しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

城見音頭

2016年07月04日 | 父の話
 談・2000.2.6

城見音頭

(歌詞は)公募したんじゃ。
武徳さんからも応募があった、が、ぶせえくなんじゃ。
(武徳さんは地元を離れて長いので)わからんのじゃ。
それでワシがはんぶん書き直した。
大勢応募はあった。
後になって、ワシの名前にしときゃあえかった思うた。
公民館の委員で決定した。

作曲は岡山の専門家に頼んだ。

踊りは婦人会が笠岡の先生にたのんだ。


笠岡湾干拓の増反者

個人じゃあもらえんので生産組合を作って、
12町ほどもろうた。
そうゆうことは、みな自分がやっとる。
県と市が窓口じゃった。


町名・城見台

大蔵建設は山があるので、工事名は松ヶ丘団地ゆうとった。
完成後の地名は、
“城見”ゆう地名がないんで「城見台」に決めた。


茂平工業団地

川岸、中尾フィルターが来て、
アサムラサキや岩瀬産業や川上や甲神がきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂平の吉備焼

2016年06月25日 | 父の話

談・2003.10.4

茂平の吉備焼

茂平の山から土を取りょうた。取った後こすんじゃ。
今はこしらえたええドロ、すぐに使えるドロを送ってもらようる。買ようる。
窯を焚く木も茂平の木を取って使ようた。
昔は「皿山(さらやま)」ようたけど、ほんとに皿みたいなもんばっかし作りょうた。
正式には阿浜(あばはま)じゃ。


茂平の御神燈

銅山はどこどこ、ゆうて茂平中灯をつけることになっとる。
晩にお宮に参(めえ)る人のために。
八幡様のお祭りに参るために道を明るうしとります、参ってください。ゆうことで付けとる。
主な通りにつけとる。ローソク一本でヒラで分かれて灯をつきょうた。


茂平の祭りは10月1日から10月第一日曜に変わった。(城見はなぜ同一の日に統一しなかったのか?)

(強いて言えば)大冝と用之江は親類関係が少ない。
茂平と用之江、茂平と大冝は親類関係が多い。
ひてぃ(一日)になったら、お互いにこれまあ。


しめ縄

当番が編む。
銅山なら、みんなでてやりょうた。
大けえから、
藁をたくってあわせて
左官のときさんや、まあさんが指導してくりょうた。
したことがねえ人はわからん。
はずして裏を見て、(あたらしのができたら)焼きょうた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御船を海に

2016年06月25日 | 父の話
談・2003.10.5

御船を海に

(祭りの神輿を海に浮かべることはあったのか?)
あった。
西ノ谷が当番の時、波止から飛び込んで海の中をとおて苫無の松原まで行った。
帰りしなは上の道(土手)を歩いて戻った。
土手を守ってもらう意味で通る。
新川(を通るの)もそうじゃ。


八幡さんの土俵
(祭り等で相撲を取るのをみたことがないが?)
つかようならんだが、子供相撲で物をやりょうたりしたこともある。


茂平の屋号(の一部)

端(ハナ)
いんきょ
かんのんどう・・観音堂があるから
えべすんき・・戎っさん、銅山じゃあ先生、よそからはウチもじゃ
中(なか)
表(おもて)
後(うしろ)
前(まえ)
夜灯・・銅山の人がゆう(使う)だけじゃ。
太歳(ださあ)

よもと・・地名じゃ。


茂平の果物は福山へ

(なぜ福山へ出すのか)
笠岡へ出すと安うなる。買い手がおらん。
福山の方が市場がひろい。高う売れる。


番屋の隣の公会堂

昔は学校で、その後は
茂平の(全体の)公民館で使ようた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂平大池の魚獲り

2016年06月25日 | 父の話

談・2003.9.14

茂平大池の魚獲り

大池、小池、尾越、・・・水田の池。
(池の掘り直しとかでなく)池干しは
乾燥した年には魚を捕る。
鮒(フナ)を焼いて天日で干し、汁のダシにしょうた。
(汁の)味がえかった。

昔は大池でも小池でも、池が干でしまようたら魚を捕りにいきょうた。大人も子供もはいって取りょうた。
鮒がおるばあじゃ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿部山の開墾

2016年06月22日 | 父の話

談・2003.9.15


阿部山の開墾

おじいちゃん(父のこと)はしょうことなしに(阿部山)に行っとった。
県の指導員をしょうたから、しょうがないから行っとった。(開墾を)進めにゃあいけん立場じゃった。
行ってみても、あんなとこを開墾してもなんでやっていけりゃあ思うようた。
平たんでもないし、牛でも飼うくらい。畜産のような。そうでないとやっていけん。



茂平生産組合

生産組合をこしらえて入植したんじゃ。
33町ほと貰うたんじゃ。
組合を作らにゃあくれんのじゃ。個人じゃあだめ。



脳溢血で死ぬ話し

(今はガンで亡くなる人が多いが、子供の頃、死んだといえば決まったように“脳溢血”での死が多かった)
畑仕事が忙しい時、なにばあ飯も食べずに畑に行き、水も飲まずに仕事をして。そうゆうもんが何日がつづきょうると、養生をする前に倒れてしまう。
身体が弱いもんがまいりょうた。仕事の無理をしょうた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SLに乗って茂平から高松へ通学の話

2016年06月21日 | 父の話

談・2002.8.24


SLに乗って茂平から高松へ通学の話

(母)
(長男が通う高校は、水攻めで有名な高松だった)
高校を受けるときは中学の担任から「受けるのは掛けじゃ」いわれた。

朝6時ごろ家を出ようた。
大門駅に出るのは、なるのとっさんが「どちらかが蜘蛛の巣をはろうて出る」ようた。
とっさんは、それか間なしに死んだ。気の毒に、まだ51才じゃった。かぞえで。

大門から汽車に乗って庭瀬で乗り換ようた。
(※茂平~大門と庭瀬~高松は自転車)

早かった。
真っ暗。
弁当を作りょうた。
くどを焚きょうた。

週に何日か(遠いので、週に二日ほど岡山市の親類宅に)泊まりょうた。
泊まりょうたから(大学生の従兄に)勉強をみてもらようた。
それで公務員の試験にとおた。県の試験も国の試験もとおた。びっくりした。
その頃は県の試験はむずかしゅうて、通るんなら大阪やこ行って受けい言わりょうた。


百姓の税金
かなり収入がなけりゃあ(税を)とられるゆうことはなかった。
固定資産時ははらようた。

兵隊の郵便の検査
兵隊が出す(外地から)・・中隊の班長がちょっとみる。おかしげなことを買いとらんか。
兵隊が出す(内地から)・・同上。
兵隊へ出す・・・・郵便局でみるようになっとった。


コーヒーや紅茶・・町へ出た時、飲むことがあった。


歯磨き・・粉(こな)。カンカンにはいった。


笠岡へ船で行くと
船着場(西ノ浜のようだ)に着きゃ、酒屋があり、ちくわを買うて焼酎を飲みょうた。
映画を見て、コーヒー飲んで
伏越やカフェーがあった。


しょうやん
しょうやん(魚売り)が来る前にも、似たような人が魚を売りにきょうた。
しょうやんが売る魚は笠岡湾のものが多かったが「おくり」(他市場)のものもあった。


茂平のぶどう畑が減ったのは?
安うなった。あほらしんで止めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城見小の金次郎さん

2016年06月19日 | 父の話
談・2000.9.17


城見小の金次郎さん

(終戦後、天皇の巡幸に関し
天皇の巡幸が小学校であれば、天皇到着以前に次の物を必ず撤去するよう通達が出た。
二宮金次郎像
和気清麿像
奉安殿
忠魂碑
御真影
原型をとどめないように撤去すること。
城見小に天皇は来なかったが、どう処理したのか)

城見小には金次郎像のこまいんがあった。取った。
清麿像はねえ。
奉安殿はどこでもある(ない学校がない)、取っしもうた。


岡山県農業普及員のこと
(戦後すぐに辞めた普及員のこと)
最初(城見村)役場に勤めょうた。
県の普及員は2年たつと試験を受けれるんで、役場の人がそっちの方がええから受けてみい、ゆうことで受けたら通た。
県から勤務場所は大江村役場の辞令を受けて大江にいっとった。
村農業や農家の個人の指導をするのが仕事。
個人や
村の常会にも呼ばれる。
村の人とわあわあいえる人間でないと務まらん。


兵役中の給料
(兵隊にいっているとき=休職中に、岡山県農業普及員の給与は?)
8割くらい送ってくりょうた。ありがてぇことじゃ。


城見村会議員

報酬はボランティア(程度)。
カネをもらうようになると、カネをもっとる人しか出れんようになる。
(役得というほどでないが)
議員で、東京の武徳さんのところにいこうやあ、ゆうことで行った。
議員宿舎に泊まったんで宿泊費はいらん。
観光は武徳さんが案内の世話をしてくれ
議員会館でいっぺん昼飯を御馳走になった。
汽車代を出したんと、観光費と弁当代を出した。


