読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【わしだって絵本を読む】活気と温かみにあふれた輪島朝市をライブ感たっぷりに描いた『あさいち』

2024-03-17 16:01:00 | 本のお噂

『あさいち』
大石可久也=え、輪島・朝市の人びと=かたり、福音館書店(かがくのとも絵本)、1984年


平安時代から続く長い歴史をもつ、石川県輪島の朝市。地元の人たちの暮らしを支える台所にして社交の場であり、観光客にも人気のあるスポットでもありましたが、年明け早々に発生した能登半島地震に伴う火災によって、朝市のエリアだった区域のほとんどが焼失してしまいました。
その輪島朝市の活気ある情景を描いたのが、この『あさいち』という作品です。今から44年前の1980 年に、福音館書店の絵本雑誌『かがくのとも』の一冊として刊行され、4年後の1984年には単行本化されましたが、その後長らく品切れとなっていました。このほど、能登半島地震の復興支援の一環として復刊の運びとなり、売上によって得られた利益は、義援金として日本赤十字社に寄付するとのことです。

海産物や野菜、お花、お菓子など、さまざまな品物を道端で売っている人たちと、それを買う人たちとの間で交わされている会話が、温かみのある方言とともにいきいきと、ライブ感たっぷりに再現されています。たとえば、じねんじょ(自然薯)を売っているおばさんの売り文句は、こんな感じ。

  「ほんとの じねんじょやぞ。
   はたけに うえた いもやねえぞ。
   やまで みつけて このながさ
   ほるんださけ、たいへんだわ。
   おつゆに してもええし、
   ごはんに かけてもええし。」

どうです?なんだか無性に、売られているじねんじょが買いたくなってくるような気になってきませんか?
いわしを塩や糠などに漬け込んで作る、能登の保存食「こぬかいわし」を売っている人もいます。「だいこと にれば うめえげに」などと言われると、これも買って帰りたくなりますねえ。わたしはまだ食したことはないのですが、さぞかし「うめえ」ことでありましょう。
売り物の野菜の横に、「これはあげます」と書いた紙を貼った箱とともに2匹の子犬を置いている人も。5匹生まれたうちの3匹は貰われたものの2匹はあまってしまったそうで、「まごの おらんまに もってきたげ。がっこから けえってきたら なくだろな」なんて言っているのには、ちょっとクスッとさせられます。
いきいきとしていて、時に笑いを誘われる楽しい売り文句を読んでいると、まるで活気ある朝市の中に来ているような気持ちになってきます。どこか民話のような雰囲気を感じさせる絵も、実にいい感じがいたします。

輪島朝市は、単に物を売り買いするだけの場ではありません。地域の人びとの社交の場であり、人びとが助けあう場でもあるのです。
朝市の終わり近くの情景を描いた絵では、集まった人たちが会話を交わしている姿や、売れ残った品を互いに交換しあっている姿が描かれています。人びとの生きたつながりが感じられるそれらの情景には、心温まるものがあります。
会話の中にあった以下のことばからは、朝市に出ることが一種の「生きがい」ともなっている人がいるということが伝わってきて、とても印象的でした。

  「よめは こんなさぶいひに
   いちに でんでもええと
   ゆうてくれるが、うちで
   こたつのもりを しとっても
   つまらんしねえ。」

人びとがつながり、「生きがい」を感じることができる場所でもあった輪島朝市。それが地震と火災の猛威によって失われてしまったことを思うと、なんともつらいものがあります。この先、能登の復興が進んでいって、輪島朝市が再開できるよう、ただただ願わずにはいられません。
活気と温かみにあふれた輪島朝市が、いつの日にかまた蘇りますように!

【追記の上で再投稿】『聞いてチョウダイ 根アカ人生』 熊本に育てられた名優・財津一郎さんが語る、80年の泣き笑い人生

2023-10-19 20:58:00 | 本のお噂

『聞いてチョウダイ 根アカ人生』
財津一郎著、熊本日日新聞社(発売=熊日出版)、2015年


テレビ、映画、CMで幅広く活躍し続けている俳優、財津一郎さん。子どもの頃から、そのユニークな存在感に親しんでいる好きな役者さんですが、わが宮崎のおとなりである熊本のご出身で、3年前に自叙伝をお出しになっていたということを、つい最近になって知りました。
さっそく取り寄せて読んでみたその自叙伝『聞いてチョウダイ 根アカ人生』は、出身地熊本のローカル紙、熊本日日新聞の連載を書籍化したものです。熊本での少年時代、芸能界に進むきっかけとなった合唱と演劇との出逢い、喜劇王エノケン=榎本健一の演劇研究所での修業や、吉本新喜劇の劇団員生活を経て、芸能人として大成していくまでの、涙と笑いに彩られた80年近い人生が語られています。

