『科学歳時記』
寺田寅彦著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2020年
(原本は1950年に角川書店より刊行)
今年の5月以降、角川ソフィア文庫から刊行が続いた寺田寅彦の随筆集。2冊目は『科学歳時記』です。
明治に書かれた初期の作品から、亡くなった年に書かれた晩年の作品まで、春夏秋冬それぞれの季節にまつわる39作品を歳時記風にまとめた本書は、寺田の明晰な科学的考察と、鋭敏な四季への感覚とが溶けあった一冊となっています。
本書を読んでいたのは夏真っ盛りという時期。例年以上に暑かった中にあって、とりわけ興趣をそそってくれたのが「涼味数題」という作品です。
「涼しさは瞬間の感覚である」という書き出しで始まるこの作品、まずは「涼しさ」にまつわる、いくつかの過去の記憶を辿っていきます。中でも印象的なのが、小学時代に高知の鏡川で開かれていたという納涼場の記述です。
河原の砂原に氷店や売店、見世物小屋が並び、「昼間見ると乞食王国の首都かと思うほど汚い眺めであったが、夜目にはいかにも涼しげに見えた」という納涼場。その露店で食した熱いぜんざいは「妙に涼しいものであった」と寺田は述懐した上で、露店の情景を描写します。縁台が並ぶ葦簾(よしず)囲いの天井からは星の降る夜空が見え、片隅では清冽な鏡川の水がさざなみを立てて流れ、ガラスの南京玉をつらねた水色の簾や紅い提灯に飾られていた・・・という露店の雰囲気を想像すると、読んでいるこちらにも涼しさが感じられてくるように思われました。
続いて、われわれ日本人が感じる「涼しさ」の感覚は、他の国とは違う日本ならではの微妙な感覚なのではないかということを、気候学や地理学の観点に加え、俳句の季題を例に挙げて述べていきます。このあたり、科学的なものの見方と文学的なセンスを融合させる、寺田の真骨頂といえましょう。
そのあと寺田は、「いろいろなイズムも夏は暑苦しい。少くも夏だけは「自由」の涼しさが欲しいものである」と語り、「涼しさ」に基づいた自由論を展開していきます。このくだりからは、社会と文明に対する寺田の鋭い批評眼が感じ取れます。
「自由はわがままや自我の押売とはちがう。自然と人間の方則に服従しつつ自然と人間を支配してこそ本当の自由が得られるであろう。
暑さがなければ涼しさはない。窮屈な羈絆(きはん)の暑さがない処には自由の涼しさもあるはずはない。一日汗水垂して働いた後にのみ浴後の涼味の真諦が味わわれ、義理人情で苦しんだ人にのみ自由の涼風が訪れるのである」
こう堂々と述べたすぐあとに、「涼味の話がつい暑苦しくなった」という一言が続いていて、思わずニンマリとさせてくれるのです。実にニクいではありませんか。このくだりの前にある「涼しい顔」についての話にも、寺田ならではのユーモアが感じられて楽しいものがあります。
科学的なものの見方と文学的センス、社会と文明への鋭い批評眼、そしてユーモア感覚が一体となった「涼味数題」は、わたしのお気に入りであります。
春を主題にした6篇の短い文章からなる「春六題」にも、寺田の鋭い批評眼が随所に光っています。
3月の平均温度についての話を取り上げた節では、平均温度というものが往々にして「その月にその温度の日が最も多い」という意味に誤解されたりする、ということがまず述べられます。その上で、「いわゆる輿論(世論)とか衆議の結果というようなものが実際に多数の意見を代表するかどうか疑わしい場合がはなはだ多い」「志士や学者が云っているような「民衆」というような人間は捜してみると存外容易に見つからない」と述べているところに唸らされます。
「多数派」による「世論」を絶対視したり、特定のイデオロギーによるフィルターに基づいて「民衆」を定義してしまうことで、社会や物事の実態が見えなくなってしまうようなことは、現在においてもしばしば見られることでしょう。ここでの指摘は、現代社会に対する教訓としても十分通用するように思います。
現代社会に対する教訓、あるいは警鐘としての価値を失わないもう一篇の作品が「颱風雑俎(ざっそ)」です。
昭和9年(1934)9月に日本を襲い、約3000人にのぼる死者・行方不明者を出した室戸台風の話題から始まるこの科学随筆は、古来の記録に残る台風の歴史を辿りながら、日本人が台風による体験を遺産として継承し、日本の国土に最も適した防災方法に基づいて耐風建築、耐風村落、耐風市街を建設していったことを述べていきます。
さらに、室戸台風の被害を受けた信州において、昔ながらの民家や村落が無事だった一方で近代的な造営物や集落に被害が集中していた見聞を語ります。その上で寺田は過去の経験を継承しながら、台風の被害を最小にとどめる建築や地の利を生かした町づくりをすることが重要であると説くのです。
ちょっと長くなりますが、寺田の主張を引いておきます。
「昔は「地を相する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。
(中略)
地を相するというのは畢竟自然の威力を畏れ、その命令に逆わないようにするための用意である。安倍能成君が西洋人と日本人とで自然に対する態度に根本的の差異があるという事を論じていた中に、西洋人は自然を人間の自由にしようとするが日本人は自然に帰し自然に従おうとするという意味のことを話していたと記憶するが、このような区別を生じた原因の中には颱風や地震のようなものの存否がかなり重大な因子をなしているかもしれないのである」
先週末から今週はじめにかけて、非常に強い勢力をもった台風10号が沖縄、そして九州を襲いました。西洋流のものの考え方に慣れ切ってしまい、自然というものは自分たちの力でどうにでもできると思っているわたしたちですが、ひとたび自然の猛威にさらされるとただただ、無力な存在でしかないのだという事を、あらためて思い知らされることになりました。
西洋流の考え方に盲従するのではなく、日本の自然や風土を基本とした考え方を科学的知見と組み合わせて、台風や豪雨、そして地震への備えを構築していくことが大切なのでしょう。豪雨や地震といった災害が頻発する時代にあって、寺田の警鐘と訴えはますます大きく響いてくるものがあるように思います。
寺田の随筆では、どちらかというと初期の文学的なものよりも、後期に書かれた科学的随筆のほうが引き締まった読み味がして好きなのですが、本書にも収められている初期の随筆「団栗」は、あらためて読んでも実に深い感銘を与えてくれます。どんぐりを拾うことが好きだったという、若くして病死した最初の妻と、その忘れ形見である6歳の子どもへの愛惜が全編にあふれる本作は、まちがいなく初期寺田随筆の名作といえましょう。病気で入院していたときに耳にしたさまざまな物音を、自らの心象風景と重ね合わせながら鋭敏な感覚で描写する「病院の夜明けの物音」も、何度読んでも味わい深い逸品であります。
そしてもう一篇、本書の中でお気に入りなのが「年賀状」。子どもの頃から「新年」に対して恐怖の念を持ち、年賀状を書くことを「年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきもの」とまで思っていた寺田(文中では〝鵜照君〟なる友人のこととして書いているのですが)が、年賀状の効能とありがた味を感じるに至った気持ちの変化を、戯作調の語り口で書いている愉快な一篇。年賀状の効用を述べ立てる、どこか屁理屈じみた言い草の数々が大いに笑えるのであります。
(その1)でご紹介した『銀座アルプス』同様、寺田随筆のエッセンスと醍醐味をたっぷりと味わうことができる一冊です。
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