『どんぐり』
寺田寅彦・中谷宇吉郎著、山本善行撰、灯光舎(灯光舎 本のともしび)、2021年
5月の連休を使っての、2年半ぶりの倉敷旅行。そのご報告は、先月(5月)から今月はじめにかけて、当ブログで5回にわたり綴ってまいりました(長ったらしいそのご報告を、最初から最後までお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございます)。
その倉敷旅行の初日、昔ながらの町屋が立ち並ぶ本町通りのはずれにある古本屋「蟲(むし)文庫」さんに立ち寄りました(そのときのことは、倉敷旅行のご報告「その2」の冒頭にてお伝えしております)。そこで購入した本の一冊が、今回取り上げる『どんぐり』であります。
身近な現象から地球規模の物理現象までを探究し続けた寺田寅彦と、雪の結晶や人工雪の研究で大きな業績を上げた中谷宇吉郎。科学の世界における師弟関係にあり、ともに名随筆家でもあった2人の作品から3篇を選び、一冊にまとめたものです。撰者である山本善行さんは、京都の古書店「古書善行堂」の店主であり、古本と書物に関するエッセイストでもある方です。
本書の書名にもなっている寺田の作品「どんぐり」は、肺の病のために19歳という若さで亡くなった寺田の最初の妻・夏子と、その忘れ形見である娘の「みつ坊」への思いを綴った、初期の寺田随筆の代表作といえる名篇です。初出は、雑誌『ホトトギス』の明治38年4月号(師であった夏目漱石の『吾輩は猫である』の連載が始まった号でもありました)。
初産をひかえていた年の暮れ、夏子が吐血。しばらくの間、「よいとも悪いともつかぬ」容体が続いたものの、翌年になると少しずつ好転。ある日医者の許可を得た寺田は、夏子を伴い植物園に出かけることに・・・。その植物園へ出かけた日のことを、寺田は思い返します。
出かける前に時間をかけて髪をすき、じれったくなった寺田が「早くしないか」とせき立てると、年がいもなく泣き伏して「一人でどこへでもいらっしゃい」と拗ねたこと。植物園にあった凍った池で遊ぶ小さい女の子を見ながら発した、「あんな女の子がほしいわねえ」という「いつにない」ことば。そして、「おもしろそうに笑いながら」自分のハンカチだけでなく寺田のハンカチまでいっぱいにするくらいのどんぐりを拾ったこと・・・。そんな夏子の姿を綴った文章からは、寺田の愛惜の思いが伝わってきます。
そして夏子が亡くなったあと、六つになった娘の「みつ坊」を同じ植物園に連れて行くと、彼女も夢中になっておもしろそうにどんぐりを拾います。そこに「争われぬ母の面影」を見た寺田が語る、「始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだ」という切なる思いが、読む者の胸に響いてきます。
寺田の随筆では、どちらかといえば寺田ならではのものの見方や批評精神を、明晰かつこなれた語り口で綴った大正以降の作品群が好みのわたしですが、この「どんぐり」は明治期に書かれた初期の作品の中でも、やはり別格といっていい輝きを持った、哀しくも魅力的な名篇だと思うのです。
本書の後半に置かれているのは、中谷宇吉郎の「『団栗』のことなど」。寺田の「どんぐり」の背景にはどのようなことがあったのかを、寺田の日記や書簡などをもとにしながら丹念に読み解いた作品です。
明治33年の暮れに吐血した夏子でしたが、年明け以降は順調に回復していたことが、寺田の日記からは読み取れます。ところが、ここで「「寺田寅彦」の生涯とその性格とに、重大な影響を残すような事件の発端が起った」ことを中谷は明らかにします。
夏子の病気を極端に恐れた寺田の父親が、夏子を寺田から引き離して療養させるという案を立て、夏子は東京から高知へと移され、孤独な療養生活を余儀なくさせられることとなったのです。のみならず、しばらくして生まれた「みつ坊」こと長女の貞子からも引き離されてしまいました。
さらに寺田自身も肺尖カタルと診断され、また別の土地での転地療養をする羽目となってしまいます。とはいえ、それは「とり立てて病気というほどでもなかったらしく」「気ままな保養をする程度」だったといい、「床に就ききりというのならばまだ諦めもゆくが、この程度の症状であったのに、「肺病」という文字だけのために、引き離されて暮さねばならなかった」と中谷は記します。「肺病」に対する過剰な恐れのために、最愛の家族が引き離されて療養生活を余儀なくさせられる状況・・・それはなにやら、昨今の新型コロナに対する過剰な反応が引き起こした、さまざまな悲喜劇と似ているように思われてなりませんでした。
中谷はさらに、病状が悪化していく中でさらに別の土地への転地療養をかさねることとなった夏子の悲劇や、寺田が「あまりに悲しい二人の生涯に、批判の眼を開」き、家族制度の弊害を論じるようになったこと、そして「どんぐり」の最後で「母の運命は繰り返させたくない」と寺田が望んだ「みつ坊」こと貞子の辿った境遇についても触れていきます。
亡妻に対する愛惜の念と、その忘れ形見である娘への切なる望みを綴った、寺田の「どんぐり」。その背後にあった悲しい事実を中谷の「『団栗』のことなど」で初めて知り、なんとも辛い気持ちになりました。
2つの作品のあいだに配されているのは、寺田の随筆「コーヒー哲学序説」。撰者の山本さんが「まさしくコーヒーブレイク」のために置いたというこの随筆は、亡くなる2年前の昭和8年に発表された晩年の作品です。
子どもの頃、薬用として飲まされた牛乳に入れたコーヒーの香味に心酔した思い出にはじまり、留学や旅行で滞在したヨーロッパ各地でのコーヒーとの出会い、そして銀座の喫茶店へコーヒーを飲みに行ったことといった、自身とコーヒーとの関わりが前半で語られます。
そして後半では、飲むと精神を高揚させる「興奮剤」としてのコーヒーについての話へと移ります。そして、人間の肉体と精神に影響を及ぼす点において、コーヒーは芸術や哲学、宗教とよく似たところがあると指摘した上で、以下のように語るのです。
「芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない」
寺田ならではの洞察と批評精神、そして文末で見せるさりげないユーモアとがあいまった「コーヒー哲学序説」は、後期の寺田随筆の傑作のひとつであり、わたしのお気に入りの一篇でもあります。
本書『どんぐり』は、撰者である山本さんが企画した「灯光舎 本のともしび」というシリーズの第一弾です。
「読んだあとに誰かに伝えたくなるような随筆、代表作とはまた違った一面が見られる小説、何度も読み返したくなる美しい文章、そのような作品をシンプルな装幀で本読み人に届けたい」(「撰者あとがき」より)という思いから企画されたシリーズ「本のともしび」。その第一弾である『どんぐり』は、70ページほどのコンパクトな内容ながら、とても丁寧で洒落た本作りがなされていて、紙の本を読むことの愉しみと喜びを与えてくれます。
表紙をめくると、シリーズのマークとなっている燭台のイラストが左上にあって、さらにそれをめくると、「ともしび」の部分が切り抜かれていて、そこが書名や著者名が記された扉の色となっている趣向に、にんまりといたしました。
『どんぐり』のあと、田畑修一郎『石ころ路』と中島敦『かめれおん日記』の2冊が「本のともしび」として刊行されております。その2冊も読んでみようかなあ、などと思っております。