書名には「根アカ人生」とあるものの、財津さんの人生はけっして、明るく順風満帆なだけのものではありませんでした。
太平洋戦争の頃までは地主だった家に生まれた財津さんでしたが、戦後の農地改革でほとんどの土地を手放すことになります。そして父親もシベリアへの抑留で不在だった中、母親は慣れない農作業で苦労しながら、財津さんを含む6人の子どもを育てていたといいます。
にもかかわらず、財津さんはクラスメートから「地主の子」と言われ、いじめられる日々を送っていました。そんな財津さんを救ったのが、高校時代の恩師でした。学校田に財津さんを連れ出し、共に麦踏みをしながら、恩師はこう語りかけます。

「踏まれることでさらに強い麦になりなさい。耐えて強くなった後に、必ず勝負のときが来る。きょうから根アカに生きるとぞ」

その後の人生を変えるきっかけともなった、恩師からのこの言葉の意味について、財津さんはこう語ります。

「根アカというのは、明るいとか華やかとか、そんな簡単な意味じゃないんです。ピンチのときこそ志を持て、ピンチに立たされたときの経験こそ必ず人生の財産になるという意味なんです」

その後、人生のおりおりで苦労しながらも、恩師の言葉を胸にピンチをチャンスへと変えていく財津さん。トレードマークとなった「チョウダイ」というフレーズも、吉本新喜劇の劇団員時代の極貧生活の中から生まれたものだということを、本書で初めて知りました。
妻と生まれて間もない子どもを抱えながらも、ぎりぎりの極貧生活を続けていた財津さんが、吉本新喜劇の舞台で、息子と激しくケンカする父親を演じていたときのこと。家を出て行こうとする息子に向かって、財津さんが思わず放ったセリフが「やめてチョウダイ」でした。
実生活の苦しさを重ね合わせた「心の叫び」。笑わそうとはこれっぽっちも思っていなかったにもかかわらず、会場は爆笑の渦に。ショックを受ける財津さんでしたが、笑うのは馬鹿にしているのではなくて「がんばれや」という応援なのだ、ということを理解し「チョウダイ」というフレーズを売りにすることに。結果として財津さんの知名度は急上昇し、伝説的テレビバラエティ『てなもんや三度笠』(1962〜1968年)で、その人気を不動のものとするに至ったのです。

本書には、80年近い人生の中で出逢った、さまざまな人びとのことも語られております。亡くなる直前、義足に車椅子という不自由な体を押して、舞台の上で気迫のこもった演技指導をした喜劇王エノケン。つっこみだけではない「受けの芝居」を学ばせてくれた名優・藤田まこと。芝居を通して、悪とは何か、人間とは何かといった深いテーマを教えてくれた井上ひさし。少しも偉ぶることなく、庶民的で好感の持てる青年だったという坂本九・・・。それらのエピソードのひとつひとつも、実に印象的です。
そうそう、評判となったあの「タケモトピアノ」や「こてっちゃん」などのCMの製作エピソードにも、しっかりと触れてくれておりますぞ。

財津さんが恩師から教わった、ピンチの経験を人生の財産にするという「根アカ」な生き方は、わたしたちが生きていく上でも、学ぶべきものがありそうです。
人の関係の中で生じるピンチから天変地異による災厄まで、人生にはさまざまなピンチが訪れるものです。そこで膝を屈して終わるのではなく、それらを人生の財産として活かしていくことで出逢いにも恵まれ、強くしなやかな生き方ができるのではないか・・・。財津さんの人生は、そんなことを教えてくれるように思いました。
そんな財津さんの人生を支えた教えも、芸能界に進むきっかけとなる合唱と演劇との出逢いも、いずれも熊本時代にもたらされたものでした。財津さんはまさしく、熊本という土地で育てられ、その基礎をつくった方なのだ、ということも、本書で知ることができました。

