遊んでいると、
行李を風呂敷で包み、背負って歩く薬売りが通りすぎる。
薬売りは家々を一軒づつ訪ねては、薬の補充や相談、金銭の授受を行っていた。
薬売りを見ると、無性に「紙風船」が欲しくなる。
家に帰ると、母が薬売りと話していて、それを見ていると・・・
見ているのでなく、風船を催促している・・・風船をくれる。
それが嬉しい。
紙風船を持って飛ばして遊ぶ。
しかし、男の子が風船を飛ばすのは二日と持たない。
いわば、一日限りの紙風船の楽しみだった。
・・・
・・・
「昭和の消えた仕事図鑑」 澤宮優 原書房 2016年発行
富山の薬売り
明治34年には富山市では8.000人近くが製薬と行商を行った。
富山市の人口が約6万人の時代である。
行商人は手甲脚絆の姿で年に1回か2回、薬品を行李に入れて、
紺色の大風呂敷に包み、背負って売って歩いた。
服用された薬があれば、新たに補充する。
薬以外の商売をせず、信用を大事にした。
戦後間もなくは、病院の数は少なく、なた夜中に急に具合が悪くなったとき、
病院の対応も十分でなかったので、富山の薬は頓服として効力を発揮した。
サービスで紙風船がもらえた。
・・・
「金光町史 民俗編」 金光町 平成10年発行
薬売り
富山、総社から来ていた。
四段重ねの籠を薬袋に入れ、
大風呂敷に包んで背負って来ていた。
年に一~二回得意先を回り、
薬袋の交換、補充と集金をしていた。
薬行商人は、子どもへの土産として紙風船をくれており、
置き薬屋さん、オイッチニの薬屋さんと呼ばれ、親しまれていた。
・・・
「昭和の仕事」 澤宮優 弦書房 2010年発行
富山の薬売り
頭痛薬、腹薬、傷薬などの薬を各家庭に預けておき、
一年に一度、在庫状況を見に来ていた
薬箱の薬の差替えをして、
毛筆で通い帳と薬箱の蓋に記帳し、使用した薬代を決裁した。
紙風船を土産に持ってきていた。
・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます