しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「上海だより」

2021年07月18日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
昭和50年頃、軍歌酒場が夜の街に流行った。
その店は、普通に飲み屋なのだが、
店の飾りに日の丸や軍帽が飾ってあること、店内の歌は全てが戦時時代の歌(軍歌や童謡や歌謡曲)だった。
そういう時代だったのでレコード店に軍歌のコーナーがあり、
そのLPレコードを一枚買ったことがある。
父はほとんど関心がない様子だったが、
「この歌は唄っていた」、
というのが『上海だより』。


それだけの縁だが、父が”唄っていた”ので記念の歌としてページにした。
父が軍歌を歌うとこを見たのは一度もない。
軍歌もそうだが、”軍”がイヤだったのだろう。




「昭和の戦時歌謡物語」 塩澤実信  展望社 2012年発行

上海だより

♪便り物シリーズ

赤紙一枚で召集され、戦場に赴く将兵は、故郷への想いが強かった。
若い兵隊の場合、一番の心のよりどころは母親だった。
「上海だより」は、その母親への戦場からの便りになっていて、上原敏の歌で昭和13年の春、ポリドールから発売された。

上原敏は昭和19年にニューギニア戦線で戦死した。
彼は支那事変が始まると、皇軍慰問団の一員となって中国大陸に渡り、上海、南京の周辺を回って、戦う兵士たちを積極的に慰問して回った。
「上海だより」は、中国戦線に従軍した一兵士が、母親に宛てた「軍事郵便」の形式だった。


拝啓ご無沙汰しましたが
僕もますます 元気です
上陸以来 今日までの
鉄の兜の 弾の痕
自慢じゃないが 見せたいな
〽 
極寒零下の戦線は
銃に氷の花が咲く
見渡す限り 銀世界
敵の頼みの クリークも
江南の春 未だしです
〽 
隣の村の戦友は
偉い元気な 奴でした
昨日も敵の トーチカを
進み乗っ取り 占領し
もぐら退治と 高笑い
〽 
彼奴がやれば僕もやる
見てろ今度の 激戦に
タンクを一つ 分捕って
ラジオニュースで 聞かすから
待ってて下さい 御母さん






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