財津さんが属している「昭和九年会」。文字通り昭和9(1934)年生まれの芸能人が集まったボランティア団体のメンバーですが、それに属していた方々の多くがこの世を去っています。愛川欽也、坂上二郎、長門裕之、牧伸二、山本文郎、大橋巨泉、藤村俊二・・・。時の流れとはいえ、なんとも寂しいことです。
本書を「遺書だという思いで」語ったという財津さんですが、一方で「でもね、僕は死なないよぉ」といいつつ、こう続けます。

「ゴールはまだ早い。止まりはしないが急ぎはしない。一日一日、生きていることをかみしめ、一歩づつ歩いていくのです」

そう。財津さんにはまだまだ、お元気でいていただきたいと心から願うのです。日本の芸能界の宝ともいえるお方なのですから。


(以上、2018年7月8日アップのオリジナル記事。以下は2023年10月19日に追記)

本書『聞いてチョウダイ 根アカ人生』の中で、「僕は死なないよぉ」と語っておられた財津一郎さんでしたが、2023年10月14日に慢性心不全のため逝去されました。89歳でした。
ショックでした。「まだ死なないって言っておられたじゃないですか!」と物申したい気持ちがいたしました。ですが、最愛の妻を失い(本書には、極貧生活が続いた中で支えとなってくれた、妻への感謝の思いも綴られております)、ご自身も病と闘い続けていたということを知るに及んで、今はただ「とても寂しいのですが、どうかごゆっくりとお休みになってください」と申し上げたいと思います。
このところ、さまざまな分野において長きにわたり親しんできた方々の訃報を多く目にいたします。これを綴っているつい数日前にも、ミュージシャンの谷村新司さんの訃報を目にしたばかり。喪失感で精神的にこたえます。
ですが、こういう時にこそ、財津さんが拠りどころにしてきた「根アカ人生」哲学で喪失感を乗り越え、「一日一日、生きていることをかみしめ、一歩づつ歩いていく」ことが大事なのでしょう。本書をあらためて繰りながら、そんなことを噛み締めております。
財津一郎さん、たくさんの笑いと希望を与えてくださり、本当にありがとうございます!!

文壇やアカデミズムが持て囃す「文学」にはない、本当にリアルな表現の面白さと妙味を伝えてくれる都築響一さんの快著『夜露死苦現代詩』

2023-05-03 16:24:00 | 本のお噂

『夜露死苦現代詩』
都築響一著、筑摩書房(ちくま文庫)、2010年
(親本は2006年に新潮社より刊行)


刊行されてからだいぶ経っている書物を読み、「こんな面白い本をなんでいままで見過ごしていたのか!」と、激しく後悔してしまうことがよくあります。今回取り上げる都築響一さんの『夜露死苦現代詩』も、まさにそのような一冊でした。

アートやデザイン関連をメインとした編集・執筆活動を続けておられる都築響一さんは、マスメディアやアカデミズムが無視、黙殺しているモノやヒトにスポットをあて、その面白さと価値を掘り起こす仕事で知られています。
オシャレさや小ぎれいさとはほど遠いけれど、どこか快適で楽しそうに感じられる、小さくてごちゃごちゃした都市の生活空間を切りとった『TOKYO STYLE』(京都書院→ちくま文庫)や『賃貸宇宙 UNIVERSE for RENT』(筑摩書房→ちくま文庫)。奇妙で俗悪だけども愛すべき、日本全国の珍スポットを発掘することで、地方の面白さと価値を再認識させてくれた木村伊兵衛賞受賞作にして、わたしのお気に入りの一冊でもある『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト→ちくま文庫)。まともな「アート」として扱われることのない、ラブホテルやデコトラ、大人のおもちゃなどといった対象を、れっきとした「アート」として正面から取り上げたシリーズ『STREET DESIGN FILE』(全20巻、アスペクト)・・・などなど。
そして、この『夜露死苦現代詩』では、「現代詩」はもちろん「文学」とも見做されないような表現を、「現代詩」として正面から取り上げています。取り上げられている表現の一部を挙げますと・・・「老人病院の寝たきり老人たちのつぶやき」「点取り占いに記されたことば」「獄中の死刑囚が詠んだ俳句」「暴走族の特攻服に刺繍されたフレーズ」「エミネムや渋谷のラッパーによるヒップホップのリリック」「エロ風俗サイトのキャッチコピー」「ワープロの誤変換」「見世物小屋の口上」「相田みつをの詩作品」などなど。
一見すると、気を衒ったかのようなラインナップにも思えますが、それらの表現が持つ妙味やリアルさを論じていく語り口は、とても面白くてスリリング。文庫版で400ページ近いボリュームながら、一気に読まされました。

