読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

天領日田洋酒博物館館長・高嶋さんの超ポジティブ人生哲学に酔いしれた、5度目の日田の夜

2024-03-04 19:27:00 | 旅のお噂
2月23日から25日までの3日間、大分県へ旅行に出かけておりました。ここ10何年かずっとお邪魔している恒例の別府と、今回が3年連続5回目の訪問という、こちらもなかば恒例化してきている日田への旅でありました。
日田のほうではおりしも、2月の後半から3月いっぱいにかけて、街のさまざまな場所で雛人形が華やかに飾られる「天領日田おひなまつり」が開催中。それもあってか、江戸時代の風情ある街並みが残る豆田町界隈は、団体さん(韓国あたりからのが多いようでした)や家族連れをはじめとして、多くの観光客で賑わいを見せておりました。


(↑こちらの雛人形は、豆田町にある「日本丸館」に展示されていたもの)

江戸の風情が残る街並みを歩く楽しさを満喫できるのもさることながら、水に恵まれた日田は日本酒の蔵元が3軒あるのをはじめとして、麦焼酎「いいちこ」の醸造所やサッポロビールの工場、梅のリキュールの製造所が揃っていて、酒好きにとってはまさに天国、聖地といってもいい場所でもあります。なので、そちらのほうも大いに満喫させていただきました。・・・厚労省が最近これ見よがしに出してきた、おせっかい極まりない「飲酒ガイドライン」なんぞ知ったこっちゃございませぬわ。ぬはははははははははは。
(↑日田の飲食店ではメインとなっている、サッポロ黒ラベルの生ビール)

(↑豆田町にある日本酒の老舗「薫長」の酒蔵に併設されたカフェコーナーで呑める利き酒セット。左から、香りも味も華やかな「大吟醸 瑞華」、キレがあって呑み飽きない「薫長 特別純米」、どっしりした味わいの「雄町 火入れ」)

そんな酒好き天国の日田を象徴するようなスポットが、「天領日田洋酒博物館」。NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルであったニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏の手になるポットスチル(ウイスキーの蒸留窯)をはじめとする、洋酒とその関連グッズ4万点以上もの驚愕のコレクションを収蔵、展示している、酒好き洋酒好き垂涎の個人運営によるミュージアムです。訪問するのは昨年に続き2回目であります。
この博物館については、昨年訪ねたときに当ブログに記事を綴りましたので、詳しいことはそちら↓に譲ることといたします。



この圧巻、驚愕のコレクションを築きあげたのが、館長である高嶋甲子郎さんであります。

上の写真からもよ〜くおわかりのように(笑)、高嶋さんはとても気さくで明るく楽しいお方であります。そしてなにより、根っからのポジティブ人間。もうポジティブが服着て歩いて、美味しそうにお酒を飲んでいるというようなお方で(笑)。そのポジティブさで、会った人をたちまちトリコにしてしまうような、オーラというか磁力を強烈に発しておられます。今回日田を訪れたのも、この高嶋さんと再会したいがためであったと言っても過言ではございません。
1年前とまったく変わることなく、気さくでポジティブな高嶋さんと再会できた嬉しさを噛み締めつつ、博物館に展示されている洋酒コレクションの数々を観覧。二度目の観覧でありますが、その質量ともに圧巻のコレクションにはあらためて、ため息のつき通しでありました。
展示の内容が微妙に変わっていることに気づくと、高嶋さんは「1年のあいだにさらにたくさんコレクションが増えました!」とおっしゃいます。どのくらい増えたんですか?と尋ねると、「え〜と、う〜ん、まあ、たくさん増えました」とのお答え。どうやらご本人にも、正確な数が把握しきれないくらい「たくさん」増えたようです(笑)。

夜に入り、市内の海鮮居酒屋で一杯やったあと、こんどは博物館に併設されているバー「k t,s museum Bar」へ。博物館の館長から、バーのマスターに変わった高嶋さんが作る「マッサンハイボール」や、定番ウイスキーの水割り、さらに今ではお値打ちもののウイスキー「竹鶴」をストレートで傾けつつ、高嶋さんやカウンターで隣り合わせたお客さんたちとの会話を楽しみました。
この夜は嬉しいことに、福岡から来られたという方によるジャズの「投げ銭ライブ」が行われ、雰囲気たっぷりのサックスの生演奏が、ウイスキーの美味しさをさらに引き立て、より一層気分良く酔うことができました。


この夜、高嶋さんから聞いたお話の中でひときわ強い印象を受けたのが、高嶋さんの人生における一大転機となった出来事にまつわるエピソードでありました。
(以下、お酒に酔いつつお聞きしたお話ということで、細部には記憶違いがあるやもしれませんが、どうかご容赦を・・・)

とても陽気で明るいお人柄の高嶋さんですが、その人生には大きな苦難もありました。そのひとつが、2016年4月に起こった熊本・大分地震。この時は日田も強い揺れに襲われ、それによって博物館の貴重なコレクションも相当、大きな被害を蒙ったといいます。
それに追い討ちをかけるように、同じ年の夏には当時経営していた会社とお店4つ(そのうちのひとつが、洋酒博物館の姉妹館でもあったビール博物館)が、漏電火災によって全焼してしまうという災難に見舞われてしまいます。
普通の人であれば打ちのめされ、心も折れて立ち直れなくなってしまうであろう、大きな災難であります。しかし、高嶋さんは燃えていく建物を目にしながら、こんなことを思ったというのです。

もしかすると、これは大きなチャンスなのではないか?

過去に大きな功績をあげた人たちは皆、それぞれ大きな苦難に直面しながらも、それをチャンスに変えることで成果を残すことができた。だから、自分もこれをチャンスと捉えなければ・・・。それが、そのときの高嶋さんの真意でした。
同時に、こういうことも頭に浮かんだといいます。これは、亡くなった父親やご先祖さまが、自分の身を守るために起こしてくれたのではないか?」と。
当時の高嶋さんは、博物館とともに経営していた4つの会社やお店の運営のために、夜もろくに寝ることのない日々を送っていたそうです。そんな中で起こったこの災難は、「このままではお前は死ぬぞ」という、亡きお父さんやご先祖さまからの警告だったのでは・・・高嶋さんはそう受け止めたといいます。

火災という大きな災難に遭ってもなお、周囲に対してはつとめて明るく振る舞っていた高嶋さんに、多くの友人知人からさまざまな形での支援が寄せられました。取引先の金融機関に至っては、博物館の建設によって生じた負債を大幅に圧縮してくれたのだとか。
そんな多くの人たちの厚意に接した高嶋さんは、当時について「人生で一番泣いた時期でした」と振り返ります。そして、めいっぱい号泣したあと、

これからは絶対、人には泣き顔は見せない!