城見の駐在所
戦時中からおった。(寝泊りしていた)
途中、今の国道へ変わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格納品

2016年06月19日 | 父の話

談・2000.9.16

格納品
食料品のことじゃ。穴を掘って隠しとった。
(陸軍)病院でも横へ穴を掘って食料品を隠しとった。


岡山空襲
(戦時の岡山陸軍病院
将校・・40、 下士官・・36、 兵・・ 92。計168人 看護婦数・・不明。
その年、国立岡山病院となり、練兵場横にあった病院棟は戦災で全焼。)
患者はよその病院へ送り。ワシは本院へ変わった。


部隊の解散
まだやる!決起する!ゆうのが、いちんち(だけ)さわぎょうた。


(HQの岡山は陸軍兵舎
弾薬処理で
和気、林野、玉野、笠岡など出動した。)
林野にはいちばん多かった。笠岡はしらんのう。


岡山の兄貴と井原の兄貴(実兄でなく義兄。母の兄弟)を呼んだら、二人とも自転車で
来た。
軍靴や着るもん、服やズボン
自転車の前に靴はさげてのう。
あの時分はなんもなかったんじゃけいのう。


復員
(隣村の金浦出身の)経理の軍曹が運んでやる言われて、病院の車でもって帰った。
菓子の袋と米を一俵積んだ。



町からの買い出し
(交換物は)
芋がいちばん多かった。次にナンキン。


金属類供出
(この年(2000年)金属供出とされていた「人見絹江のメダル」が出てきて話題になった。)
役場の裏には積んだままの金属(かね)があった。
あれを処分してええ目をした人がおった(どこの町村でも)。


(昭和22年ごろ、戦後の犯罪がピーク)
なんもなかった。


(ヒロポンや麻薬)
(城見は)関係ない。


失業対策
これゆうもんはなかった。してない。


PTA
父母の会は戦前なかった。
学芸会や参観日のような、個人対応の連絡しかなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂平の出身者

2016年06月18日 | 父の話


談・2000.9.16


(茂平の出身者)
国会議員・・野田哲さん
県会議員・・おらん
大学教授・・・ひよっさん方
軍・・大尉くらいの人。


戦後(昭和22年ごろ)の新旧の貨幣交換
農協や郵便局がおもで(xx銀行でなく)、手続きは行かんでも向こうで通帳を変えてくれとった。


農地解放・・・作りょうた人が、(その土地を)買うた。
地主・・大地主はおらん。


水落の水晶・・だいしょう出ようた。


有名な軍神は・・・爆弾三勇士と一太郎とラッパの木口小平。
慰問団・・舞台で漫才したり音楽して帰った。みんな寄って聞いた。
玉音放送・・やれやれじゃ。泣くのはかっこをつけただけじゃ。
空襲警報・・桃の袋かけで一番忙しい時じゃ、鳴りょうても(作業を)ほっとかれん。「来ょるのぉ」ゆうだけじぁ。

犬と猫・・日本でも終戦後、犬と猫を殺して食べとる。捨て犬じゃ。捨て犬が多かったんじゃ。猫は(味が)おえん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鋳掛屋

2016年06月18日 | 父の話

談・2002.10.14


鋳掛屋
鍋ややかんを直しにきょうた。
してるようになってから来んようになった。

こうもりがさ直し
蝙蝠傘を直す人もきょうた。


かたくり
風邪の時、子供は食べやすいので砂糖を入れて食べさしょうた。


とうやん
(恵風荘ができる前、旧病棟にとうやんと呼ばれる男が住んでいた。)
そうじゃ。番をしょうた。それに死んだときにゃあ穴を掘ってくりょうた。


餅つき
コメを2日くらいかしとく。(水につける)
うむしなら前の日、餅なら2日くらい。
いそぐ時には煮え湯につけとく。
朝早うおきてせんと、湯を煮え立ってうむすまで1時間はかかる。


遠足の弁当 
(母)
昔はようしょうた。朝早ぅ起きて。
遠足、運動会・・・。
弁当屋がなかったけぇなあ。


ゴマをする
(母)
風味がええけぇ。
なます、あえもの。
ゴマを入れにゃあおいしゅうなかりょうた。


豆腐屋
(母)
朝は豆腐を作り、それが終わったら
おじさんは、芋飴を作って売りに来る。
おばさんは、てんぷらを仕入れて「どうですか」ゆうて歩きょうた。
芋をもって行けば飴に変えてくりょうた。


金浦の小麦屋
(母)
金浦の人が小麦を煎餅に変えてくりょうた。
そりゃあ、あんた(管理人)らが子供の時じゃ。
ポン菓子
もようきょうた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする