しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

学徒動員壮行式答辞 (昭和19年6月11日・金光中学)

2020年12月05日 | 昭和16年~19年
先に記述の、

”昭和19年、本校では
第一学期中に
5学年が乙島の飛行機工場に
4学年が兵庫県の播磨造船所に
3学年が乙島工場に出動した。
2学年・1学年も挙げて農家の手伝いや開墾作業に奉仕した。”

の「5学年が乙島の飛行機工場に」の壮行式の答辞。


「金光学園百年のあゆみ」 金光学園 平成6年発行より


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学徒動員壮行式答辞


愈々学徒動員が下り、我等五年生は戦力増強生産の任務を以って出発致すこととなりました。
本日茲に我等のために壮行式を挙行致され、
校長先生より御憩篤なる御訓示を賜り、
在校生総代より親切なる激励の辞を寄せられ感謝感激の至りであります。

日々夜々前線に繰り返されて激烈極まる戦闘の状況を聞くたびに、我等の血潮は高まります。
敵米英がこしゃくにも物量をたのんで我皇軍を圧倒せんとし、無数の爆弾・無数の弾丸を以って我将兵を悩ましているのであります。

今や一機でも多くの飛行機を、一発でも多くの弾丸を、一日も早く前線へ送らねばなりません。
我等学徒が工場へはいり、軍需の生産に従事することは実に重大なる任務であります。

我等は今や直接国家のために役立つ日を迎えました。
我等が一本の鋲釘を打つその動作も、そのまま前線へひびくのであります。
このことを思う時、どうして自重せずにおられませうか。
祈りを込め、誠心をこめて働かずにおられませうか。

力の限り御奉公を致します。
諸君もしっかり勉強して下さい。

昭和19年6月11日

第五学年生総代




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