と決意したといい、こう続けました。

ここから必ずV字回復して、助けてくれた人たちに恩返ししたい!と決心しました。それが今でも、わたしの生きるモチベーションになってるんですよ

高嶋さんの明るく楽しいお人柄は、大きな苦難に直面しながらも、それをチャンスと捉えて前向きに乗り越えるという経験に裏打ちされたものだったんだなあ・・・。お話を伺いながら、わたしはいつしか涙ぐんでおりました。高嶋さんがそれに気づかれたかどうかはわかりませんが・・・。

それにしても、日中は博物館の館長として活動したあと、夜にはバーのマスターのお仕事もこなすというのはなかなか大変なのでは?とわたしが訊くと、高嶋さんは「夜は4時間しか寝ませんけど、もうそれで充分なんですよ」とお答えになり、こうおっしゃいました。

人生には限りがありますから、1分たりともムダにしたくはないんです

そして、こうもおっしゃったのです。

今のところは、まだ自分の理想の2〜3割くらいしか実現していないんですよ。だから、残りの実現のためにまだまだ、いろんなことをやりたいと思ってます!!

わたしと同じ50代前半という歳にあってもなお、自分の求める理想を実現するために、時間を惜しんで動いている、アクティブかつパワフルな高嶋さん。そのお話を聞いていると、仕事の疲れをイイワケにしつつ、ついついダラけて時間をムダにしてしまっているオノレが情けなく思えてきたのでありました・・・。

高嶋さんは口癖のごとく、ご自分のことを「もうアホタレですわ」などと自嘲するようにおっしゃいます。ですが、端から見れば「アホタレ」「バカ」などと言われるくらい物事に熱中し、それを極めることが大きな価値を生むのだということを、高嶋さんは教えてくれているように思うのです。
わたしのような凡人は、何かをやろうとしてもあれやこれやと、いろいろな考えを小賢しくこねくり回すばかりで、結局は自分のやるべきことも、やりたいことも何ひとつなし得ないまんま終わってしまう・・・というのがオチであります。ハンパな「知識」やら「世間体」やらに囚われている、凡人ならではのカナシサでありましょう。
いや、コトはわたし一人に限りません。小賢しいリクツを振り回しているくせに、そのじつ権威にはからきし弱いばかりでたいして役にも立たない「知識人」や「知識人もどき」。同調圧力や足の引っ張り合いで成り立つ「世間体」。何をやるにも横並びでしか判断できない、主体性なき「メダカ民族」(文末の注を参照)的習性。そして、他者が大切にしている楽しみや生き甲斐に対して、「不要不急」なる粗雑かつ野蛮なレッテルを一方的に貼り、否定して恥じない風潮・・・。そんなことどもが蔓延ることで、わが祖国ニッポンは活力を失って衰退し、ダメダメになってしまったのではありますまいか。
(思えば、4年近くにもわたってダラダラと続き、社会に多大なる混乱と損失をもたらす結果となった、新型コロナウイルスをめぐる不毛な莫迦騒ぎもまた、そんな衰退するダメダメなニッポンに相応しい事象ではございました・・・)
わたしを含めた衰退ニッポンに生きる人間が学ぶべきは、「アカデミズム」という名の学者ムラの中でヌクヌクとアグラをかいているばかりなのに、態度だけは妙にエラソーな「専門家」や「知識人」にあらず。自分の「好き」を「アホタレ」なくらいにとことん極めることで価値を生み出す熱意と、逆境をチャンスに変えて成功へとつなげる前向きな行動力を持ちながらも、決して偉ぶることもない気さくなお人柄で、いろいろな人たちへの感謝の気持ちをモチベーションにし続けておられる、高嶋さんの超ポジティブな人生哲学にこそ学ぶべきではないのか・・・。
ウイスキーの心地いい酔いに包まれたアタマの隅で、わたしはぼんやりとそんなことを考えていたのでありました。

ということで、今回の自分へのお土産は、洋酒博物館の物販コーナーで買ってきたオリジナルのTシャツであります。シンプルなデザインでなかなかカッコいいですねえ。



なんだかんだ言っても、来年もまた高嶋さん会いたさに、日田へと足を運ぶことになりそうだなあ。


(注)元朝日新聞記者のジャーナリスト・本多勝一氏がよく使っておられた、周囲に合わせるばかりの主体性なき日本人の横並び体質を指したコトバ。それにしても、とっくに「卒業」したハズだった本多氏のコトバを、よもやこのようなカタチで引っ張り出してくることになるとはなあ・・・(しみじみ)。

驚きの個人博物館「天領日田洋酒博物館」と、館長の高嶋甲子郎さんの魅力に取り憑かれた、4度目の日田訪問

2023-02-05 21:01:00 | 旅のお噂
少し前のお話で恐縮なのですが・・・1月7日から9日までの3連休を使って、大分県の別府と日田へ出かけておりました。
ここ10何年にわたって毎年のように行っている別府と、今回が4回目の訪問になる日田。大好きな2つの街で街歩きと温泉、そして美味しい食べものとお酒をたっぷりと満喫してまいりました。
昨年の旅と行き先がおなじということもあり、今回の旅の詳しいお話は割愛することにいたしました。ですが、今回訪ねた中で一番の思い出、そして最大の収穫となった場所についてだけ、記しておくことにいたします。日田にある「天領日田洋酒博物館」であります。

(博物館の公式ホームページはこちら(↓)。館内の展示品やウイスキーの紹介などなど、すでに多数の動画がアップされているYouTubeチャンネルも必見であります)

【公式】天領日田洋酒博物館

大分県日田市にある天領日田洋酒博物館(ウィスキー博物館) オーナー高嶋甲子郎が13歳から 約40年を費やしてコレクションした 洋酒やそのノベルティーグッズなど、3万点以...

【公式】天領日田洋酒博物館 – 大分県日田市にある天領日田洋酒博物館(ウィスキー博物館) オーナー高嶋甲子郎が13歳から 約40年を費やしてコレクションした 洋酒やそのノベルティーグッズなど、3万点以上を展示する洋酒博物館。館内にバーやショップも併設。

 
オーナーである高嶋甲子郎さんが、43年かけて収集した洋酒に関するありとあらゆる物品3万点以上を展示する、日本はもとより世界的にも稀有な個人博物館です。
この博物館の存在はしばらく前から知っていて、5年前に日田を訪れたときにも立ち寄ろうとしたのですが、結婚式の二次会のために貸し切りとなっていて入ることができませんでした。昨年の旅でもなんとなく入りそびれてしまい、今回ようやくの訪問とあいなりました。
少々緊張しつつドアを押して中に入ると、中年の男性が愛想よく出迎えてくださいました。館長である高嶋さん、その人でありました。まずは高嶋さんのご説明とともに、主だった展示品を見て回り、そのあとじっくりと館内を見学いたしました。
(館内は撮影自由ということでしたので、以下に挿入する画像はたくさん撮りまくった中の一部です)

ここの目玉となる展示品は、なんといってもNHKの連続テレビ小説『マッサン』のモデルになったニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏が設計・製作した蒸溜釜の実物(!)。ニッカが日田の工場を引き払ったおり、高嶋さんが粘り強く交渉を重ねた末に譲ってもらったとか。
蒸溜釜とともに、竹鶴氏みずからの手になる釜の設計図などを記したノートの複製や、竹鶴氏と麗しきリタ夫人のお写真も、当時のボトルなどとともに展示されておりました。


蒸溜釜の実物とともに驚かされたのが、禁酒法時代のアメリカで熟成されたウイスキーの現物です。

禁酒法時代といえば、あのアル・カポネとエリオット・ネス率いる〝アンタッチャブル〟との激闘が繰り広げられていた時代。しばらく前にもブライアン・デ・パルマ監督の映画『アンタッチャブル』を観直していたこともあって、あの時代に醸されていたウイスキー、それも中身の入った現物のボトルが目の前にあるということに、軽いコーフンを覚えましたねえ。

太平洋戦争のおり、「皇軍慰問品」として支給されたという「日の出ウヰスキー」の箱。金属不足だった時代ということもあり、留金の部分には革が使われているとのこと。こちらも、時代を物語る貴重な一品であります。

さまざまなカタチをしたボトルやミニボトルの数々にも、目を奪われました。

このクラシックカーのリアルなミニチュアもウイスキーのボトル。後部のスペアタイアのところがキャップになっております。

マリリン・モンローとエルヴィス・プレスリーをかたどったボトル。首のところがキャップになっているプレスリーのに対して、モンローのはオトコどものスケベ心を刺激する趣向として(笑)、下のほうにキャップがつけられております。

ギネス世界記録に認定されているという「世界最小のボトル」。比較の対象のない上の画像ではわかりにくいのですが、人間の指先とさほど変わらないくらいの小ささ。それでもちゃんと中身が入ってるのが見事であります。

宝石で有名なティファニーと、シーグラム社とがコラボしたボトル。デザインのおしゃれさが、いかにもティファニーという感じがしますねえ。

ヨーロッパ最古のリキュール醸造所という、オランダの「ボルス」のボトルの数々。動物をかたどったガラス製のボトルは実にかわいらしく、また芸術的でありました。

サックスやピアノなど、ジャズバンドが使う楽器にウイスキーのミニボトルを組み込んだ「JAZZ SET」。これもまた、実に凝ったつくりがため息ものでありました。

展示されているミニボトルの半端ない数にも圧倒されました。高嶋さんいわく、「展示していないものも含めると3万本以上はありますかねえ」とのこと。すごい!


かつてサントリーが出していた伝説のPR誌『洋酒天国』と、柳原良平さんのイラストがキュートな『洋酒マメ天国』。後者は、サントリー宣伝部に属していた山口瞳さんや開高健さんをはじめ、伊丹十三さんや永六輔さんなどといった錚々たる面々が執筆に参加していたというシリーズで、全36巻がコンプリートで揃っているとか。またまたすごい!!

1960年代、酒屋さんの配達に活躍していたという富士重工業(現SUBARU)のスクーター「ラビット」の現物までありました。ただし側面に記されている「高嶋酒店」は実在したお店の名前ではなく、館長である高嶋さんにひっかけてのオリジナルとのこと。

このほかにも、酒造メーカーのノベルティグッズや広告、コースターや栓抜きなどの用具類などなどなどなどが所狭しと展示されていて、もうひたすら圧倒されました。気がつくと1時間ほど経っておりましたが、ひとつひとつ丁寧に見ていったら1日がかりになりそうなくらい、膨大な量のコレクションでした。洋酒と酒文化に関心のある向きには、まことに興味の尽きない博物館であるといえましょう。
ちなみに、展示品のなかでとりわけ気に入ったのがコチラ(↓)。ウイスキーを抱えた2匹の木彫りのクマさんが可愛くっていいねえ。


質量ともに圧倒的な展示品の数々もさることながら、オーナーである高嶋さんがまた、実に魅力的で最高でありました。
展示品をユーモアたっぷりに説明する口調の面白さ、気さくでサービス精神に溢れたお人柄、そしてお酒に対する熱量と愛、そのすべてに惹きつけられました。例の「マッサン」の蒸溜釜のところでは「どうぞどんどん触っちゃってください!ご利益ものですから」などと勧めてくださった挙句、わたしをその前に立たせて記念撮影までしてくださいました。おまけに、バッテリーが切れかけていたiPadの充電のために、電源コンセントまでお貸しいただいたり(本当にありがとうございました)。
なんと13歳の頃から、洋酒関連のコレクションを始めたという高嶋さん。しきりに「もうアホですわ」などと自嘲めいておっしゃってましたが、こうやって自分が「好き」だと思える一つのことにとことんこだわり、徹底することが、大きな価値を生み出す原動力となるのだ・・・ということを実感させられました。
そんな高嶋さんからは、会った人のほとんどを虜にするような、人を惹きつける磁力やオーラがじんじんと感じられました。それはリスクに怯え、ちまちまとした世間体とやらを気にするばかりのヒトたちからは感じられないものであるように思いました。
そんな高嶋さんに惹きつけられた方の一人が、現在も連載中の『クッキングパパ』(講談社)で知られる、福岡県在住の漫画家・うえやまとちさん。これまでに5回、洋酒博物館を訪れたといううえやまさんは、『クッキングパパ』の作中にも2回にわたり、博物館と高嶋さんを取り上げたといいますから、そうとう博物館と高嶋さんの魅力に惹かれたことが窺えます。

(↑天領日田洋酒博物館を取り上げたエピソード2編を収録した『クッキングパパ』単行本127巻。高嶋さんも〝タカさん〟というキャラクターとして登場しております)

まことに楽しく陽気なお人柄の高嶋さん。しかし、その陰でしんどい逆境も経験なさっているということを、博物館の公式ホームページにもリンクが貼られているこちらの記事で知りました。↓
39年かけて集めた約3万点の洋酒コレクションを博物館に。ウイスキーに人生を捧げた男の「夢の城」 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
この高嶋さんへのインタビュー記事によれば、2016年4月の熊本地震の時には、貴重な展示品の一部が被害を受けた上、入館する観光客の減少にも苦しめられたといいます。同じ年の7月には、経営していた会社やお店、さらには洋酒博物館の姉妹施設であったビールミュージアムが、火事により全焼してしまうという苦難に見舞われます。そして、火事から1年後の2017年7月には、九州北部豪雨によってまたも観光客の激減に直面させられることに・・・。そんな逆境つづきの中で多くの人びとから支えられ、その経験と感謝の思いを財産とすることが、今の自分のパワーの源となっていると、高嶋さんはこの記事の中で語っておられます。
人を惹きつけてやまない高嶋さんの楽しさと人間力は、逆境によって磨かれ、逆境を乗り越えることで醸し出されたものなんだなあ・・・ということを、深く納得させられたのでありました。

「夜はバーもやってますから、よかったらどうぞ!」ということで、宿泊した日田温泉の宿「亀山亭ホテル」さんでの夕食のあと、ふたたび洋酒博物館に足を運び、併設されているバーにお邪魔いたしました。博物館の館長からバーのマスターになった高嶋さんと、それを補佐するバーテンダーさんが出迎えてくださいました。




日田杉の一本板で作られた、長さ12メートルものカウンターの上、そしてカウンターの背後にも、ウイスキーをメインにお酒のボトルがズラリ。そんな居心地のいい空間で飲む、ハイボールやウイスキーの水割りの美味しかったこと!
ここでは高嶋さんのほかに、地元の焼肉店「五葉苑」の社長をやっておられる方との会話で愉快に過ごすことができました。この社長さんもまた、高嶋さんといい勝負の面白さと人間的魅力、そして熱量をお持ちの方で、やはり魅力ある人のもとには魅力ある人が引き寄せられるんだなあ、ということを感じましたねえ。
おかげさまで、深まる日田の夜を楽しく過ごすことができた上に、たっぷりと元気をいただくことができました。やっぱり夜も来てよかったなあ。

実は今回の訪問で、しばし日田訪問はお休みにするつもりでおりました。しかしながら、「天領日田洋酒博物館」と館長である高嶋さんの魅力に取り憑かれてしまったことで、また日田に行きたいという思いがふつふつと湧いてまいりました。そうそう、「五葉苑」の社長さんからも、ちょっとした〝宿題〟を与えられておりますので、その意味でもまた日田に行かなければならないのであります。
ぜひまた、「天領日田洋酒博物館」と高嶋さん(そして「五葉苑」の社長さん)に再会すべく、日田に足を運びたいと思います!

3年ぶりの熊本がまだせ旅(最終回)水前寺成趣園と上江津湖の散策で実感した、水の都・熊本の豊かさと情緒

2022-12-18 20:58:00 | 旅のお噂
3年ぶりの熊本旅行も、とうとう最終日となりました。
10月10日(月曜日)の朝。宿泊していた熊本市中心街のホテルをチェックアウトしたわたしは市電に乗り込み、水前寺成趣園(水前寺公園)へ向かいました。初代熊本藩主・細川忠利から三代にわたって作庭された回遊式の庭園で、国の名勝・史跡にも指定されている名園であります。
時刻は午前8時少し前。まだクルマも少ない道路の上を、市電でゆるゆると移動すること20分ほど、水前寺成趣園に到着いたしました。

到着したものの、まだ開園時間の前ということで入り口は閉ざされたまま。ちょいと来るのが早かったようで、そのあたりをぶらぶらしながら開園を待ちました。入り口の前に並ぶ土産物店や飲食店も多くは開店前で、一部のお店が開店の準備を始めておりました。
そうこうするうち、開園時間の8時半となりました。拝観料を払って中に入り、しばし朝の散策を楽しみました。




富士山を模して造られた築山をはじめとした、さまざまな趣向を凝らした庭園は、散策の醍醐味をたっぷりと味わうことができます。広々とした池にたたえられた阿蘇の伏流水はどこまでも澄んでいて、水の都熊本の豊かさと、そこから生まれてくる情緒をつくづく実感することができます。
園内にある出水(いずみ)神社には、歴代の藩主たちと二代目忠興の妻、細川ガラシャが祭神として祀られています。

境内には、やはり阿蘇の伏流水である「神水 長寿の水」が湧き出しています。手ですくって飲むと冷たくて実に美味しく、なんだか長生きができそうな気がしてまいります。
そばに立つ説明板を見ると、「水飲会の方々は毎朝五合以上の水を飲んで健康法としています」との記述が。うーむ、やはり手ですくって飲む程度ではあまり効果はないんだろうなあ。オレも「水飲会」に入って毎朝飲んでみたいもんだのう。
しばしの散策のあと、やはり園内にある「古今伝授の間」で一休み。古今和歌集の解釈などの学説を伝授するために建てられたもので、大正元(1912)年に京都御所からこちらへ移築されました。


室内では、お抹茶(もしくはコーヒー)とお菓子を味わいながら、庭園の眺めを楽しむことができます。2種類あるお菓子から選んだのは「加勢以多」(かせいた)。かつて幕府への献上品であった細川家秘伝のお菓子だそうで、軽い口当たりと上品な甘みが魅力の一品であります。
「古今伝授の間」の室内から庭園を眺めていると、実に静かで穏やかに時間が流れていくのを感じます。熊本の繁華街からもほど近い都市の中にあることを、思わず忘れそうになるほどの静かさに包まれていると、このまま横になってひと眠りしたい気分になってきたのでありました・・・。

庭園内の散策を終えて外に出ると、立ち並ぶお土産屋さんの多くが営業を始めておりました。わたしはその中の一軒に立ち寄って、熊本の名物甘味である「いきなり団子」を買い食いいたしました。蒸し立てアツアツのやつであります。


薄皮の団子の中には、厚くスライスしたさつまいもと餡がぎっしり。ほくほくのさつまいもはもちろん、甘さ控えめの餡も美味しくて、散策のあとのおやつにピッタリでありました。

水前寺成趣園の前に伸びている、市電の通る広い道路を跨いだところにある熊本県立図書館を訪ねました。ここの館内にある、熊本ゆかりの文学者たちに関する資料を集めた「くまもと文学・歴史館」を見学するのが目的でした。

ところが、館内のほとんどが「展示替え」ということで、見学ができない状態になっておりました。この週の終わりから開催された、萩原朔太郎についての企画展に伴う展示替えということだったのでありましょう。まことに残念ではありましたが、仕方がございません。
わたしは予定を変更して、図書館のすぐそばを流れる川に沿った遊歩道を辿りながら、江津湖方面を散策することにいたしました。


この川を流れる水も、やはり阿蘇からの伏流水。澄み切った流れを眺めながらの散策もまた、目を楽しませてくれました。
川に沿うように続く遊歩道では、ウォーキングやランニングに興じている人たちがそこかしこにおられました。なかには、のんびりと釣り糸を垂れているおじさんも。何が釣れるのかなあ。

象のすべり台が真ん中に立っている広々とした池は、夏の時期にはプールとして使われているようです。こういうきれいな水での水遊びも、さぞかし気持ちがいいことだろうなあ。

そのまま遊歩道を進み、上江津湖へ。対岸にはボート乗り場が見えました。

かつてこのあたりでは、夏目漱石や徳冨蘆花、与謝野寛・晶子夫妻などといった文人たちが、船遊びや散策に興じていたといいます。文人たちにも愛された豊かな自然と、日常的に接することができるこの周辺の人たちが、なんだか羨ましく思えたのでありました。
ここからさらに進んでいくと下江津湖へとつながり、そのそばにある熊本市動植物園にも行くこともできますが、今回はこのあたりで切り上げることにいたしました。次の機会には、もっと時間をとってこのあたりを散策してみようかなあ・・・そう思ったのでありました。

市電に揺られて、再び繁華な熊本の中心部へと戻ってまいりました。
そろそろお昼時ということで、昼食は何にしようかとしばし迷ったのですが、もうだいぶ旅費が少なくなってきたこともあり(苦笑)、結局は最後も熊本ラーメンで締めることにいたしました。ということで、上通りのアーケード街にある、熊本ラーメン元祖として名高いお店「こむらさき」さんに立ち寄りました。


まずは、焼き餃子と瓶ビールの黄金コンビに舌鼓を打ったあと、創業当時からの人気メニューという「王様ラーメン」を堪能いたしました。それほど濃厚というわけでもないあっさりした豚骨スープに、ローストしたにんにくがいいアクセントとなっておりました。まさに「昔ながらの正統派ラーメン」といった感じの、懐かしい美味しさでありましたねえ。


昼食のあと、上通りアーケード街を抜けた並木坂通りに立つ古書店「舒文堂(じょぶんどう)河島書店」さんに立ち寄りました。

創業がなんと明治10(1877)年という老舗の古本屋さんで、明治29年には当時の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師として赴任していた夏目漱石も立ち寄ったという、まさに貴重な文化財といってもいい存在のお店なのであります。一般書も扱っているものの、メインとなるのは熊本をはじめとする九州各県の郷土誌や、歴史、文学関係の書物。奥のほうには古文書や書画もあったりして、お宝物件もかなりあるのではないかと思われます。
棚を見ていると気になる書物がいろいろとありましたが、使えるお金はごくごく限られておりましたので(涙)、昭和56(1981)年刊の『熊本の風土とこころ第二集 23 熊本の味』(熊本日日新聞社)のみ購入いたしました。上質の用紙に写真がたくさん掲載されている、ビニールのカバーがかかった文庫版サイズの本というところに、かつて保育社から出されていた「カラーブックス」を思わせるものがあります。熊本の出版物にもこういうシリーズがあったんだねえ。

購入したとき、お店の方から10月の末に開催される古書籍販売会のチラシをいただきました。残念ながら行くことはできなかったものの、そういう催しが成立できる文化的な風土を持つ熊本が、またしても羨ましく思えたのでありました(こういうことは、わが宮崎ではまず成り立たないからなあ・・・)。
そうそう、ここ並木坂通りには舒文堂さんのほかにも2軒の古本屋さんがあり、それらのお店にもいろいろと、お宝がありそうな感じがいたします。次の機会にはもっと予算を増やして、古本屋さんめぐりをするというのも楽しいだろうなあ。

このあたりでもう一品だけ、何か甘いものでも・・・と思い、こちらも上通りアーケード街にある「お茶の堀野園」さんの日本茶販売店&カフェ「茶以香」(ちゃいこう)に入り、抹茶フロートをいただきました。コクと甘みがある抹茶とソフトクリームがよく合っていて、ホッとする美味しさでした。


今回の熊本旅行で最後に訪問したのは「小泉八雲旧居」。繁華街のど真ん中にある「鶴屋百貨店」のすぐ裏手に位置する、こじんまりとした日本家屋で、室内には八雲の足跡と文学を辿る資料などが展示されております。


この建物も、6年前の熊本地震により被害を受けており、その年の秋に訪れた時には入り口のあたりまでしか入ることはできませんでした。しかし翌年の秋には復旧が完了し、一般公開も再開されました。室内には地震による被害と、その復旧の過程を記録した写真パネルも展示されております。


夏目漱石よりも少し前の明治24(1891)年に、やはり第五高等中学校の英語教師として熊本に赴任した八雲は、当時の校長だった嘉納治五郎などとの交流の中で熊本と日本の精神性に触れ、そこから大きな影響を受けたようです。その作品にも、熊本を舞台としたものがいくつかあるといいます。
恥ずかしながら、まだ『怪談』くらいしか八雲の作品を読んでいなかったわたしですが、ここの展示を見ていくうちに、もっときちんと八雲の作品に向き合いたいという気持ちが湧いてまいりました。
すでに3年近くに及ぶコロナ莫迦騒ぎ禍を通して、「安心」「安全」「便利」という価値観を当然のように見做してきた今の日本人の精神が、いかに退化、衰弱してしまっているのかを、つくづく思い知らされました。それだけに、八雲に影響を与えたかつての日本人の高い精神性をきちんと見直し、再評価する必要があるのではないか・・・そう思ったのであります。
開け放たれた窓からはそよそよと、心地良い風が吹き抜けておりました。


いよいよ、熊本を離れるときがやってまいりました。わたしは通町筋からもう一度、熊本城のほうを見遣りました。

そして今度は、下通りのアーケード街のほうへ目を向けました。連休最終日の下通りもまた、多くの人で賑わっておりました。

ささやかながらも、地震からの復興を応援したいという気持ちから続けている熊本旅行ですが、むしろこちらのほうが元気をいただいてきたように思います。今回の訪問でもまた、たくさんの楽しさと元気をいただきました。
ありがとう熊本!そしてあらためて・・・がまだせ熊本!

                                 (おしまい)






3年ぶりの熊本がまだせ旅(第5回) シェリーの美味しい気さくなバーと、人吉球磨の情報誌『どぅぎゃん』に出会えた、熊本夜歩き第2ラウンド

2022-12-07 19:52:00 | 旅のお噂
山鹿散策を終え、ふたたび熊本市の繁華街へと戻ったわたしは、この日の宿泊先である「東横INN熊本新市街」にチェックインいたしました。
東横INNに泊まるのも久しぶりのことでしたが、フロントで渡された部屋のカギはやはりカードキー。ビックリいたしましたが、前日のこともあってまごつくことなく使えました。どうやらコロナ莫迦騒ぎを機に、多くのホテルでカードキーが導入されたということなのでありましょう。いやはや、世の中もいろいろと変わったもんですなあ。
なにはともあれ、シャワーを浴びてひと息ついたあと、お楽しみの熊本夜歩き第2ラウンドに出陣したのであります。

この日は、ぜひ一度立ち寄ってみたいと思っていたお店がありました。なんでもおでん屋台からスタートしたという、熊本では老舗の居酒屋「瓢六」さんであります。前回の熊本訪問のときに立ち寄った姉妹店「天草」さんがなかなかいい感じだったので、今度はぜひとも「瓢六」さんのほうに・・・と目論んでいたのです。
ところがいざ行ってみると、あるべきハズの場所にお店がありません。それならと、背中合わせに立っていた「天草」のほうに行くと、そちらにもお店がありませんでした。
なんだなんだどうしたというのだ・・・と、ローバイしつつ手元のタブレットでネット検索をかけてみると、つい最近2つのお店を統合させた「天草瓢六」としてリニューアルし、近くに移転したということがわかりました。おおそれならよかったよかった・・・と一安心しながら、そちらのほうに行ってみると、まだ建って間もない感じのビルの1階にお店がありました。

居酒屋というより、どこか高級感が漂う割烹店かなにかのような店先ですが、入り口にはたしかに「天草瓢六」と記された小さい看板があります。ああここで間違いなさそうだのう・・・と思いながら、いささか緊張しつつ店内に入り、あのう一人なんですけど空いてますか?と尋ねますと、
「予約が入ってていっぱいなんだけど・・・4〜50分くらいでよろしければカウンターにどうぞ」
とのお答えが。そういえば、前回「天草」さんに入ったときも、同じような展開だったのを思い出し、今もなお高い人気を誇っていることを認識させられました。ああこれはやはり、予約して来るべきだったなあ・・・と思いましたが、まあ少しでも呑み食いできればいいか、と思い直し、カウンターに座りました。
真新しい店内もどことなく高級感があり、いささか気圧されてしまっておりましたが、名物であるおでんを筆頭に、お寿司や刺身などの海鮮料理が並ぶメニュー構成は以前と変わらないようであります。ちょっと安心しつつ、生ビールとともにおでんを注文いたしました。突き出しに出てきたのはカツオのたたき。いいねえ。


たまごに大根、タコといった定番のおでんタネとともに注文したのが、牛ならぬ馬のスジ肉と「くんせい」。牛よりもさっぱりした馬のスジ肉と、かまぼこの燻製を煮込んだ「くんせい」はいずれも美味しく、ビールが進みました。さればお次は日本酒を!ということで、熊本市の蔵元「瑞鷹」の「芳醇純米酒」を注文いたしました。

スッキリした飲み口の中から、米の旨味がじわじわと口に広がってきて、まことにいいお酒であります。黒のラベルもかっこいいねえ。
ここはせめてもう一品食べておきたいということで、ホタテ貝柱のバター焼きも注文。プリプリした貝柱がバターと良く合って、こちらも美味しくいただきました。

呑み食いを楽しんでいるあいだ、お店には次々にお客さんが入ってきておりました。その多くが以前からのお馴染みさんのようで、カウンターの中にいるお店の方々に向かって「お久しぶりです〜」などと声をかけておられました。こうやってお馴染みさんに愛され続けているところに、老舗居酒屋の良さが感じられていいですねえ。
短い時間しかいられなかったのは残念でしたが、立ち寄ることができてよかったです。今度はぜひとも、予約した上で行かなければな。

もう一軒どこか居酒屋に立ち寄ろうかなあ・・・とも考えたのですが、前日からの美食続きのためなのか、少々胃が疲れ気味のようでしたので、しばし街を散策することにいたしました。

上通りのアーケード街に入ると、まだまだ多くの人たちで賑わっておりました。この中にある、2軒の老舗書店に立ち寄ってみることにいたしました。まずは「金龍堂まるぶん店」さんへ。

街中の本屋さんとしてはかなり広い売り場を持ち、豊富な品揃えを特徴とする、創業102年のお店です。6年前の熊本地震で大きな被害を受け、しばらく休業を余儀なくされるという困難を乗り越え、その年の秋には見事に再開を果たしました。久しぶりに中を覗いたのですが、幅広いニーズをカバーする品揃えの豊富さに、あらためて感心させられました。
このお店のシンボルとなっているのが、入り口に鎮座する3体のカッパ像。10月ということで、ハロウィン仕様の飾り付けがされているのが、なんとも微笑ましいのでありました。


上通りにあるもう一軒の老舗書店は「長崎書店」さん。こちらも、明治22年の創業から133年になるという歴史あるお店であります。

こちらも、いわゆる「街の本屋さん」的な幅広い商品構成でありながら、売り場のところどころに独特のこだわりも感じられて、本好きの琴線をくすぐってくれます。とりわけ、ノンフィクションや思想書、美術関連の品揃えには唸らされるものがあります。入り口近くの熊本関連書コーナーも見逃せません。
その熊本関連書コーナーを覗いていたとき、一冊の雑誌の表紙が目に止まりました。人吉市で発行されている情報誌『どぅぎゃん』(発行=ぷらんどぅデザイン工房)であります。

人吉・球磨地区のさまざまな話題を取り上げている、月刊のローカル情報誌。その存在は、前日熊本城の近くで開催されていた、人吉・球磨地区を支援する写真パネル展で知りました(第2回で触れました)。被災当時の状況を伝える写真とともに展示されていた、復興に向けて進んでいこうとする地元の方々の写真の中に、『どぅぎゃん』の編集室と、そのスタッフを紹介した写真パネルがあったのです。
(↑前日に観覧した写真パネル展より)
人吉・球磨の歴史や文化、産業、グルメ、そしてそこに暮らす「人」を丁寧に取り上げている・・・というこの雑誌。創刊されたのが2000年とのことなので、もう20年あまりにわたって、しかも月刊ペースで発行が続いているということに驚きました。一地方のローカル誌としては、なかなかの健闘ぶりといえましょう。
いったいどんな雑誌なんだろう・・・と気になっていたところに、「長崎書店」さんの熊本関連書のコーナーに、その『どぅぎゃん』が置かれていたのですから、これはもう買うしかない!ということで、さっそく購入いたしました。

旅から帰ったあとに読んでみると、これがなかなか面白いのです。地元のアマチュア天文カメラマンによる星空写真や、全国大会に出場した運動系・文化系の部活高校生たちの紹介、そしてホルモン料理の美味しい飲食店の紹介・・・といった特集企画をはじめ、歴史や風土を深掘りしたコーナー、ファッション系のショップ情報、生後まもない子どもたちの愛らしい表情を集めたページ、法律相談に占いコーナー・・・などなど、多彩な切り口で人吉・球磨の「いま」を伝えてくれます。もちろん、誌面に掲載されている広告もすべて、地元の企業やお店のもので占められております。
人吉・球磨の「いま」の中には、2年前の豪雨災害から立ち直ろうとする皆さんの姿もあります。豪雨災害で被災しながらも、修理を経て再生された小学校とお寺のピアノによる演奏会のレポートに加え、自宅を飲み込んだ川のそばに、あえて新しい自宅を再建された方を取り上げたページも。そこからは、これからも川とともに地元で生きていこうとする、人吉の皆さんの静かなる決意のようなものが伝わってくるようでした。
驚いたのは、俳優の中原丈雄さんがエッセイを連載されていること。中原さん、人吉のご出身だったんですねえ。数多くの映画やドラマ、舞台でご活躍の役者さんなのですが、個人的には『ゴジラ2000ミレニアム』以降のいわゆる「ミレニアムゴジラシリーズ」の常連出演者として馴染み深いんだよねえ。なんにせよ、これはちょっと嬉しい発見でありました。
『どぅぎゃん』を読んでいると、なんだか無性に人吉・球磨へ出かけたくなってまいりました。次の熊本旅行の機会には、人吉にもぜひ立ち寄ってみたいと思うのであります。
(『どぅぎゃん』についての詳しいことは、こちらのサイトをご参照くださいませ。→ http://dougyan.com/dougyan.html )

・・・このあたりで再び、お話を熊本呑み歩き2日目に戻すことにいたしましょう。
すでに熊本でお気に入りのバーを持っているわたしですが、実はまだまだ、熊本には気になるバーがございました。そのうちの一軒である「STATES」(ステイツ)さんに立ち寄ってみることにいたしました。開業から40年近い本格派のバーということで、ちょっと気になるお店だったのです。

雑居ビルの4階に上がってお店の前に来ると、開け放たれた扉からお店の中が見えました。
一人呑みが大好きとはいえ、やはり初めてのお店に入ろうとするときには緊張するものであります。いささか身を縮こませるようにしつつ店内に入り、「こんばんは・・・えーとひとりなんですけどよろしいでしょうか」と尋ねると、若いバーテンダーの方が愛想よく出迎えつつ、カウンター席をすすめてくださいました。カウンターの中にはもう一人、口ひげを生やした男性がおられて、やはり愛想よく話しかけてくださいました。この方がマスター氏であります。お二人が気さくに迎えてくださったおかげで、緊張していた気持ちがだいぶ和みました。
ホッとひと息ついたところで、「おすすめ」のところに記されていた白桃とスパークリングワインのカクテル「ベリーニ」を注文いたしました。爽快にしてフルーティな味わいが口の中いっぱいに広がって、お口直しには最高の一杯であります。

あらためてメニューを拝見すると、豊富なカクテルやウイスキーと並んで、さまざまなシェリー酒がラインナップされています。そういえば、シェリー酒はまだ飲んだことはなかったなあ・・・ということで、その中のひとつを選んで注文いたしました。なんというのか、取っ手の長い柄杓のような道具(後で知ったのですが、「ベネンシア」という名前の道具だとか)にシェリーを入れ、そこからグラスに注ぐマスター氏の所作が、なんともキマっていていいですねえ。

出てきたシェリーを口に含むと、華やかな芳香とキリッとした切れ味でなかなかの美味しさ。生まれて初めて味わうシェリーの芳醇さに、しばし陶然となりました。これはいいぞ!ということでもう一杯、別の銘柄のシェリーを注文。そちらのほうも、深みのある色と味わいが魅力的でありました。
(どちらも銘柄の名前を失念してしまいました・・・。ああ、ちゃんとメモっておけばよかったのう)

シェリーを飲みながらつまんだのが、見た目も楽しいオイルサーディンのカナッペ。これがまた、おつまみにうってつけの美味しさで、お酒がさらに進んだのでありました。
ふと、酒瓶がずらりと並ぶ後ろの棚を見ていると、そこには映画『007』シリーズのボンドカーとして知られる、アストンマーチンDB5のミニカーが。その話をマスター氏に向けると、「おお、よくお気づきですねえ」とのお答え。それからしばし、『007』映画談義に興じました。
「ウチの妻は(5代目ジェームズ・ボンド役者の)ピアース・ブロスナンのファンなんですよ」というマスター氏のお言葉に合わせるように、カウンターの奥からチャーミングな女性が姿をお見せになりました。おおそうか、ご夫妻で切り盛りされているんだねえ。
お店に入ったときには、お客さんはカウンターに2人おられるだけでしたが、それから次々にご常連とおぼしき方々が入ってきて、いつのまにか店内は満席に近い賑やかな状態になっておりました。ここもまた、多くの方々に愛されているお店なんだなあ・・・そう思いつつ、ひとまずこのあたりでお暇することにいたしました。
熊本に来たらまた寄りたいと思えるお店が、もう一店増えたのでありました・・・。

「STATES」さんをあとにして外に出てみると、下通のアーケード街は夜9時を過ぎてもなお、たくさんの人たちで賑わいを見せておりました。

熊本の盛り場の夜はまだまだ終わりそうにはありませんでしたが、わたしはひとまずお開きということで、前夜に続いて熊本ラーメンで締めることにいたしました。
この夜に立ち寄ったのは、ご当地でも人気のあるラーメン店「黒亭」さんの下通店。胃が少々くたびれ気味だったのを考慮して、玉子ラーメンのハーフサイズである「ちびたまラーメン」を注文いたしました。

コクと旨味が詰まったスープが絡んだ麺が実に美味しく、あっという間に完食。ふと隣を見ると、女性の一人客が普通サイズのラーメンを注文し、しっかりと完食しておられるではありませんか。
ああ、やっぱりオレも普通サイズのラーメンにしときゃよかったかなあ・・・そんな後悔の念が、湯気とともにアタマの後ろをかすめていったのでありました・・・。

                              (最終回につづく)


3年ぶりの熊本がまだせ旅(第4回)温泉と歴史ロマンの町、山鹿散策を満喫

2022-11-13 19:12:00 | 旅のお噂
3年ぶりの熊本旅の2日目である10月9日(日曜日)。ホテルでの朝食を済ませ、チェックアウトしたわたしは、熊本バスターミナルから路線バスに乗り、熊本市の北のほうにある山鹿市へと向かいました。
実は、2日目をどこで過ごそうか、ギリギリまで迷っておりました。久しぶりの熊本ということで、3日間すべてを熊本市内散策にあてようかなあ・・・とも考えましたが、以前山鹿を訪ねたとき、豊前街道沿いの宿場町として栄えた昔を偲ばせる風情ある街の雰囲気に魅了されたこともあり、また山鹿にお邪魔することにいたしました。

熊本バスターミナルから、路線バスに揺られること1時間。山鹿の中心部に到着いたしました。バス停を降りると、すぐ目の前に風格ある建物が建っております。温泉の街でもある山鹿を象徴する存在である共同浴場「さくら湯」です。

「さくら湯」のルーツは、江戸時代に肥後細川藩の初代藩主・細川忠利によって建てられた御茶屋に始まります。明治時代に入って共同浴場となり、四国の道後温泉を手がけた棟梁・坂本又八郎による大改修で唐破風の玄関がついた風格ある建物が建てられました。その後、昭和48(1973)年の再開発事業によって建物は解体されてしまいますが、山鹿の歴史と文化を大切にしようという市民の声を受けて、平成24(2012)年にかつてと同じ場所で、昔のままの佇まいで再建されました。
350円で入浴券を購入して、さっそく湯に浸かりました。浴槽には、地元の方とおぼしい先客が数人、お湯に浸かっておられました。広々とした浴槽に満たされているぬるめのお湯はトロリとしていて、いかにも肌に良さそうであります。外観と同様、明治の頃と同じ形で復元されたという浴室内は天井が高く、浴槽の広さと相まって実に解放感があります。わたしはお湯の中でめいっぱい手足を伸ばし、開放感の中でお湯を楽しみました。
浴槽の脇の壁には、地元の商店や企業、ホテルの広告板が並んでいるのですが、これがレトロ感のあるデザインで、古き良き共同浴場の雰囲気を醸し出してくれます。そんな浴室内には、あのくまモン様が入浴するわれわれを見下ろすように立っていて、微笑ましいのであります。
くまモン様に見守られながら、わたしはしばしの間、山鹿の湯を堪能したのでありました。

