読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

NHKスペシャル『命と向きあう教室 ~被災地の15歳・1年の記録~』

2015-03-30 06:58:28 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『命と向きあう教室 ~被災地の15歳・1年の記録~』
初回放送=2015年3月29日(日)午後9時00分~9時49分
語り=高畑充希
製作=NHK仙台放送局



これまで誰にも話すことができなかった、震災の辛い体験。それを月1回、作文に綴って発表して皆と共有し、感想を伝え合うことで命の意味を考えよう、という “命の授業” を受けてきた、宮城県東松島市の中学3年生82人の1年間の記録でした。
津波により1,000人以上もの方々が亡くなっている東松島市。生徒たちの多くも身近な人が亡くなっていたり、人びとの死を目のあたりにしたりしていて、心に深い傷を負っていました。教師たちにとっても手探りだった“命の授業”は、心理学や教育学の専門家のサポートを受けつつ進められたといいます。

まず最初に皆の前で作文を発表することに同意したのが、津波で失った母と姉を、なぜ自分の手で救うことができなかったのかと深い後悔の念を抱き続けてきた男の子でした。「発表することでみんなの考えを聞きたい」というのが、その理由でした。
その後1年、命について様々に考えを深めた彼でしたが、やはり簡単に理解してまとめられることではない、との結論に達します。しかし、あえてまとめるなら、と記した言葉は、とても印象的なものでした•••。
「命とは、強くて弱い、美しい輝き」

普段は生徒会長として明るく振る舞いながら、気持ちの奥で両親を失った悲しみを秘め続けていた女の子。夢の中に出てくる亡くなった両親へ手を伸ばそうとしても届かない•••そんな苦しい胸の内を作文に綴りました。
そんな胸の内を受け止めた教師から、「誰かを頼ってもいいんじゃないか?」と言われながらも、彼女は「頼りっぱなしになって相手に負担がかかっては」などと言い、やはり気丈に振る舞おうとしていました。
しかし、1年にわたる“命の授業”で、「自分の知らない、本当の自分を知ることができた」という彼女は、やはり誰かを頼ってもいいんだ、という結論に達しました。中学を卒業した彼女は、人を助ける仕事がしたい、と看護師を目指すことに•••。

震災での体験にとどまらず、心に抱え続けた生きづらさを作文に綴った生徒もいました。両親の離婚を経験し、新しい母との関係にも悩み、自死したいという思いを持っているという女の子。その思いを作文に綴って発表し、秋の文化祭では神楽のまとめ役となる太鼓の演奏をやりきった彼女に、級友たちから「頑張ったね」との感謝の言葉が寄せられます。こんなふうに感謝されるなんて初めてのこと、と嬉しそうに語った彼女。
卒業の日。彼女のそばには、その成長に涙する新しい母、そして父の姿がありました•••。

なるべく、冷静に、冷静に•••と思いつつ観たのですが、やはりダメでした。観ながら何度も涙していました。
震災での辛く悲しい経験もさることながら、それを誰にも話せずにずっと耐え続けているということは、とてつもなく苦しいものだったことでしょう。
それを大切な仲間たちと分かち合い、思いを共有することが、少しずつでも前へと進んでいくきっかけとなることを、願わずにはいられませんでした。

1年間の“命の授業”のまとめとして書かれた作文の中に、やはり印象的な言葉がありました。
「辛い体験をしているのに、それでもこの場にいるということは、みんなにはその問題を乗り越える力があると思う」(大意)
82人の生徒たちが切り拓くこれからの人生が、幸多きものとなるよう、切に、切に願いたいと思います。

(フェイスブックに投稿した内容に、一部手を加えて掲載いたしました)

やっちゃいました、とうとう・・・。

2015-03-22 17:46:49 | よもやまのお噂
2月から4月くらいにかけての時期、多くの書店では新学期に向けての準備や活動で忙しくなってきたりいたします。とりわけ、教科書取扱い指定を受けている書店では、少しずつ届いてくる教科書が詰まったダンボール箱(これが重いんですよまた)の山と格闘している真っ最中、なのではないでしょうか。

やはり教科書取扱い指定店に指定されているわが勤務先でも、おととい(3月20日)に教科書を仕分ける作業がありました。社員ほぼ総出で山と積まれた教科書を引っ張り出し、それらを学校ごとに、数を合わせながら仕分けていく•••というものでした。
外回り仕事があったため、少し出遅れて合流したわたくしは、出遅れを取り戻すべくイキオイをつけながら作業に取り掛かりました。今の勤務先になってからの教科書仕事は初めてでしたが(移籍してまだ半年というところですので)、以前勤めていた別の教科書取扱い書店でのことを思い出しながら、ガンバって乗り切るぞ!と張り切っていたのです。
教科書の詰まったダンボール箱を、荷紐をつかんで両手にぶら下げながら運んだり積み上げたりしているわたくしを見て、「一箱ずつ持ったほうがいいよ~」と言ってくれた同僚の言葉に、「ああ、大丈夫っすよ、ははは」などと余裕ぶっこいて答えてたりしておりました。別の教科書取扱い書店に勤務していたとき、さらに大量の教科書の山との格闘を乗り切った経験がございましたゆえ、ちょいとばかりオノレのチカラを過信しておったきらいがありました。なーに、大丈夫大丈夫、てな感じで。

しかし。やはり「大丈夫」ではありませんでした。途中に休憩を挟んだあたりから、腰のあたりに鈍い痛みがジンジン、ジンジンと響いてきました。
「うっ••••••やべえ••••••やっちまったか、ついに」
ペース配分を考えないまま、いきなりイキオイをつけて重い教科書を持ちまくったことで、オノレの腰には思いのほか負担がかかっていたようでした。そのあとは、ダンボール箱を抱えるたんび、腰に痛みが走るというありさま。
それでもなんとか、後半の仕分け作業を終えることができましたが、終わったあとのわたくしはすっかり意気消沈。上司の一人からは「顔色悪いよ」と言われる始末でした。

これまでのわたくしは、あまり自分の年齢を意識するということがありませんでした。40を越えたあたりから、アタマにちらほらと白いもんが混じったりはしてきているものの、体力的にはまだしばらくはいけるんでないの?とのヘンな自信があったりいたしました。これまで長きにわたって本屋の仕事をしてきましたが、特段腰やらを痛めることもございませんでしたし。
でも、かつて別の教科書取扱い書店にいたというのは、今から10何年か前になる20代のときの話。その頃とおんなじようなカラダの動きをオノレに期待していたこと自体、実にコッケイな勘違いだったのでございました。とほほほほ。
オノレの勘違いとカラダの衰えという事実を、否応なく突きつけられたことは、腰の痛み以上によほどショックで情けなく、気落ちさせられました。顔色が悪かったとすれば、そんな気落ちした思いゆえ、だったのでしょう。

とはいえ、気落ちしているまんまというワケにはいきません。翌週からは、仕分けした教科書をそれぞれの学校に運んで搬入するというお仕事が待っているのですから。
帰る間際、「よ~く腰を揉んどいたほうがいいよ」と言ってくれた同僚の言葉を思い出しつつ帰宅したわたくし。当日の夜に放送されていた、地下鉄サリン事件を取り上げたNHKスペシャル『未解決事件』をじっくり視聴しつつ、せっせと腰を揉み続けていました。そのあと入った風呂の中でも、念入りに腰をモミモミし続けました。
その効あってか、翌日の土曜日にも痛みは残ったものの、それ以上ひどくなることはありませんでした。おかげで、昼までの半ドン仕事も無事片付けることができました。その夜出かけた繁華街の居酒屋での一人呑み、そして2軒目のバーでの親しい方との会話では、ささやかながらも嬉しい気晴らしをすることができました。
きょう(3月22日)は一日中、自宅でゆっくりと、一切のムリをせずに過ごしたことで、だいぶ痛みも引いてきました。とりあえず、一安心であります。

さあ、週が変わると教科書の搬入仕事が待ち構えています。その時にちゃんと使いものになるよう、しっかりと調子を戻しておきたいと思っております。
•••でも、もうこうなった以上は若ぶっていても仕方がないことですし、自分のトシをわきまえないムリ、ムチャはやんないよう気をつけますので、ハイ。

今年も「やっぱり、まつりっていいなあ」と思えた生目神社の大祭。

2015-03-08 20:55:56 | 宮崎のお噂
宮崎市の郊外にある目の神さま、生目神社で毎年開催されている大祭。今年は、昨日(3月7日)から明日(9日)の3日間にわたっての開催となりました。
生目神社へは歩いていけるくらいの場所に住んでいることもあって、ほぼ毎年のように散歩がてら出かけているわたくし(当ブログでも、おととし出かけた時の模様をこちらの記事に綴っております)。今回もまた、のんびりぶらぶらと歩きつつ出かけてまいりました。

初日の昨日は、ほぼ一日中小雨がパラついていた上に肌寒いというあいにくの天候でありましたが、きょう(8日)は嬉しいことに、朝からすっきりした晴れの天気。
神社へ向かう道の途中で見かけた、水の張られた田んぼの風景も、ポカポカした陽射しの下でなんだか春めいた感じに見えましたねえ。

神社に着くと、天気に恵まれていることもあってかけっこうな人で賑わっておりました。おお、いいぞいいぞ。

参道沿いに立ち並んだ露店の数々に目移りしつつ、まずは参拝を。社殿の前にも大勢の行列ができておりましたが、前に並んでいた参拝客がみな、手早く参拝を済ませていたこともあって、思いのほか早く、参拝の順番が回ってまいりました。ささやかでもいいので、これからの人生が楽しいものとなりますように•••とお願い申し上げたあと、わたくしも手早く社殿を後にいたしました。
社殿の横にあった絵馬を覗いてみました。合格祈願をはじめ、目の神さまということで眼病治癒や視力回復の願いが目立ったのですが、中にはこんな願いもございました。

「物事が良く見えますように」かあ。なるほど、これはいいお願いだなあ。下に描かれたイラストも、なんかいい感じでしたねえ。
久しぶりにおみくじを引いてみることにいたしました。開いてみると「吉」。

ははは、ささやかでも楽しい人生を•••とお願い申し上げたばかりのわたくしにとっては、実にいい辻占ではございませんか。なんだかありがたそうな「銭亀」とともに、お財布の中にしまっておくことにいたしましょう。

生目神社で伝承されているお神楽が披露されるまで少し時間があったので、それまで露店めぐりを楽しむことにいたしました。


焼きイカ、たこ焼き、焼きそば、綿アメ、金魚すくい•••などなど、お祭りではおなじみのモノを売るお店が並んでおりましたが、中にはこんな物件もございました。

わはは、「妖怪かすてら」ですか。いま、子どもたちに大人気だからなあ、『妖怪ウォッチ』が。
わたくし、今回はしっかり、買い食いを楽しむつもりでやってまいりました。•••なんせ、そのために直前の昼メシも控えめにしておいたくらいでございまして。いろいろあって迷いましたが、まずはクレープを頂きました。

次に目が行ったのが、フルーツ飴。コレも、お祭りにはつきものの一品でありますね。リンゴ飴やサクランボ飴もありましたが、わたくしはイチゴ飴をチョイスいたしました。大粒のイチゴをくるんだ飴の赤さが、お祭り気分を盛り上げてくれましたねえ。

宮崎県産品を売っているお店もございました。

ピーマンやミニトマトなどなど、安心かつ安全、そして美味しい県産品が並べられておりましたが、わたくしは完熟きんかん「たまたま」を買いました。こちらはお土産であります。


再び、社殿横の神楽殿に行くと、すでにお神楽が始まっておりました。鬼の面をつけた子どもたちによる「鬼人舞」であります。

小学校4年生と2年生の3人の子どもたち(うち2人は兄弟なんだとか)によって舞われた「鬼人舞」には愛嬌もございましたが、30分近い時間にわたってしっかり、堂々と演じられた3人の舞いはまことにお見事でありました。舞い終えた3人には、観客からの惜しみない拍手が。いやあ、いい光景でしたね。
続く演目「神武」も、リズミカルな舞いの間に演者2人のユーモラスな掛け合いがあったりして、楽しく拝見させていただきました。

宮崎市の無形民俗文化財にも指定されている、この「生目神社神楽」。古くからの伝承芸能が、大人はもちろん子どもたちにもしっかりと受け継がれていて、それを自分が住んでいるところの近くにある神社で見ることができるということは、とても大事なことなのではないか•••。お神楽を見ながらふと、そんなことを思いました。
そういった地域の伝承文化に触れる機会を、楽しみの中で与えてくれるお祭りって、やっぱりいいもんだなあ•••。そんなことも思いつつ、また歩いて自宅へと帰ったのでありました。

帰りぎわにもう一つ、お土産を買いました。目玉焼きが乗っかったソース焼きそば、であります。露店の焼きそばもついつい、食べたくなる一品なんですよねえ。
そして、それをお供にしながら飲んだのが、福島県産の桃を使用してつくったキリンの「氷結 福島産 桃」でありました。

