読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【わしだって絵本を読む】 高いクオリティと、読みものとしての面白さが込められた、かこさとしさんの遺作『みずとは なんじゃ?』

2018-11-14 20:44:54 | 本のお噂

『みずとは なんじゃ?』
かこさとし/作、鈴木まもる/絵、小峰書店、2018年

今年5月のはじめに逝去された、絵本作家のかこさとし(加古里子)さんが、亡くなる直前まで精魂を傾け、製作に取り組んでおられた遺作『みずとは なんじゃ?』が、このほど刊行の運びとなりました。
かこさん自らによる原稿やラフスケッチをもとに絵を描いたのは、物語から知識絵本まで幅広く手がけ、鳥の巣研究家でもある鈴木まもるさん。NHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも、お二方による真剣な打ち合わせの様子が捉えられておりましたが、それがこうして形となったのを見ると、やはり感無量です。

顔を洗ったり、料理やお風呂・トイレ・洗濯に使ったり、そのまま飲んだり・・・と、わたしたちの生活になくてはならない水。ふだんは液体ですが、あるときは気体に、さらには固体へと、さまざまに姿を変えていく、水の持つ不思議な性質が、まずはわかりやすく解き明かされます。
次に、水は溶かしこんだ養分を人間や動物、植物の体内で行き渡らせ、代わりにいらなくなったものを乗せて体から出すことで、生きものたちの命を支えてくれていることを説明します。そしてさらに、水は水蒸気となって地表の熱を調節することで、地球が生きものにとって生きやすい環境をつくってくれている・・・という大事なことを伝えてくれます。

わたしたち大人も、ともすれば忘れがちになってしまう、水の持つ不思議な性質と大切なはたらき。本書を読むことで、それをあらためて認識することができました。
本書は、水についての基本的な知見が過不足なく盛り込まれているとともに、巧みな比喩と語り口で楽しく読めるものとなっています。固体・液体・気体と形を変える水の性質を「たくみな しばいの やくしゃ」に喩えたところなどは、鈴木まもるさんの絵と相まってニンマリいたしました。
身近なところから始まって、やがて地球という大きな存在へと視点が広がっていく、かこさんならではの語り口にも、あらためて唸らされました。

かこさんの指名を受けた鈴木さんも、かこさんの意思と熱意にしっかりと応えるような、素敵な絵をお描きになられています。水が水蒸気となって、地表の温度調節をしていることを説明するくだりの絵には、かこさんの代表作である『かわ』や『地球』(ともに福音館書店)を思い起こさせるものがあり、かこさんへの熱いリスペクトが込められているように感じました。
かこさんへのリスペクトといえば・・・本作には、かこさんが生み出した名キャラクター、そしてかこさんの姿もさりげなく、絵の中に描き込まれております。ぜひとも、隅から隅までじっくりとご覧のうえ、見つけていただけたらと思います。

本書には初回発売分のみ、かこさん自筆の原稿やラフスケッチとともに辿った絵本の製作過程や、鈴木さんからのメッセージを掲載した冊子が封入されています。それによれば、本書は幼い子どもたちに向けた科学絵本シリーズの一冊として構想されていたのだとか。もうしばらく、かこさんが御存命であったなら、それらの何冊かを目にすることができたかもしれない・・・と思うと、誠に残念な思いがいたします。
ですが、かくも科学絵本としてクオリティが高く、かつ読みものとしても実に面白い作品を、最後の最後に遺してくださったかこさんは、やはりすごい方だなあ・・・と、あらためて畏敬の念が湧いてまいります。

「子どもたちのために」という信念を生涯貫かれてこられた、かこさんからの最後の「おくりもの」。多くの子どもたちへと届き、末永く読み継がれていくよう、願ってやみません。

『温泉の日本史』 温泉旅がより一層味わい深くなる、日本人と温泉をめぐる歴史エピソードが満載の一冊

2018-11-12 06:38:43 | 本のお噂

『温泉の日本史 記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付』
石川通夫著、中央公論新社(中公新書)、2018年


朝晩を中心に、少しずつ肌寒さを感じるようになってきた今日この頃。恋しくなってくるのはやっぱり温泉、であります。
わたしが毎年、寒い時期になると楽しみにしているのが、大分県別府への温泉旅行です。眺めが良く快適な、宿泊施設や温泉施設での入浴もさることながら、街の至るところにある共同浴場で、地元の方々の生活の息吹を感じながら浸かる湯が、また味わいがあっていいのです。お湯で体の芯まで温まったあと、地元の美味しいものに舌鼓を打つのがまた至福のときで。ちょっと懐かしさを感じる街並みにも、湯の町ならではの情緒が感じられていいものであります(これまでの別府温泉旅のお噂は、当ブログでもたびたび綴っております)。

数多くの名温泉に恵まれた日本と、その温泉を愛してやまないわれわれ日本人。その古くて長い関わりの歴史を、温泉についてのさまざまな著作を出している温泉評論家・石川通夫さんが通史の形でまとめたのが、本書『温泉の日本史』です。
皇太子の流刑の地として『古事記』に記され、歴史の表舞台に登場した愛媛県の道後温泉。以降、天皇・皇族の行幸先として重宝された温泉は、やがて庶民からも湯治や歓楽、さらに信仰の対象としてもてやはされていきます。そして近代に入り掘削開発の時代を迎え、戦後の高度成長の波に乗った温泉地は発展を遂げていくことに・・・。
そんな、記紀の時代から現在に至る、温泉と日本人との長い関わりの歴史が、本書を通読することで手に取るようにわかりますが、それぞれの時代を象徴するテーマやトピックが、小見出しによりコンパクトにまとめられているので、興味のあるところを拾って読んでも楽しめるでしょう。初めて知った事実やエピソードも多く、興味深く読むことができました。

たとえば、仏教と温泉文化との関わりについて述べている項目。ここでは、東大寺の造営にも貢献した行基や、真言宗の開祖である空海の2人が、各地の開湯伝承によく登場する背景について考察します。いずれも、社会事業に携わって民衆の信望を集めていたことに加え、山岳修験・山林修行者として各地を巡り、鉱物資源や水、温泉、木材に明るかったことが、多くの開湯伝説に名を残す理由につながったのではないか・・・と。
別府温泉にゆかりのある人物といえば、時宗の開祖である一遍上人。道後温泉のある伊予国に生まれ、温泉の療養効果を熟知していたであろう一遍上人と、源頼朝から豊後国の守護に任ぜられ、元寇の役による戦傷者の療養が大きな関心事だった大友頼康との出会いが、温泉地としての別府発展の礎となったのだとか。別府名物・地獄めぐりの中心エリアであり、昔ながらの温泉情緒を残す鉄輪(かんなわ)温泉には、一遍上人ゆかりの「温泉山永福寺」が立っています。
温泉と入浴に対して、われわれが思い込んでいる「常識」に、「日本人ははだか入浴が伝統」というのがありますが、日本における温泉文化の基礎をつくった仏教の経典『温室経』では、はだかでの入浴が戒められ、内衣(ないい)を着用しての入浴が求められていたそうで、その慣習は江戸の中後期まで続いていた、といいます。また、男女混浴も必ずしも「常識」だったわけではなく、有名温泉地では男女別浴が多かったそうな。史実を丹念に辿ることで、思い込みに基づいた「常識」や「伝統」のいい加減さも浮き彫りにされます。

貴族社会において、温泉へ療養湯治に出かけることが流行っていたという平安時代。湯治とは名ばかりの、単なる遊興目的の温泉行きも増えていたようで、藤原定家はその日記『明月記』に、当時の公家社会の頂点にいた内大臣と太政大臣の温泉道楽ぶり(別邸に牛車で毎日二百桶も有馬の湯を運ばせたりしていたとか)を暴露しているエピソードが記されています。昔も今もおエライさんというのは・・・と、なんだか苦笑させられました。
もう一つ、今とつながるものが感じられるのが、江戸時代における「秘湯ブーム」のエピソードです。『北越雪譜』で知られる越後の文人・鈴木牧之(ぼくし)が、秘境・秘湯探訪記がもてはやされるようになった世相の中で書いた『秋山記行』には、湯浴み客がほかにいない秘境の温泉に浸かったときのことを、こう綴ります。
「まことに無人の佳興に入りて命の洗濯する心持なり・・・此湯の浴は今生のなごりとしきりに長湯して・・・」
秘境の湯で長湯を楽しみ「命の洗濯」気分を味わう・・・このあたりも大いに、現代のわれわれと通じ合うものがありますねえ。・・・読んでいるともう無性に、温泉に出かけたくなってきてまいりました。

安らぎと癒しの場である温泉地。それは歴史においてしばしば、聖なる平和空間=アジールとしての役割を演じてきたことも、本書は明らかにしてくれます。
平安末期、流人として追われていた源頼朝をかくまい、初の武家政権成立を後押しすることになったのは、伊豆半島の走湯と箱根権現のネットワークでした。また、幕末に初代駐日公使となったイギリスのラザフォード・オールコックは、滞在先の熱海で愛犬が間欠泉の熱泉に触れて死んだとき、地元熱海の住民が示した哀悼の意や親切に接しました。そのことが、攘夷事件が続いて強硬意見に傾いたイギリスの対日世論を、オールコックによって好転させる要因にもなったのだとか。
そして太平洋戦争下において、温泉地は東京をはじめとする大都市圏の学童集団疎開の受け入れ先となります。大勢の学童を収容できる能力を備えていることに加え、郊外や山間部に立地して軍事施設や軍需工場もなかった温泉地は、格好の避難所となったのです。受入温泉地は21府県にわたり、とりわけ福島県や群馬県、長野県は数多くの温泉地で学童を受け入れたことが、一覧表により示されます。
聖なる平和空間=アジールとしてさまざまな人びとを守るとともに、ときには平和そのものを導く役割をも演じた温泉地のエピソードには、なんだか胸が熱くなる思いがいたしました。なにより、われわれが温泉で癒され、安らぐことができるのも、平和な世の中が保たれてこそできること・・・なのですから。

古くから続く温泉と日本人との関わりの歴史と、そこから育まれてきた地域の豊かな温泉文化を知ることで、温泉はより一層、味わい深く楽しめるものとなることでしょう。
温泉が恋しくなるこれからの時期、ぜひとも温泉旅の予習として読んでいただきたい、興味深い歴史エピソード満載の一冊であります。

【わしだって絵本を読む】悲観論と二元論を吹っ飛ばして、未来を楽しく考えさせてくれる快作『それしか ないわけ ないでしょう』

2018-11-07 17:56:56 | 本のお噂

『それしか ないわけ ないでしょう』
ヨシタケシンスケ著、白泉社(MOEのえほん)、2018年


学校から帰ってきたおにいちゃんから、未来の世界は人が増えすぎて食べものがなくなったり、病気がはやったり戦争が起きたりで大変なことばかりになる・・・という話を聞かされた女の子。ショックを受けて意気消沈した女の子がおばあちゃんにその話を伝えると、おばあちゃんは「だーいじょうぶよ!みらいがどうなるかなんて、だれにもわかんないんだから!」などと語って、女の子を励まします。すっかり元気を取り戻した女の子は、いろいろな楽しい未来を夢想していきます・・・。

子どもからオトナまで大人気の絵本作家・ヨシタケシンスケさんの最新作『それしか ないわけ ないでしょう』のテーマは「未来」です。
とかく「未来」については、悲観的な見通しに基づいた予想や破滅論的な言説が語られがちです。人口増加や病気の増加、戦争のみならず、環境悪化や天変地異、経済情勢の激変、差別や暴力の横行による人々の分断・・・。メディアは日々、それらの事象がもたらすであろう暗鬱な未来像を取り上げます。そして、「知識人」と称される人びとは、そんな暗鬱な未来が避けられないものであるかのように、破滅論や終末論を語ります。この絵本は、そんな悲観的な未来予想に「それしか ないわけ ないでしょう」と異議を突きつけます。
おばあちゃんが女の子に語りかけることばが、実に痛快です。

「おとなは すぐに『みらいは きっと こうなる』とか『だから こうするしかない』とか いうの。でも、たいてい あたらないのよ」

悲観的な未来予想を、避けられない自明なことだと決めつけた上で、それに対する「対策」や「処方箋」(とはいっても往々にして、あくまで自らが属する立場に基づいた考え方を前提としたもの、に過ぎなかったりするのですが)を上から目線で垂れたがるオトナたち。それがいかにアテにならないものなのかを軽やかに突いたこのセリフには、もう拍手喝采したくなる思いがいたしました。
おばあちゃんは続けて、こうも語ります。

「あと、おとなは よく『コレとコレ、どっちにする?』とかいうけれど、どっちも なんか ちがうなーって おもったときは、あたらしいものを じぶんで みつけちゃえばいいのよ!」

そして、おばあちゃんに元気づけられた女の子も、こんなふうに考えます。

「そういえば、『すきか きらいか』とか、『よいか わるいか』とか、『てきか みかたか』とか、よく きかれたりするけれど、それだって どっちしかないわけ ないわよねー」

そう。本作は二者択一的な考え方に縛られた、視野狭窄な二元論に対しても「それしか ないわけ ないでしょう」と、軽やかに異議申し立てをしているのです。
「正義・不正義」や「敵・味方」などといった単純な図式に乗っかることで生じる、無意味かつ不毛な対立や軋轢。それを乗り越えるための知恵が盛り込まれたことばにも、強く強く頷かされました。

とはいってもそこはヨシタケさん、決して説教くさいお話にしてはいません。おばあちゃんのおかげで前向きになった女の子が、あれこれと未来を夢想するくだりは、ヨシタケさんならではの愛嬌のある絵や、おおらかなユーモア、そして柔軟で遊びごころ溢れる発想とで、大いに楽しませてくれます。お話の後半における、女の子とおばあちゃんとのやりとりの場面には、なんだかホロリとさせられました。

現実世界には、わたしたちが正面から向き合わなければならない、さまざまな問題が山積みになっていることは確かであります。ですが、そこでただただ悲観論を振り回して、未来を暗いものにしてはいけないのです。
たとえすぐには問題の解決が難しくとも、人間の可能性を信じながら、たくさんの人たちとともに知恵を絞って一歩一歩、良い方向へ未来を築いていくことが、わたしたちオトナに課せられた責務だと思うのです。未来は、上から目線で悲観論を説いたり、破滅願望を振り回すオトナのものではなく、なによりも子どもたちのためにあるのですから。
子どもたちはもちろんのこと、悲観論や二元論を振り回しているオトナたちにも読んで欲しい快作であります。


ヨシタケシンスケさんといえば、今年の7月に出た『みえるとかみえないとか』もまた、おススメしたい一冊であります。

『みえるとかみえないとか』
ヨシタケシンスケ(さく)・伊藤亜紗(そうだん)、アリス館、2018年

宇宙を飛び回り、いろんな星を調査している主人公の宇宙飛行士。ある星に立ち寄ったとき、まったく目が見えないという住人と出会います。その住人と話してみると、見えないことでできないことがある一方で、「見えないからこそできること」もいろいろとある、ということに気づきます・・・。

現代アートの専門家であり、さまざまな属性を持つ人びとの身体感覚の違いを研究している、東京工業大学准教授・伊藤亜紗さんの著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)にインスパイアされ、伊藤さんと「そうだん」しながら作ったという本作。ここでは、目の見えない人がどのようにして、外の世界を認識しているのかということがユーモラスに絵解きされていて、読む側の興味をそそってくれます。
さらに、さまざまな身体的、性格的な違いを持つ人は、それぞれ「そのひとにしか わからない、そのひとだけの みえかたや かんじかた」を持っているということが語られます。そして、その違いをお互いに面白がりつつも、理解して尊重し、共通項を見いだしながら互いを活かしあっていくことの大切さを、しっかりと伝えてくれます。
もちろん本作においても、変な説教くささや押しつけがましさはありません。他の人と違うことで苦労もある反面、その人だからこそわかることもいろいろあるんだなあ・・・ということを、好奇心とともに楽しみながら考えることができます。

『それしか ないわけ ないでしょう』と同様に、今の社会が大切にしてほしい考え方を、楽しく伝えてくれる『みえるとかみえないとか』。こちらも子どもたちはもちろん、オトナにも広く読まれて欲しいと願います。