桃太郎さんのお話で有名な、
”おじいさんは山へ柴刈りに・・・”
子どもの頃は、よく山へ行った。
松葉集め・やくべ木集め・柴刈り、その三つの記憶が混在して区別できない。
薪にしたのか肥料にしたのか牛のエサだったのかも、遠い昔となってよくわからない。
・・・
「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行
山唄・柴刈り唄
秋の彼岸になると柴刈りが始まる。
柴は牛の厩に入れられて敷き草にされ、それが厩肥になる。
また
堆肥にされたり、
そのまま切って田に入れて肥料になる。
金肥は魚肥か菜種粕ぐらいでわずかなものであり、
肥料の中心は柴(堆肥・厩肥)と人糞尿・灰であった。
反当り200肥は入れた方がよいとされ、五反百姓では少なくとも、
延べ20日間の柴刈りをしなければならない。
柴刈りは朝から晩までの仕事なので弁当持ちで行き、
鎌はすぐに切れなくなるので、その場で腰につり下げた砥石でとぐ。
水は無いので唾が水の代用をする。
芳井町
〽
ヤーレー
鳥も通わぬヨー 山里なればヨー
住めば都じゃヨー のや殿ごヨー
ソリャヨイヨイ
歌え歌えとヨー せきたてられてヨー
歌は出はせぬヨー 汗が出るヨー
・・・
「高梁川44」 高梁川流域連盟 昭和61年発行
柴刈り歌
〇どうせなるなら 一夜も早く
心がわりのないうちに
〇娘島田にちょうちょがとまる
とまりそうなものよ 花じゃもの
平川地方では早朝山に柴刈りに出かけ、
朝食の頃帰宅する。
終戦後暫くは続いていた。
旧暦六月朔日から八朔までが柴刈り時期である。
日中でも出向いていた。
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「鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
肥料
かつては、柴草も大切な肥料で、
早朝の露のある間に刈り取り、束ねてかついで帰ったり、カゴやネコ車で運んで帰った。
これらの柴草は牛に食べさせたり、
ウシヤに入れてアラゴエに踏ませ、
あるいはオシギリで切って直接田畑に振り込むこともあった。
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「矢掛町史民俗編」 矢掛町 ぎょうせい 昭和55年発行
ヒタキシバ(シバクサともいう)
ヒタキシバは、単にヒタキとかシバという。
辻山や持山、アゼなどで刈った草で、
アラゴエとともにたいせつな肥料となり、
草刈り後のハエゴエ(フリゴエ)などに使った。
辻山の草刈についての細かいきまりは少ない。
一般に、田草上がりから秋の彼岸か稲刈り前ごろまで刈に行く。
トギレオーコで四把から六把ぐらい担いで帰るのが普通である。
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