フルーティな香りと豊かな甘さが心地良い「氷結 福島産 桃」も、春の訪れを舌で感じさせてくれました。

【雑誌閲読】記録映画好きは必読!『東京人』3月号の特集「発掘!なつかし風景 記録フィルムの東京」

2015-03-01 14:48:46 | ドキュメンタリーのお噂

『東京人』2015年3月号 特集:発掘!なつかし風景 記録フィルムの東京
都市出版、2015年


東京という都市の歴史と風土、そして魅力をさまざまな側面からじっくり取り上げ続けている月刊誌『東京人』。東京人でもなければ、東京に出かける機会もほとんどない田舎住まいのわたくしでありますが、読み物としても面白く興味深い特集を組んだりしているので、ときおり買って読んでいる雑誌だったりいたします。
その『東京人』の、2月はじめに出た号の特集が「発掘!なつかし風景 記録フィルムの東京」。今では失われてしまった東京の風景を映し出した作品を中心に、多数の記録映画を場面写真とともに紹介する特集ということで、これはなんとしても押さえなければ、と購入し、閲読いたしました。
記録映画の歴史を飾る著名なものから、アマチュアによるホームムービーまで、優に70を超える作品の紹介をメインに展開した特集は、想像していた以上に充実したものでした。

紹介されている作品のごくごく一部をピックアップしてみますと•••。

小林商店(現在のライオン株式会社)の創業者・小林富次郎の葬儀と壮麗な葬列の模様を記録し、現存する日本最古の映画フィルムとして国の重要文化財に指定されている『小林富次郎葬儀』(明治43年)。
大正初期の東京の名所をつぶさに記録した貴重なフィルムであり、昨年10月に放送されたNHKスペシャル『カラーでよみがえる東京 ~不死鳥都市の100年~』の中でカラー化されていた『大正六年 東京見物』(大正6年)。
関東大震災直後の被災状況や救護活動の様子を記録した映像を、当時の文部省が企画して一本の映画としてまとめた『關東大震大火實況』(大正12年)。
震災、そして空襲による焦土から立ち直り、東京オリンピックを控えて変貌していく東京の文化を海外に紹介する目的で製作された『This is Tokyo』(昭和36年)。都市発展の陰で問題化していた、大気汚染や水質汚濁などの公害に目を向け、警鐘を鳴らした東京都企画による啓蒙映画『東京1970年』(昭和45年)。

などなど、東京という都市の記録のみならず、記録映画としても貴重な作品が多数取り上げられていて、目を見張らされました。
ちょっと変わったところでは、住宅や商店が密集していた地域における区画整理の様子を記録した、こちらも東京都企画の映画『変わる街の姿 –区画整理–』(昭和35年)。5階建てのビルを移動させるべく、ビルの下に「ころ」を入れて動かしたり、一軒家を丸ごと、小さな川を越えた向こう側に移動させる場面があるそうな(映画からの場面写真もちゃんと載っております)。これ、動く映像で観てみたいなあ。

東京タワーや高層ビル、勝鬨橋や地下鉄などを築き上げ、東京の発展を支えた建築や土木技術をテーマにした作品にも、しっかりスポットが当てられております。
当時の最先端技術の紹介・記録としてはもちろん、それぞれの現場で働いていた職人たちの活躍ぶりや、画面に映り込んだ周りの風景も見どころという建築・土木映画は、地味なようでけっこう「宝の山」のような感じがいたします。土木学会により選定された作品からセレクトされた「東京の土木映画10選」にも、見てみたい作品がいろいろありました。
記録映画というジャンルにおいて大きな存在のひとつである、建築や土木などをテーマにした「産業映画」ですが、その多くは一般の方々に認知されることもなく、埋もれたままとなっているのが現状でしょう。それだけに、そういったジャンルの作品にスポットを当てたことに拍手したい思いです。

特集では、アマチュアの撮影者によるホームムービー、プライベートフィルムにもスポットを当てております。
Nスペ『カラーでよみがえる東京』でもプライベートフィルムのいくつかがカラー化されておりましたが、なかでも戦後の焼け跡を手をつなぎながら笑顔で歩いている親子を捉えた映像は、とても印象的でした(本誌の特集でも、その元となったフィルムのことが取り上げられております)。
プロ集団による作品のように洗練されたつくりではなく、捉えられているのも子どもの成長ぶりや、結婚式、家族旅行といったプライベートな事柄や、地域の行事の模様が大半というホームムービー。しかしそこには、失われてしまった町の風景や暮らしぶり、世相風俗といった、大文字の歴史では捉えきれない人びとの息吹きが期せずして映し出されている、貴重な文化遺産でもあります。その価値を再認識させてくれているところも、意義深いと感じました。
ホームムービーとはいえ、中には個人製作のアニメーションもあったりいたします。発掘が進めば、思いもかけぬ面白いものが見出されるのかもしれませんね。

とはいえ、記録映画をめぐる状況には深刻なものがあるといいます。
大手の映画会社により管理され、資料もある劇映画に対して、製作本数も膨大な上に資料も不足している記録映画は全体像が見えにくく、さらには製作会社の倒産や解散により、行き場を失ったまま劣化、散逸、廃棄の危機に晒されているフィルムも数多く存在しているのだとか。時代と家族が変化する中、映写できる環境のないままに死蔵され、ゴミとして処分の対象となってしまうホームムービーは、なおのこと危機的な状況にあることでしょう。
特集では、大学や保存機関が中心となって作品を収集、保存し、共有していく「アーカイブ」活動の重要性が語られています。文京区や台東区では、ホームムービーを地域の歴史を伝える文化遺産として位置づけて収集し、それらをデジタル化して貸し出したり、上映会を開いたりしているそうで、自治体における先進的な事例として注目しておきたいところです。
また、映像アーカイブによる街おこしの試みも紹介されているほか、東京国立近代美術館フィルムセンターなどの、一般の人たちも利用できる東京近郊の映像アーカイブ施設も紹介されています。
日本では著作権の仕組みが複雑であったり、人手や予算の制約が大きかったりで、映像アーカイブ構築への動きは緒についたばかり、というのが現状のようです。法整備や制度づくりなど、国ぐるみでの取り組みがなされていくことを願いたいところです。

墨田区で地域住民と協働してのアーカイブ活動をなさっている、映像作家で東京藝術大学講師の三好大輔さんの、このようなお言葉が印象的でした。

「人の記憶は、はっきりしたものではなく、どこかぼんやりと、ゆったりとしているイメージ。8ミリフィルムのやわらかい映像がそれに近いように思います。コマとコマの間に隙間があり、そこに想像力を働かせることができる。今日の映像機器のように、隅々まで精細に映っているわけではないですが、そこに味わいがある。」

また、東京大学の吉見俊哉さんと、作家の森まゆみさん、そしてNスペ『カラーでよみがえる東京』ディレクターの岩田真治さんとの座談会で、森さんはこのように語っています。

「活字と映像、人の思い出話など、いろんなメディアが補い合うと、ピースがつながって、ひとつの世界が再構築できるんですよね。」

フィルムからデジタルへと、メディア環境が移り変わっても、フィルムによる記録が持っている価値が失われるわけではないし、活用していくことで豊かな可能性が拡がっていくのでは•••。この特集はあらためて、そのことを教えてくれたように思いました。
雑誌の性質上、この特集では東京を映し出した映像が対象でしたが、それぞれの地方、地域を記録した数多くの貴重なフィルムが、日の目を見ることなく眠っていることでしょう。
この先、それらの映像の発掘が進められ、知らなかった歴史と営みに接することができるよう、期待したいと思います。

記録映画が好きな向き、関心が深い向きは必読といえるいい特集でしたが、いささかご紹介が遅くなってしまいました。このブログ記事がアップされる頃には、もう次号の『東京人』が出ていることでしょう。ぜひ、バックナンバーとしてお取り寄せの上でお読みになってみてくださいませ。


【関連オススメ本】

『シリーズ 日本のドキュメンタリー 第1巻 ドキュメンタリーの魅力』
佐藤忠男編著、岩波書店、2009年

日本のドキュメンタリーの歴史を辿り、その特徴や魅力を通覧した、全5巻シリーズの総論篇。『東京人』の特集で取り上げられていた作品のうち、『紅葉狩』『關東大震大火實況』『公衆作法 東京見物』『隅田川』の4本のダイジェスト映像が、付属のDVDに収録されています。


【関連オススメWebサイト】
NPO法人「科学映像館」
http://www.kagakueizo.org/

生物、医学、食品科学などの科学をテーマにした作品をメインにした文化・記録映画をデジタル化し、Web上にて無料配信しているNPO法人です。2月末現在で、総配信映画数は729作品。記録映画アーカイブにおける一つのあり方として貴重な存在ですし、興味深い作品がいろいろとあって楽しめます。