えられていたんだ。俺はまだ闘える」
そして、パッキャオのトレーナーのことば。
「やっぱり俺たちは闘鶏のニワトリのようなものだったが、ただのニワトリではない。俺たちは負けても、何度でも立ち上がる」

ボクシングはもちろん、格闘技全般に疎いゆえ、パッキャオやマルケスのことも今回、初めて知ったのですが、そんなわたくしも彼らの「物語」「伝説」に引き込まれ、最後のくだりには目頭が熱くなりました。
苦境に置かれながらも、そこから立ち上がろうとする男たちの「物語」は、やはり観るものを引きつけてやまないものがありました。

また、アメリカにおけるボクシング興業のありようも興味深いものでした。チケット収入以上に、ペイパービュー(1試合ごとに料金を支払い、家庭で試合を観戦するシステム)による収入が莫大という、現在のアメリカのボクシング興業。パッキャオとマルケスの試合でも、8500万ドル(76億円)ものペイパービューによる収入があったとか。
それで巨額の利益を上げている、利にさとく抜け目がなさそうなプロモーターの男性も、好きにはなれないタイプとはいえ、それでも妙な魅力が感じられる面白い人物でありました。なるほど、「伝説」を作り上げるのは、案外こういう人物なのかもしれないなあ。



『証言記録 東日本大震災』DVD化

2013-01-27 12:14:39 | ドキュメンタリーのお噂
NHK総合で、昨年1月から月1回放送されている『証言記録 東日本大震災』。
震災に直面した人々の証言を、地域ごとに綴っていく番組であります。今年も来月から、岩手県釜石市の回を皮切りにして続くようです。
その、昨年放送された全12回分が、2月と5月の2回に分けてDVD化され、発売ということになりました(発行・販売=NHKエンタープライズ)。単品および6巻分を収めたBOXというかたちで、定価は単品が2100円、BOXは12600円です(いずれも税込)。



(初回、2月22日発売分)
1巻 岩手県陸前高田市 ~消防団員の見た巨大津波~
2巻 宮城県女川町 ~静かな港を襲った津波~
3巻 福島県南相馬市 ~原発危機 翻弄された住民~
4巻 岩手県大槌町 ~津波と火災におそわれた町~
5巻 宮城県石巻市 ~北上川を遡上した大津波
6巻 福島県大熊町 ~1万1千人が消えた町~

初回発売の2月22日、そして震災から2年になるのを前に、わたくしは先日、前半のすべてを予約注文したところです。
未曾有の震災により、家族や住まいを奪われ、さらに故郷の文化や風景までが一変する事態に直面した人々の証言は、観ていて大変つらいものがあります。
しかし、やはりこれは先々にまで残していくべき大事な証言だと思い、全巻購入することにいたしました。比較的購入しやすい価格でもありますし。

テレビで一度ご覧になった向きも、まだご覧になってはいない向きも、願わくは可能な範囲ででも、お手元に置いていただければ、と思っております。震災を忘れず、風化させず、これからに活かしていくためにも。

『証言記録 東日本大震災』番組サイト
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/link/program1.html

【読了本】『面白い本』 ~本好きには危険な罪作りな一冊

2013-01-27 08:16:31 | 「本」についての本

『面白い本』成毛眞著、岩波書店(岩波新書)、2012年

いまや本好きの間では知らぬ人はいない(と思われる)ほど認知度が上がってきている、ノンフィクション系おすすめ本紹介サイト「HONZ」。
その代表でもある成毛さんが、「最近20年の読書道楽人生の中から厳選した『これぞ!』と思う」ようなノンフィクション本100冊を紹介したブックガイドであります。

先端科学を面白く読ませてくれる本や、民俗学的アプローチで現代日本を描いた本、突き抜けた生き方や過酷な運命を生きた人たちの記録、ホントなのかウソなのかわからなくなるような奇妙な内容の本、電車の中では読めないような脱力系の本•••等々。
成毛さんならではの熱い語り口で紹介される一冊一冊はどれも魅力的で読む気をそそります。また、一度読んだ本(わたくしの手元にあったのは17冊)も、また読み返したくなってきました。

わたくし、読みたいと思った本に○印をつけながら読んだのですが、ついた○を数えてみたら75冊になりました。
自分が知らない世界がまだまだたくさんあることを思い知らされるとともに、この75冊を買おうとすればどんだけお金がかかるのだろうか、ということに考えが及んでめまいがしてくるのです。
いやはや。HONZのレビューをまとめた『ノンフィクションはこれを読め!』(成毛さん編著、中央公論新社、2012年)に続き、なんとも罪作りな本を出してくれたものであります。•••本好きは読まないほうがいいかもしれない(笑)。

取り上げられた本のラインナップは、本書を読んでのお楽しみとしておきますが、どうしても触れておきたいのが3冊。
ノアの方舟伝説の大洪水を科学的に検証した『ノアの洪水』(ウォルター・ピットマンほか著、集英社)と、ダチョウに魅せられた博士がその研究生活とダチョウに秘められた可能性を語る『ダチョウ力』(塚本康浩著、朝日新聞出版)、そしてアメリカに連れてこられたエスキモーの悲劇を描いた『父さんのからだを返して 父親を骨格標本にされたエスキモーの少年』(ケン・ハーパー著、早川書房)。
この3冊、わたくしも非常に気になるのですが、残念ながらいずれも品切れ、もしくは絶版となってしまっています。なんとももったいないことであります。集英社さんに朝日新聞出版さん、そして早川書房さん、重版がムリなら文庫で構わないので、ぜひとも再刊すべし!•••ねえ、お願い、再刊して。

成毛さんは、ノンフィクションを読むことの醍醐味について、このように言います。

「ノンフィクションで描かれるのは、おおむね極端な生き方や考え方だ。(中略)自分の日常生活には何の影響もないし、何の意味ももたない。
しかし、一見無駄な、極端な知識を得ることで、自分が世界のどこに位置しているかはわかるようになる。それはつまり、人間の壮大な知の営みに、自分を位置づけられるということだ」

ああ、そういうことなんだろうなあ、と思いましたね。
すぐに何かの役に立つ、ということはないけれども、その世界を知ることで自分の内面を豊かにし、生きることを楽しくしてもくれるのが、ノンフィクションを読む功徳なのかもしれません。

未知の世界への扉を開き、人生を豊かにしていくための羅針盤として、ぜひとも活用していただきたい一冊であります。ただし、本代のかさみ過ぎにはくれぐれもご用心を。

ディープな視点で長崎の歴史を掘り返す『長崎ぶらぶら好き』

2013-01-24 22:19:57 | よもやまのお噂
宮崎市にある「宮崎ケーブルテレビ」。宮崎市とその周辺の市町をエリアとするケーブルテレビ局であります。地域に根ざした独自番組などを頑張って製作したりもしていて、それらをちょこちょこ観たりなんぞしております。
地元独自番組だけでなく、他県のケーブルテレビ局の番組もときどき放送していたりするのですが、その中で長崎市の「長崎ケーブルメディア」製作の『長崎ぶらぶら好き』はなかなか面白い番組であります。

江戸時代の古地図を片手に、かつての歴史を掘り返しながら長崎の街を散策するという、長崎版『ブラタモリ』のようなオモムキの番組が『長崎ぶらぶら好き』。
その歴史の掘り返しかたというのがなかなかディープ。ビルとビルの間の細いスキマから昔の石垣を見出したり(番組では「長崎のチラリズム」という言い方をしとりましたが)、民家の裏あたりに入り込んではお堀の跡を観察したり。
観光ガイドブックには当然載ることもないような場所に隠れている、かつての長崎の歴史を物語る事物。それらが長崎の持つ歴史の厚みを伝えてくれるようで、まことに興味津々なのですね。

いま宮崎ケーブルテレビで放送している回では、初めて知ることになった興味深いことを教えてくれました。
現在、長崎市内で役所や学校などの公共の場所があるところ。その多くは、江戸時代からすでに奉行所などの公共の場所があったところであり、さらにその元をたどると、豊臣秀吉による禁教令以前の教会があった場所だった、というのですね。さすがにこれは知りませんでした。

そしてもう一つ「へぇー、そうだったのかー」と思ったこと。
豊臣秀吉は禁教令を出しながらも、当時日本における布教を独占的に行っていたイエズス会に対しては、その布教を事実上黙認していた、といいます。
ところが、イエズス会に対抗するように、活発な布教活動を行ったフランシスコ会の動きは秀吉の逆鱗に触れ、宣教師や信徒たちの処刑(いわゆる「二十六聖人」)に至った、という話(直接の原因は、スペイン船『サン・フェリペ号』漂着に端を発した事件のようですが)。このこともわたくし、初めて知りました。
番組自体は気楽に観られるつくりながら、けっこう好奇心を刺激してもくれるのであります。

そうやって好奇心を刺激されているうち、無性に「あー長崎の街をさるき回り(歩き回り)たいなあ」と思えてくるのです。
思えば、長崎には中学校のときに修学旅行で行ったきり。それも集団で押しかけて上っ面をかすっただけのものでしたから、長崎の持つ真の魅力や実力を味わうこともありませんでした。
あらためて、じっくりと時間をとって長崎を訪れ、足が痛くなるくらいさるき回ってみたいなあ。昼は歴史散策。で、夜は呑み歩き。

ブログ開設から2回目の記事ですが、メインであるハズの本の話をまだしておりませんね(軽く汗)。次回あたりはぜひ本のお噂などお目にかけたいな、と。