無性に楽しかったのが、駄菓子屋の店先で売られていた「点取り占い」を取り上げた章。細く折り畳まれた小さな紙片に詞書(都築さんはこれを「詩句」と称しています)と点数、ヘタウマな挿画などが印刷されている、いかにも「昭和レトロ」感たっぷりの「点取り占い」が、豊富な図版とともに紹介されています。

   油虫におっかけられてにげました 2点
   君はもつとえんりょしなければいけません 6点
   雨の降る日は天気が悪いとは知らなかった 1点
   一寸(ちっと)もおもしろくない 1点
   うちのおやぢは一番えらい 10点

なんともいえない唐突感あふれる「詩句」と、それにつながりがあるんだかないんだかわからない「点数」との組み合わせが味わい深い「点取り占い」。そのルーツはなんと昭和10年に遡るそうで、その後の戦災で資料や版をすべて焼失し、ゼロから作り直されたものが、その後も長く販売され続けた「点取り占い」であるとのこと。そこに記されている「詩句」はすべて、製造会社の社長さんがひとりで生み出したものだそうで、「寝ながら、ふと思いついたこと」を「意味など考えずにどんどんメモしていった」といいます。なるほど、ウケを狙って考え出したものではないからこそ、「点取り占い」の唐突でシュールな味わいが生まれたんだなあ、と妙に納得させられました。
その「点取り占い」も、本書刊行後の2017年に生産が終了してしまったとのこと。まことに残念なことですが、この飄逸でシュールな「点取り占い」の楽しさが、なんらかの形で受け継がれていくといいなあ・・・と思うばかりであります。
ちなみに、本書の図版で紹介されている「点取り占い」で、わたしが一番お気に入りなのが、コレ。

   おみこしをかついだ事がありますか 6点

「点取り占い」の紙を開いて唐突に「おみこしをかついだ事がありますか」って訊かれても、どうにも反応に困るわけで。そもそもコレがなんで「6点」なのかがよくわからない(笑)。そしてもう一つ、コチラも捨てがたいものが。

   お前は三角野郎だ 5点

いきなり「三角野郎」といわれても、これまた反応に困りまする。で、コレに添えられているのが、頭部が黒い三角形になっているヒトを描いたそのまんまな挿絵。シュールすぎる(笑)。

ワープロの誤変換を取り上げた章もまた、意図せぬところから生まれるシュールな可笑しさにあふれていて愉快でありました。「今年から貝が胃に棲み始めました」(今年から海外に住み始めました)などの誤変換の中で、とりわけ傑作だったのがコチラ。

  今年十二枚雑巾を発掘したいと思う(今年中に埋蔵金を発掘したいと思う)

パソコンで小説を書いていたときに生まれた誤変換とのことですが、埋蔵金発掘を描いた小説よりも、十二枚の雑巾を発掘すべく悪戦苦闘する小説のほうが、はるかに面白そうな気がするな(笑)。
これらとは対照的に、ある種の「技巧」を凝らすことによって生まれる面白さに満ちていたのが、インターネット上のエロ風俗サイトのキャッチコピーを取り上げた章。語呂合わせや韻を踏んだフレーズの連呼などを駆使して、スケベなオトコどもを惹きつけるべく編み出されたコピーには妙な高揚感があって、なかなか侮れんものがあるなあと感心させられました。・・・ここでは、それらのコピーの実例を引用することは控えておきますが(笑)。

その一方で、ある種の極限状況の中から搾り出された言葉が持つ凄みには、強い衝撃を受けました。そのひとつが、1996年に東京池袋のアパートの一室で、41歳の息子とともに餓死していた77歳の母親が、ノートに綴っていた日記の文章です。

「昨日、サバイバルという文句を、教えて頂きましたが、今の私共の異常事態の中で生き残るには、どんな方法を、したらよいのか、ぜん、ぜん、分かりません、明日までで、食べ物は、何一つ無い状態になります、(中略)
後は、お茶丈で、毎日すごさねばならぬ状態でそのお茶も、後、何日分と、すべて口に、する物は、きれいに、無くなります、・・・・・・
なぜ、私共は、こんなにひどい苦しみを、何十年と、しなければ出来ないのでせうか、・・・・・・」

夫に先立たれ、脳に障害を持っていた息子の看病に追われた挙句に、空腹と寒さ、そして自らの持病に苛まれる日々を細かく書き綴った、読点の多い日記。苦しみに満ちながらも、「諦観めいた、自分たちの人生を突き放して眺める目線」も感じられるその文章に、都築さんは母親の「深い闇」を見ます。
死刑囚たちが詠んだ俳句を取り上げた章もまた、極限状況から生み出された表現の凄みを感じさせられました。

    
    よごすまじく首拭く
    寒の水

自らの死を目前にする中で生まれてきた、かくも静謐にして凄絶な言葉を前にすると、世の「文学」と称されるものの多くが、なんとも無力で薄っぺらいものに感じられてならなくなりました。

個人的に感慨深かったのは、かつて『ロッテ歌のアルバム』などの歌謡番組で名司会者として鳴らした、玉置宏さんの曲紹介ナレーションを取り上げている章です。

   旅に出たのは、何故だと尋(き)かれ
   ひとりぼっちは 何故だと尋かれ
   涙がひとつ 答えてる
   遠く煌めく 灯台だけが
   私の恋を 知っている
   旅に疲れた 女がひとり
   「津軽海峡冬景色」
   石川さゆりさんです

イントロが流れるわずか20〜30秒のあいだに語られる、歌の世界観を凝縮した情感あふれる名調子。都築さんは、生前の玉置さん本人へのインタビューをもとに、その真髄と妙味に迫ります。
事前に用意された台本に基づいてなされていると思われていたナレーションは、実はすべて玉置さん自作のフレーズだったということに、まず驚かされました。さらに、実際に演奏されるイントロの長さに合わせられるように、「1曲につき、短いもの、真ん中くらいのもの、長いもの」と3パターンのコメントを作ったり、「同じ曲でも、その曲が置かれる場所、あるいは唄われる時代によって紹介は変わります」と、同じ曲紹介は二度としなかったということに、より一層驚かされました。そんな玉置さんの「話芸」は、古典落語や活弁、俳句や川柳の勉強によって磨かれたものだったということも、本書で初めて知りました。
名司会者として鳴らした玉置さんでしたが、その晩年はとても不遇だったようです。ここでそのことに触れることはいたしませんが、都築さんが「日本と日本語が誇るべきMCのオールドスクール」「生半可なポエトリー・リーディングなど足元に及ばない話術の至芸」と賛辞を贈った玉置さんの「話芸」の素晴らしさは、今もなおいささかも、その輝きを失っていないように思いました。

誰からもまともな「詩」や「文学」とは見做されず、詩壇文壇アカデミズム、そしてメディアからも軽視・黙殺されてしまう表現の数々。しかし、そういった表現によって支えられている人たちが少なからず存在していることを、本書は教えてくれます。
そのいい例が、暴走族が着用する「特攻服」に刺繍で入れられた「詩句」でしょう。おそらくはまともに学校で勉強もしていないであろう彼らが、仲間や敵対するグループのフレーズを研究するなどして、彼らなりに言葉のセンスを磨いていく中で生み出された「詩句」。それらは死を覚悟した上で謳いあげられる、対抗するグループや警察権力との闘いのメッセージであり、仲間たちとの絆の証でもあります。
でも、それらは暴走族ということだけで軽蔑され、嫌悪の対象とされてしまいます。それについて、「好きなものじゃなくて、いちばん嫌いなものの中にこそ、リアリティは隠れてる」とした上で述べられる結びの文章に、ハッと胸を突かれました。

「交通ルールを無視し、他人に迷惑をかけ、シンナーや覚せい剤でからだを壊し、ヤクザの使いっ走りになり、挙句の果ては事故って命を落とし・・・・・・。暴走族って、なんて下らない人生なんだろう。だけど、もっとも崇高なことに懸命になって、そこに生まれるのはせいぜい宗教だろうが、もっとも下らないことに、もっとも懸命になる、そこに芸術が生まれたりするのだ」

都築さんは本書の「はじめに」でも、このように述べます。

「すべての芸術はまず落ちこぼれに救いの手をさしのべる、貴重な命綱だったはずだ。頭いい人たちのオモチャである前に。(中略)
頭いい人たちが、学校から給料もらいながら「現代詩は死んだか」なんて議論して時間潰してるあいだに、もっと、はるかに切実にリアルな言葉を必要としている人々がたくさんいる。その人々に向かって書く人がいる」

「崇高なこと」ばかりを持て囃し、お利口でお行儀のいい「頭いい人たちのオモチャ」というポジションに収まっていては、文学はもちろんのこと文化・芸術全般が味気なくつまらないものとなり、衰弱していくのは目に見えています。本書は、そのような状況に対する異議申し立ての書であり、「落ちこぼれ」の貴重な命綱としての役割を忘れた書き手や作り手、そして「学者」「専門家」と呼ばれるアカデミズムへの強い問題提起でもあります。
そのことを踏まえると、暴走族の刺繍による「詩句」の一節が、気持ちに響いてまいりました。

   人生夢見て歩むべし
   それが選んだ道ならば
   俺がつらぬき通すだけ
   世間は馬鹿と呼ぶけれど
   なって見やがれ この馬鹿に・・・

どうですか、この心意気。世間からなんと言われようとも、「馬鹿」になりきる精神こそ、文学を含めた文化・芸術全般に必要なことなのではないかと、思うのであります。いつまでもコロナごときにビビって萎縮してる場合じゃありませんぞ。

文壇やアカデミズム、そしてメディアといった、お利口でお行儀がいい「頭いい人たち」が持て囃す「文学」にはない、本当にリアルな表現の面白さと妙味を伝えてくれる快著でありました。

小説や随筆とはひと味違う、永井荷風の抒情世界を味わい、堪能できる『荷風俳句集』

2022-10-03 21:14:00 | 本のお噂

『荷風俳句集』
永井荷風著、加藤郁乎編、岩波書店(岩波文庫)、2013年

小説や随筆の分野で数多くの名作、逸品を遺した文豪・永井荷風ですが、早くから俳句にも親しみ、折々に詠み続けていました。とはいえ、それらの多くは小説や随筆の陰に隠れて、それほど注目されることもありません。
文庫オリジナルの作品集である本書『荷風俳句集』は、荷風の自選による「荷風百句」を含む俳句836句をはじめ、狂歌や小唄、端唄、漢詩、そして俳句にまつわる随筆5篇がまとめられていて、見過ごされがちな荷風の短詩型文学の世界を通覧、堪能することができる一冊となっています。収録された句や歌、漢詩のすべてには詳細な注解が付されていて、作品をより深く味わうことができるようになっています。
2013年に刊行されたあと品切れとなっていたこともあり、入手できない状態が続いていたのですが、今年夏の岩波文庫一括重版のラインナップに入ったことで、ようやく手に入れることができました。

荷風の俳句は、折々の季節感と失われゆく江戸情緒、そして隠遁生活や色街を好む頽廃趣味が、十七音という短い中に込められ、結晶化しているところがとても魅力的です。
「荷風百句」は、荷風が自ら選んだ118句が、春夏秋冬の季節ごとに収められています。それぞれの季節から、お気に入りの句を引いてみることにいたします。まずは「春之部」から。

  永き日や鳩も見てゐる居合抜

「浅草画賛」の前書が付けられた一句です。居合い抜きなどの大道芸や見世物も出ていた、昔日の浅草の賑わいぶりが浮かんでくるようです。

  色町や真昼しづかに猫の恋

艶麗な華やかさの夜とは対照的な、静まり返った真昼の色町の中での「猫の恋」。色っぽいけど、どこかのどかで微笑ましくもある情景が、いいですねえ。
次は「夏之部」から。

  葉ざくらや人に知られぬ昼あそび

「向嶋水神の茶屋にて」という前書がついたこの句は、荷風俳句の中でもとりわけ一番のお気に入りであります。花街として賑わっていたという、向嶋(向島)の待合茶屋での芸妓との「昼あそび」を、初夏の季節感とともに詠んだこの句は、まさに荷風さんの面目躍如といえる名句です。

  八文字ふむや金魚のおよぎぶり

吉原の太夫たちが「花魁道中」のときに見せる、高下駄を履いた足で円弧を描くように歩く「八文字」(はちもんじ)を、金魚が泳いでいるさまに喩えたこの句もまた、荷風さんならではの名句といえましょう。
続く「秋之部」からは、「芝口の茶屋金兵衛にて三句」との前書が付けられた、以下の三句を。

  盛塩の露にとけ行く夜ごろかな
  柚の香や秋もふけ行く夜の膳
  秋風や鮎焼く塩のこげ加減

「金兵衛」とは新橋にあった料亭のこと。荷風さんが夕餉(夕食)をとるために通っていたお店であり、日記『断腸亭日乗』にもしばしば、その名前が出てまいります。お気に入りの料理屋で、秋の味覚に顔をほころばせている荷風さんの姿が目に浮かんでくるようであります。
そして「冬之部」。

  よみさしの小本ふせたる炬燵哉

こたつで暖まりながら書物に親しむ冬の情景、読書好きの琴線に触れますねえ。

  襟まきやしのぶ浮世の裏通

「浮世の裏通」で生きる人びとの姿に目を向け、作品に描き続けてきた荷風さんらしいこの句もまた、わたしの大好きな一句であります。

「荷風百句」に選ばれなかった数多くの俳句は、明治32(1899)年から昭和27(1952)年にかけての年次順に収められています。この中にも、お気に入りの句がたくさんあります。

  竹夫人抱く女の手のしろき

「竹夫人」とは、竹を編んで作られた枕型の抱き籠で、暑い時期に涼をとるために使われました。どこかなまめかしい雰囲気が、いいですねえ。

  冬の夜を酒屋(バア)に夜ふかす人の声

夜が長くなる冬の時期に、バーで憩う人びとが語り合う声が聞こえてきそうな一句です。

  大方は無縁の墓や春の草

「無縁の墓」とは、三ノ輪の浄閑寺にある吉原の遊女たちを葬った無縁墓のこと。引き取り手のない遊女たちの遺体を引き受け、「投げ込み寺」と呼ばれた浄閑寺を荷風さんは愛し、死後はここに葬られることを望んでいました。現在は荷風さんの詩碑と「筆塚」が建っているというこのお寺、一度訪ねてみたい場所であります。

年次順に配列された句の中には、その当時の時代の空気が詠み込まれたものもいくつか見受けられます。日本が米英に宣戦布告し、太平洋戦争が開戦した昭和16(1941)年の年末に詠まれたこの句からは、暗い時代に入っていく世の中の、息苦しい空気が伝わってきます。

  門松も世をはゝ゛かりし小枝かな

日本の敗色が色濃くなってきていた昭和19(1944)年には、その後の国の行く末を見通したかのような一句が詠まれています。

  亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉

そして昭和21(1946)年、敗戦直後の混乱の中で詠まれた次の二句からは、日本という国に対する、荷風さんの諦念のようなものが感じられてきます。

  戦ひに国おとろへて牡丹かな
  ほろび行く国の日永や藤の花

戦中から終戦直後に至る時期に詠まれた上の四句は、わたしの中では現在の日本のありさまとも重なるように思えてなりませんでした。現在の日本も、〝新型コロナウイルスとの戦い〟という〝戦時下〟の中で息苦しい世の中となり、さらには莫大な国富を〝コロナ対策〟という名目のもとで〝戦費〟として浪費したあげく、「おとろへて」「ほろび行く」第二の〝敗戦〟への過程にあるように感じられるがゆえに、です。
その一方で、荷風さんならではの諧謔精神が発揮された愉快な句も、そこここに見受けられます。上に引いた「亡国の調〜」と同じ昭和19年のところに仲良く並んでいた以下の三句には、思わず声を上げて笑ってしまいました。

  秋高くもんぺの尻の大(おほい)なり
  スカートのいよゝ短し秋のかぜ
  スカートの内またねらふ藪蚊哉

戦時下にあってもなお、人を喰ったようなユーモアと諧謔精神を忘れていなかったところもまた、荷風さんの魅力なのであります。
本書の編者である俳人の加藤郁乎氏は、荷風の俳句について「みずから恃(たの)むところ高き散木荷風には文事淫事を問わず市井人事のことごとくが四季とりどりの句となり得た」と、巻末の解説文の中で書いています。本書に収められた句の数々を読むと、そのことがよく納得できました。

「写真と俳句」の章では、荷風自らが撮影した写真に、俳句や狂歌、漢詩などを組み合わせた33点が収められています。
「物くへば夜半にも残る暑(あつさ)かな」の句に添えられているのは、〝牛めし〟や〝やきとり〟と書かれた暖簾を下げた露店の写真。「行雁や ふか川 くらき 二十日月」の句には、蒸気舟が煙を上げている深川万年橋の光景を捉えた写真。「秋晴やおしろい焼の顔の皺」の句には、小説『濹東綺譚』の舞台ともなった色街・玉の井の入り口の写真・・・。どこかの待合茶屋と思しき一室の窓際に腰掛けている、和服姿の女の後ろ姿や、荷風が住んでいた麻布の「偏奇館」の内外で撮られた写真も見られます。
すでに失われてしまった、かつての東京の風景をとどめた荷風の写真はそれ自体が味わい深いのですが、それらの風景写真と俳句などが組み合わされることで、より一層情緒をかき立ててくれます。この章の存在も、個人的には嬉しいものがございました。

荷風は漢詩、漢籍にも深い造詣がありました。そんな荷風が作った漢詩46篇も、本書には収録されているのですが、漢詩を読み慣れていない上に、漢籍についてもほとんど知らないわたしにとっては、いささか難解に感じられました。荷風が身につけていた、漢籍についての教養の深さを、ただただ思い知った次第であります。

小説や随筆とはまたひと味違った、荷風の抒情世界を味わい、堪能することができる一冊でありました。

【わしだって絵本を読む】すごくシュールで、ちょっとヘンテコな楽しさにどハマりしてしまった『めんぼうズ』

2022-06-27 19:49:00 | 本のお噂

『めんぼうズ』
かねこまき作、アリス館、2021年


書店での仕事(といっても、外商専業で売場を持たない、特殊な形態の書店ではございますが・・・)を長いこと続けていると、お得意先から受けたご注文によって、それまで知らなかった面白い本の存在を教えていただくことが、少なからずあったりいたします。今回ご紹介する『めんぼうズ』という絵本も、まさにお得意先からのご注文を通して出会うこととなった一冊であります。

洗面台の片隅にある円筒形のケースの中に、きれいに収まっている顔のある綿棒たち。満月の夜、その綿棒たちがケースから抜け出し、列をなして「ぴょんこ ぴょんこ ぴょんこ」と外へ飛び出していく。ほかの家からも同じように、たくさんの綿棒たちが抜け出してきて、一団となって町外れに向かって行進していく。そして湖にたどり着いた綿棒たちは、いっせいに湖の中へ飛びこんでいく。すると・・・。

・・・という、なんともフシギでシュールな楽しさがいっぱいのお話であります。ケースから抜け出していく、顔のある綿棒たちが描かれた表紙だけでも、わたしの気持ちをわしづかみにするのに十分でしたが、意表を突く展開を見せていくお話の面白さに大ウケして、いっぺんでどハマりしてしまいました。読み終わったあともまた本を開き、ニヤニヤしつつ読むことを繰り返したりしております。いやほんと、こういうすごくシュールでちょっとヘンテコなテイスト、好き過ぎですよわたしは。
一本一本に無表情な顔が描かれた綿棒が、夜の闇の中でゾロゾロと動き出していく絵面は、見ようによってはちょいとブキミにも思えてしまいそう。ですが、そこにはどこか飄々とした愛嬌とユーモアが感じられて、みんな一緒になって目的の場所を目指す綿棒たちが、なんだか健気で愛おしく思えてくるのです。
そして、オドロキの展開を見せてくれたあとのラストには、とてもほっこりした気分を味わうことができました。動き出していく綿棒たちを、おっかなびっくりな感じで見ているネコがまた、いい脇役ぶりを見せてくれております。

ユニークな感性あふれるこの『めんぼうズ』によって、はじめてその存在を知ることになった、作者のかねこまきさん。本書に記されているプロフィールによれば、絵画教室で美術を教えるかたわら、ご自身も絵本の創作を学び、2019年に『ちゃのまのおざぶとん』(アリス館)で絵本作家としてデビュー。本作『めんぼうズ』は2作目の絵本だそうで、2016年から制作している彫刻作品を絵本として展開させたもの、とのこと。本書のカバー袖には、その彫刻版「めんぼうズ」の写真も載っております。なかなか、面白いことをなさっておられる方のようであります。
絵本デビュー作である『ちゃのまのおざぶとん』もなんだか面白そう。今後の活躍にも注目したくなる作家さんであります。