「さくら湯」で温まったわたしは、かつて豊前街道だった通りを散策いたしました。通り沿いには、宿場町として栄えていた頃の面影を残す町並みが続いていて、実に風情があります。

江戸の雰囲気を残す町並みの中に、ちょっとレトロモダンな感じの建物がありました。ガラス窓を見ると、「山鹿青年会議所事務局」という文字が。これもまた、いい感じの建物でありますねえ。

そして、市内を流れる菊池川のほうまで進むと、そこには明治時代から続く日本酒の蔵元「千代の園酒造」がございます。真っ白な煙突に入ったひび割れは、6年前の熊本地震のときのものだとか。あの地震はここ山鹿にも、大きな揺れをもたらしていたのです。


この日の天気は朝から曇り空。ときおりポツポツと小雨も降り出しておりましたが、散策には特に支障はありませんでした。街中には、散策を楽しむ観光客の方々がちらほら。
そうこうするうちに時刻はお昼時・・・ということで、食事処「彩座(いろどりざ)」さんに立ち寄ることにいたしました。

開店する11時の少し前にやってきたのですが、お店の前には早くも、開店をお待ちの観光客の皆さまが十数人ほどおられました。人気のあるお店のようですねえ。
街の中にある古い芝居小屋「八千代座」にひっかけてなのか、芝居小屋の雰囲気を演出した店内。市内のお店や企業の広告を枡形に並べた天井も、どこか芝居小屋風だったりいたします。

せっかく熊本に来てるんだし、ここいらでなにか馬肉料理でも・・・ということで、看板メニューである「馬重」を注文いたしました。


お重に盛られたご飯の上に馬肉を敷き詰め、タレをかけて食べる「馬重」。ほどよく脂がついた馬肉もさることながら、タレが染みたご飯がまた美味しく、ボリュームもしっかりありました。
食事のおともはもちろん、地元の「千代の園酒造」さんのお酒。スッキリした味と飲み口は、食中酒としてもうってつけ。おかげさまで真っ昼間から、いい気分にさせてもらいましたぞよ。


美味しい料理とお酒でいい気分になったところで、ふたたび山鹿の歴史文化を探究すべく、「山鹿灯籠民芸館」にお邪魔いたしました。

室町時代から続いている、国指定の伝統工芸「山鹿灯籠」。毎年8月15・16日には「山鹿灯籠まつり」も開催され、金灯籠を頭に掲げた1000人の女性による踊りが披露されます。ここ「山鹿灯籠民芸館」では、山鹿灯籠の数々の名品を鑑賞しながら、その歴史と文化を知ることができます。
建物として使われているハイカラなモダン建築は、1925(大正14)年に安田銀行山鹿支店として建てられたもので、こちらも国によって登録有形文化財にされています。縦長の窓枠や、飾りのついた天井を持ったがっしりした造りが、いかにも昔の銀行という感じがしていいですねえ。

館内には、「山鹿灯籠まつり」で使われる金灯籠はもちろん、さまざまな建物を模して作られた灯籠の数々をじっくり見ることができます(館内は撮影可ということで、作品の数々も写真に収めさせていただきました)。
地元の「さくら湯」や「八千代座」をはじめ、熊本城や法隆寺の五重塔、金閣寺、上野の東照宮などなど、建物の細部に至るまで精密に作り込んだ作品の数々は実に圧巻でした。これらすべてが、木や金具を一切使わずに和紙と糊だけで作られているというのですから、ただただ驚嘆するばかりです。







作品の中には、この「山鹿灯籠民芸館」を模して作られたものや、航空自衛隊のブルーインパルスの飛行機を模したものといった変わりだねも。


民芸館のガイドである男性からの解説を聞きつつ、館内を見て回りました。山鹿灯籠の職人さんたちも世代交代が進んでいて、若い世代、とくに女性が多くなってきているとのこと。
民芸館として使われているモダンな銀行建築は、6年前の熊本地震の直前に鉄筋による補強が行われたそうで、補強が完了して間もなく、山鹿は震度5強の揺れに見舞われたといいます。確かに、建物の内部には丈夫な鉄筋が通っているのが見てとれます。よくぞ補強が間に合ったものだな・・・と思うばかりです。

見学を終えて外に出ると、民芸館の脇に立っている郵便ポストの上に、金灯籠を模して作ったオブジェがちょこんと立っておりました。これもまた、微笑ましかったねえ。


「山鹿灯籠民芸館」から、今回の山鹿訪問で最後に立ち寄る場所となる芝居小屋「八千代座」へ。そこへ向かう道もまた、かつての豊前街道の賑わいを偲ばせる風情が漂います。


その旧豊前街道から脇に入ってすぐのところに、「八千代座」があります。


どっしりとした佇まいの建物は、地元の商人によって明治43(1910)年に建てられたもので、枡席や花道、人力による廻り舞台や奈落が設えられた、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を伝える構造となっています。
昭和40年代に入ると使われることもなくなり、雨漏りがするほど傷みも進んでしまっていたそうですが、地元市民により保存への機運が高まり、それが実ってか昭和63(1988年)には国の重要文化財に指定。さらに平成8(1996)年からの5年にわたった大改修により、全盛期であった大正時代の華やかな雰囲気が再現されました。現在では「さくら湯」とともに、山鹿を象徴する存在となっていて、歌舞伎をはじめとしたさまざまな公演の舞台として活用されております。
公演がない時には内部の見学も可能、ということなのですが、以前訪れたときにはジャズか何かのコンサートの公演のため、中に入ることはできませんでした。
今回訪れたときも、何かの公演が開催されている最中。入り口におられた方に訊くと、熊本県下のフラグループが集まってのボランティア公演を開催しているところだ、といいます。とはいえ、「通常の見学はできないのですが、中に入るのは大丈夫ですよ」とのことでしたので、「お気持ち」程度のお金をカンパとして出し、スリッパをお借りして中に入りました。
(公演中ということもあって、内部を撮影することは一切控えさせていただきましたが・・・)
桟敷席の2階からは、劇場内の構造をひと通りつかむことができました。舞台に面した中心部には、枡席で区切られた客席が整然と並び、それを囲むように二階建ての桟敷席が。そして天井を見れば、これまた枡形に区切られた広告板がずらり・・・。薄暗い灯りに照らされた劇場内部の光景を見ていると、なんだか昔にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。そんな昔ながらの空間の中で見るフラの舞いというのも、なかなか味があっていいものでしたねえ。
劇場の一角には、「八千代座」の再建に関わった方々のお名前がズラっと記された木札が掲げられておりました。地元山鹿の方々を中心とするご芳名のトップには、歌舞伎役者の坂東玉三郎・中村獅童ご両人と並んで「大沢啓二」のお名前が。

ああ、あの大沢親分も「八千代座」の復活に力を貸してくださっていたのか・・・そう思うと、なんだかちょっと嬉しい気分がしたのでありました・・・。


                             (第5回へつづく)