茂平の観音堂の前に、紙芝居のおじさんが来ていた。
料金は5円か10円だった。
お金をわたすと棒がついた飴玉をくれた。
それをねぶりなら、おじさんが話す紙芝居を見ていた。
見物人は10人前後で、繁盛している様子はなかった。
紙芝居は、物語の途中で終わり
「つづきは次に来たときに」
で終わりだった。
紙芝居のおじさんは、話し方がとても上手で、
特に顔の表情がおもしろかった。
紙芝居よりも、おじさんの顔を見ている方がおもしろかった。
紙芝居屋さんは特に興味もないし、見てみたい気もなかった。
たぶん、代金が安いので親が金をくれたのだろう。
興味がないと言うのは、
「紙芝居」は小学生が見るものではない、と自分では思っていた。
あれは、小学生になる前の園児や幼児が見るものと思っていた。
実際、保育園では先生(保母さん)のする紙芝居は大きな楽しみだった。
しかし、小学生になって紙芝居に縁はまったくなくなっていた、
どうして?なんで?
小学生が紙芝居を見るのだろう?
今になっても不思議な思いだ。
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「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和他 グラフィック社 2020年発行
紙芝居屋
紙芝居屋さんになるには、
まず自転車を用意する。
紙芝居協会というようなところから、絵と道具を借りる。
道具とは、
拍子木もしくは太鼓。
それから紙芝居用舞台。木製が多い。
それからお菓子の問屋さんでアメちゃんを用意する。
これでほぼ完成。
多くは数話でお話が成立する。
毎回同じ場所へやってきては、いいところで「次回へ」つなぐ。
先行投資の要らない紙芝居屋は、とっつきやすい商売だったという。
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「昭和の仕事」 澤宮優 弦書房 2010年発行
紙芝居屋
紙芝居は、昭和5年から始まったという。
一人で出来るので、
テキヤの手にわたり、縁日、祭礼で子供相手に演じられるようになった。
街頭の紙芝居は昭和35年頃まであったが、
テレビにとって代わられ消滅の道を辿った。
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