いつもの火曜日は
帯広緑ヶ丘公園へ行ってましたが
今日は
浦幌博物館へ行ってきました
高校の同級生から
「浦幌町立博物館だより」が送られてきました
行事の中に
浦幌町開町120年展があること
添え書きには
閉校になった高校(おじさんはここの1期生)の
資料などもあることを知らせてくれました
そんなことで
公園散歩は中止して
おくさんを送った後
浦幌博物館へ行きました
博物館は
教育文化センター「らぽろ21」の中にあります
この施設には
博物館のほか
図書館
教育委員会があります
浦幌町の開基は
1900年(明治33年)4月 大津村外六ヶ村戸長役場から十勝村、生剛(おべつこうし)村、愛牛村の3村が分離、独立し、生剛村外二ヵ村戸長役場を設置する。
と記録されています
おじさんの故郷
十勝太は
今は浦幌町ですが
1955(昭和30)年
大津村が廃村になり
厚内など海岸一帯が
浦幌町に編入したことにより
浦幌町民になったということです
この地図には
十勝太などはまだ大津村だった時代
(右下の海岸部がありません)
とすればおじさんにとって
浦幌町民になって以来
64年目になるということですか...
開町記念展のコーナー
開村当時の資料
展示資料の中に
十勝太の写真が
これはついこの間の写真
資料展示の写真は
いつごろか年代は書いてありませんが
十勝川の本流時のもので
川が崖の下を通って
海に流れていたことがわかります
おじさんの目を引いたのは
板に張られた新聞
この板は
明治期の
中浦幌(今の留真辺り)駅逓(えきてい)
建物の壁の一部だそうです
何が...?
明治41年の
小樽日報
当時記者としていた
石川啄木記者の記事だそうです
見出しは
(明治)40年度外国貿易というタイトルです
本来は駅逓が町の歴史で重要なところなのですが
石川啄木記者は
浦幌を越えているようですね!
コーナーには
浦幌高校の資料も展示されていました
懐かしさがありますが
資料の多くは目にしたことがあります
展示の中に
町史としての創刊号ともいうべき
浦幌村五十年沿革史
その後
70年史
100年史を編纂しています
この五十年史を編纂したお方
大そう著名な御方のようです
沿革史を編纂したことで
浦幌に貢献されたお方ですが
特に図書館関係で著名な御方のようです
疎開されてきたことが縁で
浦幌村史ができたというわけです
村史を見ているうちに
十勝太の歴史も知りたくて...
(何度か見ていますが再確認したくて)
併設の
図書館を訪問
十勝太は
明治に入るころは
アイヌの方が
数戸のようでした
和人が住んだのは
明治16年
西田小次郎という方が
牧場を開いたことが始まりのようです
父親が開いた牧草畑は
明治に鉄道が敷かれる前
駅の場所や市街をつくる予定があったと書いてあります
(結果は吉野から浦幌に鉄道が敷かれました)
まだまだ知りたいこと
いっぱいありましたが
迎えの午後4時までに帯広に戻らなければならず
14:45博物館にお別れ
追記
展示内容や
行なう行事など
小さな町ですが
十勝ではナンバーワンの博物館です
(断定できます)